このところの読書で、世の中には、《小説家になるためのハウ・ツ・本》というジャンルがあることを知った。
それもけっこう広汎な読者層を抱えているらしい。
読者の大部分は、結局小説なんか書きあげることもないまま終わっているのではないかと思う。
でも《小説家になるための本》を読んでいる束の間は、「ひょっとしたら自分にも書けるのではないか」、「書いたら新人賞の候補くらいにはなれるのではないか」という夢をもつことができる。
《小説家になるための本》を書いている著者たちも、そんな夢を与える「物語」として、この手の本を書いているのだろう。
この手の本を5、6冊読んだ先週あたりから、「ハウ・ツ本はもういい、何か書き始めよう」という気持ちになって、実は書きはじめた。
スティーブン・キング『小説作法』には、「動機は何でも構わないが、ただ、軽い気持で書くことだけは止めてもらいたい」という一文がある(121頁)。
残念ながらぼくには命がけで書きたいものどころか、眦を決して書きたいものすらない。
だけど、ぼくには、できるなら生きているうちに書いておきたいこと、読んでほしい人には伝えたいことが伝わる形なら、フィクションでも書いておきたいことがいくつかある。
そのひとつを書き始めた。
テーマを決め、アウトラインを決め、プロットを描き、登場人物を確定した。といっても、登場人物は、すべてぼくの周囲の実在の人物である。小説の中の名前も実名にした。そのほうが筆がはかどる。
校條剛『スーパー編集長のシステム小説術』(この本と校條君のことはいずれ書くつもりだ)のアドバイスに従って、3人称単一視点で書くことにしたのだが、主人公はぼく自身なので、たびたび「ぼくは」と書いてしまう。1人称で行ったほうがいいのではないかと思うようになっている。
想定する読者はただ一人、ヒロインである女性なのだから。
スティーブン・キング『小説作法』のように「パラグラフが励起する」などという超常現象は、ぼくにはまったく起こらないので、ひとまず、プロットに従って、すらすらと筆が進む(ワープロで打っているのだが)シーンからどんどん書き進めている。
若桜木虔『プロ作家養成塾』に従って、叙述は時系列どおりにした。どうしても過去を描かなくてはいけないシーンは、はっきりと過去のことだとわかるアイディアを思いついた。
3シーン、各400字×15枚、計50枚弱を書いた。
毎週末と講義のない日に書くことにしているのだが、あいにく今週末は土曜に会議、日曜にも用事があるので、「彼女」との時間はお休みである。
* 写真は、若桜木虔『プロ作家養成塾』(ベスト新書、2002年)、同『プロ作家になっるための40カ条』(同、2006年)の表紙カバー。