星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

3月の終わり…

2019-03-31 | …まつわる日もいろいろ
明日から4月ですね… 大事な発表も明日 あるそうですし。。


… 21日に東京ドームでマリナーズの試合を見ていた時、、 ドーム内では引退の情報が全く無くて、、 (スマホのニュースで皆、知ったみたい) 私はほぼ最後の打席まで知りませんでした。。 でも、 2打席くらいで選手交代が無い様子から (あぁ これで見納めなんだな…)と思って…

でも、 最後の打席はもう 打って欲しいとか 出塁して欲しいとか そんな気持ちよりも、 もう ただただ感謝… 
最後の最後まで、 試合開始前には いつもと同じように普通に打撃練習して(すごい音の柵越えバッティングがスマホの映像に残ってます)、 ライトの位置で捕球練習して、 走塁して、、 シアトルでの試合前とまったく変わらない姿を 一度でも目に焼き付けられただけで幸せだったし、、  

帰り道、、 「終わったね…」 って。。

、、 イチローさんの事じゃなくて、 ひとつの時代が、、


 ***




28日、 TYMSのために武道館に遠くからのお友だちが集まって、、 (私は武道館不参加でしたが) 翌日、 ストーンズ展を見に行くお姐さまと 久しぶりのランチでお喋り出来ました。

裕也さんのことや、 Chaboさん  Charさん、 鮎川さん、、 いっぱいいろんな事お喋りして楽しかった…


上のフォトは 1979年の雑誌。 当時 私も大好きだったリン・ゴールドスミスが撮った ストーンズの 1978年アナハイム公演のフォトに、 内田裕也さんが文章と写真のキャプションを付けてる、、 これが面白くて…

、、 今、 検索して知ったんだけど、 7月24日の公演には ボビー・キーズとニッキー・ホプキンスも出ていたのね >>universal music


 ***


3月の終わり…


足早過ぎる春は、、  私に準備の時間をくれない優しさで…  花はもう満開。。



せめて、、

だいじな だいじな 贈り物である玉手箱を開ける時と場所だけは、、 自分の納得する状態を選びたい… 、、 花が咲くのか、 白い煙に包まれるのか、 予想もつかないけれど、、 その玉手箱の中の《空気》と《景色》を自分なりに感じたい… 
、、そんな ワガママな私に、 春はまだチャンスを残してくれるかどうか わからないけれど、、


明日から 4月。


… Start me up …
   

ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 第668回 定期演奏会@サントリーホール

2019-03-26 | LIVEにまつわるあれこれ
楽しかった~~♪

… というより 緊張した~~(後半)、、 一時間 緊張と謹聴の糸が張り詰め通し、 呼吸さえ我慢しそうな時間でした。。 いや~ 素晴しかったです! 東響さんとウルバンスキさん、 二年間の期待を裏切らないです。。


クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 2019.3.25 サントリーホール 
 
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219 「トルコ風」
アンコール:プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリンソナタ 二長調作品115 第二楽章から
ヴァイオリン ヴェロニカ・エーベルレ

ショスタコーヴィチ:交響曲 第4番 ハ短調 op.43


 ***

いつものとおり クラシックの専門的なことは何にもわからないので、 感想だけ…

前半のヴェロニカさんのモーツァルトは、 とても端正な知的な演奏に感じました。 そして、 東響さんの弦の音色がふわっと加わった時のまた美しいこと、、 東響さんの弦、、 こんなに素晴らしかったとは…

また、 コンサートマスターの グレブ・ニキティンさんという方だそうですが(>>東響 プロフィール) ニキティンさんのソロパートもまた素晴らしかった…  自分がP席だったので、 ソリストのヴァイオリンを聴くには向かない席だったかもしれないですが、 ニキティンさんのヴァイオリン、、 好きかも… 

そして ウルバンスキ氏、、 いつものように滑らかに優雅に、 ヴェロニカさんとオーケストラの弦の音色を ふわっと花束を抱くように両手で包み込んでみたり(←指揮の仕草の話です)、、 ヴェロニカさんのソロパートでは 指揮棒を振らず 彼女のほうを向いて手を顎にあててたか、胸にあててたか、、うっとりとその音色を堪能する微笑みの表情で立ち…  …その姿勢、やめてくださらないかしら、、 立ち姿があまりに美しいのでついウルバンスキ氏に見とれて かえって演奏が入ってこないんですけど…
(スミマセン…)

 ***

後半の ショスタコーヴィッチ4番…
、、 付け焼刃ながら 数種類の演奏で予習して臨みました。 最大人数を要する楽曲だということ、 政治的事情から25年間演奏することが出来なかった曲だということ、 演奏がとっても難しい楽曲だということ、、 初演の指揮をしたコンドラシンの演奏も聴いて行きました…

交響曲第4番 (ショスタコーヴィチ) Wiki>>

以前にも書きましたが ウルバンスキ氏が この曲を演奏するにあたってのコメント動画も…(これは今回の為のものではありませんが)
Music Notes - Shostakovich 4

↑このコメントの中に ウルバンスキ氏の思いが端的に表現されているように思います。 政治的圧力によって25年間封印されていた楽曲が、 現在では誰もが聴くことができ、 様々な国で広く演奏されているという喜び… そして この「emotional and astounding music」を みなさんとシェア出来る幸せ…

magnificent という言葉も使っていらっしゃいましたが、 本当に壮大で驚異的で、、 非常にひじょうにオーケストラの能力を最大限に発揮することが求められるような 最初から最後のさいごの 音が小さくなって消えていって、、 すべてがしん、と鎮まるまで、、 もう(こちらが)緊張しっぱなしのすごい濃密な時間でした。

演奏をシェアできた喜びは、、 その場ではそんな余裕は全然なくて、 ひと晩たって あぁ、昨日のはすごかったなぁ… とやっと喜びに浸れる状態です。

ウルバンスキ氏の指揮は本当に明確で緻密。。 この曲はものすごく幅広く各パートの際立つ部分が大量にあるのですが、 指揮棒と指先でぴっ、ぴっ、と 実に明快に指示を出す。。 だから 素人の私にもどこのパートさんが見どころなのかすぐにわかる… けど、 それが一瞬一音でもズレたらおおごとになりそうな緊張度の楽曲なので もう緊張して緊張して… 

東響さんとウルバンスキさんが一緒にどのくらいリハ期間があるのかわかりませんが、 こんな難しい曲を仕上げて 本番で失敗なく自分のベストを出せるって凄すぎてどーかなっちゃわないのかしら…と 余計な心配までして、、 もう終わったあと、、 だーーーーっと溜息をつきながら 「ぴっ、ぴっ、と指揮棒で当てられるのが まるで卒業試験みたいに緊張するね」と… 

ファゴットさん素晴らしかった~~ 東響の木管さんがすばらしいのは ノットさんの時も思いましたが、 今回はファゴットさん! 
そして 弦もコントラバスがびしっと決まってて、、 あと パーカッション陣、、 ウル氏の指差しと絶妙のタイミングのシンバル、、 それから2台のティンパニー

ピアニッシモになっていっても弦とパーカッションも見事に音が明確で、、 最後の最後まですばらしかったなぁ…


、、 思ったんですけど、 ウルバンスキ氏はもしかしたら 鉄道マニアの人が時刻表を読み解くように、 この難易度の高い驚異の曲も、 大量のパート譜を見ながら ここでこうきて、あの楽器とこの楽器が… という感じに楽譜を読み解く事が大好きなんじゃないかと、、 だからいつも暗譜で指揮できるくらい 頭の中には立体的に全部はいっているんでしょうし、 今回も譜面はめくってましたけど 全然下は見てなかったし、、 さっきのコメントでの 「emotional」な部分は そういう楽器と譜面との立体構造の複雑さの中にエモーショナルな美しさを感じられる人なのではないかと思いましたです…

こんなに難しいものを見せて(魅せて)しまって、 次はウルバンスキ氏にどんな曲を期待しましょうか… 次の来日まで とうぶんありそうだけれど、 また是非見てみたいです。

 ***








思いがけなく アークヒルズ付近の夜桜が楽しめました。


桜、、 一気に咲き始めてもうすぐ満開ですね。。


九段下の桜も、、 美しいでしょうね。。 桜満開の武道館…  あさってたくさんのお友だちが武道館に集結する予定です。。 でも、、 理由あってわたしは今回は見合わせました、、  うつくしい桜が見れますように。。  素敵な音が溢れますように。。


今年は ほんとうにたくさんのコンサートに行けて幸せです。 音楽が魂にくれるエネルギー、、 今年は毎月、 毎月、、 そうやってエネルギー補給をいっぱいもらって、、 気がついたらもう秋? 、、もう年末? …なんてことに、、 なってもいいよ、 って思っています。 それはそれですごい幸せ。


そうできるように…  元気で

… いっぱい幸せな音楽がシェアできますように …

今日も… (追記)

2019-03-22 | …まつわる日もいろいろ
今日を積み重ねて 生きていく…







… 定位置で …






東京ドームからの帰り道、、 青い月が満ちていました。。


この年月…  

生きること…  毎日を ただ毎日を…



… 感謝しか ありません




 ***


追記


座席51番 … これは捨てられないっしょ!




目眩む季節に…

2019-03-18 | …まつわる日もいろいろ
めまぐるしい一週間の始まりです。  


 …今週一週間が終わる時、 なにかが大きく変わっているのでしょう、、 なにかが、 どころではなく あれも、 これも…  たぶん…

、、桜も開花しているのかもしれませんね


 ***

先週中には 久しぶりに救急外来に運ばれるというヘマをしました。。 
めまぐるしい… とは 「目紛しい」と書くようで、、 体調もめまぐるしく、、 いえ 紛らわしいとでも言いましょうか… CTまで撮ってもらって、、 でも なんだかよく判らず…  思いがけない健康診断をしてもらったと思えばよいのでしょうか…


昔から春は苦手で まだ花の季節への身体の対応が出来てません、、 年々 身体の対応力が遅くなっていきますぅぅ…


そのかわり 夜が明けるのが急速に早くなって、 明けの明星を眺めるのも 日に日にむずかしくなってきました。。 これからは朝陽が差し込む中での 朝ヨガになっていきます、、 体調をととのえるにはヨガ(らしきもの、ですが)が一番。。

 ***

先週の『冬の旅』の読書のあとには、 今度はどんな本を精読しましょうか… でも この1,2カ月のあいだに読んだミステリーも何冊もあって、 その感想もなにも書いてないし… 

でも 今週はMLB開幕戦みなきゃいけないし、、 東京ドーム行かなきゃいけないし、、 あぁ すべての調子が早く戻って欲しい、、 (いろんな意味で…)

 ***




公開直後のお休みに 映画『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』観に行って来ました。

いろんな方のインタビューで構成されているミック・ロンソンの人生と功績。。 インタビュー映像の多くは 今までにいろんなかたちで見た事があるものが多かったし、、 ロンソンの残した功績の数々は、、 映画であらためて見るまでもなく、 いろんなミュージシャンの音楽、 いろんなCDの形となって 私の周りにたくさん残ってくれている…

でも あの白いシャツには どうしても逢いに行かなくちゃ… と思ったのね。


袖まくりしたロンソンは そこにはいなかったけど…


逢えました…



一週間、、  元気出して がんばるーーー 

Winterreise『冬の旅』:第二十四章「ライアーまわし」Der Leiermann

2019-03-15 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


『冬の旅』の最後の歌は 「ライアーまわし」 とイアン・ボストリッジさんの著書の翻訳では書かれています。 Der Leiermann はそのままだと「ライアーマン」になりますし、 英語に訳すと「The hurdy-gurdy man」になります。

ボストリッジさんのCDや、 「冬の旅」のウィキでは「辻音楽師」となっているので、 こちらのタイトルの方が一般的なのだと思いますが、 私には「ライアーマン」とか「ハーディ・ガーディ・マン」の方がしっくりします、、 理由は… 以下でそれとなく…

 ***

最後の歌だけは ボストリッジさんの本文を読む前に(解説に影響されないように) 先に詩と曲を何度か聴いて 自分のイメージ、 この旅人の結末について、 考えておきました。

曲は、、 淋しい曲です。
旅人は夜更けに とある村はずれに着きます。 村の隅っこに独り立っている盲目の老人「辻音楽師」=ライアーマン(ハーディ・ガーディ・マン) 氷の道に裸足で、 誰も聴く人もなく、 老人の前の皿は空っぽ…

ライアーとは 手回しオルガンというか、 手回しヴァイオリンという感じでしょうか、、
ハーディ・ガーディ >>Wiki

hurdy gurdy で検索すれば音色が聴ける動画も沢山あります。 hurdy gurdy と Der Leiermann で調べれば シューベルトのこの曲をハーディ・ガーディの演奏で歌ったものもあります。

相当古くからある楽器のようで、 バグパイプに少し似たようなその音色は耳にしたことがある人も多いかと思います。 手回しで弦を鳴らす (悪く言えば)ガーガーキーキーという感じの少し淋しい音色、、 明るく弾くこともできるのでしょうけれど、、 この最後の曲でピアノのたどたどしい音色がハーディ・ガーディの音色を模倣しているのを聴くと、 この老人が奏でる音色は疲れ切って 手もかじかんでやっと やっと一廻し、 また一廻し… といった感じです、、

 ***

… 気づいた事があります。
これまで、 ピアノの伴奏は 旅人の行動や気持ちの情景描写をしてきました。 風であったり、 木の葉であったり、 犬が吠えたり、 風見が廻ったり、、 或は 旅人の気持ちの明暗を表現したり、、

この 最後の曲で、 初めて「音楽」が流れているんです。 それがハーディ・ガーディの音色。
ここでも ハーディ・ガーディ弾きの老人のまわりで犬が唸り声を上げたりしているけれど、 そういう表現は何も無くて、 流れているのはハーディ・ガーディの音色だけ…

そして 旅人は、 「奇妙な老人、 お前と一緒に行こうか?」と。。
 Willst zu meinen Liedern
 deine Leier dreh’n?

… うまく訳せないのですが、 「私の歌でお前のハーディ・ガーディを廻したいか?」というのが直訳で、 英語だと 「When I sing my songs, will you play your hurdy-gurdy too?」となるようです。
、、つまり ここで奏でられているのはハーディ・ガーディの音色で、 そして旅人のこういう呟きがボストリッジさんの歌声になってその伴奏に乗っているということは、 すでに旅人の言葉がハーディ・ガーディの歌になっている(一緒に歌っている)ということになるのか、と…

第22章の「勇気」で 心が嘆くとき、 明るく歌おう! と、 初めて「歌う」という言葉が出てきました。 そして、 最後に旅人はハーディ・ガーディ弾きに出会って、 本当に歌っているのかな、と…

 ***

ボストリッジさんがこの第24章で書かれていることは、 いろいろネタばれになってしまうので あまり触れないでおきます。。 シューベルトが作曲家として社会的に(経済的にも)どういう立場だったか、、 また、 ここに登場する辻音楽師のような人たちの社会的立場、など、、

それから、 この最後の曲を歌うときにご自身が考えること、、


、、 旅人が一番最初に 眠る女性を残して家を出ていく時、 私が思い浮かべたのが ディランの「いつもの朝に One Too Many Mornings」でしたが、、 ボストリッジさんは 最後にディランの歌を挙げています。
(…と書いただけで わかる人にはわかってしまうのでしょう…)

、、 ボストリッジさん まったくその通りです。。 もう一度、 その歌と歌詞、、 あらためて聴き直してみました。。 凄いです、、 ディランて本当にすごいです。。
この第24曲にとどまらず、 これまでの旅人のことも含めて、、 あっ! と感じる詩の言葉を拾い上げていて、 しかもそれが見事な韻を踏みながら ディランの詩に組み込まれてる、、 ほんと すごいなぁ… 
そして、 ディランのずっとやっている「ネヴァー・エンディング・ツアー」は ディランなりの辻音楽師としてのあり方、生き方なんだと、、 そう思います。


でも、 もう一つ(私的に)、 ボストリッジさんは書かれていないけれど、 この章を読みながらずっと私の頭に流れていた曲があったのです、、 それは「ピアノマン」。  
この歌は この旅人とハーディ・ガーディ弾きへの願望もかなり混じっていますけど、、 この旅の最後は、、(旅人と老人の最後の風景は)「ピアノマン」みたいだったらいいな、、と。 
旅人と老人が連れ立って、 凍えた老人の肩を抱いて、 村の安酒場に連れていってあげるんです、、 そうして歌を歌い始めると、 ピアノマンの歌詞みたいに、 俺のことを歌ってくれ、、 俺も、 俺も、、 といろんな人が自分の身の上と重なる歌を聴きたがる… 

だって、、 誰しも 自分の心が胸の中で語っていることを 誰かに歌にしてもらいたいはずだもの…

自分の境遇と重なる歌だからこそ、、 何度でも何度でも聴いてなにかしら力を貰いたいのだもの



旅人が最後にハーディ・ガーディ弾きに眼を留めたのも、 その物悲しい音色が自分のいまの様に重なり、 心の言葉とハーディ・ガーディの音色が重なったからでしょう…?


 ***

旅人は最後に 「歌」をみつけました。 そして「友」も…

旅人と老いたハーディ・ガーディ弾きが 連れ立って行く後ろ姿は、、 なんとなくベケットの「ゴドーを待ちながら」に出てくる、 なぜか離れられない二人組の姿にも似ています。。

Billy Joel の 「Piano Man」は、 酒場のピアノ弾きが その場のいろんな人の身の上を歌にするものですが、 その中にこういう歌詞があります

 Yes, they're sharing a drink they call loneliness
 But it's better than drinkin' alone

、、 そう、 独りで呑むよりはまし…

Billy Joel - Piano Man (Video)



シューベルトも お酒を飲んで歌ったりするピアノマン、 だったそうです。。

Winterreise『冬の旅』:第二十三章「幻の太陽」Die Nebensonnen

2019-03-12 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)

 (↑写真は本章のタイトルの《幻日》ではありません)

ドイツ語の「Nebensonnen」 日本語では《幻日》とか《sun dog》という呼び方をされているそうですが、 私は全然知りませんでした。 こちら↓のウィキに載っているような 本当に3つの太陽が並んでいるような現象は見たこともないですし、 テレビのお天気ニュースなどでも聞いた覚えがありません… 

https://en.wikipedia.org/wiki/Sun_dog

旅人はいま 3つの太陽を見つめています。 朝なのでしょうか… 夕方なのでしょうか…

ボストリッジさんは「幻日現象」について詳しく解説し、 その現象を伝える古い文献など引用しつつ、 18世紀~19世紀と 科学的にどのようにこの不思議な現象を解明していったか、 という点から話を進めています。

どうやら、 Horizon(地平線・水平線)に近い付近の大気中の氷の結晶を太陽光が通過して起こるようなので、 旅人は地平線近くに並んだ 3つの太陽と向かい合っているようです。


この詩、この歌曲の意味を理解するのはとてもむずかしい事に思えますし、 確かな答えも無いような気がします、、 3つの太陽が何を意味しているのか、 旅人が今 太陽にどんな思いを込めているのか、、
歌曲を聴く人 詩を読む人 それぞれが それぞれに考え 想像してみるしか、 解釈の答えは無いように思います。。

 ***

旅人はじっと3つの太陽を見つめ、 「つい先日までは私にも3つの太陽があった」 … 「今はその最良の二つは沈んだ」 と言います (わたしの直訳です)

… 科学的に捉えれば 夕暮れ時なのでしょう… 地平線上に見えていた3つの太陽は なんらかの水蒸気のバランスがこわれて 《幻日》の2つが先に消えてしまい、 夕陽ひとつが残った、、ということになります。

 Ging nur die dritt’ erst hinterdrein! = 三番目も後を追えばよいものを!
 Im Dunkeln wird mir wohler sein.  = 暗闇の中がむしろ私は快いのだ

これが詩の最後の部分ですが、 ここからも旅人が立っているのは夕暮れ時の地平線上で これから沈んでいこうとしている夕陽を見つめている と想像されます。 
では… つい先日まで自分にもあった《3つの太陽》 そのうちの《最良の2つ》 とは…?

ボストリッジさんが幻日現象の長い解説のあとに ほんの短く触れているこれらの意味。。
 (え?! そうなの? そういう意味なの…?) と、私には想像外でちょっと吃驚しましたし、、 日本語のウィキに書かれている「三つの太陽」の説明にはまた全く違う解釈が載っています(>>https://ja.wikipedia.org/

「つい先日まで…」自分に有り、 失ってしまったもの… それを考えると あの女性に関わる事と考えるのは尤もな事に思えます。 女性のすがたを具象化したものかもしれないし、 太陽と幻日とは光の円でつながることが多いようなので、 自分と女性のいる家… 今までの詩の中でも旅人が何度か口にした《安らぎ》のある場所… そういうものかもしれないし、、

もっと野心的に考えて、、 かつて輝かしい未来として自分が描いていた《希望》だとか《名声》だとか《財産》だとか… (風見のある家=女性の家は名家のようでした) 結局は手にしなかったもの、 幻に終わった野望、、 そういうものかもしれないし、、


ただ… 音楽はとても静かな 美しい音楽です。 「つい先日まで…」のところで ちょっとマイナーな旋律に変わりますが、 最初と 最後は とても心静かにゆっくりと沈んでいく夕陽と向き合っている旅人の姿を感じます。 失ってしまったもの、 幻と消えてしまったものに対する 心の乱れはもう 旅人にはないような気がします。 「暗闇がむしろ快い」というのも、 これまで凍えながら一晩中歩きつづけたり、 疲れ切って「鬼火」が導く地獄への道を辿ったり、 「惑わし」の家庭の灯りに心乱されたり、、 いろんな夜を過ごしてきました、、
 
、、でも、、 もうおそらく 旅人は夜を怖れず向き合える強さ… つよさとまで言っていいかどうか判りません、、 心の平静さ…かな、、 そういう平静さの中に今はいるように思えます。。

 ***


… こうしてみると 長い旅でした。

短い詩、、 短い歌が いままでで23曲みてきたわけですが、、 大きなドラマがありました。。 
旅人… 最初は旅人ではなかったですね、、 女性の家を出た青年…  彼の心にも大きな変化がありました。。

、、 最初 泣きながら凍った川面に女性の名を石で削っていた頃には 自分の涙に溺れて 自分で自分を可哀想がって あぁロマン派の青年だゎ… と思いましたが、、 今になってみると、 ひとときのロマン派の青春 と言うより、 ちゃんと荒野に踏み出した人生の旅であったと、、 そう思えます。。 


まだ旅はつづくのですけど…


あと一章を残すのみです、、
 

Winterreise『冬の旅』:第二十二章「勇気」Mut

2019-03-11 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


この第22曲「勇気」は、 前回の「宿屋」すなわち墓所を歌った第21曲の讃美歌のような美しさから一転して、 いささか滑稽なほど明るい曲です。 軍隊風のきびきびしたピアノは高らかに、 歌声も堂々と声を張り上げて… 題名が 「勇気」 ですから、、

特に 詩の最後の

 Will kein Gott auf Erden sein, = 地上に神がいないのなら
 sind wir selber Götter!  = 我々は自身それぞれが神々である!

、、という感嘆符つきの宣言などをこの軍隊風メロディの中で聴くと、 「神は死んだ!」のニーチェの超人を思い浮かべてしまうのも当然のことかと… (ただしニーチェが出てくるのは シューベルトの半世紀後のことですが) 、、ボストリッジさんも 章の始めに ニーチェを取り上げていますし、、

… でも、 この軍隊風「勇気」の意気揚々さはあまりにもそらぞらしいことは多分誰の耳にもわかるような気がします。 詩を書いたミュラー自身の思いは本当に高らかに勇気を詠み上げたと仮定しても、 シューベルトのこの曲には 少し無理をした 空威張りの勇気を感じます。 前曲の荘厳さと、 次の「幻の太陽」の静謐さに挟まれたことで尚のこと、 滑稽なような 場違いなような、 そんな感じがするのです。。

 ***

ボストリッジさんは、 シューベルトの時代の宗教観がどのように微妙な状況にあったかということ、 そして シューベルト自身がどのような宗教観をもっていたか、、  また シューベルトが作曲した作品の中にどのような宗教的な音楽があり、 それらから「神」をどのようにとらえたらよいか 詳しく考察をされています。 そのことはやはり、 詩の最後の 「我々自身が神」 という詩句のせいでしょう…

それから、 この歌曲を考えるうえで重要なふたつの事実を指摘しています。 それは ウィキなどでも判ることなので書いておいても良いでしょう、、 
ひとつは この「勇気」は ミュラーの詩では 第23番目(最後から二番目)の詩であったこと。 シューベルトはその順序を変えて、 先に書いたように 讃美歌のような前曲と次曲のあいだに この短い勇ましい曲を置いたこと。
もうひとつは、 ミュラーの詩の題「勇気」= Mut! には「!」感嘆符がついていたのを、 シューベルトは感嘆符無しにしていること。 ・・・だそうです

 ***

私も 最初に詩を読んだときには 「地上に神がいないのなら、 我々自身が神」、、 という最後の部分に強い印象を受けました、、

、、でも 楽曲を聴きながら詩を読んでいて 次に引っかかってきたのは 詩の三、四行目

 Wenn mein Herz im Busen spricht, = 私の心が胸の中で話しかける時
 sing’ ich hell und munter. = 明るく陽気に歌うのだ

という部分の 「心」でした。 

この曲は 短調と長調が一行ごとに交互にあらわれます。 
 雪が顔にかかるなら(短調)→ 払いのけてやる(長調)
 心が話すなら → 明るく歌おう

 それ(心の言う事)を聴くな → そんな耳は持たない
 それ(心)の不平など感じない → 不平は愚か者のもの

つまり、、 この曲でとても重要なのは 旅人が自分の「心」を 一つ一つ自分で反転(逆転)させながら 一歩一歩あゆんでいる、、 という事なのです。。 この当時、、 「心」が胸のなかにあるのか、 頭のなかにあるのか、 旅人がどう考えていたのかはわかりませんが、、 「心が胸のなかで言うこと」は おそらく「勇気=Mut」とは反対のものなのでしょう… 「心」が つい引き込まれてしまいそうな弱さ、 つい感じてしまいそうな哀しみ、 つい請い願ってしまいそうな助け、、 
、、 この歌はそれらと闘っている歌なのでしょう…

最初に強い印象を受けた 「地上の神」についても、
前の曲の墓所で、 疲れ切った旅人は 墓での眠りには永遠の安らぎがあるかもしれないと、 疲労と弱さからふとそう思っていました。 けれども墓所での眠りは拒まれたのです、 墓所は今は全部塞がっている(お前の居場所はない)と。。 そこには「神」はいなかったのです、、 

そして旅人はふたたび歩く決意をしました。 

この荒野の旅の途上に 神がいないのなら、、
ひとつひとつ 自分の「心」と対話して、 ひとつひとつ 自分の「心」が折れそうになるのを支えて、 顔を上げて、 前を向いて、 そうやって今は自分自身が「神」の代わりをつとめて歩きつづけて行かなければ… この地上にいるあいだは…。 そう考えたのでは…?


、、 それが 旅人のささやかな 「勇気」

、、 感嘆符のつかない 「勇気」



そんな風に わたしは想像してみましたが…。。

 *** 


、、 「心」はいつでもままならないものです…

本当に強かったら 「勇気」は要らないし…



なんだか みんな みんな 地上の「旅人」に思えてきました、、 この『冬の旅』の。。


、、 今日は 3・11 です。



… 祈りと そして ささやかな勇気を …

ドイル in NYC

2019-03-10 | MUSICにまつわるあれこれ
Doyle Bramhall Ⅱ の新譜 Shades の中に 'London to Tokyo' という歌がありますが、その予告通り、 来月クラプトンさんと来ますね~♪ 武道館5days...

...クラプトンさん@武道館は スティーヴ・ウィンウッドさんと一緒の時に観ているので どうしようかなぁ~、、と迷ったのですが、、(もし見るなら絶対ドイル側で見たいし) 
でも 買いましたよ、チケット♪ しっかりドイル側(の筈…位置変わってなければ) チケ高いよぉ…

 ***

一昨日の Love Rocks NYC という、難病など困難な闘病をしている方へ食事を届ける活動に対するチャリティーライブ。 セットリストなど挙がってきました、Jambaseさんのサイトに⤵
https://www.jambase.com/

ドイルは勿論楽しみだったのですが、 ロバート・プラントさんやシェリル・クロウさんや ホージアや、何歌ったのかなぁ どんな組み合わせだったのかなぁ… と興味津々で、、

とりあえずドイルからいくと、 まず今度ソロアルバムを出された Mike Flanigin (keys)さんと, Jimmie Vaughan and Danny Clinch on harmonica で“All Your Love” ドイルヴォーカルです。

一旦引っ込んで、 今度はシェリル姐さんと一緒に数曲。 シェリルのバックで良い合いの手を刻みます。。 なんだかシェリルとドイルってやっぱり息が合いますね。。 今回のライヴ、 ソウル陣が多いせいか、 シェリル姐さんもソウルぽく歌っていて、、 またあのドイルのバンドとのR&B中心のツアーを一緒にやるのも良いのでは…? ドイルはギターを弾きながら、 ハウスバンドのギタリストのEric Krasnoさん達と顔を見合わせてはニヤニヤ楽しそう… もともと仲良しですものね、、

見ものだったのは、 “Everyday Is A Winding Road”で今回のハウスバンドのギタリストの ラリー・キャンベルさんがすすっと前へ出てきて シェリルの横でソロを弾き出したかと思うと、 ドイルと向かい合ってソロ合戦。 キャンベルさんといえば、 チャーリーの前のディランバンドでのリードギタリストだったわけで、 今回のハウスバンドでの感じは 前半ちょっと見た辺りではバックで淡々とギターを弾いていらしたのですが、 流石! ここぞの時は粋なソロを繰り出してくれます。 ニヤっとドイルに目配せして 切れ味の良いソロの応酬はさすが巧者でありました。 

そのあとの“Midnight Rider”では、シェリル姐さんと ルーカス・ネルソンさんとドイルで、 今度はルーカスとドイルのソロ合戦だったけど、 ん~~ 私にはルーカスさんのソロは若干凡庸…なんて言っちゃ失礼かな、、

 ***よk

ところで、 ホージア。 何歌ってくれるのか期待してたら、
Jackie Wilson の“Your Love Keeps Lifting Me (Higher & Higher)” ですよ、、 こういうノリの良いソウルミュージックを歌わせるとやっぱりほんとに巧いですね~♪ 楽しそうに難なく歌い上げて、、

そのあとは メイヴィス・ステイプルズさんも出てきて一緒に。。 でも、ラストにはメイヴィスいなかったなぁ… 疲れちゃったのかな。。

トリはプラントさんで、 その後全員出てきて ホージアはハートのナンシー&アンや女性陣に盛んに話しかけられていましたね(笑) 、、プラントさんとホージアの組み合わせも見たかったんだけどな…

 ***

ドイルは今、 Experience Hendrix Tour にも参加中で、 やっぱり Angel を歌っているようです。。 ドラムスはいつもの Chris Laytonさん。 Angelでのレイトンさんのシンバルさばきは美しいです… 

Experience Hendrix Tour のほうは まだあまり情報見てないので、 他にどなたがどんな曲やっているかはよくワカリマセン…

… Celebrate David Bowie Tour のほうでは チャーリーがますますノリノリでいろんな歌うたっているみたいですが、、 ほんっと楽しそうで、、 (そっちの話はまたにします…)


クラプトンさんの武道館公演、、 5デイズ通うおじさまがたもおられるのだろうなぁ… 曲目、沢山変えたりするのかしら、、 ディランのゼップツアーみたいに凄いことになると面白いでしょうね。。

、、クラプトンさん、、 ドイルにいっぱい歌わせてクダサイ、、 なんなら Angel 演ってくれても良いです (笑

あ、それと クラプトン公演と同時に、 ミシェル・ンデゲオチェロさんのビルボード公演に、 ドイルのバンドメンバーのクリスさんと ドラムスのエイブ・ラウンズさんが来るので もしや、もしや、、ソロ公演も? なんて当初期待していたのですが無理でした。。。 クラプトン公演のオープニングアクトとか、、 一回だけでも 10分だけでも やってくれないかなぁ…… (甘い淡い期待…)


…さて レコード聴きます…


よい日曜日を… ♡

Hozier 新譜「Wasteland, Baby!」180g 重量盤レコード来た~♪(追記しました)

2019-03-08 | MUSICにまつわるあれこれ

 Hozier Wasteland, Baby! 180g Heavyweight Vinyl 2×LP

 ** 3/7 記 **

Hozier 新譜「Wasteland, Baby!」 CD発売から一週間。

Rough Tradeのサイトで ホージアのレコードの180g重量盤があることを知り>> え!? 欲しい!! と思って…

昨年のうちにオーダーしたはずの、 「Nina Cried Power」のEP盤は結局とどかず、、すったもんだの末、 「Wasteland, Baby!」重量盤、入手しました♪ 嬉しい~~

ダウンロードでイヤホンで聴くのと、 CD盤を聴くのと、 それからレコードをかけてスピーカーで聴くのと、、 みんな違います。。




… でも レコードかける時のどきどきって、 どうしてこんなに特別なんだろ…



(感想は、、 また追記しますね…)


 ** 追記 3/8 **

ホージアは今 NYに来ていて、 昨日は地下鉄のホームでライヴをしたりして(>>https://twitter.com/Hozier/status/1103516292563300352

今日は(ていうか今は) 前にも書きましたが Love Rocks NYC というベネフィットライヴに ロバート・プラントさんやシェリル・クロウさんや ビリー・ギボンズさんやジミー・ヴォーンさんやドイル・ブラムホールIIといった テキサスブルースギタリスト勢らと共に、 アイルランドから独りホージアが参加して出ている筈です。 めっちゃ見たいのだけど…
https://www.glwd.org/events/love-rocks-nyc/

ホージアの事は 2014年に米ラジオで連日のように Take Me To Church が流れていた頃からずっと聴いてきて、 此処にも何度か書いてきて、、でも 世界中でプラチナレコードだというのに日本では何故か全くと言っていいほどラジオでもかからず、 音楽メディアでも紹介されず、、 なんで?? 理解できない!! とずっと言い続けて来ましたが、、 その状況は全然変わらず…

今回も ちょっとラジオでプレイリスト検索してみたんですけど、 interFM でも J-wave でも 殆んど全くラジオで流れていないです、、 何故? どうして? …と嘆いていても仕方ないので ホージアの新譜を紹介している所を探したら タワレコさんに書いてありました⤵
アイルランド出身のSSW=Hozier(ホージア)、大ヒットを記録した前作より5年振りの新作

(↑タワレコさんにもLPレコードが載っていますが、 それが180g重量盤か 普通のLPかは どうぞご自分で確かめて下さいね)

…と、 ここまで書いている間に ホージア、 NYCのステージに出てきたようです。 スーツ着ているのがちょっと珍しい… 笑(>>)
 追加>>https://twitter.com/AnthonyMasonCBS/status/1103909818622869504

今回のアルバムの中にも Led Zep を思わせる曲もあったり(>>Hozier - Dinner & Diatribes (Official Video)
デビューアルバムの時から ソウルミュージックとブルースの素地を持った人でしたが、 今回のアルバムではさらにソウル&ブルース&ゴスペル&ケルトミュージック という ルーツミュージック全てを取り入れたパワフルなアルバムになっているので、 NYCのライヴでロバート・プラントさんや、 テキサスブルース陣と新しくまた知り合って吸収して これからのパフォーマンスがどんどん拡がってくれたら嬉しいな、、 というか、 プラントさんやテキサスギタリスト陣や、 私の大好きな人たちとホージアが繋がってくれたのがすっごい嬉しいんです♡

昨年出たEP盤「Nina Cried Power」では メイヴィス・ステイプルズさんと共演し(>>Hozier - Nina Cried Power (feat. Mavis Staples) - Live At Windmill Lane Studios) 思いきりソウルフルな掛け合いをしていますし、 メイヴィスと言えば 年輩の方には ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」の The Weight で素晴らしいヴォーカルを聴かせてくれていたあのステイプルシンガーズのメイヴィスですよ…♪
(その頃から聴いてきて、 息子、いえ孫のようなホージアと共演しているのも又 感慨深く…)

 ***

そろそろくたびれてきたのでこのくらいに… 笑

昨日、 聴いていて思ったのですが、 CDをイヤホンで聴くと すごくリバーブを効かせたホージアの声がすぐ耳元で歌っている感じや、 ハンドクラップが効いていて(ホージアは若い女子にもすごく人気があるので あの耳元でささやくような歌声も魅力的なのかも)、 一方リズム隊のサウンドは少し電子的に聞こえて、、 イヤホンで聴く習慣の人にはそれも良いかと思うし…

LP盤で聴くとまた全然ちがうのね… (私の耳のせいかもしれませんが)
アコースティックギターの音色や ドラムスの音も 今度はすごく自然に聞こえて、 イヤホンではリバーブ利かせすぎ? とか思ったホージアのヴォーカルも前面に出過ぎずに 全体がしっくりまとまる。。 ソウル&ブルースの味わいは レコードの方が馴染みがよく聞こえました。 カッティングとかの影響なのかな… ?

それと… ホージア、、 声がデカイので (どこまで声出るんだ…)というような曲もあるので、 CDで14曲を通して(真剣に)聴くと、けっこうお腹いっぱいになります。 だから、 LPレコードで3~4曲ずつ、 聴き終わったら ひと息ついてレコードひっくり返して、 また針を落とす… という ゆったりした聴き方が今回のアルバムにはすごくすごく合っている気がします。 LPレコードで4面に分けて聴く♪ っていうの、 今回はお薦めだと思います♡

ケルティックコーラスの雰囲気のある「Shrike」をとにかくLPで聴いてみたくて、 それでどうしてもレコードが欲しかったのですが、 アルバム最後のアコースティック弾き語りの曲  Wasteland, Baby! も、(Bメロ?)のところでおもむろにビートルズ風になるところも可愛いくて好きだな… 

ホージア、 歌が巧いのは勿論、ブルースギタリストとしても ライヴパフォーマーとしても優れているので またLIVE演奏の様子がすごく楽しみ… あのゼップ風の曲なども どんな風に演奏してくれるのか…


Hozier Performs 'Almost' The Late Show with Stephen Colbert
↑このハンドクラップがやっと一緒に出来るようになったよ♪ でもこれやりながらコーラス歌うの… 無理~~ 





Winterreise『冬の旅』:第二十一章「宿屋」Das Wirtshaus

2019-03-07 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


旅人は 墓場へたどり着きました。

… 荒野への道を歩き出してからどのくらい経っているのでしょう、、 村の灯りから離れてどのくらい歩いたのでしょう、、 『冬の旅』の終盤は時間の経過があいまいになってくるような感じがします。

この墓場は 町や村の近くにある 人々がしばしば訪れる場所にあるような感じがしません。 なにか 荒れ野のなかの古戦場のような、 賽の河原のような、 そんな古い(或は忘れられた)墓所のような気がします。

… いつも、 先に歌詞を読んでから 歌曲を聴くのですが、 この第21曲「宿屋」は詩の印象と 曲の印象があまりに違っていておどろきました。 疲れ切って墓場へたどり着いた光景を歌っているその曲は あまりに美しく、 まるで教会のミサで奏でられる讃美歌のようです。 
『冬の旅』でこれまで聴いてきた曲の中で (私には歌詞が耳では理解できないから、ピアノと歌声が奏でる雰囲気のことなのですが) いままでで一番 美しい調べではないかしらと… 正直、 聴いていて涙するくらいでした。。

こんなに美しい曲のなかで 旅人はもう疲れ切って倒れそうになっているのでしょうか… もう力尽きて永遠の眠りを この墓所に求めて来ているのでしょうか…

… そんなふうには思えない、、 (思いたくない、というのが本音ですが)

 ***

ボストリッジさんの この第21曲への解説は短いです。
 
「墓地」の光景を歌ったこの歌の題が「宿屋」であることの意味、、 この曲の讃美歌のような荘厳さに対する音楽的なコメント、、

ボストリッジさんが挙げている幾つかのうちから、 シューベルトが『冬の旅』と同時期に作曲した(1827年) 「ドイツ・ミサ曲」(D872)を聴いてみました。 そうですね… このミサ曲の荘厳さが 第21曲にも感じられます。

… ならば、 疲れた旅人は 主の御許へ行くことを願っているのでしょうか… そこで地上で得られなかった永遠の安らぎのなかで眠りたい、と… ?

しかし

 die Kammern all’ besetzt? = 部屋はすべて塞がっている?

… その拒絶の声を 旅人はどこから聴いたのでしょうか、、 疲労の極限で (まだお前の来る場所ではない)という主のお声を聴いたのでしょうか? …そうではないような気がします。。 旅人は自分自身で分かっているのだと思います。

 Nun weiter denn, nur weiter, = ならば今すぐ先へ、さらに先へと
 mein treuer Wanderstab!  = 私の忠実な旅の杖よ!

  (訳はわたしの直訳です)

前の曲「道しるべ」が示した 誰も戻ったことのない《道》… その行き先がこの《墓所》であるとは、 旅人はそうは思っていないはずです。 だからこそ ここには居場所がない(宿が全部ふさがっている)という声を聴くことができたのだし、 ふたたび荒野へと、 今すぐ先へ! と決意することが出来たのだと、 そう思います。

 treuer = 忠実な

という言葉は 第15章「カラス」で出てきました。
 
 Treue bis zum Grabe!  = 《墓》に着くまで私に忠実であれ!

と、あのときはカラスに呼び掛けていました、、自分についてくる烏に。。 今は「杖」に呼び掛けています。 どこまでも歩く為の「杖」なのです、、 神の御許での休息ではなく…

 ***


荒野の旅人と杖…

十字の杖を手に持った図像で必ず描かれる 「洗礼者ヨハネ」の姿もふと頭をかすめます。。 毛皮の衣を纏い 荒野で修業をしながら 人々に語りかけていた旅人…  私が最も好きな絵 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「荒野の洗礼者聖ヨハネ」のことが頭にあるせいでしょう…


旅人の忠実な友は、 過去の夢でもなく、 カラスでもなく、 旅の杖になりました。


とうとう 身一つとなったのです。


Winterreise『冬の旅』:第二十章「道しるべ」Der Wegweiser

2019-03-06 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)



前回の第19章「惑わし」の終わりに…
 
 (ここから旅人は《荒野》へと向かうのでしょうか…) と書きました。。

、、なんとなく、の予感があった通り 今回の「道しるべ」の詩には Wüstenei’n=荒野、荒地 という語が出てきます。
村を避け、 人々が踊りに興じる家の明かり… それはかつて自分もそのように楽しんだ思い出もそこに含まれるのでしょう、、 その思い出ごと捨て去るようにして旅人は村を通り過ぎました。 …ここから旅人が向かうのは 人がわざわざ避けるような 誰も通らない岩と雪の荒野への道、、 

 ***

シューベルトが『冬の旅』を完成させたのは 死の前年(1827年)とのことですが(Wiki>>
この第20章で ボストリッジさんは シューベルトの最後の5年間(1823年~)の健康状態について、 友人への書簡などを引用して 大変くわしく解説されています。

次第に悪化する健康状態のなか シューベルトがどのような治療を受けていたか、 また、 最晩年にシューベルトが読んでいた《小説》についても 書かれています。 (本文内容をここで明かすわけにはいきませんので書きませんが) そのことは大変興味深いものでした。。

シューベルトがどのような思いで この『冬の旅』の作曲に向かっていたのか、 どのようにミュラーの詩を受け止めていたのか、、 そして この20曲目に出てくる《荒野》への道と、 自分がそのころ悪化した健康のなかで読んでいた本の内容と、 旅人がこれから向かおうとしている行き先への思いと、 それらをどう重ね合わせていたのか… いろいろ想像する助けになります。


しかし、、 シューベルト自身が受け止めなければならなかった《荒野への道》と、 この歌の主人公である旅人の《道》とは 今は別にして考えたいと思います。 この第20曲の詩で 旅人は何が自分を荒野へ駆り立てるのか、と自身に問うています。

 ohne Ruh’ und suche Ruh’ = 休むことなく、 しかも安らぎを求めて

… さまよい続けるのだ、、 と。 路上には道しるべが いくつかの町への道をさし示して立っています。 安らぎを求めて… であれば その町への道を目指すべきですが、 旅人は町へ通じる道をここでも拒否して、   そして、

 eine Straße muß ich gehen = 私は行かなければならない 
 die noch keiner ging zurück = 誰も戻ったことのない《道》を

… と自分に命じます。 

 誰も戻ったことのない《道》… それは「破滅」とか「絶望」とか「死」を意味すると考えるべきなのでしょうか。。 

この歌曲のリズムは淡々としていますが、 歌詞は二度ずつ繰り返され それはなんだか自分に言い聞かせるような、 想いを自分自身で確かめ直すような感じがあります。 最後の《誰も戻って来たことのない道》の部分は 3度 静かに言い聞かせるように繰り返されます。 この静かな決意の込められた足取り=リズムは、 決して絶望や諦めに向かう道ではないように思えるのですが…

道なき道、、 未知の道。。 未来が誰にとっても予測不能なものであれば… 人生の時間が逆に回転することがないものであれば… 人生の道は誰にとっても戻ることの出来ない道、とも言えます。
旅人はこれまで何度も振り返ってきました。 「かえりみ」でも 「郵便馬車」でも つい先刻の「惑わし」の中でさえも 旅人がかつて夢見ていたあの女性との未来=道 を想っていました。 その《安らぎ》を過去のものにし 拒絶した今は… 旅人がこれから進もうとしている道は 誰かが決めてくれた道でもないし、 これまで想像もしてこなかった新しい道である筈… 

そういう風に 《誰も戻って来たことのない道》を解釈してみるのは 甘い願望でしょうか…

 ***

『冬の旅』… そろそろ終盤です。。


現実の世界では春の雨が多くなってきました。 

… 雨のあとには 花… ですね。 


それまでにこの旅も終えられるでしょうか、、