星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン

2018-01-31 | …まつわる日もいろいろ
… だそうですけれど、、 スマホカメラではなかなかうまく撮れません。

でも、 晴れています。














同じ感度で撮っているんですけど、 月が赤く 暗く 変わっていくにつれて 周囲の闇が濃く映るんですね。。。

今日 お友だちに 「身体にさわるから、、」 月あんまり眺めちゃダメよ! とメール頂いたのに… (笑)


温かい飲み物のみます。。





夜明けもご一緒に、、 



(夜明けまでご一緒に…) 

my sweet embraceable you...

2018-01-26 | MUSICにまつわるあれこれ


昨日とどきました。 待っていたアルバム2枚。

チェット・ベイカーの「Chet Baker Sings」1956 の180グラム重量盤 2016年 EU盤

と、「Embraceable You」1957 の180グラム重量盤 2017年 EU盤

曲名とかリンクしようと思ったんですけど、 なぜか同じジャケットのものが見つからないのですよね。。 買ったところのサイトに載っているのも なぜかジャケットのフォトが別バージョン…  50年代のオリジナルのジャケットとも違う、、 ジャズのフォトグラファーさんによる新しいジャケットシリーズのようですが…

もともと チェット・ベイカーがすごく好きなわけでもなく、、 ジャズトランペットが好きな方でもないと思うんですけど、、 昨年、 イーサン・ホークがチェット・ベイカーを演じた映画 「Born to be blue」がありましたよね(movie trailer>>) あの映画は晩年を描いているようですけど、、(でもイーサンそっくりです。 すごく似ていますね)

、、それで チェット・ベイカーという人をあらためて思い出して、、(マイ・ファニー・ヴァレンタインの歌声くらいは覚えていました) 、、それで何か聴いてみたいけどトランペット中心のアルバムじゃなくて、、 と思ったら 「Chet Baker Sings」というヴォーカルアルバムがあると分って、、

この若い頃の、 うまいのかうまくないのかよくわからないような、、 とても声は綺麗なのだけど すごくヴィブラートを利かせるわけでもなく淡々と、 でもこういう風にきちんとした音程で(ジャズミュージシャンなんだから音程は当たり前ですが…)、、 抑制の効いた(?)なのか 普通に聞こえるようでいて とても丁寧に 伸ばした最後の声がふわっとふるえる、、 歌声がなんとも心地好くて、、 何十回、何百回聴いても、たぶん聴き飽きない歌声のような気がして。。

それで この歌声を聴くならLPレコードにしよう、、と思ったんです。

 ***

昨日の晩、 ターンテーブルに乗せて、、 針を落として、、

、、  若い… 。。 

オリジナルアルバムのジャケット、、 あの白いTシャツ姿でマイクに向かっている、 ジェームズ・ディーンのような、、。 あの端正な、素直な、甘い歌声が すぐ近くで歌ってくれているように其処に響くから不思議。。 昔のパパのレコードと違って、 新しくプレスされたものだから、 50年代の録音のレコードでも ぷちぷちノイズも何にもしなくて、 レコード特有のなんというか しーーーーーーー っていう滑るような音とかも何にもしなくて、 古いレコードを聴き慣れた耳にはなんだかノイズの幽かにするのがレコードのような気もしてて、 不思議です(笑

「Embraceable You」のほうは、 やはりヴォーカル中心のアルバムだということだけ調べて、 曲目もかぶっていなかったので試聴もしないで決めたのですが、、 聴いてみて… わぁ! こちらはピアノではなくて、 ギターとベースのトリオだったのです。

ジャズのピアノの音色も良いけれど、、 ギターの弦を弾く音色が聞こえるとやっぱり気持ちが違う反応を示します。。 ギターの弦の音、好きなんです。 ドラムスのいない、 ウッドベースとギターとトランペットの 静かなしずかな、、 真夜中に聴いてもとてもしっくりくる素敵なアルバムです。

チェットのヴォーカルについては、 先のアルバムのほうが全くクセが無くて、 微笑ましいくらいにシンプルに歌ってくれているのがかえって良くて、、「Embraceable You」のほうは、 2年大人になった分、 色気が増してロマンティックな甘さたっぷりに歌っているようです。 タイトルが 「抱きしめたくなる君」ですものね、、

、、 でもゆうべ聴きながら思ったんです。 なんだか、、 恋人の甘い囁きを聴いているというより、 優しい息子が甘く懐かしい歌をすぐそばで聴かせてくれている、その歌声にじっと耳を傾けている母親の気持ち… (笑) だって本当に若い声なんですもの。。

 ***

チェット・ベイカーは その後、 いろいろと苦しんでどん底になって、、 そして中年期になってまた復活して、、 そういう波乱の人生を歩んでいくわけですけれど、、

これらのアルバムの歌声には まだそんな苦悩は感じられない (57年の頃にはもうドラッグにも染まっていたようですが)、、 少なくとも歌声の中にはそういう苦痛は感じられない、、 だから ほんとうに心地良く ラクに聴いていられる、、 何時間でも。。

でもさっき、、 最晩年の歌声も聴いてみたんです。 人の声って、 そんなには変わらないものですね、、 美しいテナーの甘い声はまだ残っていて、、 そこに人生の澱(おり)というか、 堆積物が底にあるようで、、 なんだか 熟成していくお酒のような感じもしますね。。 私が聴いている若い頃の歌声は、 まだ澄みきった透明なお酒、、

いずれは 晩年の彼の歌を、、 またレコードで聴きたいな。。

 

 ***

、、 故郷には JAZZ喫茶が数軒あったので、 高校生の頃から何度も通って何時間も過ごしたものでした。 だからかな、、 ジャズのCDを自分で買うことは若い頃はまったくなかったけれど、 ジャズが流れている空間は落ち着きます。

ジャズがあって、、 珈琲があって(最近は朝以外はノンカフェインを)、、 それで本を読んだり出来れば 幸せな空間。。 

でも、 昨夜思ったんですよね、、 LPレコードって結構忙しい。。 あの白いシャツのマスターは、、 珈琲を淹れ、 お客さんの相手をして、、 それでよどみなくレコードをかけ替えていたんだな、、って。。 こちらはぼーっと、 マスターの運んでくれるフレンチのダブルとか、 キリマンジャロを、 ゆっくりゆっくり味わっていただけで。。

、、 こうして何かしながらレコードを聴いているとすぐに片面終わってしまうので、 昨日から ひっくり返さず片面を2回ずつ聴いているのです(笑)、、 針を落とすのは自動だから。。 





路傍を埋めていた雪は消えましたが、、 寒い日はまだつづきそうです。



お部屋も こころも あたためて。。

ジャズとバイユーのニューオーリンズ:『アックスマンのジャズ』

2018-01-23 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)


『アックスマンのジャズ』レイ・セレスティン著 北野寿美枝・訳 ハヤカワポケットミステリ 2016年

1919年のニューオーリンズで、斧を使った連続殺人が街を震撼させていた。新聞社に犯行予告を送りつけて来たのはアックスマン。。 実際に起きた未解決事件をもとにしたミステリ。

、、連続殺人とか 猟奇的な事件の小説はあまり好かないのですが、、 友が読んでいたこの本。 1919年の実際のニューオーリンズで起こった事件、、 という点にちょっと興味を持って、、 (残酷?)と訊いたら、、 事件はそれなりに残酷だけれど、 事後の検証部分しか出てこないということだったので、、 なんとか読めるだろうと。。

ちょうどその前に私が読んでいたのが、 パステルナークの『物語』、、1914~17年革命直前のロシア。  以前載せた『プロコフィエフ短篇集』 プロコフィエフが日本経由でアメリカへ亡命したのが1918年。 
昨12月に載せた M. L. ステッドマン『海を照らす光』の主人公は、 第一次大戦(1914年から1918年)で深く心に傷を負って灯台守になった男、、でしたね、、。 なんだかこういう風に、 ヨーロッパ、 オーストラリア、 ロシア、と同時代を横滑りしていって 第一次大戦直後のニューオーリンズを舞台にした物語だったので 読んでみようかなと。

ハヤカワの紹介文にもある通り(>>) 三者がそれぞれに犯人を追っていく、 複数視点での描き方が複雑で、 なかなかに頭を使うミステリでした。 刑事はアイリッシュ系、 マフィアと関係のある元刑事はイタリア系、 探偵の卵のような女の子は黒人ジャズミュージシャン (ルイス・アームストロング君)と一緒に、、 それぞれに事件を追っていくのですが、 かかわっていく人脈も、 イタリア系、 クレオール、 黒人、 アイリッシュなどの移民、 それからバイユーというルイジアナ特有の低湿地帯に暮らすヴードゥーを信仰する人たち、、

いろんな人種のいろんな職種・裏稼業の人々がいっぱい出てくるので、 場面が変わるたび (この人、なにじんでどこ系の人だったけ…) と神経衰弱で前にめくったカードを思い出すように 自分の記憶力が試されました。。。

事件は実際のもので、 「ジャズを聴いてない者は殺す」という犯行予告文も 実際に送り付けられたもの。 その事は興味を引くけれども、 その犯行の理由は全くわかっていないし、 この本のなかで三者が繰り広げる推理もまったくのフィクションだから、、 この未解決事件に何らかの決定的な解決を与える事が この小説の主眼ではないのですね。 この小説の魅力といえば、、 1919年のニューオーリンズという土地の特色・特異性、、 これだけの複雑な人種や 多様に入り混じった文化、 マフィアもそうだけれど アメリカという国の中にありながら 禁酒法などにしても法の支配が完全には行き届いてはいない闇を抱えた社会、、 そういう土地の複雑さを、地理、文化、人種、風俗、音楽、料理…いろいろと知ることができる点にあるのだと思いました。

 ***

あぁ、、 と気づかされたのが、、

古い農園跡に暮らす老人が かつての美しかったクレオール文化を昔語りする場面で、 ふいにラフカディオ・ハーンの言葉を引用するところ。。 読み飛ばしてしまいそうだけれど、この老人が語る時代は まさにハーンが新聞記者としてニューオーリンズで10年余りを暮らしていた時代だったのでした。

日本では「怪談」で有名な小泉八雲が、 日本に来る前に ニューオーリンズの何に惹かれて十年余りを暮らしていたのか、、 何も知らないし、 殆んど考えたこともなかったけれど、、 この小説にも出てくる 「バイユー」という深い湿地帯、、 そして「ブードゥー」の神秘、、 都市化、近代化から取り残されたそういう土着の文化があったことが ハーンの関心とつながっていたのかな、、と 初めてそんなことも感じました。
(このミステリのストーリーとハーンとは直接関係はなかったですが)

「ニューオーリンズとラフカディオ・ハーン」という企画展の時の記事>>

ラフカディオ・ハーンがアメリカ時代に書いた 小説二篇『チータ』と『ユーマ』の翻訳。
『カリブの女』(河出書房新社) - 著者:ラフカディオ ハーン ALL REVIEWS

 ***

ここからは、 個人的な関心のある 「音楽」の話題もふくめて…

「ジャズを聴いてない者は殺す」 という犯行予告に怯えて、 ニューオーリンズではその当時 アックスマンのジャズ、という新しい曲がつくられて街中で奏でられたのだそうです。 その曲も楽譜つきで動画にのっていました。
The Axman's Jazz by Joseph John Davilla (1919, Ragtime piano)


、、こういうジャズの黎明期のようすも興味深かったですし、、 さきほど書いた「バイユー」という この土地特有の低湿地帯の様子、、 そこに暮らすブードゥーの医術を施す美しい女の人が出てくるのですが、 この女性がとても魅力的で、、 
怖い事件を追う物語のなかで、 この女性が出てくる場面だけは バイユーの森の奥に隠されたやすらぎの秘境なのでした。。 

、、 読み終えて、、 (読んだのは先週です)

読んでいた時も「バイユー」という言葉がずっと引っ掛かっていたんですが、 二日くらいして はっと思い出したんですよね、、 (こういう自分の記憶の出入りもちょっと不思議な感じがしますが)、、 「バイユー」= bayou

トム・ペティが歌っていた歌、だったんですよね。。 このブログにも前に書いていました、、「Lover of the Bayou」という歌のことも。。(>>) もともとはザ・バーズの曲です。 こちらで聴けます⤵
The Byrds - Lover Of The Bayou

ググっていただければ歌詞も出てきます。 この歌詞にもヴードゥーの気配がありますね。。

トムとマイクとベンモントさんが一緒に演っていたマッドクラッチでのこの曲のMV⤵
Mudcrutch - Lover Of The Bayou
、、 いま この映像を見るのはつらいな。。  、、 トムの馬鹿… って どうしても思ってしまう、、


もうひとつ、、
この小説を読んで思い出した歌がありました。 、、浅川マキさんの 「朝日楼」
、、 あの歌で 「愛した男」は どこへ行っていたのか、、 どうして帰らなかったのか、、
「アタシ」がたどり着いたのが なぜ「ニューオーリンズ」だったのか、、
この小説のなかで描かれるいろいろと考え合わせると あぁ、、と ようやく胸を突かれる思いで分かる気がしました。

アニマルズのバージョンは女性の歌ではなくて、 男性の歌になっているんですよね。 それもやはりニューオーリンズで、 ギャンブラーの話。。 「朝日楼」の女性(少女かも)とか、、 ギャンブラーに身を落とし囚われる、、 そういうリアルさも、 この小説読んで街の描写とともに実感できたことのひとつかな。。


ミステリの謎解きとは別の部分で なんだかいろいろと感じることのできた読書でした。。




今朝の黎明、、


なんだか 東京じゃないみたい。。


あたたかくして、、 

心がぽっとあたたかくなる曲を聴きましょうか…  昨日 見つけた美しいギター。。 マイク・ブルームフィールドのスライドのインスト曲 「When I Need You」

、、あ この曲知ってる、、 と思ったら オリジナルは Leo Sayerさんの歌。。 どちらもお薦め…

 

木星色の朝、、

2018-01-12 | …まつわる日もいろいろ
今朝、、 お天気どうかしら? と窓の外を覗いて… 




まるで ここは木星かしら、、というような美しい雲の層が彼方に見えました。 どんな夜明けでも 雲があっても無くても 日の昇る直前の空は、、 空というより 宇宙が見えるようで いつも感動してしまうのですが

今朝はこの美しい帯が 東の空からずっとずっと南の先まで水平に続いていて ほんときれいでした。。

あまりにも綺麗だったのでベランダに出てこのフォトを撮って、、 寒いから中へ入ろうとした瞬間、、 ふっと見上げた高い位置に…




わぁ、、 素敵なお月さま。。  よかった、 気づいて。


 ***

Jupiter の Andante Maestoso が聴きたくなりましたが、、 あったかどうかよくわからなかったし、、(クラシックのCDはマニアの方が新しいものを買うと古いものをどんどんくださるので沢山あって把握できてないの…)

きょうはアナログ盤がとっても聴きたかったので パパの古いユージン・オーマンディなど聴いていました。 、、やっぱりアナログ盤は落ち着きます。

、、それで病気が発生してしまい…(笑) 前から欲しかった 180グラム重量盤のレコードをつい注文してしまいました。。 届くのに二週間くらいはかかるみたいだけど、、 
プレイヤー買った時に、 「年に1枚ずつくらい古いレコードを買おうかな…」 と書きましたが、 あれから新しいEP盤しか買っていないので、 新しいけど録音は古い JAZZのLPを買うことにしたのです。。

自分でじぶんに 先月のクリスマスと来月のお誕生日のプレゼント。。


早く届かないかな…


 ***


今朝は、 太陽が昇ってからも 木星の帯はしばらくずっと美しく見えていました、、



… でも、、 たいへんな大雪の被害もあって、、  どうかこの週末は 全国的に穏やかなお天気であるように願っています。。


風邪ひかないように、、


よい週末を。

今年の始まりは『物語』から… : 『物語』 ボリース・パステルナーク著

2018-01-05 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
今年の初詣、、 

おみくじを引いたら そこに書かれていた和歌がとても今の自分の気持ちに嬉しいことばでした。 だから 「大吉」とか「小吉」とかに関係なく 幸せな気分で一年の通常運転を今日から始めます。。 あ、、 「勉学に励みなさい」ということ、 書いてありましたね、、

 ***

今朝の占いでは、、 今年の計画を立てなさい と言われたので (別に占い好きというわけじゃありません・笑) 、、いま頭の中にある大ざっぱな今年の計画を、、

、、5月くらいまでに 文学の宿題を二つ、かかえています。 時間がまだたっぷりあるようだけれど、、 日常のやるべきことの時間の中では4,5カ月はあっという間、、 それは経験上よくよくわかっているから 日々 頭の片隅で進捗を意識していないといけません、、

、、ここ何年もそういう作業から遠ざかっていたから できるかどうか。。 それを体調が許してくれるかどうか。。 (ぼやけた文言ですけど課題はちゃんと決まっているのです)

、、 その中で、 たくさん音楽も聴きたい。 美しい物語も読みたい。。 って、 やっぱり時間はたっぷりなわけではないのだぁ、、 

 ***

年明け 最初に何を読もうかと考えて、、 ボリース・パステルナークの『物語』を開いています。


『物語』 ボリース・パステルナーク著 工藤正廣訳 未知谷 2010年

、、 年末に ヤコブセンを読んでいた頃、、 工藤正廣先生が訳された パステルナークの『ドクトル・ジヴァゴ』(未知谷刊>>)が 2013年に出ていることを知り、、

工藤先生の訳されたパステルナークの詩集は、 ウチにもあり、 過去にもこのブログにも書いたことがありますが、、 ずっと読んでいなかったので この新訳の750ページにもなる 『ドクトル・ジヴァゴ』、、 いつかは読んでみたいな、、 読まなくちゃ、、と心に決めて、、 

でも この春はやらなければならない「宿題」があるから 750ページに取り組むのは少し後にして、、 先にこちらの短い 『物語』を読むことにしたのです(『物語』未知谷刊>>

詩人であるパステルナークが書く散文は 比喩に溢れた描写がつづき、 それが文字通りの意味なのか、 心理描写なのか、 風景の抒情的描写なのか、 一文を読み解くだけでも難しいことがままあります、、 でも、 はっとそれが自分の中の気づきとして取り込まれた時、、 その美しさ・正確さにおどろき感嘆するのです。

例えば…

 「…このとき大学の近くは、誰かがまるでネコヤナギのジャムのびんを叩き割ったとでもいうような路面だったが、かくして彼は、その苦いネコヤナギの毛の漿果の中に、都市全体と一緒にはまって、そのむっちりした錫色のしわしわの揺れに身をゆだねた。」

、、こちらはまだ 「~とでもいうような」という言葉があるため理解がしやすいほうですが、、 その数行後には

 「…空(から)の四輪馬車の列が、たったいま臓物を抜かれたばかりの、何かお伽噺的な脊椎動物の背骨になって、夕べの空に持ち上がっていた。」

、、 え? 「持ち上がっていた」・・・?? 


、、最初はこのような文章にほんとに戸惑いましたけど、、 これらが決して現実離れした夢想でも幻想でもなくて、 詩人の眼に映った現実を詩人のことばで写生するとこうなるのだ、、と気づいてからは この『物語』をものがたりとしてなんとか読み通せる気がしてきました。 (まだ中間点です)


パステルナークに関する過去ログ>>

 ***

どうして 今、 この『物語』を手に取ったのかと 自分で思うに、、 短い会話で成り立つような「わかりやすさ」への抵抗もあるのだと思います。 その一方で、 単純な事をわざわざ「わかりにくく」して有難がる表現への抵抗もあるのです。 そもそも両者は同じ事、、 対象の「単純さ」では同じこと。。

いみじくもルー・リードさんが言った事、、 師であるデルモア・シュワルツから学んだ事、、「簡潔な言葉でもっとも創造的な詩をつくる」 そこからどんどんかけ離れているような昨今の現実じゃないかしらと… 詩にかぎらず、 小説にかぎらず、 歌にかぎらず、、 メディアや政治家の発言にかぎらず、、

、、 もちろんぜんぶ自分にも当て嵌まることなんですけれど、、


年の初めに、、ね。 もう一度 思いをあらたに。




 ***

今日は小寒。 暦のうえでは寒の入りですけど、、




春一輪…


日差しに映えていました。。

2018年 明けましておめでとうございます。

2018-01-01 | …まつわる日もいろいろ







澄みわたった今朝の空のような心で 

ただ一心に飛ぶ鳥のように


そうありたい…



そう生きたい…



 ***

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

すばらしい年になりますよう。。





… 元日の夕月も綺麗です。