星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

美しい夢、、、あるいは、美しい権利

2005-09-27 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
2、3、、書きかけの文が
あったのだけど、、お蔵入りにしてしまった、、。

私の好奇心には、毒も悪徳もたくさん必要だけど、
生きてくには、幸せな願い、楽しみな事、、それだけ目指していればいいや。
愛すること、、、とね。

、、、また通学期間がはじまりました、、。のぼってく、坂道。。
今年が最後になるはずです、、、おそらく、、、(?)。  兎に角、体調を崩さないことだけ気をつけて、気をつけて、、、どうか最後まで行けますように。

 ***

ホフマンスタール、リルケ、、そして前に書いたアンドレーエフ。初めて聞いたアルテンベルヒ、アルチバシェッフ、、。森鴎外の翻訳集です。この中の、『釣』という、ページにしてたった3頁の掌編に、、、唸った。。。 この、40行くらいの言葉によって、生死とか、老いとか、偽善とか、なんだかいろんなものを感じた。中学の教科書とかで読んだら、たぶん一生忘れないような気がする。(でも、きっと教科書には載らないな。今は命の尊さとか、生き物の大切さとか、そういう直接的なものの方を取り上げるのだろうから)

「美しい権利」、、、っていうのは、この作品に出てきた言葉です。

リルケも、アンドレーエフも、鴎外の翻訳の言葉を含めてとても良かったので、これは図書館で借りたのだけど、買い直そうかと思っている。、、、最近、東欧や北欧やロシアの古い翻訳もので、とてもいいものに出会えたりします。知らないでいることまだ一杯あるんだな。。

「於母影/冬の王」 森鴎外

秋は来ぬ

2005-09-21 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
   秋は来ぬ
     秋は来ぬ
   一葉は花は露ありて 
   風のきて弾く琴の音に     
   青き葡萄は紫の
   自然の酒とかはりけり

       (島崎藤村「秋は来ぬ」 第一節)

        *一葉(ひとは) *音(ね)
 
 ***

これ、いい詩ですね。『若菜集』からです。
バッカスの神に微笑んで、紫の美酒が飲めるよう、、、さて、これから険しい峠を越えましょう。もしかしたらここ数年で最大の難所かもしれませんけど。

、、、あ、きょう面白いCDがとどきました。その話はまたね、、、。

たれかは秋に酔ひしかな、、、?

銀色の羽と、、溶岩と、、、それからなぜかヴィンセント・ギャロ。

2005-09-13 | 映画にまつわるあれこれ
夏の間、仕事と学校だった私の
ようやくのなつやすみ、、、

たった2日間だけど。。

選挙の日、東京は大雨にみまわれたそうですが
そんなことも知らず、、雲行きが怪しいのは山の天気だから、かと。
山を下る渓流の絶え間ない水音を聴きながら、、、それでも、つい夜遅くまで開票の結果を追ってしまったのでした。

 ***

翌朝は、、、こんな空。




お天気の具合では、近くの美術館でのんびりしようか、、、と考えていたのですが、あまりのまぶしい陽射しに、、もう少し山の上まで行ってみることに、、、。

ロープウェイに乗って、標高2200メートルへ。
そこからは登山道になりますが、しばらくは私のような軟弱な心臓でも歩ける木道があるので大丈夫。。森林限界を超えると、高山植物と、ハイマツと、いちめんの溶岩の世界、、、。

  岩の隙間にこんな可愛らしい花が咲いています。

吹いてくる風は冷たいのに、尋常ではない陽射しの強さ。東京で浴びる1年分の紫外線を一度に浴びているみたい。。とびかっている沢山のトンボも写真に撮ろうとしたけれど、透き通った羽が銀色にキラキラ輝いているばかりです。

でもとにかく、、、山に還ればただただ嬉しい、、、
岩場を駆け、森を走るエルフ族にもどったみたいに(もどった、じゃないけど)。
本当は、、ちっちゃな子供に追い抜かされる位ゆっくり歩くのだけど、、まだこうやって歩けることに感謝しつつ、、まだまだ大丈夫なのじゃないかしら、って理由もなく心強くなったりもする。



岩場を下りてから、、ほとんど誰も歩こうとしない森の散策路を1時間ほど歩きました。
多くの人は雄大な景色だけ楽しむと、ロープウェイでまた下りてしまうのです。。しずまりかえった森の小道、、、じつはクマさんとの遭遇が一番コワイのですが、、、無事に目的の展望台まで。。ほんとうに何の音もしない世界、、、。
今回は、予定外だったので、街で履くようなスリップオンがいけませんでしたが、そこからさらに2km位先の湖まで、次はぜひとも行ってみたいと思います。

 ***

冒頭の写真は、、、ヴィンセント・ギャロのCD「when」
しばらく前、レポートを仕上げつつ聴いていたもの。。このアルバムが出た翌年?だったかしら、、、品川の原美術館へ、ヴィンセント・ギャロ展を観に行った事、思い出し、あの日も暑い、陽射しの眩しい日だったな、と。

それで、旅から戻ったら見るつもりで、彼の監督作「ブラウン・バニー」を借りておいた。
前半の、車窓を通した風景の光の感じ、少しハレーション気味の陽射し、、レース会場の外の森沿いの道、、、コロラドの山の中の道、、、ロスに近い場所の空と雲、、、それらが余りに旅の光景と繋がっていて、、標高2000mからの私の旅とひとつづきみたいでびっくりした。

・・・あのドライヴの映像が退屈だ、なんて(カンヌでは酷評)、きっと旅をしたことの無い人の感想なんだろう。。

・・・彼は極めて私小説的な作家。。。だけど、美しいものを創る人、、そう思います。彼自身もとても美しい人、、ですしね。

「それから」 、の、、、それから先は、、、?

2005-09-09 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
台風が通った日、、、
燃え立つようなバラ色の夕焼けと、
瞑った片目のような細い月が、西の空に懸かっていました。
月の傍には、ちいさな星の泣きぼくろ、、、。

どんなに荒れ狂っても、自然より美しいものはないです。

 ***

夏目漱石の 『それから』 の〈六〉に、こんな一文があります。

 「代助はロシア文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈していた。フランス文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見ていた。ダヌンチオによって代表されるイタリア文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断していた。だから日本の文学者が、好んで不安という側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物のように見なした。」

ここにある、ダヌンチオのほか、ロシア文学ではアンドレーエフと、トルストイの名が、『それから』には出て来ます(他にもあったかも…?) 勿論、そんな名も作品も関係なくても、『それから』は美しい恋愛小説です。・・・でも、、、アンドレーエフの『七刑人』と出てきたところで、もし、「どんなのかなあ、、」と思っても、今はとてもとても見つけるのは大変なんです。ダヌンチオもそう。。。今では、本屋さんでも、図書館でも、、、大学の図書館でだって、探すの大変なんですもの。

アンドレーエフは、『七死刑囚物語』の題で、'75年に河出書房新社から出ているのをやっと見つけて読みました、、、とても感動しました。絞首刑を宣告された若き5名のテロリストらと、ふたりの殺人者の、判決から死までの物語、、、。

テロリスト、、、という言葉は、9・11以来すっかり変ってしまいましたね。・・・テロリストの物語と言えば、わりと沢山思い出されます、、、映画にもなっているマヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』 。、、、こちらも印象深い映画になっている、五木寛之の古い名作『変奏曲』の政治運動家や、、遠藤周作の『砂の城』 のハイジャッカーも、今ならテロリストと呼ばれるでしょう。ノンフィクションでは、沢木耕太郎の『テロルの決算』 。、、、無差別、、などという言葉の無い時代のテロリストたちの物語。
今あげた本でも、なかなか書店では見つけにくいかもしれません。

そうやって、たくさん失われていく物語があるのだなあ、、、と考えてしまいました。だけど、、、今の世だからこそ、、、思い出されてもいい名作だとも思うなあ、、、と。

 ***

『それから』といえば、森田芳光監督の映画。。。
松田優作さんが亡くなられて、、日本の或る美意識が、永遠に失われたような、そんな気がします。美意識、というか、美学というか。。
だから、だと思います、『それから』以降、、漱石作品は映画化されたことがありません、、、演じられる俳優さんが見当たりません、、、。これは他でも書きましたが、優作さんと小林薫さんで『虞美人草』のドラマ化も話が進んでいたとのこと、、、本当に惜しい、、。

優作さんのことを思い出したら、、、『新・夢千代日記』がとても観たくなってしまいました、、、。夢千代さんの物語、、、どこかに漱石の『夢十夜』の匂いが感じられます。夢千代さんが臥せっていた枕辺に優作さんが坐っていたような、そんなシーンがあったような、、、。あの記憶喪失の男も、、、やっぱり優作さんしか思い浮かばない、、。
優作さん、、もう17回忌になるそうです。



すべての美しい馬と・・・

2005-09-05 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
小説の映画化は、
どうしたって原作にかなわない、ことが多い。

小説が、いくつものエピソードが連なって、
遠くのエピソード同士が、遠くのページで繋がって、
そうして大きな曼荼羅が出来上がって、
誰かの生涯なり、ある時代なりを描いているものだとしたら、
2時間にそれらのエピソードを詰め込もうとしても不可能。

小説が、老婆の顔や手に刻まれた数え切れない皺のようなものだとしたら、映像は、たったひとつでその人の過去を語ってしまうような、意味深い傷痕のようなものでなくちゃ。。

 ***

コーマック・マッカーシー著 『すべての美しい馬』 (ハヤカワepi文庫)
しばらく前に買って、70ページ余り読んだところで忙しくなってしまって中断した本だけど、その濃密な文体と、メキシコという未知の土地の、鮮明な自然描写が見事で、印象的でした。ちょうどその頃、この小説が、マット・デイモン主演で映画になっていると知った。・・・下で書いたBlack Rebel Motorcycle Clubといい、マイWesternブームでもあるので、時間が出来たらぜひ観ようと思っていて、、、そして、、、見た感想が、最初に書いたようなこと。。。悪くは無かったんですが。

小説でとても印象的な少年、ブレヴィンス、という子がいて、13,4才? なんというか、『クイック&デッド』の時のビリー・ザ・キッド、つまりレオナルド・ディカプリオのような手に負えない(哀しい)悪童で、、、こんな子、演じられる俳優がいるんだろうか、、、って一番楽しみだった。。。でも、いました、上手な子でした。ルーカス・ブラックと言う子で、なんと、『アメリカン・ゴシック』の時のケイレブでした。

原作者マッカーシーは、「おそらくフォークナーの遺産をもっとも純粋に引き継ぐ作家」だそうで、「ただ、フォークナーと違うのは、マッカーシーの作品には、南部の歴史性を引きずった人物は登場しないことだ。・・・彼が関心を寄せ、繰り返し描くのは、もっぱら社会の底辺でほとんど無一物で暮らす、あるいはそうすることを選ぶ、歴史とは無縁な名もなき人々である」」(解説より)とのこと。
解説には、彼の他の作品(未翻訳)も紹介されていて、かなりグロテスクで凄惨な主題のものもあるようです。だからフォークナー、なのでしょうか。『すべての…』は、彼の中では最も理解し易いものらしいけれど、Amazonのコメントにもありましたが、私もメルヴィルの文章の方が近いかな、と感じました。

映画「さすらいのカウボーイ」
こちらは原作の無い、まったき映像詩。。。言語表現では得がたい世界。何の説明もなく、ひとりのカウボーイと彼が愛する女とを描いている。西部劇らしくない、と理解されなかったようですが、大好きです、こういうの。