米軍が冷戦下の状況だというのに姿を見せない。
佐藤忠男が以前日本の戦争映画には具体的に敵が描かれない、もともと敵をアメリカ映画のように憎憎しく描こうという志向はあまりなく、敵と戦うのを修行のような内面的な行為として描こうとしているのではないかと書いていたが、それを思わせる。
時代設定では戦後すぐの自衛隊はおろか警察予備隊すら現れず、もっぱら武装解除がGHQの方針だった頃で、「シン・ゴジラ」のように官僚や政治家のようないわゆる国家機関も出てこない。
だいたい日本がほぼ国の体をなしていない頃だ。
もっぱら民間の力を、それも「プロジェクトX」みたいに結集するわけではなく、離脱者も出てくる形でなんとか合わせているだけで、それもなんだか頼りない。
神木隆之介がその上で生き残ることと特攻を併せた形容矛盾みたいな作戦を敢行する。
最終的に特攻して終わるか生き延びるかというキワキワのカタルシスがある。
銀座の再現と破壊と共に伊福部昭の音楽が鳴り響くのはちょっと決まり過ぎた感じで面映い。