prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「燈台守の恋」

2005年12月22日 | 映画
中盤、こんなシーンがある。
灯台から猫の姿が見えなくなり、しばらく探していた灯台守二人が休憩して話し込んでいると、いつのまにか猫が寄ってきている。ところが二人は話し続けて猫に気がついたのかどうかわからない、鳴いても何の反応もしない。シーンのラストでちゃんと猫を相手にしているのだから、どこかからは気づいたのだろうが、それがわからないようになっている。

なんでもないようなシーンなのだが、クライマックス、不倫ものだから当然亭主と若い男が対決しなくてはいけないのだが、どこで殺意を持ったのか、どこで死ぬ気がなくなったのか、といった普通だったら示されそうなモメントがない。
二人とも心ここにあらず、といった状態になって、通常だったら悲劇にまっしぐらになるのを、え?と言いたくなる展開で逆転する。
そういう不思議な、なんでそうなるのかわかるように描かない方法をとることを、中盤で予告していたのではないか、という気がする。

釣られたり缶詰にされたりして、魚が頻繁に出てくるのだが、その魚の缶詰をクライマックスで猫に食べさせているのは、見ようによっては灯台に「缶詰」になっている男たちを猫が見下ろしている図、という狙いかもしれない。猫に将軍の名前がつけられたりしているのだから。
魚をぶら下げている神父というのも出てきたが、キリストの十二使徒の何人かは漁師でしたよね。

不倫ものは人妻と若い男がメインで、亭主はつけたりというのが常道だが、ここではむしろ男二人の結びつきの方が強いくらいで、実際狭くて島からも離れた空間で一緒に暮らしているうちに気持ちが通じ合ってくる描写がよくできていて、二人が並んで写真に納まっているラストも納得できる。
この亭主がよく描けていることが、凡百の不倫ものとこれを引き離した。

戦後まもない(なぜ若者が絶対殴られても殴り返さないか、この時代と関係している)風俗描写の見事さ。
辺鄙な環境で、排他的になっていく人とあっけらかんとしていられる人とを共に描いている。
フランス映画だが、ロケ地の風景からかなんだかケルト的な男っぽさみたいなものを感じた。
(☆☆☆★★★)



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