星のひとかけ

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「燈台」 『ベイツ短篇集』より

2016-07-20 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
海の日、のお休みに読んでいた本、 英国のH・E・ベイツの 『ベイツ短篇集』 (八木毅 訳・八潮出版社、1967年) の中の 「燈台」という短編小説。

ベイツ、 という作家、、 まったく知らなかったです。 1905年生まれで、 1940年代~1960年代に主に作品を出版していた人だそうです。 内容としては、 イギリスの「田園や田園に近い小都市に住む人々の生活」(解説より) を描いたかた。。

、、と言っても、 そういった内容を知ってから この本を手にしたわけではなくて、 「灯台」を求めていって 辿りついたんですけどね、、、

「灯台」=The Lighthouse 、、 いま ちょっと灯台に興味を持っているのです。。 ん~、、 もしかしたら 昔から好きだったのかも、、

若かりし日の夏は、、 毎週のように海を見に出かけておりました。。 まだ「海の日」が無かった頃のことです(だいぶ昔だ…笑) 、、梅雨が明けて、 真夏の太陽がいっぱいに照りつけるようになる季節、、 でもそんな週末は案外みじかくて、 真夏の海が楽しめるのは せいぜい旧盆まで、、 だから 週末といってもほんの数回しかないのですよね。。 

灯台、に実際に行ったのは 2回くらいしかないかなぁ。。。 コバルトの海に、 真っ白な灯台、、 それだけで美しいし、 建っているのは岬の先端だから、 周囲がぐるっと海。。 そして 夕刻になると、 海はオレンジ色に輝いて、 白い灯台が赤く映える、、、 そんな夕暮れの風景は 一度しか経験してないかな。。

、、でも、 灯台が出てくる小説って読んだことなかった。。 前に ジャネット・ウィンターソンの『灯台守の話』 を書きましたね(>>) あの物語を読んで、 はじめて 灯台の設計技師のことだとか、 灯台守のことだとか、 それまで考えたこともなかった存在だったので、 自分が夏の海でただ綺麗だと見上げた灯台って、、 単なる「光る標識」みたいなものじゃなかったんだな、、と。。

、、前回 書いた ヨハン・テオリンの 冬編も、『冬の灯台が語るとき』・・・ 前世紀からその地に立ち、 厳しい北の海の船乗りや、 土地の人々を見てきた「灯台」を中心にした物語でしたし、、、

 ***

さて、、 『ベイツ短篇集』の「燈台」ですが、、  ここには灯台守も船乗りも出てこなかったんです。 
ですが、、 とても 素敵な フランス映画のような、 小説でした。 、、冒頭の一行だけ引用してしまいましょう、、

  「薄い舌のようなその海岸は非常に平たくて、まるで海の傷跡のようだった」

、、 うわっ… 、、 なんだかこの一行だけで身を引き寄せられたみたいな気持ちになってしまいました。。 、、読んだ後で、 これはこの作家の言葉なのか、 訳者の技なのか、、 知りたくなって、 原文を探してみました、、 ら、ありました。 今の一行はこういう文です。

  The thin tongue of coast was so flat that it was like a scar on the sea.
    (https://archive.org/stream/...)

、、 まったくもって訳の通り、、 とても平易な単語でありながら、 その比喩表現が的確で、 ときにドキっとさせられるような 艶かしさもあるのです。 その辺がフランス映画みたいだな、、と (英国なんですけど)

、、 季節は9月末。 海岸を訪れる人も少なくなり始めた季節の、 海辺の食堂、いわゆる「海の家」で出会う、 その店の娘と、 滞在者の男のひとときの物語です。 みじかい物語だから、 内容に触れてしまっては読む楽しみを損ねてしまいますね、、、

この店の娘の描写が巧いんです。 彼女の瞳の様子とか、 ほっそりした手に透ける静脈のこととか、、 そして彼女の口の利き方とか。。

、、イメージしたのは 映画『ベティ・ブルー』の映像。。 海辺のバンガローをペンキで塗っていくでしょう? 二人で。。 あの真っ青な空と、 白い小屋と、、。 男のジャン・ユーグ・アングラードはちょっとこの小説の男性にも似た感じがするし、、 でも、 店の娘はベティほどエキセントリックではないかな…  でも とてもコケティッシュな物言いをするの、、 その言い方に男は惹かれてしまうのですが、、

、、海の家で 毎日まいにち店番をしている彼女は こう言う表現をする のです、、(原文にしますね)

  The sea can look after itself for a bit.

、、この 'looking after the sea' という表現は文字通りそのまんまの意味で、、 そこに彼女の退屈とか、 気分とか、 性格とか、、 ぎゅっと詰まっていて、、 ね? 少しだけベティにも似てるでしょう?

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燈台は・・・

ちゃんと出てきます。。 昼の燈台も、、 そして夜の燈台の光も。。

、、 周期的にめぐってくる燈台の光が 彼女の瞳をよぎるシーンとか。。。 とても映像的。


、、夜の灯台って、、 見たことないな。。 TVの映像かなにかでは見た気がするけど、、 夜の海の灯台って 行ったこと無い・・・

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まだ、、 このベイツの本、、 全作品は読んではいないんです。。 でも、 「燈台」もそうだけれど、 人物の、(特に女性の)描写や、 風景の比喩表現が、 単純な言葉なんだけど的確で、、 「すいせん色の空」(原題:The Daffodil Sky) なんて、 ちょっと どんな感じの空かしら・・・ って思いませんか? 


、、たまにね、、

現代の忙しいひとびとは、、 どんどん 物事への関心が直接的なこと・身近なこと・自分のすでに知っている人やTVで知っている物事、、 それら以外には興味を示さないようになっているような気がして・・・

、、 古い物語も、 詩も、 ひとたび忘れられたら きっと消えていくばかり・・・ なのだろうな、、って。。 
だから、 もし 本屋さんにも無いようなものでも、 古本でも、 まだまだ自分の知らない宝物があるとしたら、、 そういう作品にめぐり会えるように、、 一年に一作でもいいから、、

、、 それができたら 自分のこれからのライフも ちょっとは価値があるかな、、って。。


ヨハン・テオリン:北欧ミステリ エーランド島四部作

2016-07-13 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)





6月に、 スウェーデンのミステリ作家 ヨハン・テオリンのエーランド島4部作を まとめて読みました。

黄昏に眠る秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
冬の灯台が語るとき (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
赤く微笑む春 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
夏に凍える舟 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

スウェーデンのバルト海側にある島、 エーランド島という同じ場所を舞台に、 物語の季節を、 秋・冬・春・夏 に設定した4部作。  、、ヨハン・テオリンの本は 数年前に読んでみたいな、と思ってはいたものの、、 手にすることなく、 当時はまだ4部作だというのも知らず、、 そのままになっていました。

新聞に 北欧ミステリとヨハン・テオリンの事が載ったのが 今年の5月(朝日デジタル>>) 
エーランド島、という スウェーデン本土とは違う場所を舞台にしていることや、 ↑記事にもあるように、 「地元の幽霊話や民話」も素材になっていることを知って、 ちょうど今年、4部作最後の「夏」編が翻訳されたのもわかったので、 良い機会と思って読みました。

最初の『黄昏に眠る秋』を読んだら、 独特の落ち着いた雰囲気、 エーランド島という場所の魅力に惹かれて、 次から次へと あっという間に 4冊まとめて読んでしまいました。 事件に遭遇する登場人物は 1作ごとに変わっていくし、 物語も独立しているので、 1冊ずつ ばらばらに読んでも問題ない作品だとは思いますが、 島の住人の中には 4作にわたって同じ人物が出てきたりするので、 出来れば1作目から読んだ方が楽しみがあるかな・・・ それに、 登場人物の名前を私はすぐ忘れるので、 忘れないうちに4作一気に読んでよかったかも。。。

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北欧ミステリというと、 『ドラゴン・タトゥーの女』の「ミレニアム」シリーズが真っ先に頭に浮かび、 あの映画は好きだったけれど、 残酷な殺人とか、 猟奇的なのは ちょっと苦手なので躊躇したけれど、、 
ヨハン・テオリンの作品は 確かに事件は起きるのですが、 殺人犯の行動に焦点があるのではなくて、 事件によって 大切な存在を失った者、 心に傷を負った者、 喪失や謎や虚無感に苦しみながら それでも日常の時間を生きなければならない者の心情を丁寧に描いているので、 だから あまりミステリを読んでいるという感覚がありませんでした。

以前に此処に載せたことのある、 スウェーデン文学のラーゲルレーフ(>>)にも、 やはり通じるものもあると思うし、、 それは 善悪の認識のありかたとか、 その土地や自然にもとづく人間の魂のありかたとか、、 
人間はその個人が生まれた限られた時間の中だけで生きているのではなくて、 その土地の長い歴史、 地域性、 自然環境、 そういうものの中で 人と人との関係性がつくられていって、 怖ろしい事件もそうした固有の歴史の中で起こるのだ、と、、、 (スウェーデンに限らず それは当たり前のことではあるんですが、、 米国には米国独自の歴史があって犯罪の歴史も無縁ではない、と…) 、、そうした 「歴史」「風土」「伝承」 といった人の暮らしの背景を丁寧に描いてくださっているので、 文学としてちゃんと成り立っていると思えるのです。

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先月、 夏至の日に 厳寒の冬の物語を読んでいた、、と 書いていたのは(>>) 『冬の灯台が語るとき』 を読んでいたときで、、 

愛する人を喪失した悲しみと、 何故 そういう目に遭わなければならなかったのか、という言いようのない怒り、苦しみを背負った ひとつの家族の悲劇を描く一方で、、 灯台のあるその海辺に生きた前世紀の人々の過去の物語とも行きつ戻りつして、、 その過去との 「行きつ戻りつ」の読み方が、、 読者が物語を 咀嚼して、 考えて、 人物と一体化して 彼らの悲劇や喪失感、やるせない思いに共感するのに役立つ、、、  結果的にそれが 「浄化」につながる、、 深い物語だな、、と思って読んでいました。

4部作、 どれをとっても同様の印象の、 どれもエンターテイメントとしても面白い作品でしたが、、 

* 喪失の悲しみと、謎を追う過程を丹念に描いた 「秋」編、
* その土地、その海に、かつて生きた人々にも思いをはせる 「冬」編、
* エルフや取替え子など、伝承の存在の持つ意味や、 現代人(都会人)の病理を描いた 「春」編、
* 故郷、血族、国家、人のアイデンティティの意味や、大戦の時代から21世紀へ時代の意味を問う 「夏」編、

一作ごとに 描くスケールが拡がり、、 視点がジャーナリスティックになっていったように感じます。
でも、、 この4部作は 21世紀(ミレニアム)を迎える前で物語は終わっているのですよね。。 ここに生きる人たちが、 どんな21世紀=今 を生きるのか、、 それとも、 もうエーランド島は21世紀の文学の場にはならないほど 変わってしまったのか、、 ヨハン・テオリンさんが どんな小説を このあと書いていくのか、、 それも興味があります。

、、 エーランド島、、 4冊読むとだいぶ詳しくなって 行ってみたくなります。

J・M・シングが書いた『アラン島』(>>)も、 とても魅力的な島に思えましたが、、 今度は どんな土地、 どんな島、 どんな場所の物語を読みましょうか。。。


、、 やっぱり、 エルフが棲んでいそうなところがいいな。。


情熱とコントロール:アレクサンダー・ロマノフスキー@紀尾井ホール

2016-07-06 | LIVEにまつわるあれこれ


約二週間、 体調を崩していました。 
かなり状態が悪くて、、 先月末に予定していた名古屋行きもキャンセル。。 お友だちに会うのを楽しみにしていたのに、、 とても悲しかったけれど、 それ以上に身体がしんどくて起き上がれませんでした。

昨日、 やっとやっと外出できて、 こちらも半年前から楽しみにしていた、 アレクサンダー・ロマノフスキーさんの ピアノリサイタルには なんとか行ってくることが出来ました。

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シューマン:アラベスク Op. 18
シューマン:トッカータ Op. 7
シューマン:謝肉祭 Op. 9
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ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
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アンコール:
ショパン:エチュード Op.10-12「革命」
    ノクターン No.20嬰ハ短調(遺作)
リスト:超絶技巧練習曲集 第10番へ短調
スクリャービン:12の練習曲Op8より第12番 嬰二短調(悲愴)
J.S.バッハ:管弦楽組曲 第2番7曲(バディネリ)

公演情報(パンフレットも) ジャパン・アーツ>>

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シューマンも、 ムソルグスキーも、 もっと聴き込んで 自分なりのイメージをつくってから公演に行きたいと思っていたのだけれど、 どうにも身体がままならなくてそれも出来ませんでした。 だから、 クラシック無知な私にはちゃんとした感想が書けません。。。

、、けれど、 ロマノフスキーさんのピアノの音色、、 音の煌き、 音粒の鮮やかさ、、 TVで聴いたラフマニノフ、 それから前回公演のプロコフィエフ、 そして今回、、 やはりこの方のピアノ 大好き! と思うと共に、 いったいどれだけの抽斗があるのだろう・・・という 新たな驚きに満ちたリサイタルでした。

シューマンの謝肉祭には、、 なぜだかわからないけど、、 なんとなくロシアを感じて・・・ なぜだろ。。。 

展覧会の絵は、、 最初… ん~~、、 様子見の気配というか、、 躊躇してる感じがあったように思えましたが、 後半になるにつれて、 どんどん輪郭がはっきりしてきて、、 

、、 ロマノフスキーさんのチラシ(パンフレットではない方の)にコメントが載っていましたが、 そこにあった 「作品の世界に没頭することと、常に響きをコントロールしようとする冷静さのバランス」 ・・・これに尽きると思います。 家に帰ってからこのチラシを読んで、 全部に納得、 大きくうなずいておりました。。 私がロマノフスキーさんを好きな理由も、 そこにあるように思います。

力強い打鍵の(あんなに凄い音が出るんだ…) と驚くようなパッションと、 でも決して自身の感情には溺れない、、 作品を表現することへの抑制した知性的な表現。。

、、アンコールの すばらしい5曲(!)には、 もう幸せ・・・ 

この日の全曲を すべて録音して ぜんぶ何度もなんども聴き返したい、、と思いました。。 でも、 その「場」の空間、 空気、 演奏者の姿、、 ぜんぶ含めてこそ、のリサイタルの醍醐味なのですよね。

また あらたな抽斗を開けて見せて下さるのが とても楽しみです。 一緒に行ったピアニストのお友だちも 大感激で、、 また一緒に出かけたいと思います。 私ももっと勉強しておきたい・・・ そう思わせてくださる シューマンとムソルグスキー、、でした。


ロマノフスキーさんに関する過去ログ>>