星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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夏目漱石と戸川秋骨と、トマス・ド・クインシー

2014-05-28 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)


『こころ』の朝日新聞掲載から、ちょうど100年だということで、今、 朝日に『心』の連載がふたたびされていますが…

それについてはまだ日々連載中なので、、『こころ』ではなく、

つい想い出したように、 戸川秋骨先生のエッセイを このところ読んでいます。 秋骨と漱石のつながりについては、ずっと前に一度書きました(>>

現在刊行のもので読めるのは、みすず書房の『戸川秋骨人物肖像集』くらいで、 その中に 「知己先輩」と「漱石先生の憶出」という文章が入っています。(上の写真にあるのは、大正~昭和初期に刊行された秋骨の本の一部)

秋骨先生のことを全然知らないので、最近になってやっと経歴など調べてみたら、 漱石より4歳年下、 まるで漱石と入れ替わるように、成立学舎に学んだり、 東京帝国大学英文科に入ったり、、 卒業後、漱石が熊本五高にいる頃には、 山口の高等学校で教授、、 で、、 そんなすれ違いだった二人の初対面が、 漱石が英国留学が決まった時の送別会で 食事の席が隣だったそうです、、、(上記本参照)

だから、 寺田寅彦のような教え子という立場でもなく、 作家同士でもなく、 しいて言えば英文学の学者仲間、、ということでしょうか。。

漱石が英国から戻った後には、 秋骨は山口の教師をやめ、東京へ戻り、、 漱石宅に「地位=仕事先」の相談に行ったそうです。 漱石は東大で教えながら兼任で 明治大学でも教鞭をとっていたのですが、 そこを辞したのが1907年、、 同じ年から秋骨は明治大学の講師になっているので、、 もしかして漱石の斡旋で後任になったのでしょうか、、(調べてはいませんが)

二人はかなり親しかったようですが、 文書として記録されているものが少なくて、、 上記のエッセイでは、 最後に会ったのが『明暗』執筆中のこと。。 20~30分も話して、 『明暗』のことやら、デカダンのことやら話したとありますが、、 秋骨先生のエッセイだから仔細なことはなんにも書かない。。 何を話したのかなぁ、、、『明暗』の謎に少しでもつながりそうな話なら、 みんな咽から手が出るほど聞きたいでしょうに。。。

 ***

英文学者だから当たり前でしょうけど、、 秋骨先生のエッセイを読んでいると、 ほんとに漱石と趣味が近いのがよくわかります。 きっと会話も楽しかったでしょうけど、 そういった何を話した、とかは全く書かれてなくて、、

でもひとつだけ 大発見!!(私にとっての、ね)

秋骨先生の、昭和6年発行の『英文學覚帳』の中に 「デイ・クインジ雑談」という文があります。

  「凡そ英文學中幾多の大家の内にあつて、その作物に對し自分が多大な感興と尊敬とを抱く人として、第一に挙げだいものはデイ・クインジである」

、、から始まる文章です。「デイ・クインジ」すなわち Thomas De Quinceyのこと。。 ド・クインシーを漱石が愛読していたのも今では良く知られていますね。

、、で、 秋骨先生、、 ド・クインシーの『告白』(阿片常用者の告白)の中で気に入った一文が、 自分のノートブックに記されていた、、と。 その部分を挙げています、、(↓http://www.gutenberg.orgからコピペします)

But who and what, meantime, was the master of the house himself? Reader, he was one of those anomalous practitioners in lower departments of the law who―what shall I say?―who on prudential reasons, or from necessity, deny themselves all indulgence in the luxury of too delicate a conscience, (a periphrasis which might be abridged considerably, but that I leave to the reader’s taste): in many walks of life a conscience is a more expensive encumbrance than a wife or a carriage; and just as people talk of “laying down” their carriages, so I suppose my friend Mr. --- had “laid down” his conscience for a time, meaning, doubtless, to resume it as soon as he could afford it.

、、訳は面倒なので省きますが、 秋骨先生が面白がっている点を要約すると、 「この人は、困窮した時に荷物を "laying down"(捨てる、手放す)と同じように、 しばし "conscience"(良心、道義心)を手放したのだ、 無論、 可能になったらすぐに取り戻すだろうが」、、 という部分。 
はなから「良心」が無いと言っているのではなく、 たまたまその時は「良心」を持つ余裕が無かった、、と見るド・クインシーの「皮肉」を面白がっているわけです。

、、で 想い出すのが、 漱石の『思ひ出す事など』(二十三)

  「…或る人の書いたものの中に、余りせち辛い世間だから、自用車を節倹する格で、当分良心を質(しち)に入れたとあったが、質に入れるのは固(もと)より一時の融通を計る便宜に過ぎない…」

、、昔この部分を読んだ時に、 すぐド・クインシーを思い出したのですが(全集の注には「或る人」のことは載っていませんでした)、、 まさか秋骨先生まで 全く同じ箇所を面白がっていたとは、、 可笑しくて可笑しくて、、。 漱石とこの話、、 していたのかしら、、 いえ、 きっと二人共 全然そんな事たがいに知らないまま、だったのでしょうね。。

現在掲載中の『心』にも、むりやりこじつけますと、、

今日の部分(28)
 「平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです…」

という「先生」の台詞、、(たぶん漱石自身の底にある、人間認識)にも どこかつながるような気もしますね。。。

 ***

さらに、 ちょっとマニアックな種明かしをしますと、、 ド・クインシーの『告白』という本は、 漱石が熊本時代に、 英語の教科書として使っていました。 その頃の試験問題が、 東北大学の漱石文庫データベース(http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000002soseki)中にある、 熊本五高の試験問題に載っています。(だからしっかり文の内容を記憶してたんですね)

http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/user_contents/soseki/images/img15-43.jpg
(追記:URLが変わっていたので以下に変更します。2017.2.8)

http://www.i-repository.net/contents/tohoku/soseki/images/img15-43.jpg?log=true&mid=2300000359&d=1486564906605
↑こちらが証拠。 問Ⅵにほぼ同文で載ってます。。 私は英語教師でも学者でもないので批評は出来ませんけど、、 この試験問題(この筆記体)で出されたら学生さんは大変だろうなぁ。。。 だいたい『告白』って、、教科書に向く本なのでしょうか、、?? 昔の学生さんは立派だったのでしょうね。。

、、と 話が逸れましたが、 漱石先生と、 秋骨先生、、 もっと繋がりが詳しく見えてくると、 さらに面白いことが色々とわかってくるような気がします。 誰か、 ひも解いて下さらないかしら、、、 

 ***

小説(しかも英文学の影響を受けた作品)を 一般の人々が読むようになって、 ようやく100年余り。。 人知も情報もグローバルになった今だからこそ、、 漱石が言わんとしていたこと、、 やっと実感を以って読み取れるのかもしれないなぁ、、、いや、、 不勉強な自分じゃ まだまだかなぁ、、、

と思いつつ、 新聞に少しずつ載っていく 『心』を読んでいます。 

久々の漱石話、、でした。

バルテュス展

2014-05-17 | アートにまつわるあれこれ
昨日、 東京都美術館の「バルテュス展」に行きました。

バルテュス展、、 というのは私にとっては懐かしさも… 1993年に、 東京ステーションギャラリーで「バルテュス展」を観ていたから。。 あのステーションギャラリーの煉瓦の壁も、 ひとつひとつの部屋があまり広くない造りも、 とても好きな場所で、、 煉瓦色の壁に バルテュスの油絵はとてもよく似合っていた。

今回も、 貴重な絵画が多数観られて良かったけれど、 油彩の作品数は、 もしかしたらステーションギャラリーの時のほうが多かった…? あれがバルテュス初体験だったから 印象が強かっただけかしら。。。

今回、 初めて知ったのは、 バルテュスが エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の挿絵版画をつくっていたこと。 バルテュスの挿絵の『嵐が丘』、、 日本で読めたらいいのに。。。

版画では、 バルテュスがヒースクリフに同調というか、 同化している感じが強くしました。 うん、、 そうだと思う。 そんな強さ(横暴さ) 精神の気高さ、 執着、、 きっと共鳴するものがあったのでしょう。



この日のチラシで知ったのですけれど、 6月7日から、 三菱一号美術館で、「バルテュス最後の写真-密室の対話展」が開かれるそうです。

バルテュスの最晩年、 手の自由がきかなくなると 絵筆をカメラに持ち替え、 写真を撮っていたそうな、、、 美しいモデル達の写真。。 とても見たいような、、 見てはいけないような、、、
(↑右下のポストカードの写真) (三菱一号美術館もとても美しい場所です。 此処に書きませんでしたが、 この春、 「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義展」にも行きました)

http://mimt.jp/balthus/

、、それは 今夜のTV BSプレミアムの「バルテュスと彼女たちの関係」を見てから決めることにしましょう。。。

、、あ、、 ちなみにお得情報。 『バルテュス展』のチケットで、 「バルテュス最後の写真-密室の対話展」が 100円割引になるそうです。

 ***

昨日はとても爽やかなお天気。。 上野公園をたくさん歩いて、 カフェには入らず、、 コンビニの珈琲とスイーツ買って、 いろんな外人さんやら、 所在なさげなオジさんたちやら、 修学旅行の集団やら、、 いろんな人たちが行き来するのを眺めながら、 緑の下で風に吹かれてました。 、、なんだか高校生みたいで楽しかったなぁ。。

巨木の森の中にいると それだけで心地良くいられます、、 森の民だから。。 栗の花が夏を知らせていました。。