星のひとかけ

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読まれなかった手紙がもたらす未来…:『四人の交差点』トンミ・キンヌネン著/『オルガ』ベルンハルト・シュリンク著

2021-03-30 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
手紙、が物語のなかで重要な役割をする小説をつづけて読みました。 


『四人の交差点』トンミ・キンヌネン著 古市真由美・訳 新潮クレスト・ブックス 2016年
『オルガ』ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂・訳 新潮クレスト・ブックス 2020年


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『四人の交差点』は、 先月フィンランドのミステリを読み(>>)、 第二次大戦をはさんだフィンランドの歴史(ソ連の侵攻から国を守るため 第二次大戦でドイツ軍と手を組み、結果 敗戦国扱いとなってカレリア地方が戦後ソ連に割譲されたこと)について知ったのをきっかけに、 フィンランドの小説をもっと読んでみたくなって選びました。 

「百年の時間と、ある秘密が織り成す《家》をめぐる物語」 と本の裏表紙に紹介されていたことも選択の理由でした。 先月からの流れで読んで良かった、 上記のソ連侵攻や、 ドイツ軍と共に大戦を戦ったことなども、 物語と深く関係していましたし。。

すばらしい小説だと思いました。 小説として《読む》という楽しみを濃密に感じ、 考えさせられる時間でした。
ひとつの家系の四人の物語、、 助産師のマリア、 その娘のラハヤ、 ラハヤの息子の嫁カーリナ、 それからラハヤの夫オンニ。 この四人それぞれの視点で、 四人の生涯のいろんな時代の生きざまが 鮮烈に、ときに生々しいほどにリアルに描かれます。

四人の断片的なエピソードの連なりであるために、 彼らに何が起こったのか、 この家族がどう暮らしたのかは、 それぞれの物語をすべて読み、 最後のオンニの章を読み終えることでようやくピースが組み合わさって理解できるという複雑な構造を持っています。 そういうミステリーの要素は、 さらにプロローグの1996年の記述と、 最後に付け加えられた同じ1996年《屋根裏》の部分で 読者だけが知る《秘密》の行為が描かれ、 その意味は最終的に読者の手に委ねられることになります。
何度もなんども 本のページを戻って、 四人の行動を行ったり来たりして読みました。

この小説の素晴らしさは、 ひとつひとつのエピソードのリアリティでしょう。 一切説明をせず、 淡々と情景を描写しているのに、 その時代、 その瞬間のマリアや、 ラハヤらの、 生きている熱量の強さ。。 若く、何事も怖れず輝いていた瞬間があり、 悩み、苦しむ出来事がある。 年を重ねる。 家族のかたちが変わる。 若き日には感じることのなかったグロテスクなまでの心の闇がひとつの家族のなかで露呈する瞬間がある。 やがて、 悲しいまでの老いや孤独の時間が訪れる。。 
この家族、 このひとたちが生きた 瞬間 瞬間が 読む者の胸に突き刺さり、 百年の時間の鮮烈な断片を与えられた読者は、 四人の人生の一場面と一場面と対話を重ねるのでしょう。。

《家》をめぐる物語。。 このフィンランドの家族の物語を読み、 なんだか懐かしい想いと共に、 私の記憶しているかつての日本の《家》のあり方と ふしぎなほど似ているように感じました。  家を建てるということ、 家を守ることの社会的な意味、、 暮らしの中で逃れることの出来ない世間的な価値基準。。 家とは自分たちだけのものであるが自分たちだけのものではない。。 それゆえに彼女たちは《立派》であろうとする。。 《家族》であろうと頑張る。 そうしてひずみが生まれ、 悲劇がうまれる。。

、、なんだか、 ひと昔まえ日本の、 家を建てる時に《棟上げ式》をして 近所のひとを集めて《餅まき》をしていた頃を思い出したりしました(そんな場面は無いけど) 、、大きな家を建てることが家族の幸せ、 一家の安泰と信じた時代の…。

きっと、 これから家を持つかもという若い世代のひとが読む場合と、 二世代、 三世代の家族を持った世代が読む場合とでは、 この物語の四人への印象や感想は異なってくるだろうと思います。 助産師として母として誰の助けも借りず強く生きたマリア。 マリアから家を継ぐラハヤ。 子供たちの良き父でありたいと願いながら誰にも言えない秘密に引き裂かれたオンニ。。

最初一読して 女たちの見せる感情の激しさ、 生々しさに圧倒されました。 ラハヤの夫オンニに対する叫び。 姑ラハヤと嫁のカーリナの関係。 夫婦・嫁姑もともと血のつながりの無い者ゆえの隔絶と葛藤。 夫婦になる。 家族になる。 完全なものになりたい、 ひとつの家のなかで他者を他者とあきらめる、割り切ることの出来ない苦闘。。 時にぞっとするほどの激しい言動に奔る彼女たちの熱情は、 《家庭》の姿を守りたいと願う必死の頑張りの裏返しなのだとわかります。 

私には この家の嫁(あえてこの言葉を使いますね)として、 ひとつの家族になろうと闘ったカーリナに胸を打たれました。 ラストに至る16年という時間! (本の中にはまったく書かれていないその長き時間) その時間を経て 「あたしたちふたりとも、ここにいましょう」と言えるカーリナの姿には頭が下がりました。。 とても真似できるものではありません。。

そして物語は最後のオンニの章へ。。
子供たちと過ごす父としてのオンニの姿は暖かく、 美しい場面です。 屋根をつくるオンニが息子たちにかける言葉。 成長して都会へ行った娘とひとときカフェで過ごす姿。。 しかしながらオンニの苦悩は、 この家族のなかではどうすることも出来ないもの。 それ故にオンニの愛がせつない。 オンニもまた、 完全なものを求めたのです。 完全な家、 完全な父、 完全な家族。。 その願いがオンニを圧し潰していく…。


訳者の古市真由美さんのあとがきが 新潮社のサイトに公開されていました(訳者あとがき>>
エンディングの《屋根裏》の秘密について… 私はすこしちがった感想を持ちました。 カーリナはこの本のなかで二つの隠し事をします。 ラストの屋根裏で見つけた《秘密》を、 カーリナは以前に屋外で見つけた《ある物》と結びつけたのではないでしょうか。 そのことによって、 屋根裏での秘密はほんとうの意味ではカーリナに伝わらなかった、、。 カーリナの行為によって(姑ラハヤもある意味守られ)、 オンニがそうありたいと願いつづけた父としての姿も守られたのではないか、と思うのです。 カーリナはこの家の秘密を閉じ込めた代わりに未来へとつなげた。。 オンニの息子ヨハンネスの「勢い込んだ足音」がそのことを物語っているのではないかと…。 


作者のトンミ・キンヌネンさんのインタビュー記事がありました⤵
https://bookshorts.jp/KinnunenTommi

キンヌネンさんのその後の作品がどんなものなのか、 フィンランド語のウィキなどを見ても皆目読めないのが残念だけれど、 この方の作品をもっと読んでみたい。 『四人の交差点』では描かれなかった子供たちの続編、、 ヨハンネスや アンナや ハンナの物語もあったら読んでみたいです。

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『オルガ』
も ふたつの大戦を経て描かれる女性の生涯の物語でした。

たいへんなベストセラー作家であるベルンハルト・シュリンクさんの作品、、 ですが私にはこの物語の率直な感想を書くのがなんだかむずかしいのです。。

三部仕立ての構成。 第一部はオルガの前半生の概観が語られる。 早くに孤児となったオルガの教師への道。 裕福な農場主の息子ヘルベルトとの愛。 ヘルベルトの夢と旅立ち、戦争。 戦火で家を追われ、 病で聴力を失っても、 努力してひたむきに自立した生活を築き上げるオルガ。 想像すればあまりに困難な日々の連続であるにもかかわらず、 とても静かに淡々と物語は進む。

第二部は 聴力を失った晩年のオルガとの交流を、 オルガが働いていた家の息子フェルディナンドが回想して語る。 第三部は すでに壮年となったフェルディナンドが、 かつてオルガがヘルベルトに宛てて出した手紙を探しあて、 その手紙を読むことによってオルガの生涯を再度ふりかえる。 探検に出たまま行方不明となったヘルベルトへのオルガの想い、 そして 誰にも語られなかったオルガの秘密が解き明かされる。

一見、 複雑な構成のようであるけれども、 静かな語り口に導かれるままに読み進めることでオルガの生涯を一緒にたどり、 ヘルベルトとの愛や、 フェルディナンドとの交流や、 最終的に明かされる秘密が、 昔語りのように心に染み渡っていく。 
でも… と、訝る私がいるのです。。 境遇に屈せず自立して生き、 端然と自分を貫いたオルガの生涯は潔く、美しい。 そう思う一方で、 深く語られなかった人物についても余分なことを考えてしまう。。 

若き日のオルガとヘルベルト。。 地に足をつけた生活を築くオルガと、 広大な世界への憧れを語るヘルベルト。。 ふたりの言葉は嚙み合わない。 オルガが言う《広さ》とは人々が暮らしを営む場所であり、 ヘルベルトが夢見る《広さ》はもはや人間のための場ではない。 生への立脚点の違いは、 ヘルベルトが冒険旅行に出て離ればなれでいる間にかぎり、 互いが互いのまま有りの儘でいられる。 
第三部でオルガは、 極地探検に出たまま行方不明のヘルベルトへ宛てて手紙を書きつづけるが、 ヘルベルトの無限への憧れに対して、 オルガは反発したり すぐに後悔して理解を示そうとしたり 文面は揺れ動く。 しかし結局 オルガの立脚地は原点に戻らざるを得ない。 堅実で安全な生活者である自分のもとへ ヘルベルトを引き留めたいと願う、、 それが愛と信じて。。

もうひとつ、、
強大な国、 国家の拡大へと突き進んだドイツをオルガは断罪する。 同様に、 ナチスの党員となったアイク(オルガが教え育てた隣家の子)に対しても オルガは決別を申し出る。  第三部で アイクは自らの子供によっても断罪される。 戦争の罪、 ナチスの罪が断罪されるのは理解ができる。。 けれども、 親を失った子(読んだ人には別の意味も分かるかと)アイクが求めた道を、 少しでも理解しようとオルガはしただろうか。。 ヘルベルトの無限への憧れをオルガは無謀としか理解しなかったと同様、 アイクの強さへの憧れをオルガは拒否した。 戦争が渦巻く世界にあっても堅実な理性を保ち続けたオルガは 国家へのまなざしと同じ理性でアイクを見た。 でもオルガの理性とは 物語の外の作家の理性なのでは? と、余計なことを考えてしまう。。

晩年のオルガと心を通わせ、 オルガの手紙を見つけ出すフェルディナンドが自分のことをこう書いている。
 「ぼくは人や土地に愛着し、長く続くものが好きで、断絶を憎んでいる。安定した人生を生きていたいのだ」
安定した人生。 これはとても象徴的な部分だと思う。 フェルディナンドがそういう安定した人物だったとしても、 なんというあからさまな本人の言葉だろうか。。 ヘルベルトやアイクが求めたものとは対極にある価値観。。 たしかに戦争や権力への欲望は 小さき者の暮らしを踏みにじる。 それはわかる。

この物語はオルガからフェルディナンドへと受け継がれる物語。。 そしてオルガの面影をもつ者へと…。 オルガの面影だけではないはずなのだが……。 
著者はこの対極の位置に 語り手のフェルディナンドという人物を置くことで. なにを言わんとしているのだろう。。 そのことにどこか引っ掛かってしまう私は、 この作品の読み手としては向かないのかもしれないな。。

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このところミステリ作品をずっと続けて読んできたので、 久しぶりにクレストブックスを手にしたことが新鮮でした。 物語とじっくりと対話しながら読む時間。。 このシリーズの本の装丁や手触り、、 読んでいてとても落ち着きます。


今度はどの国の作品を読みましょうか。。



桜の花びらが街を染めています。。


空もほんのり春霞。

本と本屋さんの思い出

2021-03-24 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
ブックデザイナーの平野甲賀さんが亡くなりなったと知りました。


沢木耕太郎さんの『深夜特急』 題字が平野甲賀さん。
J・J氏の御本2冊 『ぼくは散歩と雑学がすき』1970年
 『植草甚一読本』1975年 晶文社


けさ朝刊をみて知ったのですが、その訃報のスペースがあまりにちっちゃくてびっくりしてしまい、、 独特の描き文字で本を彩った平野甲賀さんのブックデザインの業績、 すばらしいのに…… たくさんの本の写真とともに記事が載っていてもおかしくないのに…… となんとなくもやもやしてましたが、 twitter を覗いたら 平野甲賀さんデザインの本がタイムラインにいっぱい並んで みなさん追悼されていました。

平野甲賀さんですぐに思いついた本を書庫から拾ってみました(写真) 沢木耕太郎さんの『深夜特急』はすぐに思い浮かんだのですが、 晶文社の創業時からほとんどの本の装丁を平野さんが手掛けられ、 ロゴマークの犀さんのデザインも平野さんのものだというのは、 きょう初めて知ったところです。 知らなかった…

そこで、 晶文社さんなら、、 と思って J・J氏の御本を引っ張り出してみたら ほんとだ、、 平野甲賀さんの装丁でした。 カッコいいJ・J氏にちなんだカッコいい装丁の本だとは思っていましたが いままで知らなかったです。

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装丁、 ってものすごく大事なもの、というか ものすごく力を持っているものだと思います。。 レコードジャケットに対する思い入れと同じようなもので、 その本のいろんなことを語ってくれているし、 誘ってくれているし、、 そしてまた記憶のなかにその絵柄、 手触り、 時間、、 見た瞬間に思い出の場所へ連れて行ってくれる力も秘めている。。

植草甚一さんの2冊は 故郷の古書店に立ち寄ったとき、 お店のかたが私に薦めてくれました。。 日曜日でした。 やわらかい光がガラス戸から本棚に当たっていました。。 今思えば、 陽射しが本に直接当たっているのは本に良くないように思いますけど、、 でもそんな古本屋さんでした。。

何度もそこへ足を運んでいたので店主さんとは顔見知りでしたが、、 いかにも60年代を通り抜けてきたという感じの店主さんが J・J氏の本を薦めてくれました。 私は植草さんのことも、 ジャズのことも、 ほとんど知らない小娘でしたが、 それから30年くらい経ってだんだんと J・J氏が聴いた音楽や歩いた街のこと、、 少しはわかるようになった気がします。

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本と本屋さんの記憶って、、 不思議とどこの本屋さんでこの本を買ったのか、 本屋さんのどの棚にどんな風に本があって手に取ったのか、、 なぜか位置の映像として記憶に残っていることがあるから不思議です。 すべての本ではないけど、、 でも場所と結びついている本はたくさんある。。

小学生のときから高校生にいたるまで、 よく出かけていた近所の本屋さん。
マンガの棚にはいつも大学生や高校生くらいの男の子が立ち並んでいて、、 でも立ち読みしてると怒られる。 私は一度も怒られたことが無かったけど、 その怒っている様子を常々見ているからおじさんのことがとっても怖かった。。 私はいつもマンガと反対の奥の文庫本の列に一直線に入っていって、 何十分も、 ときには一時間近くもかけて文庫本を選んでた。。 お小遣いが乏しいから、 一冊の文庫本を選ぶのにも時間がかかってしまうの。。 それも立ち読みの一種には違いないはずだけど、 でも一度もおじさんに怒られなかった。

、、 社会人になって 地元に就職してから、、
ある日 その本屋さんの奥さまに話しかけられた。 本屋さんのご主人は身体をこわされて入院されたとのことだった。 なぜか奥さまは私のことも覚えておられ、 私と会った事をご主人にも話したのだろう、、 二度目に会った時、 ご主人も私のことを覚えていて 「子供の頃 よく本を選びに来ていたね」と話したと教えてくれた。 私はおじさんと喋った記憶は一度も無かったのに、 いつまでもいつまでも文庫本の棚で選んでいる子供をきっと記憶しておられたのだと思う。。 
(私は本屋さんではないけれど) 仕事をする立場になってみれば、 そういう子がしょっちゅう来ていれば覚えているものだと思うし。。 どんな本を買ったのかまで きっとおじさんは見ていたんだと思う。。 学校の図書館にはまず置いてないか、 置いてあっても学校では借りたくない本ばかり読んでた気がする。。 あぁ 恥ずかしい。。 でもどんな本を選んでもおじさんは何も言わなかった。


タブレットやスマホでも本は読めるけれど、、 場所と本の記憶、 人と本の記憶、、 そういうものは紙の本にかなうことは無いと思う。。

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桜が満開です。


去年は入院先から一時帰るタクシーの窓から満開の桜を眺めました。。 今年もお花見はできないけれど、、 でも 身体のどこも痛くならずに過ごせているのだから 我が儘は言わない。。



今年も咲いてくれてありがとう。




続編が出ないのがなんとも勿体ない…:『靄の旋律』アルネ・ダール著/『殺人者の顔をした男』マッティ・ロンカ著

2021-03-12 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
地味だけど読み甲斐のある小説。 ミステリ好きの友にお薦めした2冊です。 スウェーデンの警察小説と、 フィンランドの私立探偵ハードボイルド。



『靄の旋律 国家刑事警察 特別捜査班』アルネ・ダール著  ヘレンハルメ美穂・訳 集英社文庫 2012年
『殺人者の顔をした男』マッティ・ロンカ著 古市真由美・訳 集英社文庫 2014年

どちらも本国ではシリーズ化された小説で、 アルネ・ダールの《国家刑事警察 特別捜査班》シリーズは10作品書かれ、TVドラマ化もされているようです。 マッティ・ロンカの《私立探偵 ヴィクトル・カルッパ》のシリーズは7作品書かれ、 TVドラマ化もされ、 シリーズ第三作目の Ystävät kaukana は 北欧ミステリの最高賞ガラスの鍵賞も受賞したそうですが、 残念なことに日本ではこのあとの翻訳が出ていないのです。。。 こんなに年数が空いてしまったらもうムリかなぁ、、 

シリーズ翻訳されていたら おうち時間にじっくり読みたい良作だと思うんです。 ジェットコースター的展開もなく、 名推理の謎解きにワクワクする、という小説でもないけれど、 文章でじんわり登場人物の心のうごきや背景を語っていく、、 こういうミステリ わりと好きです。

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『靄の旋律 国家刑事警察 特別捜査班』アルネ・ダール著

アルネ・ダールは前に載せた(>>) 『時計仕掛けの歪んだ罠』の作者です。 『時計仕掛け~』は本の半分くらいを容疑者取り調べのシーンが占めていて、 とても濃密な文章が印象的でした。 その作者が99年から2008年にかけて出版した警察小説シリーズ。

『靄の旋律』は スウェーデンの国家刑事警察 特別捜査班(リーダーひとりと6人の捜査員から成るチーム)が、 財界の大物の連続殺人事件の犯人を捜し出す、という物語。 

、、正直 スウェーデンの警察小説にまったく馴染みが無いかたは最初しんどいかも。。 北欧の名前、 チーム7人が誰が誰だかわからなくなるし ほかにもいっぱい人が出てくるし、、 そもそも国家刑事警察って何? (現在は組織が統一されたらしいですが、 スウェーデンのミステリには地方警察と、 もっと全国規模の重大事件を扱う国家警察と、 それから公安警察も出てきますね)

スウェーデン経済界の大物がたてつづけに殺されたことを危ぶみ、 各地の警察から選りすぐりのメンバーが招集され特捜部が組織される。 チームが立ち上がったものの、 犯人につながる手がかりは何も無し。。 まずは捜査会議だ、、 事件の裏に何があるのか、、 お前は家族関係、 お前は仕事関係、 お前は裏社会を、 お前は… と分担が決められて捜査が始まる、、 地道な聞き込み、 そして報告、 またまた会議、、、 その繰り返し がじっくり懇切丁寧に描写される。 さすが『時計仕掛け~』で300頁くらいひたすら尋問のシーンに費やした作家さん(笑) でも不思議と読み続けてしまう… 

いちおうポール・イェルムという警部補が主人公なんだけど、 家庭生活の不安も抱え、 本の冒頭ではある事件をきっかけに退職の瀬戸際まで追い込まれたこともあり、 特捜部に昇進しても今ひとつ自信が無い。。 
警察、 という語には 「察」という語がつかわれているように、 犯人像や被害者との接点を 《考察》《洞察》《推察》して捜査に当たるのだけれど、 自分の考えの根拠とは もしかすると《思い込み》《たんなる決めつけ》なんじゃないか、、と不安になってくる… (本文にそういう記述があるわけではないですが そういった不安がそこかしこに描かれるのです)  捜査会議や 地味な聞き込みや、 はたまた家庭の会話や、 そんな描写のなかに 自分が気づかない偏見や差別や性差や人種の問題を匂わせる… 作家さんの巧さです。

6人の捜査員それぞれの個性も丁寧に描かれていて ちゃんとそれぞれの見せ場も用意されていて、、 犯人にはなかなかたどり着けないものの、 刑事さんたちの人間模様が飽きさせません。 コワモテの刑事さんたちも ほぼ日々ハッタリの連続なのだとわかり けっこう泣かせて 笑えて すこしほっこりする。。。 刑事さんのオモテの頑張りと 《内なる声》の落差が読ませどころかな。。

シリーズが読めたらきっと それぞれの個性的な来歴の刑事さんたちの活躍が読めたのに、、 と思います。


前に書いたラーシュ・ケプレルのヨーナ・リンナは(>>) スウェーデン国家警察の警部だけれども、 なぜかフィンランド人でした。 この『靄の旋律』にも ひとり フィンランド人の特捜部メンバーがいて、 スウェーデン社会にフィンランド人の移民が多いということなのか、 スウェーデンとフィンランドは隣国だけど民族や歴史はぜんぜん違うみたいだし、 そういう微妙な軋轢の表現かしら… などと にわかにフィンランドにも興味が湧いて、 それで・・・ ⤵ 

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『殺人者の顔をした男』マッティ・ロンカ著

フィンランドのミステリ小説はわりとめずらしいと思います。 この作品はミステリというか 私立探偵が依頼を受けて調査をしていくうちに なにごとかに巻き込まれていく、 というハードボイルド風の物語。

読み始めてすぐにフィンランドの歴史にぶち当たりました。 主人公のヴィクトルは、 フィンランドと国境を接しているロシア領カレリア共和国からの《帰国移民》。 
、、 わが家の男子に (カレリア共和国って知ってる?)と訊いたら、 (シベリウスにカレリア序曲ってあるよ)と。。 あぁ! そうかシベリウス、、 フィンランディア!

、、思い出しました。 ロシアの圧政に対抗するフィンランド民族の団結の歌、、 中学生のときに合唱で歌いました。 歌詞は忘れていなかったけど、 現代史の中でその意味をあたらめて振り返ってみると 真に迫る。。 あぁ泣きそう…

 オーロラ光る彼方の 真白き山を目指し 雄々しく進む若者 その頬赤く映ゆ 険しき道の彼方に 望みと幸は満つ ♪

カレリア地方というのはフィンランド民族の心の故郷であるそうで、 ソ連の侵攻から国を守るため 第二次大戦でフィンランドはドイツ軍と手を組み、 それで連合軍側に負けて敗戦国扱いとなり、 戦後 カレリア地方がソ連に割譲された、、 と。 (ウィキベディア カレリア>>

話を戻して、、 主人公のヴィクトルは ソ連時代のカレリア出身のフィンランド人。 ソ連崩壊後、 フィンランドの首都ヘルシンキへ《帰国移民》として移住して、 そこで私立探偵として生活している。 探偵業といっても、 ロシア語とフィンランド語ができるから貿易書類を扱ったり、 移民たちの翻訳を助けたり、、 はたまた食べていくためにちょっと怪しげな取り引きも引き受けたりしている。。 ロシアや、 バルト三国のエストニアなどからやってくるヴィクトルの仕事相手たちが みんな怪しげで 危なげで… 

なんだか現代のフィンランドの首都ヘルシンキを読んでいるという感じがしなくて、 なんだか50年代のマフィアとか裏組織の出てくるノワール小説みたいな味わい。。 でも怖い感じはぜんぜん無くて、 主人公ヴィクトルがロシア領の故郷に残してきたお母さんのことを想ったり、 ふるさとを想ったりする描写がとてもとてもノスタルジーに溢れてて、、 さっき カレリア地方はフィンランド人の心の故郷、、 と書きましたが 読む人はきっとヴィクトルの故郷に特別な想いを感じるのでしょう、、

でも、 解説にも書かれていましたが、 帰国移民のヴィクトルの立場は ロシアにいればフィンランド人と差別され、 フィンランドではロシア人と蔑まれ、、 フィンランド人の心の故郷カレリアなのに、 移民としての暮らしは簡単にはいかない。。 そんなフィンランドと カレリア地方と、 南のエストニアとの関係に想いをはせながら読んでいくと、 ヴィクトルがロシアの組織、 エストニアの組織、、 双方のいろんなこわい人とのあれこれに巻き込まれて…

でも、、 絶体絶命のピンチに陥っても 減らず口だけは叩きつづける、 そんなヴィクトルのキャラが良いです。 そして ロシア、 エストニア、 帰国移民のフィンランド人 三つ巴のまま、 その関係ならではのあっと驚くようなどんでん返しがあって、、 読後感はなかなか爽快。。。

この帰国移民というヴィクトルの境遇や フィンランドとロシアの歴史とかが 日本人にはピンと来ないかもしれませんが、 このシリーズはとっても貴重だと思うな、、 なんたって面白かったし。。 このシリーズ、 7作品はムリだとしても せめて《ガラスの鍵賞》受賞作品くらいは翻訳されないかしら、、 読みたいよ~!

それに フィンランドのこと、、 カレリア地方のこと、、 フィンランドとスウェーデンとの関係や違いとか、、 もっともっといろいろ読んでみたくなりました。 すでに新たなフィンランドの小説をいま読み始めているところです。。


、、 去年行くはずで来日中止になってしまった フィンランドの指揮者ユッカ=ペッカ・サラステさん指揮のシベリウスを聴きながら、、(いつか絶対聴きに行きたい)


フィンランドの読書 楽しみましょう


コロナが終息したら フィンランド料理のお店にも行きたいな… ロヒケイットとか ティッカマサラとか


食べたいな。。



もうすこし 頑張りましょう… ね