80歳を越したYおばに会うため西へ向った。
故郷の母も前から会いに行きたいと言っていて、ちょうど良い機会が重なって向こうで落ち合う事になった。
今年、、、私は、とてもとても大切な人を失った。
90歳を越えたAおば。。今の日本に、貴婦人という呼び名の似合う老婦人がどれだけいるかわからないけれど、Aおばは私の子供の頃からずっと貴婦人だった。外出する時には、飾りのついた帽子とレースの手袋を欠かさないような。。でも、その背景に壮絶な人生があったことなど、子どもの私には知らされなかった。
Yおばも、Aおばも、、ずっと子供の私の看病をしてくれた。父が危篤の間も、私を預かってくれた。母と変わらない存在。
そのおばは、嵐のような人生を生き、焔のように人を愛し、そして猛虎のように、死んでいった。
これは誇張でも何でもない。余りに壮絶過ぎて、残された私達はまだおばの死から立ち直れない。
大人になった私が、恋人を連れて行った時、「しっかりとな、抱き合っていろよ、しっかりとな」とおばは力を込めて言った。
優しさもプライドも最上級だったおば。
***
前回書いた『絵はがきにされた少年』を読みながら新幹線に乗っていた。その表題作の中の、レソト王国(アフリカ)の老教師のこんな言葉が胸に響いた。
「仮に我々に、お金と暇があったら、どうするでしょうか。あなたの国に行ったり、欧州をくまなく歩いたりするでしょうか。そんなことしないと思いますね。多分、その山の向こうにさえ滅多に行くことはないでしょう…」
そして老教師は〈inquisitive〉という言葉を挙げる。
「つまり、知りたがり、好奇心が強いということですが、欧州人や日本人はそれでしょう。…(略)」
***
毎日パソコンを開いてあっちのニュースこっちの情報と〈知りたがり〉の毎日を送っている現代人(自分も含めて)。そして、満たされたという気持ちはなかなか聞かれない。
・・・Yおばも、私の母も、アフリカの老教師のように、「その山の向こうにさえ」滅多に行かない。周囲の状況に余りにも過酷に弄された人生だったから(弄したのは私の方でもある)、、日常を失う事を酷く恐れるのだ。
「○ちゃんが来たからすき焼きね~」とのおばのリクエストは、間違えてお肉を買ってきた母の大ボケによって肉じゃがに変更になってしまったけれど、骨折してから皮むきが困難になったおばは、おジャガをとっても喜んでくれた。60年以上にわたるYおばやAおばの思い出話を一番細部まで聞いているのは、肉親以外では私だけかもしれない。その余りに重い記憶を、とどめなければ失われると知っていても、私は文字にすることが出来ないだろう。あまりにも多くの人の人生に関わることだから。。
でも、この女性たちの重い重い記憶を胸に刻んで、日常が日常であることの幸せを噛みしめて生きていこう。。
早くまたおばに会いに行けるように、頑張ろう。
(とつぜんに連絡したお友達、逢って下さって有難う。楽しかった)
故郷の母も前から会いに行きたいと言っていて、ちょうど良い機会が重なって向こうで落ち合う事になった。
今年、、、私は、とてもとても大切な人を失った。
90歳を越えたAおば。。今の日本に、貴婦人という呼び名の似合う老婦人がどれだけいるかわからないけれど、Aおばは私の子供の頃からずっと貴婦人だった。外出する時には、飾りのついた帽子とレースの手袋を欠かさないような。。でも、その背景に壮絶な人生があったことなど、子どもの私には知らされなかった。
Yおばも、Aおばも、、ずっと子供の私の看病をしてくれた。父が危篤の間も、私を預かってくれた。母と変わらない存在。
そのおばは、嵐のような人生を生き、焔のように人を愛し、そして猛虎のように、死んでいった。
これは誇張でも何でもない。余りに壮絶過ぎて、残された私達はまだおばの死から立ち直れない。
大人になった私が、恋人を連れて行った時、「しっかりとな、抱き合っていろよ、しっかりとな」とおばは力を込めて言った。
優しさもプライドも最上級だったおば。
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前回書いた『絵はがきにされた少年』を読みながら新幹線に乗っていた。その表題作の中の、レソト王国(アフリカ)の老教師のこんな言葉が胸に響いた。
「仮に我々に、お金と暇があったら、どうするでしょうか。あなたの国に行ったり、欧州をくまなく歩いたりするでしょうか。そんなことしないと思いますね。多分、その山の向こうにさえ滅多に行くことはないでしょう…」
そして老教師は〈inquisitive〉という言葉を挙げる。
「つまり、知りたがり、好奇心が強いということですが、欧州人や日本人はそれでしょう。…(略)」
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毎日パソコンを開いてあっちのニュースこっちの情報と〈知りたがり〉の毎日を送っている現代人(自分も含めて)。そして、満たされたという気持ちはなかなか聞かれない。
・・・Yおばも、私の母も、アフリカの老教師のように、「その山の向こうにさえ」滅多に行かない。周囲の状況に余りにも過酷に弄された人生だったから(弄したのは私の方でもある)、、日常を失う事を酷く恐れるのだ。
「○ちゃんが来たからすき焼きね~」とのおばのリクエストは、間違えてお肉を買ってきた母の大ボケによって肉じゃがに変更になってしまったけれど、骨折してから皮むきが困難になったおばは、おジャガをとっても喜んでくれた。60年以上にわたるYおばやAおばの思い出話を一番細部まで聞いているのは、肉親以外では私だけかもしれない。その余りに重い記憶を、とどめなければ失われると知っていても、私は文字にすることが出来ないだろう。あまりにも多くの人の人生に関わることだから。。
でも、この女性たちの重い重い記憶を胸に刻んで、日常が日常であることの幸せを噛みしめて生きていこう。。
早くまたおばに会いに行けるように、頑張ろう。
(とつぜんに連絡したお友達、逢って下さって有難う。楽しかった)