星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

積ん読ものがまた、、、

2005-06-29 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
暑いのと坂道はダメ。
日が暮れてから図書館へ寄ったのだけど、
重い重い本を背負っていたせいか瀧の様な汗。
先週2日間食べられなかったせいもあるのね。

顔見知りの外人さんが愛想よく「こんばんわ!」って声掛けてくれても、階段を登っている途中なので、息たえだえ、、、、ちょっと恥かしい。

 ***

先週、職場近くの古本屋チェーンでバーゲンをしていた。見に行けばついつい買ってしまう。すぐには読めないのに。。
島田雅彦の「無限カノン」三部作、、、、彼の描くロシア舞台の恋愛歴史小説、、、気になっていたので手元に置いておく事にする。それから、新しい訳のモンテーニュ『エセー抄』、、、金子国義のイラストが美しい澁澤龍彦『城=カステロフィリア』、、、その他、、古い『ユリイカ』とか、、、。
この中に105円のものがあるなんて、信じられない。でも、貧乏学生には助かる、、、。

図書館で見つけて、今ちょっと、欲しい本、、、
『ドラキュラ』---恐怖の原典、完訳!---これの註がすごいんだ。こういうのだと詳細すぎて図書館で借りた程度では見きれない。。。オカルト好き、なのじゃありません(好きかも、、)。19世紀末英国文化史が、明治の文学史にも役に立って面白いのよ。、、、でも、、、高い。(古本検索って、探すときには全然無いのね)

ブラム・ストーカー『ドラキュラ』完訳版 新妻 昭彦、丹治 愛 (翻訳)

ばらの花の季節

2005-06-24 | …まつわる日もいろいろ
以下はいくつかの作品からのすべて引用です。。それぞれのタイトルは敢えて伏す。

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「美しい肉体には快楽がある。しかし美しい魂には苦痛がある。」

「反抗心・・・ここで最も戦慄すべきことは、それが人の心臓を破ることでなくして、――心臓は破られるように作られている、――心臓を石に化するということである。」

「悲哀は愛以外のいかなる手が触れても血を噴く痛手であり、また、愛の手が触れるときでさえ、痛みこそしないものの、同じように血を噴くものである。」

「・・・私はその時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或(ある)生きたものを捕(とら)まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。」

「だれにとっても、生命ってものは、とても大事なものだわ。・・・だけど、恋は生命にまさるものよ。」

「そしてあんたの生き血がこの葉脈のなかへ流れこんで、ぼくの血とならなくてはいけない。」

「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴せかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。」

「ほら、世界一の赤いばらの花です。今夜これをあなたの心臓にいちばん近いところにつけてください・・・」

「魂にさあ根を増やして、、、咲け、、、、花。」

 ***

数日前、、梅雨空の夕暮れが、ひととき薔薇色に染まっていた。
いちばん自然な、いちばん好きな、薔薇色。

奢覇都館・・・

2005-06-22 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前回いただいたコメントで
「奢覇都館」という名前に反応してしまいました。

かつて生田耕作編の『バイロス画集』を
買おうかどうしようか迷ってそのままに。。
サバト館と、訳者生田耕作の名前をみるだけで、なにやら動悸がしてくるのはたぶん私だけではないでしょう、、、自分のHPの名前の元でもある、マンディアルグの『満潮』、、、これももう絶版ですが、古本で買おうとすれば4千円~1万円以上の値段がついてる。もちろんね、白水社のUブックスでちゃんと読めるのですが、、、本、って不思議です。

写真は、たぶん私が持っている最古の本かな?
ヲッツ・ダントン著 戸川秋骨訳『エイルヰン物語』、、、大正15年の版。
外箱はボロボロですが、そのおかげで本は天金もまだまだ綺麗。。。総ルビなので旧漢字でも大丈夫。ささくれた表紙を手に取れば、80年昔にこれを手に取った人と、時を超えて思いが結ばれるような・・・
「エイルヰン」については、たぶん他には収められていないでしょうから、ここでしか読めないと思う、、、もう誰も読まない物語。
内容は、、、ラファエル前派と交流のあった人の作なので、「指輪物語」に馴染んだ現代の私たちにはとても愉しい、それはそれはファンタジックな恋物語です。。詳しいことを知りたい方は、『漱石全集』を紐解いて見て下さいな。
・・・でもまだ、半分しか読んでないのです。ゆったり好きな本だけ読めるように、、早くなりたいな。

サバト館のホームページ>>

理想のローリー

2005-06-18 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
最近、、戯曲を読んでいる。
2、3時間の公演を目的に書かれた物だから、当然その位の時間で読み終わるのが結構嬉しい。それらを読んでいるうちに、、、ふと、ボリス・ヴィアンのことを思い出して、、、。ヴィアンのものの舞台、、、いつか観てみたいな。

 ***

話変わって、、、今夜シネマ番組を見ていて、クリスチャン・ベイルが「若草物語」に出ていたと知った。ローリー役。。。ぴったりだと思う!うん、私の理想のセオドア・ローレンス君はまさにクリスチャン・ベイル。ローリーはやはり黒髪でなければね。。

・・・でも、その映画、、ジョー役がウィノナ・ライダーなのですね(複雑)。。。
ウィノナは巧い女優さんだと思うけれど、ジョーには余りにも思い入れが強いので、、、。でも、今度観てみることにしましょう、、、(ジョーは背高のっぽの筈ではなかった?)

「第3若草物語」のジョー先生を、また読みたくなってしまいました。。私はいつまでたってもジョー先生のようにはなれません、、、まだまだ、、、。まだまだ、、、どころか永遠になれそうもない。でも大好きなジョーが、子供時代、屋根裏部屋へ林檎と本を持って立てこもって、泣きながら夢中で本を読んでいたところ、、、そういう気持ちは何処かに忘れないでいたいと思ってる、、いつでも。

 ***

梅雨の季節になりました。。睡蓮の池に降る雨など、、思い浮かべてみたりしています、、ヴィアンを思い出しながら(大丈夫、、まだ蓮の花は浮んで来ていません)。
、、、さて、そろそろまた勉強モードに入ります。

ドイツ映画祭後記

2005-06-13 | 映画にまつわるあれこれ
ドイツ映画祭が終った。
会期中、2作品を見ることが出来た。

5/31のとこでも書いた「青い棘」の、上映前と後に、監督さんの挨拶&インタビューがあった。この作品は1927年にベルリンで起きた実話がもとになっているのだが、監督は「自殺クラブ」という言葉を使っていた(ドイツ語解らないから通訳の人の言葉)。R・L・スティーブンソンの小説にも、王子が身分を隠して「自殺クラブ」に入り込む話がある(この映画と内容は全然違います)。ふとそれを思い出した。
大富豪の息子ギュンター(アウグスト・ディール)が、なぜ「自殺クラブ」なるものを思い描くに至ったか、その友だちパウル(ダニエル・ブリュール)は境遇も異なり、そのズレが最終的な道のズレにも繋がるわけだけれど、その二人の背景がもう少し描けていたら良かったのに、と思った。

ともかくも「青い棘」は美しい映画でした。これのTrailerを見た時から気に入っていたのだけど、サントラがとても良くて、ドイツ版Amazonで聴くことが出来る(「青い棘」サントラ Amazon Germany) 
今秋の日本公開の頃には、こちらでも買えるかしら。でも、早く聴きたいなあ、、、。

もう1作品は「9日目」(写真)。
「ブリキの太鼓」のシュレンドルフ監督作品。こちらは難しい映画でした。
ナチスの収容所からひとりの司祭が釈放される。しかし、それは「釈放」ではなく、実際は、教会をナチス側に有利なように働きかける任をその司祭に負わせる為の、一時的な解放にすぎなかった。彼を、信仰と現実(家族や収容者仲間)との狭間へ言葉で追い詰めていく若きナチSS役が、アウグスト。聖書の教義や、イエスや信徒に対する解釈を、司祭に説き伏せていく、この難しい役柄を、若いながら頑張って演じていたと思います。弁の立つ将校として、言葉をまくし立てるところが、素晴らしく独逸語が綺麗(意味解らないので、あくまで音として)。この人、舞台も確かこなすと思うのだけれど、そのあたり堂々としたものでした。
ただ、、、本当に若い。色が白いから、激昂すると顔がぱーっと紅潮して、少年じみた素がふとのぞく。。その少年ぽさが、感情を捨てた若きナチSSが垣間見せる<素>の部分なのかどうかは、人によって感じ方はちがうと思いますが、、、。

今年は戦後60年目。ドイツ映画では、今作品や、「MY FATHER」(公式ブログ>>)など、第二次大戦で犯した罪を正面から描こうとする作品が生まれているけれど、そういう姿勢がわたしたちにももっとあるべきではないのかな。。。唯一の被爆国ではあるけれども。「前へいきましょうよ、前へ」、、とか言ってる政治家の声(国民感情を代弁する声か?)を聞くと恥かしくて吐気がする。(註・・・あとで公式ブログ見たら、ドイツ映画ではないのですね、なるほど。。戦争を描くのは難しい・・・)

「青い棘」の監督さんが裏話を披露してくれた。
ダニエル・ブリュールで世界的ヒットとなった「グッバイ、レーニン」は、当初、アウグスト・ディールに主役を打診していたのだそう。でも、アウグストがそれを断った為に、ダニエルになったとか。。。断るアウグストも自分を良く知っていると言うか、、、アウグスト主演だったら、あんな大ヒットになったかどうか。。。
彼のことが予告編の紹介で「ヘルムート・バーガーの再来」と出てた。そうかなあ、、、? 確かに貴族的な美しさの中に狂気をもった役者さんだと思います。私はヘルムート・バーガー全然好きではないので、・・・だけど、「ルードウィヒ」をリメイクさせたらやっぱり似合うだろうな。


東方の夕暮

2005-06-11 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
   ここには夕暮が下りてくる。
   それは大洋を越えたどこかの国での曙なのだ。
         (「東方の夕暮と西方の曙」冒頭)
     
 ***

 ウチの詩集の棚は廊下、というか玄関先にある。たまに、そこから1冊を抜き出して開く、、、と、そのままそこから動けなくなって、何十分間も床にぺたんと座り込んでいることがある。
 この山室静さん訳の『タゴール詩集』は、私が買ったものの中でも古い方。タゴールという人が何処の国の人かも知らない頃に買ったものだ。自意識に満ちた他の詩人らの言葉に煽動されることを悦んでいた私には、まだタゴールは解らなかった。

   鉢の中の水はきらめいている。海の水は暗い。
   小さな真実は明晰な言葉をもつが、大きな真実は大きな沈黙をもっている。

 語ることの出来ない、真実の重みがわかってくるのはたくさんのきらめきと出会い、その光が消えるのを見送った後でだ。

 ***

   私は最上のものを択ぶことができぬ
   最上のものが私を択びとるのだ。

 タゴールが歌えば真実を語っていると感じられる。私がこう歌えば、それはただのうぬぼれでしかない。。。

B・スプリングスティーンからの、30年。

2005-06-08 | MUSICにまつわるあれこれ
いつものように
出勤前の5分間立ち読み、、
本屋さんに入っていきなり目に飛び込んできたのがコレ。
「SIGHT」の表紙でした。

B・スプリングスティーンの往年のアルバムが紙ジャケ化されるのは知っていたので、「また渋谷サンたら、乗じて中年をノせようなんて、その手にはノらないんだから、、」と天邪鬼になりつつも、手に取ってみる。。
SONYMUSICのサイトで、この赤い横帯のついたジャケを見て、それで<30年目>、というのを見て、、え?30年…?、、、自分の年を溯ってみる、、確かに30年だ。最初は「明日なき暴走」のシングル盤を買ったんだ。人生で一番たくさんターンテーブルに乗せた。
でも、私の元には不思議なほどボスのCDが無い。最初は兄が買った物、、そしてだんだん大きくなって、その時代々々を一緒に過ごした友と聴いた物、、、だから、アルバムごとに誰かの思い出が、浮ぶ。

今回の紙ジャケ化で、「THE LIVE」の5枚組というのは、とても意味があるかもしれない。何故って、今迄CD化されていたのは3枚組だったから、当然、曲目の切れ目が違う。LPで聴いた者には、特に4枚目、BORN IN THE USAで始まり、THE RIVER, WARとつながっていくあの1枚は重い。「お前はBORN IN~で拳を振り上げるか…?」と、アレを聴きながら他国の人と話した。。。リヴァーの前の、自分が徴兵を逃れたボスの告白も、、、いま聴けばさらに重い。、、、でも、5枚組、になったのはそれなりに意味があると思うな(、、と此処まで書いて価格を見たら、やはり高いけど)

「SIGHT」に話を戻すと、'75年の特集ということで、パティ・スミス(についてマイケル・スタイプが語る…?!)の記事があった。97年(?)頃のだったと思う。どうせなら来日したんだから新しくインタビューしようよ。。。或いは、パティ本人へ、とか。。
まあ、ともかく、、、笑っては失礼だけど、、マイケルの一途な思いに(自分もそんな風にパティに、トムに、恋していたかもしれないけど、いや、かもしれない、じゃなくて、していました、確かに)、、その純粋さを、ずっと持ち続けている彼に、、、本屋さんから出てもくすくす笑いそうでした、、。R.E.M.とパティ、両方に興味がある方、必読です。

R.E.M.のオフィサイトにたまに載るマイケルのフォト(彼が撮影した街の写真とか)は、とても美しいです。、、、、重ね重ね、京都をゆっくり見させてあげたかった。。

20年目の再会・・・ 吉井勇

2005-06-07 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
必要に迫られて、何冊か本を読んでいた。
なかなか糸口がつかめない、、
これ、と思えるものが無い、、

、、、すると、「これ、面白いな」と目に留まったのが、吉井勇の作品だった。
(詳しい事は省きますが)死の世界を象徴と幻想で描いた、メーテルランク? ラーゲルレーフ? ハウプトマン? よく判らないけれどそんな匂いがした。悲劇でありながら、言葉も、とても美しかったし、、、その美しさがせつなかったし、、。

で、本の解説だけでは物足らないので、とりあえず検索をする。早大に繋がる。(>>早稲田と文学)竹久夢二が装丁をした本「悪の華」というのが載っている(写真)。ボードレールに繋がるのかは未読なのでわからないけど。。

松岡正剛さんの所にも繋がる。そうか、歌人としても有名なのか。。(>>千夜千冊『吉井勇歌集』)

そして、「ゴンドラの唄」に繋がる、、、ゴンドラの唄? あの作者なの、、? そうだったの、、、。
「ゴンドラの唄」には思い出がある。20年前、とある機関紙に、これを題材に文章を書いた事があった。大人になりかけの頃だった。。。繋がったサイト(>>「ゴンドラの唄」)に、歌詞とMIDIのメロディが載っていたので、流れる音を聴きながら、歌詞を見ていたら、、、その頃の自分がどんな風にこの唄を受け止めていたのか、、、ちょっと思い出されて、馬鹿々々しいのだけど、可哀相でもあった。
未来が見えない、というのは、、そんなこと誰でも当たり前のことなんだけど、苦しいよね。
死に急ぐ者の弱さを、、笑うことは出来ないよね、、、但し認めはしないけど。

吉井勇は、明治19(1886)年10月8日生まれ、、、だそうです。

ギュスターヴ・クールベとバイロン卿

2005-06-01 | アートにまつわるあれこれ
会期終了間近の『クールベ美術館展』を
観に行ってきました。

何に惹かれるのかわからないけれど
最も好きな画家。

スイス国境に近いフランスの<オルナン>が彼の故郷で、その生家が現在「クールベ美術館」になっているのだそう。三鷹駅南口のギャラリーに入ると、生家の内部、テーブルとか暖炉を実物大くらいに写した大きな写真に出迎えられて、あたかも、オルナンの生家に立ち寄ったかのような印象を与えてくれる。
しかし、クールベ自身は、パリ・コミューンの先頭に立った罪から亡命生活を送り、この生家へ戻ってくることは実際は無かったのです。

クールベと言えば<写実主義>!とどんな教科書、どんな美術書にも書かれてますが、私に知識が無いためか、余りそういう眼で観た事が無い。クールベの絵は、文字通りの写真そっくりに描いた絵ではないもの。クールベの精神は、多分にロマン主義的な熱情が始まりにはあろうとずっと思っています。初期の自画像や、恋人たちの絵も、狩人として鹿や狐の動きをとらえた絵も、権力に逆らってありのままの民衆の(美的でない)姿を描いたものも、、、すべては、圧力に屈せず本質を見据えようとし、その力が自分にはあると信じきる熱情を通過して生まれたものと思えるから。
リアリズムを<ありのまま>と解するからいけないのよね、<本質>が描けてこその、リアリズム。
(またおとといの論にもどってしまう・・・)

レマン湖のほとりに建つ「シヨン城」の絵(写真)。
カタログの解説に「バイロンがけっして捨て去ることのなかったロマン派の高揚した気持ちを、他のどの画家よりもみごとに捉えている」とあって、本当にそう! と頷きました。

 ***

   澄みきって静かなレマンの湖よ、その水を
   わが住む荒々しい人の世とくらべるとき
   その静けさは、悩ましい世の浪をすてよ
   澄んだ泉にかえれよ、と、いましめる。
   このしずかな帆は、音もない翼に似て
   わが心を、悶えのそとに吹きおくる
   かつての日、私は荒ぶる大洋の咆哮を愛したが
   いまこのやわらかなさざめきは、懐しい姉の声に似て
   烈しい快楽に心うごかしたこの身をたしなめる。

        (バイロン『澄明、静謐のレマン湖』冒頭部分 阿部知ニ訳)

 ***

シヨン城を詠った詩もバイロンにはあるそうですが、みあたらないのでレマン湖の詩を。
バイロンも、愛と青春の放浪生活のあと、ひとたびこのレマン湖で静かな時を過ごしたようですが、でも彼の熱情は再び燃えて、もう女も、故郷も、名声も、何も彼を惹きつけるものは無く、自由のため?それとも英雄的死を求めて? ギリシャ独立軍を助けに奔るのです。最期の有様はちがうけれど、バイロンの激情を理解できたのは、やはりクールベなのだと思います。

   青春を悔いるならば、なにゆえに命を永えるか
   栄光の死をとぐべき国がここにある
   起って、戦場に馳せてゆき
   おまえの生命をささげつくせ。
          (バイロン『この日、三十六歳を終る』より 9)

『魅惑の17-19世紀フランス絵画展』 損保ジャパン東郷青児美術館(~7/15)
ここにもクールベ作品が来ています。(こんにちわ、クールベさん。←いつ見ても偉そうね。笑)