アメリカでは1978~79年開廷期が終わり、裁判所も夏休みだが、「タイム」誌の7月16日号に、興味深い裁判記事がいくつか載っているので紹介してみよう。
1つは、本号のカバー・ストリーともなっていGannet Co. vs. DePasqualle事件。ニューヨークにおける元警官殺害事件の予備審問手続中、被疑者側の弁護人からDePasquale判事に対して、「不利な報道によって、依頼人の公正な審理を受ける機会が危険にさらされる」として、一般民衆と新聞を法廷から排除する要求が出された。訴追者側からの異議もなく、同判事はこの要求を認めて、彼らを退廷させた。このため退廷させられた新聞社側が、合衆国憲法修正6条の「あらゆる刑事訴追手続において、被訴追者は、迅速にして公開の裁判を受ける権利がある」、および同修正1条の「アクセス権」を根拠にして同判事の決定を争った。
合衆国最高裁は5対4の僅差で「一般民衆は、修正6条の『公開の裁判』の保障を根拠として刑事裁判を傍聴する憲法上の権利はない」と判断した。スチュワート、バーガー、ポーウェル、レーンキスト、スティーブンスを代表して多数意見を書いたスチュワート判事は、開かれた裁判に対する社会の利害と、被告人の公正な裁判を受ける権利との較量に対する判断は他日に期すとした上で、「修正6条の『公開の裁判』の保障は、もっぱら刑事被告人にのみ属し、一般民衆はこの保障を受けない」と判示。また修正1条を根拠とする刑事裁判傍聴の権利も否定した。
バーガー長官は同意意見の中で「本決定は予備審問手続にのみ適用される」としたが、レーンキスト判事は「当事者が選択すれば、いかなる手続においても、また理由の如何を問わず、自由に一般民衆および新聞を排除できるべきだ」と述べている。
これに対してブラックマン判事は次のように反対意見を述べている。本件では何ら問題となるような報道は行われていなかった。沈黙の壁の向こう側では正義は生きることができない。「判事が一般人に退廷を命ずることができるのは、被告人の公正な裁判を受ける権利を確保するためにはどうしてもそうする必要があり、しかも退廷によって一般民衆を偏見にみちた情報から守ることができる場合に限られる」と。
「タイム」誌は、「もし新聞が法廷から排除されていたら、ウォーターゲート事件は一体どうなっていただろうか」と、多数意見を批判する。またバーガー意見に対しても「刑事事件の90%は正式手続に至らない段階で処理されており、警察・検察による職権乱用の大部分も予備審問までの段階で行われているので十分な限定にならない」と反論している。
もう1つの記事は、この最高裁決定とは反対に、審理の模様をテレビ中継することが認められたというお話。
1978年1月にフロリダ州立大学の女子寮で起きた暴行殺人事件の審理を進めているフロリダ高裁は、この度、本件をテレビで生中継することを許可した。これは、予備審問手続を公開する必要はないという前述の最高裁決定にも抵触しないという。
本件の被告バンディ(32歳)はワシントン大学を卒業後、ワシントン州知事再選委員会などに勤めたのち、74年にユタ大学ロー・スクールに入学。このユタで17歳の少女を誘拐したとして1~15年の刑を宣告され、服役中の77年に脱獄、今回の事件の直前にフロリダに移っていた。
彼がユタ州へ移るとワシントン州での女性連続殺人事件はなくなり、ユタで同様の事件が続発、彼がコロラド滞在中には同地で女性が失踪している。警察は、バンディを4年間、4つの州にまたがる36件の女性殺害という史上最悪の事件の容疑者とみているが、被害者の体に残された歯型と目撃証言以外、訴追側にあるのは精況証拠ばかり。
判決の行方が注目されるところだが、ただしバンディはたとえ本件が無罪になっても、すでに宣告された刑の他、殺人、重窃盗等の余罪があり自由の身になることはない、とのことである。
* 写真は、このコラムに登場するシアトル、フロリダ連続殺人事件を扱った「週刊マーダー・ケースブック」1995年10月24日号(省心書房)の表紙。顔写真が犯人のテッド・バンディ。
子ともの頃、軽井沢旧道の三笠書房で、犯罪現場の写真などが掲載されたアメリカの犯罪雑誌を立ち読みして恐い経験をしたのに、その後も性懲りもなく、牧逸馬だの、切り裂きジャックものだのといったこの手の本をついつい目にしてしまう。
(2006年9月7日。初出は、1979年9月)