prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「地面師たち」

2025年02月09日 | 国内ドラマ
小池栄子がいろいろあってスキンヘッドになるところは見事なメイク(だと思う、全然わからない)。まああちらでは「タクシードライバー」のモヒカン頭も「ラストエンペラー」の辮髪もメイクですからね。

ピエール瀧が堂々と顔を出しているのが妙な感じ。まあロバート・ダウニーJr.だって映画に出てます。資本といい、倫理規定といい、配信という黒船が来航したとまざまざと感じさせる。

地面師たちは集団で詐欺を働くのだが、チームワークとか精神的な結びつき、一体感はまったくない。どころか、隙あらば、というか隙を探して殺そうとしている。

豊川悦司が「ダイ・ハード」のアラン・リックマンに絡めたエピソードを刑事のリリー・フランキーにとくとくと語るセリフは原作にはない。リリーに相棒の池田イライザを絡めたのは善玉の側にも女を配した方がいいと判断してだろう。




「ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた」

2025年02月09日 | 映画
昔アルバムを自主制作して売り出した兄弟のところにそのLPを聴いたというプロデューサーから再発売したいと申し入れがある。音楽メディアがLPだからずいぶん昔のことになる。
兄弟のところではスマートフォンもパソコンもインターネットも使っていない。親夫婦も同様。

再発に合わせてツアーをやるが、弟ドニーには久しぶりに再会した兄ジョーのドラムスがトロく聴こえて仕方ない。LP自体、新しく生み出したわけでもなく遺産で食べるようなものだし、聴衆もむしろ昔の歌の方を喜ぶのだが、弟は苛立って停滞するのを嫌う。明らかに芸術家気質の持ち主であり、才能は兄も父も認めている。弟もそれがわかるだけになお苛立つ。

フラッシュバックで父親が倒れるところが挟まるが、前もって父親が現在無事なところを見せているから安心はできる。心労で倒れるのがわかるのはさらに後という具合に時制が行き来する。

ドニーの若い時と中年の時を同じ画面に収めるといった昔なら「野いちご」といった芸術映画でしか採用しなかった技法を使っていて、アップショットが焦点深度を思い切り浅くしてボケ味を生かしたのが、過去にしまって蓋をしていた記憶が蘇りかかったようなニュアンスを出す。

ラストでまた一段、フェーズが変わって驚かせる。