東京芸大美術館での 『夏目漱石の美術世界展』始まっているようですね。 いつ見に行こうかと考え中。。
公式サイト(>>)に出品リストが載っているのを見て、 洋画についてはだいたいどの作品にどんな絵が言及されていたかを 思い出すことができるけれど、 日本画の方は知識がちっともないので、 抱一くらいしかわからない。
伊藤若沖なんて どこに出てきたっけ…? 『草枕』かな。。
見に行く前に ざっと読み返した方がいいのか、 カタログ買ってきて後でおさらいするか、、 考え中。
***
ところで、、 しばらく前になるけれど、 バベルの図書館 ロシア短篇集に入っている アンドレーエフの『ラザロ』を読んで、、 一体どうしてアンドレーエフは こんな作品を書いたんだろうか、、と考え込んでいて、、
アンドレーエフについてはずっと前に書きました、 漱石の『それから』に出てくるので、、(>>)
で、、『ラザロ』とは、 聖書に出てくるように 死後4日ののちにイエスによって蘇ったという人物。 その物語をアンドレーエフは、 再生や復活の物語としてではなく、 まるで墓場からあらわれた死者の恐怖小説のように描いている。 3日間葬られていた肉体はすでに腐敗しかけ、 青黒く膨張し、 性格も以前のような快活なラザロではなく、 当初は蘇りを祝福して集まってきた人々も みな次第に離れていき、 ラザロは孤独と暗黒だけの世界に去っていく。 まったく救済のない物語。。。
アンドレーエフは、 漱石も恐怖をおぼえながら読んだという『七死刑囚物語』を書いた人だから、 根本的に暗い人なのか、 人間や社会のすべてを憎んでいるような厭世的な人なのか、、 だから『ラザロ』みたいな救いのない小説を書いたんだろか、、 などとつらつら思っていたそのころに、、
レオニード・アンドレーエフの肖像画をネットで見つけて、、 (イリヤ・レーピンの描いたものだった) 、、それがなんだかとっても意外な相貌だった。。 「Leonid Andreev」でググっていただければ、 たくさん画像が見れると思います (写真も多数残っているいるようです)、、 まぁ 端正な美青年。。 たしかにちょっと神経質そうな雰囲気もあるものの、 肖像画だけ先に見た人なら、 まさか『ラザロ』のごとき暗黒な世界を書く人とは思わないんではないかしら・・・
***
で、、 今回 漱石の美術展のことでまた漱石とアンドレーエフの事を 思いだして、、(美術展にアンドレーエフは関係ありません)
ふたりとも全くの同時代人で、 まるで兄・弟のような年齢なのですね。 漱石(1867年 - 1916年 享年49)、 アンドレーエフは4歳年下(1871年 - 1919 享年48)
そう思ったら、 アンドレーエフという人が(肖像を見たからか) 急に『それから』の代助か、 『行人』のお兄さんみたいに思えてきた。。。 というか、 とても漱石自身に似ている人、 と思えてきた。
「修善寺の大患」のあと、 漱石が書いた 『硝子戸の中』に病気からあとの心境を書いた部分がある。
「私がこうして書斎にすわっていると、来る人の多くが「もう御病気はすっかり御癒(おなお)りですか」と尋ねてくれる。 私は何度も同じ質問を受けながら、何度も返答に躊躇した。そうしてその極いつでも同じ言葉を繰り返すようになった。 それは「ええまあどうかこうか生きています」という変な挨拶に異ならなかった。」(30)
、、周知のとおり、 漱石はこのあとも胃潰瘍などに苦しみ、2年足らずのうちに亡くなってしまうので とても「元気」と言える状態ではなかったのでしょう、、 漱石はその後、 「どうかこうか生きています」という挨拶をやめて、 「病気はまだ継続中です」と改めることにした。
「私はちょうど独逸が連合軍と戦争をしているように、病気と戦争をしているのです。 今こうやってあなたと対坐していられるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕の中に這入って、病気と睨めっくらをしているからです。 私の身体は乱世です。 いつどんな変が起こらないとも限りません」
或人は私の説明を聞いて、面白そうにははと笑った。 或人は黙っていた。 また或人は気の毒らしい顔をした。・・・
、、ふと 『ラザロ』について、 このときの漱石の気持ちを思い出したのでした。。。 この時の漱石の気持ち、、 私もすごくよくわかります。 「もうすっかりいいの?」 「元気そうだね」、、 たいがいの人は優しい気持ちでそう言ってくれるのでしょうけれど、 切り傷がすっかりきれいに治るのと違って、 いろんな病気や手術をした人は その後もずっとずうっと病と向き合いつつ、 表向きの仕事や生活は 「普通に」 していかなきゃならない日々が続く。。。
病気に限らず、 大震災や、 大きな事故とか、 心身に大きな負担をおった人にとって、 「もうすっかりお直りですか?」 なんて言えるものではないのだ。 それ以前の状態とはまったく同じようにはなれないのだと思う。。。 「元通りになったね」 「元気そうだね」 、、 悪意はなくてもそういう励ましに、 「全然そうじゃない」と苦しい思いをする人も本当にたくさんいるんだろう。
そういうことなんじゃないかな、、 『ラザロ』の物語とは。。。 復活を無邪気に喜ぶ周囲のひとびとと、 いったん極限の状況を体験してしまったラザロとの、 解り合えない歪み、、 悲しみ。。 だから、 ラザロは口を閉ざしたまま たったひとりで苦しみに耐えているのかと。。
***
漱石蔵書にアンドレーエフは5冊くらいあるようだけれど、 たぶん『ラザロ』は読んでいないかな、、。
漱石はこののち、 書斎の『硝子戸の中』から「微笑」しつつ、 自分の事さえも「他人」をみるようなこころもちで、 おだやかに「世間」を眺めている心境に至る。。 「則天去私」、、という心境。
アンドレーエフという人の背景をほとんど知らないので、、(革命後はフィンランドに亡命したらしい、、) 晩年の人生がどうだったかわからないけれど、、 今度、 最後の作品というのを読んでみようと思っている。
公式サイト(>>)に出品リストが載っているのを見て、 洋画についてはだいたいどの作品にどんな絵が言及されていたかを 思い出すことができるけれど、 日本画の方は知識がちっともないので、 抱一くらいしかわからない。
伊藤若沖なんて どこに出てきたっけ…? 『草枕』かな。。
見に行く前に ざっと読み返した方がいいのか、 カタログ買ってきて後でおさらいするか、、 考え中。
***
ところで、、 しばらく前になるけれど、 バベルの図書館 ロシア短篇集に入っている アンドレーエフの『ラザロ』を読んで、、 一体どうしてアンドレーエフは こんな作品を書いたんだろうか、、と考え込んでいて、、
アンドレーエフについてはずっと前に書きました、 漱石の『それから』に出てくるので、、(>>)
で、、『ラザロ』とは、 聖書に出てくるように 死後4日ののちにイエスによって蘇ったという人物。 その物語をアンドレーエフは、 再生や復活の物語としてではなく、 まるで墓場からあらわれた死者の恐怖小説のように描いている。 3日間葬られていた肉体はすでに腐敗しかけ、 青黒く膨張し、 性格も以前のような快活なラザロではなく、 当初は蘇りを祝福して集まってきた人々も みな次第に離れていき、 ラザロは孤独と暗黒だけの世界に去っていく。 まったく救済のない物語。。。
アンドレーエフは、 漱石も恐怖をおぼえながら読んだという『七死刑囚物語』を書いた人だから、 根本的に暗い人なのか、 人間や社会のすべてを憎んでいるような厭世的な人なのか、、 だから『ラザロ』みたいな救いのない小説を書いたんだろか、、 などとつらつら思っていたそのころに、、
レオニード・アンドレーエフの肖像画をネットで見つけて、、 (イリヤ・レーピンの描いたものだった) 、、それがなんだかとっても意外な相貌だった。。 「Leonid Andreev」でググっていただければ、 たくさん画像が見れると思います (写真も多数残っているいるようです)、、 まぁ 端正な美青年。。 たしかにちょっと神経質そうな雰囲気もあるものの、 肖像画だけ先に見た人なら、 まさか『ラザロ』のごとき暗黒な世界を書く人とは思わないんではないかしら・・・
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で、、 今回 漱石の美術展のことでまた漱石とアンドレーエフの事を 思いだして、、(美術展にアンドレーエフは関係ありません)
ふたりとも全くの同時代人で、 まるで兄・弟のような年齢なのですね。 漱石(1867年 - 1916年 享年49)、 アンドレーエフは4歳年下(1871年 - 1919 享年48)
そう思ったら、 アンドレーエフという人が(肖像を見たからか) 急に『それから』の代助か、 『行人』のお兄さんみたいに思えてきた。。。 というか、 とても漱石自身に似ている人、 と思えてきた。
「修善寺の大患」のあと、 漱石が書いた 『硝子戸の中』に病気からあとの心境を書いた部分がある。
「私がこうして書斎にすわっていると、来る人の多くが「もう御病気はすっかり御癒(おなお)りですか」と尋ねてくれる。 私は何度も同じ質問を受けながら、何度も返答に躊躇した。そうしてその極いつでも同じ言葉を繰り返すようになった。 それは「ええまあどうかこうか生きています」という変な挨拶に異ならなかった。」(30)
、、周知のとおり、 漱石はこのあとも胃潰瘍などに苦しみ、2年足らずのうちに亡くなってしまうので とても「元気」と言える状態ではなかったのでしょう、、 漱石はその後、 「どうかこうか生きています」という挨拶をやめて、 「病気はまだ継続中です」と改めることにした。
「私はちょうど独逸が連合軍と戦争をしているように、病気と戦争をしているのです。 今こうやってあなたと対坐していられるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕の中に這入って、病気と睨めっくらをしているからです。 私の身体は乱世です。 いつどんな変が起こらないとも限りません」
或人は私の説明を聞いて、面白そうにははと笑った。 或人は黙っていた。 また或人は気の毒らしい顔をした。・・・
、、ふと 『ラザロ』について、 このときの漱石の気持ちを思い出したのでした。。。 この時の漱石の気持ち、、 私もすごくよくわかります。 「もうすっかりいいの?」 「元気そうだね」、、 たいがいの人は優しい気持ちでそう言ってくれるのでしょうけれど、 切り傷がすっかりきれいに治るのと違って、 いろんな病気や手術をした人は その後もずっとずうっと病と向き合いつつ、 表向きの仕事や生活は 「普通に」 していかなきゃならない日々が続く。。。
病気に限らず、 大震災や、 大きな事故とか、 心身に大きな負担をおった人にとって、 「もうすっかりお直りですか?」 なんて言えるものではないのだ。 それ以前の状態とはまったく同じようにはなれないのだと思う。。。 「元通りになったね」 「元気そうだね」 、、 悪意はなくてもそういう励ましに、 「全然そうじゃない」と苦しい思いをする人も本当にたくさんいるんだろう。
そういうことなんじゃないかな、、 『ラザロ』の物語とは。。。 復活を無邪気に喜ぶ周囲のひとびとと、 いったん極限の状況を体験してしまったラザロとの、 解り合えない歪み、、 悲しみ。。 だから、 ラザロは口を閉ざしたまま たったひとりで苦しみに耐えているのかと。。
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漱石蔵書にアンドレーエフは5冊くらいあるようだけれど、 たぶん『ラザロ』は読んでいないかな、、。
漱石はこののち、 書斎の『硝子戸の中』から「微笑」しつつ、 自分の事さえも「他人」をみるようなこころもちで、 おだやかに「世間」を眺めている心境に至る。。 「則天去私」、、という心境。
アンドレーエフという人の背景をほとんど知らないので、、(革命後はフィンランドに亡命したらしい、、) 晩年の人生がどうだったかわからないけれど、、 今度、 最後の作品というのを読んでみようと思っている。