樺さんを偲んだその翌日に“小池真理子”というのも気が引けるが、以下は実は6月14日に下書きしておいたものなので・・・。
小池真理子『恋』(新潮文庫、2003年)は、1996年直木賞受賞作。
1970年、同棲していたM大全共闘の男と別れたべ平連系のM大英文科の女子学生“ふうちゃん”(気持ち悪い愛称なので以下ではFとする)が主人公。
まさにぼくの学生時代と重なる。
Fは、M大生協の女から紹介され、S大英文科助教授の翻訳下訳のアルバイトを始める。
採用面接は三田の三井倶楽部、初出勤では助教授が最寄の都立大学駅前まで117クーペで出迎えに来てくれる。
べ平連のデモの後ろにくっついていた程度だったとしても、いくら田舎から出てきて金が必要だったとしても、こんなバイトに飛びつくような女が主人公では、ぼくは白けてしまう。
あの頃、毎週土曜日の午後5時に新宿駅西口広場に集まってきたべ平連シンパの多くは、一種のファッションのような気持ちで集まっていたかもしれない。
しかしベトナム戦争でアメリカに正義がないことを意思表示したいという最低の思いは共有していたのではなかったか。
いやなら来なくたっていいのに毎週集まったのは、あそこしか意思表明する場がなかったからではないのか。
しかもFは全共闘の男と同棲までしていたのである。いくらバイト代がいいといっても、節操がなさすぎる。
同じべ平連シンパの端くれだったぼくが、素直にこの話に乗れなかった躓きはここにある。
小説の事件と同じ時期に起こった浅間山荘事件によって、一つの時代にピリオドが打たれたという作者の時代認識にも違和感を覚える。
もし「一つの時代」があったとしても、それは浅間山荘よりずっと以前、おそらく東大安田講堂落城のとき、この小説でいえば、セクト学生がFのヒモのような生活を送り、Fがこんなバイトを始めた頃にはもう終わっていた。
1980年代(1990年代?)までセクト闘争が繰り広げられていたM大生協の女がこんなブルジョワ的バイトを斡旋するというのも現実味に欠ける話である。S大生協(S大には“生協”なんてないか?)ならそんなことがあったかもしれないが。
その後のFと助教授夫婦との奇妙な関係は、“韓流”ドラマの展開を想像すればよい。「全編を覆う官能・・・」という宣伝文句ほどの官能小説ではなかったが、なぜ題名が「恋」だったのかはわからなかった。
ぼくにとって「恋」は、『冬の花 悠子』であり、『天の夕顔』であり、山本周五郎であり、藤沢周平である。
同じ兄妹の近親愛なら、韓流の“秋の童話”がいい。
いずれにしても、セクハラ、アカハラが喧しい今日では考えられない情況設定である。
たしかに30年前には、ゼミの女子学生(ただし2人だった)に軽井沢までの車の運転と毎日の食事を作ってもらう代わりに、夏の間ただで別荘に滞在させているS大の先生がいた。奥さんは東京で仕事を持っていて、先生が一人で別荘に滞在していたのに、である。
今日では、もし他大学の女子学生だとしても、この小説のような形のアルバイトが発覚したら、直ちにセクハラ委員会から警告が来るだろう。
そしてこの小説のような事件が起こったら、即刻懲戒解雇となり、その後の再就職は絶望的だろう。
女子学生とのスキャンダルを起こした助教授が、その種の醜聞を最も嫌うはずの短大に再就職するということも今日では(当時も?)ありえないことである。
ぼくが読み終えることができたのは、舞台が、都立大学駅だったり、中軽井沢(古宿)だったり、仙台(母親の実家は仙台市花壇川前丁にあった)だったりと、なじみの場所がいくつも出てきたからである。
ちなみに、この小説でも、内田康夫の『軽井沢の霧の中で』でも、不倫の舞台は小瀬温泉になっていた。
草軽鉄道廃線後の小瀬温泉は、ぼくにとっては炎天下に砂埃の舞う殺風景な場所にすぎないのだが。
軽井沢在住の小説家にとって小瀬温泉がそのような記号性をもっているというのは新鮮な発見だった。ひょっとすると、作家御用達のその手の宿が小瀬温泉にあるのかもしれない。
* 写真は、小池真理子『恋』(新潮文庫、2003年)の表紙カバー。