豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ヒチコック“三十九夜”

2009年06月19日 | 映画
 
 ヒチコック“三十九夜”(1935年、原題は“The 39 Steps”)を見た。

 “水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”(黒レーベルの1番!)。
 この水野晴郎のシリーズは、ケースが薄くてかさばらないので保管に便利だったのが、半年ほど前からカバーが厚くなってかさばるようになってしまった。
 しかし、近所のスーパーで1枚280円で売っていたので、他のと一緒に5、6枚買い込んできた。

 夕べ見ようと思ったのは、映画それ自体への興味ではなく、小説を書く参考としてである。
 
 小説を書くのに映画が役立つことはいろいろなハウ・ツ・本に書いてある。いま読んでいるL.トリート『ミステリーの書き方』(講談社文庫)でも、背景描写の手本として、J・フォード監督の『男の敵』が挙げられている(同書179頁)。

 サスペンスの描き方を学ぶなら、やはりヒチコックだろう。
 そう思ってみると、参考になる。

 ① A地点からB地点への移動に無駄な描写はしない。冒頭、劇場で敵に狙われたヒロインが主人公に助けられて2階建てバスに乗り込むと、つぎのシーンはもう彼の家の部屋の中である。
 もちろん移動の最中にもサスペンスがある場合は別である。スコットランドに逃げる列車の中などは丁寧に描かれる。

 ② 次々に登場する端役たちは、最初は敵か見方かが分からない両義的な存在として描かれる。やがて敵だったり見方だったりが判明するが、敵味方の分け方にヒチコックの趣味、思想が表れている。敬虔そうな農夫が金次第の守銭奴だったり、一見保守的な田舎宿の女将さんが駆け落ちした若いカップルに好意的だったりする。警察官がすべて敵というのもいかにもヒチコックらしい。
 物語には常に主人公を助ける人物が登場するというのは大塚英志『物語の体操』 の教えるところである。桃太郎を拾ってきて育てるお爺さんお婆さんのような・・・(大塚60頁~)。
 
 ③ 殺人犯と間違われて逃走する主人公を追い詰めるアイテムが、いつも彼の事件を報じる新聞というのはやや芸がない。絶体絶命のピンチで至近距離から銃で撃たれた主人公がたまたまコートの内ポケットに入っていた讃美歌集のおかげで助かるというのもどうだろうか。
 ぼくは、浅沼稲次郎社会党委員長が、いつもは背広の左内ポケットに入れておく皮手帳を、あの日に限って入れ忘れていたために右翼に刺殺されたという記事を読んだことがあるので、リアルに感じることができたけれど・・・。

 ④ メイン・ストーリーの、主人公がヒロインに代わって国家機密の国外流出を防がなければならないというのは、国家機密の内容も含めて今日では古すぎるだろう。何十年か前によく読んだフレデリック・フォーサイスの頃でもすでに時代遅れだろう。

 * 写真は、アルフレッド・ヒチコック監督“三十九夜”(1935年)。“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”(黒レーベル1)のケース。

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