『こころ』の朝日新聞掲載から、ちょうど100年だということで、今、 朝日に『心』の連載がふたたびされていますが…
それについてはまだ日々連載中なので、、『こころ』ではなく、
つい想い出したように、 戸川秋骨先生のエッセイを このところ読んでいます。 秋骨と漱石のつながりについては、ずっと前に一度書きました(>>)
現在刊行のもので読めるのは、みすず書房の『戸川秋骨人物肖像集』くらいで、 その中に 「知己先輩」と「漱石先生の憶出」という文章が入っています。(上の写真にあるのは、大正~昭和初期に刊行された秋骨の本の一部)
秋骨先生のことを全然知らないので、最近になってやっと経歴など調べてみたら、 漱石より4歳年下、 まるで漱石と入れ替わるように、成立学舎に学んだり、 東京帝国大学英文科に入ったり、、 卒業後、漱石が熊本五高にいる頃には、 山口の高等学校で教授、、 で、、 そんなすれ違いだった二人の初対面が、 漱石が英国留学が決まった時の送別会で 食事の席が隣だったそうです、、、(上記本参照)
だから、 寺田寅彦のような教え子という立場でもなく、 作家同士でもなく、 しいて言えば英文学の学者仲間、、ということでしょうか。。
漱石が英国から戻った後には、 秋骨は山口の教師をやめ、東京へ戻り、、 漱石宅に「地位=仕事先」の相談に行ったそうです。 漱石は東大で教えながら兼任で 明治大学でも教鞭をとっていたのですが、 そこを辞したのが1907年、、 同じ年から秋骨は明治大学の講師になっているので、、 もしかして漱石の斡旋で後任になったのでしょうか、、(調べてはいませんが)
二人はかなり親しかったようですが、 文書として記録されているものが少なくて、、 上記のエッセイでは、 最後に会ったのが『明暗』執筆中のこと。。 20~30分も話して、 『明暗』のことやら、デカダンのことやら話したとありますが、、 秋骨先生のエッセイだから仔細なことはなんにも書かない。。 何を話したのかなぁ、、、『明暗』の謎に少しでもつながりそうな話なら、 みんな咽から手が出るほど聞きたいでしょうに。。。
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英文学者だから当たり前でしょうけど、、 秋骨先生のエッセイを読んでいると、 ほんとに漱石と趣味が近いのがよくわかります。 きっと会話も楽しかったでしょうけど、 そういった何を話した、とかは全く書かれてなくて、、
でもひとつだけ 大発見!!(私にとっての、ね)
秋骨先生の、昭和6年発行の『英文學覚帳』の中に 「デイ・クインジ雑談」という文があります。
「凡そ英文學中幾多の大家の内にあつて、その作物に對し自分が多大な感興と尊敬とを抱く人として、第一に挙げだいものはデイ・クインジである」
、、から始まる文章です。「デイ・クインジ」すなわち Thomas De Quinceyのこと。。 ド・クインシーを漱石が愛読していたのも今では良く知られていますね。
、、で、 秋骨先生、、 ド・クインシーの『告白』(阿片常用者の告白)の中で気に入った一文が、 自分のノートブックに記されていた、、と。 その部分を挙げています、、(↓http://www.gutenberg.orgからコピペします)
But who and what, meantime, was the master of the house himself? Reader, he was one of those anomalous practitioners in lower departments of the law who―what shall I say?―who on prudential reasons, or from necessity, deny themselves all indulgence in the luxury of too delicate a conscience, (a periphrasis which might be abridged considerably, but that I leave to the reader’s taste): in many walks of life a conscience is a more expensive encumbrance than a wife or a carriage; and just as people talk of “laying down” their carriages, so I suppose my friend Mr. --- had “laid down” his conscience for a time, meaning, doubtless, to resume it as soon as he could afford it.
、、訳は面倒なので省きますが、 秋骨先生が面白がっている点を要約すると、 「この人は、困窮した時に荷物を "laying down"(捨てる、手放す)と同じように、 しばし "conscience"(良心、道義心)を手放したのだ、 無論、 可能になったらすぐに取り戻すだろうが」、、 という部分。
はなから「良心」が無いと言っているのではなく、 たまたまその時は「良心」を持つ余裕が無かった、、と見るド・クインシーの「皮肉」を面白がっているわけです。
、、で 想い出すのが、 漱石の『思ひ出す事など』(二十三)
「…或る人の書いたものの中に、余りせち辛い世間だから、自用車を節倹する格で、当分良心を質(しち)に入れたとあったが、質に入れるのは固(もと)より一時の融通を計る便宜に過ぎない…」
、、昔この部分を読んだ時に、 すぐド・クインシーを思い出したのですが(全集の注には「或る人」のことは載っていませんでした)、、 まさか秋骨先生まで 全く同じ箇所を面白がっていたとは、、 可笑しくて可笑しくて、、。 漱石とこの話、、 していたのかしら、、 いえ、 きっと二人共 全然そんな事たがいに知らないまま、だったのでしょうね。。
現在掲載中の『心』にも、むりやりこじつけますと、、
今日の部分(28)
「平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです…」
という「先生」の台詞、、(たぶん漱石自身の底にある、人間認識)にも どこかつながるような気もしますね。。。
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さらに、 ちょっとマニアックな種明かしをしますと、、 ド・クインシーの『告白』という本は、 漱石が熊本時代に、 英語の教科書として使っていました。 その頃の試験問題が、 東北大学の漱石文庫データベース(http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000002soseki)中にある、 熊本五高の試験問題に載っています。(だからしっかり文の内容を記憶してたんですね)
http://www.i-repository.net/contents/tohoku/soseki/images/img15-43.jpg?log=true&mid=2300000359&d=1486564906605
↑こちらが証拠。 問Ⅵにほぼ同文で載ってます。。 私は英語教師でも学者でもないので批評は出来ませんけど、、 この試験問題(この筆記体)で出されたら学生さんは大変だろうなぁ。。。 だいたい『告白』って、、教科書に向く本なのでしょうか、、?? 昔の学生さんは立派だったのでしょうね。。
、、と 話が逸れましたが、 漱石先生と、 秋骨先生、、 もっと繋がりが詳しく見えてくると、 さらに面白いことが色々とわかってくるような気がします。 誰か、 ひも解いて下さらないかしら、、、
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小説(しかも英文学の影響を受けた作品)を 一般の人々が読むようになって、 ようやく100年余り。。 人知も情報もグローバルになった今だからこそ、、 漱石が言わんとしていたこと、、 やっと実感を以って読み取れるのかもしれないなぁ、、、いや、、 不勉強な自分じゃ まだまだかなぁ、、、
と思いつつ、 新聞に少しずつ載っていく 『心』を読んでいます。
久々の漱石話、、でした。