豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小谷ヶ沢

2009年04月02日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅・6 》

 西武高原バス、廃止路線(西区線)のバス停を訪ねる旅(と言うほど大げさなものではないが)の第6回は“小谷ヶ沢”である。

 今までのバス停が、いかにも観光地風の名前を名乗っていたのに(“西区事務所前”を除く)、今回は地名そのもである。
 この辺りの正式な地名は、「長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字小谷ヶ沢」という。
 
 バス通りを西側に数ブロック行くと、小さなせせらぎが曲がりくねりながら流れている。あれが“小谷ヶ沢”なのだろう。

 昭和30年代から平成の初期までは、“小谷ヶ沢”バス停の東側には日銀(日本銀行)の広大で豪奢なな保養所があった。
 
 バス通りに面してテニスコートがあり、小高い崖の天辺に立てられた建物の最上階は展望台になっていた。この展望台からは、西北には浅間山、南には八ヶ岳を見渡すことができた。
 知り合いに日銀の関係者がいたので、出来たばかりの頃に、この展望台からの眺めを見に行ったことがあった。

 バブル期にどこかの企業に売却され、建物も庭もすべて取り壊されてしまった。その後、この企業もどうなったのか、ここ数年門は閉ざされたままである。

 * 写真は、“小谷ヶ沢”バス停の看板。

 2009/4/2

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横道下

2009年04月01日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅・5 》
 
 “あやめヶ原”の次は、“横道下”である。

 “せせらぎ”、“あやめ”と観光地風の名前が続いた割には、突然雰囲気のないバス停の名前である。
 
 しかも、バス停のまん前はゴミの集積所である。
 かつて長野県(軽井沢町?)がゴミの分別収集にうるさかった頃は、収集日には監視員が番をしていて、捨てにきたゴミの中身までいちいち検査された。
 あまりに煩わしいので、帰京する時にまとめて東京に持ち帰ったものである。
 
 ここが“横道下”ということは、今までの急坂を右折した、これまた急な上り坂が“横道”なのだろう。しかし、なぜこの坂だけが“横丁”扱いされることになったのか、よく分からない。

 “横丁”扱いされた“横道”沿いには、かつては日本航空、日興証券、資生堂、日本銀行など錚々たる企業の保養所があり、朝夕には、(東海林さだおの命名した)“寮家の子女”が楽しげに語らいながら闊歩し、敷地内のテニスコートからはテニス・ボールを打つ乾いた音が響く賑やかな通りであった。

 おそらく開発当時の昭和30年代初めには、1000メートル林道がこの辺のメイン・ストリートで、それに続く直進の道のほうが格が上だったのだろう。
 現在では、これらの企業の保養所はいずれも撤退してしまい、別の会社になったり、更地になってしまっている。企業自体がなくなってしまったところもある。
 
 その意味では、“横道下”を右折した急な坂道は、開発から50年を経て、ようやく名前どおりの“横道”になったと言える。

 * 写真は、“横道下”バス停。

 2009/4/1

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする