転んだとき、眼鏡を壊して、もう新しいのに変えなくてはダメかと思っていたら、パリミキの眼鏡屋さんが見事に直してくれた。10年ほどの愛用の眼鏡だったのでうれしかった。目のふちの傷もかさぶたができたようで、もう大丈夫だ。
この転倒事件がなければ、一泊して、掛川と、その先の袋井と手前の日坂を歩くつもりだった。旧東海道宿場町シリーズ東海編である。東海編の初歩きは、今年2月の由井宿だったから、今回が第二弾ということになる。時間の関係で、掛川宿だけとなった。
掛川宿は市があまり重視していないようで、宿場町に関する施設や標識がほとんどない。ようやく、大手門近くに、本陣跡地の標識をみつけた。1854年(嘉永7年)の大震災はじめ幾多の天災、人災により、本陣もたびたび移動したが、ほぼこの辺りにあったと思われる、と説明があった。江戸時代の宿場町を想像しながら旧東海道をながめた。
宿場町がお城の目の前というのも、珍しい。小田原もそうだったが、これほど、接近していない。掛川城は再興され、本陣近くの大手門も再建されている。山内一豊が城主だったときに城下町が整備されたとのことだ。二宮尊徳の教えの拠点、”大日本報徳社”もここにある。正門も大講堂も国の重要文化財である。図書館も古色蒼然としたところがいい。入ってみたかったが、休館だった。何故、掛川に尊徳か?生まれは栢山村(現小田原市)のはずだ。
お城の天守閣、御殿、廓”竹の丸”をみて、二の丸美術館で地元の、24歳で戦死した日本画家、桑原喜八郎展を観た。すばらしい作品だった。御殿では、そろそろ封切られる、東山紀之主演”小川の辺”の撮影も行われたとのこと。是非みてみたい(汗)。何故、”汗”かというと、どんなものでも縁と思って、のぞいてしまう(大汗)。
宿場町見学としての掛川は物足りなかったけど、城下町としての掛川は見どころ満載だった。次は、五十三次中間点の宿場町、袋井宿と、宿場町の面影が残っているという日坂宿を是非、訪ねたい。
・・・・・・・
旧東海道と本陣跡など
掛川城
御殿
御殿のこの部屋が撮影の舞台になった
竹の丸
大手門
大日本報徳社と図書館
掛川駅前の二宮金次郎像
こんなときだから、つい二宮尊徳の言葉を想い出してしまう。
経済なき道徳は戯言であり
道徳なき経済は犯罪である