ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

油屋酒店

2006年05月27日 10時48分39秒 | 思ったこと
油と酒を売ってる店なのか

 笹子峠(山梨県)の辺りにこんな看板の店がある。酒屋にはサラダ油くらい置いてあるけど、この油は灯油なのかと思う人はいるかな。この店の人に話を聞いたわけではないけど、この油屋というのは恐らく屋号だと思う。

 親が住んでる大月の家の周辺では屋号がある。屋号には油や酒を売ってなくても油屋とか酒屋というのがある。何故なんだろうと思ったまま聞きそびれたままである。また小林さんという苗字の人が住んでないのに小林なんていう屋号もある。裏に小さな林があるからかもしれない。宮本なんてのは神社の近くだったりする。

 苗字が数種類しかないこともあって集落内で話をする時は名前より屋号を使う。「 油屋じゃぁもう種を蒔いたかい 」とか「 おい、酒屋、ちょっと手伝え 」って調子だ。ところで今住んでる集落には屋号は無い。しかし苗字が数種類しかないのは同じである。では会話はどうなるかというと、自分よりずっと年配の人に対しても下の名前で呼ぶ。「 太郎さん、この回覧は次は何処に回せばいいですかね 」って感じ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベッドタウンとなった街

2006年05月27日 10時48分29秒 | 思ったこと
シャッターに絵を描いて、それで楽しくなったのか

 数10年前の大月(山梨県)はというと、多くの農家が養蚕をやっていた。機屋(はたや)もあちこちで見かけた。いわゆるサラリーマンはというと、八王子や立川まで通勤してた。通勤時間はというと1時間強というところだろうか。

 それがここ20年どうなったかというと、養蚕も機屋も全滅。商店街はシャッター通りと化した。また中央線快速が大月まで入ったりして通勤範囲は広がって都心まで2時間以上かけて通ってる人も珍しくない。更に東京より離れてる隣の都留市(つるし)から通ってる人もいるらしい。そうなると3時間はかかるだろう。

 この大月商店街は、親が住んでる家に行く時に通る街だ。たまに通るたびに駐車場に変ってたりシャッターが降りたままになる店が一軒一軒増えている。こんな調子だから曜日にかかわらず人影はまばら。それだけに昔のままやってる店を見つけるとどうやって成り立ってるんだろうと思う。物干し竿屋が儲かる仕組みより不思議である。

 大月の写真史なんてのを見ると昔は商店街も駅前もけっこう賑わっていた。それが今じゃゴーストタウン一歩手前のようなシャッター通り。これじゃぁあまりにもあんまりということで最近こんな絵が描かれた。でもそれで寂しさが解消されたのかというとそんなことは全くない。なんたって真昼間っからこの絵を見せられるからだ。こんな街の光景、地方ではもう珍しくなくなった。

 ところで佐久近辺の道はパイパス化されて直線の道が多い。なので車で走っていると××商店街入り口なんていう看板を時々みかける。それにつられて路地を入っていくと商店街に気づかずに何時の間にか元の道に合流したりする。そう言われればお店らしき建物が2つか3つあったな、という商店街だった。こういう商店街(?)も地方でよく見かける。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする