星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

「小さな球の上で…」 いま…

2024-11-19 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
日曜日の朝…

ときおり届くことばの風…





谷川俊太郎さんが亡くなられました。

17日の朝 眼にした詩は 「目が覚める」という言葉ではじまり、  庭に眼をやる自分の生命を感じ、、 そして 「どこも痛くない」とつづいていました。

それはよかった… とそのとき私は微笑みました。 朝起きて、 どこも痛くない… お年を召してからのその単純なことの幸せ、、 そのことが(あちこちと痛い事ばかりの)私にもよくわかると同時に、、

谷川さんはその命の平静にも詩人なりのかすかな疑いのような、 ささやかな懐疑を投げかけておられました。 まだまだまだ… 詩人でありつづけておられるのだな、、と 読み終えてもう一度私はほほえんだような気がします… すでに旅立っておられたとは知らず・・・

 ***

十代の時に買った『谷川俊太郎詩集』は、 昭和53年十七版と書かれています。 この表紙の谷川さんのお写真のように、 青年らしい、 あたらしい、 新世代の… そういう輝きをもった言葉が満ちていました。

「二十億光年の孤独」 だなんて、 ただそれだけで背伸びがちな思春期未満の脳みそはうっとりさせられたものです。。 シリトーの『長距離走者の孤独』を読んだのも同じころです、、 「孤独」とついているだけで惹かれたんです、きっと… 笑

  万有引力とは
  ひき合う孤独の力である


至言なり…

いつのまにか 谷川さんはおじいさんになられ、、 私ももうじきおばあさんの仲間入りをするでしょう。。 新聞のお写真のようにおだやかな、 優しそうなおじいさんでありながら、 ときおり届く言葉たちには、 ふっとこちらのうなじがざわめくような、 脳の回路がぴっとうずくような、 詩人の鋭敏さがかならずありました。

 ***

谷川俊太郎さんと 武満徹さんがつくられた素晴らしい歌のかずかずを 今日は聴きたくなりました。 ずっとずっと大好きな『石川セリ/翼〜武満徹ポップ・ソングス』を、、


「死んだ男の残したものは」 という歌は60年代のベトナム戦争の時代に書かれたものということですが、、 その第六連


  死んだ歴史が残したものは



  耀く過去と また来る歴史…



にならなければ良いが… と思っています、、、



「彼 第二」の追憶… 芥川龍之介

2023-04-07 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
先月からの流れで、、 (芥川龍之介の「死後」という作品を読んでから…) 
ここのところ龍之介の後期の作品を読んでいます。

、、作品、というか 私小説的なエッセイに近いものたち。。 「河童」や「歯車」などの有名な作品の間でつい読み逃がしてしまっていた小品を…

大正15年に書かれた「彼」「彼 第二」の二篇は、 早世した友人の思い出をつづったもので、 「彼」は中学時代の旧友のこと、 「彼 第二」は二十三歳ぐらいからの付き合いのある、アイルランド人の友人のこと。 彼は新聞社の通信員として日本に駐在したのち、 上海へ転任し その地で亡くなる。

アイルランド人の彼との、青春の日々の描写がとてもみずみずしくて、 龍之介の心が記憶のなかから掬い上げた場面の、せつなさ、美しさ、そして痛み。。 これを龍之介が書いたのが自死の8カ月前だというのを想うと、、 (こんなにも美しいエッセイが書けるのなら死なずとも良かったのに…)と勝手なことを考えてしまいました。

或は、 龍之介の心がすでに死の領域に引き込まれ、 喪った友の近くに引き寄せられているからこそ、 思い出でありながらこんなにも親しげな、心安い書きぶりになっているのか…

、、 それでも 生きていて欲しかったな… と思う。。 

「彼 第二」の中で、 アイルランド人の友だちが 谷崎潤一郎の『悪魔』を読み、 「あれはおそらく世界中でいちばん汚いことを書いた小説だろう」と言ったのを、 龍之介がのちに、 当の谷崎に語ったそのときの谷崎の反応が書いてあって…

 するとこの作家は笑いながら、無造作に僕にこう言うのだった。――「世界一ならば何でも好い。」!

、、さすが谷崎潤一郎です。。 このくらいの作家魂というか したたかさが芥川にあれば…

 ***


こんなことを考えています… できれば戦争の時代を越えて生きて、、 そして 芥川を師とした堀辰雄が病気で死んでしまった後も生きて、、 「彼 第二」を書いたように、 堀辰雄と自分の軽井沢の日々などを追憶してもらいたかった、、 などと。。

どんなことがあろうと (つまり… 彼らを取り巻いた男女の事件やら不幸やら…) 芸術家の身の上に起こるこもごもであれば いずれは消え去る。。 過去になる、、 そう思うのです。 芸術家はそれを作品に変えられる。

龍之介は死の二カ月前に、 ピカソとマティスを比べてこう書いています

 若しどちらをとるかと言へば、僕のとりたいのはピカソである。兜の毛は炎に燒け、槍の柄は折れたピカソである。
          「二人の紅毛畫家」

、、その意味の全文は青空文庫で読んでみてください(>>


ピカソみたいに、、 91歳まで書いて欲しかった… したたかに。。 そんなのは芥川龍之介じゃない、と言う人もいるかもしれないけれど。。


美しいノスタルジアで良いではないか…



まなざしが曇りさえしなければ…





『河童・玄鶴山房』 芥川龍之介  角川文庫
 (昭和54年版だからボロボロだ…)

フロイト、リルケ、そしてバルテュス…

2023-03-15 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
先月、 文学の先輩からのメールに 「フロイトがエッセイに書いた《無常》について」 という記述があり、

それは 第一次大戦前年のこと、 フロイトとルー・ザロメと詩人のリルケの3人で散策中、 リルケは この美しい風景も、人が創り出した美も、所詮消え去ってしまう儚いものだと言い、 対してフロイトは いずれは失われてしまう無常にこそ、限りある時間の中で享受する価値があると述べたという。。

、、ここからメールの話はリルケを離れ フロイトのことに続いたのですが、、

私はフロイトのこともリルケのことも殆んど知らないけれど、、 リルケが上記のように すべては消え去ってしまう儚さを嘆いた、というのがなんだか引っ掛かって… というのも、 私がリルケで思い浮かべられる事と言えば 堀辰雄が『風立ちぬ』のなかで引用した詩「レクイエム」の 

 帰っていらっしゃるな。そうしてもしお前に我慢ができたら、
 死者たちの間に死んでお出(いで)。死者にもたんと仕事はある。


という死者への呼びかけ。。 生命も美も所詮消えてしまうと嘆く姿勢とこの「レクイエム」の死者への呼び掛けがどうも同一に繋がらない気がして、 それでリルケが《死や死者》に対してどのような考えを持っていたのか、、 なんだか知りたくなってしまったのです。

先のフロイトとリルケのことを検索していたら、 表彰文化論学会のサイトのエッセイに行き当たりました。 こちらにも同様のフロイトとリルケの散策のことが書かれています
 「100年前の悲嘆と希望──フロイトの無常論に寄せて」
 https://www.repre.org/repre/vol45/greeting/

 ***

そもそも リルケという詩人について 私はなんにも知らないのでした。。 ドイツの詩人だと思っていたら オーストリア=ハンガリー帝国(当時)のプラハ生まれなのだと。。 でもその後 (リルケの妻のクララが女性彫刻家だったことから?) 彫刻家のロダンと出会い、 「ロダン論」執筆のためにパリに移り住む。 
先のフロイトとの散策の時期はwiki と照らし合わせると、 リルケが『マルテの手記』を書き終えて虚脱状態におちいり一時ベルリンへ戻ったという頃(?)なのかもしれない。

『風立ちぬ』で引用された「レクイエム」の詩は、 リルケのパリ時代、 妻クララとの共通の友人である画家パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの死を悼んで1908年に書かれたものだそう。。
 パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(Wiki)

 「鎭魂曲」堀辰雄 (青空文庫) 
 

第一次大戦後はリルケはスイスに住み、 そこでリルケの最後の愛人となった画家バラディーヌ・クロソウスカとともに暮らしたそう。。 この女性、 なんと画家バルテュスのお母さん、、 バルテュスの父とは1917年に離婚している。 そして若きバルテュスをリルケは大変かわいがり バルテュスが飼い猫ミツとの別れ(突然いなくなってしまった…)のことを描いた画集『ミツ Mitsou』の序文をリルケが書いている。
 
こちらの記事は バルテュスののちの奥さま、節子夫人の娘さんが語ったもの、、 この中にもバラディーヌ・クロソウスカのことや スイスの家の暮らしのことが語られています⤵
 画家バルテュスの娘ハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ、スイスでの夢のような少女時代を語る(New York Times Style Magazine)

画集ミツはバルテュス展で見た記憶があります。 でもバルテュスのお母さんとリルケの事とか全然知らなかったな。。

 ***

こんな風に リルケという詩人は生涯 たくさんの詩人や思想家や画家や音楽家といった人々と密接に関わり、そのなかで詩作をして 自らの思想を築いていった人なのですね。。

最初に書いた、 リルケが死や死者に対してどのような考えを持っていたのか、、 については ネットで読めるいろんな論文などを参考にさせていただいて(ほんといい時代になりました…) リルケが「世界内部空間」と呼んだ理念というものに辿り着きました。

すべての存在をつらぬいている「世界内部空間」というものの概念、、 そのことをちゃんと理解できたわけでもないし、 うまく説明することも出来ない。 だけど 其処では、 或はそのことを想う自分に於いては、 生と死、 生者と死者、 などという境界も存在せず、 過去や現在という時間の隔たりもなく、 それらは融合して在るのだという…

まだよく分かったわけではないけれど、、 でも 最初のフロイトとの会話で感じた違和感は (やっぱりな…)に変わりました。 やはりリルケは喪われることを嘆いただけではなかったのです。 それはバルテュスの画集『ミツ』への序文でもわかる気がしました(ここに載せられませんが…) 失うことによって共に在った存在が全きものになる、ということを。。

堀辰雄さんは「世界内部空間」という概念については何も書かれていないようですが、 でもリルケの死者に対する考えは確かに把握されていたのだと思います。 だからこそ

 けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
 しばしば遠くのものが私に助力をしてくれるように――私の裡(うち)で。


という詩句が 「死のかげの谷」の「私」に響いたのでしょう。。


リルケの後期の詩、 そして「世界内部空間」という概念、、 


今年はもう少し 追及していきたいと思っています。




あたらしい発見をさせてもらいました…  感謝…




「死のかげの谷」…雪、風、、そして落葉…:堀辰雄『風立ちぬ』 (過去の読書記)


駒もが・・・

2022-06-15 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
6月も早半ばになってしまいました。 

ここのところ 病院通いで少々忙しくしております。 難病関係の検査とか お役所へ出す書類のことだとか、、 なかなかこれが面倒なのです。。 でも涼しいので助かるわ…♡

そんななかで 万葉集の本を読むと一気に古代に空想がひろがってホッとします。 



『万葉集 いにしえの歌を旅する 』(洋泉社MOOK)  2016年
『古代史で楽しむ万葉集』 (角川ソフィア文庫) 中西進 著 2010年
『万葉の旅 上 大和』『万葉の旅 中 近畿・東海・東国』(平凡社ライブラリー)犬養孝 著 2004年


写真にあげた本、 どれもとってもオススメです。 洋泉社のムック本はカラー写真がいっぱい。 年表や、天皇や豪族の系譜図なども揃っていて便利です。 でもちょっと大判なので…

古代の歴史や政治の変遷を解説しながら、 その当時にどんな歌人がどんな歌を詠ったのかを 時代にそって教えてくださるのが 『古代史で楽しむ万葉集』。 ハンディかつ詳しいのでとても有難い本ですが、 地図とか図版がほとんど無いので、 地名が出てきてもどのあたりかピンと来ないのがもどかしいです。 だから私のような無知は、 近江朝とか書かれていてもそれが奈良ではなく 滋賀県の琵琶湖のほうだとか分からないんですよね、、 (地図って大事デス)

そして、、 あらかた時代の流れがわかったら、 犬養先生の『万葉の旅』は素晴らしい御本。 見開きページごとに一首、 その歌があらわす場所の地図と写真、 それから犬養先生ご自身がその場所に実際に行って その歌についてどんなことを想われたか解説されています。
「万葉全地名の解説」なども載っていて、 日本のなかのどんな場所がどれだけ詠われているかの分類もされていて とっても詳しいです。。 つい関心がこの関東周辺から先になってしまって、 まだ上巻の大和篇は開いてないのですけど…

 ***

奈良の都の貴族や 高官たちが、 いろんな行事や宴の席で歌を詠む、 それがまとめられて歴史に残る、 というだけならまだしも、 1300年前の京から遠く離れた東国で、 しかもそのころの庶民などはまだ 穴を掘って竪穴住居に住んでいたのに、 そんな人々が歌を贈り合って それを収集したものが歌集になって残っているなんて、、 なんてなんて素敵なことなんだろう…!! と、 名も無いひとの歌に触れるたびに感動してしまいます。。

そして あらためてすごいことだなぁ…と思ってしまったのが、 1300年の昔から、 地名って変わっていないんですよね。。 葛飾とか、 筑波山とか、、 福島の安達太良山もそのころから同じ安達太良山として歌に詠まれてると知って、、 この日本に住むひとびとがずっとずっとこの土地を大事に思って伝えて来たのね… と、 愛おしくなりました。

そんな中から、 今日はお馬さんの歌を・・・

  足の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継ぎ橋 止まず通はむ 

「真間」という場所は 今の市川市にありますね。 先月 母の日に「市川ママ駅」になって話題になったばかりです。 その市川の真間は 「真間の手児奈」という美女の伝説の残っている場所です。

上の歌は、 その美女を詠ったものかどうかはわかりませんが、 「足音をたてないで行く馬があったらいいな、 そうしたら真間の継ぎ橋をしょっちゅう渡ってあの子に会いに行こう」 という歌。
上記の犬養先生の解説によれば、 万葉の頃はこの真間近くまで海岸だったそうです。 その入江が川のうえに板を並べたような「つぎはし」があって、 そこを馬で渡るから音がするのでしょうね。。 音がしない馬が欲しい、 というのは 目立っては困る理由でもあったのかしらん?

馬の足音では こんな歌もあります…

 馬の音の とどともすれば 松蔭に 出でてぞ見つる けだし君かと

「とどと」 というからには「ドドドっ」と駆けてくる音ですね。 なんか勇ましい。。 その音に「あなたかしら!」と飛び出してきて、 でも「松蔭」から見ているというのが恥ずかしげで可愛らしいです。

万葉集を読み始めて 気づいたことがあります。 この時代の日本は そうとうな騎馬民族の社会だったんだ、と。。 高貴な皇子さまたちも、 それからこの東国の読み人知らずの無名の人たちも、 たくさん馬で移動して、 こんな風に女性のもとへ通って来るのも馬でやってきたりします。

さきほど書いたように、 人が住んでいるのは竪穴住居でしょう? そこへ馬に乗って訪ねてくる… なんだか想像したら 「ダンス・ウィズ・ウルブス」のネイティヴアメリカンの世界みたいじゃないか…!(笑) と、 想像やら妄想やらが止まりません。。 どんな光景だったのかしら、、 真間の海ぞいを馬でやってくる1300年前の丈夫(ますらお)と、 その足音に胸ときめかせている手児奈(てこな)。

 ***

前回も 大好きな高橋虫麻呂さんのこと書きましたが、 虫麻呂さんは当時、 天皇の命令によって 地方の土地の名前や、 そこから産出される資源や、 植生や住んでいる動物や、 人々の暮らしの様子を調べて報告しなさい、 ということで派遣されて、 それで常陸の国々をめぐっていたんだと思われるんですよね、、 『常陸風土記』を書くのにも虫麻呂さんは大きく関わっていたらしいです。

それで そのころの東国の人々はまだ殆んど文字を書く人もあまりいなかっただろうから、 人々から話を聞いて、 その土地特有の風俗や、 口承でつたわる伝説など聞いて集めて、 それに対する自分の想いも込めて歌にして、 中央の都に住む人に報告をしていたんだと思います。 

虫麻呂さんが この東国の市川の真間に来て、 伝説の乙女に想いを馳せた歌

 葛飾の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児奈し思ほふ


虫麻呂さんも馬に乗って来ていたのかしら…? 筑波山や、 鹿島のほうまで行ったりしてたのだから きっと馬で移動していたのよね? 

なんか西部劇のさすらいのカウボーイみたいだわ…… (妄想が過ぎる…)




今日も

明日も


お元気で。
 

かき霧らす 雨の降る夜も、、

2022-06-01 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
6月になりました。

先月につづき 万葉集の世界です。。 私の大好きな歌人 高橋虫麻呂さんの長歌から この季節にふさわしい歌を、、

 鴬の 卵の中に 霍公鳥(ほととぎす) 独り生れて 
 己(な)が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず
 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響(とよ)もし 
 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし
 賄(まひ)はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥


長歌には改行はありませんけれど、 意味をわかりやすくするために分けて書いてみました。

ホトトギスという鳥はカッコウの仲間だということで 《托卵》をするのですね。 ホトトギスはもっぱらウグイスの巣に托卵をするのだそうです、、 その習性を詠んだのが一行目。

ウグイスの親に育てられたホトトギスは、 それでもウグイスの父母の啼き方ではなく ホトトギスの啼き方を自然とするようになります、、 それが二行目。

卯の花の咲くころ(卯の花はウツギだそうです。卯月=旧暦4月の花ですね) ホトトギスは渡って来て、 さかんに鳴き声を響かせます。

橘は柑橘系の花、 旧暦5月ごろに白い香り高い花を咲かせます。 その花橘を散らしながら 一日中鳴いているけれど それを聴くのも良いものです。

ごはんをあげるから、 遠くに行かないでわが家の花橘に住んでいてくださいね。。 という長歌です。


長歌のあとに付けられた反歌には 自分の想いをあらわすものですが、 先の長歌に対する反歌はこうです
 
 かき霧(き)らし 雨の降る夜を 霍公鳥 鳴きて行くなり あはれその鳥
 
一面霧のかかったようにけぶる雨の夜(長雨の梅雨の時季でしょうか) ホトトギスが鳴きながら飛び去っていきます、、 なんと「あはれ」な鳥でしょう。。。 この「あはれ」は現代語に訳しようが無いです、、
、、 自分のところの花橘にずっと住んでいて欲しいとの願いもむなしく、 ホトトギスは雨の夜に濡れながら、鳴きながら、飛び去って行く、、 それに対する かなしみ? 愛情? 同情? 、、それら全部をひっくるめた想い、、

Sympathy for the Devil を「悪魔を憐れむ歌」と訳したのは名訳だと思うのですが、 上の霍公鳥への「あはれ」も、 虫麻呂さんの「Sympathy」を表した言葉なんだと思います。

初めてこの長歌を読んだ時、、 托卵によって親を知らないまま生まれた雛鳥が 「己(な)が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず」というのが ものすごくさびしい、せつないことに思えて 可哀想な感じがしたのですが、、 虫麻呂さんはその淋しさを踏まえた上で、 親を知らなくてもちゃんと自分の声で鳴くことをおぼえて、 それで時期が来たら 雨の降る夜でもどこかへ旅立っていくことに 同情と共感を示しているのですね。

虫麻呂さんの生涯については ほとんど資料がなくわからない部分が多いのですが、 奈良の都での歌はほぼ無くて、 東国や西国で詠んだ歌ばかり。。 「我が宿の花橘に」と詠んでいるけれど、 虫麻呂さん自身、 どこに我が宿があったのかわからない。。 そんな自分の人生とホトトギスの孤独な旅とを重ね合わせていたのでしょうか。。

以前このブログで精読していたシューベルトの「冬の旅」の歌、、 あの最後の「ライアーまわし」で旅人は 孤独な老人の手廻しオルガンの音色にSympathyを感じていましたね、、 孤独な路を歩まねばならない者同士のさびしさと共感、、 それに似たものも感じます。

 ***

子供のころの家には 今ぐらいの季節にカッコウの声が響いていました。 自動車の通る場所からも引っ込んでいて、 周囲には果樹園や森がひろがっていたので、 朝方 遠くの森できこえたかと思えば、 日中 ウチの庭の木でうるさいくらいにカッコウカッコウ鳴いていたこともありました。

初夏とともに訪れる大好きな鳥でしたけど、、 ある時 カッコウの《托卵》の様子をTVで見て、 ひな鳥がほかの卵を巣から押し出して殺してしまう様子があまりに衝撃的で、 それ以来なんだか カッコウが嫌いになってしまいました。。

でも、、 虫麻呂さんの歌のように、、 生まれた雛のことを考えてみたら、 たった独り 親も知らずにそれでも自分の声で鳴くことをおぼえて、 孤独のままに自分の世界へと旅立っていく、、 その強さにも気づかされました。 (托卵されたウグイスはやっぱり可哀想ですけれども…)

 ***

今月の左サイドバーの音楽は、、 雨の夜に聴くのも心地良いだろうと思える曲。。 歌声もそうですけど、 演奏の音色も心地良いものを、、 (特に上の3曲)

Steve Winwoodさんは 歌声といい ギター ドラムス その他、、 ライヴの演奏としてこれ以上なにを望めましょう… というくらい完璧。。 何度聴いても 聴くたびに鳥肌が立ちそうです。。

Robert Plantさんの新しい歌は お名前見ないで聴いたら プラントさんだと誰も思わないんではないでしょうか。。 でもプラントさんは今でもヴォーカリストとして進化し続けているんだな、、と実感できる素晴らしい歌声。。 ギターのクリアな音色も素敵。

Doyle Bramhall II のこの歌はとにかく演奏が好き。。 こんなに贅沢に美しいギターを重ね合わせて、 キーボードもどのパートもどれもが必要不可欠で。。 ドイルが丁寧に作ったアルバムの音は、 シェリル・クロウさんとのアルバムもそうでしたが ほんと美しいです。

 ***

 

雨の季節も  かき霧らす雨の降る夜も、、


6月が 心地好い月になりますよう…



お健やかに…






明日へ繋いでいくもの…:『アニルの亡霊』マイケル・オンダーチェ著

2022-02-22 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
14日と8日に書いた マイケル・オンダーチェ著『アニルの亡霊』のこと。 読後記をなんとかまとめてみます。。



『アニルの亡霊』マイケル・オンダーチェ著 小川高義・訳 新潮社 2001年


衝撃を受けた、、 感動した、、 苦しかった、、 泣いた

、、しばらく どうしていいかわからないほど、、 

と14日に書いて あの後、、 頭のなかに『アニルの亡霊』の登場人物たちのことがずっと取り憑いていました。 夜ねむっている間にも なにやらそのことを考えていて、、 考えてもなにか結論に至る筈はなく、、 それくらい複雑で 容易い救いなど在り得ないのがわかっているのに、 考えずにはいられなくて… そうした日々が数日つづき…

このことが タイトルでもある《亡霊》なのだ、、と気づきました。

タイトルではアニルの、ですが 読者の心に取り憑くのは アニルひとりではありません。 アニルとは、 内戦のつづくスリランカへ 国際機関からの派遣で 政府による虐殺の実態を調査するためにやってきた法医学者の女性のこと。。 いわば、 西側諸国にすむ私たちと同じ視点の人間。。 
読み終えて、 私たちの脳裡にいつまでも取り憑いて消えないのは、 アニルがスリランカでの調査で出会う人たち、 彼らの生活、 彼らの記憶、 彼らの死、 彼らの愛、、 その全ての上にのしかかる内戦という不可解。 ありとあらゆるわけのわからなさ、、。 


小説の語り口は 他のオンダーチェ作品と同様に、 いく人かの登場人物の物語を断片的に挿入していくという形です。 主要な登場人物は、

アニルの現地調査に同行する、 スリランカ側の考古学者《サラス》
サラスの学問の師だという修験者のような老人《バリバナ》
アニルとサラスの調査に、遺骨の修復家として加わる《アーナンダ》
救急病院の外科医でサラスの弟である《ガミニ》
それ以外にも過去や記憶の物語に登場する多くの人物、、

、、 読み始めて最初のうちは、 スリランカの内戦が主題なのか、 アニルという女性の成長物語か、 つぎつぎに断片的に語られる登場人物がどう物語にかかわってくるのか、 なかなかストーリーが掴めずに、、 それが(8日に書いたように) 三分の一を過ぎた辺りから 一気に物語世界に吸い込まれ、、

読み終えてみると、 ばらばらにみえた登場人物の過去や、 それぞれの生き様がひとつの大きな物語世界を構築し、、 そのなかで 彼らは生身の血肉をもった人間として生き、 傷つき、、 やがて 衝撃の展開をむかえる……。 その場に放り込まれた読者は、 しばし言葉を失い、 成すすべの無い自分に放心し、 涙する。。 
そうして 決して消えることの無い傷痕のように 物語は心の奥深くに突き刺さっていました。。
 

 ***

、、 読んでいる間、 そして読み終えてから、 ずっと限りない疑問が頭に渦巻いていました。 なぜ? どうして… と。 


なぜ、 なんのために内戦をしているのか そのことがまずわからない。
歴史を知らないからだろうとウィキのスリランカの内戦の項をみてみても、 その記述の複雑さに 政情を理解するのは無理と諦めました。 物語のなかの記述だけを頼りに読み進め、、

法医学のアニルの調査に同行する相手がなぜ考古学者なのだろう・・・
遺骨から身元や死因を特定したとして、殺し殺される内戦下でどうやってそれが意図的な虐殺だと証明できるんだろう・・・

内戦のなかでサラスは考古学者として何をしているのだろう… 遺跡の発掘とか考古学の調査とか成り立つのだろうか・・・
テロや報復や際限のない殺し合いのなかで、ガミニはどうして医者を続けていられるのか・・・
学問とか 医学とか、 学会とか 大学とか、 そんなものがどうやって成り立っていけるんだろうか・・・

さらに、、
彼の、 また彼女の、 愛の記憶を語るのは なにを意味するのだろう・・・
なぜ彼は、 あの女性を愛したのだろう… あの愛してはいけないひとを・・・
内戦下の状況とは繋がりのない 愛の物語が語られるのはなぜだろう・・・


こんな世界で、 人は宗教とか 寺院とか 仏像とかに なにを思い なにを信じるのだろう・・・


最後の場面は、、 わたしたちに何を伝えようとしているのだろう・・・


ばらばらにみえる登場人物たちが最終的にはひとつの大きな物語世界を構築し… とさきほど書いたけれども、 この物語世界でオンダーチェさんが示そうとしたものは 何だろう・・・


こうした際限のない疑問に、 ひとつの答えを出すことなどできそうもないし、 そもそも答えられるものであれば オンダーチェさんはこれを小説という形になどしないだろう。 読み手がいだくであろうこうした疑問 全てを念頭に、オンダーチェさんはこの作品を書いていらっしゃるだろうと思うのです。 

なぜ、 どうして、、という疑問は消えない。 けれども 衝撃の展開と、 ラストの場面のなかに さし示す何かがある・・・


忘れられない場面、、 悲惨な状況下であるのに 崇高さを感じる描写は いくつもありました(もっとも鮮烈に記憶に残った部分は ストーリーに重要な部分でここに挙げられませんが) 
外科医であるガミニの物語はとりわけ心に残りました。 初めのほうの一部を…


 ひとしきり攻撃があると一週間で鎮痛剤が底をついた。 そういうときは損得を忘れる。 苦しい叫びがあがるなかで、ただ夢中である。 いくらかでも整然としたものを大事にしたくなる―――(略) ガミニは深夜の手術を終えると東側の病棟へ歩いていった。 病気の子供がいる。 母親の姿もある。 簡便な椅子に腰かけた母親が、頭と上体を子供のベッドにもたせかけ、小さな手を握ったまま眠っているのだった。 (略) 祖国の原理だとか、所有権のプライドだとか、個人の権利でさえも、ことごとしく言い立てる者は嫌いだった。 そういう動機で行動すれば、結局は薄情な権力に取り込まれる。 自分も敵も善悪の度合いはどっちもどっち。 信ずるに足るものは子供に寄り添って寝る母親くらいしかない。 あの姿には子供に夜を越させようという優しい生命維持の営みがある。


今、こうして書いてきてみて、、
なぜだろうと上に書いたさまざまの疑問、、 内戦下の考古学とか 医学とか、 学問とか、 宗教とか、 愛とか、、 

そういうものはすべて、 戦争の対極にあるものなんだ…と ふと思いました。 人間が 人間として受け継いでいける、 よりどころに出来る、、 (絶望的生活のなかでどうやってよりどころに出来るかはわからないけれど…) ガミニの言う 「信ずるに足るもの」。 
母親にとっては握りしめている病気の子供の手。 この夜をなんとか越させようとする、 命を明日へつなげようとする想い。。

 ***

本の紹介文のところにこうあります。

 内戦の深傷を負うスリランカで、生死を超えて手渡される叡智と尊厳―

ストーリーを思うと、 一瞬 なんのことだろう、、 と ちょっと不思議な感じがします。。 でも、 オンダーチェさんの「謝辞」を読んだ時に、 はっとしたことを思い出しました。 

「謝辞」には 参考文献として スリランカの遺跡や美術に関する論文や、 外科医療に関する論文などが列記されていて、 そこには 小説の登場人物とおなじ《アーナンダ》や 《ガミニ》 という執筆者の名前がありました。
小説のなかの人物がその人のこと、というわけではないのかもしれません、、 論文の著者からたまたま名前を借りたということかもしれません。 でも、 長い内戦下にあっても、そのように論文を書いてのこした人がいるということに、 深い感動をおぼえました。 そのような人たちがいたから この小説は書かれたのだと。

叡智と尊厳、、 受け渡す、、 明日へつなげていく、 ということの意味を感じました。
内戦のなかで考古学や医学をどうやって成り立たせていけるのか… などと考えた私への答えがこの「謝辞」にあったのです。


そして、、 ラストの場面の意味にも・・・ 


 ***

『アニルの亡霊』の世界は スリランカというひとつの国のことではないとあらためて思う。。
先日までつづいていた、平和の祭典であるオリンピックのさなかから、、 そして今日も、、 不穏な軍事侵攻のニュースが届きます…


なんのために…

どういう理由や権限があって そんなことが許されるのだろう…



未知の感染症などという 人類共通の敵というものが現れたら、 少しは世界が協力して 人類全体を明日へつなげる努力をするんじゃないか、、と

そんなことを想ったりもしたのにな。。



人間て、、 愚かなんだろうか…  尊いものなのだろうか…



pray for peace...


物語に落ちる…

2022-02-08 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
ここしばらく、読書放浪者になっていました…

読みたいと思っていた何冊かの本を手もとに置いて読み出すのだけど、 なんだかちがう、、 別の本を、、 これも ちがう、、 こちらでもない、、 と どうしても気持ちが入りこまずに、、

それは決して本が悪いのではなくて たぶん 今の自分のせいなのでしょう。。 いくつかの気になる事、、 気にかけている友、、 ちいさな心配ごと、 頭のなかのちいさな頭痛、、

そんなときは、、 未知の作家さんよりも すでに信頼を置いている作家さんに助けをもとめよう…

、、と マイケル・オンダーチェの未読の小説 『アニルの亡霊』を先週から読み始めたのですが、、 こちらも遅々として進まなくて、、

 ***

オンダーチェさんは スリランカに生まれ ロンドンのパブリックスクールを経て、 カナダへ移住した作家。 『アニルの亡霊』は 初めて故国スリランカを舞台にした作品。 、、ということだけを頭に読み始めました。

、、どうやら内戦が続いているらしい、、 重い。。 
政府や武装勢力や、 とても複雑な状況下にあるらしい。。 でも 政治の物語ではない おそらく。。 ある女性の物語? いや、 別の人物にも焦点があたる。。 誰かの過去が挿入される。 この人は誰? 、、どんな話なのか なかなか掴めない。 どうしようか、、
そうして 時間がかかりつつ、 何日もかかってようやく三分の一くらいまで読んだあたりで急に 物語に吸い込まれるように世界が感じられるようになってきました。 (いま後半にさしかかったところ…)

、、 投げ出さなくてよかった、、

 ***

 彼の肩にふれた。 すっと彼の手が上がったと思うと、頭がずれて、もう寝入ったようだった。 この頭蓋、ぼさぼさの髪、疲れているらしい重みを、膝枕に受けてやる。 眠りよ、私を解き放て。 と歌の文句が浮かんだが、メロディを忘れていた。 眠りよ、私を解き放て……。 
    (『アニルの亡霊』 小川高義・訳 より)


前に、 オンダーチェさんの『ライオンの皮をまとって』を読んでいた時、(あのときも読んでいる途中でしたが) 印象深い文章を抜き書きしましたね。

あのとき抜き出した文章も、 男性が《寝落ちる》シーンでした。。 オンダーチェさんが寝落ちる場面が好きなのか、 私が好きなのか、、笑。

以前の『ライオンの皮をまとって』の場面の補足をします…
高架橋の建設をしている場面。。 男が一本の命綱で橋からぶら下がり、宙に浮いたかっこうで橋げたの作業をしている。 その男にしか出来ない危険な作業。
夜の現場。 ある不注意から上を通りかかった尼僧のひとりが橋から落下してしまう。 それを橋からぶら下がっていた男が片手で受け止める。 衝撃で男の肩がはずれるが、尼僧を抱きとめたまま 命綱を伸ばして地上へなんとか降り、 腕を脱臼した男は 助けた尼僧にささえられて 知り合いのいる近くの酒場へと辿り着く。 、、そのあとのシーンが以前に引用した部分。 (>>10月になりました…)

、、 前にこの《落下》につづく酒場の部分を読んだとき、、 その情景と詩的な文章があまりにも鮮烈で、 すっかり魅了されてしまい、 本を読み終えるまでずっとこの場面が頭から離れませんでした。。 落ちていく尼僧。 命綱でむすばれ下へ落ちて(下りて)いく二人。 痛みを酒でごまかして不意に寝落ちていく男。。 はっきりとは書かれていないけれども、 この場面には 恋に落ちていく匂いも漂って読む者をどきどきさせる。。

、、 どうしてこんな鮮烈な場面を思いつくのだろう…

、、 もちろん、、 オンダーチェさんが詩人でもあるから。。 
さきほどの『アニルの亡霊』から引いた 《ぼさぼさの髪》の男が寝入る場面も、とても美しい場面でした。 死があり、 傷ついた肉体があり、、 不可解な謎があり、、 見通せない霧に覆われているような重い物語のなかに、 吸い込まれるような透明感のある文章があることに気づく。。 気づいたときにはもう吸い込まれている。。

20数年前、、 初めて読んだオンダーチェさんの『イギリス人の患者』の、 大火傷を負った患者のひとり語りに引き込まれる、、 あの感覚を思い出します。。 オンダーチェさんの小説がもつマジック。。 こうした詩的な言葉で魔法のように語られるイマージュは、 『ライオンの皮をまとって』の時もそうでしたが、 決して物語の主筋ではなかったりします。 でもそんなことは関係ないのです。。 ページにしてほんの数ページの場面だったりするにもかかわらず、 その人物の書かれていない過去や、 ときには一生まで リアルに感じさせてしまう、、 忘れられない鮮烈さで胸をうつ一場面。。

、、さきほどの『アニルの亡霊』の、 寝入った《ぼさぼさの髪》の男が このあとの物語でどうなっていくのか、、 どういう役回りなのか、、 それはまだなにもわかっていないのですけれど…


先を読むのが楽しみで かつ 読んでしまうのがもったいない。。 そういう小説に出会いたいがために本を読む。。
そして、 一年に一冊でも、、 一冊でいいから、 永遠に心に刻まれるような作品に出会えたら、、 それこそ 生きていることには意味がある、 と いまの私は思います。。

小説にかぎったことではなくて、、 音楽でも、、 出会う人のことでも。。


 ***

最初に書いた、、 ちいさな心配ごと、、 そのなかの一つ。。 或るお友だちの元気が先ほど確かめられて、、 よかった。。 ひとつクリア、、




これは先週の夜明けの星。


あさってには東京でも雪になるとか…?




風邪ひかないでくださいね。。

再読でつながる歴史:『ディビザデロ通り』マイケル・オンダーチェ著

2019-11-25 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
 孤児の歴史感覚をもつ人間は歴史が好きになる。 わたしの声は孤児の声になった。
 …(略)… なぜなら歴史を掠奪しないかぎり、不在がわたしたちを糧にして生き残ってしまうからだ。

   (『ディビザデロ通り』 「かつてはアンナとして知られていた人物」より)


『ディビザデロ通り』を最初に読んだのは 7年前の11月でした(読書記>>
↑このときの重複ですが 
 「アンナとクレアと、 クープ。 互いに血のつながらない姉妹と兄のような、、 家族でもあり、幼馴染みでもあるような、、 そんな関係で生まれ育ち、 十代を共に成長していった3人が、 ある出来事を境に 互いの人生が離れてしまう」 本書の前半はこのような物語で…

そして本書の後半は、 フランスのリュシアン・セグーラという埋もれた作家をめぐる物語になっていく。 リュシアン・セグーラもまた 家族と訣別し孤独に生きた作家だった。 リュシアンの人生=《歴史》を語るのは、 あの《出来事》の後 故郷をとび出し やがて研究者へと成長したアンナ。 冒頭に挙げたのは そのアンナの言葉です。 

、、7年前に読んだ時は、 引き裂かれる物語、 失ってしまった過去 離ればなれで生きる喪失の物語、、 というせつない印象がすごくありました。 その痛みを抱えながら、 ぷつんと断ち切られた記憶の破片が心に刺さったまま生きていかなくてはならない… それが人生、、 そんな風に感じていました。 

けれど、 今回再読していくと そのときとは全く違った気持ちに包まれたのです。。 引き裂かれ、喪失する物語… それは確かにそうなのですが、 ばらばらにされたそれぞれの歩みは、 結局 自分のゆくべき(還るべき)場所へ… 魂の呼び寄せられる場所へと かれらは必然的に其処へ行き着いたのではないか… そんな印象に変わっていたのです。

その気持ちの変化は、 前回書いたように オンダーチェさんの作品を続けて読んだからに他なりません(>>) (以下、作品のネタバレを含みます、ご容赦ください)

 ***

アンナは、 あの嵐の晩の《出来事》のあと、 父をのこして家をとび出し、 共に育った孤児のクープや 姉妹として育った養女クレアも失い、故郷も失い…(孤児になったというのはこのことを指します)、 たった独りで大学で文学を学びます。
彼女がリュシアン・セグーラという作家を見出したのは、 たまたま図書館で耳にした彼の録音肉声に 「傷ついた人の響きがあるのを聞き取った」からでした。 その「傷ついた心を包みこんだ」声が頭から離れず、 この作家が最期を生きた家で彼の人生を発掘すべく フランスへ渡ったのです。

オンダーチェさんの作品には《孤児》あるいは親を失った子供がしばしば登場しますが、『ディビザデロ通り』では クープ(孤児)、 クレア(養女)、 アンナ(出生時に母と死別)、、 作家リュシアン・セグーラも父を知らず、養父も早く亡くしたのでした。

冒頭にあげた引用に 「歴史を掠奪しないかぎり、不在がわたしたちを糧にして生き残ってしまう」とありますが、 ルーツの《不在》…父や母がどんな人生を歩んできたのかがわからない、という事が 自分という存在を侵食し《欠けた穴》となり だからそれを埋めるように《歴史=ルーツ》を求めてしまうのだ… と。。
 
アンナが生まれたときに亡くなった母は、カリフォルニアに入植したスペイン系移民(カリフォルニオ)でした。
リュシアン・セグーラの父は、 スペインからフランスに働きに来ていた渡りの屋根職人でした。
このことは物語の中では少ししか触れられていませんが、 読み過ごしてしまいそうなこういう小さな繋がりにふと気づいたのも、 『ライオンの皮をまとって』の移民たちの物語を読み、 『イギリス人の患者』を読み、 ハナやカラヴァッジョのルーツを考えたりした結果でしょう。 

アンナがリュシアンの肉声を聞いた時、 知っている情報は「奇妙な家出」をした作家ということだけでした。 《家出》というのはアンナと作家を結ぶひとつの共通項ですが、 でもアンナが作家の声の中に聞き取った直感には、 家族を捨てたという共通項以外に、 じつは両者の亡き親のルーツ(歴史)にも共通項があったという そのような《魂》のレベルでの呼び声に暗に導かれたのかな、などと… そんな運命的な《道のり》を今回は感じてしまったのです。

そしてアンナは リュシアン・セグーラが最期を過ごした土地で ラファエルというギタリストの男に出会いますが、 彼の母アリアはマヌーシュ(ロマ)の人でした。 そして父は…
ラファエルの父は《泥棒》でしたね。。 
父と母が出会ったのは、 第二次大戦のすこし後、、 ラファエルの父はフランス人ではなく 大戦中はイタリアにいて負傷し、 戦後は妻のいる自分の国に帰らずフランスへ来た。 そして父はちゃんとした英語が話せた、とラファエルは北米人のアンナに語ります… 

この経歴は… 、、 もしかして カラヴァッジョのこと…?? (『イギリス人の患者』そして『ライオンの皮をまとって』の…) だって全て辻褄が合いますもの…

一篇の小説を読むのに このような詮索は邪道だと承知で、、 でも、 ラファエルの父についての情報はわざわざ謎めいて書かれていて(本名を決して明かさず リエバール、アストルフ、等と偽名を次々変えていくのも)、 そこにはちゃんと意味があると思わずにはいられないですし…
敢えてそう考えてみると、 ラファエルの父が大戦後に国へ戻らずこの地にいる理由も、 家馬車での移動生活をしていたのも、 カラヴァッジョの経歴として納得できるものですし、 書かれている文章以上の意味をもって想像されます。 ここにも物語の表面には表れないひとりの男の《歴史》をオンダーチェさんは用意していたのかも…

アンナがラファエルを愛しはじめるのも、 ラファエルが作家リュシアン・セグーラの晩年を知っている人物という事などとは関係なく、 ラファエルのルーツと生き方が自然とアンナの《魂》を呼び寄せたのでは、 ラファエルがギターを弾く音色を初めて聴いたアンナは そのときすでに無意識に何かを感じ取っていたのでは、、、そんな風にも思えてしまいます…

 「彼女をこの空き地に誘いこんだのはこの男だったのかもしれない
…そう書かれています。 

 ***

唐突ですが…
『イギリス人の患者』の中で、 人妻キャサリンを愛したアルマシー(患者)が妄想のように彼女の事を語る場面があります。
 
 「出会いの何年も前、私の分身がいつも君に付き従っていたように …(略)… 君は知らないだろうが、 ロンドンとオックスフォードのあの数々のパーティーで、私はいつも君を見ていたぞ

 患者のこの語りは一頁以上にもわたり、 「恋に落ちる相手と出会うとき、 心の一部は知ったかぶりの歴史家になり、 かつて、相手が何も知らずに目の前を通りすぎていったことを思い出す」 とつづく。

 「何年も砂漠で暮らしながら、私はこんなことを信じるようになった。 …(略)… ジャッカルは片目で過去を振り返り、片目で君が進もうとする道をながめやる。 口には過去の断片をくわえ、それを君に引き渡す。 時間のすべてが完全にそろったとき、君はそれをすでに知っていたことに気づく
   (『イギリス人の患者』 「泳ぐ人の洞窟」より)

、、この最後の 「ジャッカルは…」以下の部分は、 今回『ディビザデロ通り』を読み返した時、 とても強く感じたことでした。 あらかじめ知っていたかのような《運命的》な出会い、 過去の出来事は道がやがてそこへ通じるための必然であったかのような、、。

 ***

『ディビザデロ通り』のもうひとつの重要なキーワードとして 《取り替え子》というものがあります。 《身代わり》とも言えます。
 
「名前につまずく」の章がその象徴的な部分ですが、 アンナ、クープ、クレアという3人の関係では クレアがアンナの《身代わり》になりました。 
はじめに読んだ時には そのようになってしまった事があまりにも切なくて、 愛を失ったアンナも、 記憶を失ったクープも、 アンナの代わりになったクレアも、 みんなが哀しくてたまりませんでした。

でも… 今回、 アンナがリュシアン・セグーラという作家を見出し、フランスへ行き、 ラファエルに出会ったのは決して偶然ではない、と思えた時、、 クープもまた《魂》の安らぎを結果的に得られたのだと、、だから《身代わり》としてのクレアも決して悲しくはない、と。
クレアがクープを見つける前にスケートボードの男にさらわれるのも決して偶然ではないし、 クープがあの店に入ってきたのも偶然なんかじゃなかった、、… それは 上の『イギリス人の患者』で引用した 「時間のすべてが完全にそろった」ということなのだ、と。。 そう思ったのです。

同様に、 《身代わり》というテーマは、 ロマン、 マリ=ネージュ、 リュシアン、という3人の関係にも当て嵌まります。 リュシアンもまた ロマンの身代わりという運命を受け入れたのです。

悲しみではなく、 それがあるべき形… 自分がたどり着くべき《魂》の安らぎの道、としてこのことを考えられるようになった理由は、 新作の『戦下の淡き光』を読んだからでもあります。。 これはネタバレになるので詳しくは避けますが(お読みになった方なら はっと気づかれることでしょう)、 《身代わり》を受け入れること、、 このことは『戦下の淡き光』でも語られている重要なテーマでしょう…

 ***

前回も書きましたが、 オンダーチェさんの作品の再読は ひとつの物語の枠を超えて、 作品と作品とがパッチワークを作っていきます。 そのように読んでしまうことの良し悪しは別として…

物語の地図はヨーロッパから北米大陸まで世界をめぐりますし、、 そして時代は、 作家リュシアン・セグーラが赴いた第一次大戦から、 ラファエルの父がイタリアにいた第二次大戦、 クレアの上司が経験したヴェトナム、、 そして物語の前半でクープたちギャンブラー仲間がTV画面を通して観る まるでコンピューターゲームのような湾岸戦争へ、、と 20世紀の戦争のすべての《歴史》が、 物語の背後にずっと存在していることも知らされます。

このこともオンダーチェさんの作品をずっと通して 新作の『戦下の淡き光』までをつらぬいている《芯》のひとつでしょう…

 ***

宙ぶらりんのまま断ち切られる物語… 

オンダーチェさんの作品にはそのような印象がずっとありました。 途絶と喪失… 手に残る破片…


でも 再読・併読によってこの印象はかなり変わりました。 手に残るピースを決して失くしてはいけないこと… どの小さなピースもどこかへ繋がる可能性を秘めているし、 歴史のあちらとこちら、 物語のあらゆる場所で彼らは生きている…


  片目で過去を振り返り…


  口には過去の断片をくわえ…

 
  時間のすべてが完全にそろったとき、君はそれをすでに知っていたことに気づく…




再読・併読のクロスワード『イギリス人の患者』と『ライオンの皮をまとって』マイケル・オンダーチェ

2019-11-16 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


 マイケル・オンダーチェさんの作品は 作品同士の間でも パッチワークをつくることが可能なのだ、、

と、 先月 『ライオンの皮をまとって』を読み、 新作の『戦下の淡き光』を読んだ後に(>>)書きました。 
マイケル・オンダーチェ著『ライオンの皮をまとって』は初期の作品で、『イギリス人の患者』の前に書いた作品、、 登場人物にも両作品にはつながりがあります。
(今回、再読後に感じたことを書くので 両作品の内容に触れています。ご容赦ください↓) 

『イギリス人の患者』の舞台はは第二次大戦終結間近のイタリア。
連合軍が去った後の廃墟の寺院に残った身元不明の大火傷の患者と、 彼を看護するハナ、 そこに地雷除去の工兵キップと、 ハナを良く知る元泥棒の兵士カラヴァッジョが加わり、 四人の不思議な共同生活がはじまる。 患者の口から断片的に語られる 戦前そして戦時中の砂漠探検の記憶や愛の物語、、 見知らぬ者同士だったハナ、キップそれぞれの戦争中の記憶、、 それらが散文詩のように織り成され、 国籍も来し方も異なる彼らの過去や 戦争によって失ったものの哀しみがすこしずつ明らかになっていく。 

けれども、 最初に読んだ二十数年前には、 その詩的な文章がもたらす映像的なイメージに酔いしれるのが精一杯。。 患者が語る人妻キャサリンとの愛の物語や、 看護婦ハナと地雷除去の工兵キップが互いに惹かれ合っていく過程に心をうばわれ、、 彼らがそもそもなぜこのイタリアの戦地にいるのか、 ハナがどこの国から来たのかすら殆んど考えていませんでした。 前作にあたる『ライオンの皮をまとって』と、 第二次大戦後の英国を描いた『戦下の淡き光』を読んでやっとそのことに気づいたのです。

重複になりますが、、

 「、、 でも、 『戦下の淡き光』を読んで、 『イギリス人の患者』を二十数年ぶりに読んで、 その前提となっている『ライオンの皮をまとって』をまたまた読み返しているところですが(共通するのはふたつの大戦にまたがる時代だということ)、、 
『イギリス人の患者』には《イギリス人》など何処にも出てこなかった事… ハナも、ハナの父親のパトリックやカラヴァッジョもカナダから何をしに戦争に加わってイタリアにいたのか、、 (恋におちる相手の)人妻のキャサリンはなぜ砂漠へ来たのか、、」
(前回 『戦場のアリス』実在した英国諜報部の女性スパイ小説の読書記より>>

『イギリス人の患者』の中で 看護婦ハナの身の上についてはわずかの情報しか書かれていませんが カナダ人であること、 母はアリス、 継母はクララ、 父パトリックは大戦に参戦しフランスで死亡し、 父の長年の友人が元泥棒のカラヴァッジョでハナを探し出してこの寺院に現れる。 
彼らの前半生の物語が『ライオンの皮をまとって』です。 ハナが生まれる以前の、 パトリックとアリスが出会う話や、 後に継母になるクララとの関わり、 そして泥棒としてのカラヴァッジョの経歴。

『イギリス人の患者』と『ライオンの皮をまとって』は別々の独立した小説ですが、 これら共通する登場人物にはマイケル・オンダーチェさんのそれなりの《意図》がたぶんあるのでしょう、、 カナダへの移民たちの物語、 その家族の物語、 人と人が出会い結ばれ 別れ 時代が移り変わっていく歴史… だから、『イギリス人の患者』を再読するときに、 なぜハナが、 カラヴァッジョが、 カナダを遠く離れたイタリアの戦場にいるのかを考えてみる意味はあると思うのです。 《イギリス人の患者》も英国人ではないし、 イギリスの戦争をインドの工兵キップが戦い、 カナダ人のハナの父がフランスで戦死し、 ハナとカラヴァッジョは今イタリアにいる。。

『ライオンの皮をまとって』のネタバレになりますが、 ハナは母アリスと、プロレタリアートの活動家カートウとの子で カートウはハナが生まれる前に殺されました。 ハナが父と呼んでいるパトリックは育ての父です。 そして母アリスはハナが11歳のとき爆死しました。 
《爆弾》というのは『イギリス人の患者』の中でとても大きな意味を持っているものです。 ハナが恋心を抱く工兵キップは爆弾処理の工兵。 書かれていないけれども、 ハナの父パトリックも元々建設現場のダイナマイト爆薬のプロでした。  
カナダの国づくりの為に使われたダイナマイト、 そして資本家の権力に抵抗する闘争の爆弾、、 大戦下では敵を斃す爆撃や地雷になり、 それから無差別に大量に人類を破壊する原爆へ、、 

ハナは『イギリス人の患者』のなかで自分の過去や家族についていっさい語りません。 養父パトリックの戦死も頭から締め出して、 取り憑かれたように患者の看護に身を捧げます。 が、活動家の実父の死、 その闘争活動にも関わった母の爆死、 養父パトリックの戦死、、 ハナの心の闇の深さは底知れないはず…  前作では養父パトリックと暮らすようになるハナは16歳、、 もしかしたらパトリックを父というよりかけがえのない人、愛する人として見ていたのかも、と思う。 全身にやけどを負って生死をさまよう患者を憑かれたように看護するハナは 自分の闇、自分の喪失を患者に投影して必死にその命を引きとどめようとしているのかもしれない。 ハナは《イギリス人患者》を「愛している」とカラヴァッジョに語る。。
そのハナが 《爆薬》の専門家、地雷除去の工兵キップに惹かれていくのは ここにもなにか意味があるのだろう… 

深読みすれば ハナの養父パトリック(戦時には40代のはず)が従軍するとしたら、 爆破や火薬の知識を請われて、ではないだろうか… 元泥棒のカラヴァッジョが諜報活動に利用されていたことが書かれているのだから、 そう考えられる。 かつてパトリックとカラヴァッジョは資本家を狙って犯罪を犯した服役者だった。 大戦の兵士に迎え入れるとしたら、 彼らの技術を軍が利用する為と考えるのが妥当かと思う。。
爆死した母をもつハナにとってのこの戦争、、 移民としてまたプロレタリアートとして連合軍に参加している(させられている?)カナダ人のパトリックやカラヴァッジョにとっての戦争、 キップの戦争、、 英国人の出てこない英国軍の戦争という意味。。、

『ライオンの皮をまとって』を読んだ上で『イギリス人の患者』を読み直すと、 インド人工兵キップの英国軍参戦への想いや、 クライマックスでヒロシマへの原爆投下を知ったときのキップの白人憎悪という急展開の違和感が 少し違った意味でわかる気がしてきます。
カナダで白人の国づくりの為に移民が過酷な労働を強いられ、命を奪われ、搾取され、、 という『ライオンの皮をまとって』からのつながりで見れば、 非白人兵士キップに原爆の怒りを体現させたオンダーチェさんの想いもなんとなく感じることはできる。
、、 白人憎悪というよりも、 《爆薬》を終わりの無い争いの手段へ、、殺戮の手段へと変えてしまった者への憎悪。

《爆弾》《爆薬》というキーワードは 『戦下の淡き光』にも繋がっていくこともまた 考える必要があるけれども 新作についてはここではやめておきましょう。。

 ***

《イギリス人の患者》=アルマシー伯爵はハンガリー人の貴族の考古学者・探検家でした。 そのことは後半のほうで カラヴァッジョが患者にアヘンを投与し、 語り合う過程で明らかにされます。 カラヴァッジョは英国諜報部の命を受けたスパイなのでしょう、、 アルマシーが愛した人妻キャサリンと夫のクリフトンも諜報活動に関わっていたことをカラヴァッジョは告げます。 サハラ砂漠の詳細な地図作成をし、 その土地や部族の知識を持つハンガリー人アルマシーの情報を得る為にクリフトン夫妻が送られた、ということです。

キャサリンがアルマシーに 読むものがなくなったから本を貸して、という場面があります。 肌身離さず持ち歩き、さまざまな備忘録を書き留めてある手帳がわりのヘロドトス『歴史』を、キャサリンはアルマシーから一週間借り受けます。 小説の中ではたったこれだけですが、 このことを別の意味にとらえることもできるでしょう。。
 
小説の中では アルマシーはキャサリンの遺体を隠した洞窟へたどり着く為 三年後に砂漠へ戻ったことが語られます。 カラヴァッジョは、 アルマシーがドイツ軍のスパイとなり、 ロンメル将軍率いるドイツ軍の「サラーム作戦」にアルマシーが関与し、 諜報員エプラーをカイロへ導く役割をアルマシーがしたことを追求します。 このことは史実だそうですが、 ドイツ軍の手引きをしたアルマシーという解釈や、 その情報を得たカラヴァッジョが諜報員としてその後どうしたか、 アルマシーをどう扱ったか、については 物語には出てきません。 キャサリンを純粋に愛しただけのアルマシーの行動か、、それともスパイか…
意味は読者の解釈にゆだねられます。

正直、、 最初に読んだ二十数年前には、 ロンメル将軍や「サラーム作戦」のことなど何一つ知りませんでしたし、読んだ記憶も残っていません。 アルマシーが実在の人物だというのも知りませんでした。
マイケル・オンダーチェさんの作品は、 たった1行を読み飛ばすと とてつもなく大事なキーワードや伏線を忘れることになる、、と今回気づきました。 ただ、 そこに気づかせるのがオンダーチェさんの主眼なのか、 それとも 詩的で映像的な断片的記憶のつぎはぎの中を読者に自由にさまよわせるのが それが作者の望む読まれ方なのか、、 それもよくわかりません。。
人それぞれで良いのだと思います。


アルマシー伯爵を検索していたら、 オーストリア政府観光局のこんなサイトをみつけました。 アルマシーが暮らした城に現在宿泊できるのだそうです。 実在のアルマシーはイタリアでは死ななかったのですね…⤵
ベルシュタイン城

László Almásy Wiki
 ラースロー・アルマシー伯爵について


 ***

『ライオンの皮をまとって』の中にも描かれていない謎がいっぱいです。。

ハナを生んだ母アリスはなぜ若いころ尼僧だったのか…  やがて愛し合いハナを身籠ることになる相手の活動家カートウについても詳細はなにも描かれません…
尼僧だったアリスの命を助けた男ニコラス・テメルコフは、 パトリックが服役していた間 両親のいないハナを5年間育てた大事な人です。 そのニコラス・テメルコフについても、 とても重要な人物なのに、、(尼僧アリスとのエピソードもものすごくロマンティックなものだったのに) テメルコフの生き様についてはほんの少ししか書かれません。

マイケル・オンダーチェさんの断片的な物語の手法、、 空白の物語がもたらす余韻や想像の世界、、 その深さ、広さ、、はかなさ、、 ゆえに その物語が愛おしくてたまらないのだと思います。 でも 彼等はきっとどこかに生身の肉体を持って 歴史のなかで生きていたのだろうし(実在しなくてもそう思わせる背景を持ち) オンダーチェさんの作品世界のどこかと別の本のどこかで多くの存在が互いに響き合っているのだろうと思います。

きっと どこかに カートウの物語や、 ニコラス・テメルコフの物語や、 若き尼僧の物語が隠れているのかもしれないし、 これから書かれることもあるのかもしれない…

新作『戦下の淡き光』にも似たような想いがあります。。 新作ではラストにひとつの《種明かし》をオンダーチェさんはめずらしく描いて下さったけれど、 「娥」の物語や 「屋根から落ちた少年」の物語や、、 読後も想いはいつまでもひろがります…

、、 個人的には 『イギリス人の患者』のハナと、 『戦下の淡き光』のぼくが、、 このあと出会うこともあるのかもしれない、、 などと考えてしまいました。 親を喪失した子供時代という過去を持つ二人が… 


たんなる想像 ですが…


、、 オンダーチェさんの残りの作品や 『ディビザデロ通り』もまた再読したくなってきました、、 エンドレスになっちゃう…



秋の日よ 暮れないで…


よい読書を。 よい週末を。。


マイケル・オンダーチェ『戦下の淡き光』… 読了後の断片

2019-10-24 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


6日に書いた マイケル・オンダーチェの『ライオンの皮をまとって』を 土曜日(19日)に読み終わり、、 そのあと直ぐに 新刊の『戦下の淡き光』(作品社、田栗美奈子訳)に取り掛かり 読了しました。

『ライオンの皮をまとって』は 『イギリス人の患者』の前に書かれた作品で、 登場人物もふたつの小説中でつながりがある ということを6日に書きましたが、、 『戦下の淡き光』に関しても、 具体的な登場人物や設定に繋がりは無いとしても 彼らの生きざま、 背負っているもの、 記憶の断片、、 そういうテーマのなかに確かな結びつきがあるということを感じながら そして其処にこそ オンダーチェの文学の鍵があったのか ということを発見しながら、、 感動しつつ読み終えました。。


、、 今はまだ 感想をまとめられる段階ではありません、、 でも ただただ 素晴しい作品でした。 

そして 自己満足ながら思うのは、 昨年から続けざまに読んできた 第一次大戦、第二次大戦期を背景にした小説、、 ミステリ作品などのエンターテインメント小説も含めた読書、、
… そのきっかけを作った元と言えば、、 リチャード・フラナガン『奥のほそ道』を読んだときの疑問やわだかまり、、 カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』の 小説という表現方法・手腕の限界、、 そこで感じた《失望》みたいなものが起点になって、、

でもそれは 自分が現代史をよく知らないからかもしれないし、 読書量の未熟さもあるからかもしれないし、、 と思って、、 なんとなくそれから二つの大戦にまたがる小説を追って読んできて…

一昨年になるけれど、M. L. ステッドマン『海を照らす光』も第一次大戦後の心に傷を負った人々の物語だったし、、 感想はここに書いていないけれど、ヘニング・マンケルさんの『北京から来た男』などからも 決して終わりの無い戦争という過去についての怖ろしさを学んだ。。

今、TV放送も続いている フォルカー・クッチャー著のベルリンシリーズでの時代の不穏さや、 ロバート・ゴダード著の《1919年 三部作》に出てきた英国諜報部の活動や、、 実話をもとにした マーク・サリヴァン著『緋い空の下で』のドイツ占領下のイタリアでのレジスタンスの活動、、 
つい先月に書いた ユッシ・エーズラ・オールスン著『アルファベットハウス』と、 ピエール・ルメートル著『天国でまた会おう』の戦時下の友情の物語、、 

それら全部の読書が このマイケル・オンダーチェの『戦下の淡き光』を読むための《訓練》だったんじゃないかと… そんな風に思えてならない、、 (ほんとうにこじつけのようだけれど…)

 ***

『戦下の淡き光』には 出征する兵士も軍隊も出てきません。 時代が大戦下であるという以外にはごく普通の(そう見えた)家庭の子どもの物語、、 ただし ある日を境に 両親が《仕事》で旅立つ… 姉弟の子どもたちを残して…

あとは 残された少年の目に映る日常の《断片》、、 オンダーチェさん特有の詩的な、 時に謎に満ち、 時に鮮烈な、 その一瞬一瞬が記憶に鮮明に残る断片のコラージュ。。 でも その断片的なコラージュの外側にある《世界》と その世界に翻弄される人生がすこしずつ明かされてくる…

以前、 『ディビザデロ通り』の読書記のときに(>>)書いたように、、
 「宙ぶらりんのように見える断片のパッチワークこそが、 人生を構成するかけがえのないパーツ」 なのだ。。 

両親は消え、、 少年はやがて成長し、、 記憶のパーツをひとつひとつ繋ぎ合わせて 自分と、 自分を取り巻いていた人々の過去のパッチワークを紡いでいく… 

そして たぶん、、 (驚いたことに) 
オンダーチェさんの作品は 作品同士の間でも パッチワークをつくることが可能なのだ、、 (もしかしたら そこにこそ、オンダーチェさんが小説を書く理由というものが存在しているのかもしれないし… ご本人は作品を再読しない人だと解説にあったから、 無意識なのかもしれないし、 無意識ならばこそ よく文学批評の世界で言われる《通奏低音》みたいなものが作品同士の間には流れていることに気づかされる…)

10月6日のところで、 『ライオンの皮をまとって』から引用をしました(>>)。 あそこで引用したのはじつは物語の主筋の部分ではなかったのですが、、 あまりにもあの男と女の一瞬が鮮烈で、 小説を読み終えるまでずっとずっと あの一瞬の《その後》を考え続けてしまいました。。
オンダーチェさんの作品にはそういう所があるのです。。 さきほど『ディビザデロ通り』の感想のところで 「宙ぶらりんのように見える断片のパッチワーク」と書きましたが、 まさに《宙ぶらりん》で置き去りにされてしまった断片的な物語がいつまでも心に残り、、 でも、 今回気づいたのです、、 その《宙ぶらりん》のピースをオンダーチェさんの他の作品のなかで発見することが出来るのかもしれないと。。。 それは正しい読み方ではないかもしれませんし、、 具体的に物語が繋がっているわけでもないのは解っています、、
、、 でも、 (読み手としての)理解のヒント、  より深く理解するためのヒントには成り得そうだと思うのです。。

だから 『ライオンの皮をまとって』を読んで、 『戦下の淡き光』を読んで、 これから再び『イギリス人の患者』を読もうと思います、、 きっと気づくことがあるはず…

 ***

もうひとつ、 面白い発見をしました。 オンダーチェさんの作品に出てくる《落下》というモチーフ。。 これは物語のネタばれになってしまうので例は挙げませんが、 「オンダーチェ作品における《落下》と《把握? 拾得?》の解読」 なんていう論考が誰か書けそうではないかしら・・・? ちょっとここにも注目すると面白いと思う、、 笑


 「あれから何年も過ぎ、こうしてすべてを書き留めていると、ロウソクの光で書いているように感じることがある。 この鉛筆の動きの向こうにある暗闇で何が起こっているのかわからない気がする。 時の流れから抜け落ちたような瞬間に思える。 聞くところによると、若き日のピカソは、変わりゆく影の動きを取り入れるため、ロウソクの光だけで絵を描いたそうだ。少年の僕は机に向かい、世界中に広がっていく詳しい地図を何枚も描いた。…」

    (『戦下の淡き光』より)

ロウソクの光の空間だけに浮かび上がった鮮烈な絵、、 ここではピカソと名を挙げていますが、、 思い浮かぶのはまさに「カラヴァッジョ」、、 (『戦下の淡き光』には出てきませんが)オンダーチェさんの作品になぜ「カラヴァッジョ」という名の人物が登場したのかもここからも想像されます、、 

《記憶》というロウソクの光に浮かび上がった 過去という小さな断片。 しかし その断片をつないでいくと、 世界中に広がっていくほどの地図ができる… その時代に生きた人々をも内包した物語という大きな地図が…

それこそが 文学の秘める醍醐味。。 それを 『戦下の淡き光』では味わうことが出来ました。


さて、、 二十数年ぶりの 『イギリス人の患者』へ…


そして また戻って来ましょう…


10月になりました…:マイケル・オンダーチェ『ライオンの皮をまとって』

2019-10-06 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
10月になりました…

金曜日、、 以前 ここに(>>)読書記を書いた フォルカー・クッチャー著のゲレオン・ラート刑事シリーズのドラマ『バビロン・ベルリン』が、、 BS12トゥエルビで放送開始されるとその日の朝に知って びっくりしました。

早速、 2話ぶん見ましたが面白かったです。 1929年のベルリンの、映像のリアリティが半端なかったですね。。
こちらの↓ 映画ナタリーを見たら、 スタッフには 映画『青い棘』の監督や脚本家も名を連ねているそうで、 『青い棘』は映像も美しかったし、 サウンドトラックも、デカダンスなストーリィの雰囲気も、役者さんもどれも素晴らしかったので、 『バビロン・ベルリン』の映像もTVというより 映画並みに見事なのも頷けました。 16話にわたって放送されるそうなので 今後も楽しみです…
https://natalie.mu/eiga/news/347123

、、 でも、 小説のラートはあそこまで悪辣じゃないゾ… ジャンキーでもないし、、
リッター嬢の身の上も 小説とは違っていましたね、、。 TVのほうが 色々とよりスキャンダラスな設定になっているみたい…

 ***

、、と

来週も楽しみ、、 と書きたいところなのですが、、 ちょっと ぷち入院をしてくることになってしまいましたの。。。

せいぜい一泊二日くらいかも、、 と 思ったら、、 約一週間かな、、とドクターに言われ (ええーーーっ!) 、、 でも 心臓の手術ではないのでご心配なく、、。 奥歯を抜くのに(心臓の手術してるから)入院しないと抜けないのですって、、 それだけのことなんですけど。。
、、 できれば週末に帰って来たいものです。。 (発熱したら10日くらい留め置かれるそうで… いやん)


 ***




 「君の髪が好きだ」と彼は言った。「ありがとう… 協力してくれて。酒を飲んでくれて」
  彼女は真剣に身をのりだして彼を見つめ、今度は顔をよく見た。 言葉はもう彼女の皮膚の裏側にあって、いまにも出ようとしていた。 彼が言うのを忘れている名前を知りたかった。 「君の髪が好きだ」 彼は肩を壁にあてて、顔をあげようとしていた。 そこで目が閉じた。そうして何時間も深く眠り込んでしまった。 …



マイケル・オンダーチェの『ライオンの皮をまとって』(福間健二訳、2006年、水声社)より。
、、 オンダーチェの新作『戦下の淡き光』が8月に出たと知り、、 そういえば まだ過去のこの作品も読んでいなかったな、、 ずっと読みたいと思っていたの、、 あとまわしになって…

、、そう思い出して、 この秋はまず 『ライオンの皮をまとって』から読もうと思ったのです。 オンダーチェが 『イギリス人の患者』を書くひとつ前に書いた作品だそう、、 本の中に登場する人物にもつながりがあるのだそうで、、

先日、、 読み始めたら その詩的なイマージュに 『イギリス人の患者』を読んだ20数年前の気持ちが蘇ってきました。。 一文、一文を読みながら 頭の中に映像をむすぶ、、 その言葉が喚起するものの美しさをゆっくりとゆっくりと慈しむように読んでいきたいと思った事、、

、、 急の入院さわぎとなって ここ数日 本も途絶えたまま、、。 持っていくパジャマを探し出したり、、 家族の一週間分のアイロンがけをしたりで、、 いっそがしいこと…
、、 本は病院で読む時間がたっぷりあることを願って…


  不在のあいだに演じられる長い求愛がある。 たぶんこの求愛は、彼がどこかの塔や橋から眠りの中に落下していったときの、彼女の髪への彼の言葉か、彼女のほとんど無言の質問に、基づいている。 


、、病院のそばには金木犀の生垣があるの、、。 でも、先週はお花が見あたらなかった… これから? それとも もう先に?


病室にもし香りが漂ってきてくれたらいいのにな…

もし天が空つぽであるなら… :『ニイルス・リーネ 死と愛』④

2019-09-14 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
ニイルス・リーネについて 前回書いたのはもうふた月前のことでした(>>

本は 8月のうちには読み終えているのですが、、 感想を書くのは 今度、 新訳として出版される 世界文学のシリーズ〈ルリユール叢書〉『ニルス・リューネ』 を読んでからにしたいと思っています、、

幻戯書房NEWS >>

 ***

読み終えて現在思っていること、、 少しまとめてみてもいいかな、とも思うのですが…
じつは なんと、、



↑240頁の次が 257頁… (苦笑)
、、糸綴の部分もしっかり止まっているので 抜け落ちたり破れたりしたのではなく、 製本の時から綴られていなかったみたいなんです。。 ニイルスと愛する人と親友と、、 その三者をむすぶ重要な会話の場面、、 十七頁ぶんが欠落しているので、 やっぱりきちんと読み直してから感想を書くことにしよう、、 そう思っています。

でも、、 なぜ 山室静さんが この作品に 『死と愛』という邦題をつけたのか、、 ニイルス・リーネ(ニルス・リューネ)にとっての 《愛》そして《死》とはどういうものであるのか、、 それは 不完全とはいえ読後の今、 私の中に形づくられています、、 光を見た後の瞼裏を照らす残像のような、、 何か不意に転倒しそうになったような (あるいはもっと鋭く… 銃弾がかすめた後のような) 驚きに胸郭を内側から叩く動悸のような、、 そんな すこしの衝撃と痛みをともなって…

 ***


194頁 のニイルスの言葉から… 

「だが、君は思ひませんか、」とニイルスは叫んだ。「何時か人間が高らかに『神はない』と歡呼できる日には―― その日には、まるで魔法のやうに、新しい天と地とが浮び上りはしないでせうか? …(略)… 


、、このあと ニイルスの言葉は長くつづきます、、


 … いま神の方へ向つてゐる愛の力強い流れは、もし天が空つぽなら方向を大地のほうへとつて、その愛の手で人間の高貴な本質や能力を守り育て、さうすることで我々の神性を見事に飾り立てて、それを我々の愛に値ひするものにまでしたことでせう。 …(略)… 人間がもし天国への希望や地獄への恐怖なしに、自由にその生を生き、その死を死ぬことが出来るとしたら …


まだ続きがありますが ここまでにしておきます。

5月に引用をした、 まだ最初のほうの部分で 子供のニイルスはこう叫んでいました、、

 「神様、待つて下さい、待つて! (『ニイルス・リーネ 死と愛』②>>


5月に、、この部分を読んだ時、 こう私は書いています、、
 「この病床に伏す女性の傍らでの 神様への祈りが、 そしてその結果が、、 ニイルスの神への信頼に、 その後の生き方に、 きっと大きな變化をもたらすことは想像されます。。」 と… 

、、あのときの幼いニイルスの言葉は たしかにここまで、 そしてニイルスの生涯を貫いて 繋がっていたのでした。。

 ***


今はまだ、、 この成人したニイルスの主張、 《神》や《人間の愛の力》というものに対する私の気持ちはまだ書かないでおきます。。 でも、、 子供のニイルスの叫び、 そして今度の大人のニイルスの叫び、、 それらには 私自身もたぶんずっとずっとちいさな子供の頃から感じ、 考えてきたことと やはりどこかで結びついていたのだと思っています。


もし天が空つぽであるなら、、

ひとは、、

そして 地上は、、

 ……


人の《愛》は、、?   そして《死》は、、



今も、、 今だから、、 


考えたい事です。。


 ***

 
〈ルリユール叢書〉『ニルス・リューネ』の発行日は まだのようですけれど、、 新しい訳と解説を得て、 今、この本が読める偶然? 《めぐり合せ》を、 しあわせなことと思って待っているのです…

 

 心やすらぐ連休になりますように…


イエンス・ペーター・ヤコブセン『ニイルス・リーネ 死と愛』③

2019-07-12 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
前回この本のことを書いてから ひと月半ほど経ってしまいました。。 でも、 このところの気温は5月のまま… そのせいか、、 季節が移り過ぎた、という感じがあまりしません。。 


きょうは、 読書記というよりも 少し引用だけ…

ニイルスは23歳になっています、、 そしていま 旅先にあって季節は冬を越えて 花の季節を迎えました。、、 その《春の祝祭》の記述から… (山室静・訳)




、、前にも書きましたが これは終戦から数年後の出版の古書。 まだ物資が乏しい時代だったのでしょう、、 紙は本当に藁半紙。。 小中学校の刷り物以来、 久しぶりに見ました。 この本の紙にも ところどころ 藁のような植物の繊維や溶け残った固まりのようなものが紙に漉き込まれています。 そんな素朴な紙に、 手で一文字、一文字、活字を拾って版を組んだ活版も、 文字が少し曲っていたり、 薄く擦れていたり…

でも、 そんな本の感触と、 旧漢字の古めかしい言葉でたくさんの花々の様子が語られているこの部分、、

「松雪草」は スノードロップ

「櫻草」は プリムローズ

「羊齒のにぎりこぶし」は 「薇=ぜんまい」でしょうか

「踊子草」というのは名前しか知らず、、 シソ科の花だそうです(Wiki>>) 確かに紫蘇の花に似ていますね。

そして、、
「龍膽」・・・なんだろう? と思ったら 「竜胆」リンドウの旧字でした。


こんなふうに ゆっくりと古い文字の花々を頭のなかで 画像に変換しながら読んでいます。 幸いなことに生まれた家にはそれはそれはたくさんの花が咲いていたので、 花の図像を思い描くことは出来ます(関係ないですが野菜の花を見分けるのもとても得意です・笑)
それにしても、 ヤコブセンは植物学を志したとあって、 とりわけ植物の描写や自然の描写になると 表現力が途端に緻密になり 鮮明になります。。

この花の描写はつぎのページまで続くのですが、、 そこには

「桐には巨大な菫を、木蘭には大きな紫縞のチユリツプを…」と、 なるほど… と思わせる比喩をしています。 木蘭はモクレン、ですね。 ほんとうにチューリップのような花ですものね、、。

本というのは不思議なものです。。 紙質、字体、活字の質感、、 そして翻訳語の文字、、 漢字であるかカタカナであるか、、 言葉遣いの古さ新しさ、、 それらすべてで 物語の中の光や景色、、 流れている時間の様相まで、、 なんだか違って受けとめられる気がします。。


 ***

ニイルスの滞在先、、 これらの春の花々が咲き乱れている場所は、、 本文中の「ルソーのクラーレンス」という言葉を手掛かりに、、 探しました… (ルソー読んでないので…)

ジャン・ジャック・ルソーの書簡体小説『新エロイーズ』の舞台、、 スイスのレマン湖畔 クララン(Clarens >>Wiki)という場所だとわかりました。

『新エロイーズ』については >>コトバンク
、、令嬢と家庭教師の身分違いの恋…  昨年末読んだ シューベルトの『冬の旅』に出てきた 5月の花園の記憶… ちょっとそのあたりにも通じるような、、 (私の勝手な想像ですが…)

 ***


『ニイルス・リーネ』は まだゆっくりと読んでいきます。。 中断しては、 またミステリ小説に寄り道してしまうと思うけど、、。



松雪草=スノードロップにはいろいろな伝説があるのですね、、(>>Wiki) この写真はずっと前のもの。。




いまは紫陽花の季節。 アナベルを撮るのはむずかしいですね。。 



明日からの連休、、 「海の日」には夏らしい陽気になるでしょうか 
ここ東京ではあまりお日様は望めそうにはありませんけれど、、 


夏を感じられる 健やかな日々でありますよう…



、、 私は ブラームスとドヴォルザークを聴きに行きます♪

『ニイルス・リーネ 死と愛』②

2019-05-22 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
先月書きました(>>) イエンス・ペーター・ヤコブセン (Jens Peter Jacobsen)の古書 『死と愛』… ほんのすこしずつ読んでいます。。 ほんの 少しずつ…

そのようにしか 読めません。 そのような時間の流れでしか…


戦後2年目という時期の古書であるため 舊漢字が難しいことも 活版の印字がたまに薄く掠れていることも そのせいもありますが、、 ヤコブセンの描写の緻密さに… 


38歳で逝ったヤコブセンはこの作品を三年ほどかけて書いたようです。 構想を友人に語ってからは もっと長い日々が過ぎていたはずです。 その間、 モントルー、 ローマと転地療養しながら執筆を進め、 しかし 1879年には病状が悪化して殆んど筆をとれず 「『ニイルス・リーネ』はこのまゝ完成を見ずに終るしかないと見えた」 と、 訳者 山室静さんのあとがきにはあります。

 ***

少し 引用をします。


59頁 ある女性の病床

 「 最後が來たのは、五月の、雲雀がひねもす囀りをやめず、青麥が目の前で伸びるやうなあの光りにあふれた日の一つだつた。彼女の窓の外には眞白に花をつけて櫻の老木が立つてゐた。雪の花束や花輪、圓天井や穹窿や房飾り――眞青な空に浮き出た白い花の妖精の宮居。
   彼女はその日はひどく疲れてゐたが、その疲勞の中に、何か大變に靜かなもの――不思議な靜謐が感じられた。彼女は何が來るかを知つた。 (略)」


62頁 病状の傍らで祈る ニイルスの言葉

 「(略)… 神様、待つて下さい、待つて! 手遅れにならないうちにあの人を癒して下さい! 僕は……僕は何をお約束したらいゝのでせう?――おゝ、僕はお禮します、きつときつとあなたを忘れません。たゞ聞き届けて下さい! あの人が死にかけてゐるのがお解りでせう、死にかけてゐるのが。 (略)」


同頁
 「窓の外では、落日の光の中で、白い花が薔薇のやうに眞紅になつた。穹窿の上に穹窿が重なり、美しい花の群が、大きな薔薇の城、薔薇の大伽藍をなした。そのふわりとした圓蓋を透して、たそがれて來た青い夕空が見える。そして金色の光り、紫金の焔が、この花の寺院のすべての垂れた花環から流れでた。」


 ***

ここを読んで思いました。。 ここに流れている時間は ヤコブセンが療養をかさねながら ときには病床から ときには書斎の窓から、、 じっと戸外の花を見つめ、 書こうとする事柄を想い、 あるいはなにも出来ず身体を横たえたまま ただただ じっと風が花をうごかし、 陽射しがすこしずつ動いていくのを ただひたすら見つめていた、、 そのヤコブセン自身の時間がここに流れているのだ、、と。。


ヤコブセンの自然学者としての描写については、 以前、 「印象主義と詩人の魂:「モーゲンス」J.P.ヤコブセン『ここに薔薇あらば 他七篇』より」のところで書きました(>>
、、 その細密な描写が 『ニイルス・リーネ』の自然描写にも 人物の描写にもあらわれているのでしょう。。 でも いま『ニイルス・リーネ』を読みながら感じているのは 《時間》 です。 …ヤコブセンがたどった《時間》、、 観察者として、、 思索者として、、 病者として、、


だから…  なかなか 現代の日常の、 やるべきことに追われ 忙しいのが当たり前で、 深夜も早朝もあらゆるものが動いていることに慣れ切ってしまった都市生活の《時間》のなかでは、 この物語を味わうのはほんとうにむずかしいことだと、、 そしてきっと話の筋を求めていくと殆んどの人が投げ出してしまうだろうと、、 そう思います。。


… 物語はまだ始まったばかり、、 ニイルスはここで まだ十二、三歳の少年です。 ただ、、 この病床に伏す女性の傍らでの 神様への祈りが、 そしてその結果が、、 ニイルスの神への信頼に、 その後の生き方に、 きっと大きな變化をもたらすことは想像されます。。

 ***


先日、、 死ぬまでにあと何冊の本が読めるだろう、、と 家族と話をしました。。 年に二十冊として、、 5年で100冊、、 10年で200冊、、 そんな程度かな… と。

、、 5年はおろか 一年単位でしか 生命の猶予を考えられない(考えたことがない)自分としては、、 まずは、、 100冊 でしょうか… (百冊しか…? それともあと百冊ある…?)
音楽ならCD100枚を聴くのは私には簡単。。 でも 小説の100冊は大変… そして、 100冊を選ぶのはとても困難…


そのような《時間》のなかでも 『ニイルス・リーネ』はたいせつに読みます。 全14章のうち、 まだ5章…




先月 書きましたね、、 ヤコブセンは櫻の花の季節に亡くなった、と。。 上で引用した櫻の描写、、 落日の光の中では桜の花は眞紅になるのでしょうか、、 薔薇の大伽藍となるのでしょうか、、
そういえば、、 落日の桜の花をちゃんと見た事が無い気がします。。 ライトアップされた夜桜ではなく、、


ヤコブセンの観察者の《時間》からは 教わることがいっぱい、です、、



今週は お天気のよい日がつづきそう。。


… おげんきで

139年前の物語を、72年前の訳書で…:ヤコブセン『死と愛』

2019-04-28 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
昨年の暮れ、 デンマークのハードボイルドミステリを読んだ時、 ふしぎにも1880年という昔の 『ニルス・リューネ』という小説の名が出てきたことを書きました(>>

『ニルス・リューネ』とは、リルケが大変愛した作家 イエンス・ペーター・ヤコブセン (Jens Peter Jacobsen)の唯一遺した長編小説だということ、、 そして この小説を戦後まもない頃、 山室静さんが翻訳され、 そのとき 堀辰雄さんから励ましの言葉をいただいた、、という話を一昨年こちらに書きました(「モーゲンス」J.P.ヤコブセン『ここに薔薇あらば 他七篇』より>>

以来、『ニルス・リューネ』(ニールス=リーネ)を いつか読もう… とずっと思っていて、、 先日 古書を手に入れることができました。 昭和22年に山室さんが翻訳された本、 原題は Niels Lyhne ですけれど 山室さんは 『死と愛』という邦題をつけています。




この本を、 これからゆっくりと時間をかけて読んでいこうと思っています、、(ミステリなどのエンターテインメント小説は日々の楽しみの為に… そして、このように探し求めて入手した古書は 自分の命の糧として…)

 ***

まだ本文をまったく読んでいないので、 山室先生がなぜこの小説を 『死と愛』としたのかも、 どんな内容なのかも 全然わかっていません、、。 以前書いたように、 詩人のリルケが大変愛した作品だということが、 この本の「訳者あとがき」にも載っていて その部分だけを…




リルケの言う 「制作の本質とかその深さと不朽性について」 ヤコブセンと 彫刻家のロダンを並べて挙げている点も、 今はまだその理由は分かっていませんが 興味をひかれます。


… あさって、、
4月30日は ヤコブセンの命日です。 早くから胸を病んでいたヤコブセンは38歳で亡くなりました。 あとがきで山室さんは このように書かれています…

 「… 長い冬を越えて、春の初花を見た時には、どんなに彼は喜んだらう。 倦かずに彼はその花に見入り、その葉を撫でた。 そして櫻の花の眞白い四月の末に、母の手に抱かれて靜かに死んだ。 生涯結婚しなかつた。」


、、 この「あとがき」を山室さんは (五月一日、 信州小諸にて) 書かれています。。 これを読んで 今、ちょうどこの季節に 『ニールス=リーネ』を読むのはまさにふさわしいのだと、 この72年前の本が私の元に来てくれたのを 嬉しく思っているのです… 


今日、、 連休で故郷へ帰省したお友だちが 写真をたくさん送ってくれました。 昨夜は山に雪が降ったとか…  北国ではまだ桜の花も咲いているそうです。。 
山室さんが書かれている《櫻の花》、、 デンマークでも桜が咲くのでしょうか… バラ科の桜と同種の花はきっと咲くのでしょうね。。


… あたらしい本の旅を わたしも …