星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ケアレスパワフル… 『イーサン・フロム』のその後…

2024-10-31 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
10月が終わります… 今日はまぁ なんて良いお天気なんでしょう…!

長いながい夏、がいつまで続くの?と思ったら、 秋雨&台風ですっきりとした秋の青空がちっとも望めない日々… だから漸く、 ほんとにようやく、 今日みたいな秋の日がほんと恋しかったです。。 

秋の日は恋しい… 

 ***

10月のはじめに書いてあった 新訳の『イーサン・フロム』イーディス・ウォートン著(白水Uブックス 宮澤優樹 訳)の事、 すこし書いておきましょう。。 新訳本の感想というより、最初に読んだときに感じていた事、 確かめるというか 考えてみたかった事、、 のその後… (以下、内容にも触れていますので未読の方はご注意ください)

最初に読んだ、95年荒地出版社発行の『イーサン・フローム』のことなど、 過去の日記はこちらに>>

新訳での感想は、、とてもすっきりとストーリーが理解しやすく感じました。 勿論、 二度目に読むわけですから内容を知っているせいもありますが、 登場人物の印象もずいぶん雰囲気が変わりました。 イーサンとマティの若い日の物語は まだ二十代という若々しいときめきや恋の熱情を前よりもくっきりと感じさせてくれましたし、
イーサンの妻ジーナの様子などもありありと…。。 彼女の棘のある言葉とか振る舞いが まるでホラーのように迫ってきます。 確かに、怪談なども沢山書いたイーディス・ウォートンなので、 ジーナの存在がホラーみたいな効果を示すのも作者の狙いのひとつかも知れないと思ったり、、

一方、 会話などは(出版された)百年前の日本語ではなく現代語の話し言葉なので 1911年という時代感はほとんど感じられなくなっています。 イーサンが自分のことを(52歳になっている部分でも)〈僕〉と訳してあるのには最初 それはちょっと違うんじゃないかな…と思いましたが、 考えればイーサンの過去、 本来持っている(農夫というよりも)学者的な性質を表現するには〈僕〉も良いかもしれないと思い直して、、 それはこれから書くことにも繋がるのですけど…

 ***

ただ、、この物語は ラストの〈衝撃的な展開〉へ導くためにこういう構成になっている、 それだけではないと思えて、、 まだ他にも〈語らせていないこと〉が沢山あるようにも思えて…

小説の冒頭は この村に派遣された技術者の語りで始まります。 そこで52歳のイーサンの印象を語るのですが、 でもそれは〈現在〉ではなくて〈数年前〉のことなんですよね、、 この物語を技術者が書いている(語っている)のは、 イーサンが馬橇で技術者を送り迎えした冬の〈数年後〉なのです。 だから52歳より数年経った今のイーサンがいて、 その家族がいて、 それが〈現在〉で、、 でも技術者はそれは語っていない。。 読者にも知らされない…

その構成についてはひとまず置いて…
荒地出版社の『イーサン・フローム』を読んだときに引用した部分があります。 もう一度載せますと…
 
 鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。 

あのとき私は、 「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに… この物語を考えてみようとしました。。 何故かと言うと、 語り手の技術者は このイーサンの表情に引き付けられて彼に興味を持ったのですし、 この表情こそがイーサンという男を表しているからだろうと私も思ったから、です。 だから 新訳の本でもこの部分がどう書かれているのかをとても興味深く思って読みました。 新訳の文章は出版されたばかりなのでここでは載せません。 さらに私は原文がどうなっているのだろう… と興味を持ったのでした、、 (Project Gutenberg を参照しました) 原文では…

 it was the careless powerful look he had, in spite of a lameness checking each step like the jerk of a chain.

え…? とびっくりしました。。 私は英語が堪能なわけではないので、 〈the careless powerful look〉、、 ケアレス? 不注意な…? ケアレスでパワフル…??

何度も辞書を見ながら読み返して、、 結局、 この「ケアレス」を「気にしない、無頓着な」というような意味だと考えました。 引き摺っている不自由な足、 その足の事など全く気にかけていないような、 身体の不自由さを全く気にしていない=無頓着な、 そういうパワフル=生気に満ちた〈顔つき〉。 look はやはり〈表情、顔つき〉だろうと思います。 身体を含めた見た目、外見、ということなら looks になるみたいなので…。 だから此処では、 イーサンの身体の不自由さと それとは裏腹の力づよい表情との〈対比〉に技術者は眼を奪われたのだろうと…。。

だらだら書きましたけれど、 じゃあ そのイーサンの「ケアレスなパワフル」を支えているものって何なのだろう…。 そう考えると、 作者があちらこちらにしのばせた〈学問〉への繋がり、、じゃないかと。。 技術者が置き忘れた科学の雑誌。 イーサンがふと漏らした科学への関心。 家屋の一部を処分しなければならないほど困窮しているにもかかわらず残してあるイーサンの昔の勉強部屋。 もっと深読みすれば、 毎日今でもイーサンは新聞を郵便局まで受取りに来る。 そんなに困窮しても新聞だけは読み続けているイーサンの外部への関心。

ここからは 私の勝手な想像というか 願望…。
この技術者が有能な人物であればきっと、 嵐の夜にイーサンの家(その勉強部屋)に泊めてもらった事でイーサンの能力を知り、 ストライキを続けている労働者などよりイーサンを雇った方が 自分もわざわざこんな村に滞在しなくても済むし、 毎日イーサンに送り迎えしてもらうより イーサンにちょっと指導すれば彼なら仕事が出来るだろう… そう考えるのが当然じゃないかと…。。 あくまで想像(妄想)ですが…

そこに私はこの絶望的な物語のかすかな〈救い〉を見出したいだけで…

 ***

さらに、 先ほどの「ケアレスパワフル」から、、 イーサンの「プライド」という事を考え直してみました。 この小説には「プライド」という語が何度か出てきました。

若き日のイーサンは、 プライドの使い方というか 示し方というか、 それを間違えてしまっていたと…。 プライドゆえに追加の借金も言い出せず、 プライドが彼をいつも躊躇させた。 52歳のイーサンも、 今もプライドの高い男ではあるだろうけれど、 もうあの生活では見せかけのプライドなど示しようもない。 でも何も投げ出してはいないし、たぶん恥じてもいない。 52歳のイーサンは自分の貧しさを技術者に隠すこともしなかったし、 技術者が雑誌を貸そうか?と聞いた時、 昔のイーサンなら必要ないと言ってしまったかも…。 叶えられなかった過去の学問のことなど技術者に話さなかったかも。。

それらを含めての、、 careless powerful 無頓着な力強さ。 それがイーサンをさらに強く支えている…


ケアレス、 という単語から いろいろと考えさせられました。 よかったです。

 ***

しばらく前からじぶんが願望としてきた 〈ノンシャランな〉老女になりたい…。 それってイーサンの〈ケアレス〉に近いのかも… などと思いました。 気にしない… 頓着しない… でも、 自分なりの美意識や価値観は手放さない… やっぱり そうでありたい。。 やっぱね…


ひとりごとみたいな読書記になってしまいました…

今は、、 ずっしりと重い犯罪小説と(ちょっと内容から逃げ出したくなって)、、〈猫〉の本を読んでいます。。




美しい秋の日、、 雨が近づいているのが心配ですが



素敵な週末&連休をお過ごしください…

言葉の翼がはこんでくれる…:『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』キルメン・ウリベ著

2024-10-01 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
   きらめく飛行機の翼は、まるでトビウオのようだ。
                         (p.98)



『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』キルメン・ウリベ著 金子奈美・訳 白水Uブックス 2020年


夏のあいだに読んでいた本です。 
ことしは何故だか〈飛行機〉のでてくる物語が 私をつぎの読書へとつないでくれているようです。

前回の読書記に書いたカナダの『ノーザン・ライツ』(>>)に出てきた郵便飛行機。 6月に書いた女性飛行家アメリア・イヤハートの『ラスト・フライト』(>>)、 今まで知らなかったアメリアという人へとつないでくれたのは、4月に書いたエルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』(>>)でした。 あぁ そのとき書いたように  「飛行機がまゐりました。」という言葉のでてくる片山廣子さんの随筆もありましたね…。

『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』という本は、 スペインのバスク自治州の作家によるバスク語で書かれた小説とのこと。。 小説、、といって良いのかな… どうだろう…

著者キルメン・ウリベさんは詩人としてデビュー。 この本は彼が講演のために自分の住むスペインのビルバオからアメリカのニューヨークへ向けて旅立つ、 その旅の過程で彼の脳裡に浮かんでくるさまざまな思索や思い出を(一見、思い浮かぶままにとりとめなく)つづったエッセイ、のようにも読める本です。

自分の父や叔父や、 祖母や大叔母たちが昔語りにきかせてくれた記憶のかずかず、、 そこにはスペインの内戦の歴史や、バスク地方という言語も民族も異なる今や失われつつある昔ながらの文化の記憶がいっしょに語られていく。。 そして現在に生きる彼がたまたま旅の途中で出会う人のスケッチや、 かつて出会ったひとびとの思い出などを振りかえりつつ、 これから自分が書こうとしている〈小説〉について思いを巡らせている。。 (でもじつはその小説そのものがこのエッセイみたいな旅物語なんです)

とりとめのないエッセイのようでありながら、 じつは本当によく考えられて、慎重に構成された本なのだとわかります。 なのに、ひとり旅のお供として飛行機や列車の座席でふっと開いて数ページを読む、、 そんな読み方もとても似合いそうな、肩の凝らないやさしさのある文章です。

昔のひとはじぶんの物語をたくさん持っていましたね。。 この本の漁師だったお父さんにまつわる物語のように、 自然や戦乱に翻弄された本当はとても困難であったろう人生の記憶も、 のちに語って聞かせるときには不思議さをまとった〈物語〉になっている。。 この本にも書かれているように、だいじなのはそれが本当にあったことかどうか、ではない。 お父さんや大叔母さんの心のなかに本当にあった、ということ。。 記憶はいつしか豊穣な樽酒のような物語になる…


冒頭にあげた文章と、 そのあとで本文中に書かれていたのを読んで、 トビウオは100メートルも空中を飛ぶのだと知って、信じられない気持ちで動画をさがしたりしました。 ほんとうにビューーンと波の上を何十メートルも飛ぶんですね、、鳥みたいに。。

そして、 かつて大陸間をむすぶ船の上からトビウオが飛ぶ姿を見た昔のひとの言葉と、 いまその同じ行程を数時間で移動してしまう飛行機の窓から、光る翼を見ている著者の思いが結ばれて、 そのようにして、 過去と現在のたくさんの物語が結ばれて、 ビルバオというバスク地方の港町と世界の今、とが結ばれていくのです。 さすが言葉と言葉を結びつけて普遍の驚きへといざなってくれる〈詩人〉がつむいだ、 とてもゆたかな物語世界なのでした。

それがこんなちいさく軽やかな〈Uブックス〉、というのも良いです。



携えて どこか旅に出かけたくなります。





でもなかなかそれも儘ならない私は、 物語の旅や音楽の旅にこころを舞い上がらせるのです…



 

カナダ建国の歴史と家族の物語(その3):『ノーザン・ライツ』『バード・アーティスト』ハワード・ノーマン著

2024-08-20 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
7/24 に カナダ建国の歴史と家族の物語(その2)を書いて以来 ほぼ1カ月経ってしまいました。 立秋も過ぎましたけれど まだまだ猛暑に台風にゲリラ豪雨に…

そろそろ暑さから逃れて 移住したくなってしまいますね(笑 ・・・それはムリなので せめて物語で秋の似合う大自然のなかへ。。



『ノーザン・ライツ』ハワード・ノーマン著 川野太郎・訳 みすず書房 2020年


舞台は1950年代の カナダ マニトバ州北部。 前回のトロントがあるオンタリオ州の西隣。けれども五大湖に面した前回の地方とはまったく逆で、 ずっとずっと北、北極海につながるハドソン湾に近い地方の話です。

内容はみすず書房のページにリンクしておきます(>>

たった1軒だけの村。 母と息子のノア、 父は地図製作者なのだけれど、常に家を留守にしていて帰ってくるのはクリスマスとほんのたまに予告も無くふらり、と。。 

この本を読みはじめた時、(日本て北緯何度まで?)(北緯60度って北極圏?)とか私が質問するので煩かったのか、 家族に昔の地図帳をほいと渡されて、、それでカナダのマニトバ州を見たのですが、そこには南にウィニペグという都市と 北のハドソン湾沿いにチャーチルという町と、たった二つしか町が無い。 ウィニペグ以北へ通じる鉄道も書いてない。。 マニトバ州の北部って人いるの? 住めるの…? それで google mapを見てみたのですけど、 マニトバ州を拡大、拡大、、いくら拡大しても次から次と大小の湖が浮かび上がってくるばかり、、

上記のみすず書房のページに 本の目次が載っていますが、そこにある「パドゥオラ・レイク」という湖も(あまりにも湖が沢山あって)ついぞ見つけられませんでした。。

湖ばかりの地で鉄道も見当たらなく、、 この本では交通や物流の手段は「郵便飛行機」。 水上にも着水できる郵便機がいくつもの湖をまわって集落ごとに荷物を届ける。 時には人を乗せて別の集落へ連れてってくれる。 

『ノーザン・ライツ』の冒頭で、母とたった二人で暮らしていたノアの元へ、ある日 両親を亡くした従妹がやって来て新しい家族として暮らし始める。 少年になったノアは、同年代の子がいる別の集落へ夏のあいだだけ行ってその子の家で暮らすようになる、、 でもその子を育てているのはほんとの両親ではなくて、、。

7月に書いたカナダの物語『優しいオオカミの雪原』(>>)も、 『ライオンの皮をまとって』(>>)も、 産みの両親以外のひとと暮らす家族関係が描かれていましたが、 『ノーザン・ライツ』でも〈家族〉とは何だろう… と考えさせられます。 
ほとんど不在のノアの父親、 父と母の夫婦という関係、 親を亡くした従妹、 友だちの村で過ごすノアを育ててくれる人々、 狩猟をし、デコイを作る男、 村の商店主、 先住民の教え、、。 極北のちいさな村では みんなが少しずつ繋がって 少しずつの家族のように支え合っている。 

ある時 ふいに無線機を持って帰って来た父(そしてすぐにまた行ってしまうのですが…) 無線機をラジオの周波数に合わせて都市トロントのラジオを聞く。 本の朗読の時間、 音楽の時間、、 ラジオはノアの学校にもなる。。 村で唯一の商店で開くパーティー、 無線機から流れるラジオの音楽。 パーティーにはやって来てもダンスには加わらず、 でも共に時を過ごして帰っていく先住民の人たち。

ノアの成長と、 極北の暮らしと自然、、 悲劇も起きるのだけれど でも物語はどこかあたたかく、 登場人物はそれぞれに真摯で、 うつくしい。

後半の物語は、 村を離れるという母の決断、 大都会トロントに舞台を移して、 潰れかけた映画館を買い取って そこで家族の新たなスタートをするノア達の物語になります。 消えた父親のその後や、、 ラストには ノアの少年時代の記憶とのちょっとしたミラクルな出会いも。。 

読み終えて温もりの残る読書でした。

 ***


『バード・アーティスト』ハワード・ノーマン著 土屋晃・訳 文藝春秋 1998年

同じハワード・ノーマンの小説。 当初は『ノーザン・ライツ』だけ読むつもりだったのですが、 その紹介文に 「デヴィッド・ボウイが「人生を変えた100冊」に選んだ長編小説『バード・アーティスト』の作者ハワード・ノーマン」と書いてあって、 ノーザン・ライツの紹介なのに何故わざわざ『バード・アーティスト』の作者、と書いてあるんだろう… と気になって、、 

こちらの舞台は、 1910年代の まだイギリスの植民地だった時代のカナダ東海岸、 ニューファンドランド島。 本の目次と、 物語の冒頭部分が紀伊国屋書店のページに載っていますので そちらにリンクします(>>https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784163180502

『ノーザン・ライツ』と同様に、『バード・アーティスト』も ファビアンという男の少年時代からを描く、 ファビアンとその家族の物語なのですが、 物語の冒頭で 「私は灯台守りのボソ・オーガストを殺したが…」という告白があり、 それによって読む者はこの小説が穏やかなものではない、 ファビアンの闇の部分にも触れる心の準備をさせられます。

ニューファンドランド島は美しい島。 パフィンをはじめとする水鳥の宝庫。 ファビアンは幼い時から鳥を描くことに魅せられ、 ただひたすら鳥の絵を描きながら成長します。 、、大自然はとても美しいはずなのに なんとなくファビアンに寄り添えない印象なのは、 ファビアンには主体性が感じられないこと。。 鳥をみつめて描く、、 そのままに ファビアンは周囲の出来事をただ見つめている。 言われるまま、というか流れのまま。 恋人とも、家族とも、 結婚までも、、 特になにかを主張するでもなく言われるまま…

(理解できない…)と思う部分がとても多くて、、 ファビアンの主体性の無さもそうですが、 ファビアンの母の行動も、 家族の崩壊を招いたその後の生き方も、、。

『ノーザン・ライツ』のノアの物語の穏やかさは それはリアルな物語ではなく、 どこか夢物語なのだとでも作者は言おうとしているかのように、 『バード・アーティスト』では不可解な心理や不正やあやまちが描かれます。

その一方で、 この村に生きる人物のなかには、 ひとすじの真っ当さを感じられる登場人物もいて、、 作者は 罪を背負うことになる主人公のほかに、 誰にかえりみられることもない代わりに自分にとっての真実を保って生きている人間をも書こうとしたのかな、とか思ったり。。 

「デヴィッド・ボウイが「人生を変えた100冊」に選んだ…」というのも含めて (わからない…よくわからない…) と思いながら読んでいました。。 それが人間のリアル、 人の生き様のリアル、、 なのかもしれませんけれど…。

 ***

ところで…

昨夜の満月 スタージェンムーンでしたが、 カナダのトロントにほど近いところに スタージェン湖というのがあるそうです。

このSturgeon Lakeに限らず、 トロント近郊にもたくさんの湖があって、 湖畔にはコテージなどがあって、 大都市トロントに暮らす人たちは休日にコテージを借りて キャンプをしたり、 湖でカヌーを漕いだり、 フィッシングをしたり、、ですって。。 羨ましいな。。

、、なんて言う私も 子供時代には湖で遊んだ記憶があります。 全面結氷した湖でスケートしたことも何度も。。 森のなかの湖と真っ青な冬の空と真っ白な湖の雪とアイスリンク。 それは今まででもっとも美しい記憶のひとつ。 どこまでも透明な空気。 氷のちょっとした凸凹と、 そこに引っかかるスケート靴のエッジ。 ゴゴゴ…と湖の氷が軋む幽かな音。
温暖化のすすむ地では これから先もう二度と体験できない〈湖からの恩恵〉でした。



あぁ… 湖に行きたくなりました…









 何年も前の写真…

カナダ建国の歴史と家族の物語(その2):『ライオンの皮をまとって』マイケル・オンダーチェ

2024-07-24 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
土用丑です。 暑いですね。

朝、お洗濯を干しにベランダへ出ただけで焼け付きそうに熱いですが 蝉が力いっぱいに鳴いてます。 お昼になるともう余りの暑さに蝉も鳴くのをやめて木陰で身を潜めてますが…

お身体だいじょうぶですか…? 今年は梅雨が短かったせいか、 わたしは思いの外まだ元気です。 昨年よりも確実に元気。 だから検査数値などより自分の感覚を信じて、 このまま楽しく だけど無理せず 夏を乗り切っていこうと…。

 ***

17日のつづき。 2冊目はこれまでにも何度か書いていますが マイケル・オンダーチェ著の『ライオンの皮をまとって』を再読しました。 1910~1930年代くらいまでの カナダ、トロントの都市の建設に携わった移民たちの物語。

カナダ建国の歴史、ということに視点を置いて今回は読んだので、 以下 小説の内容にも触れていきます。 この小説を初めて読んだときのブログはこちらに(>>2019年10月) ⇦こちらの後半に小説からの引用を載せてありますが、 オンダーチェさんのこのような非常に詩的な文章に浸っていると 物語に陶酔するのが精一杯で、 この小説がカナダ建国と移民の歴史であるという側面は忘れてしまいがちです。

この物語の主人公パトリックはカナダ生まれだけれども、 父親はどこから来たのだろう… 母親の姿は最初から書かれていない。 のちに(『イギリス人の患者』にも登場し)パトリックの親友になるカラヴァッジョは名前からしてもイタリア系移民だろう。

パトリックの幼少期の記憶に登場する 冬場だけ木を伐採する季節労働者たちはフィンランドからの移民。 フィンランドにも森林などいっぱいあるのに何故カナダへ来るのだろう…と思ったりしましたが、 前回書いた『優しいオオカミの雪原』のなかにも、 雪原の北の果ての誰も住まないようなところに フィンランド人の共同体がありましたね。

上記2019年の日記に引用した部分は、 マケドニアからの移民テメルコフの場面でした。 この小説を読むまで、わたしマケドニアが何処に位置する国かもよく知りませんでした。 物語中のテメルコフがマケドニアを発ち、 カナダへ入国するまでの記述は苛酷です。 そのような苦労をしてまで仕事を得る為にカナダへ渡ったマケドニア人の移民たちは、 物語のなかでは同郷人が集まる町をつくって暮らしています。 主人公パトリックがマケドニア人共同体に受け入れられていく場面は優しい気持ちになりますね…

命知らずの男テメルコフは、 カナダ トロントの都市で鉄道橋の建設に携わります。 橋の上からロープでぶら下がり 宙づりで橋脚にリベットを打ち込む、 彼以外には出来ない仕事。。 そして或る夜、 橋の上から尼僧が誤って落下してくる。 片腕で受け止めるテメルコフ… 前に引用したのはそのあとのふたりの場面です。。

頭上から尼僧が降って来るなんて、 どうしてこんな鮮烈な場面をオンダーチェさんは思いつくのだろう…と、 何度読んでもくらくらしてしまいそうに鮮やかな場面ですが、、 この落下をきっかけに、 尼僧は別の人生を歩み始める。。 テメルコフもまた 橋の作業員からトロントに暮らすマケドニア人として生活を変えていく。。 そしてパトリックにとって重要な友となる。。

、、 このように『ライオンの皮をまとって』に登場するのは みんな移民たち。。 そしてのちにパトリックが暮らす クララ、アリス、アリスの娘ハナ、、 それからカラヴァッジョ、 テメルコフ、、 誰も血が繋がっていない者同士が支え合い、 (詳しくは書かないけれど) 誰かが不在のあいだは別の誰かが、、 そうやって不思議な《家族》を形成する。。 

移民が創り上げた国(そして、奥地へ追いやってしまった先住民との 融合とも分離とも言えない共生の国)カナダには そのような血のつながりを超える包容力というか柔軟性が蓄えられたのでしょうか、、 『優しいオオカミの雪原』にも血のつながりのない《家族》が複数えがかれていました。。 そして次回の『ノーザン・ライツ』にも…。

***

『ライオンの皮をまとって』で移民たちが創り上げていくトロントの都市を 現実の写真を見て場面を思い浮かべてみると、 オンダーチェさんの描く詩的で静かな物語が、 じつはとてもダイナミックで壮大な舞台背景を持っていることに驚かされます。

テメルコフがぶら下がっていた橋脚の場面は プリンスエドワード高架橋
 https://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Edward_Viaduct

物語にも登場する ハリス氏が手掛けていた水道施設は R. C. Harris Water Treatment Plant
 https://en.wikipedia.org/wiki/R._C._Harris_Water_Treatment_Plant

物語終盤の、 この施設への湖からの潜入などは、 実写化したらまるで映画「ザ・ロック」並みのアクション大作でしょう。。 ほんとうにこの巨大な水道施設にダイナマイトが仕掛けられたりしたことがあったかどうかは、、 存じませんが…

 ***

『ライオンの皮をまとって』の物語は、 舞台を第二次大戦中のイタリアへ舞台を移して『イギリス人の患者』へと続きます。 『イギリス人の患者』の終盤で(ネタばれになりますが) ハナがカナダにいる(血は繋がっていない)母に手紙を書く場面があります…

 ・・・略・・・
 ヨーロッパはもういやです、ママン。私も家に帰りたい。ジョージアン湾に浮かぶピンクの岩と、あなたの小さな小屋へ帰りたい。私はパリサウンド行きのバスに乗りましょう。本土からパンケーキ島へ短波でメッセージを送りましょう。そして、待ちます。カヌーで私を救出にくる、あなたの影が見えるのを待ちます。 ・・・

         (『イギリス人の患者』土屋政雄・訳)


ハナは、 この物語のあと ママンのもとへ帰ったでしょうか。。 ママンがいるのは、『優しいオオカミの雪原』の冒頭にも登場したジョージア湾。そこに浮かぶ島。。 カラヴァッジョおじさんは… (この推測は以前にもちょっと書きましたが…) カナダへは帰らなかったようですね。。

ハナの育ったトロントには、、 もう誰もいなくなってしまったでしょうか。。 いいえ、マケドニア人の町はきっとあるはず、、 きっと テメルコフもそこにはいるはず。



マケドニアのパン、って どんなだろう…


いま 検索したら・・・


マケドニアという国土も紆余曲折あって、 今は北マケドニアという国家として残っているそうですが、、 山崎製パンのサイトにこんな素敵なマケドニアの朝食のお話が載っていました。。 『ライオンの皮をまとって』の物語にもつながるようなお話…♡
 山崎製パン 世界の朝食コラム(北マケドニア共和国)



では またね



食卓を囲むのが それが家族…

カナダ建国の歴史と家族の物語(その1):『優しいオオカミの雪原』『ノーザン・ライツ』ほか

2024-07-17 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
カナダ建国の歴史にまつわる物語、 家族のつながりの物語、 を三作品つづけて読みました。 

最初に読んだのは、19世紀半ばの物語。 殺人事件の犯人を追うミステリー小説の筋立てなのですが、 登場する家族の いくつもの愛のかたちを描いた物語であり、 厳寒の地の壮大な自然と人間ドラマの物語でした。


『優しいオオカミの雪原』上・下  ステフ・ペニー 著 栗原百代・訳 ハヤカワ文庫 2008年 

この本を手にしたきっかけは、 この春 オーストラリアのハードボイルド小説2作を読んだ後(4月の日記>>) 今度はどこの国のミステリを読もうかしら… とあれこれ調べているうちにこの作品を見つけ、 カナダ… 19世紀半ば… なんだか未知の世界だわ…と思って選んだのでした。

  ダヴ・リヴァーはジョージア湾の北岸にある。夫とわたしは十二年まえに、ほかの多くの移民たちと同じようにスコットランド高地から追われ、ここに移り住んだ。・・・略
 十二年まえのここには木のほかになにもなかった。・・略・・ 鼻につんとくる静けさは、空のように深く果てしなく感じられる。この光景をはじめて目にしたとき、わたしは火がついたように泣きだしてしまった。ここまで自分たちを運んできた軽馬車が音をたてて走り去り、どんなに大声で叫ぼうとも、答えるのは風だけだ、という思いを頭から押しのけられなかった。・・略・・ 夫はわたしのヒステリーの発作がおさまるのを穏やかに待っていて、そのあと、凄みのある笑みをうかべて言った。
「ここには神より偉大なものはない」



物語のはじめのほうの描写です。 主人公の女性がカナダへ入植した時のことをふり返っているところ。。 この辺りを読んで、自分がカナダの移民の歴史のことなど何も知らないことに気づきました。カナダはおもにイギリス系とフランス系の人がいて公用語が二つある、というそれしか知らない。。 この引用のように、木のほかに何もない土地に置き去りにされて、さぁ今日からここで暮らしなさい、なんて・・・
この部分での女性のパニック、、 夫の凄みのある覚悟、、 短い描写でそれらを表現する作者さんの文章にも感心しながら読んでいきました。

ストーリーは、 この主人公の女性が、村の隣人が殺されているのを見つけた後、 犯人の足取り、 この隣人の謎、 主人公女性の家族や、判事一家の家族、 犯人追跡の捜査に来る男たち、 など この入植地の村に関係する多くの人を巻き込んで、 まるで映画のようにいくつもの場面と人物の視点を変えて展開しつつ、進んでいきます。 

殺人のあった晩に、 同時に姿をくらましてしまった主人公の息子を追って、 母である主人公は先住民の血を引く男と二人、 北の厳寒の地へ向かいます。 その雪原と湿地と森、 夜空とオーロラ、 といった自然の描写がとても美しいです。 ここでも自分がカナダの事、 何も知らないと気づきました。 カナディアンロッキーの風景ではないのです。 

本を読んだ後で、 たぶん「カナダ楯状地」という場所なのだろうと…。 五大湖から北極海まで広がる岩盤の地。 山は全然無く、至るところに大小の湖や湿地。 ウィキ(>>)に載っている写真とこの小説の風景は近いのだと思います。 ただし季節は冬に。 岩盤は一面の雪原と凍った湿地になっています、、 命がけの道程。

もうひとつ、 物語にたびたび出てくる「会社」という言葉、、 これが何なのか分らず、途中で検索しました。 「ハドソン湾會社」(wiki>>)というのは カナダの毛皮の独占取引から始まった会社だそうで、 この物語のなかでも、 先住民や罠猟師たちは毛皮用の獲物をとらえることで生計を立て、 鉄道も何もないこの時代の雪原のはるか奥地にも「交易所」という場所が設けられていて、 そこに「会社」の人間が駐在している。 金よりも高価な毛皮のために捕りつくされていく動物たち… 

カナダ建国の歴史と、 知らなかった自然の美しい描写と、 入植者や先住民の「会社」をめぐる現実、、 殺人事件の謎を追ううちに 次第にそのような歴史や暮らしのようすが見えてくるのがとても面白かったです。 

そして、 女性主人公の家族の複雑な愛のかたち…。 ここではあまり触れませんでしたが、 胸がせつなくなるような愛の物語も展開していきます。 主人公以外の登場人物たちの、 いくつもの愛と人生の物語も。。 これだけのドラマを詰め込んでも それぞれの人物の個性やドラマの道筋が、ごちゃごちゃにならずに描けるのは見事です。 ドラマがありすぎて、あの人はあれからどうなったのだろう… あの家族はその後… など続きを想像したくなる余韻もありました。

 ***

『優しいオオカミの雪原』ですっかり カナダの建国の歴史に興味をいだいて、 そういえばこちらもカナダの都市を建設する移民たちの物語だった、、 と 前にも読んだマイケル・オンダーチェさんの『ライオンの皮をまとって』を急に読み返したくなりました。 こちらは20世紀の初め、、 都市化の進むトロントが舞台でした。



『ライオンの皮をまとって』マイケル・オンダーチェ著 福岡健二・訳 水声社 2006年
『ノーザン・ライツ』ハワード・ノーマン著 川野太郎・訳 みすず書房 2020年

そしてもう一冊。 『ノーザン・ライツ』は、 さきほどの「カナダ楯状地」のさらに極北に近いマニトバ州北部が舞台。 たった一軒しかない村、 そこに住む少年が成長していく物語です。 こちらも複雑な家族の愛の物語でした。。


過酷な原野で生きるには ひとりでは決して生きられない。 だけど家族の繋がりとはなんだろう・・・


わたしたちは… というか、 今の日本では、、 固定された家族の有り方に縛られ過ぎていないだろうか・・・


そんなことも考える読書でした。



つづきはまた、、ということにしましょう…



すこしは雪原の冷気がとどけられたでしょうか…

あらたな翻訳で出版されました…(嬉)

2024-07-16 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
梅雨明けの声もきこえてきた中、 気温はわりと低めですが爽やかとはいかず、、

なんだかしんどいな~ 夕ご飯作るのだるい~、、と思ったので すかさず甘酢らっきょうを食べました。 歯ごたえもシャキット、ですが 身体もしゃきっとしました。 お酢は人体のすべての根元、 アミノ酸たっぷりですし、、
昔の人の 気候と体と食べ物の知恵はありがたいですね。

連休はのんびりしてたけれど、 ちょっと坂をのぼって筋肉痛になったので焼き鳥を食べました(笑)。 心臓が疲れたな~というときは ホタテやタコが効きます(私の場合)。。 これも栄養学的にも理にかなっているようです。 半夏生にタコを食べる習慣も、ちゃんと理由があるのですものね。
 
 ***

今朝、 うれしいものを見つけました。

昨年の10月に読書記をこちらに載せた(焔の消えたあとで…>>) イーディス・ウォートン (1862-1937) の『イーサン・フローム』(1911) いまは入手困難で、、と書きましたが 新訳がこの7月にあらたに出版されたのですって。

下に出版社の紹介ページにリンクをしてありますが、 紹介文を読んでみると 物語のかな~り後半のほうまでストーリーがわかってしまうので、 紹介文を読んだ方かいいのかどうか、、 でも私もあらたな翻訳でもう一度かならず読んでみたい、心に残る小説です。

『イーサン・フロム』白水社Uブックス 宮澤優樹 訳 
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b643254.html


もうひとつ、、 検索の関連で出てきてびっくりしたのが、 デルモア・シュワルツ (1913-1966) の新刊の小説集『夢のなかで責任がはじまる』(1937) 
こちらはず~っと昔にルー・リードさんのお師匠、ということで書いた事がありましたね。 絵本のはなし。(デルモア・シュワルツの偶然。>>

あのあと、 『とっておきのアメリカ小説12篇 and Other Stories』(文藝春秋 1988年)という短編集に デルモア・シュワルツの最も有名な短編が「夢で責任が始まる」(畑中佳樹訳)というタイトルで収載されていると知り やっと読むことが出来たのでしたが、 こんどの本にはなんと ルー・リードさんの序文が載っているそう、、 こちらも読んでみたいです。

『夢のなかで責任がはじまる』デルモア・シュワルツ 著 ルー・リード 序文 小澤 身和子 訳 河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309209081/

もともとは、 「In dreams begin the responsibilities」 というのは 詩人 イエイツ先生の言葉なのですよね。。 そこまでは知っているんですけど、 この意味がわかるようでまだよくわかっていない、、。 村上春樹さんの小説にもこの言葉が出てくるそうなのですが 村上作品を読んでいないのでそこはわかりません。。 長いこと忘れていましたけど、 デルモア・シュワルツの本を通して またこの言葉の意味、 考えてみたいです。



いろんなこと繋がって、 いまになってまた新しい楽しみができる。。




今週も げんきで。



暑さにまけないで 身体慈しんで。

最良の芸術だけが…

2024-06-27 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
『生き延びるために芸術は必要か』森村泰昌・著

先週、 この本のことを少し書き(>>)、 別のもうひとつの本を読んでから続きを書くと記しました。 パンデミックについての本のことだったのですが、 自分が考えていた内容とは余り関係しなかったので、 森村さんの本のことだけ続きを書きます。

森村さんの本を読み終えて 今、、 この3年余り コロナ禍のあいだに考え続けていたもやもやの事は、 そろそろお終いにしてもいいかな… と思い始めています。

この本の目次は前回のほうにリンクを載せました。 森村さんのこの本のもとになっている 大学での講義、 その最も古いものが 第五話「コロナと芸術」2020年7月の大学のオンライン講義です。 そして、そのほかの章も コロナ期間中の講義だったり、 書きおろしだったり、 それらがまとめられ、 「あとがき」が書かれたのが今年2024年1月となっています。

おそらく、 森村さんもこのコロナ禍のあいだずっと もやもやされていたのでしょう。 パンデミックと芸術のあり方、 芸術の必要性、 芸術とはそもそも、、 この3年余りのお考えがこの本にまとめられたと思っても良いのでしょう。

読みながら 森村さんはとても正直な方だと思いました。 そして優しい方だな、と。 決して決めつけようとはしない、 芸術家としてのご自分のスタンスというもの(それらは文章のそこかしこにきちんと提示されつつ)、 その考えを押し付けようとはしない。 

特に私が興味深く感じたところは、 コロナ禍でいろんなイベントや展覧会が中止に追い込まれた時に、 芸術と鑑賞者(お客さま) について考える部分。。 森村さんがどうお考えになったかを此処で書くのはよしますが、 「お客様」についての部分はある意味 眼から鱗でした。

私も、 2020年の法隆寺展が中止になった時、 百済観音様は誰もいない国立博物館に会期中ずっと立っておられるのかしら…などと考えましたが、、 訪れる人がどれだけいようと誰ひとりいなくとも、 百済観音さまの価値が変わるわけもなく・・・

 ***

この数年の、 私のもやもやの一部には 「不要不急」とされたものの存在価値と、 経済的価値とが、 並列で語られてきたことがあります。 コロナ禍で中止にされたイベントや展覧会やコンサートや映画館や、、 それらを止めてしまったことで 「文化が失われる」とまで叫んでいた声もありました。 「コロナによって失われた」「コロナの犠牲になった」等の声・・・ 犠牲になったのは 文化か、 経済か、、

もちろん経済的な損失の重さはわれわれ鑑賞者(お客)の立場でも理解はできます。 けれどもそれによって芸術(文化)が損なわれてしまうのか否かの責任も 鑑賞者が共に負うべきなのか、 そもそもコロナ禍でその存在が、その価値が、失われる芸術(文化)とは? 

 ***

単なる一般人の私でも なかなか出口の見えないこの3年余りの生活の間、 世の中の経済、 医療、 「不要不急」と見なされたもの、 必要不可欠なもの、 家族の健康と仕事、、 それらのあいだで精一杯考えたり心を痛めたりしてました。

芸術に携わる当事者の森村さんが やはりこのコロナ禍の間、 どんなことを思って迷っておられたのか、、 それが読めたことが何より良かったと思っています。 結論が出たわけではないし、 何が正しい、正しくない、そう森村さんは言っておられるのではない、、 それでも。。

 ***

昨日、、 思わぬところから 私に(私にとっての)答えにつながる言葉がみつかりました。 まったく別の意図で読んでいた本、、 カナダの移民について思い出して読み返していた本 マイケル・オンダーチェの『ライオンの皮をまとって』の中から


  最良の芸術だけが、 出来事の混沌とした乱雑さをまとめることができる。 最良のものだけが混沌を並べかえて、混沌とそれが持つだろう秩序の両方を示すことができるのだ。

 これは、小説中の登場人物のことばでもなく、 登場人物が考えたことでもなく、おそらくオンダーチェ自身の思いのあらわれている部分(訳者あとがきにあるが、このゴシック体の文は詩人アン・ウィルキンスンのノートからの引用らしい)で、 オンダーチェはつづく文章のなかでこう付け加えている、、 まるで自身が小説を書く意味を述べているかのように・・・

  (略)どんな小説も、最初の文はこうなるべきなのだ。「私を信じなさい。この本は時間がかかるが、ここには秩序がある。とてもぼんやりとだが、とても人間的な秩序が」 (略)


ここでいう「秩序」とは、道徳的な意味でも、社会規範的な意味でもないと私は思っています。 森村さんの本のタイトル「生き延びるために芸術は必要か」と問われた時に、私は「必要」と答えるしかない、、 なぜ? 必要だから。。 なぜ必要になるの? なぜ欲するの?

そう自問した時に このオンダーチェさんの言葉が響いたのです。 そう、 混沌のままでは苦しくて堪らないから。。 この世界の、人間の、自分の、、カオスに 一条の道すじを見つけたいから。。 

「最良の芸術だけが・・・混沌とそれが持つだろう秩序の両方を示すことができる」から。


オンダーチェさんの(アン・ウィルキンスンの)言う 「最良の芸術」、、 ただの「芸術」じゃない、、 なにが「最良」の証しなのか、、 どうやったら見極められるのか、、


、、よくわからない。。 でも、 ふたたびパンデミックがきて、 「不要不急」と叫ばれた時、、


自分をささえてくれるものは きっとそれなんだと思う。。

現在地から歩んで…

2024-06-18 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)

『生き延びるために芸術は必要か』森村泰昌・著 光文社新書 2024年4月


この本のことは たぶん新聞の出版社広告のなかで見たのだと思います。
森村泰昌さんはTVなどでお話になっているところはよく拝見していましたが、 そういえば文章を読んだ事がなかった、と気づきました。 

21年11月の日記に「現在地」ということを書きました(>>) そのときに森村泰昌さんと横尾忠則さんのその当時の(コロナ禍での)お仕事をTVで見たと書きましたが、、 そのことも想い出しました。 だから、 森村さんのこの本のタイトルを見た時に、 なにかその頃のこと(自分もふくめて)と通じるものを感じたのです。

本が先週末に届いて、 (タイトル以外なにも知らないまま)目次を開いて見て、 びっくり、というか思わず笑ってしまいました。。 目次が載っているサイトにリンクしておきます(紀伊国屋書店>>

「コロナと芸術」、、コロナと不要不急といわれたエンタメ、芸術、音楽、展覧会のこと、、 そういった、当時(上記の日記のころ)の私のもやもや(苦悩と言ってもいいかもしれない)とも通じますし…

さっき、笑ってしまった、と書いたのは、 夏目漱石、青木繁、坂本繫二郎 についての章があったからです。 森村さんが漱石について語っておられる、、 そして青木繫と坂本繫二郎というのは、 コロナ禍で森村さんの「M式「海の幸」展を観に行くことができなかった私が、 22年にやっと外出して観に行った美術展が「ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展だったのでした(そのときの日記>>

あのころ、 そしてコロナ禍から脱した今にいたるまで、 ずっと考えてきたこと、 考え続けていること、と 森村さんがこの本のなかで語っておられることがどう結びつくのか、、 目次を見ただけでなんだか不思議なくらい (まるで私に用意されてたみたいな)そんな気持ちになりました。


本は ほぼ読み終わっています。 が、 もうひとつ一緒に読もうとしている本があるので、 この先はまたいずれ書くことにします。


お天気が急変したり 気温も湿度も激変で、 ちょっと頭痛に悩まされています




お元気でいてくださいね

花水木の似合う女性…:アメリア・イヤハート著 『ラスト・フライト』

2024-06-04 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)

 「オーケー! 出発するわ」
  ・・・ 略
 わたしは夫に、これから大急ぎで飛行服と地図を取りにライに帰らなければならないからと話し、午後二時にジョージ・ワシントン橋の、ニューヨーク市側のたもとで落ち合うことにきめた。 ・・・略・・・

 交通巡査もなんのその、わたしはライまで二五マイルの道を全速力でぶっ飛ばして家へもどった。持っていく物をまとめるには五分間で十分だったが、その後ほんの二、三分間だけ、思わず足を止めて、わたしが日ごろ大好きな、美しい眺めをもう一度つくづくと見なおした。寝室の窓ぎわや、窓の下に、ドッグウッド(ハナミズキ)の茂みがあって、その花がいまを盛りと咲き誇り、えも言われぬ白やピンクの花群のそこここに春の日射しが輝いている。・・・



アメリア・イヤハートの手記の中でとても好きな部分を引用させていただきました。 これは〈ラスト・フライト〉となる赤道上世界一周飛行に出発する場面ではなくて、 それ以前に単独大西洋横断飛行を成功させたことを振り返っている部分ですが、、 天候が回復するという報せに即座に出発を決め、 その慌ただしいさなかに、自宅へとび帰り、自宅の一番好きな光景を眼におさめようとしている場面がとても愛おしく感じられました。 
そして、 アメリア・イヤハートという女性には、くっきりと可憐な白やピンクの花が咲くハナミズキがとても似合うとも思いました。 風にひらひらと翻って咲く様子はまるで小さなプロペラのようだし…



『ラスト・フライト』アメリア・イヤハート著 松田 銑・訳 作品社 1993年

アメリア・イアハートという女性飛行家のことを知った経緯は、 この春 エルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』の読書記を載せたときに触れました(>>

アメリアの伝記や、 失踪の謎について、 そういう本はいろいろ出ているようですが、 この本はアメリア自身が書いた飛行記録と アメリアが飛行士としてのこれまでを自分で振り返っている文章で構成されているので、 彼女自身の言葉を読むことが出来てとても良かったです。

遭難したあと、飛行機さえ見つからなかった彼女の飛行記録がなぜ残っているのだろう… と、 この本を知った時に不思議に思ったのですが、 それはこの本のなかにも書かれている通り、 アメリアは飛行中にも機体からアンテナ線を外に垂らして、それを地上のラジオ局や 洋上の船に電波を拾ってもらって逐一飛行の経過を知らせていたからなのでした。

そして、 給油などで地上に降りた時には、 追加の記述をまとめて追々送り返していたのでした。 だから、赤道上世界一周飛行のほぼ最終段階、 ハウランド島へ飛び立つ〈ラスト・フライト〉の前日の7月1日の記録までが載っています。 この本は、アメリアのその飛行記録を のちに夫のジョージ・パットナムがまとめて出版したものです。

さきほど書いた飛行機からアンテナを垂らして通信する様子とか、 飛行機本体のタンクに入りきらない予備の燃料を空を飛びながらどうやって給油するのかとか、、 そういう技術的な内容もとても興味深かったです。 

飛行機の事をなんにも知らない私だけど、 アメリアの手記は本当にわかりやすく、 空から見る風景のこと、 知らない場所へ着陸した時の現地のひとびとの面白い反応、 女性飛行家に向けられる当時の注目や、彼女自身が想い描いている目標、、 包み隠さず ユーモアにあふれて、 時には反発も込めて、、 じつにアメリアらしいと思える生き生きとした手記でした。 なによりその前向きな精神、 不安や怒りもユーモアに変えられるそこにこそアメリアという人の本質があるように思えました。

アメリアが眺めた自宅のハナミズキ。 花水木(dog wood)の英語の花言葉を検索すると、 厳しい気象に耐えることから、 耐久性、とか永続性という意味や、 逆境に耐えて続く愛、 という意味があるそうです。 そんなところもやっぱりアメリアに似合っている気がします。。

 ***

だけど、、 この本を読んでいて思った事・・・

アメリアの赤道上世界一周飛行への挑戦は、 計画通りにすべてが進んだのではなかったのでした。 大きな計画変更を余儀なくされていたことがいくつか・・・ 出発前の突然の機体の事故、、 それによる出発の延期、、 そのあいだにも世界の気候・気象条件は移り変わってしまう、、 そのために計画を曲げて当初の西回りコースから逆回りへと変更。。

私は飛行機や気象のことなど何もわからないけれど、 でも そういった幾つもの変更が良い方向へ作用したとは思えない。。 手記のなかでアメリアは持ち前の前向きな思考で解決策を手にしていくけれども、 すべての条件が最初の計画のままだったら・・・ と思わざるを得ない。

そして、、 ほんとに世界一周飛行がもう達成目前だったラエの地点で、 アメリアもその他のたぶんすべての関係者が、 7月4日の独立記念日にアメリアがカリフォルニアへ到着することを強く望んでいた、、 そのプレッシャーは無かったか…?

 ***

アメリアは優秀な人だと思うし、 どんな時にも どんな困難が生じても、 その時点での最善を尽くしたことは間違いないと思う。。 だけど本を読むと、 その過程にはやはり〈兆候〉というものがあったように思う。 いろいろな変更とか、 あらかじめ決定されている期限とか、 予定とか、、

、、そして これをどうとらえるかは人それぞれだし、 私の解釈に過ぎない部分もあるけれども、、 〈報せ〉というものもあったんだ…と思う。。 私は神さまがいるとか、 予知能力とか、 何も確かな事はわからないと思っているけれど、 説明できない〈不思議な報せ〉も、、 あったんだな… と思ってしまう、、 それに気づくことが出来るのは たいがいは物事が起こってしまってからなのだけれど…

、、当初の計画が すべて計画通りにすすんでいたならば… やっぱりそう思ってしまうし 計画通りに達成できたアメリアであって欲しかった…


どんな冒険でも、  どんな挑戦でも、、


なにか予期できない困難に直面した時にどう行動するか。。 前向きなチャレンジャーであるべきか、、 石橋を叩いて しかも渡らないという決断ができるものなのか、、 歴史はチャレンジした者だけを崇めるものだし…

 ***

ハナミズキは 葉が芽生える前に、先に花だけが咲く

アメリアはやはりハナミズキのようなひとかと思う…



じぶんはどんな花なんだろう…


どんな花になりたいんだろう…





もうすぐ 雨の季節ですね…

バルコニーから 空見上げて…

2024-04-19 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
雲ひとつない青空。。 良いお天気です。

2月に、 エルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』については またの機会に… と書いてからそのままになってしまっています。。 今日も『ルナ=パーク』の読書記とは言えないのですが、、 少しだけ…




『ルナ=パーク』の内容をごく簡単に紹介すると、、 
映画監督ジュスタンは作品を撮り終えて 次回作までのあいだの休養のつもりで空き家になっている館を借りる。 以前そこに住んでいた人の生活のあとがそのまま残っている館。 ジュスタンはその家のもと主の読書室の本を開いたり、 書き物机のなかを覗いたりしているうちに、 もと主への関心が芽生えてくる。 そしてある日、 この館の主への沢山のラブレターを見つける。 ジュスタンは誘惑にさからえず 手紙を少しずつ紐解いていき、 ラブレターを盗み読むことによって この館の主だった女性ブランシュに次第に魅了されていく・・・

小説は べつべつの7人の男たちからのラブレターと、 ジュスタンがこの館の周辺で出会う奇妙な人物らの描写などで進んでいくのですが、 なかなかわかりにくい小説です。 エルザ・トリオレがこの小説によって何を書こうとしたのか、、 その辺りを考えていくととってもいろいろな読みが出来そうな、、 物語も謎めいていて、 ときにシュールで、、

なので そのへんのことは置いて、 ブランシュへのラブレターから判って来るのは(以下ネタバレになってしまいますが)、、 彼女は女性パイロットであり、 さらに宇宙飛行士も目指しているらしい、、 ということ。 

『ルナ=パーク』は1959年の作品。 ブランシュが宇宙飛行士として月を目指している、、 というのは ソ連の《スプートニク計画》が進められていたまさにその時代、、 米ソの有人月旅行計画が進められていくのは60年代に入ってからなので、 エルザ・トリオレが『ルナ=パーク』で月をめざす女性宇宙飛行士を登場させるというのは、 とっても先進的な視点だったのかもしれません。

そんな読書をしたのち、、 また? と言われてしまうかもしれないのですが、 前にもたびたび書きました片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』が発売されたのが2月。。 それを読んでいてそのなかに、、

 ***

 「飛行機がまゐりました。」
  茶の間から若い女中が教へに来てくれた。



これは 『ともしい日の記念』の四月の章、 「かなしみの後に」という随筆の後半に出てくる文章。。 「かなしみの後に」は青空文庫でも公開されていないので内容は控えますが、 1920年の3月から5月までの思い出がつづられています。

その片山さんの「かなしみの後に」、、 「飛行機がまゐりました。」

読んだとき、 いったい何のことだろう… と思いました。 若い女中さんのこの言葉はまるで 「タクシーがまいりました」と呼びに来ているみたいで、、 飛行機に乗るの…? どこから…? なんて、 一瞬考えてしまったのでした。 大正9年のことなのに、、

それは 続きを読むとわかるのですが、 片山さんは女中さんに呼ばれて、 庭へ降り立ち 東京上空を飛んでくる飛行機を見上げたのでした。。

 ***

かなしみの後で見上げた飛行機。。 この随筆の印象があまりに鮮烈だったもので、 このとき片山さんの空を飛んでいた飛行機はどんなだったのだろう… と検索しました(本文の注釈も参考にして…)

それは 1920年5月末日、 ローマから東京へ飛んできたアルトゥーロ・フェラーリンの飛行機でした(>>wiki アルトゥーロ・フェラーリン)

wikipedia の記述からわかりますが、 きっと大々的に新聞に載ったりして、 その日 東京へ飛行機が飛んでくることは大きな話題になっていたのでしょうね。 それで若い女中さんは 今か今かと気にかけていて、 それでエンジン音がきっと聞こえてきて 「飛行機がまゐりました。」 とあわてて奥様を呼びに行ったのでしょうね。

 ***

エルザ・トリオレの『ルナ=パーク』の女性飛行士ブランシュは、、(これもネタバレごめんなさい…) 長距離飛行に出たのち消息を絶ちます。 おそらく砂漠のどこかで…

上記の片山さんの随筆に出てくる長距離飛行のことなど検索しているうちに、 アメリア・イアハートという女性パイロットの記述に辿り着きました… この方のことは全然存じませんでした。。 女性として初の大西洋単独横断飛行をした人。 そして 赤道上世界一周飛行の挑戦中に消息を絶った人…

ウィキに載っていたポートレートにも魅了されました。 かっこいい美しい人(>>アメリア・イアハート

エルザ・トリオレが『ルナ=パーク』の女性飛行士ブランシュを創造した背景には  アメリア・イアハートの存在などもきっとあったのでしょう。 

アメリア・イアハートについては いろんな本も出ていて、 その謎の失踪についても日本軍に捕らえられただとかいろいろな憶測などもあったのだそうです。 『アメリア 永遠の翼』という映画にもなっていて、 出演がヒラリー・スワンクとリチャード・ギアですって。。 想像できそう、、 ヒラリ・スワンクはそっくりな気がします。

 ***

片山廣子さんのかなしみの空を飛んだ飛行機…

第二次大戦前夜の南太平洋に消えたアメリア・イヤーハート…

そして、 月を夢見つつ、 現実世界の《戦争》という渦中に消えていった『ルナ=パーク』のブランシュ…


現代、、
ふたたび人類は月をめざすのだそうですね。。 2026年には 日本人初の月面着陸も計画されているのだとか… 夢のような、、 その一方で、 月の資源獲得競争みたいな覇権争いも見え隠れしますが。。


GWにかけてのいくつかのイベントを無事に乗り切ったら(これも私にとってはおおきな冒険のようなもの)、、 アメリア・イヤーハートに関する本をいくつか読んでみたいと思っています。 先日、 エスクァイアのサイトにこんな記事も載っていたようです⤵
  アメリア・イアハート失踪の謎、ついに終止符か|無人潜水機の画像が話題に>>.esquire.com


失踪の謎にも興味はないわけではないけれど、、 彼女がどんなことを考えて、 感じて、 空を飛んでいたのかを読んでみたいです。




青空 見上げて…



きょうも あしたも




元気でありますように…

エルザ・トリオレのゴンクール賞受賞作『最初のほころびは二百フランかかる』

2024-02-22 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
昨日書いた 『今晩はテレーズ』につづいて、 今回はエルザ・トリオレが第二次大戦中に書いた『最初のほころびは二百フランかかる』についてです。

前作につづいて 何の知識もなく、 この変わったタイトルの小説についても 何も知らないまま読み始めました。 昨年11月に、この小説について一度書きましたが、 そのときに引用したのが 小説のいちばん最初の文章でした。 同じものをもう一度引用します。

 この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
    (エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 新日本出版社 1978年)

 このページの終わりのほうには つぎの文章があります。

 「上陸だと言っても、結局、大したことはないんじゃないかな?」と誰かが言った。六月になっていた。……


歴史に詳しい人なら、上記の部分を読んだだけで何を意味しているのかきっとお分りになるのかと思うのですが、 戦争史も、戦争映画も、ちっとも知らない私は、小説のほとんど最後まで読み終える頃まで、 何について書かれているのかろくにわからないまま読んでいました。

最後のほうになって、 記憶の奥の方から 《ノルマンディー上陸作戦?》ということばが浮かんできて、 それのことなのかな… と。 そうして Wikipedia (>>)でその日付などを見て、 あぁ…‼ と驚いたのでした。


 …だが、そうは言っても、いろいろと曖昧な私設情報の中に紛れこんで、「最初のほころびは二百フランかかる!」という暗号が流されたのはありがたかった。ああ! この言葉はなぞなぞではなく、おとぼけでもなかった。…略… 外国語のスピーチに挿入されたフランス語さながらに。その意味はこうだ。「行動に移れ!」

上記は冒頭2ページ目の文ですが、これを読んでいた私にはまだ何もわかっていません。。 ノルマンディー上陸 といったら、写真でみたことのある あの巨大なホバークラフトみたいな船で兵士たちが海岸から上陸してくる、 それしか知りませんでしたし、 フランス国内でなにが起きていたかなど これまで想像したこともなかったのです。

この『最初のほころびは二百フランかかる』という小説は、 1944年の11月に書かれ、1945年度のゴンクール賞を受賞しました。 ドイツ占領から解放されたのは1944年8月。 そのころのフランス国内での文学活動や、 レジスタンスの文学については、 エルザ・トリオレのパートナーである ルイ・アラゴンの Wikipedia (>>)のほうに書かれていました。 

前回書いた エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』のなかで おもむろに描写され私が驚いた 巡視隊や警官隊の暴力、ファシズムの影… そこへ向けたエルザの眼は その後、 弾圧に抵抗する文学へと向かっていき、 第二次大戦中も地下出版の活動をつづけ、1944年のパリ解放とともにおそらく堰を切ったようにこの『最初のほころびは二百フランかかる』を仕上げ、発表したのでしょう。

レジスタンスの文学・・・ たしかに内容は《ノルマンディー上陸作戦》に向けて密かに行動を進める市民・農民らを描いているのですが、 まったく説明のない文章と短いセンテンスで、 いきなり酔っ払いの場面になったり、 とある農家の寝室が描かれたり、 いったい何がおこっているのか分らないまま読者を先へ読ませていくという手法は 先の『今晩はテレーズ』と同様で、その点がエルザ・トリオレの巧みさのひとつなのかもしれません。

翻訳が収められている『世界短篇名作選 フランス編2』では、 このエルザ・トリオレの作品の直前に 夫であるルイ・アラゴンの『一九四三年の告解者』という短編が載っているのですが、 (絶版なので少し内容を明かしてしまいますが) 或る教区の司祭がいつものように信者の告解を聞き終えたところに 警官とドイツ人がやって来る。教会に逃げ込んだ者を探しているという。司祭は懺悔室に見なれない男の足がのぞいているのに気づく・・・ さて司祭はどうするか。。 という なんというか非常に率直なレジスタンスの文学作品でした。 

アラゴンの作品と比べると、 エルザの作品はとても分かりにくい小説ではあるものの、イマジネーションの広さ、場面展開の意外性、、 実際に起こった出来事を書いていながら事実の羅列に終始しない、 作家としての力量を感じます。


 …空の物体は依然として宙をただよう。それが徐々に下降し、近づいてくる。頭の上にやってきた。みんなの頭を圧し潰しそうだ!…

 …さあ、探し出さなくては。 …略… こっちへ走り、あっちへ走り、やっと蒼白く光る、くらげのようなその影が、くねくねとした巨大な形で地面に落ちている地点までたどりつく。…

 …終った。コンテナーは全部からっぽになった。積み重ねてあるパラシュートを分配する。…略… 明るいところで見ると、変なものだ。全部が全部、白いわけではない。薄い緑色のや、ピンクのもある……絹のすばらしいブラウスやドレスになるだろう。タオル地なら、布巾類になるだろう。それらは、チョコレートやたばこも含めて、協力者たちへの景品なのだ。


 
少し長い引用をしてしまいましたが、エルザの短文による映像表現の巧さや、 レジスタンスの市民らの様子を女性ならでは視点で切り取っているのがよくわかります。
占領から解放された直後にこれを読んだら フランスの人々はきっと涙してしまいそうです。 ゴンクール賞をとったのも成程、と思いました。

ところで、、 ノルマンディー上陸作戦の《暗号》は、 ウィキによるとヴェルレーヌの詩「秋の日のヴィオロンのためいきの…」 が使われたそうなのですが、エルザが書いている「最初のほころびは二百フランかかる」というのが どこかで使われた暗号なのかどうなのかは ちょっと調べたもののよく判りませんでした。 もし本当だったら、「秋の日の…」よりもセンスの良い暗号だと思いませんか?


 …だから、もう言わないことだ。「われわれは弱すぎる。武器がない。黙って皆殺しになるしかない」などと。それは間違っている。…略… 無抵抗は戦争を長びかせ、もっと血を流すことになるだけだ。めいめいが自分なりにレジスタンスを支援していただきたい。その手段がどんなささやかなものでもいい。つまらぬ任務などは存在しない。…


本文中の 家々に撒かれたレジスタンスのビラの文言の一部です。 エルザ・トリオレの小説から80年後の今、 これを読んでいるということがとてもつらいです。
なぜこんな戦争が起きるのだろう…という戦争が起きていることが 今、とてもむなしいです。

エルザ・トリオレの 『最初のほころびは二百フランかかる』について、 現在読もうとしてもなかなか読めませんし、 この作品について検索しても殆んど何も出てきません。 世界がずっと平和なら、忘れられてしまっても良かったかもしれませんが、、 残念ながら世界はそうではありません。

私はこの作品の内容をまったく知らずに読み始めたので、 最初に書いたように何の事を書いているのかちっともわからず、、 そして読み終えて、 それから現実の今に戻って、、 悲しい溜息がでる思いでした。 その想いが多少なり伝われば… と、たくさんの引用をしてみました。



エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 『世界短篇名作選 フランス編2』 新日本出版社 1978年




エルザ・トリオレの この15年後の作品『ルナ=パーク』については またの機会に。。




エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』

2024-02-21 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
エルザ・トリオレの本について 最初に書いたのが昨年の11月。 あれから5カ月近くになろうとしています。

1896年ロシアに生まれ、 フランス人の将校と出会い ロシア革命の騒乱の時期にロシアを離れた。(前々回書いた作曲家のプロコフィエフもエルザと同じ1918年にロシアを脱出して日本へ渡っていました)
その後、エルザはフランス人将校の夫とは離れ、 シュルレアリスムの詩人ルイ・アラゴンの妻となり やがてフランス語で小説を発表していく…

エルザ・トリオレの本は結局4作品を書かれた時代順に読んでいきました。( )はフランスでの出版年。
 『今晩はテレーズ』(1938)
 『月の光』(1942)
 『最初のほころびは二百フランかかる』(1944)
 『ルナ=パーク』(1959)

ほかにも翻訳されている作品はあるのですが、 現在入手困難なものが多いです。

当初は 昨年読んでいたコレットやイーディス・ウォートンの読書の流れでたどりついたわけですが、、 ロシアからパリに移り住んだ裕福な生まれの女性作家、というイメージで読み始めたものの 読んでいくうちそうした印象は覆され、 なんだか読書記を書くのはとても難しく思えて… というのも、 この本はどういう本、この人はどういう作家、とまとめることが私には出来そうもなく…

それでも4つの作品を読んでいくうちに、 エルザ・トリオレという作家の発展の様子が面白く、 詩人ルイ・アラゴンが生涯ミューズとして崇めたのも頷けるような、 不思議な想像力と筆力をそなえた作家だったのだなぁ…と感じることができました。 難しい読書でしたが、 拙い感想だけまとめてみようと思います。

 ***




『今晩はテレーズ』広田正敏・訳、創土社、1980年

エルザが初めてフランス語で書いた小説です。 書き始めのころはロシア語で書いていたといいますから、 自分の言い表したいことをフランス語で表現する為に とても努力が必要な時期だったのだと思います。 そのことがかえって 短い文で、詩的な想像を展開する効果になっていて、 例えば以前書いたイーディス・ウォートンの 連綿と続く精密な描写とは対照的なものでした。

小説は冒頭、 夫と一緒にその列車に乗らなかったが為に独りフランスで暮らすことになった女性(=エルザ自身)が、 望郷の想いや異国でひとり暮らすことへの想いをエッセイ風に綴る、という形で始まるのですが、、

エルザ・トリオレに特徴的なのは それが現実か空想か判別がつかないような、 どこかシュールな場面がそこかしこに現れることで… たとえば、南仏で出会った女性とともに連れて行かれたダンスホールで、 美貌の二人そっくりなアメリカ人スパイ兄弟に紹介される、などというような、 そんな現実離れした描写があって… これは大戦間の南仏でほんとうにあったことなんだろうか? と。。

章が変わり、 物語はパリで一人暮らしを始める女性へと移る。 「香水の名前」を考える仕事を得て、 夜のパリを彷徨いながらあれこれと香水の名を考えもとめる女性… 

ある晩、 独りのアパートでラジオの音楽を聴いていると 男の声で 「今晩は、テレーズ」 と不意にラシオが呼びかける… それをきっかけに、 ここから未知の《テレーズ》なる女性をさがす(=想像する=創造する)物語がはじまる… 
ここまでが本の約前半。 後半は、ラブサスペンスのような展開もみせて、 なんだか映画のような結末に。。 

リアルともファンタジーとも言えない、、 でも女性の繊細な視点と意外性に富んだ表現、、 そしてどこかシュール。。


 描写することも、愛することさえも容易に許さぬパリ、灰色の灰燼と焔の味をたたえ、パリはあなたをその胸に抱きしめ、やさしく絞め殺す。夢遊病者を目覚めさせてはならない。今、彼らが歩いている屋根の縁から墜落させることになるだろうから。パリの住民よ、眠りつづけるがいい。 (第二部 夢みるパリ)

このような文章を夢うつつの気分で読みながら1ページ後ろへめくると、、

 巡視隊が広場へ通じる街路の一つを塞ぐ。さらに一つ、また一つ。広場全体を黒い杭の冠がとり囲んでしまう。黒いヘルメット、黒く、堅く、つやつやした脛当て、馬蹄の金属的な響き。鋳造された警官、鋳造された頭脳、そして鋼鉄の弾丸……。

いきなりのこうした文章にぎょっとする。。 一体これは何の話…? 何が起ころうとしているの…?

  護送車が通る。その一台が停車した。警官がパラパラと飛び降り、通行人を警棒でなぐりつける。倒れた男を三人がかりでなぐる。・・・


この本には、 冒頭に「一九四九年の序文」という序が付いており(作品発表は三八年)、 そのなかでエルザはこの最初の作品には 「その後私が書こうとしたことの予兆のようなもの」がある、と驚きを述べています。 そしてこの『今晩はテレーズ』は

 これは、彼女自身のものの見方、幻想の迷宮のなかで現実に導かれていくその仕方によって描かれた物語なのである。

と締めくくっています。 少々わかりにくい表現ですが、 のちのトリオレの作品を読んで気づきました、 これこそがエルザ・トリオレという作家の特色だと。 このシュールな幻のような物語をつくっている源は、 ファシズムの影が迫る1930年代のフランスの現実だということなのです。

また、この本には終わりには 「ルイ・アラゴンによる序文」が載っていて、そこでアラゴンは 「『今晩はテレーズ』と十二年後の『廃墟の視察官』、二十年以上も後の『ルナ・パーク』とのように、非常に異なった作品にひとつの繋がり」がみられることを指摘しています。 

この「幻想の迷宮のなかで現実に導かれていく」エルザ・トリオレの視点が、 第二次大戦下で書かれた作品 『最初のほころびは二百フランかかる』ではどう変化していくのか… 

それはまたつぎの機会に…

 
 ***


昨日は25度ちかくあったというのに

きょうはまたなんて寒いのでしょう…



風邪と花粉に どうぞお気をつけて




(あれから2年になるのですね… >>

片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』から 「黒猫」のこと…

2024-02-14 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前回書きました 片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』、 あのあと注文してすぐ10日に家に届きました。

さきほど、 片山廣子さんの経歴(1878年2月10日 - 1957年3月19日)を見ていて気づいたのですが、 本の発行日の2月10日は片山さんのお誕生日だったのですね。 何故とはわからないけれど、 片山さんはなんとなく冬の生まれのような気がしていたので あぁやっぱり…と。。



『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』ちくま文庫 早川茉莉編

この本をゆっくり読めることをとても嬉しく思っています。 本の中の活字で読むのと パソコン上の文字を読むのとではやはり感じ方が異なります(もちろん青空文庫に入力くださった方々のお陰でこれらの随筆に出会えたことは感謝に堪えません)

すこしずつ… ゆっくりと読もうと思っています。

それで、、
昨夜読んでいた一篇、 「黒猫」という随筆、、 

片山さんの家の庭に来る黒猫の話から 「Aさん」「Mさん」と共に「軽井沢」で月見をした時に出会った「黒猫」の話へ、、

、、 この随筆をどうも読んだ記憶がなかったのでちょっとびっくりして、、 Aさん、Mさん、軽井沢、といえば、 芥川龍之介と室生犀星のことに違いありません。 だけど青空文庫の「燈火節」のなかで この随筆を見かけた記憶がなかったので、 ちょっと不思議に思って調べたら、 2007年出版の『新編 燈火節』のほうに収録されていたことがわかりました(>>月曜社) 新たに8篇の随筆がここに加えられていたようです。

青空文庫で公開されていないので詳細はよしますけど、 この「黒猫」の随筆のなかで片山さんは 「Aさん」が猫にちょっかいを出す様子やそのとき交わした会話を綴っています。 

・・・ これはいつ書かれたものだろう・・

非常に残念なことに、 ちくま文庫の『ともしい日の記念』には それぞれの随筆が書かれた年や初出が載っていないのです。 すごく素敵な、 今読めることがありがたい随筆集なのですが、 その点だけがなんとも残念、、。 『新編 燈火節』を参照すれば載っているのかもしれませんが…

この「黒猫」の随筆では 片山さんは娘さんと共に生活しているようだし、 片山さんの「母」の事も書かれていて、、 片山さんが軽井沢で芥川らと月見をしたのは大正13年の夏の事で、 そのときに同行したお嬢さんは17歳くらい。 だとするとこのエッセイが書かれたのは(娘さんの描写からみて)そんなに年月が経っていないような気がする、、

片山さんの家の庭にくる「黒猫」、、 軽井沢でAさんがたわむれた「黒猫」、、 そして アラン・ポーの「黒猫」についても 片山さんは連想をしている。。 エッセイの読後感は どこか淋しい… 

さびしい… けれども

『燈火節』を発表した70代の片山さんではなく、 軽井沢の月見の晩の思い出が(たぶん)そう遠い過去のことではない時期、 片山さんのなかでまだ遠い過去にはなっていないはずの、 ある痛みをともなった記憶、、 自分の家の庭をおとずれる「黒猫」と「Aさん」の思い出を重ねあわせる その想いの、 非常に鮮烈なものをも、、(ポオの小説の壁に塗り込められた黒猫の生々しささえ思い起こさせるような…) 

そんな鮮烈なものを 時に片山さんには感じるのです。。 きっとこのかたは 心に激しいものをお持ちのかただろうと…

 ***

「黒猫」のエッセイのなかには、 軽井沢で月見をした日付けも書かれていましたので、 たわむれに月齢をしらべてみましたら、 その翌未明が満月という晩でした。 きっと綺麗な月が碓氷峠のうえにかかっていたことでしょう。。

けれども片山さんのこのエッセイには お月さまのことは何ひとつ書かれていないのでした…




・・・ 恋人たちの守護聖人の記念日に・・



 


燈火節は過ぎましたが…

2024-02-08 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先月、 トゥガン・ソヒエフさん指揮の、 プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」を聴きに行って以降、 ラジオやなにやらで何度か「ロメジュリ」を聴く機会があり、 プロコフィエフの音楽の新しさを 今更ながら驚きつつ楽しんでいました。

「ロメジュリ」の初演は、プロコフィエフがロシア革命のあと 日本を経由してアメリカへ渡り、 その後 パリでディアギレフと仕事をしたり、という 20年近い海外生活を経て、 1936年にモスクワへ戻ったその年のこと。 

だからか、、 「ロメオとジュリエット」の組曲にはとってもアメリカ音楽ぽいところがたくさん感じられる。 「モンタギュー家とキャピュレット家」を聴いていると、 なんだかディズニーアニメの中でキャラクターがのっしのっしと歩いて登場するような動きをいつも想像してしまうし、 ところどころ ガーシュウィンみたいな旋律も感じられるし、、 「朝の踊り」のにぎやかな市井の人々のリズムなどは、 二拍子のまるで「スカ」のビートみたい。。 そういえば、 プロコフィエフは当初、 日本を経由してアメリカ大陸を南米へ向かおうとしていたのでしたっけ… なんて思い出したり、、

そんな風にして かつて読んだことのある『プロコフィエフ短編集』(以前の日記>>)をふたたび読み返したりしていました。

そうしていて気付いた事があります。(単に私の興味で、たいしたことではありませんが…)

プロコフィエフと芥川龍之介は1歳しか違わないんです、 龍之介が1歳年下。 それでプロコフィエフが日本に滞在した1918年には、 龍之介は26歳で横須賀の海軍学校で英語教官をしている頃。。 でもすでに新進の作家として活躍していて朝日新聞に「地獄変」の連載などもしている。 一方、プロコフィエフはこの年の初夏、横浜や京都に滞在して 横浜グランドホテルでピアノリサイタルを行ったりしている。 こんな風に同じ時代に、 こんな風に近いところで活動していたことを思うと、 なんだか面白いなぁ…って。。 べつに龍之介とロシア音楽となにか接点があるわけでは無いのですけど、、 

プロコフィエフが日本でもせっせと書いていた一風変わった短篇、、 芥川と較べたらそれこそ稚拙なものかもしれませんが、 どこか軽みのある不思議な想像力。。 芥川は多少ロシア語も読めたかしら…? 日本で読んでもらえば良かったのにね… 笑

そして、、 昨秋にも書きましたが、、 龍之介のこと、、 (パリにでも行ってしまえば良かったのに…)とふたたび思いました。 (そう書いたのは11月の日記です>>) 戦間期のパリ。 コレットがいて、 イーディス・ウォートンがいて、、 芥川が上海に行った1921年には プロコフィエフもパリに来ていました。 ますます思います、 日本でもしプロコフィエフと知り合いにでもなって、 龍之介が上海に行ったあの後、 日本になど帰らずにパリにでも行ってしまえば良かったのに… (ほんのつまらない空想です)


そんなことを考えている私に、 嬉しい知らせが…

上記11月の日記のなかでも触れている、 片山廣子さんの随筆集が 新たな編集となって出版されます。 
 『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』ちくま文庫 (Amazonのページには目次も載っていました>>https://www.amazon.co.jp

いままで青空文庫でしか読むことができなかったので とても嬉しいです。 文庫で手元に置けるのもとてもうれしい。



「燈火節」は過ぎましたが、 うれしい春の贈り物です。



なにかのことを想っていると



なにかしらキミはたすけてくれる…



妖精さんがいますね…

復刊や、あらたな翻訳が出たらいいな:19世紀アメリカの社会と文化を描いたイーディス・ウォートン

2023-12-13 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
このブログに読書記を書きはじめて20年ほどになります。

私の場合、 本との出会いは 誰かの紹介とか評判になっている本とかそういうのではなくて、 日頃の関心事のなかで検索したり、 読書を通じて新たな作家や書名を知ったりして、 そうやって次に読む本を選んできたものです。 

心をとらえた作品については此処に書きのこしたりしてきましたが、 その中には、 絶版により入手困難だった本や古書を取り寄せて読んだ本もいくつかありました。 それらの本がのちになって、 新しく翻訳出版されたり、 あらためて復刊したり、、 そうやって読めるようになったことを知ると なんだか埋もれていた宝が知れ渡ったようで 嬉しくなったものでした。

たとえば、、
『椿實全作品』読書記>>)は、 幻戯書房から2019年に 『メーゾン・ベルビウ地帯: 椿實初期作品』として復刊されましたし、

ノルウェーの作家シランパアの『若く逝きしもの』>>)は、 フランス・エーミル・シッランパー 著 『若く逝きしもの』として2022年に ‎ 静風社から出版されました。

イエンス・ペーター・ヤコブセンの『ニイルス・リーネ』については何度か書きました。山室静さん訳の『死と愛』を読みおえたことまでは書きましたが(>>) その後、2021年にルリユール叢書『ニルス・リューネ』イェンス・ピータ・ヤコブセン著 奥山裕介・訳が幻戯書房から出版となりました。

漱石先生を通じて知った レオニード・アンドレーエフのことも何度か書きましたね。『悪魔の日記』>>)は今も絶版のままだと思いますが、 2021年に未知谷から『イスカリオテのユダ L・N・アンドレーエフ作品集』岡田和也・訳 が出版され、 表題作のほかに「天使」「沈黙」「深淵」「歯痛」「ラザロ」が収録されています。

 ***

今年の読書の収穫を振り返ると、 シドニー=ガブリエル・コレットや、 イーディス・ウォートン、 エルザ・トリオレといった20世紀前半の女性作家の作品に出会ったことでした。 3人とも戦間期のパリに住んでいたという共通点で知っていったわけですけれども、 コレットは生粋のフランス人、 ウォートンはアメリカ生まれ、 トリオレはロシア生まれ、 とそれぞれの小説も全く雰囲気が違っていました。

とりわけイーディス・ウォートンの作品は、 女流作家とか女性作家という括りにとらわれない、 19世紀から20世紀にかけてのアメリカの社会や文化を 物語のなかに緻密に記録しているという力量を感じて、 特に、建造物の様式や美術品や調度品に関する知識、 ファッションの趨勢などにとても詳しいことにも驚きました。

イーディス・ウォートンは幼い時から両親とともにヨーロッバ各地をなんども旅行して暮らしたそうですけれども、 そうやって見聞を広めて文化芸術の知識を得て、 外側の世界から故郷のニューヨークそしてアメリカ社会を見るという独自の視野が備わったのでしょう、 彼女の作品にはつねに 「格差」とか「差異」といったものがテーマにあるように思います。

NYの上流社会を描いた『無垢の時代』では 過去と現在、NYの内側しか知らない者とヨーロッバ帰りの人との隔絶を描き、、 ニューイングランド辺境の村を舞台にした『夏』『イーサン・フローム』>>)では、 貧富の差や村の外の世界との格差、 そして主人公たちがその「格差」をなんとか乗り越えようともがき、 新しい世界を夢見、 打ち崩される…
その憧れや抗いの気持ちが 読んでいてとても胸にせまるのでした。

 ***

ほかにもイーディス・ウォートンの作品を読んでみたくて、 この本を取り寄せました⤵



『偽れる黎明・チャンピオン』イーディス・ウォートン, リング・ラードナー 著 皆河宗一, 大貫三郎, 菅沼舜治 訳 1981年 南雲堂

この本にはイーディス・ウォートンの3つの作品が載っています。 「偽れる黎明」(原題 False Dawn) 、「隠者と野性の女」( The Hermit and The Wild Woman) 、「芸術を売った絵」(The Pot-Boiler) 

特に「偽れる黎明」は ウォートンの美術への知識が下敷きになっている作品でした。 絶版なので簡単にあらすじを書いてしまいますが、 NYのある上流階級の子息が2年間のヨーロッパへの見聞旅行に出ることになり、 父親は自分の美術館をもつという夢のために、古典絵画の名画を購入してくるように息子に言い渡す。 息子は周遊の途上でひとりの英国人と知り合い、 その人物をつうじて新たな絵画の美に開眼して、その助言と自分の審美眼を信じて得た絵画をアメリカに持ち帰る。 ところが息子の持ち帰った絵画は父親にはまったく受け入れ難いものだった。 その絵画とこの一族の顛末が描かれているのですが…

興味深いのは、 当時のNYとヨーロッパの美術史の事情がよくわかる点なのです。 これはウォートンの美術への知識がなければ書けなかったことでしょう。 簡単にいえば、 富豪の父親のもとめたのはラファエロに代表される古典主義の絵画で、 息子が出会った英国人というのがジョン・ラスキン。 息子はラスキン、 ハント、 ロセッティというラファエル前派の芸術家に出会って、当時はまったく評価されていなかったカラヴァッジョ、 フラ・アンジェリコ、 ジョットの作品を持ち帰ったというわけなのです。

その絵の顛末を読むと、、 えーーーー‼ となるのですが、 1840年代当時 カラヴァッジョとかが全く無名だったということにも驚きました。 アメリカの美術史の黎明期が「False」だったという、 タイトルにウォートンの皮肉が込められています。

解説によると、この「偽れる黎明」という作品は 「それぞれ一八四〇年代、五〇年代、六〇年代、七〇年代のニューヨークの生活を描いた中篇四つを集めた『古いニューヨーク』 Old New York (一九二四)所蔵の第一篇である」 ということなので、 そうなれば他の3作品、 50年代、60年代、70年代のNYも同時に読んでみたいものです、 ウォートンにはそれぞれの年代の「変遷」「差異」を記録することこそが主眼だったのでしょうから。。

それに、 この本の翻訳は60年も前のことで、 たくさんの画家のカタカナ表記も今とは違っていて 「カルパッチオ」などと書かれています。 出来たら新しい注釈と翻訳で復刊して欲しいものです。 

そして とても心を打つ小説 上流社会ではなく貧しい村の暮らしと悲しい愛の物語『イーサン・フローム』なども、 ぜひ復刊されると良いなと思っているのです。



長くなってしまいました


もうひとりの女性作家 エルザ・トリオレのことはまた今度。。