手紙、が物語のなかで重要な役割をする小説をつづけて読みました。
『四人の交差点』トンミ・キンヌネン著 古市真由美・訳 新潮クレスト・ブックス 2016年
『オルガ』ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂・訳 新潮クレスト・ブックス 2020年
***
『四人の交差点』は、 先月フィンランドのミステリを読み(>>)、 第二次大戦をはさんだフィンランドの歴史(ソ連の侵攻から国を守るため 第二次大戦でドイツ軍と手を組み、結果 敗戦国扱いとなってカレリア地方が戦後ソ連に割譲されたこと)について知ったのをきっかけに、 フィンランドの小説をもっと読んでみたくなって選びました。
「百年の時間と、ある秘密が織り成す《家》をめぐる物語」 と本の裏表紙に紹介されていたことも選択の理由でした。 先月からの流れで読んで良かった、 上記のソ連侵攻や、 ドイツ軍と共に大戦を戦ったことなども、 物語と深く関係していましたし。。
すばらしい小説だと思いました。 小説として《読む》という楽しみを濃密に感じ、 考えさせられる時間でした。
ひとつの家系の四人の物語、、 助産師のマリア、 その娘のラハヤ、 ラハヤの息子の嫁カーリナ、 それからラハヤの夫オンニ。 この四人それぞれの視点で、 四人の生涯のいろんな時代の生きざまが 鮮烈に、ときに生々しいほどにリアルに描かれます。
四人の断片的なエピソードの連なりであるために、 彼らに何が起こったのか、 この家族がどう暮らしたのかは、 それぞれの物語をすべて読み、 最後のオンニの章を読み終えることでようやくピースが組み合わさって理解できるという複雑な構造を持っています。 そういうミステリーの要素は、 さらにプロローグの1996年の記述と、 最後に付け加えられた同じ1996年《屋根裏》の部分で 読者だけが知る《秘密》の行為が描かれ、 その意味は最終的に読者の手に委ねられることになります。
何度もなんども 本のページを戻って、 四人の行動を行ったり来たりして読みました。
この小説の素晴らしさは、 ひとつひとつのエピソードのリアリティでしょう。 一切説明をせず、 淡々と情景を描写しているのに、 その時代、 その瞬間のマリアや、 ラハヤらの、 生きている熱量の強さ。。 若く、何事も怖れず輝いていた瞬間があり、 悩み、苦しむ出来事がある。 年を重ねる。 家族のかたちが変わる。 若き日には感じることのなかったグロテスクなまでの心の闇がひとつの家族のなかで露呈する瞬間がある。 やがて、 悲しいまでの老いや孤独の時間が訪れる。。
この家族、 このひとたちが生きた 瞬間 瞬間が 読む者の胸に突き刺さり、 百年の時間の鮮烈な断片を与えられた読者は、 四人の人生の一場面と一場面と対話を重ねるのでしょう。。
《家》をめぐる物語。。 このフィンランドの家族の物語を読み、 なんだか懐かしい想いと共に、 私の記憶しているかつての日本の《家》のあり方と ふしぎなほど似ているように感じました。 家を建てるということ、 家を守ることの社会的な意味、、 暮らしの中で逃れることの出来ない世間的な価値基準。。 家とは自分たちだけのものであるが自分たちだけのものではない。。 それゆえに彼女たちは《立派》であろうとする。。 《家族》であろうと頑張る。 そうしてひずみが生まれ、 悲劇がうまれる。。
、、なんだか、 ひと昔まえ日本の、 家を建てる時に《棟上げ式》をして 近所のひとを集めて《餅まき》をしていた頃を思い出したりしました(そんな場面は無いけど) 、、大きな家を建てることが家族の幸せ、 一家の安泰と信じた時代の…。
きっと、 これから家を持つかもという若い世代のひとが読む場合と、 二世代、 三世代の家族を持った世代が読む場合とでは、 この物語の四人への印象や感想は異なってくるだろうと思います。 助産師として母として誰の助けも借りず強く生きたマリア。 マリアから家を継ぐラハヤ。 子供たちの良き父でありたいと願いながら誰にも言えない秘密に引き裂かれたオンニ。。
最初一読して 女たちの見せる感情の激しさ、 生々しさに圧倒されました。 ラハヤの夫オンニに対する叫び。 姑ラハヤと嫁のカーリナの関係。 夫婦・嫁姑もともと血のつながりの無い者ゆえの隔絶と葛藤。 夫婦になる。 家族になる。 完全なものになりたい、 ひとつの家のなかで他者を他者とあきらめる、割り切ることの出来ない苦闘。。 時にぞっとするほどの激しい言動に奔る彼女たちの熱情は、 《家庭》の姿を守りたいと願う必死の頑張りの裏返しなのだとわかります。
私には この家の嫁(あえてこの言葉を使いますね)として、 ひとつの家族になろうと闘ったカーリナに胸を打たれました。 ラストに至る16年という時間! (本の中にはまったく書かれていないその長き時間) その時間を経て 「あたしたちふたりとも、ここにいましょう」と言えるカーリナの姿には頭が下がりました。。 とても真似できるものではありません。。
そして物語は最後のオンニの章へ。。
子供たちと過ごす父としてのオンニの姿は暖かく、 美しい場面です。 屋根をつくるオンニが息子たちにかける言葉。 成長して都会へ行った娘とひとときカフェで過ごす姿。。 しかしながらオンニの苦悩は、 この家族のなかではどうすることも出来ないもの。 それ故にオンニの愛がせつない。 オンニもまた、 完全なものを求めたのです。 完全な家、 完全な父、 完全な家族。。 その願いがオンニを圧し潰していく…。
訳者の古市真由美さんのあとがきが 新潮社のサイトに公開されていました(訳者あとがき>>)
エンディングの《屋根裏》の秘密について… 私はすこしちがった感想を持ちました。 カーリナはこの本のなかで二つの隠し事をします。 ラストの屋根裏で見つけた《秘密》を、 カーリナは以前に屋外で見つけた《ある物》と結びつけたのではないでしょうか。 そのことによって、 屋根裏での秘密はほんとうの意味ではカーリナに伝わらなかった、、。 カーリナの行為によって(姑ラハヤもある意味守られ)、 オンニがそうありたいと願いつづけた父としての姿も守られたのではないか、と思うのです。 カーリナはこの家の秘密を閉じ込めた代わりに未来へとつなげた。。 オンニの息子ヨハンネスの「勢い込んだ足音」がそのことを物語っているのではないかと…。
作者のトンミ・キンヌネンさんのインタビュー記事がありました⤵
https://bookshorts.jp/KinnunenTommi
キンヌネンさんのその後の作品がどんなものなのか、 フィンランド語のウィキなどを見ても皆目読めないのが残念だけれど、 この方の作品をもっと読んでみたい。 『四人の交差点』では描かれなかった子供たちの続編、、 ヨハンネスや アンナや ハンナの物語もあったら読んでみたいです。
***
『オルガ』も ふたつの大戦を経て描かれる女性の生涯の物語でした。
たいへんなベストセラー作家であるベルンハルト・シュリンクさんの作品、、 ですが私にはこの物語の率直な感想を書くのがなんだかむずかしいのです。。
三部仕立ての構成。 第一部はオルガの前半生の概観が語られる。 早くに孤児となったオルガの教師への道。 裕福な農場主の息子ヘルベルトとの愛。 ヘルベルトの夢と旅立ち、戦争。 戦火で家を追われ、 病で聴力を失っても、 努力してひたむきに自立した生活を築き上げるオルガ。 想像すればあまりに困難な日々の連続であるにもかかわらず、 とても静かに淡々と物語は進む。
第二部は 聴力を失った晩年のオルガとの交流を、 オルガが働いていた家の息子フェルディナンドが回想して語る。 第三部は すでに壮年となったフェルディナンドが、 かつてオルガがヘルベルトに宛てて出した手紙を探しあて、 その手紙を読むことによってオルガの生涯を再度ふりかえる。 探検に出たまま行方不明となったヘルベルトへのオルガの想い、 そして 誰にも語られなかったオルガの秘密が解き明かされる。
一見、 複雑な構成のようであるけれども、 静かな語り口に導かれるままに読み進めることでオルガの生涯を一緒にたどり、 ヘルベルトとの愛や、 フェルディナンドとの交流や、 最終的に明かされる秘密が、 昔語りのように心に染み渡っていく。
でも… と、訝る私がいるのです。。 境遇に屈せず自立して生き、 端然と自分を貫いたオルガの生涯は潔く、美しい。 そう思う一方で、 深く語られなかった人物についても余分なことを考えてしまう。。
若き日のオルガとヘルベルト。。 地に足をつけた生活を築くオルガと、 広大な世界への憧れを語るヘルベルト。。 ふたりの言葉は嚙み合わない。 オルガが言う《広さ》とは人々が暮らしを営む場所であり、 ヘルベルトが夢見る《広さ》はもはや人間のための場ではない。 生への立脚点の違いは、 ヘルベルトが冒険旅行に出て離ればなれでいる間にかぎり、 互いが互いのまま有りの儘でいられる。
第三部でオルガは、 極地探検に出たまま行方不明のヘルベルトへ宛てて手紙を書きつづけるが、 ヘルベルトの無限への憧れに対して、 オルガは反発したり すぐに後悔して理解を示そうとしたり 文面は揺れ動く。 しかし結局 オルガの立脚地は原点に戻らざるを得ない。 堅実で安全な生活者である自分のもとへ ヘルベルトを引き留めたいと願う、、 それが愛と信じて。。
もうひとつ、、
強大な国、 国家の拡大へと突き進んだドイツをオルガは断罪する。 同様に、 ナチスの党員となったアイク(オルガが教え育てた隣家の子)に対しても オルガは決別を申し出る。 第三部で アイクは自らの子供によっても断罪される。 戦争の罪、 ナチスの罪が断罪されるのは理解ができる。。 けれども、 親を失った子(読んだ人には別の意味も分かるかと)アイクが求めた道を、 少しでも理解しようとオルガはしただろうか。。 ヘルベルトの無限への憧れをオルガは無謀としか理解しなかったと同様、 アイクの強さへの憧れをオルガは拒否した。 戦争が渦巻く世界にあっても堅実な理性を保ち続けたオルガは 国家へのまなざしと同じ理性でアイクを見た。 でもオルガの理性とは 物語の外の作家の理性なのでは? と、余計なことを考えてしまう。。
晩年のオルガと心を通わせ、 オルガの手紙を見つけ出すフェルディナンドが自分のことをこう書いている。
「ぼくは人や土地に愛着し、長く続くものが好きで、断絶を憎んでいる。安定した人生を生きていたいのだ」
安定した人生。 これはとても象徴的な部分だと思う。 フェルディナンドがそういう安定した人物だったとしても、 なんというあからさまな本人の言葉だろうか。。 ヘルベルトやアイクが求めたものとは対極にある価値観。。 たしかに戦争や権力への欲望は 小さき者の暮らしを踏みにじる。 それはわかる。
この物語はオルガからフェルディナンドへと受け継がれる物語。。 そしてオルガの面影をもつ者へと…。 オルガの面影だけではないはずなのだが……。
著者はこの対極の位置に 語り手のフェルディナンドという人物を置くことで. なにを言わんとしているのだろう。。 そのことにどこか引っ掛かってしまう私は、 この作品の読み手としては向かないのかもしれないな。。
***
このところミステリ作品をずっと続けて読んできたので、 久しぶりにクレストブックスを手にしたことが新鮮でした。 物語とじっくりと対話しながら読む時間。。 このシリーズの本の装丁や手触り、、 読んでいてとても落ち着きます。
今度はどの国の作品を読みましょうか。。
桜の花びらが街を染めています。。
空もほんのり春霞。
『四人の交差点』トンミ・キンヌネン著 古市真由美・訳 新潮クレスト・ブックス 2016年
『オルガ』ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂・訳 新潮クレスト・ブックス 2020年
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『四人の交差点』は、 先月フィンランドのミステリを読み(>>)、 第二次大戦をはさんだフィンランドの歴史(ソ連の侵攻から国を守るため 第二次大戦でドイツ軍と手を組み、結果 敗戦国扱いとなってカレリア地方が戦後ソ連に割譲されたこと)について知ったのをきっかけに、 フィンランドの小説をもっと読んでみたくなって選びました。
「百年の時間と、ある秘密が織り成す《家》をめぐる物語」 と本の裏表紙に紹介されていたことも選択の理由でした。 先月からの流れで読んで良かった、 上記のソ連侵攻や、 ドイツ軍と共に大戦を戦ったことなども、 物語と深く関係していましたし。。
すばらしい小説だと思いました。 小説として《読む》という楽しみを濃密に感じ、 考えさせられる時間でした。
ひとつの家系の四人の物語、、 助産師のマリア、 その娘のラハヤ、 ラハヤの息子の嫁カーリナ、 それからラハヤの夫オンニ。 この四人それぞれの視点で、 四人の生涯のいろんな時代の生きざまが 鮮烈に、ときに生々しいほどにリアルに描かれます。
四人の断片的なエピソードの連なりであるために、 彼らに何が起こったのか、 この家族がどう暮らしたのかは、 それぞれの物語をすべて読み、 最後のオンニの章を読み終えることでようやくピースが組み合わさって理解できるという複雑な構造を持っています。 そういうミステリーの要素は、 さらにプロローグの1996年の記述と、 最後に付け加えられた同じ1996年《屋根裏》の部分で 読者だけが知る《秘密》の行為が描かれ、 その意味は最終的に読者の手に委ねられることになります。
何度もなんども 本のページを戻って、 四人の行動を行ったり来たりして読みました。
この小説の素晴らしさは、 ひとつひとつのエピソードのリアリティでしょう。 一切説明をせず、 淡々と情景を描写しているのに、 その時代、 その瞬間のマリアや、 ラハヤらの、 生きている熱量の強さ。。 若く、何事も怖れず輝いていた瞬間があり、 悩み、苦しむ出来事がある。 年を重ねる。 家族のかたちが変わる。 若き日には感じることのなかったグロテスクなまでの心の闇がひとつの家族のなかで露呈する瞬間がある。 やがて、 悲しいまでの老いや孤独の時間が訪れる。。
この家族、 このひとたちが生きた 瞬間 瞬間が 読む者の胸に突き刺さり、 百年の時間の鮮烈な断片を与えられた読者は、 四人の人生の一場面と一場面と対話を重ねるのでしょう。。
《家》をめぐる物語。。 このフィンランドの家族の物語を読み、 なんだか懐かしい想いと共に、 私の記憶しているかつての日本の《家》のあり方と ふしぎなほど似ているように感じました。 家を建てるということ、 家を守ることの社会的な意味、、 暮らしの中で逃れることの出来ない世間的な価値基準。。 家とは自分たちだけのものであるが自分たちだけのものではない。。 それゆえに彼女たちは《立派》であろうとする。。 《家族》であろうと頑張る。 そうしてひずみが生まれ、 悲劇がうまれる。。
、、なんだか、 ひと昔まえ日本の、 家を建てる時に《棟上げ式》をして 近所のひとを集めて《餅まき》をしていた頃を思い出したりしました(そんな場面は無いけど) 、、大きな家を建てることが家族の幸せ、 一家の安泰と信じた時代の…。
きっと、 これから家を持つかもという若い世代のひとが読む場合と、 二世代、 三世代の家族を持った世代が読む場合とでは、 この物語の四人への印象や感想は異なってくるだろうと思います。 助産師として母として誰の助けも借りず強く生きたマリア。 マリアから家を継ぐラハヤ。 子供たちの良き父でありたいと願いながら誰にも言えない秘密に引き裂かれたオンニ。。
最初一読して 女たちの見せる感情の激しさ、 生々しさに圧倒されました。 ラハヤの夫オンニに対する叫び。 姑ラハヤと嫁のカーリナの関係。 夫婦・嫁姑もともと血のつながりの無い者ゆえの隔絶と葛藤。 夫婦になる。 家族になる。 完全なものになりたい、 ひとつの家のなかで他者を他者とあきらめる、割り切ることの出来ない苦闘。。 時にぞっとするほどの激しい言動に奔る彼女たちの熱情は、 《家庭》の姿を守りたいと願う必死の頑張りの裏返しなのだとわかります。
私には この家の嫁(あえてこの言葉を使いますね)として、 ひとつの家族になろうと闘ったカーリナに胸を打たれました。 ラストに至る16年という時間! (本の中にはまったく書かれていないその長き時間) その時間を経て 「あたしたちふたりとも、ここにいましょう」と言えるカーリナの姿には頭が下がりました。。 とても真似できるものではありません。。
そして物語は最後のオンニの章へ。。
子供たちと過ごす父としてのオンニの姿は暖かく、 美しい場面です。 屋根をつくるオンニが息子たちにかける言葉。 成長して都会へ行った娘とひとときカフェで過ごす姿。。 しかしながらオンニの苦悩は、 この家族のなかではどうすることも出来ないもの。 それ故にオンニの愛がせつない。 オンニもまた、 完全なものを求めたのです。 完全な家、 完全な父、 完全な家族。。 その願いがオンニを圧し潰していく…。
訳者の古市真由美さんのあとがきが 新潮社のサイトに公開されていました(訳者あとがき>>)
エンディングの《屋根裏》の秘密について… 私はすこしちがった感想を持ちました。 カーリナはこの本のなかで二つの隠し事をします。 ラストの屋根裏で見つけた《秘密》を、 カーリナは以前に屋外で見つけた《ある物》と結びつけたのではないでしょうか。 そのことによって、 屋根裏での秘密はほんとうの意味ではカーリナに伝わらなかった、、。 カーリナの行為によって(姑ラハヤもある意味守られ)、 オンニがそうありたいと願いつづけた父としての姿も守られたのではないか、と思うのです。 カーリナはこの家の秘密を閉じ込めた代わりに未来へとつなげた。。 オンニの息子ヨハンネスの「勢い込んだ足音」がそのことを物語っているのではないかと…。
作者のトンミ・キンヌネンさんのインタビュー記事がありました⤵
https://bookshorts.jp/KinnunenTommi
キンヌネンさんのその後の作品がどんなものなのか、 フィンランド語のウィキなどを見ても皆目読めないのが残念だけれど、 この方の作品をもっと読んでみたい。 『四人の交差点』では描かれなかった子供たちの続編、、 ヨハンネスや アンナや ハンナの物語もあったら読んでみたいです。
***
『オルガ』も ふたつの大戦を経て描かれる女性の生涯の物語でした。
たいへんなベストセラー作家であるベルンハルト・シュリンクさんの作品、、 ですが私にはこの物語の率直な感想を書くのがなんだかむずかしいのです。。
三部仕立ての構成。 第一部はオルガの前半生の概観が語られる。 早くに孤児となったオルガの教師への道。 裕福な農場主の息子ヘルベルトとの愛。 ヘルベルトの夢と旅立ち、戦争。 戦火で家を追われ、 病で聴力を失っても、 努力してひたむきに自立した生活を築き上げるオルガ。 想像すればあまりに困難な日々の連続であるにもかかわらず、 とても静かに淡々と物語は進む。
第二部は 聴力を失った晩年のオルガとの交流を、 オルガが働いていた家の息子フェルディナンドが回想して語る。 第三部は すでに壮年となったフェルディナンドが、 かつてオルガがヘルベルトに宛てて出した手紙を探しあて、 その手紙を読むことによってオルガの生涯を再度ふりかえる。 探検に出たまま行方不明となったヘルベルトへのオルガの想い、 そして 誰にも語られなかったオルガの秘密が解き明かされる。
一見、 複雑な構成のようであるけれども、 静かな語り口に導かれるままに読み進めることでオルガの生涯を一緒にたどり、 ヘルベルトとの愛や、 フェルディナンドとの交流や、 最終的に明かされる秘密が、 昔語りのように心に染み渡っていく。
でも… と、訝る私がいるのです。。 境遇に屈せず自立して生き、 端然と自分を貫いたオルガの生涯は潔く、美しい。 そう思う一方で、 深く語られなかった人物についても余分なことを考えてしまう。。
若き日のオルガとヘルベルト。。 地に足をつけた生活を築くオルガと、 広大な世界への憧れを語るヘルベルト。。 ふたりの言葉は嚙み合わない。 オルガが言う《広さ》とは人々が暮らしを営む場所であり、 ヘルベルトが夢見る《広さ》はもはや人間のための場ではない。 生への立脚点の違いは、 ヘルベルトが冒険旅行に出て離ればなれでいる間にかぎり、 互いが互いのまま有りの儘でいられる。
第三部でオルガは、 極地探検に出たまま行方不明のヘルベルトへ宛てて手紙を書きつづけるが、 ヘルベルトの無限への憧れに対して、 オルガは反発したり すぐに後悔して理解を示そうとしたり 文面は揺れ動く。 しかし結局 オルガの立脚地は原点に戻らざるを得ない。 堅実で安全な生活者である自分のもとへ ヘルベルトを引き留めたいと願う、、 それが愛と信じて。。
もうひとつ、、
強大な国、 国家の拡大へと突き進んだドイツをオルガは断罪する。 同様に、 ナチスの党員となったアイク(オルガが教え育てた隣家の子)に対しても オルガは決別を申し出る。 第三部で アイクは自らの子供によっても断罪される。 戦争の罪、 ナチスの罪が断罪されるのは理解ができる。。 けれども、 親を失った子(読んだ人には別の意味も分かるかと)アイクが求めた道を、 少しでも理解しようとオルガはしただろうか。。 ヘルベルトの無限への憧れをオルガは無謀としか理解しなかったと同様、 アイクの強さへの憧れをオルガは拒否した。 戦争が渦巻く世界にあっても堅実な理性を保ち続けたオルガは 国家へのまなざしと同じ理性でアイクを見た。 でもオルガの理性とは 物語の外の作家の理性なのでは? と、余計なことを考えてしまう。。
晩年のオルガと心を通わせ、 オルガの手紙を見つけ出すフェルディナンドが自分のことをこう書いている。
「ぼくは人や土地に愛着し、長く続くものが好きで、断絶を憎んでいる。安定した人生を生きていたいのだ」
安定した人生。 これはとても象徴的な部分だと思う。 フェルディナンドがそういう安定した人物だったとしても、 なんというあからさまな本人の言葉だろうか。。 ヘルベルトやアイクが求めたものとは対極にある価値観。。 たしかに戦争や権力への欲望は 小さき者の暮らしを踏みにじる。 それはわかる。
この物語はオルガからフェルディナンドへと受け継がれる物語。。 そしてオルガの面影をもつ者へと…。 オルガの面影だけではないはずなのだが……。
著者はこの対極の位置に 語り手のフェルディナンドという人物を置くことで. なにを言わんとしているのだろう。。 そのことにどこか引っ掛かってしまう私は、 この作品の読み手としては向かないのかもしれないな。。
***
このところミステリ作品をずっと続けて読んできたので、 久しぶりにクレストブックスを手にしたことが新鮮でした。 物語とじっくりと対話しながら読む時間。。 このシリーズの本の装丁や手触り、、 読んでいてとても落ち着きます。
今度はどの国の作品を読みましょうか。。
桜の花びらが街を染めています。。
空もほんのり春霞。