prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「Bigger Stronger Faster」

2009年10月15日 | 映画

アメリカのスポーツ選手のステロイド漬けに始まり、「男らしさ」を示すのになんでああ筋肉モリモリでなくては気がすまないのか、というアメリカ人の意識構造の分析に至る。
要するに題名通りより大きく、より強く、より早くという資本主義の成功神話、成長神話の産物というわけで、このあたりは近年の日本も同じことが言える。それであれほどステロイドが流行ってるわけではないのは、まあ日本人の体格ではそれほど効果が目に見えないから、というだけだろう。

この映画で取り上げられている妻子を殺して自殺するというショッキングな事件を起こしたクリス・ベノワ以外にも、ずいぶんプロレスラーで心筋梗塞で40代、50代で亡くなった人は多い。心臓も筋肉だからステロイドで不必要に厚くなると酸素が行き渡らなくなるらしい。
シュワルツェネッガーも心臓の壁を削る手術というのを受けたはずだし。それでステロイド禍を見てみぬふりっていうのはね。

男性モデルを使った広告写真を撮っているカメラマンが、筋肉をつけるマシンの「使用前」「使用後」を一日で撮れるといって実際にやってみせる。ポーズや表情それから画像修整ソフトでいくらでも細工できるわけ。まったく「バカみたいだ」。

ここでは取り上げられなかったけれど、女性モデルがやたらガリガリだったり、むやみと巨乳がもてはやされたり、というのも似た病理からだろう(日本に巨乳が流行るようになったのはアメリカからの輸入という説あり)。

先日見た「レクイエム・フォー・ドリーム」ではいわゆる麻薬ではなく医者が処方したやせ薬の中毒でボロボロになる初老の女性が出てきたけれど、過ぎた薬の濫用は薬の種類に関わらず大きな害毒になる。
あと「医者が処方した」から安全ってものじゃないね。マイケル・ジャクソンにせよ、ヒース・レジャーにせよ、医者が出した薬で亡くなったはず。

「レクイエム・フォー・ドリーム」

2009年10月14日 | 映画

原作・脚本のヒューバート・セルビー.jrの代表作「ブルックリン最終出口」の三部構成は、ダンテの「神曲」の地獄・煉獄・天国の三部構成に倣ったものだというが、これも一種の地獄めぐりの旅と思わせる。

コカインで手っ取り早く稼ごうとするカップルだけでなく、ダイエットのために薬を使う母親までがドラッグ中毒にさいなまされる展開は、麻薬撲滅映画の枠を出て、アメリカの夢の果ての破滅の一つの典型と思わせる。
エレン・バーステインがアカデミー賞にノミネートされたらしいけれど、確かにオスカー好みの大熱演の中毒演技。なんべんも脳に電気を流されるあたり、拷問としか思えない(事実、懲罰として使われたこともあったという)。

英エンパイア誌が選んだ「落ち込む映画」ランキングのトップ10の、堂々1位になった映画。
(☆☆☆★)

参考
1.「レクイエム・フォー・ドリーム」(00)
2.「ひとりぼっちの青春」(69)
3.「リービング・ラスベガス」(95)
4.「道」(54)
5.「21グラム」(03)
6.「火垂るの墓」(88)
7.「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)
8.「冬の光」(62)
9.「リリア 4-ever」(02)
10.「ミリオンダラー・ベイビー」(04)


映像の魔術師 スピルバーグ自作を語る

2009年10月13日 | 映画
「未知との遭遇」の撮影を見に来ていたルーカスが、これはきっと当たるから自分の「スター・ウォーズ」とそれぞれ収益の2.5%を交換しないかと言い出した、という。結果、スピルバーグの方が儲かったわけ。CE3Kは完全秘密撮影だったはずで、仲の良さがうかがえる。

子供時代に作った8ミリ映画のモチーフ(空の光、子供、機械好きなど)が、規模はともかくのちの商業大作と同じなのがわかる。

チャンネル :BS2
放送日 :2009年10月 7日(水)
放送時間 :午後9:00~午後10:30(90分)
ジャンル :映画>洋画
番組HP:-
番組内容
                      <字幕スーパー>
                   <スタンダードサイズ>
                              
                          【出演】
           スティーブン・スピルバーグ…江原 正士
                              
  ~2007年 アメリカ ロラック・プロダクションズ/  
         ターナー・クラシック・ムービーズ制作~  
                              
                              
【撮影】クリス・デントン                  
【編集】ブライアン・マッケンジー              
【音楽】ケーシー・コーエン                 
【プロデューサー】ダグ・フリーマン             
         リチャード・シッケル           
【ディレクター】リチャード・シッケル            
【原題】SPIELBERG ON SPIELBERG    
                              
※インタビュー部分 吹き替え                
※映画挿入部分 字幕スーパー                
※一部白黒                         

「のんちゃんのり弁」

2009年10月12日 | 映画
ダメ亭主でも実家が金持ちなものだからヒモ亭主にはならないという設定が、話がどろどろになるのを救っている。
ヒロインの小巻にしたって、帰れる実家があるわけだし。

預金残高が70000円ちょっとというのがリアル。
その割りにヒロインの金銭に対する感覚が甘くて甘くて、これで商売やって大丈夫かと思わせる。だから本式に商売をする前に話を切り上げたわけか。衛生上の問題とか、とんでもないクレームつけてくる客とか、問題山積だろうし。
向田邦子の、小料理屋を始めてみてそれがいかに家庭料理とあり方が根本的に違うか思い知らされた、というエッセイをときどき思い出していた。

墨田区京島のロケが効果的。近所づきあいは残っていても、それほどべたべたした下町人情劇風にしていないのがいい。個人商店が閉店せざるをえなくなる状況も描きこんであるのだけれど、甘すぎず辛すぎずに仕上げている。
余談ながら、これで思い切り辛く仕立てたのが成瀬巳喜男。

喧嘩の場面で、小西真奈美がグーパンチで殴るかと思うとすぐ猫手パンチみたいになる。女の人ってホントに人殴るときああいう殴り方するのかな。あまり乱暴になりすぎないための演出でしょうかね。
(☆☆☆★)


本ホームページ


のんちゃんのり弁 - goo 映画

「コッポラの胡蝶の夢」

2009年10月11日 | 映画
コッポラには色んな面があって、センチメンタルで家族主義者のコッポラ、映画技術の先端テクノロジーがやたら好きなコッポラ、大君的プロデューサーのコッポラなど、など。
で、ここに顔を出しているのは「地獄の黙示録」のカーツの王国でフレイザーの「金枝篇」とかを引用する観念先行のインテリのコッポラ。つまり一番退屈なコッポラ。
内容がやたらと高尚な割に、映画の文体としては普通の商業映画で、実験性も中途半端。
(☆☆★★★)



「グッド・バッド・ウィアード」

2009年10月10日 | 映画
だだっ広い荒野を思い切り馬で疾駆する快感が横溢。後半、フラメンコ風の音楽の乗ってノリノリの場面が続く。
これは昔の西部劇の魅力の核でもあったろうし、昭和の初めに日本人が満州に寄せたロマンもかなりの程度関わっていると思う。
「馬賊」という言葉が堂々と字幕に出てきます。

満州を舞台にした擬似西部劇、というのは昔だったら岡本喜八が近いのを作っていましたね。ただしあれと違って戦争にまつわる被害者意識は、日本軍が出てくるにも関わらず希薄。日本軍はマカロニ・ウェスタンに出てくる悪い将軍とまあ同じような扱い。
最後に出てくるお宝の正体というのも、日本にとっては皮肉でよく考えている。

「いい奴、悪い奴、おかしな奴」と、称していても、実際は三人ともワル。もっともこれは元の「続・夕陽のガンマン 地獄の決闘」でも同じこと。
(☆☆☆★★)


本ホームページ


グッド・バッド・ウィアード - goo 映画

「サマーウォーズ」

2009年10月09日 | 映画
舞台になる旧家の大家族のひとりひとりが細かく描きこまれているのに感心する。

田舎の旧家の大家族と仮想世界の戦争というミスマッチみたいな組み合わせが、人間同士が一対一で向き合う姿勢に始まり、大勢の共感に広がる「コミュニケーション」の基本の発展という一点で成立している。

役所とか大学が使う大型コンピューターを旧家の座敷に持ち込み、イカ釣り船を丸ごと持ってきて(前半で親戚がイカばかり持ってくる意味がわかるのが芸が細かい)そこから電力を供給し、でかい氷柱をまわりに立てて冷やすあたりの、冗談みたいでもっともらしい描写が傑作。

仮想世界のクールなようでどこかグロテスク味が混ざったヴィジュアルは見もの。

仮想空間に言葉の壁がないというのは、将来的にどの程度克服できるのかと思う。
株価や為替を破壊しないのかな、とたびたび見ていて思った。金が絡むと「仮想」世界ではありえない、というより金自体仮想なのがばれるのがまずいのかも。
(☆☆☆★★★)
サマーウォーズ - goo 映画



本ホームページ

「ブラインドネス」

2009年10月08日 | 映画
画面を白くぼかしたりして白い闇を表現するカメラワークが、異様なくらい人物の実感に密着している。音響効果のセンスもすごい。

銃と食料と、おそろしくプリミティブな物を押さえた者がイコール権力を握る身も蓋もないリアリズム。にわか盲の国では生まれたときからの盲人の方が自由がきく分、権力のヒラエルキーの上に行くアイロニー。今更だが障害者といえどたいてい俗人に過ぎない。
唯一目が見える女性が、夫をはじめ収容者を助ける(というより波風を立てないようにする)ために見えないふりをしなくてはいけない、というあたりも怖い。

スティービー・ワンダーの真似が出てくるあたりの皮肉が強烈。
収容所の荒廃の実感がブラジル出身の監督の体質を思わせる。
木村佳乃が「おろち」に勝るすごい般若顔になるところあり。伊勢谷友介との日本人夫婦は、日本人だからどうというレッテル貼りから逃れて、いくつもある人種の一つになりおおせている。

バッハの平均律クラヴィーアが流れたり教会の像が目隠しされていたり、何より神の救いがまったく見えないあたりに、かえってはっきり宗教色が出ている気がする。
見たあとで原作者がマルクス主義者で無神論者であることを知る。白い闇というのは、神の恩寵=光があれば解決するという道を絶たれた世界とでもいった象徴か。

病気が蔓延する世界の緻密をきわめた描写と逆にそこから象徴性は、とうぜんカミュの「ペスト」を思わせる。
ジョン・ウィンダムの「トリフィドの日」も流星群を見た人々がみんな目が見えなくなる話だったけれど、あそこで三本の足を持って動ける植物(だから「トリ」フィド)の、その「三」という数字が、三位一体の三と関係あったのかなと思わせたりする。
(☆☆☆★★★)



「クリント・イーストウッド ジャズ・ナイト」

2009年10月07日 | 映画
イーストウッド作品に出てきたジャズ・ナンバーや映画オリジナル曲を多くのジャズ・ミュージシャンがリレー式に演奏して、イーストウッドを顕彰する、カーネギー・ホールでのライブの記録。

「ミスティ」にかぶせて「恐怖のメロディ」の抜粋が挿入されるなどの映画との関わりを見せて聞かせるほか、イーストウッドのインタビューがはさまる構成。

「ガントレット」のジェリー・フィールディングのジャズ・スコア(サントラではトランペットがアート・ペッパー)が抜けているのは残念。

「センチメンタル・アドベンチャー」(どうもこの題名は馴染めない、「ホンキートンク・マン」)はカントリー&ウェスタンじゃないの、と思うと、チャーリー・パーカーがC&Wのツアーのゲストを務めて、そこからインスピレーションを受けたというエピソードがイーストウッド自身の口から語られる。

息子のベーシストのカイルが父親そっくりなこと、気味悪いくらい。


<スタンダードサイズ>
                              
                          【出演】
                  クリント・イーストウッド
                       ケニー・バロン
                 チャールズ・マクファーソン
                    ジェイ・マクシェーン
                   ジョシュア・レッドマン
                      ジミー・スコット
                     レニー・ニーハウス
                              
  ~1997年 アメリカ ラプソディ・フィルムズ/    
                  マルパソ・プロ制作~  
                              
                              
【プロデューサー】ジョージ・ウェイン            
         ブルース・リッカー            
【ディレクター】ブルース・リッカー             
【原題】EASTWOOD AFTER HOURS:     
      LIVE AT CARNEGIE HALL  


本ホームページ

「ドゥームズデイ」

2009年10月06日 | 映画
イギリスにウィルスが蔓延してスコットランドを完全に感染地域を隔離してしまってから20年あまり、再びロンドンにウィルスが流行を始め、そこで感染地域に生存者がいるのを偵察衛星で知った政府は、ワクチン作成用に生存者を連れ出すべく感染地域出身の女戦士をリーダーにした戦隊を送り込む、という、「マッドマックス2」や「ニューヨーク1997」「ゾンビ」「バイオハザード」「エイリアン2」その他をごっちゃにしたような話。

近代文明が崩壊した世界とまだ残っている世界とのせめぎ合いが面白くて、建前とすると文明を守るための戦いのようで、途中からロンドンのパンデミックがみるみるエスカレートして秩序が崩壊して無政府状態になり、まったく近代社会の態をなさなくなってしまって、守るはずのものがどこかにいってしまうという逆転がユニーク。女戦士が帰っていくのも、ロンドンではなく生まれ故郷であるところの切り捨てられた側のスコットランドなのだ。かなり文明論の匂いがする。
イングランドとスコットランドとの実際の関係を考えると、妙にリアリティがある。地名が実在のものな分、なおさら。日本にたとえるなら、北海道や沖縄を切り捨てて手放す、みたいな話ということになるか。

近未来風だけでなく、イギリス中世のお城を舞台に斧や槍を振り回して甲冑姿の騎士が戦う趣向まで用意され、いろいろな時代の重量級のヴァイオレンス・スプラッタ・アクションがてんこ盛り。監督の好きなもの全部乗せみたい。
近代社会などといっても一皮むいたら暴力性とエゴイズムがむき出しになるのを踏まえた上で、前近代の野蛮な世界でヒロインが建前抜きで思い切り血なまぐさく大暴れする解放感が身上。カニバリズムまで出てくる上、食べる前にお皿を配るというあたりがブラック。
(☆☆☆★★)


本ホームページ


ドゥームズデイ - goo 映画

「51 Birch Street」

2009年10月05日 | 映画

結婚50周年を祝った直後に妻が死に、残された日記から息子からさえ平穏無事に見えた結婚生活の実態が見えてくるプロセスと、ふだん結婚式のビデオを撮影するのを仕事にしていて両親の金婚式も撮った息子が、脱線して結果としてドキュメンタリー作品として仕立てていくプロセスが平行する。

ちょっと不思議な気がしたのは、アップになる日記の文字がすべてタイプ打ちであったこと。タイプで日記書いてたのかいな(特に女性が?)。それをさらに製本したのか?家の中でやったら、かなり目立つ気がするのだけれど。
手書きの日記をあとから読みやすいようにタイプに打ったのを写したのだとしたら、その旨断るべきだろう。

60年代のカウンター・カルチャーや、カウンセラーの大流行などのアメリカ現代史が見えてくる。「相談できる人」が家の中にも地域(特に教会)にもいなくなっていったのが、老夫婦の生きてきた時代なのだろう。
松嶋尚美が大威張りでダンナが話を聞いてくれるとのたまう。

ふだん「松嶋 町山 未公開映画を見るTV」は東京MXテレビで日曜午後11時から前項編でアナログ放映しているのを留守録して後でまとめて見るのだが、この録画に一部失敗した。なぜかというと、テレビは近隣の住宅と一緒に共同アンテナからケーブルを引いて見ているのだが、これが最近デジタル化され、それに伴ってMXテレビはそれまでアナログ放送の2chだったのがなぜか9chになったから。
キー局のチャンネルは変わらないのだけれど、ローカル局の割付が変わるとは知らされていなかったし、まったくの想定外。どういう理由なのか、不思議。

デジタル化はテレビだけでなくアナログチューナーしか内蔵していないビデオにも関係してくるわけで、こちらの対応はただデジタルチューナーとつなげればいいとはいかない。かなり操作が面倒になる。

「ストリングス 愛と絆の旅路」

2009年10月04日 | 映画

キャラクターが文字通りすべて操り人形で、操る糸が丸見えというのが新機軸。操られていることをあからさまに見せてしまう点では通じるところのある日本の文楽と違って、操り師の姿は見えないのでキャラクターは運命に操られているとも、常に何かとつながっているとも見える。
糸が切られることが、命を絶たれることにも自由になることにもなる、多義的な表現。

途中から主人公の王子が放浪する羽目になり、貴種流離譚めいた展開になるが、実は自分の王家ももともと侵略者だったことがわかるあたり、何やらウルトラセブンの「ノンマルトの使者」みたい。

日本語吹き替えだとはむろん知っていたけれど、監督が庵野秀明とは知らないで見た(題名だけ知っていて、衛星放送を録画したのです)。人形はヨーロッパ製くさいのに、妙に日本っぽいと思ったら。
(☆☆☆★)


「ハンティング・パーティ」

2009年10月03日 | 映画
出だしのリチャード・ギアのテレビレポーターの職場ボイコットから、酒飲んで騒ぐジャーナリストたちのガラの悪さ(しかもエンドタイトルによると本物が四人も混ざっているらしい)、さらに世にもふざけた取材兼賞金稼ぎ旅行と、深刻なバルカン情勢の悲劇が喜劇的なタッチと混ざりくるりくるりと虚実皮膜という感じで描かれ、対象にコミットしてはいけないというジャーナリズムの客観主義的「ルール」も、いとも簡単に反故にされる。
戦争犯罪人がFOXと異名をとっていて、しかも当人が狐狩りを楽しんでいるという二重構造で「嘘」を意識させ、返す刀で国際社会やジャーナリズムの建前を切って捨てる。

国際紛争に陰謀論というのは必ずつきまとうものだけれど、その主体をわかりきった大国とか組織とかにしないで、ケチなジャーナリスト三人組にしてしまった作りが大胆。だからDVDにつけられた「CIAの陰謀」という物欲しげで古臭い副題は、完全に作品の方向を裏切っている。
ラストの展開などご都合主義というかノーテンキというか、そんなことあるのかと思わせる一方で、陰謀論の事大主義と知ったかぶりを逆に衝いている。少なくとも「闇に葬られる」のなら、こういう奴が葬られた方がいいものね。

もちろん裏には悲惨きわまる現実があるわけだが、その悲惨さに対してジャーナリズムとかそれを通してしか物を知ることのできない者たちにとって、結局は「他人事」にしかならないのを、今さら深刻めかさずに踏まえている。

監督のリチャード・シェパードは「アグリー・ベティ」の第一話を担当した人だとのこと。納得。
〝I Knew It Was You: Rediscovering John Cazale〟というジョン・カザールのドキュメンタリーも撮っているらしい。気になります。
(☆☆☆★★)



「ウィル・ペニー」

2009年10月02日 | 映画

カウボーイのチャールトン・ヘストンが、字が書けないからでかい図体で恥ずかしそうに給料の受け取りのサインの代わりに×印を書く、こういう一種かわいらしいヘストンというのは珍しいのではないか。
カウボーイというと今ではアメリカ的マッチョの代表みたいなイメージだけれど、実態は臨時雇いの放浪者というのがよく描かれている。年に8~10回くらいしか風呂に入らないあたりも、いい生活とは思えない。

子供連れの奥さん(夫とはっきり手を切っているのかどうかわからないのが不思議みたいだが)とだんだん子供絡みで仲良くなっていって、クリスマスの歌を教わるあたりが、知識と家庭を知る喜びがよく出ていて情感たっぷり。
荒涼とした風景に冬が迫ってきて雪が次第に積もってくるあたり、自然の厳しさがよく出ていた(撮影・ルシエン・バラード)。

神の言葉を唱えながらやたら人を殺すドナルド・プリゼンスの教誨師(と名乗る男)が、今の宗教右派の原型と見えて気持ち悪い。おかげで後半がちょっとB級サスペンス調になりすぎた。

インディアンはまるで出てこないが、カウボーイが50人も100人も相手にしたというホラが、後で「西部劇」になったというわけだろう。
(☆☆☆★)




「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」

2009年10月01日 | 映画
オープニングの南北戦争からベトナム戦争までの長い時代を兄弟二人で戦っている姿をさまざまな映像処理を駆使して綴るタイトルバックが好調、続くミュータントたちが各種の戦闘能力を発揮するシーンもキャラクターとアクションが渾然として、これは期待できるなと思わせるが、だんだんキャラクターの殺し方がぞんざいになってくる。
善人をあっけなく殺すのもそうだし、ミュータントもどうすると殺せるのかはっきりしないので殺されるたびちょっとづつ不満がたまる。テレビ「LOST」のチャーリー役、ドミニク・モナハンも軽い扱い。
アクションシーンがきれいな直線や曲線を描く感じで爽快。かなりコンテが練れている感じ。
ヒュー・ジャックマンが半分野獣のようなワイルドな迫力を見せる。
(☆☆☆★)


本ホームページ


ウルヴァリン:X-MEN ZERO - goo 映画