星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

なんてうれしい驚き。。

2024-03-07 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
先月 片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』を入手して… 

(正確に言えば 芥川の読書をしていた昨年の春以降…) つい 片山さんの話題になってしまうのですけど、、 『ともしい日の記念』の「むかしの人」という随筆のなかで 「大塚楠緒子」さんの思い出をつづっていらっしゃるのを読んでちょっとびっくりしました。

私が勝手にびっくりしただけのことですけど、、 片山廣子さんと大塚楠緒子さんに交流があったことが知れて、 しかも随筆のなかで片山さんは 楠緒子さんを「あの方」と書き、 なんというかまるで女学生の乙女が憧れの上級生のことを語るかのように 楠緒子さんの美貌、知性、佇まい、、 声をかけられることさえ畏れ多いみたいにその憧れを綴っているのに驚きました。。 ほんとうに、 胸ときめかす乙女のように…

、、私がおもうには 片山廣子さんだって(遺されたお写真からは) 品が良く清楚な白百合のような方だとお見受けするのですが、 片山さんは随筆のなかで楠緒子さんを「クリーム色の薔薇」に喩えていらしゃいます。 たしかに楠緒子さんのお写真からは 百合よりも薔薇に近いイメージが感じられますね…

片山廣子さんは 芥川龍之介がひそかに愛した女性として堀辰雄の小説などでは書かれているわけですが、 大塚楠緒子さんは夏目漱石がひそかに愛した(?)とかそのように言われる女性でもあります(…私はあんまりそう思ってませんが)。 片山さんの随筆「むかしの人」にも、 楠緒子さんが急逝されたときに夏目漱石が詠んだ句
 
  「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」

が引用されていました。 漱石先生が菊と書いたのは 楠緒子さんが亡くなったのが11月だったからかと思いますが 漱石先生なら楠緒子さんを何の花にたとえたでしょう…

 ***

この随筆を読んで、 片山廣子さんは楠緒子さんより3つ年下と知り、 では片山廣子さんと漱石先生との繋がりはなかったのだろうか…と。

漱石先生は、 ギリシャ・ローマの神話を翻訳出版した野上弥生子さんに宛てて 「あなたが家事の暇を偸んで『傳説の時代』をとう/\仕舞迄譯し上げた忍耐と努力に少からず感服して居ります」 というお手紙を送っています(青空文庫でも読めます >>『傳説の時代』序)

野上弥生子さんは 漱石先生の教え子の野上豊一郎の妻だという繋がりがあり、 大塚楠緒子さんは漱石の友人の美学者、大塚保治夫人だという繋がりもあるのですが、 両夫人とも外国文学の翻訳をしたり、小説の世界に入ったり、、という文学の世界に身を置くことになった女性たち。。 では、アイルランド文学の翻訳を(漱石が生きた時代にも)雑誌などに発表していた松村みね子=片山廣子さんと漱石先生との繋がりは無かったの・・・?

おこがましいようですが… 大学で漱石先生について学んで そのころ漱石全集はほぼ全巻に目を通したつもりでいる私ですが 片山廣子(松村みね子)さんについて漱石先生がなにか書いているというのは記憶がありませんでした。 

でも検索していて、、 なんと! というか やっと… 片山廣子さんが漱石先生の小説『幻影の盾』の現代語訳を雑誌に発表していた、と。。 えーーーー‼ 驚き。。。 なぜ? いつ? ぜんぜん知らなかった…

 ***

小説『幻影の盾』というのは 漱石先生が英国留学から帰国後、 英国のアーサー王伝説に材をとった「薤露行」などと同時期に書いた短篇で、 アーサー王の時代の話 として漱石が創作したファンタジックな物語。 騎士ウィリアムと 敵の城の姫クララとの悲恋の物語(だったと思う…)

青空文庫でも読めますが 文語体で書かれているのでちょっと難解、、 それを片山廣子さんが現代語にして発表なさっていたなんて・・・‼ どんなふうに書かれているのだろう… どきどきどき…

、、すこし調べましたら 片山さんが「幻影の盾」を訳されたのは漱石先生の没後だということがわかりました。 (漱石先生がそれを読んでいたらお手紙とかなにか書かないはずはありませんもの)

2020年に 幻戯書房から『片山廣子幻想翻訳集 ケルティック・ファンタジー』という本に収録されて出ていることもわかりました。 早速読んでみるつもりです。


、、 私が漱石先生の文学に親しむきっかけとなったのも、 アーサー王伝説のおかげでした。 そこから漱石先生と英文学にまつわる 長い、長い旅がはじまりました。 大学を卒業して、 病気の手術をしたりして、 学業はそこで終わったけれど、、 

こうして 何年も経ってからでも 新たな発見や 新たな出会いが訪れるなんて…


なんてうれしい驚き、、



「幻影の盾」現代語訳の感想は またいずれ…


 ***


寒い日がつづいていますね



今度の週末は暖かくなるといいですね… 

死があたかも一つの季節を…:漱石から芥川、そして堀辰雄

2023-04-10 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
前回、 芥川龍之介の晩年のエッセイ「彼 第二」に続いて…

龍之介の死後に発表された「或阿呆の一生」をつづけて読んでいて、、(この作品は 冒頭の久米正雄宛ての文からも判りますが芥川の遺書と言って良いものですね)

その中に 「先生」という語、つまり夏目漱石について書いた文が3つあります。 「十 先生
」、「十一 夜明け」、「十三 先生の死」です。 そのなかの「先生の死」にこうあります。

 彼は巻煙草に火もつけずに歓びに近い苦しみを感じてゐた。「センセイキトク」の電報を外套のポケツトへ押しこんだまま。

、、「歓びに近い苦しみ」、、 ってどういう意味だろう…

「或阿呆の一生」ははるか昔に読んだきりで 漱石作品に親しむよりも前のこと、、 この箇所については全く記憶にありませんでした。 先生の危篤の電報を受け取り、 「午前六時の上り列車」を待っている時の気持ち、、 それが 「歓びに近い苦しみ」…

どういう意味だろう… とふと思いつつも、 心のどこかではなんだか分かる気がしていたのです。。 何故かというと、、 その後 漱石作品をたくさん読み、 芥川と漱石との師弟関係のことなどもいろいろ知った今だったから。。

漱石の『こころ』で「私」が「先生」からの分厚い手紙(遺書)を受け取ったあと、 危篤の父親のもとを離れ列車に飛び乗ってしまいます。。 そういう想いの小説を芥川青年は読んでいたでしょうから。 『こころ』の「私」が「先生」に心酔したと同様に、 芥川も自分の作品を認めてくれた漱石を全面的に信頼したでしょうから。。

「或阿呆の一生」のこの二つ前の「夜明け」は、 「先生に会つた三月目」とあり、 「空には丁度彼の真上に星が一つ輝いてゐた」と、そんな輝かしい、喜びと希望に満ちた「二十五の年」だったのでしょう。。 でも年譜から想像するに 龍之介が漱石に作品を褒められてから漱石の死までは一年にも満たないはず、、 その間に龍之介は大学を卒業し(夏)、 冬に海軍機関学校に英語教官として就職する。 「先生の死」の一つ前の文章が「軍港」だから 多分その順番でいいのだろう。。 とすると「先生の死」で列車を待っている駅は横須賀のほうかと想像する…

この夏(8月)、 漱石は龍之介と久米正雄宛に 有名な 焦ってはいけません 牛のように押して行くのです という内容の手紙を送っている。 漱石の弟子への手紙はいつも丁寧だけれど、この手紙も実に心が籠っていて優しい。。

龍之介の 「歓びに近い苦しみ」という想い、、 想像するに たとえ危篤の報せとはいえ、 漱石のもとへ駆けつけることが出来るよろこび、 横須賀(たぶん)での仕事も放り出して漱石の枕元へ行ける嬉しさ、、 死がどれだけ間近かどうかなんてこの瞬間には問題ではないのだろう。。
そんな気持ちとして私はとらえたのだけど… どうだろう…

 ***

そして 芥川が漱石の弟子だったように、 芥川には自分を慕う「堀辰雄」という若者がいた。

芥川の25歳ごろの思い出(「彼 第二」や「先生の死」のころ)を読んだためか、 堀辰雄が芥川龍之介の思い出をつづった作品はどうだったろう、、 とあらためて堀辰雄の年譜などを見直して、 それで『聖家族』を読み直すことにした。 (堀辰雄が芥川龍之介と知り合うのが19歳頃の事)

 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。

という印象的な一文で始まる短篇。 私が『風立ちぬ』から堀辰雄を知った中学生の頃には 芥川と堀の関係など知らずに、 軽井沢や富士見のサナトリウムを描いた小説群はどこかヨーロッパの小説を読むようで不思議な浮遊感と、 死への甘やかな幻想を感じていた。

でも、、 あらためて「聖家族」を読むと、 もうこれはまさに芥川の死へのトリビュート作品なのだということがわかる。

「聖家族」は「九鬼」という男の葬儀から始まるけれど、 九鬼が作家だとか 九鬼とこの物語の青年「扁理」とどういう関係なのかはまるで書かれていない、、 けれど堀辰雄がこの作品を雑誌に発表した頃は 当然この「九鬼」の死は芥川の死として読まれていたんだろうと思う、、 オマージュとして…

芥川に「蜃気楼」という作品がある。 鵠沼の浜辺で蜃気楼を見ようとする話。 これも晩年の作品だが この中に「大学生のK君」が出てくる。 この人物が堀辰雄かどうかはわからないけれど、 堀の「聖家族」では青年「扁理」が海岸の町をおとずれる場面がある、、 そこで扁理は 
「九鬼」の死が自分のなかにどれだけ深く刻み込まれ、 どれだけ自分が九鬼の存在から離れ難いかを認識する。。 そういう重要な場面…

 そうして扁理はようやく理解し出した、死んだ九鬼が自分の裏側にたえず生きていて、いまだに自分を力強く支配していることを …略…
 そうしてこんな風に、すべてのものから遠ざかりながら、そしてただ一つの死を自分の生の裏側にいきいきと、非常に近くしかも非常に遠く感じながら、この見知らない町の中を何の目的もなしに歩いていることが、扁理にはいつか何とも言えず快い休息のように思われ出した。

                 「聖家族」


、、九鬼の死をこうして 「非常に近くしかも非常に遠く感じながら」 扁理は「貝殻や海草や死んだ魚」などが打ち寄せられている浜を歩く。 この部分は芥川の「蜃気楼」で 夜の浜辺でマッチをすり、海藻や貝殻の散らばった浜が浮かび上がる というシーンを思い起こさせもするし、、

「聖家族」ではこの続きに、浜辺の漂流物の中に「犬の死骸」を見つける。

 その漂流物のなかには、一ぴきの小さな犬の死骸が混っていた。そうしてそれが意地のわるい波にときどき白い歯で噛まれたり、裏がえしにされたりするのを、扁理はじっと見入りながら、次第にいきいきと自分の心臓の鼓動するのを感じ出していた…… 「聖家族」

この場面は、 前回読んだ芥川の晩年のエッセイ「彼 第二」のなかで書かれた、 早世したアイルランド人の友人の思い出を反映させている気がする。 上海で再会した芥川と友人は、海岸を歩きながら犬の死骸を見る、、

 彼はちょっと歩みをとめ、顋で「見ろ」と云う合図をした。靄の中に仄めいた水には白い小犬の死骸が一匹、緩い波に絶えず揺すられていた。そのまた小犬は誰の仕業か、頸のまわりに花を持った一つづりの草をぶら下げていた。それは惨酷な気がすると同時に美しい気がするのにも違いなかった。 「彼 第二」

芥川が死骸に対して 「惨酷な気がすると同時に美しい気がする」と書いた感性を、 堀辰雄は敏感に読み取っていたのだろう、、 「九鬼」という男の「死を自分の生の裏側にいきいきと」 一心同体のように実感した扁理の眼には、 犬の死骸を発見したこともまた九鬼とつながるものであり、 「いきいきと自分の心臓の鼓動」を促す 魂の感応をもたらすものだったのだろう…


そうやって 芥川の晩年のエッセイから 堀辰雄の「聖家族」までつづけて読んできてみて、、 そうしたら 漱石の危篤の報を受け取った芥川の 「歓びに近い苦しみ」とは、、 (この文章が芥川がすでに遺書として書いている文章だということを考え合わせれば)、、 漱石のもとへ自分が行けること、 ふたたび先生に会えること、、 そのことのよろこびを示していると考えていいんじゃないかな… と。。 やはりそう思えてきた。

 ***


私は 自死を認める気持ちは無いし、 前回も書いたように芥川にピカソと同じくらい長生きして書いていて欲しかったと思うし、、 芸術家は作風が変わろうが、 批評家からあれこれ言われようが、 芸術家としての命が尽きるまで全うすることのほうを尊びたい。 

でも、 漱石の死が芥川に伝えたもの、、 芥川の死が堀辰雄に伝えたもの、、 その死がつぎの作家の生命のなかに宿ったもの、、


その命の連鎖は認めていいと思う。。




 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった…



自分でこのことを認識して作品化できる 堀辰雄はすばらしい理知の人ですね…


 


読書はまだつづきます…






芥川龍之介の読書書誌…

2023-03-30 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
先日、 フロイトとリルケの《無常》について書きましたが(15日) 
その後の先輩とのメールのやりとりの中で、 芥川龍之介の『死後』という作品の文章から「フロイド(フロイト)」の語が削除された謎… という話題があり、、(現在 青空文庫で読めるものは削除後のものです)

これについてはここでは書きませんが、、

それでいろいろ検索していたら、 芥川龍之介が作品中や書簡などの中で言及している書物のリスト、という調査結果が公開されているのをみつけました⤵

読書書誌索引稿:芥川龍之介2(西洋人名) : 『芥川龍之介全集』(岩波書店1978)を基盤に
 (桃山学院大学学術機関リポジトリ)

このようなデータは作家の関心事や作品への影響を知るのに とっても興味深く有難いものですね。。 早速リストを眺めて、、 芥川龍之介らしい《夢》とか《幻想》とか《怪異》とか《ドッペルゲンガー》とかに結びつきそうな作家の名前がたくさんありますね。。 それで…

以前に、 中井英夫の「燕の記憶」という作品について書きました(>>) 「A」という背の高いひとが『幸福の王子』という本を探しに来た… という話。

上記のリストの中に ワイルドを探してみたらありました。 「Happy prince」という作品名も。。 「A」というお父さんは『幸福の王子』を読んでいたんだわ… と思い、 いったいいつ頃『幸福の王子』を読んでいたんだろう、、 と少し調べましたら、 どうやら龍之介が学生だった頃のようでした。。 中井英夫が書いていた時期、、 子供部屋へ「幸福の王子」をさがしに来る、という幻のシチュエーションではなかったのですが、 確かに龍之介は『幸福の王子』を読んでいたのでした。。 なんだかそれだけでも嬉しかったな…

 ***

一方、、 私の個人的な関心事で そのリストの中に「de Quincey」の名も見つけたので、 いったいどんな風に言及しているのだろう、、と興味が湧いて検索してみました。

「骨董羹 ―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」
という、大正9年に出版された雑誌に掲載されたもののようです。 青空文庫で読めるものはこちら>>

ひとつは「誤訳」という文章。 面白い文章なので引用させていただきましょう…

 カアライルが独逸文の翻訳に誤訳指摘を試みしはデ・クインシイがさかしらなり。されどチエルシイの哲人はこの後進の鬼才を遇する事 ―反つて甚篤かりしかば、デ・クインシイも亦その襟懐に服して百年の心交を結びたりと云ふ。カアライルが誤訳の如何なりしかは知らず。予が知れる誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり。訳者は楽園の門を守る下僕天使にもあらざるものを。(二月一日)

トマス・カーライルのことは「哲人」、 ド・クインシーのことは「さかしら」だけど「鬼才」と名づけてくださってます。。

もうひとつは 「ニコチン夫人」という文章。。 文章は載せませんが、ここに書かれている「ニコチン夫人」て何?? と知らなかったので調べましたら、 ジェームス・マシュー・バリーという あの『ピーターパン』の作者が書いた『My Lady Nicotine』という小説のことだそうで、 龍之介は「最も人口に膾炙したり」と書いていますが 大正当時はそうだったのかもしれませんが今ではまったく読むことができません、、 どんな話なんだろ。。

ド・クインシーに関しては「阿片喫煙者の懺悔」の名が挙がっていますが 龍之介も読んでいたのですね。 それで「誰か・・・バリイを抜く事数等なる、恰もハヴアナのマニラに於ける如き煙草小説を書かんものぞ」と結んでいますが、 以前 私もとりあげましたが 芥川龍之介は「煙草と悪魔」(>>)という作品をみずからお書きになっているではありませんか?

それはさておき、、 先の「誤訳」という文章。。 マドンナを奥さんと訳したのはどんな文章中のことかは知りませんが、、 私が今までで最ものけぞった誤訳、というか 誤注というのは、 ここで芥川がとりあげているまさにド・クインシーの「阿片常用者の告白」についての文章でした。

龍之介の師匠でもある夏目漱石先生が『倫敦消息』のなかで (青空文庫で読めます>>
 「オキスフォード」で「アン」を見失ったとか、「チェヤリングクロス」で決闘を見たとか云うのだと張合があるが

と書いている「アン」という名前に対して、 (これは固有名詞ではなく女性一般をさす「お花ちゃん」のようなものか) という注釈がついていたこと。。 もしかして改訂がなければ今でもそういう文庫があるのかもしれません。。 誰!?お花ちゃんて・・・!! と最初読んだときまさにのけぞりましたわ。。 龍之介の言う「マドンナを奥さん」 まさにそれ!

オックスフォード通りを彷徨っていたド・クインシーと少女アン。。 大正時代だったらこんな「誤注」はなかったかもしれません、、 せめて芥川龍之介が昭和までずーっと生きていてくれたら 気づいてくれたかもぉ……(涙) などと思うのでした。。


話逸れましたが、、 上記の「読書書誌索引」を見ていて(ありがたいことに年月も書かれているので) 芥川龍之介最晩年の昭和2年に アンドレーエフの「イスカリオテのユダ」に言及していたらしいのを見つけて、、 どんな風に読んだのだろ… などと興味が。。

アンドレーエフの「イスカリオテのユダ」、、 近年 新しい翻訳本が出ているので今度読んでみようと思っています。


いろいろ勉強、、 いろいろ読書、、 の



春なのです。

パトリック・モディアノとトマス・ド・クインシーと夏目漱石…?:『地平線』P・モディアノ著

2021-12-20 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
パトリック・モディアノの読書 2冊目は『地平線』です。

前回の『迷子たちの街』が84年の作品だったので、今度はもっと現在に近いものを、と思って、2010年に書かれたこの作品にしました。

 ***

物語への感想、というよりまずは、 とっても驚いたことから先に書いてしまいましょう。

『地平線』を読んでいる間、私のあたまには何度となく別の本のことが浮んできて、読めば読むほどに両方の作品が近づいてくる気がしたのでした。。 その本とは 19世紀の英文学者 トマス・ド・クインシーが書いた『阿片常用者の告白』。

前回書いた『迷子たちの街』にも 若き日のパリの街での出会いと別れが書かれていましたが、 『地平線』で描かれる 《群衆》の中での女性との出会い、 なにかに怯えている身寄りの無い境遇、 街角での待ち合わせの約束や、互いを見失うという不安、、 年月を隔てた記憶や夢での再会、、
さらには、 女性が救済を求めても相手にされなかったことや、  主人公の寄宿学校からの脱走、、となってくると、 ん??? と、私の頭に引っ掛かってくることばかりなのでした。



『地平線』パトリック・モディアノ著 小谷奈津子・訳 水声社 2015年
『トマス・ド・クインシー著作集Ⅰ』 国書刊行会 野島秀勝・訳

   (『阿片常用者の告白』は現在 岩波文庫にあり)


『阿片常用者の告白』はトマス・ド・クインシーの回想録で、 父親を亡くし寄宿学校にやられた若きド・クインシーが、学寮を脱走して放浪の果てにロンドンの街に流れ着くまでの記憶が前半部分で語られています。 倫敦の街路で身寄りのない少女アンと出会い、二人は夜な夜な街を彷徨います。 ド・クインシーはアンの窮乏を助けるため、一週間後に通りの角で待っているという約束をして金策のため街を離れます、、が… アンに二度と会うことはできなかったのでした。。

、、このアンの物語が『地平線』を読むあいだずっと私の頭から離れずに、、 
でも、ド・クインシーは英国の作家、、 モディアノさんはフランス人。。 だけど、 ド・クインシーの『告白』に魅せられたアルフレッド・ド・ミュッセやシャルル・ボードレールは、 まるで自分自身の物語でもあるかのように自己流のアレンジを加えてこれを翻訳したくらいだから、、 二度と会えない少女アンとの生き別れのテーマは、 英国人よりもフランス人の心をより深くつかむものだったのかしらん…… 

だから、もしかしてモディアノさんも、、
などと思って、、 「Patrick Modiano Thomas De Quincey」と、両者の名前を検索窓に入力してみました、、 らば…

なんと、、 検索のトップに モディアノさんご本人の ノーベル文学賞記念講演(英文翻訳のもの)があらわれてきて、、 びっくり… というか 唖然…。。

https://www.nobelprize.org/prizes/literature/2014/modiano/25238-nobel-lecture-2014/


私は難なく英語を読める語学力はないし、 なによりモディアノ作品がまだ2作目なので あまり詳しい解説とか情報を仕入れてしまうと まっさらな気持ちで作品を読むことができなくなってしまうおそれがあるので、 「Thomas De Quincey」の文字の前後だけを拾い読みしてみたのですが、、 
モディアノさんが言及していたのも、 倫敦の街という迷宮のなかでアンと生き別れてしまった苦悩をド・クインシーが振り返っている箇所でした。

  ‘If she lived, doubtless we must have been some time in search of each other, at the very same moment, through the mighty labyrinths of London; perhaps even within a few feet of each other – a barrier no wider than a London street often amounting in the end to a separation for eternity.’
     (Confessions of an English Opium Eater / Thomas De Quincey 1821)



話は少しとびますが…

『阿片常用者の告白』は (アヘン中毒の異常な悪夢を語った告白録として有名ではあるものの) 若き日の少女アンとの出会いと別れ、 追憶と夢の物語というロマン派文学としてもう少し広く読まれてもいいのになぁ、、と思っているのですが…

この作品は夏目漱石の大学時代の愛読書でもあり、 漱石先生は 「オキスフォード」で「アン」を見失った(「倫敦消息」) と、これ以上になく端的な言葉でこの物語を言い表しています(笑 
漱石もまたアンとの生き別れの物語に強く影響を受けたのでしょう、、 都市の群衆の恐怖や、 迷宮のような小路で人とはぐれ、 或は人と人が運命的にめぐり会う、という内容をたくさん書いています。

「都市」「雑踏」「見失う」 というテーマは モディアノさんが記念講演で触れている点とも驚くほど共通していて(モディアノさんは Soseki Natsume の作品をご存知かわかりませんが)、、 作家という感性が引き寄せられる共通項なのか、 生まれ育ちや境遇の類似性によるのか(詳しくは知りませんが)、、 モディアノ作品と漱石作品を掘り下げていけば きっといろいろと響き合うものが見えるはずです。


 運命は丸い池を作る。池を回るものはどこかで落ち合わねばならぬ。落ち合って知らぬ顔で行くものは幸である。人の海の湧き返る薄黒い倫敦で、朝な夕なに回り合わんと心掛ける甲斐もなく、眼を皿に、足を棒に、尋ねあぐんだ当人は、ただ一重の壁に遮られて隣りの家に煤けた空を眺めている。それでも逢えぬ、一生逢えぬ、骨が舎利になって、墓に草が生えるまで逢う事が出来ぬかも知れぬと書いた人がある。運命は一重の壁に思う人を終古に隔てると共に、丸い池に思わぬ人をはたと行き合わせる。変なものは互に池の周囲を回りながら近寄って来る。不可思議の糸は闇の夜をさえ縫う。 (『虞美人草』)


上記の引用の 「書いた人」というのは もちろんド・クインシーのこと。 それにしても、 この部分はモディアノさんがノーベル文学賞記念講演でド・クインシーについて触れた箇所とぴったり符合していますね。 だから 『地平線』を読んだときびっくりしてしまったんです、、私。

 ***

モディアノの『地平線』に話をもどして…

  もうすぐ、僕らは新しい地平線を求めてパリを離れることができる。僕らは自由なんだ。 (『地平線』p47)


地平線の彼方に自由があり、未来がある、という考え方は、 ド・クインシーのロンドンと違って パリならでは という感じがします。 陸続きに列車で地平線を越えてゆけば、ヨーロッパのどこへでも行けますね。


、、作品の終わりのほうで モディアノさんはインターネット検索を登場させていますが、 ネットの世界にはもう 地平線など存在しないのだなぁ… と感慨深く思いました。 

ド・クインシーが、 ミュッセが、 ボードレールが、、 アラン・ポーが、 漱石が、 そしてモディアノさんが、、 人と人を出会わせ、 また永遠に隔てさせた 「都市」や「群衆」や「通り=street」や、、 それから「年月」という時間の「地平線」さえも、、 検索ツールで易々と超えて結びつけてしまう今の世の中。。 記憶がつむぐ物語は、 SNSのタイムラインの中に閉じこめられた 永遠の「事実」というものにすりかわってしまうのでしょうか…



そのような世の中における 見失った《アン》の物語は、、


どうなっていくのでしょうね…


 ***

貴重で ふしぎな、、

パトリック・モディアノさんとの出会い…



今年のラストにすばらしい収穫です。


芥川の悪魔、漱石の悪魔… ☽

2020-07-17 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
最近、、 悪魔の形状について興味があって…

5月の入院中に、若き日の芥川龍之介(夏目漱石のお弟子だった頃から作家になりたての頃)の初期作品集を読み返していました、、というのは前に書きましたが


『羅生門・鼻・芋粥』 芥川龍之介、角川文庫クラシックス


この中の 「煙草と悪魔」(大正5年 龍之介24歳)という作品に出てくる《悪魔》がなんとも可愛いくて、、 
この悪魔、 聖フランシスコ・ザビエル宣教師が 日本にキリスト教を伝道しに来るその船でいっしょに日本に来たそうなのですが、、 航海途上、 ザビエルの従者の修道士(いるまん)が船に乗り遅れたのをいいことにその男の姿に化けて… (その部分を⤵)

 「正物のその男が、阿媽港(あまかは=マカオらしい)か何処かへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁へ尻尾をまきつけて、倒(さかさま)にぶら下りながら、私(ひそか)に船中の容子を窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた」

、、この 《尻尾を巻きつけてさかさまにぶら下がっている》姿を想像して、 (可愛い!!)と 妙に気に入ってしまい… (芥川は書いてないけれど、その尻尾はやっぱり矢印の形をしてるのかしら…?)とか、、

後半では 悪魔の姿の描写もありました。
 「…もぢやもぢやした髪の毛の中には、山羊のやうな角が二本、はえてゐる」

、、この《悪魔》修道士クン、、 ザビエル師と共に日本に来ても まだキリスト教のなんたるかもまるで知らない土地で布教もままならず、 やることがない。。 暇を持て余して《園芸》でもやろうと、 畑を借りて西洋から持ってきた《煙草》の種を撒いて栽培を始める、、 あげく、、 通りかかった牛商人となぞかけ遊びをして…… という、なんだか呑気な ちょっとまぬけなカワイイ悪魔のお話、、
 (青空文庫でも全文読めます)

 ***

ところで、 《悪魔》と言えば、 芥川の師 夏目漱石作品にも登場します。 『三四郎』のなかで、 美禰子が三四郎に送った絵はがきに、二匹の迷える子羊と悪魔(デビル)の絵が描かれている、、

 「小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある」

漱石先生の言う「西洋の絵にある悪魔」って、、 西洋画の美術展もほとんど無くて アニメも漫画本も無い時代、、『三四郎』が書かれた明治41年当時の日本で、普通のひとは「西洋の絵にある悪魔」をどの程度知っていたのかしら…? とか。。
 ロンドンに行って美術館めぐりをしたり、 美術雑誌ステューディオをとっていた漱石ならまだしも、 龍之介もどんな本や小説や絵画のなかから《悪魔》の形状を知っていったのかしら…? と 興味が湧いて。。

龍之介の《悪魔》は「山羊の角」と「尻尾」があって、 ウィキを見るとどうやら黒魔術に関連する「バフォメット」(wiki>>) の姿に近いようです。

一方、 漱石の《悪魔デビル》は「獰猛」な顔で 「ステッキ」を持っているそうで、 バフォメットはステッキ持って無いようですし、 ギュスターヴ・ドレが挿画を描いたダンテの『神曲』の悪魔なども、 ステッキも持っていませんし、 山羊の角も生えてません。。

で、、いろいろ検索してみたところ、 中世の写本に描かれている《悪魔》には 角が生えていて尻尾があって そして「杖」を持っているのもいる、、 でも「ステッキ」かなぁ……

漱石先生はほかにも《悪魔》について書いていて、 漱石や芥川龍之介らが 東大でドイツ哲学の講義を受けた師、 「ケーベル先生」の思い出にも《悪魔》の話が出てきます。 

 「烏のついでに蝙蝠の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎のような答をした。余は蝙蝠の翼が好だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負っている」 「ケーベル先生」

、、 これには笑ってしまいました… 漱石先生 コウモリの羽の形が好きなのですって。。 意外に 悪魔好きなのかもしれません。。 現代ならデビルマンとか、、 バットマンとか、、 (バットマンは悪魔ではないけど 笑)


 ***

知らなかったのですが、 芥川龍之介は もうひとつ 「悪魔」という小品を書いていて全集に収載されているようですが 青空文庫でも読めます。 この中で 悪魔の姿かたちについて描写しています

 「古写本の伝ふる所によれば、うるがんは織田信長の前で、自分が京都の町で見た悪魔の容子を物語つた。それは人間の顔と蝙蝠の翼と山羊の脚とを備へた、奇怪な小さい動物である」

、、 こちらは角ではなくて 山羊の脚なんだ…… それで 「小さい」とある。。 今までちっちゃな悪魔、というのは余り図像でも見てなかったので 芥川はどこから小さいと想像したのでしょう… このちっちゃな《悪魔》がせつなくて可愛らしいのです、、 短い作品ですからどうぞ読んでみて>> 青空文庫 芥川龍之介 「悪魔」

織田信長の戦国の世にあらわれた悪魔、、 姫君を堕落させようと思ったものの その清らかな魂を前に 堕落させたいという想いと堕落させたくないという想いの二つに引き裂かれて苦悩している 《美しい顔をした悪魔》、、。 どうやら龍之介も このちいさな悪魔をシンパシーをもって書いているようです。 大正七年 龍之介は塚本文と婚約中。 この翌年結婚します。 

 「堕落させたくないもの程、益堕落させたいのです。これ程不思議な悲しさが又と外にありませうか。私はこの悲しさを味ふ度に、昔見た天国の朗な光と、今見てゐる地獄のくら暗とが、私の小さな胸の中で一つになつてゐるやうな気がします」
 芥川龍之介 「悪魔」


ちいさな悪魔の苦悩、、  おそらくは姫君に恋をしてしまった悪魔の胸の痛み、、

文に書き送った手紙のなかで、 龍之介は自分のこれからの仕事のことを 「金にならない仕事」と綴っています。 まだ少女のような文に生活の苦労をさせてしまうかもしれないという怖れや迷いの気持ちも込められているのかもしれませんし、、

『羅生門』などの作品にみるような、 人間の魂の闇と光の双方に同時に共鳴してしまう 龍之介自身の心の裂け目をも 感じているのかもしれません、、 

 ***

人間の世界にあらわれて 人間を破滅の道に誘惑しようとする悪魔が恋に落ちてしまう物語、、

、、芥川が「悪魔」を書いた大正七年とおなじ時期に書かれた 別の悪魔の小説のことを思い出しましたので、 悪魔について考えたこの機会に、 今度はそれを読むことにしました。 (じつはもう読み終えました) 
 夏目漱石も、 芥川龍之介も読み影響を受けたとされるロシアの作家 レオニード・アンドレーエフの 『悪魔の日記』、、 アンドレーエフの遺作となった作品です。(この作品を漱石、龍之介が読んでいたという記録は残念ながらありませんが)

『悪魔の日記』は 以前にも一度、途中まで読んでいましたが、 ようやく全部 読むことができました。 

アンドレーエフの悪魔には 蝙蝠の翼や山羊の角は生えてるのでしょうか… それとも 天使の翼をもつ堕天使ルシファーとして描かれているのでしょうか… 


その話はまたいずれ……



So if you meet me

Have some courtesy

Have some sympathy, and some taste


  The Rolling Stones - Sympathy For The Devil



 「うるがんよ。悪魔と共に我々を憐んでくれ」 芥川龍之介 「悪魔」



シュトルムの『みずうみ』と、、夏目漱石

2020-01-16 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
19世紀半ばのドイツの作家、 テオドール・シュトルムの『みずうみ』

久しく書棚に眠っていたこの本を ふとこの新年に手にして、 まだ読んでいなかったことに気づきました。 読みたい本があり過ぎて、 そのときすぐに とはいかずに、 買った事で納得して後回しになってしまった本のひとつでした。

夕暮れ時の散歩から帰宅した老学者ラインハルト…… 暗くなった自室の肘掛椅子に身体を休めたとき、 窓越しの月光が壁に掛かった一枚の肖像画を浮かび上がらせた。 遠い少年の日々にいつもそばにいた乙女エリーザベトの肖像。 過ぎ去った思い出の物語。。



シュトルム作 『みずうみ 他四篇』 関泰祐・訳 岩波文庫

 ***

少年の日の初恋、、 
無邪気にひたむきに、、 やがて誰よりも愛しいと気づいた初恋の人とは なぜか結ばれない運命。。 結ばれなかったがゆえに美しく、 遥かに懐かしく、 年月を越えて心を占めつづける面影となる… 
美しい物語です。

関泰祐先生の解説によれば、 昭和11年の初訳を改訳して 昭和27年におさめたものがこの岩波文庫の版だそうですが、 およそ80年前の美しい言葉は 19世紀のドイツ北方の森や鳥や湖を描写し、 若いラインハルトとエリーザベトのみずみずしい語らいを今に伝えてくれます。
少年ラインハルトがエリーザベトを想って創る詩の翻訳も 現代語訳ではなかなかこのような味わいは得られないでしょう。

 森はただ声なきしじま
 見やる子のまみのさかしさ、
 栗いろの髪にまつわり
 日の光流れあふるる

「まみ」… まなざし、 「さかしさ」… この言葉も現代語の意味(賢しい)から捉えると意味が違ってしまいそうです。  ドイツ語がまったく読めないのが無念ですが、 解るなら原語で読んでみたいものです。。

少し『みずうみ』から逸れますが、 この短篇集の最後に入っている「遅咲きの薔薇」という小品の中に、、
 
  「…彼の顔には、明らかに痛ましい切愛の表情が見えたが…」

という一文があり、 〈切愛〉という 他の言葉ではうまく言い表しようの無い、、 けれどもこの文を読んでたしかに感じ取ることの出来る 〈切愛〉という感情が、、 なんだか泣きたくなるような、、 胸がつまるような、、 
それが この『みずうみ』の感想にも繋がっている気がして、、 ラインハルトとエリーザベトの 叶わなかった物語も、 ひとことで表わせば 〈切愛〉としか言いようが無いような、、 そんな読後感でした。 、、こんな風に書いていても 自分の言葉足らずがもどかしくなるような… 深い情感につつまれています。

 ***

ここからは少し内容に触れますが、、 『みずうみ』には多くを語っていない、 説明されていない事柄がいくつもあり、 それゆえに想像の余地のある 深い読みが可能な物語になっています。

例えば、、 ラインハルトは学業のために故郷を離れますが、 彼は学業に熱中するあまり、 それでエリーザベトと疎遠になってしまったのでしょうか? どうもそうではないようにも思えます。

クリスマスイヴの晩に彼がいた学生のたむろする地下酒場、、 そこでのジプシー娘との会話… ラインハルトと彼女は初対面? いえ、そうではないでしょう… 意味深い台詞、 交わすふたりの眼差し、、 「君の美しい罪ぶかい眼のために!」 、、そして 彼の盃を飲み干す娘…

、、その晩 故郷のエリーザベトから届いたプレゼントに ラインハルトは返事を書きますが、 そのときの〈インク壺〉には埃がたまっている… 都会でラインハルトがどんな生活をつづけていたのか、 なんとなく想像されます。

数年後の、 物乞いになった(かつてのジプシー娘とおぼしき)女との再会場面もとても不思議な感情を抱かせます。 そのときにラインハルトが呼ぶ〈ある名前〉、 女が歌う〈昔の歌〉、、 作者はなぜこのジプシー娘を再びここに登場させたのでしょうか…


エリーザベトは結局、 ラインハルトの友人だった 今は領主であり実業家である男の妻になりますが、 ラインハルト自身の職業はどう言ったらいいのでしょう… 学者、であることには間違いないのですが、 〈俚諺〉や〈民謡〉の収集家とは… 
、、ラインハルトの仕事(=研究)は実業家などとは程遠い、 旅人のような生活となったことでしょう。。 フォークロアの歌や物語を集め纏める、、 一昨年 シューベルトの「冬の旅」についてのイアン・ボストリッジさんの本を読んでいましたけれど、 あの旅人が村外れで出会った〈辻音楽師〉や、 この「みずうみ」の地下酒場で歌っていたジプシー娘やヴァイオリン弾き、、 社会の片隅で生きる彼ら彼女らの物語が、 初恋にやぶれたあとのラインハルトの生涯の道連れとなっていくのですね… と、、 これはあくまで想像の域ですが、、

 ***

こうして 読後いろいろな事を考えているうちに、 そういえば漱石の作品とあちらこちらでイメージが重なることに気づきました。

エリーザベトが肖像画のモデルになること、 地位のある人の元へお嫁にいくこと、、 は『三四郎』に。

想いの人が自分の友と結婚してしまうというのも 『それから』や『門』や『こころ』など。

結婚後のエリーザベトと夫エーリッヒの館を ラインハルトが訪ねた時、 エーリッヒは何故か(故意のように)二人を残して留守にし、 二人きりで湖の対岸まで出かけるように命じます、、 その部分はなんとなく『行人』にも似ているし

エリーザベトと鳥籠の(ラインハルトの贈った紅雀が死に、代わりにエーリッヒの贈ったカナリヤを世話しているという予兆的な)場面は、、 こじつけのようだけれども 『文鳥』の中の、 人のところへ嫁いでゆく女の人の思い出に…

、、 などと 想像が拡がってしまったので、 興味が湧いて検索してみたら、 漱石はどうやら 文芸雑誌に掲載された「みずうみ」の抄訳を読んでいたようなのです。 それはこちらの論文に書かれていました⤵

 日本におけるシュトルム文学の受容 : 没後百年を記念して 北陸学院短期大学 田中 宏幸

 https://ci.nii.ac.jp/naid/110000958466

それによると 漱石はシュトルムの「みずうみ」であると知っていたかどうかは不明で、 漱石蔵書にもシュトルムは見当たりませんが、 漱石が読んだとされる抄訳の内容から察するに 漱石先生の関心を惹きつけるに十分な物語だったように思います (漱石の初恋も成就しなかったとされていますし)、、

上記論文のなかで 漱石が 「『夢の湖』といふ小説」と言及している談話「水まくら」は、 こちらの国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます⤵
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986233/284

漱石先生はシュトルムについては直接言及していませんが、 もしも その『夢の湖』がシュトルム作であると気づいたならば、 ドイツ語の原書をきっと大学図書館などで繙いて読んでみたのではないのかなぁ、、などと思います。 漱石がロマンを感じて紹介した『エイルヰン物語』なども、 美しい自然と、結婚を誓い合った幼なじみの少女(ロマ=ジプシーのもとで育てられた少女)との生き別れ、、 という情趣あふれる物語でしたから。。


150年も前のシュトルムの作品、、 岩波文庫だけでも4冊も出ているのですね。 作風も30代のこの『みずうみ』から 70歳で没する年の作品『白馬の騎手』まで、 その変遷が読めるのは嬉しいことです。。 今年の読書のおりおりに加えて 読んでいこうと思います。



ニューイヤーコンサートの帰りに買った シャンパンを練り込んだクッキー。 ほのかな酸味が美味しかったです。 最近また珈琲をいただくようになりました。 


アルトゥル・シュニッツラーと、漱石…?

2018-03-01 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
3月になりました。

昨夜から今朝は春の嵐が通り抜けていきましたね。 昼前にはもうキラキラ日差しが溢れていましたけれど、 まだ北の方は心配… 被害ありませんように。。



昨日の空…



雨に煙る今朝…


 ***

ここ数日読んでいた、アルトゥーア・シュニッツラーの短編から、とても興味深いものがあったので、 tweet には載せましたが ちょっとこちらにまとめてみます。

アルトゥーア・シュニッツラー作「死んだガブリエル」という短編。
『夢小説 闇への逃走 他一篇』岩波文庫 に収載されています。

物語の舞台は、19世紀末か20世紀初頭のウィーン。 舞踏会の会場…  社交の場にひと月ぶりに出て来た男… 華やかな舞踏会のホールに向かいながら男はひと月前の出来事を思い出します、、

「…ベッドの中で新聞をひろげて、ガブリエルの自殺を知ったあの朝のこと。そしてひとことも恨みがましいことを言わずに永遠の別れを告げたガブリエルの感動的な手紙を…」(池内紀・訳)

… 読み進めてわかるのは、 同じ女を愛した元学友のふたりの男。。 自分宛ての遺書をのこして 友人ガブリエルは自殺した。  物語はそこから始まる… 

、、 この設定、 なんだか、まるで漱石先生の『こころ』のよう…

と思いつつ読んでいたのですが、、 それだけだったら漱石とシュニッツラーの繋がりが? なんて思わなかったのでしょうけれど、、 友人の自殺に関係があるかもしれぬその男は

 「…自分には高貴な憂愁というものがあるではないか。…… あの存在の憂愁を、ただにぎやかなだけの愚劣な舞踏会などで台なしにしていいものか…」

、、などと考えるのです、、 まるで『それから』の代助か、 『虞美人草』の甲野さんの感じがしません? 、、そして、、 自殺したガブリエルにも関係のあった女性(女優なのですが) 、、 彼女の描写は、、

 「驚きを知らぬ女は、 誰のものになることもない……」

と。。 『虞美人草』のヒロイン 藤尾、、 常に泰然と動じない態度で思うがままに男性を操ろうとしているような女性… その藤尾に対して、 腹違いの兄 甲野が《嘲り》のように呟く場面がある

 「驚ろくうちは楽(たのしみ)がある。女は仕合せなものだ」

、、この甲野さんの台詞は 思わせぶりのように、『虞美人草』の中で3回も繰り返されるのですよね、、 どういう意味だろう… と、 ちょっと考えてしまうような言葉、、「驚く女」って? そして、 シュニッツラーの 「驚きを知らぬ女」って…

 ***

シュニッツラーの「死んだガブリエル」は、 文庫でたった27頁のとても短い作品なのですが、、 これらのイメージによって 読んでいる脳内は、 女優の女は藤尾に、、 学友の自殺のわけを知る男は 代助の態度を持った『こころ』の先生に、、 そんな風に思えてしまって…

以前にもシュニッツラーの短編を読んで、 19世紀末からの、 夏目漱石の同時代の作家だということはわかっていたので、 つい興味で漱石蔵書録を開いて見ると… あったのです Arthur Schnitzler の著書が。。 ドイツ語だったのでどんな本か分からず検索しているうち、、 明治期に シュニッツラーを日本へ紹介したのは 森鴎外(森林太郎)だということもわかり。。

こちらの公開論文を参考にさせていただきました⤵
吉中俊貴「鴎外文庫のシュニッツラー」駒沢大学学術機関リポジトリ
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33768/

鴎外先生はシュニッツラーの作品を7篇も翻訳されているそうです。 その中の 鴎外先生が明治41年(1908年)に訳出した「アンドレアス・タアマイエルが遺書」という短編は、 漱石先生の蔵書にも収録されていることがわかりました。 漱石先生が持っていたその短篇集はデジタル書籍のアーカイヴで見ることができます⤵

Dämmerseelen : Novellen by Schnitzler, Arthur
https://archive.org/details/3490869
↑の初版は 1907年ですが、 漱石蔵書にあるのは 1908年版のようです。 だから、なんとなく 鴎外先生が翻訳したのを漱石も読み、 それでシュニッツラーに関心を持って本を入手したのかな、、 などと想像されます。

国立図書館デジタルコレクションで検索すると、 (シュニツレル)シュニッツラーの小説や戯曲が、1910年代~20年代に多く翻訳されていたことがわかります。

 ***

このような明治・大正期の背景は、 たまたま興味で検索してみたことですが、、 今回読んだ短編 「死んだガブリエル」… とても短い作品なのに、 一切の無駄な説明を廃した心理劇が緻密で、 物語の展開にどきどきするような緊張感を生み出していて、、 描かれているのは、 ウィーンの舞踏会の、社交界の極めて儀礼的な仕草のやりとりや、 真意を隠した上品な会話だけ。 しかし ガブリエルの自殺をめぐる 主人公の男の秘密は暴かれる… 

はっきりと書かれていない部分も多く、 ガブリエルの手紙とはどういう内容だったのか、、 そして主人公の男に、 全てをお見通しのように説いてみせる「謎の男」フェルディナンドという名が出てくるのですが、 その人の説明が一切無い、、。 そういう「書かれていない物語」も含めて 不思議なミステリアスな、 そして頽廃的で高踏的な、、 独特の魅力のある作品でした。 だから尚更、 その「書かれていない部分」を想像でひろげていくと、、 『虞美人草』の藤尾みたいな女性が生まれたり、、 『こころ』の先生とKみたいな関係が想像されたりするのかなぁ、、(それは私が勝手に想像することですが) 面白いなぁ、、と。

漱石先生がシュニッツラーをどう読んでいたのかは知りません。 そういう研究がもしあったら、 また興味深く読んでみたいです。

 ***

もう一つ、、 さきほど「書かれていない部分」… と書きましたけど、 昭和の作家もシュニッツラーブームがあったそうで、、 (何かに書いてあったのですが今、それが見つかりません)

前に、 『椿實全作品』という本について書きましたが(>>)、 その中に収録されている 「月光と耳の話―レデゴンダの幻想―」という作品は、 シュニッツラーの「レデゴンダの日記」を基にしていて、 その「書かれていない部分」を幻想的に創作したような、、 きっと 椿實もシュニッツラー作品に惹かれていたんだろうなぁ、、と想像される 「外伝」みたいな作品です。

シュニッツラーの「レデゴンダの日記」は、 『花・死人に口なし 他7篇』(岩波文庫)に入っています。


・・・話を明治に戻して、、

森鴎外先生が明治41年(1908年)に訳出した「アンドレアス・タアマイエルが遺書」という短編は 青空文庫で読めます。 さきほど読んでみたのですが、、 シュニッツラーは医師だったそうですが、 たぶん医師ならではの関心、 19世紀末の先端医学でもあった(と思う) 遺伝学とか生殖学とかの関心とオカルティックな想像が結びついたような、、 摩訶不思議な短編でした。

医学者である森林太郎先生はきっと興味深かったでしょうし、、 超自然現象好きの漱石先生も きっと面白く読んだことと思います(笑)


、、、 まだ読んでいないシュニッツラー作品、、 いずれまた読みましょう。。 こういう世紀末のミステリアスな雰囲気を持った作品は、 ぜったい古い訳文の方が味わいがありますね。。 古書で探してみよう…



・・・ お雛様 飾りました ・・・



漱石先生の五女は、 3月2日生まれの「ひな子」という名でした。 その雛のような可愛らしいおさな児のことは(悲しい出来事ですが) 『彼岸過迄』の作品の中に書かれていますね、、 かつてそれについては書きました(>>) そんな「ひな子」ちゃんの事も思い出しつつ…


すべての幼な子が 元気で 幸せでありますように…

漱石が上野で聴いた「ハイカラの音楽会」

2017-10-17 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
日曜日、 東京文化会館大ホールで行われた 「漱石が上野で聴いた『ハイカラの音楽会』」 行ってまいりました。 肌寒い雨の日でしたが、 演奏の数々は熱が籠っていて また瑞々しく、 大変バラエティに富んだ贅沢なコンサートでした。



演奏された楽曲については、ミリオンコンサート協会のHPを
【夏目漱石生誕150年記念】 漱石が上野で聴いた「ハイカラの音楽会」

、、最初、 このコンサートの開催を知った時には 実を言ってよく趣旨がのみこめていなかったのです、、 漱石が 上野に演奏会を聴きに行った事などを日記に残していたのは知っていましたが、 「漱石が聴いた」というその特定の日のプログラムや細かい演奏者のことなどが分っているとは思わなかったのです。

でも、ちゃんと専門家のかたが研究をしていらっしゃるのですね。 上記のHPにもありますように、 この日のプログラムは、 当時の外国人教師ユンケル指揮による東京音楽学校オーケストラの、明治45年6月9日のコンサートと同じプログラムだということ。。 それならぜひ聴いてみたい! と思ったのでした。

曲目は

ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
メンデルスゾーン/ピアノ協奏曲 第1番 ト短調 Op.25
モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525
シューマン(石倉小三郎訳)/3つの詩 Op.29より 第3曲「流浪の民」
サン=サーンス/チェロ協奏曲 第1番 イ短調 Op.33
J.S.バッハ=アーベルト:前奏曲/コラール/フーガ 

、、 ほんと バラエティに富んでいます。 
そして、 なんとコンサートの進行役には 漱石先生みずから登場!(しかも自転車に乗って… 笑) 大久保光哉さんというオペラ歌手のかたが演じておられ(大久保さんfacebook>>)、 曲目の合い間のオーケストラ編成が入れ替わる時間を使って、 とても張りのあるお声で朗々と曲目の紹介などをしてくださって… こうした演出も見事でした。

ちょっと話が逸れますが、 漱石が地方で講演をしたとき 聴衆が四千人だったそうで、当時マイクもなしにどうやって声が届いたのだろう… と前にブログにちらっと書いた記憶がありますが、(漱石先生の講演は 江戸っ子らしい講談調で声も張りがあったとのこと)、、 この日、 大久保さん演じる漱石先生のお喋りを聴きながら、 こんな風に朗々と響く声で 演説してたのかな… などとふと思ったりして。。

 ***

漱石カテゴリですので、 ごめんなさい演奏のことよりも漱石にまつわる事を書きます。

いただいたプログラムには、 楽曲の説明のほか、 その曲と漱石の関連についても詳しく書かれていて、(この曲を聴いたのが初めて、とか二度目であるとか)、、 また、 漱石と西洋音楽との関係や、 ケーベル先生のこと、 東京音楽学校のユンケル先生のこと、等々 とても充実した内容になっていて、 ここでそれを紹介できないのが残念なほどで 私には大変うれしい資料となりました。

この日の総監督をされ、 プログラムの中に音楽と漱石の関連を詳しく説明してくださっている 瀧井敬子先生は、 『漱石が聴いたベートーヴェン―音楽に魅せられた文豪たち』(中公新書) という本も書いていらっしゃるそうなので、 また読んでみたいと思います。
そして、 近著として 夏目漱石と音楽についての著書も刊行の予定だそうですので、 きっとプログラムに載っていた事や、 アンコール前に登壇されてお話くださった事など、 また本の中で読めるのが楽しみです。

 ***

ここからは私の独り言というか…

ウェーバーの『魔弾の射手』序曲、 私は生で聴いたのは初めて、 美しかったです。
、、漱石先生の聴いた当時、 楽曲の説明などがどうあったのかはわかりませんが、 この曲はもともとドイツの民話(『怪談集』)がもとになっているそうで(魔弾の射手Wiki >>)、 英国ゴシックロマンスやアンドリュー・ラングの幽霊譚なども読み、 ドイツロマン主義にも関心のあったはずの漱石先生は そういう楽曲背景なども知ったらきっと、とても興味深く思ったのでは… と感じました。

それと、、
絶対、 漱石先生が興味をそそられたのでは、、と思ったのは シューマンの『流浪の民』。

、、私も中学時代、 クラスの合唱曲でこれを歌って初めて「流浪の民」=ジプシーについてを知りましたが、、 ジプシーの民といえば 漱石先生には深い関連が…

漱石が熊本五高時代に取り寄せて読み、 小説「エイルヰンの批評」という文章を「ホトトギス」に載せていたことは、このブログでも何度か書いていますが (エイルヰン過去ログ>>)、 あの物語でとても重要なのが ウェールズに暮らすジプシー(ロマ Romany)の人々が奏でる音楽や歌のこと。 

漱石の 「エイルヰンの批評」の中でも、 ジプシーのこと、スノードンの山でジプシーが奏でる音楽のこと、 その魔力のことなど書かれています。(国立国会図書館デジタルコレクションで読めます>>

結婚を誓い、 その後生き別れになってしまった幼馴染みの少女ウィニーを探し求める物語。 そのウィニーを見つけ出すのに一番重要な役割をするのが、 ジプシーの娘の奏でる音楽。。 そんな『エイルヰン』の物語に魅せられていた漱石先生ですから、 『流浪の民』の歌はきっととても興味深く聴いたのではないかしら…と思うのです。 石倉小三郎訳の歌詞も素晴らしいですしね、、

 可愛(めぐ)し 少女(おとめ)舞ひ出でつ

、、私も 『エイルヰン』を読んでいますから ロマの少女シンファイやウィニーの事をちょっと思い出しながら この曲を聴いていました。


そのほかにも、、
瀧井敬子先生がステージでお話くださった 『三四郎』の美禰子の教会のシーンと音楽のこと。 これはまた、 いつか本で詳しく書いて下さるかと、 とても興味をもったお話でした。

西洋文化が日本に紹介され始めた明治時代。 そうした音楽や文化や文学が漱石作品の中にはいっぱい盛り込まれています。 だから、この日のような 音楽の歴史と文学の歴史の結びつきを実際に体験できる催しというのは とっても貴重だなと、 自分の漱石作品の読み方にもなんだか刺激になるコンサートでした、

上の写真にある もうひとつの冊子「漱石散歩 小説を手に上野周辺巡り」も、 作品に出てくる上野に関連する抜粋と 街の写真や地図が載っていて とっても充実しているんですよ、 この日だけのものにしてしまうのは勿体無いくらい。。


とても良い体験ができました。 ありがとうございました。



この写真は 「運慶展」の日に見た上野公園。


河の生涯・水車の夢 : 『幻の人』スチブンスン作

2017-09-28 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
夏目漱石は 『予の愛読書』の中で、

 「西洋ではスチブンソンの文がいちばん好きだ。力があって、簡潔でくどくどしいところがない… スチブンソンの文を読むと、はきはきしてよい心持ちだ。
話もあまり長いのがなく、まず短編というてよい。句も短い。殊に、晩年の作がよいと思う。Master of Ballantrae などは文章が実に面白い。
スチブンソンは句や文章に非常に苦心をした人である。…スチブンソンの書いた文句は生きて動いている。かれは一字でも気に入らぬと書かぬ。 …また、かれは字引を引繰り返して、古い、人の使わなくなったフレースを用いる。そうして、その実際の功能がある。スコットの文章などは、とうてい比較にならぬと思う」

と、ロバート・ルイス・スティーヴンスンの事を語っています。
前回、漱石が倫敦の下宿で読み耽っていたという 『誘拐されて  'Kidnapped'』1886年 について書きましたが(>>) 'Kidnapped'は、上記で漱石が語っているような《短編》とは言えないような…

漱石が好きと挙げている 'Master of Ballantrae' 『バラントレーの若殿』1889年も、長編冒険小説の部類かと…。 「まず短編というてよい」のは、漱石が 『吾輩は猫である』や『彼岸過迄』で挙げている 『新・アラビア夜話』1882年 におさめられた「自殺クラブ」や、今日書こうとしている『幻の人 "Will O' the Mill"(水車小屋のウィル)』1877年のほうかと… (だから「晩年の作」というのは長編が多いと思うのだけど… ま、そんなことは良いとして…)

 ***


『幻の人』(戸川秋骨訳注 アルス英文叢書 1925年)

この短編は、 現在では岩波文庫の 『マーカイム・壜の小鬼 他五篇』(高松雄一,高松禎子 訳 岩波文庫)の中に、「水車屋のウィル」という題で入っています。 
私も以前、 岩波だったか、別の短編集だったか定かでありませんがこの作品を読んで、何とも言えないせつないような、儚いような、、 説明し難い読後感に包まれ、記憶に強く残っている作品です。

このアルス叢書では、 左頁に英文、 右頁に訳、 下に脚注、という構成になっていて、 従って、漱石先生が語っているスチブンソンの文章の特徴が(私でも)すこしは味わえるのではないかと、 あと、大好きな秋骨先生の翻訳でもう一度、 あの不思議な読後感を確かめてみたいと… そう思って古書を探しました。

「水車小屋のウィル」という原題を、 秋骨先生がなぜ 『幻の人』と訳したのか、については既にツイートにも載せましたが、 この小説が「幻のやうな趣」をもっているから、と秋骨先生は注釈で説明していて
「併しこの題名は、鬼火狐火などいふ Will o' the Wisp に関係をもたしてあるのかもしれぬ」と付け加えています。

ここを読んで、Will o' the Wisp を辞書で調べ、 「Will o' the Wisp」 という語には「鬼火」の意味から派生して「人を惑わす望み」とか「到達できない目標」という意味があるとわかり…。
だから Will O' The Mill という《語感》の結びつきにより、ウィルは鬼火を追い求める人=幻を求める『幻の人』との意味をも持たせているのだと分りました。 そして、この「Will O' The Mill」の中に、 ウィルの夢、 ウィルの生き方、 ウィルの死に様までが込められていたのだ、 なんと深い意味があったのか、と。。 



秋骨先生は 「巻後に」(あとがき)の中で、この作品を
「それは実に英文学中の花であり又宝玉である。その長さから言えば僅か数十頁に過ぎないが、その内容から言えば、寔(まこと)に偉大なる傑作である」
「…その俗情を超脱した趣はやがて著者の人世観であらう。而もこれに配する星や花を以てし、處々に…刺すやうな警句を以てする處、全く得難い作である」… と、 まだほかにも引用したい程、言葉をかさねて書いておられます。

… その秋骨先生の仰る 「著者の人世観」、、 これをスティーヴンスン自身の「人世観」と言っていいのかどうか、 読み終えた今でも私にはまだ判断つきかねています。。 
ともかく、内容に移りましょう…

 ***

大きな山と松林の谷間に住む少年ウィルは、 来る日も来る日も下流へとくだる河の流れと、里のほうへ下る人々を見て暮らしていました。 すべては downward 下へ、下へと去っていく。 そして登ってくる者はほんの一握り。 みな何処へ行くのだろう… 流れ下る河の先には一体何があるのだろう…

水車小屋の主人は、 平原の果てでは川が大河となり、 海へ交わることをウィルに教えます。 ウィルは その遠い場所にある街を想像します、 噴水や、宮殿や、大学や、 軍隊や… 
まるで故郷を離れた者が「故郷を望むが如き病」にかかったように、 焦がれる想いでまだ見ぬ街に憧れるのです。

He was like some one lying in twilit, formless pre-existence, and stretching out his hands lovingly towards many-coloured, many-sounding life.

このような文章を日本語に訳すのはとても難しいと思いますが、 原文ならウィルの想いが感覚的に掴める気がします。 《未だ生まれぬ、 薄明の中に横たわっている存在が、 沢山の色、沢山の音のある生に憧れて手を伸ばしている…》(私の直訳です) 、、そのような未だ見ぬ世界への純粋で切実な 想い。。

スティーヴンソンは 周知の通り、『宝島』を書き、 自分自身も旅に生き、 愛する人を追って米国に渡り、 晩年は南洋サモアで生涯を終えた人でした。 

しかし、、 この物語のウィルは…

ある日、村に来た旅の(旅に疲れた)若者がウィルに、 夜空の星の話をします。 「あの星はみな吾々の世界と同じ世界だ」
けれども、 「吾々にはそれに達する事は出来ない、 人々の尤も巧智な技倆を以てしてもそれ等の内の一番吾々に近いものに向けて船を支度して出す事も出来ないし…(略)… 心臓の破れるまで聲をあげるとするも、それが囁きの聲ほども星には達しはしない…」云々と。。 
ウィルはその話を聞いた後、 自分たちは「籠の中の鼠」みたいだ、と言います。 
その言葉を聞いて青年は 「squirrel turning in a cage」と「squirrel sitting philosophically over his nuts」と、 どちらが「more of a fool」かと問うのです。

・・・ここで読者は、 来る日も来る日も同じ場所で同じ回転をつづける「水車小屋」と、 「回転する籠の栗鼠」との相似を認識させられ、、 もうひとつ「(籠から出て)哲学者ぶって木の実を得て座っている栗鼠」と どちらが「愚か」かという問いを差し出されます。。 これが私にはうまく分らない・・・(泣) 星にたどり着けないのだとしたら、 籠の中の栗鼠も、 森の栗鼠も「大差は無い」と 旅の青年は言いたいのだろうが、、 

そうなのかな、、  スティーヴンソンは本当はそうは思っていないんじゃない??、、、 ちがうだろか、、

だって…
その少し前の部分で、 イカロスを太陽に向けて翼を広げさせた思い、 コロンブスを大西洋へ乗り出でさせた思い、、 と《冒険》の熱情を文中に語っていたじゃないか・・・

でもウィルは、 この谷間に留まり、 そこで暮らし、 やがてマージョリという女性に出会い、、 
「此處自分の狭い谿地の内に忍んで待つて居ながら、 自分も亦一層よき日光を獲得したのであるから」 という幸福を知る。。。 確かに、、 自分の生まれた土地に留まり、 自分の仕事と愛する人を守り、、 そうして暮らす人生も、 冒険に出ていく人生と比べて何の差があろうか。。 ともに貴い人生に違いは無い。 それも真実だと思う。 
その一方で、 別の世界へ出ていく事と、 留まる事と、、 読む者の心は揺さぶられる。

 ***

この物語は、 ウィルの人生の終りの時までを描きます。 花が好きで、 花を摘むことが好きな恋人のマージョリ、、  ウィルは花を摘むマージョリを見て、 花とはそこに咲かせておくままが良いのか、 その美しさを所有するも良いのか、、 そんなことまで考え、 そして結婚というものについて考え、、 ひとつひとつ、、 人生を選択し、 結論を出していくのです。

ウィルの人生、、 マージョリの人生、、 後半の物語を読んでいくうちにいろんな気持ちに揺さぶられて、 ページを繰るたびに泣き出したくなってどうしていいかよくわからなくなってしまいました。。

ただ、、 こうして書きながらやっと気づいたのは、
ウィルは いつでも自分で考え、 自分で結論を出し、 自分の意志に従って生きた、という事。 そしてはっと気づきました、 ウィルの名前は 「will=意志」でもあるのです。 Will O' The Mill は、「水車の意志」でもあったのでした。


秋骨先生の仰った「偉大なる傑作」、 漱石先生が評した「句や文章に非常に苦心をした人」、、 という意味がようやく、 少しわかりました。

この作品は スティーヴンソンが『ジキルとハイド』や『宝島』などの有名な作品を書く以前の、まだ27歳という若い日に発表した作品。。 のちに生涯を共にする年上の女性ファニーとも、 まだ結婚もしていない頃。。 身体の弱かったスティーヴンソンは、 父や祖父のような技術者として生きる道を選ぶことは初めから困難でした。 裕福ではあったけれども、 自分がいかに生きるべきか健康上の制約もあった中で、 スティーヴンソン自身、 ウィルと同様に 外の世界への憧れと故郷での暮らしとの間で悩みも抱えていたのでしょう。 
…読み人も、 若い時、 年齢を経た時、 人生の後半、、 その時々で読んだ印象も変わっていくのかもしれません。 スティーヴンソンは、 人生の晩年を迎えた時に振り返ったら、 この作品をどうとらえたのでしょうか、、 そんなことも考えます。

若き日に思う遥かな未来、 未だ見ぬ世界への憧れ、 天空の星、 地上の花への想い、、
 人生の宝島って、 自分にとっての宝島って、、 本当はどこにあるのだろう…


スティーヴンスンの若き日の 傑作。 対訳で読めてよかったです。


スティーヴンスンに関する過去ログ>> と>> 

『さらわれたデービッド』R・L・スティーブンソン と夏目漱石

2017-09-22 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
『吾輩は猫である』読書中に、R・L・スティーヴンソンの名が文中に出てきたり、 『新・アラビア夜話』中の「自殺クラブ」の話が出てきたりしました… 
漱石がスティーヴンソンの作品を好んでいたことは知ってはいたのですが、

『彼岸過迄』に書かれているような、「新・アラビア夜話」や「ジキルとハイド」の如き都市の暗部に潜んだ謎めいた事件を覗いてみたいという欲望… そういう19世紀のロンドンを描いたスティーヴンソンの作品のことばかり今まで頭にあったので、

漱石が倫敦留学中に、 スティーヴンスンの青少年向けのいわゆる「冒険小説」に読み耽っていたと知って、、 ちょっとそれは面白いな、、と思って、、

こちらに書いてありました↓
「夏目漱石、ロンドンの下宿部屋にとじこもり、スティーブンソンの小説を読みふける」【日めくり漱石/4月5日】(サライ)
https://serai.jp/hobby/49791

1901年の4月、というのは 漱石がロンドンに到着して半年余り、、 まだクレイグ先生のところに通って個人授業を受けたり、 劇場で観劇したり、 子規に倫敦消息を書き送ったり、、と のちに心配されたように「下宿に閉じ籠り」という、神経衰弱と言われた時期にはまだ至らない頃のこと。 このころの日記は毎日つけられていて、 古本屋へ行ったとか、どこそこへ行ったとか、読んだ本も漱石が好みの文学作品の名が見られる。 わりとのんびりした精神状態の時期。

そんな時期に、スティーヴンソンの『誘拐されて』(原題 'Kidnapped', 1886)を 日がな一日読み耽っていたのです。 実際、読み耽るもの無理はないと思えるお話なんですよ、 スコットランドの海から、ハイランドの荒れ野へ、 山あり谷あり、波乱に富んだ冒険歴史小説なのだから、 それを倫敦の狭い下宿に一人籠って、 夢中で読んでいる漱石先生が 何を想いながらだったのかしらと、想像するのもちょっと面白い。




写真はもちろんスコットランドではありませんが、 ハイランド地方を少しイメージして…
雨と、寒さと、岩山と、、 ヒースの茂みしかない、、 そんなハイランド。

で、『さらわれたデービッド』ですが、、
たった一人の身内の父が死に、 相続のことで叔父を訪ねて旅立ったデービッド、、 しかし叔父に騙されて、 アメリカ行きの船に乗せられ、ゆくゆくは奴隷として新大陸で売り飛ばされそうな運命に… 

船の上での戦闘があり、、 そのあと嵐の難破があり、、 孤島に打ち上げられてスコットランド高地地方の放浪が始まる。 背景には「ジャコバイトの反乱運動」などの政治的対立があって、その辺の歴史がなかなか頭に入らなくて、 これを日本の青少年が読むのはしんどいのではないかしら…と思うのだけど、、(別に漱石先生なら難しくはないでしょうが) 、、そのジャコバイトの残党、今では賞金をかけられたお尋ね者になっているアランと連れ立っての逃亡劇がはじまる、、 このあたりはまるで 「ブッチとサンダンス」。。 

でも、、
そういったハラハラドキドキの冒険、という要素以外に、 漱石との関連で注目されるのは、 主人公の身の上でしょうね。 肉親を亡くし、その相続において叔父に金を騙し取られる、、 『こころ』の先生の身の上と同じ設定、 そして漱石自身が、生まれてすぐ養子に出され、 元の家の兄達が相次いで亡くなるとまた復籍させられ、 後々まで養父に対する金の支払いを要求される、、 そういう自分自身の身の上。。 『虞美人草』にも『坊っちゃん』にも、『三四郎』にも、《相続》《金》の問題はひっそりと翳を落としています。

遠い倫敦という異国にいる自分と、 身内に売り飛ばされスコットランド高地を彷徨わなければならなくなった主人公の身の上と、 きっとどこか重ね合わせていた部分があったのでは…

漱石の日記のつづきを読むと、 『さらわれたデービッド  'Kidnapped'』のことを書いた4月5日の、わずか10日後の日記に、 その続編である 'Catriona'(1893) のタイトルが書かれている。 すぐに続編も読み終えた、ということがわかる。

ちなみにその続編のタイトル 「カトリオナ」は、 さらわれたデービッドのデービッドがやがて巡り会い結婚する女性の名だということです、、。 漱石先生がなぜすぐに続編を読んだか、、 わかるような気もする。。 こちらの本もいずれ読んでみなくては…ね。 です

漱石先生が倫敦留学の間の4月のひととき、、 スティーヴンソンの冒険小説、 恋愛小説に独り読み耽って何を思っていらしたのかと、、 漱石の夢の女性、 永遠の女性像、、というものを考えるうえでも 何かしらのヒントになりはしないかと、、 そんな気もしています。

 ***

漱石先生を別としても、 スティーヴンスン自身が 大西洋から南洋の島々へ、 命がけの大変な冒険と大恋愛に身を投じたロマンの人ですものね。。

しばらくの間、、 スティーヴンスン作品を少しまとめて読んでみようかと、、 読書の秋に、、

金木犀の香がせつなく漂う季節に、、


そんなことを想っております。。

9月になりました…『吾輩は猫である』読書の終りに

2017-09-01 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
9月になりましたね。

先週末辺りから、 秋の涼しい風に唐突に入れ替わる日も増えて、、 今年は雨の多い 曇天の多い東京でしたけれど、 9月の空はできれば青く澄んでいて欲しいですね。

 ***

2月からの 漱石『吾輩は猫である』の読書も、8月末で一段落となりました。 7カ月間の読書でした。 (主なツイートは、salli_星の破ka片ke のモーメントに一応まとめました)

でも、本当は…

まだ触れていない箇所が、いくつか残っているのです。 それは… ラストの「吾輩(猫)の死」と、 十章の「華厳の滝」と藤村操との問題について、です。

、、理由はいくつかあって、、 
両方とも、 短いツイートではなかなか考えをまとめ難い(説明し難い)複雑さを持った問題だから、ということと、、

それから、「猫の死」についてはおそらく、漱石は創作の早い段階から結末に猫の死を置くつもりでいただろう、と想像していて、、 だから、小説の結末ではあるけれども、 猫の死が作品の「結論」ではないのだろうと思うためです。 予定通りに終わらせた、ということであって… 
(これも様々な別の意見もあろうと思いますが)

第二章で、「グレーの金魚を偸(ぬす)んだ猫」に言及しています。 この詩は Thomas Gray の「Ode on the Death of a Favourite Cat Drowned in a Tub of Goldfishes」(金魚鉢で溺れた愛猫の死についてのオード)というものです。 英詩はこちらに>>

おそらく、この詩について触れた段階から、 (もしも、物語が長く続いて吾輩の身の上に何らかの結末を与えなければならなくなった時には) 吾輩は苦沙弥家で末永く暮らしました…でもなく、 伴侶を見つけて出ていきました…でもなく、 結局、グレーの猫と同じ運命に至るように漠然と考えていただろうと、 そう思います。 第一回を「ほととぎす」に掲載した時のように、 猫が苦沙弥家に拾われて住みつくだけの短い話で終わらせたら、吾輩の死はなかったでしょうけれど。。

寒月さんが「吾妻橋」で、水底から呼ぶ声を聞き、 欄干から飛び降りてしまう場面(実際には橋の内側へ、ですが)、、 この飛び降りについても、 グレーの猫が水に映った自分の瞳に誘われて鉢に飛び込んでしまう事との呼応があると思いますし、、
吾輩がもしこの世から去るとしたら、 それは水死でしかないだろう、と。

ただ、、もう一度書きますが「猫の死」は、この小説の結末ではあるけれども、 結論ではないだろう、と。

結論は、 十一章で苦沙弥はじめ、 迷亭、独仙、寒月、東風、という全くバラバラの個性を持ったメンバーが顔を揃えて、 寒月さんがバイオリンを弾くまでの長い長い勿体ぶった話を、 飽きもせず(一部飽きていますが・笑) 時おり茶々を入れながら、 楽しそうに語らっているという、 その事。 ツイートでは、、
『吾輩は猫である』十一章 寒月のバンオリン夜話と庚申講、および「クブラ・カーン」 というモーメントにまとめました。

この夜の集まりが、 皆の健康・長寿を願う 《庚申講》の夜を意味しているのではないか、と思い、 そしてその場には、故子規も交わっているだろう、と。。 
だから、 かつて寅彦が子規庵を訪問した日と同じように、 畳の上に秋の日が差していて、 その日がなかなか暮れないように(いつまでも話していられるように)、、 「秋の日がかんかんして」、 そして子規が好きだった甘干の柿を取っては食い、取っては食い…

そして、、 文章上には書かれていないけれども、、 寒月さんのバイオリン話は 「琴を弾く天女」への想像へとつながるだろう、と。。 それは 「眼に見えない大切なもの」を想像する力、、 漱石の好きな言葉《無絃琴》=無絃の琴を聴く、と同様に、 そういう想像力の必要を暗に説くものではないか、と。。 


 ***

では、なぜ その《庚申講》に似た 秋の夜長の集まりが「結論」なのか、と言えば、、 その後の、、
『吾輩は猫である』最終章 探偵・自覚心・神経衰弱、そして日本の未来記へ  にまとめましたが、、

二十世紀の世(『猫』における現代)、、《自覚心》ばかりが強くなった現代人は個性を主張するあまり、神経衰弱に陥るだろう… という苦沙弥らの「未来記」に照らして考えれば、 互いの個性を主張するだけの世には「文学」も「芸術」も、存在できないから、、 なのです。

『猫』十章では、 苦沙弥、奥さん、子供たち、雪江さん、がみんなてんで勝手に振る舞い、 自分の事ばかりをそれぞれ勝手に喋り、 可笑しなディスコミュニケーションの場面が繰り広げられていました (『吾輩は猫である』第十章 己を知るという事
、、この十章は、 いわば《個性》と《自己主張》の二十世紀の縮図でしょう。 ただ、 苦沙弥家の人々はべつに相手に自分の考えを強要もしないし、 すぐに忘れる平和な一家ですから、 二十世紀的神経衰弱には縁が無さそうです。

最終章の、苦沙弥、迷亭らのメンバーの集まりが「貴重」なのは、、 迷亭は美学者でホラ吹き、 独仙は昔風の禅学者、 寒月は科学者でかつ神秘主義者、 東風は愛と芸術が至上の詩人、、 それぞれの個性はそのままで、 誰も相手を否定せず、 互いの話を聞く耳を持ち、 互いの考えを面白がる好奇心を持っている、、 だからコミュニケーションが成立する。 
それが《個》の時代=二十世紀における最良の在り方なのではないか、と、、。 だから、吾輩(猫)の死が結論ではなくて、、 苦沙弥家の集いのあり方が「結論」なんだろう…と そう思うのです。

 ***

少しだけ付け加えて、、 
十章の終わりに「華厳の滝」における藤村操の死がほのめかされます。 この「死」については、 『吾輩は猫である』の作品とはまったく《別》の、 複雑な意味を考えなければなりません。

それを今つづけて書くのはよしましょう。 ただ思うのは、 藤村操の死こそ、 『猫』最終章で語られる現代人の《自覚心》そのもの、であろうと思うのです。 自分が他人にどう思われるか、 どう自分が記憶されるか、 死の間際まで求めたものは《自意識》への手応え、だったのでは。。 《自覚心》の為の自死、、。 そういう死に対して、 漱石がどういう考えを持っただろうかについては『猫』とはまた別の問題です。

十章の「古井武右衛門くん」がいたずら心でラブレターに名前を書いて、 それで放校を苦にして死んでしまいそうなくらい悩んでしまったこととは、まったく別の問題です。

ただ、 確かにこの部分では 漱石は「華厳の滝」を笑いの種にしています。 あえて笑いの種にしている、という点には、 確かに重い《意味》が込められている、と思います。 それを考えるには、 寅彦に宛てた「水底の感」という漱石の詩、 それに対する寅彦の「女の顔」という短文、 子規の病死、 寅彦の妻の病死、 漱石の身内の病死、、 そういう生きたくも生きられなかった者たちへの漱石の思い、 あるいは漱石の生い立ち、、 等々いろいろと考えなければ導き出せない、、 とても複雑な問題なのだと思います。

(これらに関しては、 ツイートにも書きましたが、 山田一郎氏の著書『寺田寅彦覚書』 岩波書店、1981年、が大変参考になりました)





長くなりました…

お読みくださった方 (ツイートについても、お読み下さった方) ありがとうございました。

漱石作品の読書については、 またおりおりに、、 時間をみつけて書いていけたら、と思います。 『猫』もたいへん有意義な読書でした。

 ***


、、 しばらくは、 好きなものを読んで、 好きな音を聴いて、 好きな場所へ出かけて、、 大好きな秋の訪れを楽しみたいな。。。 


、、 ご無沙汰してしまったお友だち、、 元気でいますか?  


みんなの大好きな、 秋… だね





『吾輩は猫である』最終章 探偵・自覚心・神経衰弱、そして日本の未来記へ

2017-08-31 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
 ー Twitter 星の破ka片ke からの転記 ー

「探偵と云えば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳だろう」「…当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強過ぎるのが原因になっている」 漱石の言う《自覚心》とはどういう事か?《自覚心》が強くなった二十世紀の人間の未来は? 『吾輩は猫である』最終章です。

【探偵】#漱石
「探偵と云えば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳だろう」と独仙…
「物価が高いせいでしょう」と寒月君が答える
「芸術趣味を解しないからでしょう」と東風君が答える
「人間に文明の角が生えて、金米糖のようにいらいらするからさ」と迷亭

(承前)
『猫』十一章後半、《探偵》というキーワードを機に二十世紀文明論が始まりますが

「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整えて襲撃したって怖くはありません…
「…ああら物々し盗人よ。手並はさきにも知りつらん…

寒月君には手の内が見えていると平気そう…

(承前)
少し後の方での東風君も

「世の中に何が尊いと云って愛と美ほど尊いものはないと思います。吾々を慰藉し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く両者の御蔭であります…

と、持論を曲げる気配なし。肝心の文明論も若者ふたりには何ら堪えないのは、未だ社会の実相を知らないから?

【探偵】
探偵と言えばホームズ。ホームズシリーズの誕生は1887年から。漱石の『猫』の時代もホームズシリーズは続いています。私は《推理小説》を定義できるほど詳しくはないので、学魔先生の極めて明快な定義をお借りしてしまいますが…

(承前)
推理小説…
「簡単にいえば『外形と隠された本質は一致しているはずだ』という…思い込みの世界である。
 これが十八世紀から十九世紀にかけて二百年くらいヨーロッパを支配してきた合理主義の実態だ」 『奇想天外・英文学講義』高山宏

(承前)
先の「外形と隠された本質は一致しているはずだ」という探偵の推理の法則を応用すると、九章で「あばた」に悩んだ苦沙弥は、あばた=無教養で社会階層の底辺に属する者、という判断になってしまいます。これが《合理主義》的な解決なのです。(【鏡】
まず鏡=虚像に思い悩む姿が象徴的だと思いますが、洋行帰りの友人が西洋ではあばたは「あつても乞食か立ん坊」と言うように、「外貌」が人格や階層の判断材料とされる時代です。衣装ひいては肉体が人間の「我」の象徴であり、社会構造そのものである、という事は七章のカーライルの論でした。)

(承前)
さらに「外形と隠された本質は一致しているはずだ」として《すべて目に見えるように解決する》のが探偵なら、『猫』にここまで書かれてきた「無絃琴」も「琴のそら音」も、「肝胆相照らす」という「霊の交感」も《思い込み》で終わりです。 (「物の本体」…形や音のその奥にある《本質》は、ただ目に見えるもの、耳に聞こえるもの、という表面的な《形》に囚われていては知ることが出来ない。
「無絃琴」につながるこの哲理は、『猫』のここまでの章でもずっと底流に示されてきたことでした。)

(承前)
いえ、その《想像》《妄想》《思い込み》さえも科学的に、実証的に、解決してみせるのが探偵なのですね。

【探偵】
「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を偸むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。…(続)

(承前)
…ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ」

探偵は、《人の胸中》《人の心》を手に取るようにつまびらかにでき、強制的に《人の意志》を奪って真意をしゃべらせてしまう、そういうものだと。

(承前)
「吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何せん… 不測の変外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で来る」『人生』明治二十九年

漱石は小説を書き始める前から、人の心がいかに不可測なものかを考えていました。

(承前)
「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです」『こころ』

「御前他(ひと)の心が解るかい」
「ああおれはどうしても信じられない。…どうかおれを信じられるようにしてくれ」『行人』

(承前)
探偵は、人の心さえも手に取るように《科学的に、実証的に》明らかに読み得る、という前提で推理し、トリックを見破り、解決に至るわけですが、漱石が生涯にわたって小説の中で考え続けたのは、人の心の《解決できない》問題だと思う。《探偵》の合理と相容れないのは自明でしょうね。

【寒月の謎】
昨日の《探偵》に続いて…
苦沙弥の探偵嫌い同様、漱石の探偵嫌いも夫人鏡子さんの回想『漱石の思い出』などから知ることができますが、科学者の寒月さんは探偵を全く気にしていません
新婚で幸せ一杯だから? 研究者で世間の俗事と無縁だから?
手の内が見えている、とは?

(承前)
そもそも寒月さんには謎がいっぱいです
「合奏会がありまして…某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは〇〇子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きます…」
吾妻橋で「〇〇子の声がまた苦しそうに、訴えるように」聞こえたという声の主は、本当に金田富子のことだったのかしら?

(承前)
確かに金田の妻は「〇〇博士の奥さんを頼んで寒月さんの気を引いて見たんでさあね」と言うので、音楽会で娘の病気の話を寒月にしたはずですが、苦沙弥らが「〇〇子さんと云うのが二返ばかり聞えるようだが」と寒月に尋ねても、〇〇子が実際誰だったのか正確な名前はわかりません。

(承前)
さらに、寒月さんは「天保調」の「羽織の紐をひねくりながら」にやにやする場面がたくさんありますが、「この紐が大変よく似合うと云ってくれる人もありますので」という「去る女性(にょしょう)」についても明かされません
「ここから乾の方角にあたる清浄な世界」にいると言う。

(承前)
金田一家が大磯に出掛けた場面では、寒月さんは金田家へ「二三日前行った」と見え透いた嘘をついて「先月大磯へ行ったものに両三日前東京で逢うなどは神秘的でいい」と迷亭にからかわれます
ここも普通なら何故そんな嘘をつくのか突っ込まれても良い所ですが、うやむやのままです。

(承前)
こうして読んでいくうちに、寒月さんは金田家の《探偵》の裏をかくために、富子との縁談話に乗り気なふりを続けて見せているというのが次第に分ってはくるものの、元に戻って、では吾妻橋から飛び込もうとした《相手》は誰だったのか、羽織の紐の相手は誰なのか、結局謎のままです。 

(承前)
この寒月さんの《謎》も推理してはみましたが多分無駄
漱石はわざと《解決されない謎》の存在として「去る女性」を寒月さんの話に設定してあるのだと思います。探偵が最新の科学を以てしても解けない《謎》…それを科学者寒月さんが語ることで合理的解決に抵抗しているのかな、と。

(承前)
寒月さんが山で脅かされるギャーという謎の声も、まぬけな話のようでも怪異は怪異のまま中途半端で終わること、その先を「無絃琴」を聴くように感じとることが大事なのかな…神秘としては少し滑稽ですけど…
でも、寒月さんの絵葉書の「琵琶を奏でる天女」を想像すると崇高になる。

(承前)
実際の科学者寺田寅彦も、科学が解き明かすことの出来ない不可思議さを大切に思われるかただったのですね
「宇宙は永久に怪異に満ちている…それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである」と、昭和4年の『化け物の進化』にあります。

【自覚心】
独仙「探偵と云えば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが…」
苦沙弥「…当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強過ぎるのが原因になっている。僕の自覚心と名づけるのは独仙君の方で云う、見性成仏とか、自己は天地と同一体だとか云う悟道の類ではない…」

(承前)
見性成仏…自分に本来備わっている仏性を見究め悟ること。
↑という悟道の意味ではない「自覚」という説明から、おそらく英語の「自」「覚」という言葉を漱石が日本語に訳したものだろうという想像ができます。
それで「自覚」=self-conscious だろうと。

(承前)
「寝てもおれ、覚めてもおれ」
「どうしたら己れの利になるか、損になるか」
「昔しの人は己れを忘れろと教えたものだ。今の人は己れを忘れるなと教える…二六時中己れと云う意識をもって充満している」
これらの説明から、やはり self-conscious だと思われる。

(承前)
ただし、苦沙弥の言う「自覚心」=self-consciousness は、単に「自己」の「意識」という生理学的な意味ではないらしい。社会の中で、また対人関係の中で《自分=おのれ》というものを四六時中、常に《意識している》ということのようだ。

(承前)
「ヘンレーと云う人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかかった部屋に入って、鏡の前を通る毎に自己の影を写して見なければ気が済まぬほど瞬時も自己を忘るる事の出来ない人だと評したのは、よく今日(こんにち)の趨勢を言いあらわしている」

(承前)
つまり、苦沙弥の言う「自覚心が強い」というのは、「自意識過剰」という意味での self-consciousness であるようだ。
それで「二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ」という具合に、疲弊してしまうのだと言う。

(承前)
「Self-consciousnessの結果は神経衰弱を生ず。神経衰弱は二十世紀の共有病なり。
人智、学問、百般の事物の進歩すると同時に此進歩を来したる人間は一歩一歩と頽廃し、衰弱す」
(漱石全集 明治38、9年「断片」より)

【自覚心】
昨日のつづき。《自意識過剰》という意味での self-consciousness《自覚心》
自分がほかの人にどう見えるか、どう思われるか、四六時中意識せずにはいられない《自覚心》について、SNS全盛の現代ならその気持ちは容易に理解できるかと思います。

(承前)
その意味で、漱石が「断片」で予言した「神経衰弱」は、《21世紀》の共有病になりつつあるのかもしれません。《コミュ●》とか《●●充》などの言葉・状態は、己ひとりの問題というよりも、(自分が)集団という他者の眼で自分を意識した時はじめて生じてくるものだと思うから。

(承前)
《英吉利のナイスと自慢する行為》…インドの流儀に倣って手で食べたこととか、フィンガーボールの水を飲んだとか、カーライルの椅子の話とか、人の体面を失しないよう気遣う行為を、「個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通云うが…御互の間は非常に苦しいのさ」と感じる神経の細かさ

(承前)
英国のマナーに対するこの記述は、実際に留学中の漱石のノートに書かれていたものだから、社交における自分の振舞い・見せ方に対していかに漱石が熟慮したかが窺える。でも、これら《ナイス》の例がそれほどまでに神経を擦り減らすもの?そう感じることが《自意識過剰》とみえるがどうだろう


【自覚心】
漱石が倫敦留学中に、すれ違う人に何かを言われたとか、下宿の婦人にこう言われたとかそういう体験が自分の《見え方》を意識させたにせよ、所謂《空気を読んだ》ふるまいに対しても、その裏側の《自分の見せ方》について欺瞞を感じてしまう。痛々しいほどに過剰な敏感さだと思う… 

三四郎
「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善家なのは、どういう意味ですか」
「君、人から親切にされて愉快ですか」
「ええ、まあ愉快です」
「ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある…形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身が目的でない場合」

(承前)
『猫』の英国流の《ナイス》という行為は、『三四郎』で広田先生が指摘する《形式だけの親切》を思い出せばわかる。自分をよく見せようとする偽善。

広田先生の語る偽善家、露悪家も、『猫』でたびたび語られた《魂胆》についても、共通する根底には自覚心=自意識の過剰がある。

【unpleasantness の文学】
新潮文庫の『ジーキル博士とハイド氏』の田中西二郎氏の解説で、[unpleasantness]という説明がある。これが『猫』十一章で漱石の言う《自覚心》と《英国人のナイス》を理解するのにぴったりだったので、少し引用させて下さい。

(承前)
人生は「愉しいほうがよく、愉しからざることをなるべく避けて生きようと心がける」
そのために「少なくとも社会生活では…できるだけ愉しからざる人生の真相を暴露しないように努力する」
英国の「コモン・センスとかジェントルマンシップとかいう言葉の内容が、そこに根ざしている」

(承前)
「ジェントルマンシップ」(漱石のいうナイス)によって社会生活から表面上締め出された愉しからざることは、抑圧によって人間内部でさらに《精神のunpleasantness》になる
が、犯罪、醜聞、背徳行為等、人間の深淵を覗くことは「内心の膿を切開し、爛れを癒す快感」にもなる

(承前)
こうしたunpleasantnessに対する「心理学上でいうカタルシスの作用」として
「何故に特にイギリス人が探偵小説、怪奇譚、悪党譚、冒険譚、スリラー、スパイ物語等を愛好し、またイギリスの作家がこれらの文学の名手であるかの謎が解ける」(田中西二郎)

『文学論』序で有名な「倫敦に住み暮らしたる二年はもっとも不愉快の二年なり」という漱石の「不愉快=unpleasantness」
これを、コモンセンスによって個々の内部に抑圧される《不愉快》と、イマジネーションでの《醜悪への嗜好》という、英国文学の謎を読み解く苦悩だったとすれば…

(承前)
漱石の感じていた《不愉快》は、まさに英文学の正統的不愉快の理解だったとも言えるのではないかな…
醜悪、罪悪、不道徳が何故に文学的素材になり得るか、『文学論』でも多くを割いて説いているのも、unpleasantnessという英文学の特色を深く考え込んだからなのでしょう。。

(承前)
『自殺クラブ』はスティーヴンソンの『新アラビア夜話』の中の話
漱石の『彼岸過迄』にも
「英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新亜剌比亜物語という書物を読ました…彼がいかにそれを面白がっていたかが分る」

(承前)
スティーブンスンの『自殺クラブ』の中で若者はこう説明する(要約)📖
鉄道・電信・エレベーターという文明の利器によって、苦労せずとも好きな場所へ行く自由を得た。ただ一つ、現代の生活で足りないのは、命の舞台から降りる自由だ、と。 

『猫』から僅か5年後の谷崎潤一郎の『秘密』では
「コナンドイルの The Sign of Four や、ドキンシイの Murder, Considered as one of the fine arts や、アラビアンナイト」に読み耽る人物が描かれ、恐怖や死も文学的快楽の対象に。

(承前)
『猫』では
「今から千年も立てばみんな実行するに相違ないよ」と遥かな未来記としているけど、英国の文学傾向を見てきた漱石には遠からず日本の若者も、このような文学に刺激されていくことは分かっていたと思う。いち早くこれらの作品の意味を考えたのは漱石だが谷崎の立場はとらなかった

(承前)
スティーブンスンの『自殺クラブ』については、江戸川乱歩が大正15年に短編「覆面の舞踏者」で「普通の道楽なんかでは得られない、強烈な刺戟を味わうのだ」とその「風変わりなクラブ」を紹介している📖

【自覚心と未来記】つづき 🐈

「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんか担ぎ出すのも全くこの窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあんな哲学に変形したものだね…
ありゃ理想じゃない、不平さ…どうしても怨恨痛憤の音だ」

(承前)
「個性の自由を許せば許す程…」と、なんだか未来記のようにみえますが
「個性の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多に寝返りも打てないから…」とあるからこれは未来予想ではない。しかも「どこから見ても神経衰弱以前の民だよ」の、独仙によるニーチェ観だし。

(承前)
ここで思い出すのが、7章の洗湯見学の場面。
カーライルの『衣装哲学』を借りて吾輩🐈は、人間が「おれはおれだ誰が見てもおれだ」という自我意識を獲得し、己の見せ方で主張する《自覚心、self-consciousness》を身につけたことを指摘していましたね。 (【衣装と個性】→「自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸である」
「どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云ふ所が目につく様にしたい。夫れについては何か人が見てあつと魂消(たまげ)る物をからだにつけて見たい」)

(承前)
洗湯では誰もが衣装を脱いで裸になるが、《肉體》そのものが己を象徴する衣装だとカーライルは言いました。
だから狭い湯船に裸でひしめき合うのを見て「赤裸は赤裸でどこ迄も差別を立てゝくる」と吾輩🐈は、どこまでも人間が己の《個性》を認めさせようとすることを指摘しました。

(承前)
その個性の主張で「もう一歩も進めぬ」時に登場したのが「ニーチェの超人」でした
「うめろうめろ、熱い熱い」と風呂で叫んでいたのは、この最終章で独仙の言う「窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあんな哲学に変形したものだ」との19世紀のニーチェ像の戯画だったのですね。

(承前)
だからこの最終章のニーチェの部分は、向後、個性の発達した日本にニーチェの所謂《超人》の出現が起るとか、それを期待しているとかではなく
「先方に権力があればある程…不愉快を感じて反抗する世の中」との認識の下、その社会生活の不愉快の反動が、苦沙弥・迷亭の未来記への懸念かと。

(承前)
新潮文庫の『ジーキル博士とハイド氏』の田中西二郎氏の解説にあった【unpleasantness の文学】の説明を再び…📖 (こうしたunpleasantnessに対する「心理学上でいうカタルシスの作用」として「何故に特にイギリス人が探偵小説、怪奇譚、悪党譚、冒険譚、スリラー、スパイ物語等を愛好し、またイギリスの作家がこれらの文学の名手であるかの謎が解ける」(田中西二郎)

(承前)
「英人の文學は安慰を與ふるの文學にあらず刺激を與ふるの文學なり。人の塵慮を一掃するの文學にあらずして愈人を俗了するの文學なり…阿片に耽溺せる病人と同じ」(明治38,9年断片)

【自覚心と三平君】
『猫』の終章🐈、未来記も語り終えた大円団に、多々良三平君の登場
三平君は卒業早々、六つ井物産の役員となった20世紀青年の勝ち組、或は成金、俗物の象徴? なぜ最後に三平君が?
と考えていたが《自覚心》についてずっと読んでくると、三平君も自覚心の塊だと判る。

(承前)
苦沙弥「今の人の自覚心と云うのは自己と他人の間に截然たる利害の鴻溝があると云う事を知り過ぎていると云う事だ」

この《自覚心》とは、単に自己とは何?と自分が問うものではなく、《他人》にとっての自己がどう見えるか、どう思われるか、どう損得があるか、という事。

(承前)
「私のようなビジネス・マンになると常識が一番大切ですからね」
三平君の常識はビジネスの利害の常識… 社交を円滑に導くための《コモンセンス》

「この煙草を吸ってると、大変信用が違います」
三平君には、他人にどう見えるか、どう思われるか自分を顕示するのが最も大事

(承前)
しかも三平君は一応、《親切》でもある
「御馳走するです。シャンパンを飲ませるです」…ビールの手土産も持参して、金田の娘を自分が貰って寒月さんに悪いからと、見合い相手の写真もたくさん持参した😓
が…三平君は明治の世の《自覚心》の塊だけれども、神経衰弱ではないようだ

(承前)
「先生私は近来よっぽど常識に富んで来ました。どうしてもあんな所にいると、傍が傍だから、おのずから、そうなってしまうです」

三平君は常に周囲とを比べ、身に着ける物、煙草の銘柄、付け届けや忖度、気にし通しなのだろう
個性を差別化できるうちは得意だが、皆が同じになったら…🐈


【自覚心と三平君】つづき
ビジネスマンとしての常識《コモンセンス》を磨き、自分が周囲にどう見えるか、どう自分の株が上がるか、に執心する三平君の在り方は、当時の国の姿と重ね合わせることもできるかもしれない
外見は西洋列強と肩を並べた形だが、経済・精神ともに疲弊は始まっている

(承前)
十章は《己を知る》ということがいかに困難か、がテーマでした
終章で語る《自覚心》は、己の真の姿が自分で分かっていないにもかかわらず、自分が人にどう見えるか、どう評価されるかは意識する、こと。
《形》に囚われる人間のありようを多々良三平君を通して描いているのですね

(承前)
「多々良三平君の如きは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから…」とすでに5章で示されていました。
「形体に囚われる者は本質を見ない」というテーマは『猫』の終章まで貫かれてきたわけです
(「とかく物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉らんのは厄介である」
すでに五章で、形体に囚われる者は本質を見ないという点がキーワードとして示されていたが、九章全体は苦沙弥も迷亭も猫も、形に惑わされているようだ。)

(承前)
「三平君に至つては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がむずかしい。生涯三鞭酒(シャンパン)を御馳走して得意と思う事が出来れば結構だ。鈴木の藤さんはどこまでも転がつて行く。転がれば泥がつく。泥がついても転がれぬものよりも幅が利く」

(承前)
5章では「形を見て心を見ざる」人物と書きながら、終章で吾輩🐈が三平君や鈴木の藤さんに対する評価を留保しているのは、「世の中の評価は、猫の眼玉の如く変わる」という漱石の文明・文芸に対する認識のあらわれと思えます
言い換えれば、現在の評価はいずれひっくり返る、とも…。(世の中の評価は、猫の眼玉の如く変わる…この事は『猫』下篇自序で漱石が「世の中は猫の目玉の様にぐるぐる廻転している」と書いた事に通じる重要な点でしょう。物事の評価が世(時代)とともにひっくり返る。『猫』の文明論のテーマとも。)

【自覚心】昨日のつづき
『三四郎』より 広田先生の言葉📖

すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが…

(承前)
三四郎が列車で広田先生と出会い、「滅びるね」につながる場面ですが
広田先生が「こんな顔」「顔相応」と《顔》を二度使っている部分も
『猫』を通して考えると見逃せない部分です。これは広田先生が《見た目》で人を判断するわけではなく、国家が《見た目》だけ整えたという事。

(承前)
《形》だけ西洋化をし、形のうえでは領土を拡げ、それで一等国と認めさせようとした国家のあり方は
「金はなかばってんが、今にどうかなるたい。この煙草を吸ってると、大変信用が違います」と見た目で人の信用を得ようとする三平君と同じこと。実際、日露戦争後の日本経済は疲弊していく。

(承前)
(明治の)今の世が見た目という《形》に価値を置くことしか出来ていないのを解っていて、広田先生は敢て「こんな顔をして」と《見た目》の差異を口にしたと思います
本質は《形》だけでは繕えないと知っているから「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と三四郎に教えたのでは?

(承前)
『猫』にしても、『三四郎』にしても、最晩年の『明暗』にしても、《見えるものと見えないもの》《表にあらわれているものと内にあるもの》って、漱石文学ではずっと考え続けられていたことなんじゃないかな📖
…と『猫』であらためて教えられました。《意識と潜在意識》の事も。。

(承前)
ただ、他の人にどう見えどう思われるかという《自覚心》の問題が、苦沙弥家に集う人物にはどうも無縁に感じる。独仙・迷亭はわが道を行く人物で人目にどう映るか気にしそうもない。東風・寒月の若者が苦沙弥らの《未来への悲観》を聞いてもまったくこたえていないのは前に述べた通り。

3夫婦
迷亭「あらゆる生存者が悉く個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬ許りの風をするようになる」
「一所に居る為めには一所に居るに充分なる丈個性が合はなければならないだらう…賢夫人になればなる程個性は凄い程発達する。発達すればする程夫と合はなくなる」

(承前)
「賢婦人」という語は「教育」とか「社会進出」という意味に置き換えるとして、この迷亭さんの未来記に百年後の男女は頷くしかないかも…
でも東風さんは毅然と反論する✊
「…愛と美ほど尊いものはないと思います…愛は夫婦と云う関係になります。美は詩歌、音楽の形式に分れます…」

(承前)
「…いやしくも人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と芸術は決して滅する事はなかろうと思います」✨

…「夫婦」という形態も、「詩歌」というスタイルも、かたちの変化はありつつも、東風さんの主張する通り「愛と芸術」は、未来永劫この地球上に存在し続けて欲しいですね…

(承前)
新体詩を笑われてばかりの東風さんの『猫』における存在理由がやっとわかった気がします(笑)…この一言を主張するためだったのか
いえ冗談でなく、「私は妙ですね。いろいろ伺っても何とも感じません」と平気の寒月さん含め、未来記の悲観論に若者が納得しないのは、漱石の願い✨なのかも

(承前)
長々とした(けれども神秘的な)寒月のバイオリン夜話がこの最終章に置かれたのも、金田ではなく「大きな碌でなし」のお嫁さんを貰ったどんでん返しも、東風さん主張する「愛と芸術」を未来へ橋渡しする意味があるのかも…
文明批判の裏に、漱石は小説を遺す未来を新世代に期待したかった?








『吾輩は猫である』十一章 寒月のバイオリン夜話と庚申講、および「クブラ・カーン」

2017-07-26 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
 ー Twitter 星の破ka片ke からの転記 ー

最終章で寒月さんは、高校時代にバイオリンを買って庚申山に登り、そこで「水晶の御殿」にいるような神秘的な体験をした話をします。「庚申山」という名称の意味、水晶の御殿とコールリッジのゴシック詩「クブラ・カーン」との関連を考えました。

【ヴァイオリン】
寒月とヴァイオリンの出会いは地方の高等学校時代。これは寺田寅彦も同じですが、初めて音色を耳にしたのは、物理の田丸先生のお宅へ、試験に失敗した同郷学生の「点をもらいに」行った時とのこと

#寺田寅彦「田丸先生の追憶」

星の破ka片ke
@salli_neko
·
2017年7月14日
【ヴァイオリン】
寒月とヴァイオリンの出会いは地方の高等学校時代。これは寺田寅彦も同じですが、初めて音色を耳にしたのは、物理の田丸先生のお宅へ、試験に失敗した同郷学生の「点をもらいに」行った時とのこと🎻

#寺田寅彦「田丸先生の追憶」http://aozora.gr.jp/cards/000042/files/2473_9316.html

(承前)
寒月はヴァイオリンを買う覚悟として「国のものから譴責されても、他県のものから軽蔑されても―よし鉄拳制裁のために絶息しても」と話しますが、実際、寅彦の熊本時代にも「土佐会」なる大変バンカラな同郷学生会があったそうです。
 (寅彦の随筆については、山田一郎著『寺田寅彦覚書』(1981年 岩波書店)から情報を得ました。寅彦の生い立ちから、高知、熊本での生活、文学的交流、そして結婚のこと、大変参考になる詳しい評伝でした。)

(承前) 山田氏の本には、学業不良の者や風紀に背いた者への処分、制裁などについても書かれていました。禁を犯した者が「制裁」への恐怖のあまり、自殺をしようとしたことなどもあり、そういう土佐士族から継承された気風は、都会育ちの漱石の経験とはずいぶん異なるものだろうと思いました。

(承前)
実際に寅彦は、バンカラ派の耳に入らないように《龍田山》へ登ってバイオリンを夜な夜な弾いたそうですが、『猫』では《庚申山》に登ります。
この「庚申山」という命名に何か意味があるのか?と考えてみました。

(承前)
『猫』でのバイオリン夜話の《庚申山》には「庚申講」の意味があったりして…。庚申講の晩には「庚申待」といって「会食談義を行って徹宵する風習」があり、平安貴族は「碁・詩歌・管弦」の宴で夜を過ごしたと。#漱石
庚申信仰 Wiki

(承前)
べつに苦沙弥らが平安貴族を気取って、という訳ではありませんが、人間の寿命を縮めるという「三尸の虫」を封じ込める為の夜の集まりが「庚申講」だというので、もしかして漱石先生が寒月=寅彦や友人、弟子らの長寿願いも込めて《庚申》の夜会を十一章で設けたのかな、などと想像…

(承前)
漱石自身が、「庚申の日」に生まれた為、災いを避けようと名前に「金」という文字を入れた、とのことですから、庚申の日の意味や、庚申講についてはおそらく漱石はよく知っていたのでは? とも思っています。

「何かわるい事でもしたんですか」
「是からしやうと云ふ所さ」
「可哀相にヷイオリンを買ふのが悪い事ぢや、音楽学校の生徒はみんな罪人ですよ」
「人が認めない事をすれば、どんないゝ事をしても罪人さ。だから世の中に罪人程あてにならないものはない。耶蘇もあんな世に生れゝば罪人さ。

(承前)
…好男子寒月君もそんな所でヴァイオリンを買えば罪人さ」
可哀相に寒月さんが罪人、とされてしまいますが、《庚申講》の三尸の虫は人間の《罪》を天帝に言いつけることでその人の寿命を縮めるのでしたね。その点を考慮すれば、この集まりは寒月を罪から守るための講ともいえます。

(承前)
人間の寿命を縮める「三尸」についてはこちら↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B0%B8

単なる想像ですが、庚申待のように迷亭らが碁をやる傍で、寒月のバイオリン話を聞いて、故子規に聞かせるように句を詠んで、そうして皆の健康を願っているのだとしたらいいな…

【おぼえがき】
「根岸庵を訪う記」寺田寅彦 (生前未発表)

(承前)
「西洋の音楽などは遠くの昔バイオリンを聞いたばかりでピアノなんか一度も聞いた事はないから…」

寺田さん、根岸庵でバイオリン弾いて聴かせて差し上げたら…と思うけれども、謙虚な寺田さんゆえそんな事もないままだったのかな…

ところで、有隣堂さんの情報誌「有鄰」過去記事のweb版に、「『吾輩は猫である』と漱石の俳句」というのを見つけました。#漱石 #子規
 かい巻に長き夜守るやヷイオリン
  秋淋しつゞらにかくすヷイオリン
この句について… https://t.co/fjCrc6HWLT

(承前)
ここに復本一郎先生が書かれているように、やはり十一章の皆が勢揃いして、寒月さんのバイオリン逸話に茶々を入れたりしているこの場面は、故子規の思い出を意識して書かれているのでしょうね。

(承前)
迷亭が「(故子規子とは)始終無線電信で肝胆相照らしていたもんだ」とわざわざ子規との霊の交感を持ち出すのも、この集まりには子規も一緒(だった)という意味を感じますし、畳の上の日が消えて寅彦が帰って行った事を考えれば、秋の日が暮れなければそれだけ話していられる意味に。

【庚申山】つづき
寒月の遅々としたバイオリン話に業を煮やして洋書を読む苦沙弥…突然「こりゃ何と読むのだい…Quid aliud est mulier nisi amiticiae」と迷亭に聞く。(意味は、女は友情の敵)
無関係のようだが《庚申講》が男性だけの講と考えれば…

(承前)
べつに苦沙弥らが平安貴族を気取って、という訳ではありませんが、人間の寿命を縮めるという「三尸の虫」を封じ込める為の夜の集まりが「庚申講」だというので、もしかして漱石先生が寒月=寅彦や友人、弟子らの長寿願いも込めて《庚申》の夜会を十一章で設けたのかな、などと想像…

(承前)
苦沙弥の突飛なラテン語は、あとの文明論中の「女の悪口」につながっていくのですが、ここではまだ寒月の結婚のことも知らないはずなのに。
こうした男仲間だけの《講》(無礼講の講もそういう集まりの意味でしょう?)それをとても漱石が楽しんでいた事の暗示として感じられます。

【水晶の御殿】
「二十分ほど茫然として居るうちに何だか水晶で造つた御殿のなかに、たつた一人住んでる様な気になつた…心も魂も悉く寒天か何かで製造された如く不思議に透き徹つて仕舞つて、自分が水晶の御殿の中に居るのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだかわからなくなつて来た」

(承前)
寒月さんがバイオリンを弾くため登った、八畳ほどの一枚岩の上での《神秘体験》。水晶の御殿の中で自他の区別がなくなる感覚…
この《水晶御殿》の体験には、英詩人コールリッジのゴシック詩「クブラ・カーン」の影響がみられると思います。コールリッジは漱石が多々言及した詩人。

(承前)
寒月さんの《水晶の御殿》と⇒クブラ・カーンの《氷の洞をもつ歓楽宮 A sunny pleasure-dome with caves of ice》
その場所は《百坪ほどの大平》⇒《5マイル平方の沃地 twice five miles of fertile ground》

(承前)
周りには《樟脳をとる楠》と、《香料の実をつける樹 incense-bearing tree》
そして《鵜の沼という池》と、《うね曲る細流 sinuous rills》
…いかがでしょう? 考慮してもよい共通項と思われませんか?

(承前)
寒月さんはこの岩の上へバイオリン(提琴)を弾くために登りましたが、クブラ・カーンの詩の最終連では氷の洞で、かつて見た、ダルシマーを弾く乙女の幻影を思い起こすのです。#漱石
 A damsel with a dulcimer
 In a vision once I saw

(承前)
In a vision once I saw=かつて見た、という点が要…
もし寒月の《水晶の御殿》がクブラ・カーンを想起するものならば、漱石が暗示しているのも「かつて見た乙女の幻影」のはず。そこで思い出すのが三章の「天女が羽衣を着て琵琶を弾いている」寒月からの絵葉書です

(承前)
「昔しある所に一人の天文学者がありました。ある夜いつものように高い台に登って、一心に星を見ていますと、空に美しい天女が現われ、この世では聞かれぬほどの微妙な音楽を奏し出したので、天文学者は身に沁む寒さも忘れて聞き惚れてしまいました」
三章のここへ繋がるのですね。

…朝見るとその天文学者の死骸に霜が真白に降っていました」
絵葉書では、天女の琴の音に聞き入ると死んでしまいます。
「もしこの状態が長くつづいたら、私はあすの朝まで、せっかくのヴァイオリンも弾かずに、茫やり一枚岩の上に坐ってたかも知れないです…」
…だからギャーと脅かれるのですね。

【琴と乙女の幻影】
寒月さんの庚申山でのバイオリン話…先週はコールリッジの詩「クブラ・カーン」との共通項を考えましたが、クブラ・カーンを抜きにしても、寒月がこの山で乙女の幻影を見るだろう、という想像は、続く迷亭の《サンドラ・ベロニと竪琴》の発言からも裏付けられますね。

「サンドラ・ベロニが月下に竪琴を弾いて、以太利亜風の歌を森の中でうたってるところは、君の庚申山へヴァイオリンをかかえて上るところと同曲にして異巧なるものだね。惜しい事に向うは月中の嫦娥を驚ろかし、君は古沼の怪狸におどろかされたので、際どいところで滑稽と崇高の大差を来たした」

(承前)
サンドラ・ベロニは森の中で竪琴(ハープ)を弾くのですが、寒月さんのように、山に登ってそこでバイオリンに似た琴を奏で、すると《乙女の幻影》が現れる、そういう話を漱石はメレディスのサンドラ・ベロニよりも先に、熊本時代に読んだ『エイルウィン』からも記憶しているはずです。

(承前)
エイルウィンは、結婚を誓った幼馴染みの少女ウィニフレッドと生き別れになってしまうのですが、ウィニーをよく知るジプシーの女と共にスノードンの山に登り、そこでバイオリンに似た〈crwth〉という楽器を弾いてもらい、生き別れになったウィニーの幻影を見るのです。

(承前)
同書より、戸川秋骨先生が「小琴(おごと)」と訳した〈crwth〉を説明している部分と、スノードンの山でウィニーの幻影(生霊と書かれています)を呼び出す部分。とてもファンタジックでスピリチュアルな物語なので、漱石先生の幻想性を知るにはとても興味深い物語だと思います。

【乙女の幻影】
『エイルヰン』で音楽が生霊〈the spirits〉を呼び出す科学的原理について《磁力的波浪 the magnetic waves》を活発化させるから、などとあります(昨日の写真左)。この辺りも迷亭の言う《無線の電信》《霊の交換》を考えるとき、面白いですね

(承前)
「音楽の節奏的顫動は、磁力的波浪を活動せしむるものなるが、この波浪の活動に依りてのみ、心霊、物質、両界の交通は保持せらるゝなり」
中でも、線弦楽器によって起る「顫動が、他の楽器のそれよりも微妙」で、バイオリン類の楽器が「最も微妙なるものなり」とあります(#戸川秋骨 訳)

(承前)
原文の一部を引用すると
the rhythmic vibrations of music set in active motion the magnetic waves… spiritual and material, can hold communication.

(承前)
漱石の執筆は7月27日。この7月寺田寅彦は熊本五高を卒業、一旦故郷高知へ戻り、8月26日東京へ旅出ちます
寅彦は小説『エイルヰン』を読んだでしょうか。もしか「エイルヰンの批評」はホトトギスで読んだ? バイオリンの磁力的波浪で心霊を呼び出す事、寅彦がどう思うか知りたいです

今日は #幽霊の日 だというので、もう少しだけ「クブラ・カーン」と寒月のバイオリン話を続けましょう
寒月さんが庚申山に登り「生きているか死んでいるか方角のつかない」状態
そのままでいたら「乙女の幻影」に囚われて死んでしまっただろうという暗示は、クブラ・カーンにも共通します。

(承前)
In a vision once I saw=かつて見た、という点が要…
もし寒月の《水晶の御殿》がクブラ・カーンを想起するものならば、漱石が暗示しているのも「かつて見た乙女の幻影」のはず。そこで思い出すのが三章の「天女が羽衣を着て琵琶を弾いている」寒月からの絵葉書です

(承前)
「かつて見た乙女の幻影」を想起した詩人は、
Could I revive within me
Her symphony and song
その音楽を再び蘇らせることを願いますが…

(承前)
And all who heard should see them there,
And all should cry, Beware! Beware!
その音楽を耳にした者は皆、気をつけろ!気をつけろ!と叫ぶ…

囚われたら何が待ち受けているかを警告します。

(承前)
漱石は「クブラ・カーン」の Beware! の警告の意味も、この詩がコールリッジが阿片夢で見たもので、途中で起きてしまった為この詩は未完である、という逸話も知っていたはずです。
寒月さんが「ギャー」という何かに脅かされて山を下りた理由も、ここにあるのだと思います。

「それから」
「それでおしまいさ」
「ヴァイオリンは弾かないのかい」
「弾きたくっても、弾かれないじゃないか。ギャーだもの。君だってきっと弾かれないよ」
「何だか君の話は物足りないような気がする」#漱石

さんざん話を引っ張って、ここでお仕舞😅 クブラ・カーン同様未完なんです

【おぼえがき】
📖青空文庫 寺田寅彦 「団栗 どんぐり」

(承前)
団栗のスタビリチー(安定性)…寒月さんの結婚で、団栗の安定性は達せられたわけです。そして文章上には表れてはいませんが、寅彦の亡き妻夏子さんへの思いは、水晶の御殿にいるはずの琴を奏でる天女の幻として暗示し、庚申講の集まりで寒月の幸いを漱石が願っていると私は読みます。




奇麗な風の…

2017-06-23 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
きょうは、 役所にとある更新手続きに行って来ました。

駅から少し歩く距離があり、 きのうに引き続き30度近くになるという予報だったので、 くらくらするのではないかとちょっと気にしながら出掛けたのですが、 日傘の下を風が吹き抜け、 思ったよりもずっと心地良く歩けました。

… いつも迷ってしまう 役所の中の目的の場所(3ヵ所まわるので)、、 上階へ行ったり、 下へ行ったり、、 それでも各所で優しくしてもらえて、、

 *** 

2月から続けていた 『吾輩は猫である』の本読み&日々のツイート。 ようやく来週から最終章に入ることができそうです。

今までのツイートのまとめを 載せてあります。(twitter 登録外の人でもこれは見られるのかな?)

『吾輩は猫である』第六章「昼寝」と 漱石・子規往復書簡

『吾輩は猫である』六~八章 上田敏の批評「戦後の文壇」との関係を中心に

#夏目漱石 と #トマス・ド・クインシー (Thomas De Quincey) ツイートまとめ(追加中)

『吾輩は猫である』七章 ♨️洗湯見学とカーライル『衣装哲学』

『吾輩は猫である』第十章 己を知るという事

『吾輩は猫である』 同時代の社会・時事への暗示(河上肇、幸徳秋水、伊藤博文など) (6/26 追加)

『吾輩は猫である』十一章 寒月のバンオリン夜話と庚申講、および「クブラ・カーン」 (7/28 追加)

『吾輩は猫である』最終章 探偵・自覚心・神経衰弱、そして日本の未来記へ
(8/31 追加)


小説であれ、、 音楽であれ、、 映像であれ、、 初めての作品には作者のすべてがあらわれるような、、 そんな気がいままでもしていましたが、、 漱石が 本格的な職業作家になる以前の、 初めての小説『吾輩は猫である』にも、 その後の作家人生のすべてにわたる根源がふくまれていたのだな、と そう気づき始めています。。

まだ、 最終章がありますから、、 このあともひきつづき、、


読みとおすことが出来たらまたご報告を。。

 ***

、、今日でかけた理由もそうですけれど、、 誰かのお役に立つというより、 誰かの助けを頂くことのほうがずっと多い、 自分の身体。。 おもうがままにならない悪い日々が続くと、、 一体どう生きるのが正しい道なのかな、、と 自問してしまうことも多々あり…



「六月を奇麗な風の吹くことよ」

昨日、 見た記事のなかの、子規さんの句。
ぶんかのミカタ
生誕150年 子規巡る断想/上 名句たどれば節目に「関西」=俳人・坪内稔典(毎日新聞)



病の療養中の句だったそうですが、、

いのちがどのような状態にあっても、そこに尊さを見い出せる、、 子規さんとは そういう稀有な強さを持ったかただったのでしょう。





きょうは… そのような風が吹いていました。

『吾輩は猫である』第十章 己を知るという事

2017-06-14 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
 ー Twitter 星の破ka片ke からの転記 ー

「己を知る事が出来さへすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。其時は吾輩もこんないたづらを書くのは気の毒だからすぐさまやめて仕舞ふ積りである」 十章で吾輩はこのように言います。つまり、人間は己が見えていないがゆえに面白い、その面白さを描写すること。十章では『猫』という作品のひとつの到達点が見えてきます。

【十章 古井武右衛門くん】
雪江さん登場からの諸々のエピソードについては追々みていきますが、先に…

艶書事件で退学になりはしないかと相談に来た《武右衛門くん》
苦沙弥には「そうさな」しか言ってもらえず、寒月さんに横入りされて話も出来ず帰っていくのが、可哀相で可哀相で…

【十章 武右衛門くん】
退校を恐れて先生に相談に来た武右衛門くんに、苦沙弥は「そうさな」しか言わず、細君と雪江さんは陰で笑っている。武右衛門くんは可哀相に帰っていく…💧
冷酷な意味がすこしだけわかってきました。。

「笑われる抔とは思も寄らなかつたらう。武右衛門君は監督の家へ来て、屹度人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼は此真理の為に…人の心配には冷淡になるだらう…かくの如くにして天下は未来の武右衛門君を以て充たされるであらう。金田君及び金田令夫人を以て充たされるであろう」

(承前)
「みんな逆(さか)なのね」という十章のキーワードは、この武右衛門君のエピソードにも機能していたのですね。これまでは「金田君及び金田令夫人」が代表する《世間》が苦沙弥家に意地悪をし弱らせようとしてきたわけですが、武右衛門君の前でそれが逆転する。苦沙弥らが金田になる。

(承前)
「武右衛門君一人の運命がどう変化しやうと、主人の朝夕には殆んど関係がない。関係の薄い所には同情も自から薄い訳である」これが吾輩の主人評。
「武右衛門君が困るのが難有いのである。諸君女に向つて聞いて御覧、『あなたは人が困るのを面白がつて笑ひますか』と」こちらが女性達評 

(承前)
実際に苦沙弥が武右衛門君に冷酷な処置を考えていたわけではないでしょうし、女性たちも武右衛門君の艶書事件が全く問題になっていない事を分かっていて、悩む必要はないのに悄然としている姿をつい笑ってしまっただけかもしれません。でも吾輩はそこに金田と同じ性質を見たのですね。

(承前)
「冷淡は人間の本来の性質であつて、その性質をかくさうと力めないのは正直な人である」と吾輩🐈は言います。
主人の冷淡も、女性らの笑いも、《正直》ではあるが《誠実》ではない。誠実という語も何を以て誠実といえるか曖昧なので、世間的な《人情》とでも言いますか。

(承前)
武右衛門君に対して《人情》のある対処をしないから、《可哀相》と感じたのですよね

(承前)
独仙の演説「いざと云ふ場合にはどうか馬鹿竹の様な正直な了見で物事を処理して頂きたい…人間は魂胆があればある程、その魂胆が祟つて不幸の源をなすので…」
《正直》という観点からだと、冷淡な苦沙弥も、笑う女達も正しいことになる。
吾輩🐈が指摘するのは《誤魔化し》のこと。

(承前)
「人間がそんなに情深い、思ひやりのある動物であるとは甚だ受け取りにくい…時々交際のために涙を流して見たり、気の毒な顔を作って見せたりする許りである。云わゞ胡魔化し性表情で…此胡魔化しをうまくやるものを芸術的良心の強い人と云つて、是は世間から大変珍重される」

(承前)
一個の人間の中の表と裏。
《胡魔化し性表情》で意図的にこしらえた《芸術的良心》に対して、人間の《正直さ》とはごまかすことのできない《本質》であると。拵え物でない正直な心のほうが実のところ本人にはわからない。

(承前)
のちに漱石が考え続けた《人の心》の不可測。
「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです」『こころ』

心を描写する萌芽が『猫』のなかに見えるようです。

(承前)
己の真の姿が見えていない点が《面白い》
「己を知る事が出来さへすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。其時は吾輩もこんないたづらを書くのは気の毒だからすぐさまやめて仕舞ふ積りである」

不可測であるから書く。←ここに《描写》する意義を発見したのですね

(承前)
「吾輩が面白いというと、何がそんなに面白いと聞く人があるかも知れない…人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である…然し自分で自分の鼻の高さが分らないと同じ様に、自己の何物かは中々見当がつき悪くい…」
主人も細君も雪江さんも、自分の事が分かっていないと。

十章で、雪江さんと武右衛門君の登場によって《己の本性を自覚する》という問題に視点が移ります。己を自覚する、というより、いかに己の心が《自覚できない》もので、いかに《心》が外界につられて容易く変化する、とらえどころのないものであるか。

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2017年6月14日
十章で、雪江さんと武右衛門君の登場によって《己の本性を自覚する》という問題に視点が移ります。己を自覚する、というより、いかに己の心が《自覚できない》もので、いかに《心》が外界につられて容易く変化する、とらえどころのないものであるか。🐈 #漱石

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2017年6月13日
(承前)
己の真の姿が見えていない点が《面白い》
「己を知る事が出来さへすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。其時は吾輩もこんないたづらを書くのは気の毒だからすぐさまやめて仕舞ふ積りである」

不可測であるから書く。←ここに《描写》する意義を発見したのですね #漱石

(承前)
十章の苦沙弥、細君、雪江さんは、それぞれ己の心に《正直》な言動をとっているのだと思います。子供たちが正直なのは無論です。
「不可思議、不可測の心」と吾輩🐈は書いています。一瞬で変化し、他者からは測り難い三種三様の心、その変化する言動を、敢てありのまま描写する。

(承前)
「不可思議、不可測」に動く心に正直な言動の人間を《ありのまま》描写すると、かくもバラバラなディスコミュニケーションの場となるという滑稽が十章の総体かと。

細君が皿眼で盗品を確かめる横で苦沙弥と雪江が言い合い、武右衛門君は笑われ、寒月の登場で無視されて帰っていく。

(承前)
九章までの吾輩🐈は、苦沙弥の家という小宇宙の中から金田や落雲館や洗湯などの世間という大宇宙の人間模様を観察していたのですが、十章で宇宙の表と裏がひっくり返る。そして苦沙弥(や雪江さん)という個の人格の中にまた大宇宙と同じものを見い出す。個の中の表と裏が見える。

八章のおわりの独仙の言葉
「心さへ自由にする修養をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか」

己の《心》を自分自身で把握(自由に)すること。すでに八章で問題にしていました。(個の心の問題であれば、独仙の言うように消極的修養で安寧を得ることもできるだろう
「落日を回らす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。只出来るものは自分の心丈だからね。心さへ自由にする修養をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか」
でも問題は個ではないようだ )

九章の始めで苦沙弥は鏡であばたを気にしていました。そのとき吾輩🐈はこう述べています。
「凡て人間の研究と云ふものは自己を研究するのである。天地と云ひ山川と云ひ日月と云ひ星辰と云ふも皆自己の異名に過ぎぬ」

(承前)
その前の文でこうも言っていました🐈
「主人は見性自覚の方便としてかように鏡を相手にいろいろな仕草を演じているのかも知れない」
*見性自覚=自らの本性を覚ること。自分の中に本来より備わっている心を自覚すること。

(承前)
けれども「あばた」という外形に囚われている苦沙弥に、己の本性を自覚することは出来ません。九章は
《人がいかに「形」に囚われ、本質を見ないか、という構成の章なのでは?》と書きました。(前に、九章の構成がわからないと書きました
苦沙弥が鏡を覗き、西洋では教育のある者にあばたはいないと聞いて、西洋化に取り残された気持ちになるところから始まる章…人がいかに「形」に囚われ、本質を見ないか、という構成の章なのでは?)

【鏡】
まず鏡=虚像に思い悩む姿が象徴的だと思いますが、洋行帰りの友人が西洋ではあばたは「あつても乞食か立ん坊」と言うように、「外貌」が人格や階層の判断材料とされる時代です。衣装ひいては肉体が人間の「我」の象徴であり、社会構造そのものである、という事は七章のカーライルの論でした。

「馬鹿あ云つてら、あれは刑事だね」
「刑事があんな《なり》をするものか」
「刑事だからあんな《なり》をするんぢやないか」(なり…傍点)
《なり》をわざわざ強調するのも、形体(見た目)に惑わされている証拠。

「とかく物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉らんのは厄介である」
《形》に囚われる者は《本質》を見ない、と、すでに五章で語られていたことも挙げました。

「吾輩は猫である。猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑ふものがあるかも知れんが、此位な事は猫にとつて何でもない。吾輩は是で読唇術を心得て居る」
主人の「心=本質」を精密に記述し得ると書いているが、外形や外聞に惑わされた思考だから、その心を代弁しても本質は見えない 誤記訂正: ×読唇術 〇読心術

これもまた、虚像に始まった章のおわりに、虚像を写すという漱石の皮肉なのかもしれない。