さまざまなアートフィルムの技法をマイルドに使いこなしている。
ヒロインの若いときや幼い時の姿と現在の年取った姿とが同じ場面で共存するベルイマン(あるいはその師アルフ・シューベルイ)ばりの技法や、ヒロインの寂しさを人間の姿にして勝手にしゃべるというのは直接には「インサイド・ヘッド」や「脳内ポイズンベリー」ばりだけれど、ヒロインの過去の思い出につながってくるとフェリーニ、あるいはそれに日本の田舎風味を加えた寺山修司風でもある。
ヒロインの若いときや幼い時の姿と現在の年取った姿とが同じ場面で共存するベルイマン(あるいはその師アルフ・シューベルイ)ばりの技法や、ヒロインの寂しさを人間の姿にして勝手にしゃべるというのは直接には「インサイド・ヘッド」や「脳内ポイズンベリー」ばりだけれど、ヒロインの過去の思い出につながってくるとフェリーニ、あるいはそれに日本の田舎風味を加えた寺山修司風でもある。
昔だったら高尚な技法だったろうが、映像慣れした今の観客にはなんでもなくなっているということだろう。
タイトルで「ひとりいぐも」とあるようにヒロインが基本ずうっとひとりきりというのは、さまざまなキャラクターとぶつかり合うという一般のドラマの作り方はできない、というか封じているわけで、その一方でおらおらというのはおらが複数いて対話しているのを図にしているようで、タイトルを絵解きしたみたいな作りともいえる。
ラストをどうするのか、いくら老人を主人公にしているからといって、死なせて終わりというのは安直だし、まだ元気だし、この作りではむしろやってはいけないことだろう、と思っていたら、いろいろな要素がまとまらずになかなかぴたっとした終わり方を探しあぐねたようで何度も終わりそうで終わらないのにちょっと冗長感を覚えた。
田中裕子が髪の毛は真っ白なのに顔の肌はつやつやしているのがなんだか現実感がなくてこういう作りに合っていた。実年齢いくつだと思ったら65歳。老人といいきるには、いまどきちょっと足りない。
蒼井優は割と昔の日本が似合う、あるいはそう思われているみたい。
先日の「スパイの妻」では敵役の東出昌大と夫婦役というのは、なんだかおかしい。