曇、30度、76%
母が逝って9年が過ぎました。香港にいた私に16日深夜知らせをくれたのは息子です。急な知らせでした。施設から救急車で運ばれた病院で死亡が確認されたそうです。「低血糖」が直接の死因だと医師から電話で説明を受けました。15日から16日に日付が変わった時間帯、私は病院、日本の警察、葬儀の手配、自分の飛行機の予約とあの晩ずっと起きて電話していました。
いつかこの日が来ることはわかっていました。いつ来てもいいように予め頭の中で行動を考えていました。その時のための電話番号の控えも作ってありました。お盆休みの時期なのに運よく飛行機も取れました。それでも福岡に入れるのは夕方、一足先に東京の息子が福岡に入ります。役所の届け出だけで済むかと思えば警察の調査もありました。施設での示唆殺人、親子関係の良し悪し、なぜこんな事を尋ねるのかと訝しく思いました。息子が私が福岡に着く前にほとんどの公の手配を完了してくれました。おかげで翌日荼毘にふすことができました。長い一日でした。暑い一日でした。
涙は出ません。「やっといなくなった。」これが私の気持ちでした。まだ熱い骨壷を菩提寺に預けて、この家に来ました。改装中で屋根と柱しかないこの家を見て虚しさを感じました。体は疲れてないのに頭のどこかがぼーっとしていました。
9年、時間は優しいと感じます。母を疎む気持ちは昔ほどではなくなりました。「ありがとう」と心で言う日が増えています。それでも時折、声に出して罵るほど怒りがこみ上げることもあります。いつもはお寺でお経を挙げていただきます。今日は義母の薬を病院に取りに行くので墓参りだけにします。
あと9年、今の倍の時間が経てば母に対する気持ちはもっと優しくなれるだろうと、自分の心の醜さを省みています。