チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

鳩笛とスワロフスキーの猫

2015年09月16日 | 日々のこと

小雨,26度、88%

 私は会社勤めをしたことがありません。22年ほど,香港で家庭教師の仕事をしましたが、人から仕事を教えてもらったのではありません。自分一人で考え決めて続けて来た仕事でした。組織の中で働いた事のない私を主人は未だに半人前だと言います。

 自分でも忘れていたほどです。人にも話したことがありません。けど,日本にいた頃一度だけ仕事をしたことがあります。たった一年未満。考えてみるとこれが,私の家庭教師の仕事の初まりでした。

 私が幼稚園、小学の低学年と通った学校は,カソリック系の女学校でした。日本には5つ姉妹校があります。東京に住んでいた頃,たまたま,その姉妹校の一つが近くにありました。その高等部に幼稚園のときの担任のシスターが転任されていました。もう結婚もして子供もいる私に向かって,「真奈ちゃん。」と声をかけられます。そのシスターから大学受験の子供の数学をみて欲しいと言われたのが,日本での唯一の仕事でした。

 息子が小学に上がった年の事ですから,30数年前になります。新学期早々の話です。初めての時、学校の帰りにお母さんと一緒に我が家にみえました。新宿で開業医をなさっているそうですが,お子さんは彼女一人、つまり,医学部を目指していました。少し荷が重いと感じたのを覚えています。そのお家には犬も猫もいないのに,我が家は,犬猫,小学校に上がったばかりの息子がいます。しかも,学校から我が家まで歩いて20分ほどもありました。

 週2回、学校から帰った息子は何も言わずとも外に遊びに出かけます。犬は玄関より遠い木の根っこにつないでおきました。でも猫は出たり入ったり。そんな中で彼女と私の数学の勉強が始まりました。学校帰りです,お腹もすくだろうとお菓子を焼いておやつを用意しておきます。当時は今のようにコンビニなんてありません。秋も深まり受験も近付くと,日の暮れるのも早くなります。遠いところをお母さんがわざわざお迎えに見える始末です。年が明けると見事に希望の女子医大に合格しました。

 受験の夏休み,2日ほどお母さんの実家の青森に帰った折のお土産が,鳩笛です。下川原焼きの土器の鳩笛、 つがいでくださいました。一度うっかり落としてしまって,もろい土器ですから首を折ってしまいました。

 合格のお礼にみえた時頂戴したのが、銀座の和光の包み紙に入ったスワロフスキーの猫です。あの頃はスワロフスキーはまだ珍しかった時代です。この猫は,当時我が家にいた「リキ」という名前の猫です。動物を飼った事がなかった彼女が,この「リキ」は触れるようになりました。

 猫は食器棚の隅に,鳩たちは本棚の隅にずっといるのですが,すっかり彼女の事は忘れてしまっています。もう随分以前に,お父さんの仕事を結婚してご主人と継いでいる事を聞きました。

 暑い日も,寒い日もまじめに通って来てくれました。思い出すのはお母さん似の色の白い品のいい顔立ちです。これが私の仕事の原点でした。

コメント
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