自分が住む場所の第一条件、、
、、 徒歩圏に図書館があること。 できれば複数箇所。
東京23区ならば、たいがい区立の図書館は4~5箇所ずつあるので、どこに住んでもそう困ることはないと思うけれど、でも、やっぱりお散歩がてら歩きで行ける場所がいい。
いまの住居から歩いていける図書館はふたつあって、(もしかしたら3つ目も歩いていけるかも)、、どちらも傍に公園がある。
このところ、気温は低くても、陽射しは確実に強くなってきたみたい。 昨日は風も無かったから最良の図書館日和。。 去年の手術以降は、長時間本棚をながめて立っていたりするのがまだつらかったので、ネット検索で予約した本を受け取りに行くだけ、というのが多くて、昨日もそのために行ったのだけど、ついでに書棚もうろうろと眺めてみた。
そこの図書館は残念ながら小さい。。 英米文学を除いた外国文学の書棚など、2列で終わってしまう、、 それでも、作者もタイトルも知らない本を、すっと書棚から取り出して、背表紙や内扉に書かれた紹介文とかをチラと読んだり、訳者のあとがきを走り読みしてみたりするのは、不思議なよろこびがある。 絵との出会いは一瞬間でつたわることもあるけれど、 小説は手にとってページを開かなければ一生出会えないものだから。。 しかも、手にとって借りてきただけではまだ〈出会い〉とはいえない。 そのあとの何日、何時間かをじっと向き合って読み終えないと、出会ったことにはならないのだもの。
大学生だった5年間で、うんざりするほど図書館通いはしたけれど、、
昨日、、冬のちいさな図書館の、うす暗い書棚の間で立ったり座ったりしながら、、まだこの中に出会えていない綺麗なきれいな宝物が隠れているような気がして、、、
、、そんな感じがしてる自分は妙ちくりんな幸せ者かも、、とおもいました。
前置き長くなりましたが、、 そんな風に図書館うろうろしていて、去年よんだこの本のこと、、思い出したのです。 去年は、殆ど本のこと書かなかったから、、。
『ソーネチカ』 (新潮クレスト・ブックス/リュドミラ ウリツカヤ 著/沼野恭子 訳)
退院後、長篇とか読む元気がなくて、、堀辰雄とか、大正期の作家の短いものを読んだりしていて、そのあとチェーホフとか読んで、、 そんな頃、この本を見て、表紙がまず気に入りました。 冬のロシア、、 針葉樹の森と、、 素朴な赤い帽子の女の子。。
本が大好きで、図書館の仕事で本に囲まれているだけで幸せだったソーネチカが、本を探しにきた反体制運動家で流刑の身にあるような男と出会い、そうして男について行くことから、ソーネチカの女性としてのあらたな生涯がはじまる。。 どんな状況で暮らそうと、どんな混沌が待ち受けていようと、ソーネチカの人生は淡々と、図書館で書棚の前にしずかに座って幸福を感じていた時と変わらず、すべてを受け入れていく。
図書館での男との出会いだけが、不思議と鮮烈で、、 ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』で外科医トマーシュについて行ったテレザをふと思ったけれど、時に哲学的な考察の加わるクンデラの筆致とは全然違って、この作品ではソーネチカの心情を何も説明しない。 女として、耐えられないほどの困難な状況に陥っても。。
幸せのものさしなど、 無いのだろうな、、と思わざるを得ない。
、、 この本を読んでもう半年以上も忘れていたけれど、 何事も無い冬の一日、、 図書館でふわっとソーネチカのことを思い出す、、、 ちょっとだけ強くなった陽射しが嬉しく感じられるような、、 そんなのがソーネチカの幸せにちかいものかもしれないと、、
そんな本です。
、、 徒歩圏に図書館があること。 できれば複数箇所。
東京23区ならば、たいがい区立の図書館は4~5箇所ずつあるので、どこに住んでもそう困ることはないと思うけれど、でも、やっぱりお散歩がてら歩きで行ける場所がいい。
いまの住居から歩いていける図書館はふたつあって、(もしかしたら3つ目も歩いていけるかも)、、どちらも傍に公園がある。
このところ、気温は低くても、陽射しは確実に強くなってきたみたい。 昨日は風も無かったから最良の図書館日和。。 去年の手術以降は、長時間本棚をながめて立っていたりするのがまだつらかったので、ネット検索で予約した本を受け取りに行くだけ、というのが多くて、昨日もそのために行ったのだけど、ついでに書棚もうろうろと眺めてみた。
そこの図書館は残念ながら小さい。。 英米文学を除いた外国文学の書棚など、2列で終わってしまう、、 それでも、作者もタイトルも知らない本を、すっと書棚から取り出して、背表紙や内扉に書かれた紹介文とかをチラと読んだり、訳者のあとがきを走り読みしてみたりするのは、不思議なよろこびがある。 絵との出会いは一瞬間でつたわることもあるけれど、 小説は手にとってページを開かなければ一生出会えないものだから。。 しかも、手にとって借りてきただけではまだ〈出会い〉とはいえない。 そのあとの何日、何時間かをじっと向き合って読み終えないと、出会ったことにはならないのだもの。
大学生だった5年間で、うんざりするほど図書館通いはしたけれど、、
昨日、、冬のちいさな図書館の、うす暗い書棚の間で立ったり座ったりしながら、、まだこの中に出会えていない綺麗なきれいな宝物が隠れているような気がして、、、
、、そんな感じがしてる自分は妙ちくりんな幸せ者かも、、とおもいました。
前置き長くなりましたが、、 そんな風に図書館うろうろしていて、去年よんだこの本のこと、、思い出したのです。 去年は、殆ど本のこと書かなかったから、、。
『ソーネチカ』 (新潮クレスト・ブックス/リュドミラ ウリツカヤ 著/沼野恭子 訳)
退院後、長篇とか読む元気がなくて、、堀辰雄とか、大正期の作家の短いものを読んだりしていて、そのあとチェーホフとか読んで、、 そんな頃、この本を見て、表紙がまず気に入りました。 冬のロシア、、 針葉樹の森と、、 素朴な赤い帽子の女の子。。
本が大好きで、図書館の仕事で本に囲まれているだけで幸せだったソーネチカが、本を探しにきた反体制運動家で流刑の身にあるような男と出会い、そうして男について行くことから、ソーネチカの女性としてのあらたな生涯がはじまる。。 どんな状況で暮らそうと、どんな混沌が待ち受けていようと、ソーネチカの人生は淡々と、図書館で書棚の前にしずかに座って幸福を感じていた時と変わらず、すべてを受け入れていく。
図書館での男との出会いだけが、不思議と鮮烈で、、 ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』で外科医トマーシュについて行ったテレザをふと思ったけれど、時に哲学的な考察の加わるクンデラの筆致とは全然違って、この作品ではソーネチカの心情を何も説明しない。 女として、耐えられないほどの困難な状況に陥っても。。
幸せのものさしなど、 無いのだろうな、、と思わざるを得ない。
、、 この本を読んでもう半年以上も忘れていたけれど、 何事も無い冬の一日、、 図書館でふわっとソーネチカのことを思い出す、、、 ちょっとだけ強くなった陽射しが嬉しく感じられるような、、 そんなのがソーネチカの幸せにちかいものかもしれないと、、
そんな本です。