星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

まだまだ… ね♪

2022-06-24 | MUSICにまつわるあれこれ
急に暑くなりましたね。 蒸し暑いのはイヤだけど でも青空があるのはやっぱりいいな…


一昨日の朝 (なぜだったかもう忘れちゃったけど…) ちょっと不愉快な気分のままPCに向かい、 いつものBBC radio をつけたら、、

  ピラリラピラリラ…♪ タタンタタンタタンタ……

、、その瞬間 笑顔になってロジャーの雄叫びを待ちました。。 単純なワタシ…

 ***

先日も フィラデルフィアでの The Who の公演の映像を眼にし、 こちらがどきどきしながら AEDを手にして傍に控えていたい気分で見守っていたら、、 ロジャーの見事な絶叫が。。 素晴しかったです。。 ちょっとだけだったけどマイク投げもして、、 ピートはしっかり腕振りまわしてたし、、

あり得ないです… 78歳のお爺さんがあんなコンサートのステージをこなしているなんて。。 凄いことです。。

ここのところ忙しくていろいろ見聞きしている時間がなくて、、 でもたまたゆうべ、 夕食をつくろうかなぁ、、という時間のときに、  この3月に行われたらしい「Love Rocks NYC 2022」の映像をみつけてしまい、、

あ、、 ジャクソン・ブラウンさんが Running On Empty を歌っている!  あ、 Hozier が Bowie の Changes を歌っている! ああーー Keith も出ている!! となってご飯がつくれない……。。 作らないわけにいかないので泣く泣く諦めて、 やっと今、見てます。。

Jackson Browne さんと Warren Haynes さんの Running On Empty、、 いいなぁ、、 かっこいいなぁ、、 ハウスバンドのギタリスト Larry Campbellさんのスティールギターが素敵。。 そして ジャクソン・ブラウンさんが両脚を開いてギターを構えて立っている姿 やっぱりカッコいい…♡ 脚長い!! ジャクソン・ブラウンさんはフォークシンガーのように思われるときもあるけど、 ちゃんとロックンローラーです。

あ、、 そういえばもうひとりのロジャー、 Roger Watersさんが CBS TVで歌っている映像も観ました。 こちらのロジャーもまたツアーやるのですね。。 ギタリスト&ヴォーカリストとして Jonathan Wilson さんも再び一緒です、、 ジョナサンがロジャーの傍で歌っているのは今だに違和感…笑 、、好きだけど

このお爺さんもひょろひょろしたお声で相変わらず元気です。。 同じ78歳なんだね。 キースもだ! みんな元気で嬉しい。。 ジャクソン・ブラウンさんはデビューが若かった分、 まだ73歳なのね、、


ロックは老人のものになったんだと最近つくづく思います。 若い子の音楽はロックじゃないもの。。 素敵なシンガーはたくさんいるけれど。。 Hozierだってロックじゃないと思うし、、 James Bayさんだってロックミュージシャンかと訊かれたらなんだか違う気がする、、 素晴しいギタリスト&シンガーではあるけれど。。

今や 70をとうに超えたお爺ちゃんが、 たまにロジャー(ひょろひょろした方)のように それはちょっと違うんじゃないか?と首をかしげるような発言で物議を醸して、、 それでも性懲りもなく我が道をつらぬいて、 いい年をして拳をふり上げたり 指を突き上げたり、、 そうやってお爺ちゃんがロックをやっているのが格好良い、、 そういう世の中になったんだと思います…♡


 ***



とうとう本気で断捨離を始めているのです。
還暦めざして、、 60過ぎたら身軽に生きようと。。 何列もあるカセットケースの中身をどんどん捨てています。 、、棄てれていないいくつかが写真に…

85年の渋谷ライブインとか 87年日本青年館とか、、(どなたの… かは書きません) 、、取っておいてもカセットデッキも無いのだけれど、、 でも とっておこう、、かな

 ***

上の話とは全然関係なく、、

ひさしぶりに佐野元春さん聴きました♪ 「銀の月」、、カッコいい曲です。 最初、 イントロのギタリストさんの音にんんっと惹かれたのでした。 佐野クンも元気で嬉しい。。 このビートがカッコ良く歌えるのは日本では佐野クンだけです。
https://www.youtube.com/watch?v=K1VcExkcwMU

ブログではたぶん一度も佐野クンのこと書いた記憶はないけれど、、 でもデビューからずっと注目してきた人です。 とうとう日本でもこんな素敵な声のシンガーが出てきたんだ、ってデビュー時に思ったものです。 そして詩もね。。 たくさんたくさん聴きました。

今でも新曲にニヤリとさせられます、、 どういう意味のニヤリと かは書かないけれど。。
、、 これまで なんとなく佐野クンにはアメリカの匂いのほうを感じる事が多かったけれど、、 今思うと 佐野クンには ジョー・ジャクソンさんの匂いもとってもするのね、、 ジョー・ジャクソン+ザ・フーみたいな……笑
 

そしてもうひとり、、 ずっとずっと 長年ニヤリとさせられ続けてきた兄貴、、 今度はマッドネスのかたと素敵なコラボです、、 素敵すぎて爆笑させられました。。 ん~~ やっぱり ロックを守り続けているのはこんな60代のモッドファーザーや 70をはるかに超えたロックじいじ達なんですね。

そしてワタシタチは永遠に言われ続けるのです、、 あんたはまだまだ子供だって、ね…♪


よい週末を ♡


暑くなりそうね…


駒もが・・・

2022-06-15 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
6月も早半ばになってしまいました。 

ここのところ 病院通いで少々忙しくしております。 難病関係の検査とか お役所へ出す書類のことだとか、、 なかなかこれが面倒なのです。。 でも涼しいので助かるわ…♡

そんななかで 万葉集の本を読むと一気に古代に空想がひろがってホッとします。 



『万葉集 いにしえの歌を旅する 』(洋泉社MOOK)  2016年
『古代史で楽しむ万葉集』 (角川ソフィア文庫) 中西進 著 2010年
『万葉の旅 上 大和』『万葉の旅 中 近畿・東海・東国』(平凡社ライブラリー)犬養孝 著 2004年


写真にあげた本、 どれもとってもオススメです。 洋泉社のムック本はカラー写真がいっぱい。 年表や、天皇や豪族の系譜図なども揃っていて便利です。 でもちょっと大判なので…

古代の歴史や政治の変遷を解説しながら、 その当時にどんな歌人がどんな歌を詠ったのかを 時代にそって教えてくださるのが 『古代史で楽しむ万葉集』。 ハンディかつ詳しいのでとても有難い本ですが、 地図とか図版がほとんど無いので、 地名が出てきてもどのあたりかピンと来ないのがもどかしいです。 だから私のような無知は、 近江朝とか書かれていてもそれが奈良ではなく 滋賀県の琵琶湖のほうだとか分からないんですよね、、 (地図って大事デス)

そして、、 あらかた時代の流れがわかったら、 犬養先生の『万葉の旅』は素晴らしい御本。 見開きページごとに一首、 その歌があらわす場所の地図と写真、 それから犬養先生ご自身がその場所に実際に行って その歌についてどんなことを想われたか解説されています。
「万葉全地名の解説」なども載っていて、 日本のなかのどんな場所がどれだけ詠われているかの分類もされていて とっても詳しいです。。 つい関心がこの関東周辺から先になってしまって、 まだ上巻の大和篇は開いてないのですけど…

 ***

奈良の都の貴族や 高官たちが、 いろんな行事や宴の席で歌を詠む、 それがまとめられて歴史に残る、 というだけならまだしも、 1300年前の京から遠く離れた東国で、 しかもそのころの庶民などはまだ 穴を掘って竪穴住居に住んでいたのに、 そんな人々が歌を贈り合って それを収集したものが歌集になって残っているなんて、、 なんてなんて素敵なことなんだろう…!! と、 名も無いひとの歌に触れるたびに感動してしまいます。。

そして あらためてすごいことだなぁ…と思ってしまったのが、 1300年の昔から、 地名って変わっていないんですよね。。 葛飾とか、 筑波山とか、、 福島の安達太良山もそのころから同じ安達太良山として歌に詠まれてると知って、、 この日本に住むひとびとがずっとずっとこの土地を大事に思って伝えて来たのね… と、 愛おしくなりました。

そんな中から、 今日はお馬さんの歌を・・・

  足の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継ぎ橋 止まず通はむ 

「真間」という場所は 今の市川市にありますね。 先月 母の日に「市川ママ駅」になって話題になったばかりです。 その市川の真間は 「真間の手児奈」という美女の伝説の残っている場所です。

上の歌は、 その美女を詠ったものかどうかはわかりませんが、 「足音をたてないで行く馬があったらいいな、 そうしたら真間の継ぎ橋をしょっちゅう渡ってあの子に会いに行こう」 という歌。
上記の犬養先生の解説によれば、 万葉の頃はこの真間近くまで海岸だったそうです。 その入江が川のうえに板を並べたような「つぎはし」があって、 そこを馬で渡るから音がするのでしょうね。。 音がしない馬が欲しい、 というのは 目立っては困る理由でもあったのかしらん?

馬の足音では こんな歌もあります…

 馬の音の とどともすれば 松蔭に 出でてぞ見つる けだし君かと

「とどと」 というからには「ドドドっ」と駆けてくる音ですね。 なんか勇ましい。。 その音に「あなたかしら!」と飛び出してきて、 でも「松蔭」から見ているというのが恥ずかしげで可愛らしいです。

万葉集を読み始めて 気づいたことがあります。 この時代の日本は そうとうな騎馬民族の社会だったんだ、と。。 高貴な皇子さまたちも、 それからこの東国の読み人知らずの無名の人たちも、 たくさん馬で移動して、 こんな風に女性のもとへ通って来るのも馬でやってきたりします。

さきほど書いたように、 人が住んでいるのは竪穴住居でしょう? そこへ馬に乗って訪ねてくる… なんだか想像したら 「ダンス・ウィズ・ウルブス」のネイティヴアメリカンの世界みたいじゃないか…!(笑) と、 想像やら妄想やらが止まりません。。 どんな光景だったのかしら、、 真間の海ぞいを馬でやってくる1300年前の丈夫(ますらお)と、 その足音に胸ときめかせている手児奈(てこな)。

 ***

前回も 大好きな高橋虫麻呂さんのこと書きましたが、 虫麻呂さんは当時、 天皇の命令によって 地方の土地の名前や、 そこから産出される資源や、 植生や住んでいる動物や、 人々の暮らしの様子を調べて報告しなさい、 ということで派遣されて、 それで常陸の国々をめぐっていたんだと思われるんですよね、、 『常陸風土記』を書くのにも虫麻呂さんは大きく関わっていたらしいです。

それで そのころの東国の人々はまだ殆んど文字を書く人もあまりいなかっただろうから、 人々から話を聞いて、 その土地特有の風俗や、 口承でつたわる伝説など聞いて集めて、 それに対する自分の想いも込めて歌にして、 中央の都に住む人に報告をしていたんだと思います。 

虫麻呂さんが この東国の市川の真間に来て、 伝説の乙女に想いを馳せた歌

 葛飾の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児奈し思ほふ


虫麻呂さんも馬に乗って来ていたのかしら…? 筑波山や、 鹿島のほうまで行ったりしてたのだから きっと馬で移動していたのよね? 

なんか西部劇のさすらいのカウボーイみたいだわ…… (妄想が過ぎる…)




今日も

明日も


お元気で。
 

かき霧らす 雨の降る夜も、、

2022-06-01 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
6月になりました。

先月につづき 万葉集の世界です。。 私の大好きな歌人 高橋虫麻呂さんの長歌から この季節にふさわしい歌を、、

 鴬の 卵の中に 霍公鳥(ほととぎす) 独り生れて 
 己(な)が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず
 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響(とよ)もし 
 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし
 賄(まひ)はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥


長歌には改行はありませんけれど、 意味をわかりやすくするために分けて書いてみました。

ホトトギスという鳥はカッコウの仲間だということで 《托卵》をするのですね。 ホトトギスはもっぱらウグイスの巣に托卵をするのだそうです、、 その習性を詠んだのが一行目。

ウグイスの親に育てられたホトトギスは、 それでもウグイスの父母の啼き方ではなく ホトトギスの啼き方を自然とするようになります、、 それが二行目。

卯の花の咲くころ(卯の花はウツギだそうです。卯月=旧暦4月の花ですね) ホトトギスは渡って来て、 さかんに鳴き声を響かせます。

橘は柑橘系の花、 旧暦5月ごろに白い香り高い花を咲かせます。 その花橘を散らしながら 一日中鳴いているけれど それを聴くのも良いものです。

ごはんをあげるから、 遠くに行かないでわが家の花橘に住んでいてくださいね。。 という長歌です。


長歌のあとに付けられた反歌には 自分の想いをあらわすものですが、 先の長歌に対する反歌はこうです
 
 かき霧(き)らし 雨の降る夜を 霍公鳥 鳴きて行くなり あはれその鳥
 
一面霧のかかったようにけぶる雨の夜(長雨の梅雨の時季でしょうか) ホトトギスが鳴きながら飛び去っていきます、、 なんと「あはれ」な鳥でしょう。。。 この「あはれ」は現代語に訳しようが無いです、、
、、 自分のところの花橘にずっと住んでいて欲しいとの願いもむなしく、 ホトトギスは雨の夜に濡れながら、鳴きながら、飛び去って行く、、 それに対する かなしみ? 愛情? 同情? 、、それら全部をひっくるめた想い、、

Sympathy for the Devil を「悪魔を憐れむ歌」と訳したのは名訳だと思うのですが、 上の霍公鳥への「あはれ」も、 虫麻呂さんの「Sympathy」を表した言葉なんだと思います。

初めてこの長歌を読んだ時、、 托卵によって親を知らないまま生まれた雛鳥が 「己(な)が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず」というのが ものすごくさびしい、せつないことに思えて 可哀想な感じがしたのですが、、 虫麻呂さんはその淋しさを踏まえた上で、 親を知らなくてもちゃんと自分の声で鳴くことをおぼえて、 それで時期が来たら 雨の降る夜でもどこかへ旅立っていくことに 同情と共感を示しているのですね。

虫麻呂さんの生涯については ほとんど資料がなくわからない部分が多いのですが、 奈良の都での歌はほぼ無くて、 東国や西国で詠んだ歌ばかり。。 「我が宿の花橘に」と詠んでいるけれど、 虫麻呂さん自身、 どこに我が宿があったのかわからない。。 そんな自分の人生とホトトギスの孤独な旅とを重ね合わせていたのでしょうか。。

以前このブログで精読していたシューベルトの「冬の旅」の歌、、 あの最後の「ライアーまわし」で旅人は 孤独な老人の手廻しオルガンの音色にSympathyを感じていましたね、、 孤独な路を歩まねばならない者同士のさびしさと共感、、 それに似たものも感じます。

 ***

子供のころの家には 今ぐらいの季節にカッコウの声が響いていました。 自動車の通る場所からも引っ込んでいて、 周囲には果樹園や森がひろがっていたので、 朝方 遠くの森できこえたかと思えば、 日中 ウチの庭の木でうるさいくらいにカッコウカッコウ鳴いていたこともありました。

初夏とともに訪れる大好きな鳥でしたけど、、 ある時 カッコウの《托卵》の様子をTVで見て、 ひな鳥がほかの卵を巣から押し出して殺してしまう様子があまりに衝撃的で、 それ以来なんだか カッコウが嫌いになってしまいました。。

でも、、 虫麻呂さんの歌のように、、 生まれた雛のことを考えてみたら、 たった独り 親も知らずにそれでも自分の声で鳴くことをおぼえて、 孤独のままに自分の世界へと旅立っていく、、 その強さにも気づかされました。 (托卵されたウグイスはやっぱり可哀想ですけれども…)

 ***

今月の左サイドバーの音楽は、、 雨の夜に聴くのも心地良いだろうと思える曲。。 歌声もそうですけど、 演奏の音色も心地良いものを、、 (特に上の3曲)

Steve Winwoodさんは 歌声といい ギター ドラムス その他、、 ライヴの演奏としてこれ以上なにを望めましょう… というくらい完璧。。 何度聴いても 聴くたびに鳥肌が立ちそうです。。

Robert Plantさんの新しい歌は お名前見ないで聴いたら プラントさんだと誰も思わないんではないでしょうか。。 でもプラントさんは今でもヴォーカリストとして進化し続けているんだな、、と実感できる素晴らしい歌声。。 ギターのクリアな音色も素敵。

Doyle Bramhall II のこの歌はとにかく演奏が好き。。 こんなに贅沢に美しいギターを重ね合わせて、 キーボードもどのパートもどれもが必要不可欠で。。 ドイルが丁寧に作ったアルバムの音は、 シェリル・クロウさんとのアルバムもそうでしたが ほんと美しいです。

 ***

 

雨の季節も  かき霧らす雨の降る夜も、、


6月が 心地好い月になりますよう…



お健やかに…