きょう、6月15日は樺美智子さんの命日に当たる。
1960年から数えて49年目。四十九日というのはあるけれど、四十九年忌のようなものはあるのだろうか。
最近の日本の情けない情況とわが身を考えると、ぼくは樺さんに顔向けすることはとてもできない。
1969年に大学に入学し、樺さんの『人しれず微笑まん』を読み、奥浩平の『青春の墓標』を読み、ぼくはそのまま街に出た。
奥浩平の本の帯には「彼は日本の“チボー家のジャック”だ!」という福田善之の言葉があった。
ぼくも“日本のチボー家のジャック”になりたいと思った。
自分がジャックどころか、アントワーヌにさえなれないことを悟るのは、もっとずっと後のことである。
「・・・でも私はいつまでも笑わない 笑えないだろう それでいい ただ許されるなら 最後に 人知れずそっと微笑みたいものだ」(本で調べると正確ではないが、ぼくの記憶のままにしておく)
という樺さんの詩を心で口ずさみながら、デモの尻尾を歩き、時に走っていた。
マルクス主義の著作など何一つ読んだことはなかった(『共産党宣言』くらいはよんだかもしれない)。
しばらくして、羽仁五郎の『都市の論理』(勁草書房)の読書会に入り、はじめてエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を読むことになった。
大して理解できなかった。
集会やデモでは、“インターナショナル”や“ワルシャワ労働歌”を歌ったが、まわりは学生ばかりで、「飢えたる者」どころか「労働者」すらほとんどいなかった。
しかし、学生たちのデモを遠巻きにしている人々の中に、ぼくは“好意的な傍観者”を感じた。
革命など起こるとは思っていなかった。
ぼくたちを規制するために動員された中年の太った警官が、青い乱闘服(?)の上から、小さな水筒を襷がけにしていた。
あの人たちがこちら側にまわらない限り、革命どころか社会の微動すら起こらないと思った。
それでもぼくはデモに行った。
当時のぼくの行動の基準は単純だった。
ベトナム戦争は正義か? 否!
アメリカに隷従している日本政府は、日本国憲法の理念を実現しているか? 否!
今日授業に出るか、街に出て抗議の意思を示すか? 意思を示すべきである!
そして、樺さんだったらどうするだろうか? 行く!
クラス集会で議論を繰り返した。激しい喧嘩もあった。
しかし、セクトの集団がマイクを使ってアジ演説をするようになって、コミュニケーションは途絶えた。
やがて、ぼくの「されどわれらが日々--」がはじまった。
残念ながら、ぼくは「最後に微笑む」ことはできないだろう。
* 樺美智子『人しれず微笑まん』(三一新書、1960年)