prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「敵」

2025年01月28日 | 映画
繰り返される悪夢的な場面展開にハイコントラストな白黒画面が効いている。白黒だと抽象化されるので現実なのか夢なのか幻想なのか境目なく行き来できる。

儀介はMac(というちょっとハイブロウ?な機器を使っている)に送られてくるスパム類を初めは捨てているのだが、うっかり?クリックしてしまうと、画面が意味不明の記号の洪水の中に難民移民といった意味が部分的に通じるフレーズが混じる状態になるのがたとえばコンピューターウィルス感染を思わせるし、昨今の難民移民を時には妄想混じりで敵視する傾向を逆に照射しているようでもある。

歳のわりにIT機器に慣れてる感じだが、これから後、Macは電源を落として手書きの文字で遺書をしたためるようになる。
器用に料理をこなしているのは大学の専門が仏文というのと関係しているのか、IHクッキングヒーターを使っているのは老化に伴って炎が服に燃え移らないよう予防するためだろうが、妻の生前からやっていたのかどうか。

ひとりで住むにはやや広すぎる家で、たくさんの蔵書が至る所にあって死んだ後それらの本の整理を心配していたりする。あれが電子書籍だったらややこしいだろうな。





「エストニアの聖なるカンフーマスター」

2025年01月27日 | 映画
タイトルそのまんまの内容。
ぶっとんでいるには違いないが、なんだか素朴手作り感もある。
ただし肝腎のカンフーがショボい。

ポップカルチャーが禁じられたソ連占領下のエストニアを舞台にしていて、バカにでかいラジカセでブラックサバスを聞くのと、出てくる大半が聖職者たちというのがカオス気味。





「ディックス!! ザ・ミュージカル」

2025年01月26日 | 映画
まあお下品な映画。
生き別れになっていた双子が家族が欲しくて両親を復縁させようとするのだが、親に関してはうまくいかなかったものの、目をむくような方法で彼ら自身が家族になってしまう。

トランプ政権が発足して間もないもので結果として挑発する格好になっている。神はホモ(faggot)だと自称するのだから。
主役ふたりが本物の双子かと思ったら、他人(ジョシュ・シャープとアーロン・ジャクソン)だという。

エンドタイトルの半ばメイキングを見ると、下水道ボーイズという二体のクリーチャーの操演する部分をグリーンに塗っていた。

ミュージカルというのは上映時間が長くなりがちなのだが86分とコンパクト。最近の映画の中では一番短い。





「満ち足りた家族」

2025年01月25日 | 映画
弁護士の兄と医者の弟というのは社会的ステータスからいけば最高位同志みたいなもので、実際定期的に会食しているレストランは一目で高級とわかる。

ただし両者のバランスは崩してあって、弁護士の兄は死亡事故を起こした運転手をそうとうにアコギな弁論で運転手自身をすら丸め込んでしまい、弟の方にボランティア的に老母の世話を負わせている。
では弟が自己犠牲気味なのを納得しているのかと思うと思わぬところで(実は予想がつく形で)噴出する。
どことなくカインとアベルを思わせるが、もっといびつ。

ふたりの子供たちがもっといびつなのだが、毎度のことながらの韓国の猛烈な学歴社会ぶりとそこからの逸脱との葛藤が背後にある。

製作国を転々と変えてのこれが四度目のリメイクらしいが、前の三回はほぼ未公開。





「サンセット・サンライズ」

2025年01月24日 | 映画
竹原ピストルの居酒屋にたむろしている井上真央をマドンナ扱いして互いに牽制しあっている四人の独身男の設定がコミカルだが、よく考えてみるとかなりシリアス。嫁不足だから空き家の斡旋で地方創生して人を呼び込もうという基本的設定につながってくる。

河原に主なキャラクターが集まってピクニックみたいになるあたりが山田太一ドラマの大団円っぽいが何も解決していないラストみたいで、これで終わるのかと早とちりしたら後がかなり長い。
少なくとも、菅田将暉が東京にいったん戻るのは二度手間。

最初の方で井上真央が空き家にカメラを向けたら小さな子供がふたりファインダーの中を幻影みたいにぱたぱたと駆け抜けていくのだが、何ですか、あれ。
劇中の絵(ちなみに菅田将暉本人が描いたものらしい)に前にはいなかったふたりの子供が描き加えられているところがラスト近くにあるのだが、これもよくわからない。原作読む必要あるのか?

「君よ憤怒の河を渉れ」「リメインズ 美しき勇者たち」「デンデラ」でもクマは鬼門だったが、コミカルな扱いとはいえ実際にクマが全国に出没している現状では造形がちゃっちいのは気になる。

新鮮な魚を食べた菅田が目をまん丸にして美味しがるのが可笑しい。
しかし魚を肴に酒ばかり飲んでいて白いご飯で食べないのはもったいない気もしないではない。

中村雅俊と井上真央がどう見ても父娘なのだが実はというあたり、他の家族が絡まず後の方まで写真も出てこないのでちょっとわかりにくい。

エンドタイトルで俳優たちの名前が一通り出たところで監督・編集の岸善幸の名前がスタッフの中では真っ先に出るのにあれと思う。たいてい監督の名前は最後に出るものだと思っていた。





「港に灯がともる」

2025年01月23日 | 映画
富田望生のヒロインは阪神淡路大震災の被災者で、在日コリアンの帰化問題を抱え、コロナ禍にみまわれ、家庭内の不和にも悩ませられているという具合にドラマチックな要素には事欠かないが、それらをやたらと並べ立てないで順々に後からわからせていく。

まず単なる?不眠症なのか鬱病なのか、とにかく眠れない症状の描写から入り、そこから恢復していって職につき人心地つきある程度余裕が出てから徐々に各モチーフに移る。
いきなりテーマを正面から押し立てないで、いわば小文字で綴っていく。

富田望生が父親の甲本雅裕との口論のあと、風呂場に閉じこもってすりガラスに影も映らない状態が続いてからドアを開けて出てくるまでの、誰も映っていない長い長い間には息がつまった。ずいぶん大胆な演出で、終盤の父親相手の「家族らしい」つまりこまごまとした語り合いが欠けていたと電話で話すやはり長回しの緊迫感と対をなす。

長田区の鉄人28号の巨大なモニュメントが頻繁に写されると思ったら、原作者横山光輝の出身地なのね。







「FPU 若き勇者たち」

2025年01月22日 | 映画
「戦狼 ウルフ・オブ・ウォー」同様アフリカの架空の国が舞台で、国連に出向している中国警察の部隊が、民間人虐殺の証人の女性を独裁者の手から守る一編。

女性と子供を守り切れるかというごく基本的な設定に徹していて、プロパガンダ臭は抑え気味だが、いかに中国がアフリカに大勢の人員を割いているかラストの字幕で自慢するもので、日本だって出してるけれどいちいちアピールしないぞと思う(それはそれで問題あるけれど)。

敵役が白人黒人混ざっていて漠然と傭兵の最大公約数っぽいイメージ。いわゆるテロリストとかゲリラのイメージは避けている。

「インファナル・アフェア」シリーズの監督アンドリュー・ラウが製作総指揮にまわり、アクションシーンは大掛かりなんだがいかんせん大味。

余談になるが、以前「スター・ウォーズ」計画ばりに映画から名前をとった中国の「戦狼外交」なんて言葉が喧伝されていたけれど、映画シリーズ三作目製作中でなぜか打ち切られて、以来ぷつっとなりを潜めている。特報まで作られていたんですけどね。





「アンデッド 愛しき者の不在」

2025年01月21日 | 映画
生きていると思っていた人間がじりじりと腐敗か乾燥していく。
生者と死者とがあまりはっきり分かれておらず、説明的な描写を切り捨てているので、なおわかりにくい。

モノトーンに近い色彩、間と沈黙を重視した演出で、音楽と併せて画面の運びも無調みたいで正直たびたび睡魔に襲われた。

エンドロールの最後に「この映画の製作中に動物は殺していません」と表示が出るのに、いささかほっとする。





「美徳のよろめき」

2025年01月20日 | 映画
脚色(新藤兼人)が三島由紀夫原作の抜粋をナレーションで流すといった最近は流行らない文芸映画調。自意識過剰なところを強調した感じ。

西村晃の按摩がヒロイン月丘夢路の身体を揉んで、恋をしていますねとか、おめでたでございますねと目が見えないのに言い当てるところで、サングラスの表面に光を反射させるところに中平康の才気を見せる。




「愛の渇き」

2025年01月19日 | 映画
鮮烈な映像感覚などというとチンプになるが、一見前後の脈絡なくヘリコプターショットが登場したかと思うとそれがいつの間にか屋敷の敷地の広大さの表現になだれこんだり、坂道のえんえんたる移動を路面を傘が飛ばされるクイックカットにつなげたり、白黒画面に赤一色のカラー画面をワンカットだけ投げ込んだりと惜しげもなくエキセントリックなくらい感覚的な表現を繰り出してくる。

篠田正浩監督の「あかね雲」が同じような白黒画面に雲だけ赤くカラーで染めたカットを挿入する処理をしていたので調べたら、こちらの蔵原惟繕監督作は1967年の2月18日公開、「あかね雲」は同じ年の9月30日公開。影響というには時間がなさ過ぎるし、あちらは松竹=表現社(第一作)で、こちらは日活。感覚的な演出を得意とする同志が半ば偶然だぶったか。

三島由紀夫のヒロインがひたすら悶々と過ごすメロドラマの人工性に映画的文体で挑むといった趣。

しかし今の金持ちって、こういう具合に自分の家に使用人を置いていたりするのかな。昔からの金持ちはともかく、ヒルズ族以来にはそういうイメージないが。




「劇映画 孤独のグルメ」

2025年01月18日 | 映画
エピソードとエピソードのつなぎ方がしりとりみたいで、食映画の先輩「タンポポ」にならったとも言えるし、さらにさかのぼるとルイス・ブニュエル「自由の幻想」に行き着く(伊丹十三その人がそう言っている)。

もっとも「自由の幻想」およびその姉妹編みたいな「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」は食のモチーフの取り上げ方が「孤独のグルメ」とは真反対で、食卓の椅子がトイレの洋便器になったり、食べたくても食べられない状況がなぜか続いたり、欲望に逆らってばかりいる。

テレビドラマ版だと井之頭五郎はとにかく幾皿も幾皿もすごい量を食べるが、劇場版では特に前半は食べてもオニオンスープとビーフシチューの二皿だけで、ことによると一日に一食くらいしか食べてないのではないか。その分、こちらもおなかがすきます。空腹は最良のソース。
遭難したからとはいえ、素性の知れないキノコと貝の鍋なんて大丈夫か、毒にあたりはしないかと思ったら全然大丈夫ではなかった。

食べ方もテレビのように口まわりに食材をまったくといいくらい見せないわけではなく、パンにシチューを乗せてかぶりつく程度には見せる。

調子が出てくるのは中盤、韓国料理を幾皿も並べるようになってからで、韓国式マナーでは料理を乗せた机の脚が折れるほど大盤振る舞いすると形容されるのも納得の歓待ぶり。
遭難して気が付いたら韓国領というのがさりげなく大胆。

しりとりを逆に辿るようにして塩見三省のおじいちゃんが昔食べたスープを再現していく組み立てが緩いけれど筋が通っている。

ガラケーを使っているのがゴローちゃんらしいというか。

松重豊がこのところ地の白髪姿で出ることが増えて、井之頭五郎とは別人格だと演じ分けている感じ。
上映前のCMで商品の種類を変えて三つも出ていた。





「グランメゾン・パリ」

2025年01月17日 | 映画
パリのロケと料理の数々は目に楽しく贅沢な気分に浸る。こちらとは縁のない世界ではあるが。
はじめのうち日本のルーツを無視してフランス料理の伝統に忠実であるべしなんて言うけれど、そんなことできるわけないので日本に回帰するだろうと思ったら案の定。
フランスが人種文化の多様性を保持しているかというと、実際問題そうでもないでしょ。





「シンペイ 歌こそすべて」

2025年01月16日 | 映画
音楽映画としてはどれも聞き覚えのある曲で、あ、この曲も中山晋平作曲なのと何度も思った。
メロディが親しみやすく列車内の「ゴンドラの唄」のくだりにせよあたまからメロディを押し出さず、徐々にドラマを組み込むように処理している。割と史実に忠実っぽい。

なんだか見覚えのある顔立ちの俳優ばかりだが、それもそのはずで中村橋之助、三浦貴大、渡辺大、緒形直人、真由子と二世あるいはそれ以上の俳優総出演。

どういう製作体制で作られたのかわからないが、美術装置の質感がロケセットらしいがかなり厚みがある。
室内に置かれた古ぼけたオルガンが後年立派なピアノになるのを似た構図で繰り返して見せるのがわかりやすい。借金を返すのをいちいち律儀に描いている。

ラスト近くで戦時色が濃くなってくるありがちな展開は重くなる前に躱した感。




「エマニュエル」

2025年01月15日 | 映画
冒頭、飛行機で髭面の東洋人と乗り合わせたエマニュエル(ノエミ・メルラン)がつと立ってトイレに姿を消す。斜め後ろからの顔はよく見えないが、代わりに太腿はよく見える思わせぶりなアングルで撮られていて、半世紀も前の「エマニエル夫人」の飛行機セックスの再現なわけだが、ひょいと場面がとぶともう男はトイレにいてエマニュエルと無機的なピストン運動で交わっている。男がトイレから出るシーンもないので、行為の前後に思わせぶりな前戯、後戯が置かれるということが基本的にない。

男の側の一方的な劣情妄想を切り捨てているフェミニズム的な作りということになるだろうが、女の方の劣情まで切り捨てたみたいで、「サスペリア」のルカ・グァダニーノ 版リメイクみたいに、わざわざリメイクでやらないで別にオリジナルでやればいいのにと思ってしまう。それだと比較対照にならないからではあるだろうが。

土台、今回見てみる気になったのはかなりフェミっぽい匂いがしたからで、これまでシルヴィア・クリステル以外のエマニエルは全部パスしたし、オリジナルの「エマニエル夫人」だともうあからさまに東洋人差別がばりばりに出ていたのだが、そのあたりPC的に遺漏なく収まっているのが逆になんだかむずむずする。

エマニュエルに性的に奉仕する男たちが実行役と指示役とで別になっていてしかも指示役が主というラストの図(つまり直接は絡まない)に、なんだか面倒くさいなあと思う。

どうでもいいけど、ノエミ・メルランは左利きなのね。箸を左手で上手に使っている。





「甘い汗」

2025年01月14日 | 映画
岡崎宏三撮影、水谷浩美術のこってりした質感が見事。言葉が上方でないのが不思議なくらいねちっこい手触りだが、舞台はなんと下北沢。1962年はこんなだったのかと驚く。闇市が辛うじて残っている。
というか、だいぶ長いこと行っていないから今行ったら改めて驚くだろう。

冒頭いきなり小沢昭一がバーに入っていったら女二人が誰なのかわからないまま(片方は京マチ子=大阪出身)いきなりぐちゃぐちゃした取っ組み合いになるなんともいえないカオスな出だしだが、すぐ豊田四郎らしい端正さとせめぎ合うようになる。

棟方志功をあしらった屏風の前で、小沢栄太郎が京マチ子の愛人に対して「女を泣かしてはいけまへん、それが私のモットーです」と言うのに対して京が「もっともです」と返したら、何を勘違いしたのか「違います、モットーです、わかります?」という変なやり取りになる。聞き違いしたのか確かめようともしない、小沢が京を見下しているのが一発でわかる。

元は京がテレビドラマで初主演した水木洋子の脚本「あぶら照り」の映画化らしい。昔のテレビドラマは「男はつらいよ」にしても、市川崑版「破戒」にしても映画版とは別に作られていても現存していないことが大半なもので比較できないのが困る。

佐田啓二の映画としては最後になってしまった作品だという。めずらしく色悪の役。