星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ゆっくりと所蔵作品展を… 国立近代美術館

2025-02-26 | アートにまつわるあれこれ
先の三連休の一日、 大寒波との予報のなか いっぱいに着膨れて、 竹橋の国立近代美術館へ行って来ました。

所蔵作品展 MOMATコレクション(2025.2.11–6.15)」です。



展示作品の見どころやお部屋ごとの構成については、 国立近代美術館のページに詳しく載っています。
 https://www.momat.go.jp/exhibitions/r6-3

印象に残った作品のことをいくつか書いてみます(絵の画像は上記サイトに載っています)。 まずは第1室。 大きな作品、ナターリア・ゴンチャローヴァの《スペイン女》1916–20年 が目に留まります。 
ロシアの女性画家、 ウィキには「ロシア・アヴァンギャルド運動の著名な美術家・デザイナー」とあります(>>) 解説では、 ディアギレフの依頼でパリのバレエ・リュス公演のためのデザインをした時のものだそうです。 なるほど、舞台衣装の華やかさと、なんだかロシアイコンの図も思い浮かべさせ、、背後を見ればキュビズムの気配も感じるような…。

そして、 第4室から第5室。 モダニズムの彫刻と、シュルレアリスム100年。 
さきほどのバレエリュスの時代からも繋がりますが、 1920年代、大正後期から昭和初期の芸術は面白いです。 日本の芸術家もその動きのなかにあったのですね。

特に、 仲田定之助の彫刻作品、 まるでターミネーターの半分お顔が壊れた時みたいな…(こんな表現でごめんなさい)、、 国立近代美術館に作品ページがあります(>>https://www.momat.go.jp/artists/ana008) ほかにもこの時代ならではの個性的な立体作品がたくさんありました。

エルンストやイヴ・タンギーとともに、 日本のシュルレアリスム絵画も。。 キリコなどの影響もありありと感じるものの、 シュルレアリスムの動きは作家たちにとって本当に爆発的な何か新しさの一方、 世界の終わりを予感するような終末感もありますね。

ごく個人的には、 ここ数年の戦間期の文学、 第二次大戦前夜の文学への関心がつづいていたので、 この時期はやはり興味深いものです。 

第6室では 思いがけなく「戦争画」を見ることができました。 1月の日記にも書いていた藤田嗣治の戦争画や、 小磯良平、 向井潤吉など、 およそ戦争の情景など描きそうもない作家さんらの「戦争画」。 もともと素晴らしい技術をお持ちの画家さん達ですから、 戦場や終戦時の会見の一場面を描いてもものすごく巧い、の一言です。。 が、どのような気持ちで描いていたのだろうと。。 これは藤田の日記を読んだときの印象もありますが、 兵士達が命を懸けている戦場を自分が描くことへの、そこへ一緒に参加していることへの高揚感、みたいなものがその時の日記には表れてもいて、、 戦時というのは、その当事者でないとわからないものがあります。。 

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新しい作家さんにも出会えました。 第7室の版画家 清宮質文。
まさに「詩情あふれる」作品でした。 駒井哲郎や恩地孝四郎の版画作品はもともと大好きなので、 その系譜にある作品群にとても心惹かれました。
創作時期は、 高度成長期に重なるそうなのですが、 恩地孝四郎などが活躍した大正から昭和初期の詩と文学の空気を感じて、、 好きです。

あと、 第10室まで。。 
「美術館の春まつり」での 日本画の早春のお花に癒されて… そうそう、、 このお部屋にはラタンのスツールがたくさん置かれていて、 そこにゆっくり腰かけて鑑賞したのですけど、 そばには《畳》もあって…!? (ここ座ってもいいのかしら…)
あとでHPを見たら、 「清家清の移動式畳」で、座っても良いのだそうです。。

国立近代美術館といえば、 展示室ごとにとても座り心地の良い、 革の椅子が置かれていて、 いつも(この椅子素敵だなぁ)と思っていたのですが、 マリオ・ベリーニというイタリアのデザイナーの椅子だそうです。 美術館展示室の〈椅子〉は、 弱者にはとってもありがたいものです。 美しくかつ心地良ければ尚更。


唯一、 心残りだったのは 展示替えのある後期作品、 速水御舟の作品が見られなかったこと。。 4月の展示なのですって。。 ふたたび行けるといいな… なかなか御舟さんに逢えない私。。


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ひさしぶりに美術館でのゆったりとした時間が過ごせて嬉しかったです。 常設展示は近代美術館も西洋美術館も いつ出かけてもとても充実しているので またゆっくりした時間を求めて 行きたいと思います。



今週は お天気も一気に4月並みの気温になるそうですね。 街の中も「春まつり」かしら…



もうすぐ 弥生月ですね…

平らかであれ…:寛永寺天井絵奉納記念『手塚雄二展』に行って来ました。

2024-10-25 | アートにまつわるあれこれ
以前からお友だちと約束していたランチと共に、 横浜そごう美術館で開催されている 寛永寺創建四百周年 根本中堂天井絵奉納記念『手塚雄二展』を鑑賞してきました。

寛永寺は上野にある1625年創建のお寺。 日本画家の手塚雄二さんは平山郁夫に師事され、長年東京藝大の教授をされた日本画家で、 寛永寺からの依頼によってこのたび 6×12メートルの天井画を描かれました。 その大きな龍の天井画が 来年の奉納を前にまぢかで拝見できるというもの。。
また、 これまでの多くの作品も同時に鑑賞できました。


巨大な双龍の天井画は、 寛永寺の天井の板を外して、 その板に直接描くというめずらしい方法で描かれていました。 そしてその大きさの天井絵が床いっぱいに置かれているのですから すぐそばに立って鑑賞することも出来ますが大き過ぎてひと目では視界におさまりません、、 それで絵の近くに階段があって台の上に登り、 上から眺められるようになっています。 

上から撮影しても 全部は収まりきりませんでした…



龍の指は最高位をあらわす五本指。 阿吽の双龍が持っているのは 片方が宝珠で、 もう一方の龍の手には 寛永寺のご本尊である薬師瑠璃光如来を示す梵字が 青いラピスラズリを含んだ岩絵具で描かれているそうです。(上記の写真の右のほうの手の中で青く梵字が見えます)

上記の写真は露出をちょっと変えてあります。 館内で見たときは照明がやや暗いのでこんなにくっきりとは見えませんでした。 下に降りて近寄って細部を少しずつ見ていくと細かく良く見えますが 一度に全体を見ようとするとなかなか…
でも お寺の天井におさめられたのを見上げると きっと壮観でしょうね。

こちらを⤵ 奥の人影とくらべると大きさがよく判るかと…



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ほかに これまでの画業のさまざまな絵も鑑賞できました。 チラシには載っていませんが、 しずかな海辺のひとすじの波を描いた屏風や、 ちょっと西洋の妖精のトンネルのような 森の樹々に囲まれた光のトンネルなど、、 多くを語らない静かな絵に私はとても惹きつけられました。





さきほどの龍の天井画の制作過程をビデオで拝見できるコーナーもあって、 お弟子さんと共に下絵を描くところや、 板に描いた墨絵をごしごしと布で擦っていわゆる「時代を出す」作業など面白く拝見しました。

龍の天井画といえば、 以前に 大好きな加山又造さんが京都の天龍寺の天井絵を描くビデオ展示を見たことを思い出します(そのときの日記>>) あのときは残念ながら実物は見られず映像だけでしたが、 今回は巨大な天井画の現物を拝見できたのは貴重なことでした。 そして、 板に直接描くということで 四百年前の木の木目や肌合いと 墨や絵具とが沁み込んで溶け合ってそうして共に絵となっていく、 その創造過程もひとつの作品であり、 祈りのような時間であると感じました。

上野寛永寺のご本尊、 薬師瑠璃光如来さまは病気平癒の仏さまだそうです。 じぶんの病気が治癒することは叶わないし 神さま仏さまにそう願ったことはこれまでも一度も無いです(治癒はしないと分かっているから) 、、でも 病気の症状がフラットでいてくれること、、 出来るだけ平らかなままでいて欲しいということは いま切に願わずにいられません…

薬師瑠璃光如来さまから遣わされた龍の手の青い梵字は、 来年の奉納のときにあらためて筆を入れて完成するのだそうです。



この世の中が平らかであること…



そして 病をもって生きているすべての人にとって



毎日が平らかでありますように…




双龍に願いをこめて

美しいご本尊様と菩薩様を…:神護寺展に行って来ました

2024-09-06 | アートにまつわるあれこれ
先週の台風のせいで延び延びになっていた…

会期終了間際の東京国立博物館 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」を見てまいりました。 今週末まで、ということで平日とはいえ大変おおぜいの来館者で賑わっておりました。



お仏像は お寺にあるご本尊様であれば、 本当ならそのお寺に出かけて行って お堂のなかでその地の歴史と祈りの空気のなかでお目にかかるのが一番良いと思ってますけれど、 神護寺があるのは京都からもやや遠く 高雄のお山の中、 お寺への参道には長い石段をたくさん登らなければならないとあって、、 たぶん私にはこの先でかけることも出来ないだろうと、、 トーハクへはるばるお越し下さるお仏像さまをぜひ拝見したいと この夏ずーっと出かける機会をうかがっていました。

展示のくわしい様子は
 東京国立博物館 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」>>

トーハクブログの方にもとても詳しく写真や展示の様子が載っていましたので、私もこれからあらためて読んでみます
  1089ブログ>>

このトーハクブログを見て知ったのですが、 会期後半になって、 ご本尊様の薬師如来立像と、日光菩薩像、月光菩薩像の光背などが取り外され、 お背中のほうまでぐるっとひとまわりして拝見することが出来るようになったのですね。 お寺ではお厨子の中に安置されているご本尊様、、 こんな風にぐるりと一周して拝見できるなんて… なんとありがたい…

ブログのお写真などにもありますが、 ほんとうに美しい如来立像でありました。。 たいせつに守られてきたのでしょうね、、 館内ではよくわからなかったのですが写真を見て、 お顔のくちびるの紅色も綺麗に見えて…
そして、ご本尊の両脇に立つ、 日光・月光菩薩さまもとても美しい とっても優しいお顔をしてらっしゃいました。

それぞれのことは省きますが、 十二神将立像や、二天王立像の 壁に映った「影」の美しさも、 今回の展示では眼をひきました。


二天王立像様のみ撮影ができます。 


それから、、 十二天屏風だったかな? その最後の天子さまが手に三日月を持っていらして、そのお皿みたいな三日月にウサギさんがちょこんと乗っているのが可愛らしくて、 それを見つめる天子さまのお姿もとてもお優しくて素敵でした。

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昨日は 上野の公園も日差しがとても暑かったです。

そろそろ朝晩の空は秋めいてきて、 夜の気温もずいぶんと下がるようになって来ましたが、 夏の疲れが出ているのか、 それともエアコンの冷気が苦手で 電車や博物館内の冷房と外へ出た時の温度差がすごくて 自律神経が乱れまくりなのか、、 きのうの展覧会はとっても素晴らしかったのにだんだん体力がもたなくなって、、 本館の展示などまだまだ見たいものがあったけれど、 夕方のラッシュ前には帰宅しようと早めに退出・・・

あ、、それでも 午後のひとときを初めて「東洋館」で過ごしました。 ガンダーラ美術や 西域そしてエジプトの美術、、 美術品というか、神さまたち、ですよね。。

ガンダーラの菩薩さまなどいらしたのですが、、 そのお顔が素晴らしく彫りが深くて鼻筋がキリっとしていて、、思わず (濃い~~)と呟いてしまいそうなエキゾチックなイケメンでいらっしゃいました。。 それぞれの地域の、 やっぱりそこに生きている人々の似姿として、 仏様や神々のすがたも造形されてきたものなんですよね。。 そう思うと、つくづく日本のわたしたちは(平たいお顔)の民族で、 そのお仏像さまも涼しい目元のやさしいお顔をなさっておるのですね。。

そんなことを思いつつ、、 次回の特別展の「はにわ」展のチラシを手にしたら、、
(か、かわいい…‼) なんと可愛らしいお顔なの…? 古墳時代のひとびとも、 きっと(かわいい)(愛らしい) そんなお顔がよいと思って作ったのでしょうか、、 だって「武人」とは言え、ちっとも猛々しいお顔とは見えないんですもの、、はにわってほんと可愛いです。。


ハニー …♡


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週末まではまだ暑さが続くようですけど、 この暑さが去ったら秋をしっかり楽しみましょう。。 クラシックの秋も、 読書の秋も、 お勉強の秋も、、 あっという間に時が過ぎ去ってしまわないように…

気持ちはそんなふうにいつも欲張ってはみるものの、、 これから日を追うごとにどんどん日々が速くなって、 すぐに年の瀬の声が聞こえてきてしまうのは例年のこと。。 もう「おせち」のご予約なんて聞くと焦ってしまいます…笑

いちばん肝心なのは からだを壊さないこと、、 たのしみたいこと たしなみたいこと、 ひとつひとつのひとときを 心と身体いっぱいに受けとめられるよう…






緑と青空に・・・




そして これからの秋に・・・

トーハクで癒されるシルバーウイーク:東京国立博物館の「寒山拾得」と法隆寺献納宝物

2023-09-17 | アートにまつわるあれこれ
遅い夏休みがとれたお友だちと東京国立博物館で丸一日すごしました。





 











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午前中は 伝説の風狂僧と 横尾さん描く現代の風狂人たちに心を解き放たれ…




 東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ― >>

 「横尾忠則 寒山百得」展 >>

・・・私、 寒山拾得のふたりについて何で知ったのか全く記憶がなくて、、 ただ いつも一緒のなんだか楽しそうな二人。。 それ以上の知識はまったく無く… 巻物を持っている方が寒山で、 竹箒を持っている方が拾得だというのも 一緒に行った美術好きのお友だちに教えてもらいました。

行く前に、 もしかして漱石先生も寒山拾得のこと何か書いていたかしら… と検索したら、 漱石について書いた芥川龍之介の小品が出てきて、、 それは、 漱石の「夢十夜」をモチーフに 龍之介が漱石先生への想いや懐かしさを綴ったエッセイのような夢日記のような、 とても良い文章でした。
 青空文庫 芥川龍之介「寒山拾得」>>

この芥川の文章がいつ書かれたものかよくわからないのだが、 一読して漱石死後のことだろうというのは想像できます(運慶が仁王を刻んでいるのを見て来た話を漱石が龍之介にするはずがないから)。 もうこの世にいない先生と話をして、 その帰り道にもうこの世にいないはずの寒山拾得を飯田橋で見かける。 嬉しくなった龍之介は 革命の悲惨を描いたロシア文学をわすれて寒山拾得の話を(この世にいない)漱石としたくなる…

「この忙しい世の中」での龍之介の心の疲弊や、 亡き人への思慕がせつなくなるように感じられる おそらく龍之介の晩年の作品だと思います…


さて、 横尾忠則さんの描く現代の「寒山拾得」は、 じつに楽しかったです。
ふたりの必須アイテムの巻物と竹箒が、 横尾さんの絵では トイレットペーパーとクイックルワイパーになっていたり(笑)、、 描いている時期にオリンピックがあったからか 寒山拾得が競技に参加していたり… 

私のお気に入りは、 拾得が寒山の肩(?)の上にのぼって竹箒を寒山の顔にかぶせているやつ。。 竹ぼうきの中から寒山の眼だけ見えてるの。。 もうほとんど中学生男子のイタズラと一緒… 笑。 じつは寒山拾得の(画家や作家たちが憧れる)本質は、 中学生男子レベルの仲良しわちゃわちゃにこそあるのだと思います。 構いたいし 構われたい… 

だから生きるのに疲れた龍之介は漱石先生にかまわれたいんだし、 その漱石先生も子規や、 寺田寅彦とわちゃわちゃするのが好きだった。 龍之介と内田百閒のコンビもまるで寒山拾得だし、、 横山大観が菱田春草といっしょに描いた「寒山拾得」も 一緒にインドやアメリカを旅して(けっこうな滅茶苦茶もやった)二人そのものを表しているよう。。

そういう 一緒にわちゃわちゃも滅茶苦茶も共に出来る間柄に 男のひとは年をとってもいつまでも憧れるんだろうなぁ… (性差で括るのは昨今批判も多いけれど わちゃわちゃ滅茶苦茶への憧れは男のコ的としか言いようが無い…)

横尾さんの描く自由な現代の「寒山拾得」を見ていたら、 前回の日記にも書いた最近の世間や自分の近視眼的なこだわりがふ~~っと抜けて、 ほんとうに心が解き放たれました。。 本家の「寒山拾得図」もふくめて とてもお薦めです。 
 
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午後は 法隆寺宝物館で(とっても見たかった)飛鳥・奈良時代の観音菩薩像や伎楽面を拝見して 古代の都人に想いを馳せました…

 法隆寺宝物館 >>

今回、 お友だちとどこの美術展に行くか事前に決めてなかったのですが、 私が数日前に白洲正子さんの『かくれ里』という本を読んでいて、 そこに京都・奈良・滋賀のかくれ里にある古寺やお仏像のことが書かれていて、 こんな鄙びたお寺にひっそりとあるお仏像など観てみたいなぁ… と思って、、 それでふいに国立博物館にもたくさんのお仏像があることを思い出したのでした。 しかも法隆寺宝物館で展示されているのはいちばん好きな飛鳥・奈良の時代のもの。。

 e国宝のサイト 法隆寺献納宝物 画像と解説 >>

法隆寺宝物館ははじめて入りました。 建物はじつに現代的な無機質な外観で、 ここが法隆寺の宝物館でいいのかしら… と一瞬迷ったほど。。 展示室のなかは 仏像保護のためたいへんに照明が暗くて、 そこに何十体もの小さな観音像や如来像がひとつひとつガラス箱におさめられて整然とひっそりと立ち並んでいました。 その様子は… なんだか喩えが悪くて申し訳ないのですけど、 宇宙をさまようスペースシップの中で眠るエイリアンの卵、みたいな…

喩えがわるくて本当スミマセン。。 でも、 それぞれが30センチほどのフィギュアのような飛鳥仏さまたちも、 1400年の時を超えて このような暗く無機質な建物のガラスの中に陳列されようとは… 本当にタイムカプセルのなかで眠る宇宙人のようなお心持ではないかしら…と。。

でも、 それそれのお仏像にちかづいてみると、 それは美しい、 しなやかさとやさしさと、 大陸渡来のエキゾチックさも残したひとつひとつ個性あるお仏像なのでした。 こんなにたくさんのお仏像がそれぞれの個人から法隆寺に献納されたということは、 このようなお仏像を専門でつくるなりわいというか商いがすでに盛んであったということでしょう。 本当に現代のフィギュアやアクスタのような大きさで、 ひとびとは祈りやお守りの為に 自分だけのお仏像が出来上がるのを楽しみに待ったことでしょう。

会場ではわからなかったのですが、 帰ってからe国宝のサイトで見ると、 それぞれのお仏像の台座に 誰それが亡くなった夫人のために造立した… とか刻まれていることがわかりました。 この美しいアーモンド形の瞼や柔らかな頬は亡き夫人に似せているのだろうか… そう思ったら 大伽藍のなかにある立派なお仏像にもおとらない、 1400年前のどなたかの祈りが感じられるのでした。

 e国宝のサイト 銅造如来半跏像(法隆寺献納)東京国立博物館 N-156 画像と解説 >>


法隆寺宝物館でのもうひとつの目的は、 金・土にのみ公開の「伎楽面」を見ること。 さきほど書いた白洲正子さんの『かくれ里』に、 ちょうど伎楽面のことが書かれていたのでした。 これはもう見に行きなさいというお告げであろうと…。
 
  伎楽はおそらくギリシャから西域を経て、中国に渡り、朝鮮経由で、七世紀の頃、日本に将来された芸能だが、外国では滅びてしまったその伝統が、日本の片田舎にこうして生き残っていることに私は、不思議な宿命を感じた。そういう意味では、日本の国そのものが、世界のかくれ里的存在といえるのではないだろうか。
   (白洲正子『かくれ里』講談社文芸文庫 より) 

 e国宝のサイト 伎楽面(ぎがくめん) 画像と解説 >>

 文化財活用センターブログ 「よみがえった飛鳥の伎楽面!!―前編―」>>


法隆寺、といえば まさにこの数日前、 法隆寺の駐車場の植え込みがじつは古墳だった、というニュースがあったばかり。。 どうやら6世紀後半の古墳が見つかったようですが、 そのこともすごいことだけれども、 法隆寺のこの木製の伎楽面や、 色鮮やかな絹織物の残り布など、 こんなにも沢山たいせつに大切に保管され 時を超えて受け継がれてきたこともとてもすごいことだと感じます。 7日の日記に書きましたが「日本の文化は不幸を受け入れることで成り立ってきた」というような外国のかたの感想、、 よそから見れば不幸としかみえない大災害に何度も襲われながらも、 だけど法隆寺の献納宝物のようなこまごました物がこうして今まで受け継がれてきたという奇跡。 この奇跡的な「かくれ里」のたからものをこれからもたいせつにしなきゃ… としみじみ思うのでした。

そして この飛鳥・奈良の時代のみやこにはたくさんの歌や舞や楽の音があふれていて、 ひとびとは色鮮やかな衣を着て通りを行き交い 生き生きと暮らしていたのだな、、と 宇宙のはてのスペースシップのような博物館のなかから 遠い地球に想いを馳せるような (私の好きな高橋虫麻呂さんが詠じた浦島子のような) そんな気持ちになったのでした。


トーハクでは 来春「本阿弥光悦の大宇宙」展なども開催とのこと。。 光悦もずっと以前から気になっている異能の人です。 また行きたいです 東博。



ああ 楽しかった。



「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」 国立西洋美術館(追記あり)

2022-10-22 | アートにまつわるあれこれ
秋晴れの金曜日

「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行ってきました。 先週につづいての美術館訪問で、 幸せ。。

オフィシャルサイト>>https://picasso-and-his-time.jp/




展覧会構成は7部に分かれていて、 
「セザンヌー近代芸術家たちの師」 
「ピカソとブラックー新しい造形言語の創造」 
「両大戦間のピカソー古典主義とその破壊」 
「両大戦間のピカソー女性のイメージ」 
「クレーの宇宙」 
「マティスー安息と活力」 
「空間の中の人物像ー第二次大戦後のピカソ、、マティス、ジャコメッティ」 というように、 時代を追って 作家ごとにまとまって作品が展示されていて、 それぞれ特徴ある作品群を落ち着いて観て行くことができました。

ピカソについてはぜんぜん詳しくなくて、 おぼろげに青の時代とか、 多くの女性を愛したとか、 南仏のアトリエとか、 戦争とゲルニカとか、、 ほんとうに一般的なことしか知らないのですが、 大昔、 はじめて本物のピカソを眼にした時のことは今でも覚えていて、、

今から30年以上前、 田舎のとある記念事業で絵画展がひらかれました。 当時、 うちの街には美術館もなくて、 会場はある新聞社のビルかなにかでした。 その狭い空間に、 とーーっても有名なフランスやウイーンの本物の絵が飾られたのです。。 警備の柵もなんにもなくて、壁の絵に顔をくっつけるようにして見れた(ような記憶が…) 今おもえば凄い展覧会でした。

そこに、 ほんのちっちゃなピカソの素描がありました。 絵はがきサイズくらいの「牡牛」。 一筆で描いたような線だったのに、 なんだかとんでもなく巧いと思いました。 どこがどうと言えないのに、 すごい、 天才、、としか思えなくて、、

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今回、 ジョルジュ・ブラックとキュビズムを模索していく時代と、 両大戦間の時代のとくに女性を描いた作品がとてもとても印象深かったです。 青の時代の色彩からつづいているのかもしれませんが、 ピカソの色彩の配置ってほんとうに素敵、 美しい、、 そしてやっぱり天才的。

砕けたガラスに投影されたような、 分割した断片になっているキュビズムの絵画でも、 色彩の配置の呼応がみごとで、、 そして思ったのは 「優しい」。。 今回見た第二次大戦前の絵画群には ピカソの絵ってこんなにも優しさがあったんだ、、とうっとりしました。 何て言ったらいいのか、 奥ゆかしさ、、 見る人を圧倒するような 迫ってくるような感じがない、 押しつけがましくない、 でもうっとりするような色彩と構図。 

一緒に行ったお友だちによれば、 ピカソは付き合った女性が変わるたび画風も変わっていったのだそうです。 今回のチラシにも使われている ドラ・マールとの時代、、 「緑のマニキュアをつけたドラ・マール」も、 「黄色のセーター」の女性もドラ・マールだそうですが、 きっととても美しい女性だったのでしょうね。。 お顔が割れていても美しいってわかるもの。。 

「緑のマニキュア」の女性の瞳のうつくしさ、、 「黄色のセーター」の女性の髪のうねりさえも美しい。。 

あの有名な 「泣く女」もドラ・マールだそうですが、、 今回の展覧会の作品には特に色彩のやさしさや女性へのまなざしの愛を感じました。 黄色のセーターの女性のくちびるの色合いの綺麗さといったらもう… ♡

ピカソの愛した女たちの絵画など またまとめて観てみたくなりました。 ポーラ美術館でやっている「青の時代を超えて」展もみてみたいな~  (https://www.polamuseum.or.jp/sp/picasso2022/

(10/25 追記)
会場で「黄色のセーター」を見ていた時、、
(お顔はこんなにきれいなのに、どうして手はこんなにぐちゃぐちゃなの…?)と、一緒にいたお友だちに話しかけました。 そのときはそれきりだったのですが、、ドラ・マールのことを検索したら…
ピカソと出会った頃、 ドラ・マールは 「テーブルの上に手を広げてナイフで指の間を順番に突く遊び」をしていて、 そんな気性の彼女にピカソは惹かれ、「アトリエのショーケースに血まみれの手袋を置いていた」のだとか。。 それであの絵の左手はあんなにぐちゃぐちゃに描かれていたのね… なんと…

ドラ・マール(>>https://ja.wikipedia.org/wiki

その後、ドラ・マールは精神を病んだりもしたのだそうですが、絵も描きつづけ 89歳まで生きたと。。 彼女が描いた絵も見てみたい…

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ピカソ展を見て、 それから常設展コーナーへ向かい、、 以前から充実した展示の宗教画コーナーなど見ていくうちにだんだん疲れてきてしまって、、 でも 今回、 版画コーナーでやっている「版画で観る「演劇」 フランス・ロマン主義が描いたシェイクスピアとゲーテ」も見たかったので、、 ちょっと先回りして版画室へ、、

ドラクロワの描いた「ファウスト」や「ハムレット」 そしてシャセリオーの描いた「オセロ」

以前に、 漱石や芥川龍之介の小説に出てくる「悪魔」の形状について、 どこからこういう悪魔の姿を知ったんだろう… っていうことに思いを馳せていましたが(芥川の悪魔、漱石の悪魔… ☽>>) 、、今回のドラクロワのファウストを見て、 もしかしたらこういう挿絵本を見てたのかも… と思いました。

こちらは 町田市立国際版画美術館の「空を飛ぶメフィストフェレス」の画像ですが この絵も会場にありました(>>) 角もあって 蝙蝠の翼もあって、、 (ん? これはコウモリの羽じゃなくて白鳥の翼ぽいかも…?)

そして、 「ハムレット」のほうは、 ドラクロワの描くハムレットが繊細そうで可愛かったのと、 このチラシにも載っているのが ハムレットが城のテラスで父王の亡霊に出会う場面、、 向こうの亡霊には脚があるのね… と思ったら、、 亡霊には影が無い、、と。。 そうなんだ…

 ***

新しくなった 西洋美術館の充実した常設展の作品群、、 とくに宗教画の充実した作品群を眼にすると いつも気持ちが穏やかに、、 鎮まっていく心地良さがあります。

いろいろと展示の工夫も凝らされていて、 以前から好きな絵画だった カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」 この絵の色材の分析の結果が隣のボックスに顔料とともに詳しく載っていました。 光輪には金が使われていることや、 眼が吸い込まれるような深い青の衣には、 高価なラピスラズリから作られたウルトラマリンブルーが使われているということや、、 



いつ見ても美しい聖母。 

もっと しっかりじっくり見ていたかったのですが、、 体力的に限界を感じ、、 (次からは車椅子も考えようかしら…)

うちに帰って広報誌の「ゼフュロス」を見たら、 まだ見た事ない エヴェレット・ミレイや、 フィンランドのカッレラの絵画が載っていて、、 わ~~ん 見逃して来ちゃった… 泣。。







でも 愉しい 充実した時間でした。

また 行きたいな。



陽射しにも 秋の色が感じられるようになってきました



どうぞ 良い週末を。 

「ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展 アーティゾン美術館

2022-10-17 | アートにまつわるあれこれ


先週末 アーティゾン美術館で「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展を見てきました。 
昨年の秋、 アーティゾン美術館では 森村泰昌さんによる「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」─ 森村泰昌 ワタシガタリの神話」という展覧会があり、 昨年の日記でもちょっと書きましたが(>>) 観に行きたいなと思っていたものの行くことができず残念に思っていました。 (森村さんの展覧会の詳しいレポートはこちらに>>https://www.museum.or.jp/report/104257

今回の展覧会は、 青木繁と、 同郷で高等小学校時代の同級生でもあった坂本繫二郎との ふたりの画業をたどる展覧会。 わたし、 坂本繫二郎という画家を意識したことがなかったように思います。 この美術館にはブリヂストン美術館時代にも訪れたことありましたから、 作品は目にしていたと思うのですけど、、。 今回、 青木繁と共に 故郷久留米の洋画塾で学んでいた十代の頃から晩年までの作品をまとめて見ることができて良かったです。

くわしいレポートや作品の写真などは 美術手帖のサイトにも載っていました⤵
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25854

アーティゾン美術館の公式サイトでは 館内の360度画像も見られます⤵
https://www.artizon.museum/exhibition_sp/two_journeys/

ふたりは同級生とはいえ、 青木繁は明治44年に28歳で早世してしまったのに対して、 坂本繫二郎は昭和44年、87歳まで絵を描きつづけます。 作品展を見ながら、 今回はその晩年のあり方を考えていました。

 ***

以前に 熊谷守一の展覧会を観た時に、 青木繁と美術学校で同期だったことに驚き、 個人的には夏目漱石とも同時代だったことに驚いたわけですが(日記>>) 守一は青木・坂本より2歳年上、 モリカズさんが髭ぼうぼうのお爺さんになって庭の昆虫や果物の絵を描きつづけていた晩年をなんとなく(後追いながら)覚えている身としては、 青木繁もそんな風に生きつづけていたら、 どんな老人になって どこでどんな絵を描いていたのだろうな、、 と思わずにいられませんでした。。

漱石は 『それから』の中で、 青木繁の「わだつみのいろこの宮」という作品について こう語らせています。

 いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれ丈が好い気持に出来てゐると思つた。つまり、自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。

 この前の部分で、 色彩と感情について語っており、 「興奮色」である赤に対して、 青木繁の絵の緑の「沈んだ落ち付いた情調」が好ましいと書いているのですが、 漱石がこの絵に惹かれたのは、 バーンジョーンズ風のすらりとした女性像が好ましかったという理由もあると思います。 
青木繁のこのころの作品を見ると、 ウォーターハウスのニンフ達や ロセッティ風の女性などラファエル前派への強い憧れや影響が感じられます。 そのオマージュの要素から一歩進んで、いかに自分自身の絵を見出していくか、、 残念ながら青木繁にはその十分な時間が残されていなかったようにも思います。

一方、 坂本繫二郎さんの方は 青木が亡くなった後も 地道に画業を究め、 パリ留学を境にして、 独特のパステルカラーのような透明感あるグリーンやブルーの色彩を得て、 自分独自の馬の絵や人物像を描いていきます。




帰国して郷里の空を描いた「放水路の雲」などを見ても なんだか日本の実際の自然の色彩には見られないような明るさで、 それはフランスの陽光を体験したからなのか、 それとも故郷久留米の海や空の明るさなのか、 不思議な感じがします。

そして もし青木繁が生きていて、 同級生だった坂本のこういう馬の絵などを見たら、 それに対して青木はどのような画風で同じ時代に描いていっただろうか、と考えてしまいます。。 同郷、 同級生だからこその意識、 ってたぶん生涯つづいていくような気がしますから…

 ***

最晩年、、 静物画などを描いていた坂本繫二郎は、 最後の最後にたどり着いた画題は 「月」でした。 月の光、 月の暈、、 そのおぼろな光。 絶筆は「幽光」。。 長い長い画業の到達点が 月の光 というのは、 なんだか幸せな画家の人生だったのではないかな、、と そんな気もします。

その坂本の絵の隣に、 青木繫の28歳での絶筆がかかっていました。 タイトルは「朝日」。 なんという対称でしょう… 青木のこの絶筆は 驚くほどに穏やかな とてもとても美しい朝陽の海でした。 病と貧苦に喘いでいた時とは想像できないような、、。 

でも、 検索していたら この「朝日」を描いた場所である唐津湾では 実際には海から昇る朝日は見られないとのこと、、(NHK 日美ブログ>>) 、、青木繁が最期に描いたのは 心のなかの願いだったのでしょうか、、 求め続けた理想や憧れ、 その風景だったのでしょうか…


若くして命の終わりのときを迎えなければならなかった者と、 長い長い年月をひたすらに描きつづけ老いていった者と、、 画業としてどちらがどうと較べることは出来ません。。 けれど、 青木繫の年も、 漱石先生の年も、 すっかり追い越して「老い」に近づいたと言って良い年齢の自分には、 生きて老いていった青木繫が描いたものも見たかったし… 坂本繫二郎のようにただひたすら月を描きつづけた老境も見習いたい… と、 その「着地点」に想いを馳せる展覧会でした。


 ***

美術展のあとの しあわせなひととき。。 ミュージアムカフェでのお食事。 



デザートでいただいた「サヴァランモヒート」 アルコールがたっぷりの大変美味で大人なお菓子でありました。








「勝利の女神」 Seated Victoria,Throwing a Wreath
 クリスチャン・ダニエル・ラウホ アーティゾン美術館蔵



女神の投げる花輪が なんだかタンバリンにも見えてしまう私…

… ☆彡


フェルメールと17世紀オランダ絵画展とメトロポリタン美術館展:わたしの 20/35

2022-03-23 | アートにまつわるあれこれ
今月は二週つづけて美術館へでかけました。
3回目のワクチン接種も終えたし(最近、ワクチン接種のことあまり言わなくなってきましたね)、、 ここのところ自分の体力もついてきてるし、、 それにもうコロナに感覚が麻痺してきた、というのが本音かもしれません。。 2年ぶりの美術館は愉しかったです。

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まずは ドレスデン国立古典絵画館 フェルメールと17世紀オランダ絵画展 東京都美術館 

この展覧会の一番の話題は、 フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」。 
背景の壁に塗り潰されて消えていた《キューピッド像》が 約300年ぶりに修復によって描かれた当時の姿でよみがえった、 というものですね。

この「窓辺で手紙を読む女」、、 2005年の来日時に見ているんです、 キューピッドのいないバージョンのものを。

あのとき見た構図、 何もない広い壁の、室内のしずかな雰囲気が(自分が思っているイメージの)フェルメールらしい静けさに思われて、、 今回 壁にキューピッドの大きな絵があるのが当初のフェルメールの絵と知った時には、 えーー!?と思いました。 で、(そのままにしておけばいいのに…)と 正直そう思って。。

キューピッドが塗り潰されたのは フェルメールの死後のことだったんですね。 そういわれれば他のフェルメール作品でも 室内の壁には額や地図が掛かっているものが多いですし、、 でも… あの天使(キューピッド) 大き過ぎません…?

展示では、 修復後のキューピッドのある絵と、 キューピッドのいない絵(複製)とが 両方あって、 比較して見ることができるようになっていました。 近くに椅子のスペースもあって、 座って少し遠くから両方の絵を見比べることもできて、 展示室はとてもゆったりとしていました。 ほかの絵画もゆっくりと気持ち良く鑑賞できました。

それはすごく良かったのですが… 、、 同行の友はなにやら不満の様子、、
 「カーテンレールが見えない!」と。。

そうなのです。 今回のフェルメールは、黒い幅広の額に入っていたのですが、 緑のカーテンの上部にまっすぐカーテンレールが横切っているはずのものが 額の中に隠れてしまっているのか、見えないのです。。 カーテンの下の部分も、 絵の左右も少しずつ切れてしまっている、、 左の窓枠も見えないし、、

こちらのサイトに(和楽>>)、 フェルメールの全35点の作品を集めたものが載っていますが、 その図像で見ても、 上のカーテンレールまでちゃんと見えているはずなのですが…

そのせいか、 前回見たときの、 しずかな明るい空間という印象から、 なんだか圧迫感のあるせまい部屋の印象に…。 修復で色彩はひとまわり明るくなったようで、 カーテンの緑もとても美しかったですが…。
 

いま、、 他のフェルメールの作品も見ていて気付いたことが…
このキューピッドの絵は、 「ヴァージナルの前に立つ女」の背景にあるキューピッドの額と同じ絵なのですね。。 とすると、 キューピッドの上に掲げた左手には手紙を持っているのですね。 それが「窓辺で手紙を読む女」では カーテンに隠れて見えないようになっている。。
それを知ったうえで見れば、 なんだか、キューピッドの持っていた手紙が この女性のもとに届けられて、 それを読んでいるみたいな、、 そんなストーリーも想像できます。 カーテンをぱっと開けたら、 持っていたはずの手紙が今は無い! なんてヘンな想像をする面白さも…

「中断された音楽の稽古」という絵の背後にあるのも、 もしかして同じキューピッドの絵でしょうか、、 あちらの絵も女性が手紙をひらいていますね。。 


、、 いろいろ想像する楽しみはあるけれど、、 やはり 壁のキューピッドは無いほうが好きかな。。。 いえ、、 やっぱりキューピッドの隠された左手、、 ってところがポイントなのかも… と今は思い始めています。

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メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年国立新美術館

こちらは 西洋絵画の500年、とタイトルにあるように、 ルネサンスから近代まで 著名な画家がずらりと並んだとても贅沢な作品展でした。 どれもが見応えのある作品なので、、 個人的に気に入った作品についてだけ…

エル・グレコ 「羊飼いの礼拝」(MET美術館の画像>>
幼子イエスを見守るまわりの人物の動きと表情が生き生きとしていて、 聖なる歓びに満ち溢れている絵。 左端の暗がりにそっと顔をのぞかせているロバさんまで 優しいお顔で歓びにつつまれている気がする…

サルヴァトール・ローザ 「自画像」 (>>
この絵はうれしい驚きでした。 サルヴァトール・ローザといえば、 荒々しい渓谷や滝といった風景画が有名で、 夏目漱石が『草枕』のなかで この人が絵の研究のために山賊になったことがあると語っている、、 その本人の「自画像」が拝めるなんて…。 
とても知的で高貴な雰囲気のあるかたでした。 髑髏の頭蓋骨にペンで文字を書いている長い端正な指先、、 綺麗に爪が整えられていて、 茶色のマニキュア(?)が施されていました。

ベラスケス 「男性の肖像」(>>
こちらは自画像とは書かれていないのですけど でもベラスケスらしい重厚さと圧倒的な存在感。 まなざしも鼻梁の肌の質感とか柔らかさや、、 その人の存在感が絵から浮き出てくるようでした。

ムリーリョ 「聖母子」(>>
思わず か、かわいい…! と呟いてしまう幼子イエスの愛らしさ。 聖母子像の赤ちゃんって、 たいがいあまり可愛くないことが多いように思うのですが(スミマセン…) このムリーリョの幼子の可愛いこと。 お目ゝがちょっと離れ気味であまえた感じでこっちを見てて、、思わず微笑んでしまいます。。
ムリーリョの描く子供たちもマリア様も、 可愛らしい絵が多いですよね。 きっと優しいかただったんじゃないかな~

フェルメール 「信仰の寓意」(>>
フェルメールのなかでは後期にあたる作品のようで、 技量も確立したからか さまざまな寓意を描き込んで盛り込み過ぎにも感じられる作品、、 なので そんなに好きな絵ではないのですが いっぱいいっぱい読み込むことができる絵、という感じ。 
天井から下がったガラス球の表面に映った窓などの微小な像とか、 天球儀とか 石板につぶされた蛇とか。。 
この背後の壁にはキリストの磔刑図がかかっていますが、、 フェルメールの描いた磔刑図とか、、見てみたかったです。。(「マリアとマルタの家のキリスト」は以前に見ました)

メトロポリタン美術館には あと2点見ていないフェルメールの作品が所蔵されています。 「眠る女」と 「少女」という作品、、 また待っていたらいつかお目にかかれるかしら。。

これで私が見ることの出来たフェルメール作品は20点になりました。 (前回まとめた記事はこちら>>


近代の作品では、 マネ、モネ、ゴヤ、ドガ、ルノワール、ゴッホと、、 名の知れた画家ばかり。。 大好きな画家クールベの日本初公開作が2点見れたのは嬉しかったです。 「漁船」は海をたくさん描いたクールベらしい波の部分の描き方にくらべて、 妙に正確にリアルに描かれている船の部分がなんだか浮いてて、、ちょっと不思議でした。

「水浴する若い女性」(>>)は、、 よく言われる、クールベの描くリアリズムの女性像は醜い、、とか、、 絵の説明文にも (肌のセルライト)なんてことまで書かれてて(笑)、、 そんなに醜いとは思わなかったんですけど…。。 足先を水に浸した透明感がよかったです。


ゴッホの「花咲く果樹園」
林檎かな、、 杏かな、、 明るい色調のやさしい絵でした。 ゴッホ展などでまとめて集中しながら見るときはゴッホらしい激しいタッチに目を奪われがちですが、、 この絵のように たくさんの絵画にまじって さりげなく展示されているゴッホの絵に、 あらためて光と色彩と花の生命のみずみずしさを感じました。 素敵な絵でした。


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コロナ禍も3年目、、 そして いま世界を揺るがしているロシアの愚かしい軍事侵攻、、

世界の美術館から作品が貸し出されて、 飛行機で輸送されて、、 それがどれだけ貴重で平和なことか、、 今の戦争が(ほんとうはこれを戦争などと呼びたくない、、 こんな一方的な侵略、暴力、テロ、殺人…)、、 これが続いている限り、 海外の美術品を日本で観ることは輸送の問題もあってますます大変になっていくことでしょう。。 
でも、戦下で苦しんでいる人を考えたらそんなことは耐えます、もちろん。。。 だけど…

前に、、 エルミタージュ美術館の、ソ連時代の公開されずにいた西洋絵画のこと 書きましたね。。(この日記の下のほうに>>
またあの時代に逆戻りするのでしょう ロシアは。。 独裁者はそれでいいんでしょう。。 だけど、、 命の危険にあるひとたちの事、、

早く、、 一刻も早く、、 包囲されたひとびとを助けて… どうにかして。。


そればかりを考えています。。




わが家の百済観音さま…

2020-06-20 | アートにまつわるあれこれ
前回、 この春に中止になってしまったコンサートのこと 書きましたが、 もうひとつ、 チケットを用意していて中止になって行けなかった美術展が。。

国立博物館での「法隆寺金堂壁画と百済観音」展。
チケットは、 百済観音像のフィギュア付き(海洋堂製)のものを購入してあったのです。

展示が中止になってしまい 公開はされないのかしら… フィギュアはどうなるのかしら… それよりも 百済観音さまは誰もいない博物館の中で 展示期間が終わるまでずっと立っておられるのかしら… などと心配したまま 結局会期は終了してしまい、、 百済観音さまは無事に法隆寺にお戻りになったのでしょうか…

フィギュア付き鑑賞券は、 図録とのセット送っていただけることになり、 昨日手元に届きました。



百済観音さま、、 大きさは16センチと小ぶりですが、 このお仏像をとても《フィギュア》とは呼べません。。  本当に精巧で美しくて、 立派な観音様のお仏像です。





実物の百済観音さまには 三度?お会いしに参りましたし、 23年前(だったらしい)の東京での展示の際にも参りました。  あのしなやかで細身の、 飛鳥の人びともこの美しいお姿をどのように感じて見上げていたのかしら…と 遥か古代に想いを馳せずにいられない不思議な魅力あるお姿です。

私自身はなんの信仰も持ってはいませんけど、 好きなお仏像を前にすると 静かな穏やかな気持ちになることができて、 奈良や京都はもう幾度も行きました。 子どもの時の修学旅行で買って来た 広隆寺の弥勒菩薩像と 東大寺の仁王像は、並んで実家のお仏壇の中でご先祖様をお守りして下さっています。 
今度の百済観音さまは、 この東京の我が家でのご本尊? 守り神さま? としてずっと大事にしたいです。。

どこに置かせていただきましょうか…と迷いつつ、 結局 リビングのいつも目にしている ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「荒野の洗礼者聖ヨハネ」さまの額の前という、 西洋も東洋もまぜこぜの状態に、、 (どうかお許しを…)

決して信仰とか祈りの気持ちとか、軽んじているわけではないのです。。  洗礼者ヨハネさまも観音菩薩さまも この世を憂い、人びとに救いの手を差しのべ、導いてくださる修行者(行者・行人)である姿に魅かれるのです。 道を究めた方ではなく、 今もなお道を求めて歩きつづける途上にあるお方、、 。





ちょうどよい大きさの ちょっと厨子のようにも見える箱におさまっていただいて、 これから毎日毎朝、、 穏やかな気持ちでお姿を目にすることが出来ますように… 
あまりにも未熟で修養の足りない自分への戒めも込めて……


今朝は お香のよい香りも漂っています…



どうぞ よい週末を…

ブダペスト展―ヨーロッパとハンガリーの美術400年 行って来ました。

2020-02-13 | アートにまつわるあれこれ
国立新美術館で開催中の 「ブダペスト展―ヨーロッパとハンガリーの美術400年」に行って来ました。 これまで知らなかったハンガリーの画家の作品が多数見られたのもよかったですし、 16世紀以降、 20世紀の構成主義に至るまで 130点、 とても楽しめました。
思わぬ発見もありました…





備忘録として、 気に入った作品をちょっと書いておきましょう。 知らなかった画家の名前もたくさんあって、 今後 ほかの絵もたくさん見てみたいと思って。。


Bernardo Strozzi (伊) ベルナルド・ストロッツィ(Wiki>>) 「受胎告知」
 この画家の「受胎告知」Annunciazione は何作品かあるようですが、 この絵は縦長サイズの画面の右上に 大きく翼をひろげ雲にまたがった天使、 左下に驚いた表情で胸に手を当てているマリア、 動きのあるダイナミックな構図が印象的でした

El Greco (スペイン) エル・グレコ 「聖小ヤコブ」
 国立新美術館のツイートで観られます>> 大好きなエル・グレコ、 グリーンとブルーとローズ、シンプルな色彩なのに 光が差したようなかがやき、美しさ、、 このヤコブのおだやかで深い表情、、 近くでずっと見ていたかった

François de Nomé (仏) フランソワ・ド・ノメ (Wiki>>)「架空のゴシック教会の内部」
 聖堂や建造物ばかりを描く画家なのかしら… 「架空の…」というためか、 精緻に描かれていながら どこか神秘的な光がそそぐ教会…>> 

ヤン・アブラハムスゾーン・ファン・ベールストラーテン「冬のニューコープ村」
 カタログを買ってこなかったので原語での表記が見つかりません、、 この絵もツイートに載っていました>> 17世紀のオランダ絵画。 凍った川の上でスケートする人々、、 足サイズのちいさな橇みたいな形の靴を履いて、 足を左右にけり出しながら、すいーっと楽しそうな様子が描かれています。 すごーく遠景の川のずっと向こうまでスケートする人が描いてあって、 5ミリくらいの小さな人だけどちゃんと滑っているのがわかる 素朴で自然、でも巧みな絵ですね 
 

Mihály Munkácsy ムンカーチ・ミハーイ (ハンガリー) 「パリの室内(本を読む女性)」
 ハンガリーの巨匠の画家だそうです。 この「パリの室内」は女性がいる部屋の内装や敷物の細密な描写が見事でしたが、 作曲家フランツ・リストの肖像も重厚>> ほんと リストの指、長い、、
 

Paul Gustave Doré (仏) ギュスターヴ・ドレ 「白いショールをまとった若い女性」
 この絵にはびっくりしました。。 ドレと言えば、 ダンテの『神曲』や ポーの『大鴉』や 『聖書物語』といった幻想的な挿絵ばかりをいままで見ていた気がして、、 そういえば ドレの油彩って初めてかも… それも こんな みずみずしい淡い緑の、 光あふれて… 
そしてこの少女のなんという可愛らしさ(そして ウエストの細さ!) ドレの挿絵でも 赤ずきんちゃんなどは 少女漫画ぽい可愛さがありますが、 今回見た油彩は(大きな絵ですが) 少女漫画に出てくるような美少女、、 この可愛らしさはドレの理想形なのかしら、、>>
 ツイートの画像よりも 新緑のグリーンがすっごい綺麗でした。 ドレの油彩、 もっと見たい!

Barabas Miklos (ハンガリー)バラバーシュ・ミクローシュ 「伝書鳩」
 こちらのWiki に絵が>> 純白の鳩を抱く薔薇色の頬の貴婦人、、 でもちょっと危ういですね、、。 ビーダーマイヤー時代の一見つつましやかな…


チョーク・イシュトヴァーン (ハンガリー)「孤児」
 こちらも原語表記がわかりません。。 窓越しに青い夕闇か、 蒼白い光がさす窓と相反して暗い室内。 簡素なテーブルと椅子に座るふたりの孤児の少女。 淋しい絵なのだけどとても美しかったです
 

Arnold Böcklin (スイス)アルノルト・ベックリン 「村の鍛冶屋を訪れるケンタウロス」
 ケンタウロスはもともと好きなのですが、 この絵のケンタウロスは最高!! ひづめが痛いよ~、って鍛冶屋に頼みにきたケンタ>>  かわいい、、 かわいすぎる、、。 鍛冶屋のおっちゃん 蹄鉄つくってあげたのかしら…
 友曰く、「上半身は日に焼けたサーファーみたいだし…」 確かに、、。 髪型そっくり。。 こんなかわいいケンタウロスなら連れて帰ってご飯たべさせてあげたい、、(笑)
 でも、 この画家のほかの作品は 暗いテーマのものも多いのですね、 「死の島」とか(Wiki>>) (ご本人の自画像、、凛々しいですね) この画家の作品、たくさん見てみたいなぁ…


János Vaszary (ハンガリー) ヴァサリ・ヤーノシュ 「黄金時代」
 この「黄金時代」は ぜひ額縁を含めて鑑賞したいです>> 額縁もこの作家の制作だそうです。 アールヌーヴォーの額縁と 幻想的な色調、 捧げ物から立ち昇っている煙など どこか魔術的。 ウイーン分離派と重なる時代の作品だそうです。


Aurél Bernáth (ハンガリー) ベルナート・アウレール 「リヴィエラ」
 イタリアの海岸のリヴィエラの陽光溢れる絵を想像すると まったく違い、 ムンクのオスロ辺りを感じさせる 冷たい碧色のリヴィエラ。 帽子の紳士はコート着ているし、 冬のリヴィエラ…?
ハンガリー語で読めませんが、 この絵もふくめ いくつか作品がみられます。 ラフなタッチですが なんだか物語を想像させるイメージゆたかな絵ですね >>

 ***

このところ ポーランドやチェコ、 オーストリアなど 東欧の文学や文化に触れることが多くなってきた私ですが、 ハンガリーは 上記のフォトに載せた 東欧文学の本でも 2作品ずつくらいしか載っていなくて、 まだまだ未知な場所、、

でも 今回の イシュトヴァーン、 ヤーノシュ、 アウレール といった画家、 とても良かったです。 また他の作品もたくさん見てみたいし、 ハンガリーの現代文学にも また関心を持っていきたいな… 

東欧、、 北欧、、 ロシア、、 英仏の文学ももちろんですが まだまだ出会ってみたいものがいっぱい……



こないだ見つけた ひとつにくっついた苺。


(ほんとういうと ひとつき近く体調わるく… 風邪かどうかもわからず… でも 病院にいくのも今はそちらのほうがためらわれて… やっと やっと 外出できたのです…)



明日は バレンタインデー。


 胸いっぱいの愛を…

中林忠良銅版画展―腐蝕の旅路 O美術館

2019-11-11 | アートにまつわるあれこれ
大崎駅からすぐの О美術館で 『中林忠良銅版画展 ―腐蝕の旅路』を見てきました。

О(オー)美術館、 存在はずっと前から知っていましたが実は行くの初めてです。 現代アートを主に展示していたイメージで、 品川では原美術館へは幾度も行きましたが、 O美術館にはなぜか縁が無く、、 どこにあるのかも知らず
大崎駅の北改札からすぐの大崎ニューシティという複合施設の2階、、 居酒屋さんやお食事処や飲食店がならぶフロアの奥に おもむろにO美術館があらわれるのにはちょっとびっくり(笑) でもこんなアクセスの良い場所に こんな素敵な広々とした展示スペースがあるのはとっても利用価値のある場所だなぁ…と。。

 ***




エッチングを初めてやったのは中学の授業です。 私は美術の才能はあまり無かったけれど、繊細な線とモノトーンの詩的な世界が刻まれる腐蝕銅版画の制作は とても楽しかった記憶があります。 そのときは校庭の樹木(桜だったかな)をスケッチしました。

中林忠良さんのお名前は(ごめんなさい) 存じ上げていなかったのですが、 この版画展の案内を見つけた時に すぐに「行ってみたい!」と思ったのは、 銅版画の世界が好きな事と、 そこに載っていた小さな写真の中の画に なにか魅かれるものを感じたからでした。


作品展示は時代を追って構成されていて、 70年代の「囚われ」シリーズ、 80年代の「転移」シリーズ、 近年の自然や光をテーマにしたシリーズなどの他、 金子光晴の詩と中林さんの版画で構成された 詩画集『大腐爛頌』(だいふらんしょう)など、 文章と版画作品が一緒に展示されているものもありました。

中林さん、 現在82歳とのことで、 70年代の作品や金子光晴氏との作品などでは あの時代の表現者が社会に向けていた先鋭的な視線と言葉がうねりあっているようでしたし、、 時が移るとともに 見つめておられるテーマの変化がうまれ、 自然や光へのまなざしが深まっていく様子や、 東日本大震災を経験したのちの自然や生命への想い、、 
私は中林さんの子供にあたる世代ですが それでも自分も70年代、80年代そして現代へと生きてきたからか、 時を経るにしたがって自然や光へ親しみを覚えていく過程がなんだかとても親しみというか 同調というか、、 そのような共鳴をおぼえながら見ていました。







中でも、 展示の仕方も素敵だったのは、 上のフォトの右側に光っているスペースがありますが、 ゾーンを区切る柱の部分に四角いガラスケースが組み込まれていて その中に 版画に手彩色を施した作品と中林さんのエッセイが一緒に展示されていて、 その文章を読みながら版画作品を拝見していると、 中林さんの日常の想いやアトリエのある蓼科の自然の中での暮らし、 友やお弟子さんらとの交流などが読みとれて、 きっと優しい方なのだろうなぁ… とお人柄を想像していました。
(これらエッセイは 社会福祉法人済生会の機関誌に掲載されたもので、 その表紙画を50年も描かれていたそうです、、 50年!!てすごいことだと思います… 済生会といえばきっと病院の患者さんなどもご覧になるのでしょう… 中林さんのエッセイ、 ほんの一部を読んだだけですが温もりのある文章でした…)



今回、 すべて撮影OKとのことでしたので いくつか載せさせていただきました。
上記の作品の中で書かれている 冬の朝の凍った窓ガラスに咲く氷の結晶、、 私も子供時代の懐かしい記憶の中にあるものです。 そして、 昨年の冬に読んだ『シューベルトの冬の旅』でもこの氷の葉模様のことが歌われていましたね(>>

中林さんは蓼科のアトリエで冬を過ごされることもあるそうで、 その情景は 堀辰雄が書いた富士見高原での冬(『風立ちぬ』の終章)のことも想い出されます(>>

そんな風に、 中林さんの銅版画にはなにか文学作品と共鳴する情趣が感じられ、 初めて見た作品展でしたが いろいろと記憶が喚起される作品展でした。


今回の美術展を紹介する 品川区公式チャンネルのyoutube動画がありました。くわしく説明されていて作品についても紹介されています⤵
しながわのチカラ 腐蝕銅版画家中林忠良の世界


〇〇コレクションとか多数の画家を一堂に集めた展覧会もワクワクがあるけれど、 やはりひとりの作家さんの人生や創造の歩みが作品を通して伝わってくるような美術展は、 見させて頂くことで自分もどこか充実した気持ちになれる、、 とても良かったです。


メスキータ展 東京ステーションギャラリー

2019-08-16 | アートにまつわるあれこれ


東京ステーションギャラリーでの「メスキータ展」 18日までです。 先週末に行って来ました。

メスキータ展のことは 5月に行った目黒美術館での 「世紀末ウィーンのグラフィック」展(>>) で知りました。 時代がほぼ重なっていて クリムトらのウィーン分離派、 一方 メスキータはオランダの画家、版画家、デザイナー。 今回は日本初の回顧展になります。 このようにひとりのアーティストをまとめて紹介する回顧展はめったに機会が無いので ぜひ行きたいと思っていたのです。

東京ステーションギャラリー メスキータ展>>

美術手帖 エッシャーが命懸けで守った画家、メスキータとは何者か?>>


↑こちらのコピーにある「エッシャーが命懸けで守った」という文言に導かれて、 エッシャー経由で関心を持った若い方が多いようでした。 エッシャーは、 メスキータが教師をしていた美術学校の教え子だそうです。 でも、 《命懸けで守った》のはメスキータの作品の数々で、 ユダヤ人であるメスキータの命を守ることは出来ませんでした。 1944年、 オランダを占領していたゲシュタポに連行され メスキータは妻や息子ともども アウシュヴィッツで殺されます。

 ***

上のリンク先の図像でも メスキータの代表的な版画作品が見られますが、 エッチング、 木版、 油彩、 素描、などある中で、 やはり 木版のインパクトは圧倒的でした。

輪郭線を彫らずに 丸刃の彫り線の太さや間隔や密度によって、 人の肉体の凹凸や丸みを創りだしたり、 顔の表情や陰影も彫り線だけで表わすテクニックの見事さ。 
「うつむく女」のように、 まるで切り絵のように 最小限の白と黒のラインで表情から 感情まで表現するインパクト。 これは一度見たら記憶に強烈に焼き付けられますね。。

メスキータは 装飾デザインや本の装丁などもやっていたようですが、 アール・ヌーボーからロシア・アバンギャルドに繋がっていく モダンでシンプルで洗練されたデザイン感覚も、 版画作品ならではの研ぎ澄まされた魅力がありました。

特に、 「ウェンディンゲン」という 建築と美術の統合をめざした芸術誌の表紙を手掛けたものは、 正方形という本の形や 日本の和綴じを採用した装丁もモダンで、 この古書がもしあったら手に入れてみたいなぁ… とすごく素敵な本のかずかずでした。。
「wendingen mesquita」で画像検索すると たくさん見られますので、 その美しいデザインをぜひ見てみて。。


一方、 版画ではなく ドローイング作品になると、 不思議とルドンのような幻想性のある作品が多く、 削ることでいろんなものを削ぎ落して凝縮していく版画と、 イマジネーションのままに心理描写を膨らませていくドローイングとの その違いもまた面白く感じました。

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今回の「メスキータ展」 評判もすごくて、 図録も当初は通販の受付をしていたのですが、 申し込みが多すぎて 途中から来館者のみへの販売になったのですよね。 私もいつ観に行こうか、 迷っていてツイートなどを検索してみたら、 グッズの絵葉書なども売り切れが出ていたりして、、 ほんとに人気が高いのだなぁと思っていました。

先週末出かけた折には 絵葉書も全部そろっていたし、 Tシャツやノートやマスキングテープとかのグッズも あの独特の版画作品のデザインなので どれもカッコ良くて…
、、印象派展とかではまず買うことはないTシャツ、、 今回は買ってしまいました。 このインパクトある若者の顔は、 メスキータの息子ヤープだそうです。


 ***

メスキータからはちょっと脱線しますけど、、
先日まで読んでいた ロバート・ゴダードのミステリ 1919年三部作(>>)、、 最後の『宿命の地』は日本が舞台で、 英国の諜報員や ドイツのスパイや 日本の特高警察などが 丸の内や銀座や新橋などに出没して、 東京駅や東京ステーションホテルや いろんな現実の場所がいっぱい登場するのです。。

そんな百年前のただずまいを残したステーションホテルや ステーションギャラリーという場所で、 ふたつの大戦にはさまれた百年前に活動し、 そしてアウシュヴィッツで命を落としたメスキータや その作品を命懸けで守ったエッシャーに想いを馳せる… 

先日も書きましたけれど、 百年前は決して過去として忘れ去られるものではなく、 現在へと繋がっている、、。 時代がどう揺れ動き、 人々がどんなふうに巻き込まれ 引きずられていったのか、、 そして そんな時代のさなかでも どんなふうに芸術や音楽や文学は生まれていったのか、、

しばらく そのことを考えていたいと、 そんなふうにも思っています。



カナカナ蝉が鳴きはじめました…

「世紀末ウィーンのグラフィック」展 目黒区美術館

2019-05-05 | アートにまつわるあれこれ
好天に恵まれた連休後半、 新緑の桜のトンネルを抜けて目黒区美術館へ…

「京都国立近代美術館所蔵 世紀末ウィーンのグラフィック -デザインそして生活の刷新にむけてー」展 を観に行って来ました。

いま、都内ではクリムトやシーレを中心にした大規模な絵画展が開かれていますが、 クリムトとシーレの絵画は過去に何度か観ているので、 今回はその同時代ウィーンのグラフィックや装丁、挿画などの作品展を観に行くことにしました。 目黒区美術館は過去にもかなり充実した展覧会を行っていますが 今回の展示も… 素晴しい充実度! でした。



チラシひとつとっても その充実度があらわれていますね…

詳しくは目黒区美術館のHPで見られます>>

 ***

展覧会タイトルは 「世紀末ウィーンの…」 となっていますが、 グスタフ・クリムトらが興した新しい芸術協会「ウィーン分離派」は1897年からで、 その後 インテリアなどの生活全般にわたるデザインや本や雑誌の装丁・挿画などを手掛ける「ウィーン工房」の活動は1903年以降~1920年代が中心なので、 デザイン面ではアール・ヌーボー、 アール・デコの時代と重なるのですね、、 でも ウイーン分離派、 ウイーン工房、 ともに初めて知った私です。。

主にパリのイメージで想像されるアール・ヌーボー、 アール・デコの洗練とか華やかさとかファッショナブルとか、、 そのようなイメージに対して、 さすがウィーン… その影響は受けつつもどこかダークネスというか、 頽廃的というか、 毒があるというか、、(←すべて良い意味です) 
1910年代と言えば、 ロシアのディアギレフ率いる バレエ・リュスの全盛期かと思いますが、 バレエ・リュスの時代のデザイン感覚に ベルギー象徴派やロシア・アバンギャルドとの中間地帯にいるような、、 やはり19世紀末~20世紀初頭のデザインの世界はどこの国をとっても見るべき価値のあるものが一杯です。 (おそらく英国の美術雑誌ステューディオや ドイツのそういう美術雑誌などが日本へも入って来て、 「明星」や「白樺」などの文芸誌の装丁にも影響が濃く見られますね… そういう面でも興味深いです)

今回、、 クリムトやシーレの素描などももちろんでしたが、 そのクリムトらの画集やカタログの表紙をかざる《装丁》のデザインの洗練度…

そして、 20世紀に入ってからの美術雑誌や 舞台公演のパンフレットの表紙や挿画のどれもこれも素晴らしくて、、 
雑誌なので単色刷りだったり、 限られた色味での印刷だったりするのですが、 それなのにデザインの秀逸さ、 少ない色と色の取り合わせのモダンさ、、 

あと、 子供のための読本の挿画もありましたが(白雪姫とか)、、 以前 カイ・ニールセンなどの英国の美しい挿画本のことを書きましたが(>>) やはり同時代だけあって 似た雰囲気ももちつつ、、 なぜかウィーン… やっぱりどことなく怖さがあるのですよね、、(←先入観かしら… いえ、そんなことないですよね、、 やはりウィーンはウィーンならでは)


今回の美術展の図録、、 これがまたなんとも充実した素晴らしいものなので、 ブックデザインや印刷物のデザイン、 レコードジャケットなどなど、、 デザインに関心のある方は入手して絶対損は無い優れものだと思います。。 



お土産グッズで買った「一筆箋」 4種類あったのですがどれもこれも美しかった~!

大満足の作品展でした。



緑あふれるカフェで お茶とクッキーでくつろげるし 目黒区美術館ほんと素敵な場所

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あ…!  今夜はドゥダメル&LAフィルのクラシックコンサート 観なくちゃ!!

アンドリュー・ワイエス展 美術愛住館

2019-05-03 | アートにまつわるあれこれ


四谷三丁目に昨年あたらしく出来た「美術愛住館」へ 「アンドリュー・ワイエス展」を見に行って来ました。
http://aizumikan.com/
この美術館は 故堺屋太一氏と奥さまの洋画家・池口史子さんがお住いになっていた邸宅を美術館にしたものだそうです。 新宿通りから入ってすぐの場所にありますが、 大きな木立がそびえ、 一瞬で大通りの喧騒から離れた 落ち着いた佇まいになっています。




アンドリュー・ワイエス…

アメリカ北東部のメイン州クッシングという海に面した土地、、 そこに住むオルソン姉弟の住まい「オルソンハウス」の寂れた家や納屋を描いたものや、 オルソン家の姉を描いた 「クリスティーナの世界」で あまりにも有名な画家です。 、、あまりにも有名、と書きましたが 実際のところ私は今書いたこと以外、 ワイエスについて何も知らないことを 作品を見ながら考えていました。 、、この オルソン家を描いた水彩画の さびしい窓や 古びた納屋や そういったワイエスの絵を、 私はいつ知ったのだろう… いつから私の頭の中に ワイエスの絵の世界や クリスティーナの姿が 焼きついていたのだろう…  ぜんぜんおぼえがないのに、 ワイエスはどうしても見たい画家でした。


ちいさな美術館の中には とても多くの人がワイエスの絵を観に来ていました。 
オルソン家の壊れた窓、 家具らしい家具のなにも無い部屋、 いつ作られたかわからないきっとぼろぼろになっているらしいベッド掛けのキルト、 戸外に忘れられたようにぽつんと置かれたバケツ、、 人の暮らしの気配がそこには無いかのよう…

でも ブルーベリーを集める熊手や、 納屋にひっそりといる牛、 穀物を詰めた麻袋や、 殻のついたままの豆がぶら下がった袋、、 

人間の暮らしとは こんなにもつましく さびしく せつなく ひそやかなものであり得るのだと… それでいてこんなにも力強くあり得るのだと… 
これらのしずかなものたちを通じてワイエスが感じていた「物語」を わたしも知りたい、、 どんなふうにこの姉弟が生きたのか なにも知らないことがあまりにもせつなく、、 なのにあまりにも身近で、、 
… もしも ひと気の無い美術館でこれらの作品を見つめていたら はらはらと涙を流すのを抑えられなかったかもしれません。。

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「クリスティーナの世界」は ニューヨーク近代美術館にあるのだそうです。 今回の展示ではその習作デッサンが何点も展示されていました。

、、 病気の影響で四肢に麻痺があり 細く骨ばったクリスティーナの手の関節を描いたもの、、 自分にも(同じではないけれど) 病気があるので そのクリスティーナの手を見ているだけで胸がいっぱいになります。 その手で 草を這い 身体を支えて わが家をめざす、、 「クリスティーナの世界」の画世界をささえているのは まさにその細い手。。

ワイエスは リアリズムの画家、と言われていますが、 「クリスティーナの世界」で知ったのは、 ワイエスが見ていたのはオルソン家の窓からだったそうです。 だから、 本当の写実であればクリスティーナがこちらに向かって這って来る姿を見ていたはずなのです、、 でもワイエスはそれを頭の中で反転させて クリスティーナの後方から家へ向かう姿を描いた…

そこに ワイエスが感じ取った「物語」があるはず… 


、、 ワイエスについて、 彼の絵について、、 もっともっと知りたいと思いました。

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Christina's World のWiki はこちら>>

姉弟が暮らしたオルソンハウスについてはこちら>>

動画でも アンドリュー・ワイエスについて紹介したもの、 クリスティーナの世界についてのもの、 いくつもあるようです。 英国のモンティパイソンで有名なマイケル・ペイリンが案内する Wyeth´s World という一時間番組などもありました。


、、また ゆっくりと見てみたいです。 ワイエスについての本も 読んでみましょう…




上野の森美術館「フェルメール展」:わたしの 19/35

2018-10-12 | アートにまつわるあれこれ
先日の連休、 上野の森美術館「フェルメール展」に行って来ました。
公式サイト>>

昨年から フェルメール(美術館所蔵作の)全35点中9点が来日、、と大変話題になっていた美術展ですね。



入場日時指定制ということで 一体いつ行ったら一番ゆったり見られるだろうと頭を悩ませつつ、 でも自分の体調や友の都合など予期できない事もいろいろあるし… 前売り券を買うのをずっと躊躇していました。 が、 連休寸前になって(公開が5日からだったし) まだ前売りの余裕もあったので とつぜん「行こう!」ということになって…

時間指定とは言え、 入場開始時間には長い行列ができると聞いていたので 1時間ほど過ぎたころを狙い、、でもその時点でまだ人が並んでいました(10分程度で入場できましたが)
ただ、、並んで入った人たちがそのまま展示を順番に見ていくので 当然ぎっしりと列になったまま絵を見ていくことになり、、 そうこうするうちに次の時間枠の人達も入場してきます。
なので 少し鑑賞するのも工夫が必要… 中の係りの方も言っておられましたが、 「展示の順序に関係なくお好きな場所からご覧ください」とのことで、、

第1章から順に見て行ったのですが、 混んで来そうだったので4章のあと 最後の6章のフェルメールの展示のほうを先に… そのときはまだゆっくりと見られたのですが、、 もう一度4章へ戻って 順番に見ながら再び6章のところまで進んで来たら、、 フェルメール作品の前は4重か5重の人垣になってしまっていました。。 上野の森美術館は内部もあまり広くないので仕方がないですけど、 休日にご覧になりに行く方は 入場時間や鑑賞の順番にも少し工夫が必要みたいです。

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以前、 自分が見たフェルメール作品のことまとめてありましたね、もう7年も前です(その時の日記>>

あの時点で わたしのフェルメール体験 14/35 になっていたと思います。
あれから、、

東京都美術館の 「マウリッツハイス美術館展」(2012年)で(そのときの日記>>
 *「真珠の耳飾りの少女」(15/35)

森アーツセンターギャラリー 「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」(2016年 公式サイト>>)で
 *「水差しを持つ女」(16/35)



そして今回の「フェルメール展」
 *「マルタとマリアの家のキリスト」(2008年と同じ)
 *「牛乳を注ぐ女」(2007年と同じ)
 *「ワイングラス」(17/35)
 *「リュートを調弦する女」(2008年と同じ)
 *「真珠の首飾りの女」(18/35)
 *「手紙を書く女」(2011年と同じ)
 *「赤い帽子の娘」(19/35)

 *「手紙を書く婦人と召使い」(2011年と同じ)
 
東京展の後期に展示される 「取り持ち女」と、 大阪展のみに出品される「恋文」も、、 見てみたいなぁ… とは思っているのですが、、、

あと、 2015年に国立新美術館で開催された「ルーヴル美術館展」での「天文学者」が見られなかったのはちょっと心残りです… (公式サイト>>) あのころ、、 身内に重病人がいてなかなか美術館へ行こうという余裕が無かったのでした、、

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今回初めて見たフェルメール作品の中では、 「ワイングラス」の絵の左上の淡いブルーの窓掛けが 光に透けながらふわっと風にふくらんでいる様子が本当に美しかったです。 フェルメールといえば ラピスラズリの「青」ですが、 この窓辺の光をはらんだ透き通ったブルー、、 光そのものを見ているようでした。

あと、、 二度目の鑑賞となった大きい作品の 「マルタとマリアの家のキリスト」、、 これ好きなんです。 フェルメール初期の作品で まだ細密な光の描写とか着ている衣装の質感の緻密さとかはみられないんですけど、 頬づえをつきながらキリストの話に聞き入っているマリアの仕草や表情が なんとも無垢というかのびのびしていて、 キリストも自分の家みたいにくつろいでいるみたいに見えるし、、 見ていてなんとも心がふんわりする絵。。

そのほかの画家の作品では、、
ニコラス・マースの「窓辺の少女、または『夢想家』」という絵がとても印象的でした。
アムステルダム国立美術館のサイトにリンクしておきますね>>
Girl at a Window, known as ‘The Daydreamer’, Nicolaes Maes, という絵です。

桃とアプリコットの枝がある窓辺、、 この位置で実っているということはこの窓は2階とか? だけど 画家の視点は少女の斜右上から見たように描かれていて、、 なんだか庭の木の枝にとまった鳥の視点みたいな不思議な構図です。。 でもそれゆえに物語を感じる、 物思いにふけった少女の薔薇色の頬も初々しくて、 少しむずかしい表情とのアンバランスも可愛らしく… ‘The Daydreamer’にふさわしい想像をふくらませてくれる美しい絵でした。

同じニコラス・マースの作品では 「糸を紡ぐ女」というのもあって(これもアムステルダム国立美術館に>>
糸車の糸や 束ねた糸のふわふわとした細かい描写が素晴らしい 巧みな画家だなぁ、と。

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美術館であらたな絵に出会うのはとても幸せな時間です。。 出来たら何重もの人垣に押されるような場所ではなくて、、 自由に絵の前から離れたり近づいたり 行きつ戻りつ、、 たまに腰を下ろして遠くから眺めたり、、

そんなゆったりできる場所で絵を楽しみたい、、 
名画の鑑賞ではなかなかそうもいきませんけれど、、


「ムンク展」もたいへん混雑しそうですね…   パナソニックミュージアムでは ヴァチカンからの展示作品もあるというルオー展も(ルオーはもう幾度も見ているけれど) ちょっと見てみたいな、、 美しい「ヴェロニカ」、、見てみたい。。


気温が下がってやっと秋らしくなってきました。 あまりに夏が厳しかったから、10月のままでいて欲しい、、 永遠に とは言わないけれど。。


カサコソと落ち葉を踏む季節まで、、 大好きな秋がゆっくりゆっくりと過ぎていきますように。。 

この春でかけた美術展「ジョルジュ・ブラック」「加山又造」「熊谷守一」まとめて…

2018-05-13 | アートにまつわるあれこれ
GW終わりましたね。

(じつは8日に書こうとしていたこの日記、UPできずにいました)

お天気も良く、愉しく出掛けられた半面、、心のなかにはものすごく複雑な苦しさの塊もある、、 そんな連休の日々でした。 私個人の出来事じゃありませんけど、、 分かってくれる人には分かってもらえる… かなと、、


このGWに出掛けた分を含めて、まだ書いていなかった美術展の感想を、、 まとめて…

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GWには ふたつの美術展に行きました。

ジョルジュ・ブラック展絵画から立体への変容 ―メタモルフォーシス
 パナソニック汐留ミュージアム(ウェブサイト>>) 会期6月24日まで


ピカソと並ぶキュビズムの画家、 ジョルジュ・ブラックが最晩年に ジュエリーなどの立体作品を創っていたということは 全然知りませんでした。 なので行くまで なかなかぴんと来なくて…

…でも 考えてみれば、 ピカソも年をとってから、陶芸などとても沢山のキュートな造形を創っていたし、、。
ピカソの事はよく知られているのに、 ジョルジュ・ブラックのジュエリーや陶器などの作品がまとめて紹介されるのは 日本では初めてだということです。 一緒に行った美術系出身の友も「知らなかった」と言ってました。。

ギリシャ神話をモチーフにした陶磁器や、 きらびやかなジュエリー作品。。 ジュエリーは美しい~女優さんでもなければ なかなか似合いそうもない豪華なものでしたが、 陶磁器はもし小ぶりだったら 使ったり飾ったりしてみたい、 そんなシックで気品のあるものが多かったです。 
1963年に、パリ装飾美術館で「ブラック・ジュエリー展」が開催されたそうですが、 残念ながらブラック本人はもう会場まで足を運べる体調ではなかったそうです。 本当に人生の最晩年に、 絵画ではなく身に着け、触れて、生活空間に共に在ることの出来る美。 そんな美的生活を彩る立体造形を、求めていたんですね。。 晩年、枯れていくのではなく煌びやかに、 美しく… そのエネルギーというか美意識…

一番気に入ったのが、 ドーム工房がブラックの図案を基に創った ガラス作品や、 没後、ブラックの絵をもとに 「ゲマイユ」という、何層もガラスを重ねたり組み合わせたりして創ったステンドグラス、、 これがブラックの絵の雰囲気にもとても合っていて、 やはりキュビズムの線や形と色ガラスとか鉱物の形の組み合わせというのは似合うような気がします。 あのステンドグラスが装飾としてどこかカフェとか、 ギャラリーとか あったら素敵だなぁ、、 そんな家に住んでみたい。。



ブラックさんと写真を撮れる椅子のコーナー

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Re 又造 ~又造が未来に夢見たアート展~
 5/5終了
 ウェブサイト>>


会期終了直前に行けました。 加山又造展。

初めて行った EBiS303というイベントスペース。 1Fが自動車のショールームになっていて、 その屋外に又造コラボの車が展示されていました。


ボウイ展の時も、 イナズマをあしらった車が展示されていましたけど、 又造の代表的な意匠を存分に全面に配していて あれは塗装ではなくて 特殊な印刷技術なのでしょうね、、 すっごい美しかったです。

又造と言えば猫…


会場内の展示もまた凝ったものでした。 オフィシャルページにtrailer がありますね、 どうぞ見てみて。。 床から篝火のような灯りを照らして、 又造の絵のまわりにプロジェクションで桜の花びらがはらはらと舞う… 幻想的で美しい見せ方や、

絵の中に入れる仕掛けや… 皆さん楽しそうに写真を撮っていました。 


加山又造の版画や屏風絵は 生前から見ていて大好きでした。。 琳派の日本画の伝統を受け継ぎつつ、 モダンで 洗練されたデザイン、 品の良さ、 
版画作品の ブリューゲルっぽいちょっと淋しい感じの「カラス」とか、 「シマウマ」とか、、 今回は展示されていなかったけれど 又造のぼろぼろのカナリヤとか前から大好きなのです。。 20年以上前、 又造展に行って、 その頃はまだ存命中で確か百貨店のギャラリーだったと思うけれど、 「カラス」の版画が販売されていたんですよね、、 そんなに高額でなくて、、(でも東京に出て来たばかりの私にはちょっと躊躇する値段で、 そんな現金はもちろん無いし) 、、いいなぁ、、と思いつつ諦めて…
でも今つくづく思う、、 借金してでも買っておけば良かった、、カラス。。

…あ、 話がカラスになってしまいました。。 
16歳の頃に描いた「狐」という作品があって、、 ちょっとクールベの「狐」を痩せさせたみたいな感じで、 すっごく上手でした。 やっぱり天才だなぁ、、と。。 (僕は天才じゃないから…)というような言葉が どこかに書かれていて だから自分に似た者として、 あの淋しそうなカラスや ぼろぼろのカナリヤへの親近感に繋がったそうなのですが、、 何だろう… ぼろぼろでも美しくて品があって可哀想に愛しい可愛さもあって、、 やっぱり天才なんだと思います。

雑誌『新潮』の表紙絵を何点も並べて、 本というか色紙本のように装丁してあったものが展示されていましたが、 一点一点がため息がでるほど素晴らしかった。。 ご実家が西陣織の図案を創るお仕事の家だったからか、 もう何を描いても構図が完璧に、 それが自然に出来てしまうのでしょうね。。 
俵屋宗達と本阿弥光悦が組んで描いた「嵯峨本」(光悦本)というのがありますが、 あの美しさをいつも思い出すのです、、 新潮の表紙絵もそのこと想い出しました。


会場の最後は、 ふたつの龍の天井画が。。 天井画の実物は持って来られないので、 原寸大で天井に映し出されていて、 別のスクリーンではそれを描く又造さんの姿が。 長い長い映像が見られるようになっていて、、 スウェットの上下になんだかモコモコした緑のスリッパを履いて そんなかわいい姿で 巨大な龍の天井画に挑んでいる真剣な又造さんをずっとずっと見ていました。。

龍のまわりの雲とか空のおぼろげな部分は、 コンプレッサーを肩にかついでエアブラシでしゅーしゅーと、、。 琳派のたらしこみを巨大な天井画でやろうとして考えたそうで、、 大胆かつ繊細…

又造さんの龍は5本指でした。 また沢山の又造さんの絵、 見てみたいな、、 動物シリーズも。


又造さんのデザインが包装にあしらわれたお菓子


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「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」東京国立近代美術館
 東京国立近代美術館>>



モリカズ展に行ったのは2月の末でした。 だけどなかなか書くことが出来ませんでした。

熊谷守一の絵は何度か見ていましたし、 住まいだった「豊島区立熊谷守一美術館」へも行ったことがあったので、 良く知られている作品は概ね頭の中に入っていたのですが、、

今回、 明治時代の作品 (守一は明治13年生まれ。 明治33年東京美術学校入学、同期が青木繁、和田三造ら)、、 その若き日の、 よく知られた「モリカズ」の画風とは全然違う時期の作品を見て、 なかなかその事が書けずにいました。

明治41年の「轢死」という作品。
この制作年と、画題、そして絵を見たとき、 その場に固まってしまいました。。 すぐに脳裡に浮かんだのが 夏目漱石の『三四郎』(明治41年9月から連載)の中に書かれた「轢死」の描写、、

 「三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ」

、、この漱石の文章を、そのまま画にしたような絵でした。 絵の表面の劣化等で、何が描かれているか殆んど分からないほど、色は暗く、全面塗り潰されたように見えるのですが、 『三四郎』のあの文章を記憶しているので、 守一の絵の中に三四郎とそっくりの女性の轢死の構図が見えました。。 あまりに驚いて、 小声でに「これ、三四郎の…」という話を耳打ちしていたら、、 「ここにも説明がある…」と。 見たら、絵の先に詳しい説明書きがありました。

守一の絵の構図と『三四郎』の轢死の構図が全く同じである為、 どちらかが参考にしたのでは…という話題は以前からあったそうです。 但し、守一の「轢死」のデッサンは『三四郎』掲載よりも以前からあり、、 また、この絵は文展への出品を拒否されているので、漱石がこの絵を見た可能性は無い、と。

では、、この同じ年に描かれ(書かれ)た「轢死」という共通は…
1908年(明治41年)出版の戸川秋骨先生の『時代私観』という本の中に、 「電車とイブセン」という文章があります。 「露西亜に勝った」とありますから、日露戦争後の文章でしょう。 この文章中にも「轢死」が出てきます。 急速に東京中に発達した鉄道網、、 そのことによって起る事故としての「轢死」と、 戦争後の不況や寡婦の増加、そのような時代に現われた列車への飛び込みという「轢死」、、 『三四郎』の女性の「轢死」の場面は自殺でした。 守一は実際に轢死の現場に遭遇したとのことです。 戸川秋骨が「電車とイブセン」で書いている「轢死」も、 テクノロジーの急速に変化した時代の、 事故、自殺、二重の意味で轢死という新しい死を扱っています。
 国立国会図書館デジタルコレクションで読めます>>

漱石、守一、秋骨、、 三者が同じ時代に「轢死」について書いて(描いて)いる、というのはやはり「轢死」というものが、前時代には無かったこの時代を象徴する死の有様で、 そのことに対して、作家、芸術家が敏感に感受した顕れなのでしょう。 裏を返せば、漱石、守一、秋骨らが同種の危機感、 死への感受性を備えていた、、と私には思えるのです。

漱石は「死」に取り憑かれたように多くの死を作品に書いた人ですが、 今回、守一の絵の人生にも、これほどまで「死」が深く関係していたことをあらためて知りました。 その作品のひとつ、、 守一の次男の死を描いた 「陽の死んだ日」 
 大原美術館のサイトにこの絵の説明(と先の轢死の説明も)載っています>>

HP上で見るのと、実物で見るのとでは違い、、実際にはもっと衝撃が大きい作品でした。 横尾忠則さんが twitter でこう感想を書かれていました(>>)(>>

守一には、 有名な「ヤキバノカエリ」という絵がありますが、、 それも含めて、画業の前半生にどれほど「死」が深く関わっていたか、 今回の展示で知らされました。。 タイトルは 「生きるよろこび」でしたが、 とてもそういうふうには思えなかった。。 晩年の、 自宅の庭の小さな生きものを描く、やさしい眼差しの絵をたくさん見ても、、 そこまで辿り着くまでの深いかなしみの方が 強く心に刺さってしまって、、、

「轢死」の横たわった女性の像を、 キャンバスの縦横を逆にすると女性が起き上がって「生きる」のだ、と、、 そういう構図の女性像もありました。 守一が、 モリカズになってからも、 ずっと考え続けていたテーマなのではと思います。 

、、モリカズの絵は好きです。
昔、 ある高齢の画家さんとお友だちでした。 守一に似たところのある、 そしてご自身もきっと守一への憧れを持っていただろうその画家さんの思い出。。 
そのかたが、 初めて東京で個展を開いたのが、 モリカズの自宅であるギャラリー「榧」でした。 そこでお話した頃に、もし初期の守一の絵のことを私が知っていたら、、 そしてもし今もその画家さんがご存命だったら、 今回の守一展のことや、「轢死」のことなども、 お話できたのに… と思いつつ、、 モリカズの便箋を記念に買って帰りました。。
モリカズのことを良く知る、 どなたかに宛ててそっと手紙を書いてみたいと…





5月、、 どうぞ健やかな日々を。。