星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

だんだん分った 世界の壁とロジャー・ウォーターズの戦争:Roger Waters THE WALL LIVE IN BERLIN

2005-02-28 | MUSICにまつわるあれこれ
Roger Waters THE WALL LIVE IN BERLIN というDVDを買った。

ロジャー・ウォーターズのソロ作品、「RADIO K・A・O・S」(87年)を聴いたのはだいぶ前のこと。それから去年、Jeff Beckがギターで参加していると知って「AMUSED TO DEATH」(92年)を買った。・・・ロジャーのちょっとひょろひょろした声が好きで、それと対照的なソウルフルで、時に緊迫感のあるサウンドが好きで、だから音の面から入った。
けど、ロジャーがなぜ、現代の戦争や社会への危機を歌いつづけるのか、その事をちゃんと考えるようになったのは、昨年彼が、ネット上だけの新作、"To Kill The Child"と"Leaving Beirut"を出して、そこに掲載された歌詞に込められた強烈な反戦、反ブッシュのメッセージを読んでからだった。でも、まだ分っていなかった。

「THE WALL LIVE IN BERLIN」のDVDを見て、、、待てよ、このままでは何にも解らんぞ、、と、それこそ大昔に観ただけの、アラン・パーカー監督の映画「ピンク・フロイド/ザ・ウォール」を改めて観た。で、もう一回、LIVEのDVDを見た。で、やっとやっといろいろ分った。「だんだんわかった」というCHABOさんの詩があるけれど、そう、だんだんわかったんだ。。

1990年7月、その前年にベルリンの壁が崩れたばかりの<ポツダム広場>で、25万人(!)の観衆を前に行なわれたこのLIVEを私は知りません。日本でもTV放映されたそうだけど、知りません。私生活でかなり忙しい時期だったからかな、、それとも、日本ではたいした話題にもならなかったのかな、、よく知らない。

・・・ロジャー・ウォーターズは1944年生まれ。大戦中で、お父さんは戦死。ロジャーにはお父さんの記憶が無い。これも、去年の「AMUSED TO DEATH」の解説で知った。
つまり、「ザ・ウォール」の冒頭、「ダディは海を越えていっちゃった。思い出はアルバムの中の写真1枚・・・」と歌われる主人公の男の子は、ロジャーそのもの。だから彼は、戦争を生涯憎む。そのことを作品化するしか、自分の存在意義は無いかのように。。。正直言って、40代も後半の、大の男が、これほどまで強く父親の影を求めること、「ダディ、、」と歌う、そういうトラウマが、(私も父を亡くしたけど)理解できない部分もある。
・・・思えば、ピート・タウンゼント作の「Tommy」もまったく同じトラウマが底にあるものね。・・・女の子は、兄さんや、恋人に、父親を求めることが、もしかしたら出来るのかもしれないけど、、、男の人は、求めても、求めても、失った父親を永遠に感じることは出来ないんだろうか、だからあんなにも、苦しむんだろうか。。

映画の「ザ・ウォール」は、若きボブ・ゲルドフ演じる主人公の、内面的な「壁」をテーマにしていたけど、「THE WALL LIVE IN BERLIN」ではそれが、東西に分断されたドイツの若者におきかえられる。ロジャーのお父さんを奪った大戦と、東西に肉親を分断し、越境する者の命を奪ってきた<壁>とがつながる。

ロジャーのストーリーに賛同して出演したミュージシャンは少し奇妙な人選。でも演奏も歌も素晴らしい。スコーピオンズ、シンニード・オコーナー、ジョニ・ミッチェル、ブライアン・アダムス、、。だけど彼らは殆ど観衆には見えない。25万人の観衆の眼の前に、どんどん巨大な壁が築かれていく。演奏者は、どんどん閉ざされていって、、しまいには、壁だけになる。壁の向こうで、壁だけを見て歌うミュージシャン、、巨大スクリーンも無い観衆に見えているのは、つい今まで自分たちの国を分断していた<壁>だけ。お客さんに自分の姿は全く見えないのに、壁に向かって歌うヴァン・モリソンら。。これは結構勇気のいることかも。届かない世界へ向かって歌うことの意味を突きつけられる。

でも、<壁>は、この前年に消えたんだよね。。。ロジャーも、インタビューで語っていたけど、ゴルバチョフは、ソ連軍のミリタリーオーケストラを貸してくれたのだそう。そして、壁が崩れ去るのを、大歓声で見守る観衆は、西と東の両方の若者なんだね(なんとこの時まだ統一ドイツにはなっていない、、だからロジャーは、最後の挨拶で、「西から、東から、ありがとう」って言う)。

いやはや、、、鳥肌が立ちました。。巨大な壁の上で奏でられるギターソロに、こらえきれずに号泣しました。・・・最後の歌「THE TIDE IS TURNING(流れが変わる時)」で、マリアンヌ・フェイスフルが頬をぬぐっていたけれど、あのとき新しい希望の中で、本当に流れが変わる!と感じていた世界中の人々は、、いったい今、何を答えたらいいんだろうか。

<壁>は崩れた。フセインの像も崩れ去った。。。その後の苛立ちややるせなさを知った今だから、やっとTHE WALLの苦しみが分るのかもしれない。いや、映画よりもずっとずっとこのDVDは、伝えたい事がよく分る(演奏がとにかく素晴らしいんだ)。

 ***
ロジャー・ウォーターズには関係ないけど、、、じつはこのDVDで、とても驚いた事がある。
・・・出演者の中に、ザ・バンドの、ガース・ハドソン、リック・ダンコ、レヴォン・ヘルムがいた事。・・・ロジャーの音楽性とザ・バンドとは繋がりようもないし、この時代の彼らって、本当に落ちる所まで落ちきった状態じゃなかった・・? 旧メンバーのリチャード・マニュエルは86年に自殺した。旧友のブルースハープ奏者ポール・バターフィールドも87年に死んだ。・・・ぼろぼろの連中に、ロジャーは手を差し伸べたかったのかな。
・・・不思議な光景ではあったけど、、、ヴァン・モリソンらと並んで、エンディングを歌うリックは、嬉しそうだった。。。彼もまた、99年に死ぬのだけど。。


唐招提寺展の鬼さん

2005-02-27 | アートにまつわるあれこれ
土曜の明方までレポートはかかったけれど、なんとか終えて、国立近代博物館へ『唐招提寺展』を観に行く。
本当は美術展には平日に行きたいのだけれど、そうはいかない友もいる。
博物館へ着いてみて・・・びっくり・・お仏像が好きな方がこんなにもたくさんいるとは、、、入場券を買う人々の列、、、。
会場内は、夕刻のデパ地下を思わせる混雑でした。すかさず鞄から出してマスクを着用。。

唐招提寺は好きなお寺です。参道から金堂の前へ出た時、どっしりと1200年の歳月をびくともせずに超えてきた姿が眼前一杯にひろがり、ほっと安堵を覚えた事を思い出します。
お仏像は、人に押されながら見るものではないと思うけれど、こんなに間近に接する事が出来るのは本殿から出された時だけなので、大勢の人が見に訪れるのも分る。普段、大仏と観音像の後ろに控えて、暗がりの中でなかなか見えない四天王像を、ぐるっと全周囲から見上げられるのもこんな時だけ。

私が興味をひかれたのは、「隅鬼」、国宝です。。これは金堂の軒下、屋根と壁の境の、組み木になっているところに挟まれて、鬼が座った格好で、その背中一杯に、大きな屋根の重さを支えてがんばっているもの。ほら、肩に地球を抱えてふんばっているアトラス像があるでしょう、あんな風に四隅の軒下でがんばっている「鬼」です。8世紀からがんばって来たから、もうお顔も擦りつぶれてしまっていたけど、この解体修理が終ったら、また軒下に挟まれて、背中で唐招提寺を支えていくのでしょうね。お疲れ様、、よろしくお願いします。。

鑑真和上像のある御影堂には、東山魁夷画伯の「涛声」など、襖絵も展示されていました。この絵は、長野市の「東山魁夷館」にも、試作画が展示されていたので(今はどうかわからないです)、何度か目にしているもの。群青の海の色がうつくしい。。こちらも、できるならまた静寂の中で、その波の声を聞いていたい絵。

表慶館では、「踊るサテュロス」展示も始まっていて(写真)、シチリアの海から現代へ戻って来た森の精「サテュロス」にも逢いたいなあ。会期が短いので、行けるかどうか。。

青銅のサテュロスは、海の中で2300年沈んでいても、その姿は失われずに遺ったけれど、日本の木造の遺産は、ちいさな炎ひとつで消し去ることも出来る。・・・いつもあるあたりまえのお姿で、これからも在りつづけること、、、その貴重さを、ずっとずっと人は忘れないでいられるだろうか、、たまに不安になる。

東京国立博物館
唐招提寺2010プロジェクト(TBS)
信濃美術館・東山魁夷館

ガーベラのような人になりたい

2005-02-24 | …まつわる日もいろいろ
・・・なかなか頑張りのきかない週の終わり。
まだダウンするわけにはいかないのに・・・

  「菫程の小さき人に生まれたし」

と詠んだのは漱石。。。今の私はガーベラになりたい。

ラスベガスをやっつけろ

2005-02-22 | 映画にまつわるあれこれ
>「ラスベガスをやっつけろ」ハンター・トンプソンが自殺したそうです。

紗吏さん、コメントありがとうございます。
映画の原作者で、ジョニー・デップが演じていたジャーナリストの人ですね。私も映画は観ました。

家に『テリー・ギリアム映像大全』(あの映画の監督)という本があって、この中に12ページほど、「ラスベガスをやっつけろ」について書いてあります。あんまり安い本ではないので、映画関係本の多い書店にあったら覗いてみては。少し理解の助けになりそうな事が書かれているみたいです。(Akiwo君の本なので、私はしっかり読んでなくて…)

60年代後半~70年代初頭にかけてのアメリカ文化、特にドラッグカルチャーについては、私もその下の世代なのでうまく理解できないし、、ハンター・トンプソンの事もよく知らないのですが、、いつか、紗吏さんが、、、ブッシュの再選の後でしたか、、「自由をかざした独裁者」というようなことを日記に書かれていましたね、、。60年代カルチャーは、結果とか、やり方とかは、どうであろうと、本当の自由とは、愛とは、平和とは、、ということを一途に模索した時代ではあったと思うのです。その時代の終焉、というのもあったわけで、、、テリー・ギリアム監督は、60年代あたりから英国でモンティ・パイソンの一員として活動し、英国で映画をとり始めました。、、、先の本の中に、「自らに亡命を課した…」という表現がありました。テリー・ギリアムという表現者にとっては、アメリカ的自由というか、アメリカ流自由の<不自由>をずっと感じていた人なのではないでしょうか、、その人が撮った「ラスベガスをやっつけろ」。。
・・・紗吏さんの日記の言葉を思い出して、現在のアメリカの自由、というようなことを思って、、、上のようなことを考えていました。

ジョニー・デップは、ハンター・トンプソンと数日一緒に暮らしたりして、役づくりをしたそうですね。そして、、ジョニーは、テリー・ギリアム作品では、、先頃頓挫した、あの「ロスト・イン・ラマンチャ」に出演しようとしていましたよね。。ギリアムへの共感があったのでしょうね。

『テリー・ギリアム映像大全」の本です>>
ラスベガスをやっつけろ (DVD)>> 

Life of my life

2005-02-16 | …まつわる日もいろいろ
映画の話題で昂ぶった心をすこし鎮めて、、、

   Life of my life, I shall ever try to keep my body pure,
   knowing that thy living touch is upon all my limbs.

   I shall ever try to keep all untruths out from my thoughts,
   knowing that thou art that truth which has kindled the light of reason in my mind.

           (Rabindranath Tagore 'GITANJALI'より)

              * thy = your
              * thou art = you are の意

 ***

新しくなった運転免許証には、平成22年という期日が記されていて、、、その日まで、共にありますように、、と、5年の時間をそっと胸にきざみます。

しつこいほどにテレンス・スタンプ

2005-02-14 | 映画にまつわるあれこれ
『夜空に星のあるように』の中で、
テレンス・スタンプがドノヴァンの「Colours」という歌を、ギターを弾きながら歌っている。
歌詞が字幕で流れる。「イエローは君の髪の色・・・」「ブルーは・・」「グリーンは・・」
ってとても単純な歌詞なんだけど、こんな風に歌われたら、どんなダメ男でも許してしまうよな、、、と思ってしまう美しい場面。

これを胸に焼きつけた後で、ほぼ忘れかけていた『イギリスから来た男』を見ると、本当に驚くんです、テレンス、というか『夜空に~』の彼のためだけに創られた映画だったと気づくわけです。
昨年、ロック・オデッセイで、60才になるロジャー・ダルトリーが、ステージ上で固まったあの表情を見た瞬間に、はるか若き日の『トミー』が蘇った、そういう驚きに近いもの。。。ダブルで観なきゃダメです、痛感です。

で、しつこいけれど、テレンス・スタンプがこれも忘れられない演技をする、『遥か群集を離れて』(写真)
DVDも無く、大きなレンタル屋さんならあるかと思いますが、上下2巻。原作は『ダーバヴィル家のテス』を書いた、トマス・ハーディ。『テス』は、貧しい少女が貴族に求婚されますが、、こちらも、大地主に求婚されながら、身持ちの悪い男の方を選んでしまう女主人公が。。もちろん、テレンス・スタンプは身持ちの悪い方。
この軍曹が、最初はギャグかと思うようなキメキメの、(ばかばかしい?)演技で求愛するわけですが、、ドラマは紆余曲折あって、、、その後、、、女主人公は、サーカス小屋の見世物でこの元軍曹と再会する。・・・サーカス小屋、、、みんなの笑い者、、、これです。これが、とてもとても『プリシラ』の切なさに結びつくのです。総じてテレンス・スタンプは、せつなさびしい。。

トマス・ハーディは運命の車輪の下敷きとなる、人間のどうにもならなさを描いた作家だと思う。それは海風と、荒波に削り取られていく、断崖絶壁みたいな。。。『遥か群集を離れて』の原作もいつか読んでみたいが、、、

20代のテレンスと、60代のテレンス、、どうぞ両方観てみて下さい。お薦めします。

*ドノヴァンの'Colours'が聴けるアルバム
(テレンス・スタンプの歌声は映画の中でどうぞ。ドノヴァンみたいに上手くはないけど私は好き)
>>Troubadour: The Definitive Collection 1964-1976 [BEST OF]

テレンス・スタンプつづき、、

2005-02-13 | 映画にまつわるあれこれ
  Holly came from Miami F-L-A
  Hitchhiked her way across the U.S.A
  Plucked her eyebrows on the way
  Shaved her legs and then he was a she
  She say, Hey babe, take a walk on the wild side...

曲名ももはや必要ありませんわね、、、こういう映画。。

テレンス・スタンプ50代半ばの出演作『プリシラ』
面倒なのでストーリー紹介はリンク先でどうぞ。。見始めて、「誰だっけ? この強烈な爬虫類顔の人・・」と思ったら、あの『ロード・オブ・ザ・リング』&『マトリックス』のヒューゴ・ウィーヴィングでした。「リブの、リブのパパが、、、」(驚愕)。。あとは、ガイ・ピアース、そしてテレンス・スタンプ。

ヒューゴの男らしい女装(!)は非常に強烈。ガイ・ピアースはいかにも、のオカマちゃんキャラ。・・・そして、、テレンスは・・・美しかった・・(放心)・・
ラストシーン近くで、テレンスが決意を固めた時の、、その時のお衣装、そしてお化粧、表情、、、思わずもらい泣きしてしまいそうなほど、いたいけな女の人でした。指とか、憂いをたたえた瞳とか、悔しさを噛みしめる口元とか、、、細部がとても美しかったし、、、お帽子を被って登場の正面アップには、、、思わず「m... ○○ーさんだ・・・」と不覚にも呟いてしまった私だ。(大方の人には意味不明のコメントか・詫)


・・・いつかまた、これ観て、サントラの音楽聴きつつ、、、泣こう。

『プリシラ』DVD (Amazon) >>

蝶コレクターの、あの青年。。

2005-02-12 | 映画にまつわるあれこれ
やっと観た、、『夜空に星のあるように』原題POOR COW(1967)

The Whoの"The Seeker"が爆音で流れるオープニングの『イギリスから来た男』、原題The Limey (1999)で、テレンス・スタンプの格好良さに目覚めたのが2,3年前。この『イギリスから~』の映画の中で、主人公の若き日の映像として使われていたのが、実際にテレンスが若い時に撮影した、『夜空に~』の映像だったのです。恋人にギターを奏でながら歌を聞かせている、幸せな一時代、といった映像。少ししか映らないけれど、若き日のテレンスが素敵で、、観たいなあ、、と思っていたもの。。
まず、『イギリスから~』の話をすると、これはストーリーとは別の一面で、米国60年代VS英国60年代、になっていて、米国代表が、あの『イージーライダー』のピーター・フォンダ、英国代表がテレンス・スタンプなわけです。そのノスタルジーというか、リスペクトというか、監督の思い入れが一杯の作品。。。『夜空に~』を観てからやっと解るのね、、あの若かった青年の、、、その後、、につながるのですね。

テレンス・スタンプと言えば、一番有名なのが『コレクター』原題The Collector / The Butterfly Collector (1965)です。。もともとは、ジョン・ファウルズの小説、19何年の作品だったでしょう…? 50~60年代? 白水社のシリーズで、高校生の時に読みました。衝撃的でした。こんな小説が高校の図書館にあっていいのかと思ったくらい、、でもこの白水社のシリーズで、この後、マンディアルグとかにはまっていったわけです。(暗~い、黴臭いあの書棚の隙間が同時に浮かんできます)

まあとにかく、『夜空に~』のテレンス・スタンプはご覧あれ!(特に英国ファンの人)。39年生まれなので、The Whoの面々よりは少しお兄さん。でも、まるでピート・タウンゼントとポール・ウェラーを足したみたいなモッズキッズの出で立ち。三つ釦ジャケットとか、細身のパンツとかとにかくお似合いで、身体つきが本当に綺麗。だから、60代になっても凄くカッコいいです。映画観ながら、うわぁぁカッコいい!と叫んでばかりで五月蝿いったら(←自分)。。

・・物語は、と言えば、、、いかにも英国ワーカーズクラスの若者(よりもっとヒドいか)、ダメ男に惚れてヤンママになってしまった女の子の物語だから、、、リンクで解説読んでいただければいいかな(余り女の子への同情は無いです、私としては)。・・・愛を求めている気持ちだけが、ドノヴァンの甘い歌声と共にせつなく伝わるけれど、、、。それすら無くちゃ終りだものね。

テレンス・スタンプの、また別の作品については、また書きます。。70年代にはインドで、らりらり三昧になっていたというこの人、、年とってもクレイジーなジイさんだわ。

『コレクター』白水社Uブックス (Amazon)
『夜空に星のあるように』 (DVD)
『イギリスから来た男』 (DVD)

憂の国に行かんとするものはこの門を潜れ

2005-02-09 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
仕事場の近くにある古本屋でまた4冊仕入れ。昔に読んだ本でも、本は手元に置くべき、とこのごろ痛感する。貸衣装みたいなもので、着た、という記憶はあっても、素材も感触ももう思い出せないものばかり。
『寺田寅彦随筆集』など4冊を800円で買う。

帰りに電車の中で読みかける。夏目漱石がとても可愛がった教え子、といういきさつに最近やっと詳しくなるにつけ、互いの親近感が理解できるようになった。その関係は、師と弟子、というより、親友に近い気がする。寺田寅彦の文章には、物理学者という科学者の視点で、感情に溺れず、事物を冷静に見つめながら、そこには人間、生命へのなんとも繊細な優しさがこめられている。

「蓄音機」という随筆。。
蓄音機が発明された今後、自分が望むのは、「あらゆる『自然の音』のレコード」である、といい、それを為政者、経済学者、教育者、労働者、そんな人たちが仕事の合間にこのレコードを親しむようになったら、
  「少なくもそれによって今の世の中がもう少し美しい平和なものになりはしまいか」と書いている。

家に帰って夜、別の本を開いた。これは大正15年の本『エイルヰン』。小説が書かれたのはさらに古く150年前位らしい。漱石が若い時に好んだ本。。その中で、、「男も女ももつと禽鳥(とり)のやうな声を出せば良いのネ 。貴方左様(そう)は思はなくつて?」と語る少女、、、。「では、お前風が好(すき)なの?」と主人公が尋ねると、、

  「風がなくちや、ほんとに嬉しくはなれないの。貴方は? 私風の吹いて居る時、山に駆け上がつて、歌を謳ふのが好なの。左様いふ時が私の一番嬉しい時ヨ 。風がなくちや私長く生きても居られないの」、、と答える。

 ・・・・・寺田は随筆の終りの方で、、
  「私は将来いつかは文明の利器が便利よりもむしろ人類の精神的幸福を第一の目的として発明される時機が到着する事を望みかつ信じる。その手始めとして格好なものの一つは蓄音機であろう」

と書いていた。電車の中でこれを読みながら、、、寺田さん、「自然の音」のレコードもCDも、自然の音や映像がそのまま体験できるDVDも文明は作り出しましたよ、、、ところで、、「人類の精神」は、、、飢える一方のようです。・・・と応えるしかなかった。。寺田は、もし自分の空想が空想でしかないなら、、、人類は
  「再びよぎる事なき門をくぐる事になる」
と締める。この<門>とは、、、。私たちは泣きながら坂道をくだるのだ。。

In World

2005-02-07 | …まつわる日もいろいろ
日曜日、9階のカフェから公園を見下ろしていた。
鳩よりも小さくて、翼の端にちょっとだけ赤い縁が見える鳥が群れをつくり、空に絵を描くように、あちらへ、こちらへ、翔んでいた。鳥よりもさらに高いところから見下ろしていると、その動きは悠々とやわらかい。なにしているんだろうね。餌を探しているんじゃないね。飛行訓練? きっと遊んでるんだね。。

『WATARIDORI』という映画をずっと見てみたいと思っているけれど、あれを見て、この部屋から跳びそうになると困るからまだ見ない。・・・大丈夫、いつでも跳べる場所に生きていると、案外そんなことはしないもの。

   Funny face on my cup
   Watch my bubbling up
   In my world, come and go
   What I want I just don't know
   In my world, come and go
   Seal my fate, ask my soul
   In my world.    (In World / Television)

この歌の中に、「ポーチに出てMint Julepsを啜り…」という歌詞があって、何だろうと調べたら、アメリカ南部のウィスキーとミントのカクテルだそう。ケンタッキーダービーの日にはみんなこれを飲むそうだ。夏のお酒、、、南部のポーチのある家か、、、いいな。夏が来ないかなあ、、、などと、暑さに弱い自分にとっては珍しい事を思い浮かべた。

天使は、止まり木のうえの鴉に似ている。

2005-02-05 | 映画にまつわるあれこれ
この前書いた、古文書館へ行った帰り道、歩道橋の上に大鴉が留まっていた。
そこを渡らなければならなかったから、小声で鴉に話し掛けながら近づいていった。鴉は近くで見るととても大きい、そして美しい。宝石みたいな瞳でこちらをじっと見ながら、明るい鳴き声を上げていた。たぶん、威嚇とは違う声。。あの鴉は、誰の化身だったのかしら…。

 ***
ゴシック文学、と言えば、教会のような高い尖塔を持つ、幽霊屋敷のようなお城と、数奇な運命にとらわれた主人公、幽閉されるお姫さまや、死者の蘇りとか、、、が付き物だけれど、、
ゴシック映画でわかりやすい特徴と言えば、黒ずくめの衣装(特に長いコート)、主人公(男の場合)は無造作なロングヘア、そして背景はけっして晴れることのない(或いは雨ばかり降っている)ダークな画面、、、。こういうのが、、、なぜだか好き。

写真は、『アンダーワールド』。公開前から、いかにもゴシック!の映像がカッコ良くて、とりわけ、この女の子、ファンタジーゲームのCGから抜け出てきたようなスタイルと黒髪が素敵で、レンタルになったら絶対見よう、と思っていたのですが、、、
女の子は素敵だった!アクションも立派。そして、過去に愛する人を失った傷を持つ狼男も素敵。。。だけどいかんせん脚本が、、ねぇ。。映像は、たぶん撮影した上にCGで加工しているのでしょう、全体が青みがかったダークトーンで統一されていて、まっこと綺麗! だからねぇ、脚本が。。本当にあの映像のままつくり直したいくらい。

・・・一方・・・全く期待もせず見て、映像的には『アンダーワールド』の足元にも及ばず、お城も、悪天候も無し、だけれど、大傑作(大爆笑?)だったのが『ゴッド・アーミー/悪の天使』。(もうタイトルが死んでるわよねぇ、などと言いつつ)、キャストがC・ウォーケンだったので、まぁ見てみようか、程度の気持ちで。ウォーケンがゴシック、と言えばアノ首なし騎士の伝説で、牙付けて剣を振り回してた姿ですから、、あんなもんかな、と。

C・ウォーケンは・・天使、でした。とんでもない天使。
「天使の軍隊を知っているか?」・・・ハイ、知ってます、ついこの間、ミルトンの『失楽園』を読んだばかりだもん(ほんの一部だけどね)、、、。アダムとイヴが楽園を追放される時にも、武器を持った天使の軍隊が追ってくるのよね、、天使と言えば、森永のエンジェルマークみたいな天使ばかりではないのです。

なんでも神が天使よりも人間を愛したことに腹を立てた天使どもが、天上界で戦争を起こした。で、人間界の悪い魂を天使の軍隊に利用しようとする<悪い天使>と、それを人間に忠告しようと降りてきた<いい天使>と、、、とまあ、そんな話なんだけど。。主人公は、かつて司祭をめざし、神を一瞬疑ったことから、刑事に転向した男。なぜ、刑事・・?(でもいかにも司祭顔)
良い天使役が、ちょっとアクセル・ローズ似で(鉢巻はしてません。鉢巻してない時のアクセルは本当に美形!)、そして、悪い天使の使者役が、、、どう見てもオジー・オズボーン!(あのモグラ眼鏡なの)。。
で、、C・ウォーケン、、、悪い天使の使者オジーがヤラレちゃった事に業を煮やして降りてきた親玉、、なんだけど、<天使の軍勢>って何処にいるのさぁ、、、全然出てこない、登場天使、たったこれだけ?!

この映画で私はたくさん天使のこと、覚えました。
 ひとつ、天使は運転ができない。
 ひとつ、天使は人づかいが荒い。態度がデカイ。
 ひとつ、天使は犬みたいにクンクンして、人の在りかを知る。
 ひとつ、天使はドライブ・インで朝ごはんを食べる。
 ひとつ、天使は<天使座り>が好き。

C・ウォーケン、髪型が、ヘンです。なんか、30年前から洋品店に置かれっぱなしになってるマネキンみたい(笑)。。で、<天使座り>したままヒトをコキ使う。。でも、ウォーケンにしても、アクセル(似)にしても、司祭刑事にしても、キャストは最高でした。・・加えて!・・地獄へ落とされた堕天使ルシファーにはヴィゴ・モーテンセン! あのアラゴルンの風貌。この堕天使がとってもキュートなの。ひとり地獄へ落とされたから、なんか人間好きみたいだし、妙に淋しがりや。薔薇の花びらをぷち、ぷち、ってむしって、残った芯をパクって食べちゃう。

ウォーケンVSヴィゴの天使対決、なんて豪華キャストなんでしょう! ちなみにこの『ゴッド・アーミー』は、3作まで作られたそうな。でも、全部に出てるのはC・ウォーケンのみ。・・仕事選ばない人だわ、お見事。。

『アンダーワールド』EXTENDED EDITIONが出たそうです。(Amazon)>>
『ゴッド・アーミー/悪の天使』 (allcinema online)>>

街・・・

2005-02-03 | …まつわる日もいろいろ
先日お休みの日に、120年ほど前の本を調べに、初めての街へ行った。
初めての街でも、ふっとその街の空気みたいなものがわかる。ゆるやかなアップダウンのある地形の、とても閑静な、日々の暮らしのある場所。

この10年余り、その時、その時、自分に場違いと感じない場所を選んで暮らしてきたと思う。阿佐ヶ谷~吉祥寺あたりの中央線文化圏が自分には一番似合っているような気もする時もあったが、、、でも実際は暮らした事は無い。先日の、古文書館のあった、戸建ての家が並ぶ静かな街も、今の私には合わない。

そして、、また電車で都心へ帰ってきた。
用事があったので新宿の街を歩く。。都会暮らしも長いので、ホームレスの人たちを見ることにも慣れたけれど、この日、私の眼の前にあった光景は、、驚きや、憐れみや、恐怖や、嫌悪や、怒りや、そんな感情に捕らわれるのを飛び越して、ただ、ただ悲しかった。・・・今、写真展をやっているアラーキーは、「新宿には、彼岸と此岸がある」と語っていた。西新宿が彼岸、東新宿の雑踏が此岸、という意味なのだけれど、ここには地獄もある、と思った。あるいは、これが、煉獄というのか。。
昨年、『神曲展』を観た時、ドレの描く「地獄篇」では、地に逆さに埋められた者、血の海で溺れる者、汚物に浸けられた者、そんな絵が次々と胸を突き刺した。ふとその画のことを思った。人が、人であることを保っているとは、、それを支えているものとは、何だろう。
それでも、人目を避けて何処かへ行くわけでは無い。この東京で最も多くの人が行き交う所に居たいと思うのは、人目が必要だから?

あまりに悲しかったので、きょうは、仕事の前に、好きな公園を歩いてみた。ここにも、ホームレスの人は居る。だけど、木立に囲まれて、陽だまりの草の上で眠っている光景は、、そんなに悲しくないから。

  「先達と私は明るい世界へ戻るために
   この隠れた暗い道にはいった」  

  「そこを通って私たちは外へ出、 ふたたび空の星を仰いだ」
                         (地獄篇第34歌)

  「愛を誘う美しい明星が
   東の空にきらきらと満面の笑みを浮かべ
   後に従う双魚宮の星の光をおおっていた」  (煉獄篇第1歌)

Samuel Taylor Coleridge

2005-02-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
この人の本を検索しようとすると、ちょっと困る事がある。
<コールリッジ><コウルリッジ><コウルリヂ><コールリッヂ>などなど、色んな表記があるから。。これで、検索洩れして、気づかなかった本もあり、、、。かと言って英文表記にされても、スペル判らない時いっぱいあるし、、、。

コールリッジなど今は誰も読む人はいないかと思ったら、岩波文庫では最近の対訳詩集があるのですね。幻想怪奇な詩は、今読んでも魅力的。またロマン派復活の兆しもあるのかしら。。ただ、、、この文庫には、、「クリスタベル」の第一部しか載ってないということなのかしらん・・? 第二部も面白いのに、、。

・・・と、本について書きたいこともあれど、、学業に少しでも関わる事は書けない。…というのも、最近はネット上の文章を拾ってレポートなど作成する人もあり、今は自分も情報提供になるような事は一切書けない。。。というわけで、私は、ホントはRockばかり聴いているわけではないのですぅ。。(は、ぁ、、、もう少し英文読解が早く出来るようになりたいなぁxxx)
今年のマイブームは、≪ゴジック≫、、、先日、とんでもない堕天使の出てくる映画(私的には大ヒット)を見ましたが、それはまた。

コウルリッジ詩集―対訳 岩波文庫>>