星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

そんな春に…

2022-01-29 | …まつわる日もいろいろ
昨日 クリニックで3回目のワクチンの予約してきました。

来月中旬、ということで 「あれ? 2回目から7カ月後では?」と尋ねたら、 急遽 区からの連絡で6カ月経過したら予約受けて良い、と。。 前倒し急いでますね、、 進んでないと政府も叩かれてましたから。。

オミクロンの重症度から考えて、 ワクチン要らないんじゃ? と感じる方も多いみたいです。 確かに… インフルエンザ程度の寝込み方で4,5日耐えれば、、 と考えたら、 ワクチンの副反応で寝込み、 さらにブレイクスルーで寝込み、、 という可能性もあるし。。 それなら意味無いと思うのもわからないではないです。。

人それぞれが判断するしかないですよね。。
でも、 ワクチンで抗体が増えるのは確認済みだし、 いろいろ疾患を持っている人間がそれで多少でも不安を少なくして日常生活が送れるなら、、 と 私の判断はそういうこと。

オミクロン株、 怖くはない。 とはいえ、 例えば何か病気の治療中とか 入院療養とか手術とか なさる方にとっては、 たとえ風邪であれ何であれ 感染症を併発するのは危険なことばかり、、 絶対避けたほうがいいです。。 世の中にはいろんなひとが いろんな状況のもとにいる、、 だからこそ健康な人が率先して 罹らない 発症しない うつさない 行動をしないとね。。


 ***

話変わって、、 いろんなところで話題になっていましたが、、

ヨージ・ヤマモトさんの2022年秋冬メンズコレクション、、 素敵な俳優さんたちがランウェイを歩かれたショー。。 も~う 私も見てドキドキしてしまいました、 松重さんも 伊原さんも トオル君も 気が遠くなるほどに素敵でした。 加藤雅也さんがカッコイイのは元からですけど、、 50台越えの俳優さん達の着こなしと気品とエレガンス。

今回のコレクションは 19世紀初めのヨーロッパの男性の着こなしから着想を得て、、ということだそうですが、 バイロン卿から P.B.シェリーや、 ロマン派の音楽家や文学者の肖像と、 松重さんらの俳優さん達の着こなしがかぶります。。 ほんとうに素敵。。

伊原さんがお召しになっていた丈の長い柄シャツなども素敵ですし、、 ポーランドの画家 ズジスワフ・ベクシンスキーの絵画をプリントしたというお洋服も、、 いいなぁ。。 カッコいいなぁ。。

https://www.fashion-press.net/news/83280


 ***

まだまだ寒い毎日ですけれど、 春はすぐそこに。。


先日、、 クローゼットを見廻して、 ずっと着ていないワンピースとか この年齢で着なくていつ着るの? もう後が無いじゃない? と思って お洗濯しなおして 春の為に用意しました。。 ワクチン打って、 また抗体価が上がったら、 お洒落して出掛けたいな。。


ヨージ・ヤマモトのお洋服が似合う素敵な人と… (というのは想像力の産物♡)



そんな春を願って。。


友情と情熱と挫折と…:『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』カウテル・アディミ著

2022-01-26 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)



『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』カウテル・アディミ著 平田紀之訳 作品社 2019年

1936年 フランス統治下のアルジェリアで 21歳の若さで《真の富》という名の書店 兼 貸本屋 兼 出版社を立ち上げ、 アルベール・カミュら アルジェの若き作家たちの作品を出版した実在の人物 エドモン・シャルロの半生を描いた小説。 

まずは 作品社さんの内容紹介をみていただくのが一番かと…(作品社>>
こちらに当時のシャルロの日記の一部が載っていますが、 書店を立ち上げようと決意して それをお父さんに話すところから始まって、 開店の準備のようす、 そして街の文学青年らとの交流、、 その中にはアルベール・カミュもいて、、 やがてカミュが持ってきた原稿に感激してこれを出版するんだ!と勢いづく。 そんなシャルロの情熱が日記の端々から じつに生き生きと伝わってきます。

このシャルロの日記の部分を読んでいるだけでも胸が熱くなってくるのですが、 この日記は現存せず、著者の創作だと知って驚きました、あまりにリアルだったので。。 丁寧な調査の上、 さまざまな関係者の証言や資料にもとづいて創作されたものだそうで、 だからこの本はルポルタージュではなく、小説なのです。

物語はこのシャルロの日記と並行して、 時代は現代、、 本には関心のない20歳の大学生リャドが 今はもう閉鎖されている《真の富》書店の《あとしまつ》を依頼されてここを訪れ、 かつてを知る老人らと交流しながら この《真の富》という場所がどのような場所で、 アルジェリアの複雑な歴史のなかでいかに翻弄されたかを知っていく、 という構成になっています。

この過去をなにも知らない大学生リャドの視点があるので、 アルジェリアのことを何も知らない私でも リャドと一緒にこの書店の歴史、 1930年代から大戦を経て、 フランス植民地時代から独立への変遷、 その後の政情など、、 読みながらだんだんとつかむことが出来ました。

ネタバレになってしまいますが、 シャルロの興した《真の富》書店は、 物資の乏しい大戦中もなんとか出版をつづけ、 大戦後はパリにも拠点をつくり多くの本を世に出すほど大きくなりますが、、 アルジェリア独立運動がはじまると国内はテロの頻発する内戦状態に陥ってしまう。。 その中で 書店と出版と文学を守り続けようとするシャルロ。。

読みながら、 いろんなことを想いました。
政治的な統制によって出版や新聞の言論人が拘束されていくような 昨今のニュースで見聞きしたこと。。 文学や本を読むことを許さない宗教のこと。。

、、 アルジェのこととは関係ないけれど、 ネット社会になって人々が街の本屋さんに行かずに 次々に書店が無くなっていくこと。。 財政難で図書館すら閉鎖されていく地方都市。。
さらには、、 今のこのコロナ禍の、 人と人が集まることが出来なくなった世の中で、 いろんな施設 ホールや映画館やライブハウスやコンサートホールや どんどん閉鎖に追い込まれている今の世の中、、 そうした暮らしのなかで育っていく若者、、 この本のシャルロやカミュと同じ20歳そこそこで 配信されるものだけと対面している《個》の生活のこと。。


 開店以来、大勢のお客さんが《真の富》に押しかけ、本を買ったり借りたりする。客たちはけっして急いでおらず、あらゆることについておしゃべりしたがる。

 
 ***

 『結婚』という美しい表題のついたカミュの原稿を読む。ここには人がアルジェリアで体験することのすべてがある。すごく感動し、興奮した。


 作品社さんの内容紹介のページでも引用されている部分です。 『結婚』というカミュの作品を知らなかったので こんなに感動している作品をぜひとも読んでみたくなって検索しました。


『カミュ著作集5 結婚・シジフォスの神話』 窪田啓作・矢内原伊作・訳 新潮社 1963年
 (ほかに 『カミュ全集1  アストゥリアスの反乱 ; 裏と表 ; 結婚  大久保輝臣, 高畠正明, 滝田文彦訳 新潮社 1972年 など。 新訳文庫で出て欲しいな)


『結婚』というのは 人間の結婚式の結婚、という意味ではありませんでした。 このカミュの作品は、、 端的にいえば 紀行エッセイと言ったらいいのでしょうか、、 これを書いたカミュは23、4歳の青年。 結婚とは、 自然と生命との調和のこと。。 大地や海や植物ら命あふれるものと そのなかで命の歓びを感じずにはいられない《生への賛歌》

カミュの作品、 特に『ペスト』や 『シーシュポスの神話』などには、 なんというか 生への強い信頼 というか ポジティヴィティを感じるのですが、、 この『結婚』のなかでも若きカミュが目にするアルジェリアの自然への賛歌と自分の想いを語る文章には ものすごい熱量がたぎっていて、 まさにシャルロが 「すごく感動し、興奮した」 と感じたのも納得、、 というものでした。

 
  海、野、沈黙、この大地の香気、匂いある生命に、わたくしは満ちみちた。 この世の既に金に色づいた果実にかぶりつき、その甘く強烈な液が唇をながれるのを感じて、戦いた。 否、大切なものは、このわたくしでもなく、この世界でもない。 大切なものは、ただ調和であり、沈黙であり、それは世界からわたくしへと向う愛を生み出すものだ。
     (「チパサの婚礼」より 窪田啓作・訳)

この情熱に満ちたカミュと 本を出し、本を広めることへの熱意でいっぱいのシャルロとが出会い、 語り合う様子が、 カミュの作品と 『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』の両方を並行して読むことで、 じつに生き生きとした実感をもって、 両方を読むことができました。

 
 ***


文学であれ、、 なんであれ、、 人と人が出会って、 自分が感動したものを 世の中のひとに広めたいと願う情熱、、 そうして行動する力、、 

感動をおぼえると同時に、 成功して規模が大きくなると共に発生する 人と人のあいだの亀裂や、 よそからの妨害や、、 うまくいかないなぁ… と悲しく思う部分もあり、、

それでも シャルロやカミュがこの世界に遺したものの価値は なにがあろうと減じることはないんだ、、と思うと すこし救われる思いも。。


先ほど引用した 「チバサの婚礼」の場所 チパサ=アルジェリアのティパサ には、 カミュの碑が建てられているそうです。 

(ワシントンポストの記事 ティバサの写真など>>washingtonpost.com In the footsteps of Camus: Looking for traces of Algeria’s estranged son

それから、、 大戦中のシャルロの記述には、 『星の王子さま』を出版したばかりのサン=テグジュペリとの交流なども出てきて、、 シャルロという実在の出版人のことを知ってからまた 『星の王子さま』や カミュの『ペスト』を読むと、 さらにまた人と人とのつながりのリアルさを 深く感じることになるような気がするな。。 


いつかまた 再読しよう。。

 


15年… そして16年目の夜明け

2022-01-24 | …まつわる日もいろいろ
きょうは わたくしごとのささやかな記念日。


たまたま今日が心臓の超音波検査日になっていて、 朝 用意をしながら (あ、そういえば 術後ジャスト15年なんだ今日…) と思っていました。

それ以外はなんにも変わらない日。 いつもとおんなじ日。





今日こそはこれを見るんだ。 と心に決めて、、 いたわけではないけれど、 見るなら今日が良いよね、、 うん、そうだ、今日だ。。 と思って 検査から帰ったあと初めて封を開けました。 (… 遅くなってゴメンナサイ)


この場所で この光景を見ていたときの気持ちは一生わすれない。。 忘れてない。。
どんな忘却の注射器でさえ この時の記憶を私から奪うことはできないよ… 

、、15年前 オペ室に行く前にも聴いていたね。 あのときは、、 白いシャツとレスポールとピックスクラッチ…

10年後にはこの場所(この映像の中)にいた。
 、、ずっとずっと観たいと思っていたけど、 感極まってどうかなっちゃうのはわかっていたし、、
もう一度 この光景を目にしたら、 スパイ映画のテープみたいに 煙とともに消えちゃうんじゃないかと、、 夢だったんじゃないかと、、。 そんな馬鹿な、、 ってわかっているけど、、。。



やっと見れた。


あの日もボロ泣きだったね。。 やっぱり今日もボロボロ。。 でも心臓は止まらなかったよ。。



 ***


十代には決して戻れないように、、 鳥が後ろへ羽ばたけないように、、 わたしたちは前へすすむだけ。。

このすばらしい日からも時は流れているんだと知る…


 

いま 世界を苦しめているもの、、 いまあなたを苦しめているもの、、 わたしを苦しめているもの、、 私たちを苦しめているもの、、

時に逆らうことでどうにかなるものならば、、? 
、、わかってる、、 やっぱり前へ前へと歩きながら どうにかできることを 自分にできることを。。 
一歩。 一歩。



15周年のお祝いはまだしないんだ。。 来月になって、 そうね、、 バレンタインデーになる頃に お祝いができたらいいな。。


きょうはここまで。  disc 1...





プロムナード・デ・ザングレが結ぶ…:パトリック・モディアノからオールコットへ

2022-01-21 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
昨12月に パトリック・モディアノさんの著書を 別々のかたの翻訳でいくつかまとめて読んでみようか… と書いてその後…

この新年にかけて さらに2冊、 読みました。


『八月の日曜日』 堀江敏幸・訳 水声社 2003年
『暗いブティック通り』 平岡篤頼・訳 白水社 2005年



パトリック・モディアノさんの追憶の物語、、 記憶をたどる物語、、 それはどの作品にも共通するもので、 それぞれの作品について感想を細かく書く必要は無いように思います。
私たちは読むあいだ 失われた過去の時間へ共にさかのぼりながら、 彼らにいったい何が起きたのか、 彼らと彼らをめぐる人々はいったい何者か、 彼は(彼女は)どこへ消えたのか、、 甘美な眩暈を覚えつつページをめくり、 同じ胸の痛みを味わい、、 そうして 読み終えた時には 長い夢から目覚めたばかりのように放心して、、 結局 謎は謎のまま 私たちは置き去りにされたことに気づくのです。。 狡い作家さんですね… 笑

語り手はつねに追跡者であると同時に 記憶のなかの彼らは つねに逃亡者でもある。。 何から…? 誰から…?

『八月の日曜日』の主人公ジャンは恋人のシルヴィアを連れて逃げてきた。 ふたりで暮らせる 安らぎの地を求めて。。 彼女が胸にさげている「南十字星」という名の大きなダイアモンドとともに。

彼らが誰で、 何故、 どこから、 どうして、、 何処へ、、 なにもわからないまま読み進めるのだけれど、 彼女が肌身離さない「南十字星」の名を持つダイアモンドというだけで どこか不穏な匂いがする。。 
物語の舞台は南仏ニースの海岸。 地中海の陽光にあふれ、 街はエトランジェで賑わい、 つねに非日常の喧騒に包まれている、、 にもかかわらず、 思い出のなかの彼らはまるでフィルム・ノワールの世界にいるみたいな影につつまれている。。 眩し過ぎる海をフィルムに撮った時みたいなモノクロームの世界に。。

甘美でミステリアスな 美しい物語でした。 「南十字星」と、 物語の舞台についての 訳者・堀江敏幸さんの解説がたいへん参考になりました。

 ***

『八月の日曜日』のなかで 何度となく登場するのが、 ニースの海岸をめぐる「プロムナード・デ・ザングレ」という通り。 英国人の散歩道、 という意味なのだそうです。 

青い地中海をのぞむ 椰子の並木、、 通りを行く者はみなエトランジェ。 雑踏のなかにまぎれていこうとする逃亡者、、 雑踏のなかに目を凝らす追跡者、、

そのような、、 運命の交錯する場所でもある 「プロムナード・デ・ザングレ」の描写を読みながら、、 記憶のどこかが何かを呼び覚ましていました、、 そういえば…

、、 このブログにも何度か ルイザ・メイ・オルコットがヨーロッパ旅行をしたことについて触れましたが、、 オルコットもこの《イギリス人の散歩道》についてなにか書いていなかった…?


 ニースは気候がよくて海が美しくてとても快適。 …(略)…
 わたしは毎日湾岸沿いの広くて曲がりくねったプロムナードを馬車で楽しくドライブした。片側にはホテルやペンショ.ンが建ち並び、反対側には花の咲きみだれる遊歩道があって、派手な馬車や人の姿がいつも見られる。興味をそそられるすてきな品物のあふれる店、絵のような城、丘に聳え立つ塔や城壁、三日月形の湾の先端の灯台、海に浮かぶ小舟やわが国の艦隊、庭園、オリーブやオレンジの木々、この国では珍しくないけれど、ちょっと変わったサボテンやヤシ、修道士、司祭、兵士、農民など。

         (『ルイザ・メイ・オールコットの日記』 1865年11月の日記より)


パトリック・モディアノの物語より120年前の「プロムナード・デ・ザングレ」の風景。

そして、 ルイザもまた、 このニースを舞台に 逃亡者と追跡者の物語を書いていたのでした。
オールコットはこのヨーロッパの旅から帰国後、 家計を助けるために物語をせっせと書いては新聞社や出版社へ送ります。 そのなかには『若草物語』のような少女小説とは似ても似つかない、 (でも本当はルイザ自身はとっても書きたかった) スリルとサスペンスの冒険ロマンス小説もありました。

邦訳では 『愛の果ての物語』という題がついていますが、 原題は A Long Fatal Love Chase 
恋愛小説でありながら 今で言うならモラハラ夫から逃れて逃走と追跡のピカレスクロマン。。 捕まっては閉じこめられ、 また逃亡して、 舞台も英国、 フランス、 船でさかのぼってドイツまで、、 (だったかな?) 読んだのがかなり昔だったので忘れてしまいましたが、 今 オルコットの日記のニースの部分を抜き出して気づきました。 まさにこのプロムナードを馬車で疾走して追手(夫)から逃れるという場面もあったっけ…(記憶違いでなければ…)

「聳え立つ塔」も「城壁」も、 「修道士」も「司祭」も、、 そういえば重要な役どころで登場していました。。 ルイザがヨーロッパの旅で見たもの、体験したこと、、 それをいっぱいに盛り込んで、 思い切り楽しんで書いたのでしょうね、、 でもこの作品は《刺激が強すぎる》としてお蔵入りになってしまい、 図書館に埋蔵された原稿をもとに出版されたのは 1995年になってからでした。。


パトリック・モディアノさんの記憶の物語から ルイザ・メイ・オールコットの Love Chase の物語へ、、 連想が飛躍してしまいましたが、、 ヨーロッパの古今の風景を思い浮かべながら 『愛の果ての物語』をまたいつか読み返してみたいと思います。


モディアノ作品の読書はこれでひとまず区切り。。 せつない記憶に翻弄されるのはそろそろにして… (笑) …

いまは カミュを読んでいます。


 ***


このところ、、 夜明けの空に 美しい明星の輝きが…



昨日の朝6時ごろの風景


大寒も過ぎ、 夜明けが少しずつ早くなっていきます。 



春も少しずつ近づいてくるのですね。



よい週末を。

Hummingbird in My Heart...

2022-01-18 | …まつわる日もいろいろ
12月、、 クリスマスのリースに… と写真を載せました サルトリイバラのリース


新年になって、、 なんとなくお正月らしいアレンジで飾っていたのですが





このあとどうしようか… となやみまして、、



こんなふうに してみました。。


 ***





ハミングバードの愛の巣に…



サルトリイバラの花言葉は 「不屈の精神」 「元気になる」とのことでしたね。。(花ではないけど 赤い実でもいい?)


hummingbird (ハチドリ)は ネイティブアメリカンの人々のあいだでは、 幸せを運ぶメッセンジャー…  光をもたらす導き手とか…


Gibson Hummingbird という美しいギターもありますし。。





赤い実と青い鳥に願いをこめて…




from my heart ...



吉井和哉 THE SILENT VISION TOUR 2021-22 TOKYO DOME CITY HALL

2022-01-17 | LIVEにまつわるあれこれ
先週のおでかけから今日で3日、、 体調は全く問題ナシ。 
オミクロン株の潜伏期間は3日程度? 今週は外出予定も入れていないし、 検査キットも用意してあるし、 それも使うことなくこのまま元気に乗り切るでしょう。。 ちゃんと行く前にアメリカの情報とかも読んで 自分なりにオミクロンに勝てるかどうかも判断して決めたのよ。。

 ***


今月末に楽しみにしていたヴァイオリニストさんの来日中止のお知らせがきました。 来月行きたいと思っていたピアニストさんの公演も、 別の方が演奏することになりました。 できれば今月いっぱいくらいは感染が抑えられるのでは…と期待もしていたけれど、、、仕方ない、ね、、

、、 この2年間を経て、 今までとは考え方を変えよう、と思うようになったんです。 何年か前の新年に書いたように たくさんのコンサートの予定を楽しみにして、 それをモチベーションに元気でいられるよう頑張ろう、と そう思うことも励みにはなるけれど、 今は予定が予定通りに行くことのほうが稀なほどの世の中です。 その度に落ち込んでいたら心が折れてしまう…

念願通りのコンサートがもし見られたら、 それは本当に幸せなこと。 だから胸いっぱいに満喫しよう。。 もし日程が変更になっても、 演者さんが変更されたとしても、 そこに参加できるのならそれも幸せと満喫しよう。。 予定が変わって 自分の都合や体調が合わなくなったら、 それはお休みしなさいという思し召しと納得する。。 双六のように「一回やすみ」、、 次の機会を楽しみに…

コロナの要因ばかりではないですね、、 この週末にも突然の津波警報が出たり、 そのことで鉄道が止まったり、 明日なにが起こるかなんて何も予想が出来ない。 このところの気候変動も考えたら、 豪雨災害や台風や、 予測のつかないことばかり。。

だから、 物事を一度限りのチャンスととらえるのでなく、 自分との貴重なめぐりあわせと思うようにしたい、、。 時と時が出会って、 場所と場所が一致して、、 そして出会えるめぐりあわせ。。

 ***


先週金曜日 吉井和哉さんの TOKYO DOME CITY HALL 。  幸せだった~~。 ほんとうに楽しかった~。

もう何年前になるだろう… ジョン・メイヤーさんのLIVEで 当時はJCBホールと言ってたこのホールがすごく気に入って、、 それで、 いつかこんな場所で吉井さんのライブを観てみたい、、とずっと思ってた。。 2017年の Celebrating David Bowie Japan に吉井さんが参加されて、 ますますその想いは強くなって、、 

願いがひとつ叶いました。。 やっぱりこのホールのLIVE、 楽しかった。

私ひとりの想い込みじゃなく、 誰もが楽しんでいて 誰もがすごく間近にメンバーを感じられる とっても親密な 一体化した良い空間、 素敵な歌の場になっていたらいいな。。 そう吉井さんも思ってくれていたらいいなぁ。。 そうだったらいいなぁ。。 
、、これから後のツアーは延期になってしまったけれど、、 あの素敵な時間が いつかまた 待ち望んでいる人たちの元へ届けられるなら、 すごく良いLIVEになるだろうから。。


メンバーの方々も素晴らしい演奏をしていて、 吉井さんの正面モニターのあたりに バックの様子が見えるように三面鏡みたいなのを置いてあげたいくらい、、 私たちが見ているメンバー全体の様子 ぜんぶをそのまま一緒に見せてあげたいと思いました。 吉井さんの歌声と一体化した渾身の演奏には泣いてしまったし、、 インストゥルメンタルでやった間奏曲も メンバー全員のプレイが素晴らしくて鳥肌でした。。 書きたいことはいっぱいあるんだけど…

ZEPP TOKYO で初めて生で聴くことができた「みらいのうた」、、 この曲のベースラインと、 後半にむけて変化していくドラムスが大好きで、、 レコーディングメンバーの演奏も素晴らしいんですが、 これをナボリタンズが奏でるのをずーっと楽しみにしていたのです。 あのZEPPで聴いた「みらいのうた」も忘れられない、、


、、長い期間 通院以外にはお家をでることもなかった私には THE SILENT VISION TOUR  というから おとなしく座って見るライヴかと思いきや それこそドS過ぎるセットリストで 11月のZEPPの帰り道はよろよろでしたが、 もう一度ZEPPで見たかったZEPPらしいリストだったし、、 今回はずっとずっとあのまま楽しく踊っていたかった。 楽しくて、 幸せで、、

この幸せをありがとう。。 あのライブ会場の空間で味わえる喜びは リモートでは決して味わえないものです。


 ***


先日の日記で、、 あのままコロナ禍が続いていたら 音楽とは縁を切った生活を選んでいただろう、、と書いてしまったけれど、、 それは 自分が日常をつづけていくために自分を守ることが必要だったという意味と同時に、、 自分の大好きな人 自分のたいせつな人がもしも万が一、 コロナに苦しむようなことがあったら… と、 その不安に圧し潰されそうになるのが耐えられなかったというのも、、

人工心肺や人工呼吸器を体験している身としては、 もしも誰かがそんな目に遭ったら回復しても必ず肺に大きなダメージが残る。 誰にもそんな目に遭って欲しくない、、 自分の家族はもちろん、、 ライブをする側の人も、 参加する人も。。 ぜったいにコロナなんかに罹っては駄目。  デルタ株が猛威を振るっていた頃は その思いが強すぎて、 とてもライブのことを考えることは出来なかった。。 


でも、 きちんと情報を確かめて きちんと自分の身体を見極めて、 そのうえで自分で判断が出来れば、 必ずまたこうやって幸せな時間を取り戻すことができる。。 今の世の中、 一瞬で状況は変わっていくから、、 そのとき、 そのときで 最善と思える決断をすること…  それしかない…


怖れず、、 勇気をもって


自分をたいせつに…




それがきっと 最良の選択なんだと思う。







今回 TOKYO DOME CITY HALL  に参加できて、、 また あたらしい願い事がうまれました。。 いつの日か こういうLIVEを見てみたいという願い事。。




どんなLIVEかは、、 それは いまは内緒、、




いつか 叶え…



みらいのゆめ


Pick up my guitar and play...

2022-01-15 | MUSICにまつわるあれこれ
心地良い疲れのなか
「無法の世界」を聴いてたらお知らせが来た…


Pick up my guitar and play
Just like yesterday

いそがないで






待っていよう


every one day



ほんとにありがとう


記憶をたどる…  いまを尋ぬ…

2022-01-12 | MUSICにまつわるあれこれ
年末から、 記憶をたどる物語をいくつか続けて読んでいたり、 新年のお便りとともに 思い出のあれやこれやが蘇ったり、、 ことに一月という月は日々の目まぐるしさの中にあって、 過去や今やこれからを想う、、 なんだか心さだまらない時間がつづいています。。


昨日思ったこと、、
、、記憶って、、 忘れたいと思わなくても、 考えないでいようとして考えないと、 記憶って無くなってしまうんだな… と。 記憶が失われてしまうんじゃなくて、 いつのまにか 木の葉が湖に沈んでしまうみたいに どこか底のほうへ見えなくなってしまうんだな、、と。

左サイドバーにあげた音楽を昨日みていて、、 そしたら関連動画に見たことのない THE YELLOW MONKEY のLIVEが載っていて、、 2019年の年末の名古屋ドーム、、 その公演があったことも全然記憶に無くて、、 映像見ながら なんで名古屋なんだろう… とか、、 なんで30周年てLOVINは言ってるんだろう… とか、、 なんか浦島太郎状態の自分がヘンで、、

私、 その頃なにしてたんだろう… って 当時のtwitter やLINEを見返したりして、、 そしたら、 30周年のドームツアー、、 全部行くつもりでお友だちとチケット取って分配して、、宿泊のホテルとか 新幹線とか考えて、、   それらのことがまったく記憶に無い。。 ほんと記憶喪失? ってくらいに忘れてる。。 
年末の名古屋は自分の体調不良で諦めたのでしたが、 年が明けたら 今度はコロナ騒ぎが始まって、、 自分も3月から入院したりして、、 要は全ての公演キャンセルして。。 その頃の記憶がぜんぶ吹っ飛んでる。。 5月に全身麻酔の手術したから記憶がふっとんだのかな…? それもあるのかもしれないけど。。

でも、、 2020からは、 感染の拡がる状況のなかで コンサートの事を考えるのがつらくて、 極力考えないようにしていて、 たしか東京ドーム公演が延期になったことまでは覚えてるけど、 その後の公演がいつ行われたのか、、 いろんなお知らせとか来てもまったく見ないでいたから そのあとのことは今でも知らない。。

去年、、 オリンピックが行われて、、 自分の住んでる街で、、 此処から多分ほんのちょっとの場所でも競技が行われていたんだろうけど、 一体 何処の国の話? どこの世界の出来事? ってくらい自分の日常とTVのなかの出来事が繋がらなかった。。 それと似ている。


本当に、、 あのままの状態が続いていたら、、 自分は音楽とは縁を切った生活を選んでいたんだろうな と思う。 自分の暮らす惑星には ライブとかコンサートが存在しないかのように。。 そう思うことにして。。 記憶を消して。。
ラジオから流れる ただのBGMだけが暮らしの中の音楽で。。


考えると、、 怖い。。 ひとりの自分の 同一の心なのに。。 好みが変わったとか、 嫌いになった、、という事とはまったく違うのに。。 

 ***


世の中が元通りになったとは まだまだ ぜんぜん言えないよね。。

、、 いろんな家族構成のひとがいて、 いろんな職業のひとがいて、、 感染者が少し減ったりワクチンが行き渡ったりしてきても、 万が一のリスクがある限り、人と集まる場所や県外へ出ることを今なお控えなくてはならない人がまだまだいっぱいいる。 すごくすごくすごくつらいだろうな、と思う。。 大好きなこと我慢して、、 あんなに あんなに好きなのに。。


、、 好きなことを好きと思えること。 好きなものに手をのばせる自由。。 はやく それが戻って来て欲しい。。


大好きなもの、、 手放してしまう前に、、
  

 ***


新年最初のサイドバーの音楽は、、 いまの私が聴いて心地良くなれるものを選びました。 ならべて聴き直してみて どの人もとっても声が好き、、 声が聴けることで幸せになれる人 かな。


Phosphorescent - Song For Zula (BBC Radio Performance 2013)
このバンドの新しい音が聴きたいのですが まだなんにもなし。 BBCセッションズの音源が新しく出ていました。 時が経っても、 何度聴いてもこの歌は名曲。 胸がしめつけられる、、それはつらさじゃなくて 心のなかにある愛の熾火のようなもの。。 

Murray Head - Say It Ain't So Joe (Live)
たまたまみつけたマレー・ヘッドさんの新しいライブ映像(美しいロケーションですね)。
マレー・ヘッドさんについては過去に一度書きました(>>) 現在75歳の歌声! すばらしいですね。 70年代のジーザスクライストスーパースターの頃もものすごく歌のうまい 驚くような声を持ったシンガーでしたが今このキーで歌っていらっしゃるの凄いです。
マレー・ヘッドさんのこのチャンネルに かつての名盤をリマスターした音源がUPされているので是非。

Susanna Hoffs – Name of the Game (feat. Aimee Mann)
この曲は去年から挙げてますが、 原曲のバッドフィンガーのも素敵だけど、 この女性二人のコラボレーションは声の対比が本当素敵。 スザンナの甘い舌足らずな歌声のあと、 エイミーのクールビューティーな歌声がきこえてくると 唸ってしまう。 エイミー・マンの声はほんとスペシャルですね。
ふたりのかつてのパンキッシュな時代を覗わせる映像もキュン♡

Alesso & Marshmello - Chasing Stars ft. James Bay (Official Video)
ジェイムス・ベイさんも前にも載せたかな。。 彼の声も大好きです。 ギターを爪弾くブルースも素敵だし、 この曲の歌詞も好き。 何を歌わせても素敵な人だわ。

Spiritualized - Crazy (Official Music Video)
スピは新しいアルバムが出るそうです。 こんな時代 こんな世界だからこそ、の歌。 
ジェイソンと一緒に歌っているのは もしかして娘さんの声かな?

MEDUZA - Tell It To My Heart (Matador Remix / Visualiser) ft. Hozier
上のジェイムス・ベイさんも こちらのホージアも、 最近はこうしたブルース×エレクトロみたいな 異色の分野のコラボが人気なのかも。。 MEDUZAはイタリアのエレクトロミュージックの方だそうです。

Franz Ferdinand - Billy Goodbye (Official Video)
ひさびさに聴きましたフランツフェルディナンド。 こういうグラムなブギーを今やってカッコ良く聞こえるのも彼らだからこそ、ね。 アレックスももう49歳だそうですが ずっとお洒落でカッコいいね、君は。

吉井和哉 - "VS" from 2014.12.28「YOSHII KAZUYA SUPER LIVE 2014 ~此コガ原点!!~」
年末にはほかの曲を載せていたので 今の私の気分として それと上の方たちとの異色コラボとして ヴァーサス《VS》を。 日下部バーニーさんのギターの音色がいいわぁ。 今月の吉井さんのライブが成功完遂しますように。。

THE YELLOW MONKEY - ALRIGHT -Nagoya Dome, 2019.12.28-
上に書いたように この日から後のモンキーさんのことは 今の私にはどこか遠い世界のことのよう。。 自分にとっては19年の秋の GRATEFUL SPOONFUL TOUR のまま、、 時が止まっているんだけど、、 
いつかまたモンキーのライブを見る日が来るんだろうか… その場所に わたし行けるんだろうか…

David Bowie - Life On Mars? (Live at the Elysée Montmartre, 1999) [Official Video]
2016年の1月8日から、、 そして1月10日から、、 今年で6年になります。 あれから、、 1月のこのときが、、 さらに、、 さらに、、 心ゆれる時間になりました。
あなたの素晴らしい歌声を もっと もっと 聴いていたかった。


 ***


今年の1月は 私にとってもとても大事な とても貴重な月になります。



あたらしい命をいただいて15年。  あたらしい旅、、 命の新しい挑戦をつづけてこられた15年間。


それは、、 想像以上 だったね。。 たいへんだったけれど、 想像以上に遠いところまで来れた旅でした。 こんなにも元気に、 いまも元気に、、 



もうちょっと経ったら 執刀医のボス先生にお手紙を書かなきゃ…




生きてるって すごいことね。。



コロナの世の中だって、、 もっと もっと 楽しく生きてみせるよ。。







2022 あけましておめでとうございます

2022-01-04 | …まつわる日もいろいろ



2022年 新しい年はじまりました。

三が日、 駅伝の順位に一喜一憂しながら 小料理屋のおかみ気分を味わう いつもとまったく変わらないお正月。 ステイホームの食卓にはコロナも入る余地はありません。 感染症との暮らしも3年目ですね。。 気にしつつ気にせず、、 背筋のばして愉しんで生きましょう。







今年は 折敷をつかって小料理屋のカウンター風に。。 
日本酒のおともを次から次へとお出しする女将、、笑。  大好きな大原千鶴さんのように きゃっきゃと笑いながら明るく手早く 美味しい《アテ》がつくれるようになりたいな、、




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話変わって、、
就寝中の半覚醒時に なんだか頭の中でいろいろと物事をかんがえたり、 文章をつくったり、、 ときには作曲などしたり(起きると全く思い出せませんが)、、 そういうヘンな癖があるのですが

年末から年始にかけて半分寝ながら考えていた事、、。 
「意地を張る」とか 「意地になる」ということは、 諦めない為やただ前進する為の推進力にはなるに違いないけれども、 それでは ほんとうに納得のいく到達点にはたどり着けないのかもしれない、、
、、 という なんだか分かったような分からないようなことを考えていました。

人生も半世紀を過ぎ、 お知り合いのなかには役職定年で人生の一区切りを経験された方や、 もうすぐそういう時期を迎えるという方も。。 体力的にも変わらずにいられるわけもなく、、。

そういう年代になって、 意地を張るとか 意地になって何かをやり続けるという気概もたしかに必要かもしれない、、 その一方で 自分のこころ、 自分という存在が 本当にたどり着きたい姿、、 見えているかな…  そこに向かっているのかな… 

そんな無意識下の迷い? 疑問? が、きっと 半覚醒時の頭に浮かんできたのだと思います(笑) ヘンな私。。


でも、、 そんな時。。 新年のウィーンフィルニューイヤーコンサートを観ていた時、、 ピアニストの反田さんが仰った言葉に気づかされました。 反田さんがシュトラウスのポルカをピアノ編曲で独奏されて、 その弾むようなリズムや抑揚を奏でるにあたって 「音の着地点」を探る と仰っていたこと。。
ぽーんと音を出すための意識とは別に、 ひとつの音色が空間に舞い上がって どれくらいの時間 どんな風に響きがひろがって どんな風に着地するか、、 たぶんそういうことを意識する、という意味かと思うのですが、 すごく納得がいきました。  

そう、、 その「音の着地点」が見えたら そこへ向かってどんなふうにアプローチすれば良いかが分かってくるのですね。 弾かない時間にも音楽はある。。


さっきの 意地の話に戻りますが、 何かをやり遂げる力を《意地》とも言えます。 中島敦の「李陵」のなかに こんな一文がありました。

  想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、(しかもこれから死に至るまでの長い間を)平然と笑殺していかせるものが、意地だとすれば、この意地こそは誠に凄じくも壮大なものと言わねばならぬ。

この壮大な力もじつに尊いものです。 それと共に 反田さんの仰る 「音の着地点」を探すこと。。 そこへ意識を向かわせること。。 それが出来たら、、。



大袈裟なことは考えてません、、 日々をがむしゃらに歩むのでなく、、 《着地点》を想っていこう、、と。

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、、 ふと思えば  昨年はおそらく365日、 全制覇で珈琲を淹れつづけた気がします。。

旅先の喫茶店や 湯治場の温泉で淹れてもらった珈琲も飲みたいな~ とも思いますが、 毎日 毎朝 ちゃんと珈琲が美味しく飲めたこと、、 珈琲を淹れるひとときがあること、、 それは素敵なことと言えますね。


今年はどんな年になるでしょう…



思い描く 着地点は どんなですか……?


その場所へ …