豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

海野宿(旧北国街道、2024年10月20日)

2024年10月24日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 10月20日(日)、快晴。
 青空と浅間山のすそ野の緑を眺めながら、浅間サンラインを小諸、上田方面に向かってゆったりとプロムナードする。行先も決めない気ままなドライブだったが、道路沿いに小林農園という販売所の上りを見つけ、ちょうど信号も赤だったので立ち寄ってみる。東京よりも安くて新鮮な野菜を買い込む。
 上の写真はその小林農園前からサンライン道路ごしに浅間山方向を撮ったもの。残念ながら、この日の浅間山はかなり裾野の方まで雲がかかっていて見ることができなかった。

 ついで、以前に立ち寄ったことのある「雷電の里」という道の駅に向かう。
 大昔の大関、雷電の生まれ故郷の近くだという。数年前は地元長野出身ということで、大関御嶽海のポスターが貼ってあったが、去年あたりからなくなってしまった。
 浅間サンラインの北側は浅間連山(というらしい)が連なっていて、南側には佐久平が開けていて景色がいいのだが、雷電の里の見晴台は目の前を上信自動車道が走っていて、景色はいまいち(下の写真)。

   
   

 さて次はどこへ行こうか。道路の行先標示では高峰高原、湯の丸高原、小諸市内などいくつか候補を見つけたが、家内が以前に行ったことがあって、雰囲気がよかったというので、海野宿(うんのしゅく)というところに行くことにした。海野宿は長野県東御市(「とうみ」と読むらしいが、どのような謂れがあるのか)というところにある。雷電の里からは10キロ足らず。
 サンラインを降りて国道18号に出て、さらに田畑や民家の散在する曲りくねった道を行くと、海野宿の駐車場が右手に見えてきた(無料だった)。
 道の反対側には、川が流れていた。千曲川だろうか。草の生えた広い河原にはススキの穂がなびいている。
 
   
   
   
 旧北国街道沿いの海野宿は、入口に神社があって、その先数百メートルにわたって道の両側に古い街並みがつづいている。※そういえば、今年の春先に彦根を旅した折に、大津市街で旧北国街道の標識が立っていた。たしかロシア皇太子受難大津事件の現場も旧北国街道沿いだった。追分の分去れで中山道から分岐した北国街道は滋賀大津にまで及んでいたのだった!
 さて海野宿の街道沿いは、宿屋や土産物屋や喫茶店がちらほらと並んでいるが、あまり観光客もいなくて、ゆっくりと歩くことができた。気温も20℃前後で、ウォーキングには程よい。
 
   
   
      

 途中のT字路に「シフォンケーキ製造・販売の店何とか」という看板が出ていたので、曲がって坂道を登ってみたが、いくら登っても行き当らないので、あきらめる。その途中で、しなの鉄道の線路を跨ぐ跨線橋を渡る。電車は通過してくれなかった。
 もとの旧北国街道に戻り、古い海野宿の街並みが切れるところまで歩く。同じ道を帰るのでは能がないので、南側の細いあぜ道を戻る。半分刈り取りの終わった田んぼがつづいている。来る時にしなの鉄道の田中駅というのを通ったが、文字通りの田んぼの中である。

   
   

 再び、旧北国街道に戻り、古い建物で古書店と喫茶店をやっている店を覗いてみる。
 土間の部屋の壁一面が本棚になっていて、店主の趣味らしい古本が並んでいる。小津安二郎関連の本を並べた一角があったので、そこから與那覇潤「帝国の残影ーー兵士・小津安二郎の昭和史」と千葉伸夫「小津安二郎と20世紀」という2冊を買った(あわせて1800円)。駐車場が無料で申し訳なかったので、地域に貢献するつもりである。與那覇さんに小津をテーマにした著書があったとは知らなかった。千葉の本は「20世紀の家族が形成され、成長、衰退、やがて消滅する」という帯の文句につられて買ってしまった。
 與那覇さんの本は面白く読んでいるが、コメントは後ほど。

   
      

 1時間半ほど歩きまわって、1時過ぎに海野宿を出発し、帰途につく。市議会議員選挙の最中らしく、選挙カーと何度もすれ違う。
 昼食は御代田まで戻って、蕎麦処「香りや」(正式な名称か不確か)で。今年の2月で閉店してしまった追分の「峠のそば茶屋」に代わって、最近時々訪れる。ここの駐車場からの浅間山も軽井沢から見る眺めとは違って鄙びていて好い(上の写真)。

 2024年10月24日 記   

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