星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

今年いちばんの…

2018-06-25 | …まつわる日もいろいろ
今朝は 早朝の空がすばらしく美しかったです。








今年いちばんの暑さにもなりそうで、、 東京は33度!になるとのことですが、、 体調にじゅうぶん気をつけて。。



最高の一週間に… ☆


Believe...

2018-06-23 | …まつわる日もいろいろ
晩ご飯の帰り道…





お月さま見えた。。




早くも七夕飾り、、も…



、、 ねがいごと。。  信じること。。



この想い とどけ。。。

この星の思い出を歌に…

2018-06-21 | MUSICにまつわるあれこれ
サッカー、、 日本代表 誇らしい試合でしたね。。 みんながとても落ち着いていたし…。 サッカーのことはよく分らないけれど、 浮足立っていなかったところが勝利に結びついたように思います。 


それで昨日、、 「WINNER」を聴こうかと思って… 
、、 吉井さんとサッカー、、 殆んど結びつかない、、 似合っているのかいないのかよくわからないユニフォーム姿のジャケ写…でしたね(笑) 、、 でも これが出た2007年は忘れられない年だし、、

それで「WINNER」を取り出したけど、 せっかくなので、、 シングル盤を全部引っ張り出して最初からぜんぶ聴くことにしました。。 順番を確認するためにオフィを見ながら、、。
あら、「超絶ダイナミック」って14枚目のシングル盤という扱いだったんだ、、 (知らなかった) そういう認識がなかったし聴こうという気もなかったのでゴメンなさい、持っておりません。。


ソロ作品 15年の歩み。。

 ***

昨日ぜんぶ聴いて、、(B面というかカップリング曲も聴いて) 、、また 泣いたり、、 おなか痛くなったり、、(笑って…)

ずーっと聴いていって Love & Peace のあたりからギターの音色がイヤホンの耳に刺さる感じになるので音量を下げました… あんなに優しい歌なのにね。。
 

、、 ソロ15周年とのことですけれど、、 私には(私だけじゃなく?) もっと長い時間がありました。。 2001年7月にはもう 「ソロ活動やるべきです」って 書いていますしね…(>>

、、 独りになった吉井サン見守り隊としては みんなあの年からずっと(今どうしてるかな) ってずっと話してきたのですものね。。 そして10月にレノン音楽祭で、 身のやり場に困るような恥ずかしそうな表情でステージに出ていらして…(>>

だから 「TALI」が出た時には、、 やっと… というか ようやく… という気持ちで 壊れそうな気持ちでコワレモノに触れるようにCDの音に耳を傾けた。。
 だからそこから15年が始まっていった気持ちよりも、 2001年からのここまでの道のり… という気持ちのほうが強いかな。。 (私事ですけど… TALIの頃の日記が残っていないのは、 訳があってではなくて旧ブログからココへの移行が間に合わなかったのです、、 どこかにバックアップがあると思うけど…自分でももう分らない)

自分…  2001年から社会人兼大学生として学業に戻ったのも 前年の秋には願書を出して決まっていたことなので、 THE YELLOW MONKEY の活動休止とも関係はないけれど、、 でも 偶然にも新たな試練の日々がそこから自分も始まったから、 ずっとずっと吉井さんの歌にはそばで支えて貰った。。 ほんと 今思えばよくぞあそこまで頑張れたと、、 死ぬほど勉強して(しかもフジロックにも いろんなLIVEにも行って) 全単位取って論文書いて5年半かけて卒業~~、、

 ***

だからどの曲にも強い思い出があるし、、 「トブヨウニ」はカップリングの2曲を含めてミニアルバムと言っていい位の名盤だと思うし、、 「Beautiful」の3曲もこれがシングル1枚に入っているのが奇跡なくらいそれぞれ重要な曲だと思う、、

2007年に出た 「Shine & Eternity」からの3枚は どうしてこんな名曲たちが(しかも全く雰囲気の違う曲で)次々に出されたんだろう… と思う充実感で、、
(そしてカップリングでは この年の私の術後の傷に障るほど笑わせてもらいましたし…)

「クリア」はね、、 聴いたときから、、 どうしてこんな意地悪な歌をうたうの? って思いました。。 理由はあとから分かったわけですが。。 「クリア」は 「プライマル。」と同じくらい 意地悪な(でも正直な)歌ですね、、 クリアになったのは貴方だけで 聴いていたこちらは全然クリアな気持ちになれなかった。。 「ボンボヤージ」と同じくらいせつない気持ちが残されて。。


 ***

また別の機会に書きますが…
今、 ブルース・チャトウィンの『ソングライン』という本を読んでいて、、
(チャトウィンについては前に書きました>>


アボリジニの人たちによって先祖からずっと歌によって伝えられてきた道「ソングライン」、、 それは目に見える交通の道の意味ではなくて、 一族のアイデンティティであり履歴であり、、 生きる知恵や教えであり、、 歌によって存在せしめられたこの世界の意味でもある、、 (まだ読みかけだからよくわからない…)

 「歌うことで世界を存在させていった先祖たちは、詩(poesis) 本来の意味、すなわち〝創造する”という意味において詩人だった…
  信心深い彼らの人生の目的はただひとつ、土地をそれまでどおりの、あるべき姿のままにしておくことだった。 ”放浪生活”は儀式としての旅だったのだ。彼らは自分の先祖が残した足跡をたどった。そして一音一句変えることなく、先祖のつくった歌を歌い、そうすることによって“創造”を再創造していったのである」


、、わかりそうで はっきりとはわからない…

(poesis)の意味を引くと、 "the activity in which a person brings something into being that did not exist before."  と書いてある。 存在しなかったものを存在させる、、 という意味だけれど、 チャトウィンの説明だと地上に存在していなくても大地の中に眠っているんだという、、。 新しい科学が持ち込んだ飛行機も、鉄道も、、  きっとチャトウィンが書いた時代には無かったスマホも、 大地から呼び出されてアボリジニの人たちは使っているんだろう… そうすると新しい歌が増えるのかな、、 (やっぱりわかりそうでわからないけど)

でも、、 雨も風も 地震も、、 この星の中に眠っていたものが呼び出されて生まれて、、 人も塵から生まれてまた塵に還っていく、、 それはわかる気がする。。

 ***

何を書きたかったんだかよくわかんなくなってきたけど… 「歌」がもし 呼び出されるのをじっと待っているのだとしたら、、 その時を待てばいいのかな、、 と思うし、、

何度でも 何度でも 自分の足跡でもあり誰かの思い出でもある同じ歌を繰り返し聴くことも、歌うことも、、 世界をそうあって欲しいと願う世界に「再創造」する、、ってそういうことかもしれないな、、と思う。。 だから、 あのとき力をもらった歌をうたい聴く時、 同じ力で私の世界が「再創造」されると思えば良いのかな。。

とにかく、、
、、ただ純粋に、 もう一度歌が聴きたい、、 歌うことで生み出される世界に自分ももう一度身を置きたい。。 その気持ちでいっぱいなだけ…。


、、 嬉しいことに、 コンサート会場への道はちゃんと呼び出されて私達の元へ来てくれました。。 あとは お帰りなさい、を待つだけです。。

 

ミステリ作家の童話:『少年のはるかな海』ヘニング・マンケル

2018-06-04 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
6月になりました。。 きょうは暑かったですね。

前々回、 「5月はミステリの月①」ということで、 アン・クリーヴスさんの作品を紹介し(>>) そのほかに5月中に読んだミステリ小説のことも書いておきたいのですけど、、 結構いろいろな予定が…
(明日もお友だちとお出かけするし…)

、、 というわけで五月雨のミステリ読書記は 梅雨入り後に書けたら…(笑) ということで、、 今日はその番外編、、 ミステリ作家さんの児童文学。
良かったんです、、これが。。

 ***


『少年のはるかな海』 ヘニング・マンケル著 偕成社 1996年

ヘニング・マンケルさんは ↑右の『殺人者の顔』の刑事ヴァランダー シリーズのミステリ作家。
先に、 『殺人者の顔』を以前、読もうとしたのですが、、 冒頭の殺害発見のシーンが凄惨で、、 (猟奇ものとかダメなんです…) 、、で、 読むのやめようかなぁと思いつつ、、 ミステリ好きの友に (これ残酷?)と尋ねたら、、 その後はそうでもなくて事件を追う《おっさん刑事》がいい味を出してる、と。。 女房には逃げられ、 見た目も冴えず、 生活ダメダメだし、、 老親の介護も抱え、、 それが《おっさん刑事ヴァランダー》との出会いでした。。

、、で ヴァランダーシリーズについては またにしますが…

そのヘニング・マンケルさんの著書を検索していたら児童小説があって、、 なんだか読んでみたくなったのです。。

 ***

11歳のヨエルはお父さんと二人暮らし。。 ヨエルはお母さんを憶えていない、、

お父さんは以前は船乗りだったけれど、 今は海の全然見えない町に住み、森で木を切る生活をしている。。 ヨエルは学校から帰るとすぐに 薪のオーブンに火をつけて 父さんが帰るまでにじゃがいもをゆでておく。 パンやじゃがいもや父さんが飲むコーヒー粉を買いに行くのもヨエルの仕事、、 母さんがいないから、、



 「こんな日は気をつけなければいけない。ドアをバタンとしめないこと。 どうでもいいことを質問しないこと。 ただ、だまってテーブルに皿をならべ、じゃがいもをよそい、父さんが焼いた肉を静かに食べること。 そして、すぐに自分のへやへ消えること。
  ヨエルには、父さんのふきげんの理由がつかめないし、どうすることもできない。
  でも、心の中で思っている。 うちに母さんがいて、そばに海があれば、父さんはきっとふきげんにはならないと。父さんがすてた海と、父さんをすてた母さん……」


―― ここ読んで 泣いちゃいました、、、  父さんも辛いのかもしれないけれど、、 子供にこんな風に気を遣わせてしまうのは切ない、、 余りにも切ない。。 でも子供って本当に敏感に、 大人の様子をうかがって、 子供なりの神経を擦り減らして 親に気を遣っているものなんです。。 それがすごく実感できるから その心の繊細さに泣けてきてしまう… (それと同時に、、 ヴァランダー刑事のダメダメさが、、 同じ人が書いているという事が なんだかわかる気がした…)

大人だって ダメなときがあるんだ。。 

父さんは、 母さんのことや 海をすてた理由を、 ヨエルには話してくれない。。 もう少しおおきくなってから、、 と。 だからヨエルは理由もわからずに我慢しなければならない。

、、 そんな或る晩、 窓の外を見ていると 灰色の犬がヨエルを見て、、 それから走っていった、、 ヨエルはあの犬を見つけなくちゃ、と思う。。 その晩から、 父さんが寝静まった深夜 ヨエルは家を抜け出して町を彷徨う。。

 ***

夜の時間を知り始める11歳の少年。。 父さんには言えない秘密の時間がだんだんに増えていく、、 淋しさと苛立ちと 何も教えてくれない父さんへの不信と、、

この小説、、 児童文学ではあるのですが、、 これを日本の同じ11歳の子が読んでだいじょうぶなのかな…  小学校の図書館とかに置けるのかな… と、 ちょっと思ってしまった理由は、、 父さんの「大人の事情」についても結構あからさまに書かれているからなのです。。 ヨエルが寝ている事を見計らって父さんも夜でかけていく、、 女の人の所へ…。 寝たふりをしているヨエルだから、 そのことも知ってしまう。 父さんの行った後をつける…

、、 この作品が スウェーデンのニルス・ホルゲション賞、ドイツ児童文学賞受賞 とのことなので、 あちらではそんな「大人側の事情」も子供向けの作品で描かれるのですね。 両親が離婚したり、 新しいパートナーがいたり、、 様々な家庭、家族のあり方が当たり前の現実になっている国々。。 

 ***

傷ついたり、 葛藤したり、 怒りをおぼえたりする少年の心。。 でも、 この作品の救いは その傷ついた心をちゃんと受け止めてくれる べつの大人たちに出会える事なんですね。。 その人たち自身も 心に傷を負ったことのある、 他者から余計者と見なされたことのある大人、、 でも ヨエルとちゃんと向き合って 大事なこと 話してくれる。 

、、 そして お父さんも、、
結局は ヨエルとちゃんと向き合って、 自分の弱さも、 心の中のことも、 話してくれる。。 
(日本流の子供との絆を深める という親密さを重視する向き合い方というよりも、 親子の絆の上に立ち、 親も一人の個人だし、 ヨエルも大人になりつつある個人、というそんな向き合い方、、)


・・・ 余談ながら、、
あとがきを読んでいたら、 著者のヘニング・マンケルさんは子供時代 父子家庭だったそう。。 だからヨエルの淋しい心の様子がこんなによくわかってあげられるのかな、、。 だから刑事ヴァランダーのダメダメなところも書けるのかな、、と。 大人も淋しいんだし、、 子供はもっと傷つきやすい、、 他者から排除されたアウトサイダーの苦しさも、尊厳も、、 愛するものを失ってなお生き続けていかなければならない悲しさも、、 

そういうものがわかっているから、 (解って欲しいから) ミステリを書くのかな、、とも。。

 ***

ところで、、

ヨエル少年が 最初に探そうと思った 「星に向かって走っていった犬」、、

なぜ ヨエルはその犬を探し出そうとしたのかな…  その犬ってほんとうは何をしていたのかな… ほんとうにいたのかな…  それとも、 何かの象徴だったのかな…

もしも、 子供と(子供でなくても) この本を読んだ誰かと話をするとしたら、、 その犬の意味を考えてみたいな、、。


きっとこの『少年のはるかな海』は、 ヘニング・マンケルさんがどうしても書きたかった、 児童文学という形でしか言えなかった 自分にとって大切な告白、、 そんなふうに読めました。。