鎌倉市川喜多映画記念館で4月1日から6月26日まで、特別展”黒澤明の世界”が開催されている。その中で、講演会が五つほど計画されていて、昨日が最後の講演会、黒澤和子さんによる”父、黒澤明”だった。演者は黒澤監督の長女で56歳、映画衣装デザイナーとして活躍中で、最近では”武士の一分”の衣装を担当した。家族でしかわからない黒澤監督の素顔を知ることができ、とても楽しいトークだった。
はじめ、今話題の原発問題から入った。父ははじめから原発反対論者でした、あんな人間の力を越えるものは、いずれ制御できなくなり、大変な問題が起こると、フクシマを予測するような発言をしていたという。実際に、原発、原爆問題を映画にも取り入れたそうだ、”夢”とか”生きものの記録”。”夢”は8話からなるオムニバス形式のものだが、その中の”赤富士”がまさに原発事故を扱っている。帰ってからYOU TUBEでみてみた。赤い富士山の向こうに噴煙が次々と上がる。富士の噴火ではなく、逃げまどう群衆の中から”原発6基が次々と爆発をしてるんだ”との声が上がる。プルトニウム、ストロンチウム、セシウムと、その影響などが男によって語られる。”原発は安全だと、ぬかした奴らは許せない”の子供を背負った女の絶叫も。20年も前の映画である。
父は家庭でも”厳格な人”と思われていますが、ぜんぜん違います。一言でいうと子供のような人です。自分の好きなお菓子があれば孫と争って食べたりします(爆)。ひとりでは何もできません。母がめんどうみすぎたこともありますが、電車の切符もまともに買えないときもありました。和子さんはお若いのに、お料理歴は50年だという。黒澤家は外食はせず、黒澤組の集まりなども、すべて家食です。だから、6歳からお料理のお手伝いをしました。母はラテン系の性格だったこともあり、人のよく集まる家で、見知らぬ人まで食事をさせていました(笑)。
お母さんが亡くなられたあと、黒澤監督の世話は和子さんがするようになり、また黒澤組に入り、衣装担当になる。前述の”夢”がはじめての仕事となる。和子さんの目からみると、黒澤監督の仕事ぶりは、家庭内の黒澤監督とそう違和感はなかったという。みなさんが”厳格”というのは、ただ、子供がおもちゃを欲しがるように、完全な仕事をしたいということで、どこまでも凝る、それが外からは”厳格”にみえるだけだという。
人をみる目は確かで、裏表のある人はすぐ見破り、絶対つきあわない。(でも映画製作の前交渉でそういう人とつきあわなければならないときは引きこもりになるらしい;爆)。もちろん風見鶏なぞ一番軽蔑する。肩書きとか学歴なぞには一切、重きをおかない、ひとの真心だけを直視する。
また元に戻るけど、どうでもいいことは、どんなあほやろうの意見を聞いて決定してもいいけれど、原発導入などの、人類の存亡にかかわる重大事項は、黒澤明監督のような動物的勘の鋭い人の意見を聞いてから決めてほしかった。
黒澤明監督は、裏表のある人の他に、カエルが嫌いだったそうです。