阪神大震災が起きたあの日・・・、
愚息①は、大阪・蛍池に、主人は名古屋に、私は神奈川、愚息②は東京にと4世帯に分かれての生活をしていました。
朝6時ごろ・・・、
大阪に住む愚息①から「地震があったけど、僕は大丈夫だから・・・」と電話がありました。
起き抜けの頭がよく回らない状態の私は「???」と思いつつTVのスイッチを入れました。
関西で地震発生・・・死者も出ている様子・・・でもそんなに大きくはないという報道の印象でした。
名古屋にいる主人の元にも、愚息①から「無事」の電話があったとか・・・。
その後、状況が分かってくるにつれて、地震の大きさ、被害の状況が少しづつ判明・・・!
そのすごさに声もありませんでした。
その後、愚息①と連絡をとろうと思っても電話は通じず・・・、
義姉と姪も大阪に住んでいるし、5~6年前まで大阪に住んでいた私たちですので、たくさんのお友達があちらにいます。
彼女たちに連絡をとりたくてもできませんでした。
その後、一人の友人が家が崩壊していることが分かりましたが、どこに避難されているのかと案じていました。
神にすがる思いで、壊れた家の住所へ「手紙」を書いて送った私。
二週間ほどして、彼女から電話がありました!
壊れた家の前に「避難先」の住所を書いて立て札を立てておいたのだそうです。それを見た郵便屋さんが、そちらへ転送をしてくださって届けて下さったのです!
この時ほど「日本の郵便事業の優秀さ」に感謝したことはありませんでした!
2月に入り、大学の期末試験を済ませた愚息②は、寝袋をかついでボランティアとして「神戸入り」しました。
災害で心を痛めた子ども達のための「メンタルケア」のボランティアグループを立ち上げて、4月中旬まで神戸にいましたが、大学の授業もあることから、地元の高校生や大学生に引き継いで帰宅しましたが、「個人の力の小ささ」を痛感したとか・・・。
そして、三年前・・・、
神戸へ行ってみた私たち夫婦。
港にある「震災の爪あとを残した公園」に息をのみ、亡くなられた人たちの慰霊碑の前に頭をたれ・・・、
復興なった町の姿に安堵しました。
もう16年の歳月が流れたんですね・・・。
あの時、バラバラに暮していた私たち家族、今はいっしょに楽しく暮しています。
愚息①は、大阪・蛍池に、主人は名古屋に、私は神奈川、愚息②は東京にと4世帯に分かれての生活をしていました。
朝6時ごろ・・・、
大阪に住む愚息①から「地震があったけど、僕は大丈夫だから・・・」と電話がありました。
起き抜けの頭がよく回らない状態の私は「???」と思いつつTVのスイッチを入れました。
関西で地震発生・・・死者も出ている様子・・・でもそんなに大きくはないという報道の印象でした。
名古屋にいる主人の元にも、愚息①から「無事」の電話があったとか・・・。
その後、状況が分かってくるにつれて、地震の大きさ、被害の状況が少しづつ判明・・・!
そのすごさに声もありませんでした。
その後、愚息①と連絡をとろうと思っても電話は通じず・・・、
義姉と姪も大阪に住んでいるし、5~6年前まで大阪に住んでいた私たちですので、たくさんのお友達があちらにいます。
彼女たちに連絡をとりたくてもできませんでした。
その後、一人の友人が家が崩壊していることが分かりましたが、どこに避難されているのかと案じていました。
神にすがる思いで、壊れた家の住所へ「手紙」を書いて送った私。
二週間ほどして、彼女から電話がありました!
壊れた家の前に「避難先」の住所を書いて立て札を立てておいたのだそうです。それを見た郵便屋さんが、そちらへ転送をしてくださって届けて下さったのです!
この時ほど「日本の郵便事業の優秀さ」に感謝したことはありませんでした!
2月に入り、大学の期末試験を済ませた愚息②は、寝袋をかついでボランティアとして「神戸入り」しました。
災害で心を痛めた子ども達のための「メンタルケア」のボランティアグループを立ち上げて、4月中旬まで神戸にいましたが、大学の授業もあることから、地元の高校生や大学生に引き継いで帰宅しましたが、「個人の力の小ささ」を痛感したとか・・・。
そして、三年前・・・、
神戸へ行ってみた私たち夫婦。
港にある「震災の爪あとを残した公園」に息をのみ、亡くなられた人たちの慰霊碑の前に頭をたれ・・・、
復興なった町の姿に安堵しました。
もう16年の歳月が流れたんですね・・・。
あの時、バラバラに暮していた私たち家族、今はいっしょに楽しく暮しています。