家中の「物」の整理をしています・・と言っても、ほとんどの「物」を処分しているんですが・・(苦笑)
息子の机も「粗大ゴミ」に出しました!
引き出しの中に大事な物が残されていないかと、点検中に「発見」したのは「一枚の写真と新聞の切り抜き記事」です。
昭和62年7月31日(金)のY新聞の夕刊です。
「青函トンネル歩け歩け」の見出しが~~~。
「夢の海底トンネルに歴史的な一歩を」-津軽海峡を貫く青函トンネルを歩いて渡る「青函トンネル開通記念体験ウォーク」が31日午前9時から。北海道と青森双方からスタートした。世界最長のトンネルを歩く、最初で最後のビッグ・イベント。全国各地から一般の人479人が参加。全行程約6時間の海底横断に挑戦した」
そうでした・・・この青函トンネルが昭和63年3月にJR北海道・津軽海峡線として開業することになっていて、その前にたった1回限りの催しとしてこのイベントが行われたのです。
募集には、9千人を越える希望者が殺到し抽選になったとか・・・我が息子(次男)が、見事当選、友人と二人で「歩け歩け」に参加したんです!
中学2年生の時でした。
ヘルメットをかぶり、1200段(約700m」の階段が続く斜坑を降り、幅5mの作業抗を黙々と歩いたそうです。
気温20度、湿度80%。
途中で4回ほど休憩したそうですが・・・
すごい~~~!
参加資格は「12歳以上」でしたから、13歳の彼は参加者の中でも下のほうだったらしい・・・一応グループがつくられていたようでリーダーの方から、後日「すごい頑張りで完走し驚きました。さすがスポーツマンですね」と、お手紙と写真を送って頂きました。
その写真がいっしょに残っていたんです。
「お世話になりました」と、すぐにお礼のお手紙を書いた記憶があります。
このウォークは、参加者が、北海道側と青森側に分かれてスタートし、トンネル中間点でそれぞれが「握手」したとも書かれています。
息子は青森側からのスタートでした。
北海道に到着して、ついでに「函館」に泊まり、ちゃっかり観光もして帰ってきました(笑)。
そんな楽しい思い出の「記事」と「写真」・・・「捨てられない、思い出の品」です。
「○○の宝物」と書いたダンボールにしまいました~~♪
息子の机も「粗大ゴミ」に出しました!
引き出しの中に大事な物が残されていないかと、点検中に「発見」したのは「一枚の写真と新聞の切り抜き記事」です。
昭和62年7月31日(金)のY新聞の夕刊です。
「青函トンネル歩け歩け」の見出しが~~~。
「夢の海底トンネルに歴史的な一歩を」-津軽海峡を貫く青函トンネルを歩いて渡る「青函トンネル開通記念体験ウォーク」が31日午前9時から。北海道と青森双方からスタートした。世界最長のトンネルを歩く、最初で最後のビッグ・イベント。全国各地から一般の人479人が参加。全行程約6時間の海底横断に挑戦した」
そうでした・・・この青函トンネルが昭和63年3月にJR北海道・津軽海峡線として開業することになっていて、その前にたった1回限りの催しとしてこのイベントが行われたのです。
募集には、9千人を越える希望者が殺到し抽選になったとか・・・我が息子(次男)が、見事当選、友人と二人で「歩け歩け」に参加したんです!
中学2年生の時でした。
ヘルメットをかぶり、1200段(約700m」の階段が続く斜坑を降り、幅5mの作業抗を黙々と歩いたそうです。
気温20度、湿度80%。
途中で4回ほど休憩したそうですが・・・
すごい~~~!
参加資格は「12歳以上」でしたから、13歳の彼は参加者の中でも下のほうだったらしい・・・一応グループがつくられていたようでリーダーの方から、後日「すごい頑張りで完走し驚きました。さすがスポーツマンですね」と、お手紙と写真を送って頂きました。
その写真がいっしょに残っていたんです。
「お世話になりました」と、すぐにお礼のお手紙を書いた記憶があります。
このウォークは、参加者が、北海道側と青森側に分かれてスタートし、トンネル中間点でそれぞれが「握手」したとも書かれています。
息子は青森側からのスタートでした。
北海道に到着して、ついでに「函館」に泊まり、ちゃっかり観光もして帰ってきました(笑)。
そんな楽しい思い出の「記事」と「写真」・・・「捨てられない、思い出の品」です。
「○○の宝物」と書いたダンボールにしまいました~~♪