prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「雨の中の慾情」

2024年12月21日 | 映画
背景がどこで探してきたのかと思うような明らかに日本とは違うロケセットで、エンドタイトルで日台合作なのがわかる。その前から中村映里子のセリフに中国語?訛りがあるのに気付いた。
初めから台湾だと知ってから見たらまた別の趣があったかもしれない。

原作はつげ義春で、作中で成田凌が描くマンガの絵柄もつげにほぼ合わせてある。

イメージなのか現実なのか戦争シーンが執拗に入ってきて、自動車のナンバープレートに「北」の文字が見えるところも南北朝鮮の対立や、台湾ならではのそれ以上の暗示がなされていると思しい。

ただ、目覚めたら悪夢式の繰り返しがいささかしつこく単調で、正直なかなか終わらないなとじりじりした。
その割に締めくくり方が弱い。

つげ式のエロや貧乏くささ、小旅行の感じはよくつかんでいる。





「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」

2024年12月20日 | 映画
今年の5月に日本公開された「胸騒ぎ」という映画のリメイクらしい。
ずいぶんオリジナルとリメイクの間をおかない公開です。オリジナルの監督・脚本のクリスチャン・タフドルップとマッズ・タフドルップ が脚本に
参加しているのが珍しい。

それを知らないで見たもので、田舎の孤立した農家が主な舞台という設定からしてかなり「わらの犬」っぽいと思った。
窓ガラスを割ったり猟銃をぶっ放したりといった暴力が表に出るまでじりじり焦らす構成もそう。というより、そちらがむしろ眼目だろう。

スクート・マクネイリーが一家の主としてジェームズ・マカヴォイに対抗しなくてはいけないのに「わらの犬」のダスティン・ホフマン同様かなり弱虫で、妻役のマッケンジー・デイヴィスが178cmと長身なこともあって比較するとどうも頼りない。
これまた懦夫奮起せば、的展開にはなる。

半ば人質になっている口のきけない子供の扱いがきつい。





「ヴィルコの娘たち」

2024年12月19日 | 映画
ワイダという監督もさまざまなスタイル・作風を使い分ける人で、これなどすごくきっちり結構が整ったドラマ。

ダニエル・オルブリフスキが川を渡ってやってきて始まり、また川を渡って去っていくところで終わる。川を渡るというのがひとつの区切りになっていて、再生の象徴にもなっている。
会いに来た女性がすでに亡くなっていて、入れ替わり立ち代わり現れるさまざまな女性たちがあとを埋める。

死を前にしているだろう叔父や対照的に猟銃(=死)を手にして弄んでいる若い女など、さらにサブ的な人物配置のバランスが巧み。

原作者のヤロスラフ・イヴァシュキェヴィッチがさらに最初と最後の列車の中で特別出演するのが恭しい扱い。 




「コルチャック先生」

2024年12月18日 | 映画
ナチスの収容所に向かう列車が止まり、扉が開いて子供たちが解放されるイメージで締めくくったラストが、現実にあったであろうこととコントラストをなしている分、痛ましく美しい。

ロビー・ミュラーの白黒撮影が、フィルムのグレインが輝くばかり。
脚本がアグニエシュカ・ホランド なのね。
日本だと加藤剛が演じた役だけど、似合いそう。




「ザ・バイクライダーズ」

2024年12月17日 | 映画
「最後の決闘裁判」の主演ジョディ・カマーを迎えたこともあってか「羅生門」式の証言による語り口を採用したと思しい。
エピソードの途中でぶち切って次のエピソードに唐突に移行してからまた唐突に戻るといった具合。その距離の置き方がライダーにはふさわしい。

写真集が原作という珍しいケースだが、なるほどバイクそのものやファッションなどヴィンテージものが揃っている感じ。





「白樺の林」

2024年12月16日 | 映画
兄弟の性格の違いの描き方が巧みで、白樺の林が伐られていくあたり、「桜の園」風でもある。

「めまい」や「ジョーズ」の使用例が有名な、通称逆ズーム(ズームアップと後退撮影あるいはズームアウトと前進撮影を併用したカメラワーク)があるのは意外だった。
具体的にいうと弟が窓のカーテンを落とした後の窓の外の撮り方。

ダニエル・オルブリフスキが子供にかなり手荒な真似をするのが今見ると気になった。1970年製作の映画なので、今とは感覚が違うのだろう。

馬車が走り去ったあとを二頭の犬がまっしぐらに追っていくのが印象的。

七階で開催されていたワイダ展もだが、かなり若い客が入っていた。




「ロトナ」

2024年12月15日 | 映画
タイトルは馬の名前。
疾駆する白馬のまわりの地面に砲撃が加えられるオープニング間もないシーンは今だったら絶対に動物虐待と見做されるなと思った。

馬が大量に出てくる「パン・タデウシュ物語」をワイダの予習でU-NEXTで見たものでなんだか黒澤明調みたいに見えた。




「ホワイトバード はじまりのワンダー」

2024年12月14日 | 映画
基本的な構想は「アンネの日記」みたいに不自由な環境に匿われているユダヤ人の話で、画面がグルーミーに暗く、その中で主人公ふたりがチャップリンをきっかけにスクリーンプロセスをアレンジしたみたいな映像効果で輝かしいニューヨークを空想する場面が秀逸。
匿われていたのはひとりだけではないのを知る展開が希望につながる。

今のイスラエルがやっていることを見ていると、単純にコンパスの針をまわしたみたいに被害者側が加害者側になったわけではないのはわかっているつもりだが、ある程度憮然となるのは避けられない。

ヘレン・ミレンが自分の若い時のナチス時代を語る形式で、ヘレンは1945年生まれだから10年がたズレているのだがあまり気にはならない。





「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」

2024年12月13日 | 映画
見たところ出てくる一万円札の束が福沢諭吉ばかりで渋沢栄一は見かけなかったと思うが、どういうことかな。実は混ぜると都合が悪い理由があるのだが、気がついたのはずっと後になってから。

内野聖陽が居並ぶプロの詐欺師たちの中であくまで素人で、税務署員という強権的になってもおかしくない立場でも、なんだかひどくびくびくしている。
ミッションとするとあくまで小澤征悦の脱税を摘発するのが目的で、コンゲーム式にひっかけて一杯くわせるのは岡田将生の担当ということになる。このあたりの目的のずれがひとつの軸になっていて、他のメンバーも、必ずしもチームワークがいいというわけではない。

仇役の小澤征悦なのだが、なんだか成金的な金持ちというわけでもなく、かといって日本映画式に貧乏くさいわけでもない。ロケセットなのか、古いけれど風格がついているわけではない建物を使っている。
「コンフィデンスマンJP」式に作りものっぽいハデな背景でメリハリをつけるのとは違う。

内野が前半のビリヤードでちゃんとフルショットで決めている。




「JAWAN ジャワーン」

2024年12月12日 | 映画
3時間の大作。長いことも長いが、長くなくてはいけない必然がある。言って見れば、襲名披露公演みたいなもの。シャー・ルク・カーンが変装芸こみというのもそれらしい。

何千人もの女を飲み込んだ女刑務所にひとりだけカーンがいて、一方でフェミニズムにも配慮している。ラブシーンでは唇を合わせなそうで合わせないのだね。暴力描写は相当なものなので、どうなっているのだろうと思う。

社会派的な要素のうち、相当にえぐいところと、言うと何だがインドならではの思い切り調子よく解決するところが両立している。





「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」

2024年12月11日 | 映画
グリア・ガーソン、ウォルター・ピジョン主演、マーヴィン・ルロイ監督による1943年の「キュリー夫人」と併せて見ると興味深い。ちなみにこれは戦後日本の洋画公開第一号。
ガーソン版はかなりストレートな伝記映画で、ラジウム発見までの苦心惨憺のプロセスがもっと描き込まれていて、きれいごとの偉人伝で済ませているのではないかという疑いもあったが、今見ても女性差別や外国人差別などの要素を外してはいない。
しかし戦時中の製作ということはもろに核兵器の開発と同時並行の製作だったわけで、こちらとすると複雑な気分にならざるを得ない。公開当時の日本の反応はどうだったのだろう。

一方このロザムンド・パイク主演版はキュリー夫人の最後の時から始まって、時間を遡りかなり大胆に時間空間を再構成する作りになっている。
明らかに時空を飛び越えて広島に原爆が投下されるところまで見せてしまう(もっともここは変な日本にみえてしまう)。
監督マルジャン・サトラピがイラン人でアニメ作家でもあるという抜擢もあって英米以外からの視点を入れようとしたと思しい。





「海の沈黙」

2024年12月10日 | 映画
「脚本 倉本聰」ではなく「作 倉本聰」というのは、役割を分担したスタッフとしての脚本家ではなく、全体の作者であることを示すのだろう。

絵画を描く映画というのは、ここで使われた絵にはそれなりの説得力はあるにせよ、それとは別にどうしても作中の絵画の作者と俳優との齟齬が感じられて絵そのものの出来とは別にすきま風が吹き込むように思えるのだが、ここでは塗りつぶされた絵の上に描かれた絵という仕掛けを持ち込むことで画面に出ない概念としての美の存在を示唆しているように思う。

本木雅弘と小泉今日子が昔アイドルだったことと、それぞれ違う境遇で過ごしてきたのを同時に表現している。

石坂浩二がかなり凝ったメイクで栄達した画家役をやっているが自身二科展入選の実績がある画家でもあるわけで、役と本人とをはっきり分ける必要があったのだろうなと思う。

清水美沙は美人の割に相当変な役をやること多いが今回もかなりのもの。









「ふたりで終わらせる IT ENDS WITH US」

2024年12月09日 | 映画
DVの描き方が初めのうちクイックカットで何をやっているのかわからないくらいにして、あとの方でまとめてそういえば、とわかるようにあからさまに暴力を描かないよう慎重の上にも慎重な扱いになっていて、監督が主演も兼ねていると聞いてそのせいもあるのか、と思った。

オシャレ映画なのかと思ったらそうとうに違ってました。

後注 舞台裏はさらにドロドロしてました。詳しくはこちら





「ドリーム・シナリオ」

2024年12月08日 | 映画
予告編のニコラス・ケイジが他人の夢に出てくるというアイデアに、どういう風に展開するのかと思ったら、あまり展開しないで不明瞭に散発的に終わった感。





「正体」

2024年12月07日 | 映画
横浜流星のキャラクターの文字通りの正体がかなり終盤になるまでわからず、彼に関わった三人の男女のそれぞれ違う世界と三面鏡のようにときどき乱反射するような編集で綴る。
流星のメイクの変化もだが、見ようによってはどちらともとれるコントロールが巧み。
ラストが意外性ではなくそこに落ち着くかという納得がある。