星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

カタチに残るもの、こころに残るもの。

2006-08-28 | アートにまつわるあれこれ
アンガールズ、完走できて良かった~~。
完走できて、というより、無事で良かった~~。

私もやせっぽちだけど、ひとごととは思えない激痩せコンビ。。私など体育の時間、幾度となく膝の脱臼、捻挫を繰り返してたから、「走らなくていいよ~~、歩け、歩け」とひたすら無事を願うばかり。。でも、たまにちらとTVに映ると、よりひ弱そうな山根サンが後ろから田中サンを見守りつつ、声援にうなずきながら元気そうにしてたので、とっても嬉しかった。良かったよかった。

 ***

『芸術新潮』9月号が、「飛鳥」の特集だったので買いました。
京都は好きで何度か足を運んでいるけれど、飛鳥はまだ行った事がありません。
行っても、たぶん「石」しか観るものは無いのだけどね、、。

その「石」が、天武天皇だとか、持統天皇だとか、また、草壁皇子の陵墓だとかいろいろ言われているのだそうですが、考古学的なことは良くわからな~~い、、でも、その方達の「歌」はカタチは無いのに、1300年脈々と残っているって、素晴らしい事だと思いません?

   日並知の皇子の尊の 馬並めて 御猟立たしし 時は来向ふ

   (ひなめしのみこのみことの うまなめて みかりたたしし ときはきむかふ / 柿本人麻呂)

かつて草壁の皇子が馬を並べて狩猟をなさった季節にまたなろうとしています、という意味ですね。
キトラ古墳など、調査をするには「アウトブレイク」みたいな防護服に身を固めて、それでも、黴などの損傷に大騒ぎしなければならないけど、「歌」の中では、同じ頃に、こうして皇子たちが野に馬を疾らせていたようすが変わらずに生き生きと伝わってくるみたい。「カタチ」が残る、残らない、って、物質的な価値だけではないんだな、、と思う。そして、その無形のものと、有形の遺跡が、、長~いなが~い研究の末に結びつくかもしれない、、というのも素敵だな。。

、、ちなみに、この『芸術新潮』には、インゴ・マウラーへのインタビューも載っていました。東京オペラシティでの「インゴ・マウラー展」にも、過日出掛けてきました(教えて下さったお友だち、どうもありがとう)、そのことはまたいずれ書くといたしましょう。
10月からは大阪のサントリーミュージアムで開催だそうです。

『芸術新潮』(こちらで立ち読みもできます。>>)


ドクター・ロマノ、、。

2006-08-27 | …まつわる日もいろいろ
私の執刀医となるセンセの初診察。
、、、なんだか、すぐにでも切りたい雰囲気。。

「仕事がぁ--」 「卒業がぁ--」 とごねる私に、
半年待つことにして亡くなってしまった方の話をするのだけど、
(その話は私も知ってる。。突然来る危険は私もわかってる、、けど)
切って亡くすことより、切らずに亡くす悔いの方が許せないのは外科医たればこそだなぁ、、と妙に感心。

なんか、外見は正反対なんだけど、ERのロマノ先生だわ、、と思ってしまいました。
最初、来春、、なんて言ってたのが有無を言わさず却下。
 私の心の声:(年内の予定、いっぱい入れちゃったよぉ、、)
        (年内になったらU2や吉井クン、見れないぢやないかぁ、、)
余計な事情に耳を貸さないのも、外科医の鉄則。でも自信があるんだろうなぁ、、。
、、必死の引き伸ばしを図って、年明けのオペと相成りました。

「それまでに何かあったらスグ! 連絡しなさい」とロマノ先生に念を押され、、
  (う~、意地でも何にもならないもんっっっ)
、、、入院手続きまで全部させられて来ました、の。

今後の予定がぁぁ、、、いっそがしぃったら、、もう。
、、、3月末の卒業式にはぜったい復活してやるんだから。

優作さんの笑顔。

2006-08-25 | …まつわる日もいろいろ
先日、思いがけずTVで久し振りに優作さんの映像をたくさん見ました。
(何かの特集番組でした)

と、、そんな折、松田優作さんのミュージシャンとしてのDVDが
この秋発売されるというニュースが流れ、にわかに優作さんの話があちらこちらで。。

優作さんについては前にもちらと書きましたが(>>)、
放送以来、まだ一度も見直していない、、けど、、私の心に深~く残っている映像があるのです。それは、小学生の時に放送していた『俺たちの勲章』という刑事ドラマで、この主題歌は、拓郎さん作曲の、トランザムのインストゥルメンタル曲で(写真)、、歌詞がついたものは「あゝ青春」というタイトルでヒットしました。
たしか、、父が持っていた古いビクターのステレオを買い換えた時、電気屋さんが設置に来てくれて、「何かレコードかけてみて」と言われて、初めてそのステレオで鳴らしたのが、この『俺たちの勲章のテーマ』でした。。

、、で、音楽の話じゃなくて、
『俺たちの勲章』というのは、こういうドラマだったんですが(>>)、優作さん演じる中野刑事には、謎の恋人がいて、、(その後の刑事もの、鮫のダンナにも素敵な恋人がいるみたいなものですね)、、男臭い刑事ドラマの真ん中、突然、祐二のデートシーンが挟まれるのです。。でも、台詞は一切無し、、職場ではニヒルな裕二が、美しい女の人と笑いながら遊園地の何かに乗っていたりする、、。誰も知らない安らぎのひととき。誰にも見せない顔。

このシーンに、子供なりに非常に感銘を受けて、、その女の人のような存在になるのが、、夢、、のまた夢のまた夢、、に。

30年近くも経って、インターネットを使うようになって、かの美しい人が誰であったのかもわかりました。。でも、まだ、この作品、、再見していないのですよね、、。優作さんがどんな風に笑っていたか、、いつの日か、見てみたいとずっと思っているのです。

でも、、きっと、、その女の人には程遠い我が身を感じてしまうのかな、、(苦笑)


終戦の日に。

2006-08-16 | アートにまつわるあれこれ
本郷新記念 札幌彫刻美術館 という所へ行ってきました。

今回の旅、何の計画も目的も無く、
唯、ホテルと航空券だけ予約して出かけた旅でした。
向うでも、朝起きて「きょうは何処へ行こうか」と。

この美術館へ立ち寄ったのは最終日でした。駅かどこかに置いてあったFreeペーパーに載っていて、もともと彫刻作品を見るのは好きだし、この春行きたかった西洋美術館での「ロダンとカリエール」展は見逃してしまいましたし、、。

はからずも終戦記念日。朝、ホテルのTVでは靖国神社がずっと映し出されていました。「終戦の日」ということばは、、年齢をかさねていく自分にとって、次第に以前とはちがう重さを持つことばになっていきます。国が戦いをやめた日、ではあるものの、、多くの人にとっては、それが戦いの始まった日でもあったのだから。。北方での話、南方での話、、子どもの頃からぽつぽつと聞いてきた、おじやおばの話は、、、決して全てが語られることはない、、。それに気づいたのは、、戦後50年以上も経ってからなのです。

「無辜の民」というシリーズ作品の展示がされていました。70年代の作品にもかかわらず、今の中東の状況が胸に迫ってつらくなります。本郷新という作家は、非常に多作で、活動も彫刻に留まらず、油彩、版画などほんとうに数多く、したがって、作品の印象もそれぞれにまったく異なってきます。だから、全般を通じて、好きな作家、という風には思えないけれど、「戦争」をテーマにしたこの人の作品には、特別な姿勢が感じられるように思えます。訴える強さが違う。その訴えには惹きつけられるものがあります。

石狩の浜に設置されている「石狩―無辜の民」は、今回初めて知りました。先に知っていたら、石狩まで足を伸ばしても良かったな、と思ったのでした(この旅、あまりに天候が良く、岬めぐりならぬ、浜めぐりも美しかっただろうと、、)。

本郷新記念 札幌彫刻美術館>>

本郷新と無辜の民(むこのたみ)>>(上の写真はこちらのページからです)

月人。。。

2006-08-10 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)

きょうの朝まだき、私は夢見のさなかだったと思いますが、
目覚めたらこんな写メールが届いていました。

都会の月も、もちろん好き。
眠る街並みをだまって見ていてくれるお月さま。

でもしばしば私は月を見上げて、
ビルも道路も線路も橋も、なにもない万葉の時代に、
同じように月を見上げていた、いにしえ人がいらした不思議を思うのです。

   天の海に月の船浮け桂楫かけて漕ぐ見ゆ月人壮子

  (あめのうみにつきのふねうけかつらかぢかけてこぐみゆつきひとをとこ)

万葉集巻十にある歌です。詠んだ人の名は不明。
天空の海に、月の船が浮んでいる。その月の中に桂の楫(かじ)で漕ぐ姿が見える。月の男の姿が。
という意味のようです。「月人壮子」という言葉が素敵です。

 ***

あのね、、きょう、ボスの3枚組LIVE(LP5枚組で持ってたもの)と The black crowes を500円で見つけちゃった。月に吠えたい気分!

それともうひとつ、、、誰かあたしをヴェガスへ連れてって!!!(>>)!!!

1本の木と4つの葉っぱ。

2006-08-09 | MUSICにまつわるあれこれ
初夏、、。
五百枚余りの原稿を書き終えた週末の午後、
前にお友だちから送ってもらっていたU2のLIVE映像を観た。
送ってくれたのはずっと前のことだったけれども、観る余裕が無かった。

Vertigoツアーの映像。
オープニングの city of blinding lights が始まった時、私は、「ね、ね、ね、これがまだ終わってないってスゴイことだと思わない?! まだ終わっちゃってないんだよ!」と訳のわけのわからないことを喚いていたのでした。、、だって、、4月の来日が行われていたら、彼らのLIVEはもう終わっていて、そのあと私は苦しい苦しい作業に取り掛からないとならなかったはずで、LIVEはおっきな力を与えてくれたかもしれないけれども、この素晴らしい時間がまだ先に残っている!ということがどんなにか嬉しかったか。

U2というバンドは自分には尊敬のバンドとか、憧れのスターというのでは無かったのです。
日本に名前が知られる80年頃。。それはもう全てが「終わった」跡から、たった1本の木が芽生えてきたみたいな感覚だった。
マンモスBand達は腐ってしまい(当時の私にはそう見えた)、PUNKSは社会と若者の両方からずたずたに傷つけられ(若者だってPUNKSの味方じゃなかった)、追い立てられた挙句、シド・ヴィシャスが死んで(彼は一瞬のうちにカッコ良く死んだわけじゃない)、ああ、終わったな、と思った。疲れてウンザリして、自分の周りを見回せば毎日机につまらなそうに坐っている子供と、事無かれ主義の大人。(ごく個人的に言えば、たくさんの命を見送って、自分もウンザリするほど病院暮らしをした)

、、で、、木も生えない、と詩に詠われるアイルランドから、1本の木が生えてきた。痩せてひょろひょろして、あどけない顔した、自分たちと似たような4つの葉っぱが生えてた。。。 それが私のU2の記憶(笑)。

 ***

U2のメンバーはみんな好きだけど、LIVE映像を観るたび、ラリーの佇まいに惚れる。
相好崩さず、背後から3人の動きに眼を配り、黙々とリズムをキープする。「KEEPする」(保持する、守る)のが俺の役目だと言わんばかりに。。顔で叩いて許されるのは、キース・ムーンだけ。大振りが許されるのはコージー・パウエルだけ。

 ***

・・・・・
私は泣き虫だけれど、辛い悲しいではめったに泣きません。感極まって泣くだけです。
where the streets have no name のビートが刻まれる時、どんなんなってしまうか今から不安だ。、、けど、、どんなに先が見えなくても、未知なものがまだ先にある、、というのは凄いよろこびなんだと思う。そりゃあ、生きていくのは苛酷さ。でも、道は振り返って見えたものだけが「道」じゃない。「未知」な「道」もあるってことをね、、。

廃墟からだって、また木が生えてくる、、ってね。



>OCTOBER / U2 (1981) 一番思い出深い作品かも。

理智は何事をも知りはしない。

2006-08-06 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
私は、、余り自分の身の振り方を人に相談しない人間ですが、、
人から相談を受ける時、、しばしば困惑することがあります。

例えば、自分に無い知識や情報を頼りに相談をするとか、相手の都合との折衝が必要だとか、そういう意味の相談ならきちんとしたいと思うけれど、生き方の問題であるとか、好悪の問題であるとか、、、そういうものに対して私は意見を曲げない人間であって、そういう相手に相談をするというのは、初めから答えが判っているはずじゃないか、、とそう思うのです。もし私をよく解ってくれているのであれば、どう私が答えるか判る筈じゃないかと、そう思う。それがわからないのなら、そんな相手に相談をするのは却って不安ではないの、、?

つまり、、不安な相手にさえ話を持ちかけるというのは、おのずから回答はその人の胸の内にあって、ただ自分の思いを誰かに保証してもらいたい、「そうだね、私もそう思う」という言葉で安心したい為にするのだと、、。たまに、私は、、相手の人が求めている答えが見えていながら、でも肯定はしてあげられないんだけど、、、と困ってしまうことがあります。。結局、自分と同じ答えを求めているだけなのだから、、。

清志郎とチャボさんの掛け合いの歌、、「ワカっていてくれる~」というのが昔から大好きだった。
ワカっていてくれるなら、相談なんて、必要ないのだ。事実を伝えるだけで、それで伝わる。

 ***

   ホレーシオが言うように、理智は何事をも知りはしない。理智はすべてを常識化し、
   神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だから
   すべての哲学者は、彼等の窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでる。詩人
   の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。

                       (萩原朔太郎「猫町」昭和10年)

このくだりを読んで、そっと微笑を洩らしてしまいました。朔太郎の詩人に対する信奉の糸が、まだきらりと光るのが見えるようで、、。最近では、宇宙はモバイル機器の電波だらけで、詩人の直覚も少々混乱気味かもしれませんけれど。

このところ、赤い月が夜半の街にかかっています。「猫町」に似合いそうな、真夏の夜の月。



〈東京の夏〉音楽祭2006 ユッスー・ンドゥールLIVE@人見記念講堂

2006-08-05 | LIVEにまつわるあれこれ
初めてのユッスー・ンドゥールさん、観て来ました。

梅雨が明けて、とうとうやってきた熱い空気のまつわりつくような〈東京の夏〉。
この日はエスコート役がいたので、街着には少し大胆なドレスで、アフリカのリズムにも乗れるように。

お客さんの年齢層はかな~り高く、4,50代のカップルが目立つ。ワールドミュージックのファン層がそうなのか、アフリカへの関心層なのか、(前の方の席に)10代、20代がほとんど見られなかったのはちょっと意外な感じがしました。(でも、某ドラマーさんのご子息の、弟ベーシストさんを発見)、、若い人にもユッスーさん聴いて貰いたいな。

今回の来日メンバーなどについてはこちらで>>
楽器編成では打楽器、特にトーキングドラムがやはり要で、これが夏祭り真っ盛りの日本人の身体感覚にもとても合う(と私は思うのです)、、前にJames Brownさんを観たときよりも、お客さんのリズム感はずっといい感じだった。ダンサーさんの踊りがこれがまた、村祭りのどじょうすくいとか思わせるような(農耕の祭の踊りだと思う、鍬で地を耕すような仕草をしたと思えば、宙返りをしたり)コミカルで、でもすっごいパワフル。これで一気に盛り上がり。
私にはとても面白かったのが、ギタリスト。弾いているのはストラトでしたが、サスティンを余り効かせないペケペケとした音がビートにとても馴染んで、弦楽器なのにちょっとカリブのスチールドラムを思わせるような響き。トム・ヴァーレインのソロ(>>)でも少しそういう音が聴けるのですが、気持ち良い音、、もっとソロを聴かせて欲しかったなあ。
そして、シンセサイザーの〈シャーー―ーー〉という砂のような星のようなさらさらした響きに、高く高く響き渡るユッスーさんの〈語り部〉の声が重なるあたりは、始原の祈りとか、シャーマニズムの恍惚感みたいなものを感じさせる崇高な瞬間。ユッスーさんの家系は代々〈語り部〉なのだそうですが、そういう方の声にはやはり〈言霊〉の力を感じます。聴きたかった「New Africa」感動でした。

パーカッションの人が「セネガルの人、アフリカの人、日本の人がこの会場に共にいる、とても嬉しい!」と言い、ユッスーさんが「貧困、AIDS、、アフリカの問題は世界中の問題」と語る。
そんな重いメッセージも込められつつ、でも、盛り上がってくると後ろの席からどんどんアフリカ系の人たちが踊りに出てきて(なぜか会場には警備員さんの姿はどこにもなく)釣られて日本の人たちも皆、踊らにゃ損々、、の盆踊り状態。盆踊りの「連」とか「輪」って、人と人をつなぐ「鎖」であり「和」でしょう? すっごい楽しかった!

ただ、惜しむらくは、、PA? ミキサーさん? もうちょっと音をくっきり聴かせて欲しかったな。

奇蹟の夏。

2006-08-04 | MUSICにまつわるあれこれ
フジロック10周年、、という雑誌記事をちらちらと本屋でみていた。
少し前の新聞にも、大将へのインタビューが載っていたっけ。

2002年の夏がよみがえる。
自分が行きたい、行けるかも、、という時期に、patti smith とtelevision が同時に来て、しかもパティは3ステージにも出演して、その全部を見る事が出来て、やんちゃなmuse がいて、清志郎さんがいて、陽水さんがいて、、そして、、会えなかったけれどジョー・ストラマーが一緒にあの場所で楽しんでいた、、って、奇蹟、ほんとうに奇蹟だと思う。
1年ずれてても行くのはとっても難しかっただろうと思うし、1年ずれててもパティには逢えなかったと思うし。

お客さんに交じってパティの朗読を見ていたレニーの姿がありありと浮ぶ。
歩く外人さん、外人さんがみんな「ハーイ!」とか言ってくれるので、お客さんなのかミュージシャンなのか誰が誰やら、、。
林の中の道、森に囲まれたステージ、空を舞っていたたくさんの蜻蛉、、みんな皆、フジは特別。

いつかまたフジロックに行きたい。車椅子になっても行きたいな。
そのために日高大将、森に木道を造ってくれているのだもの。

そんな夏がまたくるといいな。
そんな夏にまた奇蹟が起きるといいな。

可笑しくて、、、やがてせつない。

2006-08-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先日、身内のにぃさんに、どう考えても働きすぎ~、という話をしたら、
「ボクは病気では死なないよ。
(階段から落ちるとか)不注意で死ぬかもしれないけど、、」と返事されました。。
、、、おめでたいんだか、ありがたいんだか。

2年前の7月26日、中島らもさんは階段から落ちて死にました。
吃驚と悲しさと呆れと笑いがみんな一緒に込み上げてきました。
らもさんは、最高に優しくてせつなくてロマンティックな文章を書く人でした。例の働きすぎのにぃさんは、らもさんの本をはるか昔に私にくれました。らもさん大好きだけど、あんまり見習わなくていいです。。

最近沢山らもさんの本が出版されている。『酒気帯び車椅子』をちらと見せて貰ったが、、切な痛かった、、(読んだらきっと泣く、、まだきっと読めない、あんまり人にも薦めない、弱い人には)。らもさんのこと、、今日、本屋で未発表作品というのを見たので、ふと思い出した、、の。

『恋は底ぢから』中島らも(1992年作品)(この表紙、好き)

蝉しぐれがどこかすずしい、昼下がり。

2006-08-01 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
夏目房之介さんの著書『漱石の孫』(新潮文庫)の最後に、
ロンドンでの漱石の下宿を訪れた房之介さんが、TVに向かってコメントをする時、まるでねらいすましたように「猫」が房之介さんの背後の門柱にのぼって一緒にカメラに収まっていた、、という話が載っている。その「猫」の偶然の振る舞いにクルーが驚いていたと。。
このときのNHKの番組は見ていたので良く憶えている。誰かが「猫」をわざわざ其処へ乗っけたとしか思えない絶妙な位置で、「猫」氏は丸くなって満足したような顔をしていたのが可笑しかった。

房之介さんもなんとなく、、のニュアンスで書いていたけれど、そういうことって、あるのだ。

パパの墓参に行くと、たいてい、何かの小動物クンが現れる。まあ、、田畑に囲まれた墓所なので、いろんな生き物がいて当然なのだけれど、、アマガエルくんがちょんと墓石に乗っかっていたり、ヘビ氏が石の間から這い出てきたり、、。私らは「おや、パパ、、」なんてその小動物クンに話し掛けたりする。

都会の街を歩いていても、たまに、、どこからともなく美しい揚羽蝶がひらひらと私の周りをひとまわりしていったりする。理由は無いけれど、そんなとき、感じているものがある。、、こんな話もべつに漱石ならば嫌がらないでしょう、、小鳥にみちびかれる作品などもあるのだし。

パパ、、また8月が来ましたね。