おはようございます。
台風一過、素晴らしい朝焼けとなりました。ふと、口ずさんでしまった歌が、”夜明けのうた”。昨晩、つい最後までみてしまった”昭和偉人伝/岩谷時子”のせいかもしれない。これは、岩谷さんの作詞で、はじめは、新聞少年ために書かれたもので坂本九ちゃんの持ち歌だったが、あまり歌われなかった。それを、岸洋子さんがカバーしたいと申し出て、大ヒット曲となったそうだ。作詞もちょっこと変えて、”ぼくの心に”を”あたしの心に”へ。この一言で大人の格調高いラブソングに生まれ変わった。この曲で、岸洋子はレコード大賞をとり、彼女の代表曲となった。岩谷時子も作詞賞を受賞した。


番組では、はじめ、作曲家、宮川泰やいずみたくとのコンビでつくられた、ぼくら世代には懐かしい和製ポップスの数々が紹介される、恋のバカンス、恋の季節など。ザ・ピーナッツの”ウナ・セラ・デ東京”の歌詞の”町はいつでもうしろ姿の悲しみばかり”はレコーディング直前に浮かんだ言葉だったとかの、エピソードも。そして、加山雄三との出会い、気が合って、何と149曲もの作詞を担当したとのこと。加山(弾厚作)が楽譜を渡すと、たちまち、自分が想像していた以上の素晴らしい詩が現れ、感激したとのこと。君といつまでも、お嫁においでよ、旅人よ、等。また、加山が借金で失意のどん底にあったときには、まるで自分の心を見透かしたような詩をくれて慰められたようだ。
番組の後半は、岩谷といえば、越路吹雪。彼女が宝塚から独立するとき、マネージャーとしてついていく。そして、エディット・ピアフの”愛の讃歌”を皮切りに、次々と越路が歌うシャンソンを自分流に訳詞し、好評を博する。ろくでなし、サン・トワ・マミーなど。後年、作詞家として著名になったときでも、職業を問われると、本業は越路吹雪マネージャーです、と応えていたという。
70歳過ぎてからも、ミュージカルの作詞も手がけた。ミス・サイゴンもそのひとつ。主役の本田美奈子を可愛がっていて、本田の代表曲のようになったアメイジング・グレイスも岩谷の訳詩。岩谷が骨折で入院した病院に、たまたま、本田が命の危機と闘っていた。ふたりは、励ましの言葉を録音し、互いの病室に届けたという。そのボイスメッセージが紹介された。アカペラで歌う本田美奈子の歌におもわずほろり。
生涯、独身だったが、歌の中でたくさんの恋をしましたからと語る岩谷さん。素晴らしい一生でしたね。


それでは、みなさん、今日も一日、岩谷時子スピリットで、お元気で!