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気ままに

大船での気ままな生活日誌

小田原城内 紫陽花と花菖蒲

2011-06-20 20:51:40 | Weblog

小田原城東堀の花菖蒲園と紫陽花が見頃です。小田原城は何度も行っているが、ここの花菖蒲と紫陽花を観るのははじめてだった。約8,000株の花菖蒲が堀に、そして、それを見下ろすように土塁に約2100株の紫陽花が同時に咲きそろっている。吉野山の桜じゃないけれど、二種類の花が”一目千本”、見事というしかない。こんな景色は鎌倉ではみられない。明月院だって、紫陽花と花菖蒲は表庭と裏庭に分かれて咲くから一目ではみられない。

天国のような、うつくしい景色で、なかなか帰る気になれない。まだ昼飯前だったので、ここの茶店で一杯やることにした。花見酒。本当は小田原おでんをつまみにしたかったが、屋台が閉まっていたので、味噌おでんとフランクフルトにした。下の写真のような景色をみながら”小田原城”という名の地酒をちびちび。頭の中も天国のようになってきた(笑)。一杯あけて・・・おわりにしようと思ったが、地酒がおいしかったもんだから、もう一杯。ついでにフランクフルトも一本(汗)。二杯目は花見酒ではなく、読書酒に。村山斉著”宇宙は何でできてるか”。むづかしいことをやさしくかく、井上ひさしさんみたいな文章で、すいすい、おいしいお酒みたいに、”暗黒物質”ばかりのぼくの頭にも入ってくる。宇宙の誕生はいまから137億年前。でもいくら性能のいい望遠鏡を使っても、宇宙誕生後38万年の壁は破られないとのこと。光も電波も届かない厚い壁。ここまで読んで、一休み。その壁を破るのが素粒子物理学らしい。次回のお楽しみ。こういう基礎研究ならいくらお金をつぎ込んでも誰も文句はいいませんよ。今までの原発研究予算を返せといいたい、また言っちゃった(汗)。

昨日放送の、”江/姫たちの戦国” 秀吉の小田原城攻めの布陣が。

そうだ、山のアナアナアナ・・アナベルも別のところで咲いてました。本当に小田原はすばらしい。来年もぜひ来よう。

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視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション

2011-06-20 09:51:06 | Weblog

葉山の神奈川県立近代美術館でモホイ=ナジの展覧会が開かれている。逗子の駅前でポスターをだいぶ前からみていたが、さあ行ってみようという気がなかなか起きなかった。”視覚の実験室”?ぼくの老眼では、わけのわからない芸術だろう、という先入観もあった(笑)。ようやく重い腰を上げ、出掛けた。

20世紀美術に”新しい視覚”をもたらしたハンガリー出身の芸術家、モホイ=ナジ・ラースロー(1895-1946)の全体像を紹介します、と、ちらしが説明してくれる。どんな人だろう、51歳でなくなっている。ハンガリーで生まれ、ウイーンへ、そしてドイツ、オランダ、イギリス、最後はアメリカ(シカゴ)。展覧会も彼の生涯を辿るように、第I章ブダベスト(1917-1919)から第V章シカゴまで、彼の、作品300点が展示されている。

ブダベスト時代は、親しみやすいハガキ絵。兵役についていた頃、友人たちに送ったものだ。色鉛筆で兵士たちの戦線の様子などが描かれている。若き日の自画像もあった。目つきの鋭い顔は獲物を狙う鷹のようだった。そして第II章ベルリン(1920-1922):ダダから構成主義へ。もうここから、舞台美術デザインが出てくる。多彩な活動の片鱗が現れている。そして技法もコラージュ、リノカット、エッチング、木版、ゼラチンシルバープリント、フォトグラムと多岐にわたる。いろいろ”予備実験”をしている時期だなと思ってみていた。

そして第III章 ワイルマールーデッサウ(1923-1928)視覚の実験。ここが彼の人生の華だったのだろうか。門外漢のぼくでも、〇の数が一番多かった章だ。(気に入ったものに〇をつけている;汗)ほとんど”無題”という題の写真作品が並ぶ。抽象的なものが多いが、そうでないものも、白い天狗の面のような作品が印象に残った。キネティック彫刻の代表作といわれる”ライト・スペース・モデュレータ”は、暗い部屋で実際、時々運転され、周囲の壁に写し出される光と影を2分間ほど楽しめる。”光の戯れ 黒・白・灰”も映写と写真で鑑賞できる。ここらが”光の実験室”だろうか。

第IV章ベルリンーロンドン(1928-1937)になると、舞台芸術、広告デザイン、写真、映画と幅広い展開に驚かされる。そして、最終章はシカゴ(1937-1946)。シカゴではスクール・オブ・デザインを設立、教育にも力をいれる。その頃から晩年までの油彩、インク、鉛筆、フォトグラムなどの作品が並ぶ。ここでも”無題”多い。

彼の作品は、1930年代の新興写真家運動そして滝口修造との交流を通じて、戦後の”実験工房”の芸術家たちに影響を与えたとのことだ。回顧展は、多少、苦手な分野でも、作者の人生を垣間見られて楽しいものだ。それに、抽象的、図案的写真は面白くみさせてもらった。そうゆう視点で、こんど景色をみてみよう(汗)。あらたな景色が飛び出してくるかもしれない。ああ、人生は素晴らしい(爆)。

多彩な仕事

 昨日は横浜で、友人の娘さんの演奏会をきいて、そごう美術館で”蕗谷虹児展”をみてきました。今日はこれから、花菖蒲をどこでみるか検討しているところです(大汗)。

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