チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

「山の上ホテル物語」常盤新平

2024年01月20日 | 

雨、11度、80%

 東京お茶の水にある「山の上ホテル」、戦後にできた小さなホテルです。山と付きますがお茶の水界隈はなだらかな丘陵です。その小高い丘陵に立つホテル、戦後の作家たちが「かんづめ」と言って締め切り間近になるとこのホテルに篭って原稿を仕上げた話は有名です。このホテルでの思い出をまたその作家たちは至るところで紹介してます。

 上京したての私はその昔、学校はサボってお茶の水界隈をよく歩きました。お茶の水の駅からだらだらと坂を下り神保町の古書店を覗くのが楽しみでした。当時は大学が3つほどありました。この辺りの街の匂いは古くからの東京の匂いだと感じていました。高校の時、大学の下見に上京した私を一回りほども歳の違う友人が連れて行ってくれたのが「山の上ホテル」のティールームでした。中に入ったのはその時一度だけです。

 作家常盤新平が書いた「山の上ホテル物語」2002年刊行の本です。時折急に興味を引くものが出てくると、本を検索してプチンとします。状態のいい古本が届きました。このホテルに出入りした作家たちの逸話を集めた本かと思って開きました。思いの外、このホテルを作った「吉田俊雄」の人となり、ホテルで働く人たちとの関わりを描いた本です。

 戦後ホテルを作り、今も100室前後のこじんまりしたホテルはそこにあります。大型のホテルが林立する東京で「吉田俊雄」が思い描いた真心のあるホテルは4代目社長として孫が引き継いでいます。「吉田俊雄」はどんな人だったか?一橋を出て旭硝子に就職、その後ホテルを起します。妻と共にホテルを拡張しつつ、「旅館の気配りとホテルの持つ快適さ」を伝えています。ホテルマン、いえ「ホテル屋」と自称していたようです。気配りがあり豪快で着る物にも気を配り、自分の下で働く人たちを大事に育てた人です。彼の元で働いた人たちの話でこの本はできています。

 50年近く前訪れたこのホテル、古い素敵なホテルだという印象でした。その後、アメリカの建築家「ウィリアムボリス」が作った建物だと知りますます興味が湧きました。本の中では「ウィリアムボリス」のことには触れられていません。ただ、アメリカ人が建てた物だと記述があります。

 食事が美味しいこともこのホテルの特徴だそうです。贅を尽くしたというのではなく、真からうまいものを出してくれるような気がします。ミーハーの私は泊まってみようとウェッブで予約表を開けました。ところが半年先まで満室状態です。日本に帰国して上京しても息子の家に泊まります。本も古本もプチンとして手に入れます。あるかないかわからず神保町の古本屋を一軒一軒訪ね歩く必要がなくなりました。検索してプチンで状態がいい古本が手に入ります。一昨年、この街を歩きたくて「お茶の水」駅におりました。駅も駅周辺もモダンに新しくなっていました。歩いて淡路町まで行こうと思っていたのですが、あいにくの雨、傘を持っていなかったので諦めました。大学は郊外に居を移しましたが、「ニコライ堂」や裏道は昔と変わらないのではと想像します。そして学校にも行かずこの街を歩いていた二十歳になる前の私のを思い出します。


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