東京新聞の2020年1月5日付で、中沢けいがこの本の書評を書いていた。
「この作品に描かれた民主主義のレッスンと呼んでもよいような朗らかさは・・・」という評言が気になって、読んでみたいと思った。
先日、近所の図書館の蔵書目録(?)を検索していたら、この本が収蔵されているのを見つけたので、さっそく借りてきて読んだ。
がっかりした。
この話のどこが「民主主義のレッスン」なのか。
ぼくには「主義」といったものはない。あえて言えば、高校生の時に読んだ小田実のエッセイ「古今東西人間チョボチョボ主義」が自分には合っているなと思った程度である。
しかし、それが「主義」かどうかは疑問だが、「民主主義」にだけはこだわりがある。できることなら「民主主義者」でありたいと思ってきた。
で、中沢けいの言葉に反応したのだが、この小説に描かれているC大学自治会は民主主義とはほとんど無縁の話であった。執行委員選挙をめぐる選管委員による不正を選管委員の一人である著者(らしき人物)は平然と傍観しているが、選挙(投票箱への自由!)の不正など最悪の反民主主義的行為ではないか。
小池真理子の『恋』と時代背景は似ているが、恋愛小説ともいえない。
まあ、あの頃の中央大学で(巻末の解説者はC大学を中央大学と明記している)起きたことを、そんなことがあったのかと覗き見ることはできた。
あの駿河台下の、中庭を囲む回廊式の四角形の校舎(イギリスの大学を思わせる)や、中大会館から延びる秘密の地下道などを知る者としては、背景描写の中に往時をしのぶことができた。
身銭を切って買った本に裏切られると腹が立つが、図書館で借りた本に失望しても大して腹は立たない。
冒頭の写真および上の写真2枚は、ぼくが不遇の時代を過ごした図書館。
脱サラ時代を脱して以降30数年間一度も足を踏み入れることがなかった。当時から入り口わきに置かれたソファーに座って老人たちが新聞や週刊誌を読んでいた。今もその光景は変わっていなかいが、今度はぼくがその老人側の人間になってしまった。
2020年10月26日 記