一昨日、鎌倉の八幡さまに行ったが、まだ茅の輪はできていなかった。6月30日が大祓の儀だが、その日から旅行なので、行けない。平塚の八幡宮は早々と茅の輪くぐりが出来ることを思い出し、午前中、早めの夏越しの大祓をしてきた。ついでに、その界隈の散歩をしてきた。梅雨の晴れ間で、真夏のような暑さだったが、日陰に入ると、涼しい風が心地良かった。
茅の輪くぐり
七夕飾り
八幡宮の森
森の小道
洋館 (旧横浜ゴム平塚製造所記念館/国有形文化財)
応接室と会議室
一昨日、鎌倉の八幡さまに行ったが、まだ茅の輪はできていなかった。6月30日が大祓の儀だが、その日から旅行なので、行けない。平塚の八幡宮は早々と茅の輪くぐりが出来ることを思い出し、午前中、早めの夏越しの大祓をしてきた。ついでに、その界隈の散歩をしてきた。梅雨の晴れ間で、真夏のような暑さだったが、日陰に入ると、涼しい風が心地良かった。
茅の輪くぐり
七夕飾り
八幡宮の森
森の小道
洋館 (旧横浜ゴム平塚製造所記念館/国有形文化財)
応接室と会議室
鎌倉市川喜多映画記念館の特別展”黒澤明の世界”もいよいよ終わった。最終日(6月26日)の前日、”天国と地獄”を観に行った。テレビでは何度か観たことはあるが、スクリーンでは初めてかもしれない。スリルとサスペンス、いつみても面白い映画である。それに、今回は、こちらに引越してきてから、歩きまわっている地域が舞台になっているので、余計、面白く感じた。今回、このロケ地巡りをしてみたい。
まず、三船敏郎の住む高台の豪邸とそれを見上げる誘拐犯の医学生(山崎務)が住むあばら屋は、横浜市西区の黄金町周辺のようだ。この辺りは何度か歩いたことがある。数年前までは大岡川沿いに”ピンクスナック”がずらりと立ち並んでいたが、今は取り壊されている。この映画がつくられた昭和37年頃の様子はぼくは全く知らない。
そして、この映画の一番、緊迫する場面。誘拐犯の指示に従い、特急列車こだま号(新幹線ではありません)の洗面室のわずかな隙間から現金の入った鞄をふたつ落とす場面だ。黒澤が脚本を書くとき、酒匂川付近の地図や特急列車こだま(新幹線の前のこだま)の設計図をもちながら、国鉄に何度も電話をかけて、検討したそうだ。国鉄からあなたは何者だ、と疑われたらしい(笑)。撮影も、こだま号を貸切り、一発勝負で行ったとのことだ。
東海道線、鴨の宮駅を過ぎると、酒匂川がみえてくる。土手の手前に犯人と子供がいる、川を渡り、反対側の土手には共犯者ふたりがいる。川を渡りきったところで鞄を落とす、わずか10秒のシーンだ。この辺りは、ぼくの、”電車に乗ってから散歩”の行動範囲である、小田原、箱根、熱海に行く時には必ず通る。次の機会に酒匂川の写真を撮っておみせします(汗)。
さて、もうひとつの重要な場面は、子供が誘拐犯に閉じ込められていた場所だ。三船と誘拐犯のやりとりの電話の録音の中に、刑事が江ノ電の特徴ある電車音が聞きわける。そして、子供が閉じ込められた小屋の場所を想い出して描いた絵には、岬と海と富士山が描かれている。さらに、捨てられた車から魚を踏んだ形跡がある。それらから、腰越漁港の近くの、丘の上だ推定し、とうとう見つけだす。そこには共犯者たちが、(山崎による)ヘロイン過剰投与で殺害されていた。
結局、警察とマスコミの共同戦線で、彼らの死は伏せられ、山崎をここに誘き寄せ、逮捕する。当時の誘拐犯の刑が軽く、殺人罪で逮捕しようという警察の考えだった。黒澤監督も、誘拐犯の刑の軽さにはイカッテいたようだ。この映画のあと、世論の高まりもあり、誘拐は無期を含む重罪に変更になったとのことだ。
ぼくも、ここの探索に、出掛けた(汗)。まず、腰越漁港へ。そして、向いの山に。江の島が小動(こゆるぎ)の岬に隠れ(子供の絵の中に江の島がない)、海が右側にみえて、富士山もみえる地点だ。江ノ電の音も聞こえなければならない。鎌倉高校の方まで行ってしまうと、江の島がまるみえだから、漁港からそう離れたところではない。
義経の腰越状で有名な満福寺の脇から登る道があった。そこを少し登ると、映画でみたような景色が現れた。左に小動岬、江の島はその影に隠れる、そして、右側に藤沢方面の海がみえる。富士山は、海の向こうにみえるはずだ(この日は曇っていてみえなかった)。たぶん、この場所ではないかと確信した。
今日の、”映画感想”はロケ地を切り口にして書いてみました(汗)。川本三郎の著書にも、映画のロケ地を巡る、というのがあったが、なかなか面白いものだ。さて、次はどの映画のロケ地にしようかな(汗)。
腰越漁港
満福寺前を走る江ノ電
”誘拐小屋”からみた景色 左の緑が小動岬(江の島はこの影に隠れる)、海は藤沢方面。当時はマンションなどはない。