気ままに

大船での気ままな生活日誌

長谷寺 観音ミュージアム

2016-10-28 21:53:57 | Weblog

こんばんわ。

前回記事のタイトルが”東大寺ミュージアム”なので、きっと、奈良の長谷寺のミュージアムではないかと思われた方が多いのでは?これは、ぼくが仕掛けた罠で、実はかまくらの長谷寺のミュージアムなのです。

昨日、かまくらの大仏さまを観たあと、すぐ近くの長谷寺に寄ってきた。花のお寺として知られているが、今の時期はちょっとさびしい。それで、いつもは寄らないミュージアムを覗いてきたというわけ。開設一周年記念展、”長谷寺縁起の世界”が開催されていた。宝物館時代は何度か入っているが、リニューアルオープン後ははじめて。常設の、観音三十三応現身像がずらりと並ぶ部屋は圧巻。観音さまが相手に応じ、様々な、三十三もの姿に変化した姿をみせてくれる。変幻自在。しばらく、見惚れてしまう。今の自分には、どの観音さまが応じてくれているのだろか、それを探すだけでも楽しいかも。これから、たびたび、入場してしまいそう。

長谷寺の本尊である「十一面観世音像」、通称「長谷観音」と呼ばれる観音像の信仰は鎌倉だけではなく、全国各地に存在します。その根本と位置付けられるのが奈良県の大和長谷寺です。
本展では、江戸時代に鎌倉長谷寺を中興した法誉弁秋(ほうよべんしゅう)上人が寄進したといわれる「長谷寺縁起絵巻(はせでらえんぎえまき)」と、その基と考えられる「長谷寺縁起文(はせでらえんぎもん)」を一堂に公開します。
そこに描かれる霊験あらたかな「長谷観音」の造像と大和長谷寺の建立の物語とともに、鎌倉長谷寺の縁起も合わせてご紹介し、全国に展開した長谷観音信仰の様相を紐解きます(公式サイトより)

子福桜が真っ盛りでしたよ。

ふじばかま

シュウメイギク

長谷寺境内にある、かきがら稲荷神社。

由緒↓。ご本尊、長谷観音が大和から海に流され、それに付着した”かきがら”の導きでご当地に光臨したといわれている。以来。御祭神としてお祀りされている。

かきがら絵馬。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を

 

 

 

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東大寺ミュージアム

2016-10-28 11:34:09 | Weblog

こんにちわ。

6年振りの奈良訪問だったので、東大寺境内もそれなりの変化がみられた。平成23年10月に東大寺ミュージアムが開館し、そのとき、三月堂の日光・月光菩薩をはじめ、多くの仏像がここに移ってきた。さらに、最近、四月堂から重文・木造の千手観音立像(平安時代前期)も迎えられたそうだ。思い起こせば、2010年11月に”東大寺大仏/天平の至宝”展が開催されたが、そこに来られていた仏像さんや伎楽面、宝物の多くが、このミュージアムに展示されている。再会の喜びに胸を震わせた、というほどのことはなかったが(笑)、楽しく、観ることができた。

では、まず、東博でも目玉展示となっていた国宝誕生釈迦仏立像から。誕生仏では日本最大として知られる。

重文・木造の千手観音立像

その両脇侍に、三月堂におられた国宝・塑造の日光・月光菩薩立像(奈良時代)。たしか、井上靖がこの月光菩薩が大のお気に入りだったはず。ぼくも好き。きれいな指先き。

さらに、平安時代後期の作、重文・木造の持国天立像と重文・木造の多聞天立像

以下の作品は、東博の特別展でも展示されていた。

伎楽面

東大寺金堂鎮壇具

西大門勅額

釈迦如来坐像及び多宝如来坐像もお出でくださいましたね。

今回は戒壇院に行けなかったが、ミュージアムのホールで、戒壇院の国宝・四天王↓の紹介ビデオがまわっていて、うれしかった。ついでに画像も。

持国天像と増長天像

広目天像と多聞天像

そうそうミュージアム前に実物大の大仏さまの手のレプリカが。これも上野に来ていた。

。。。。。

風情ある二月堂裏参道。

その途中で大湯屋(重文、鎌倉時代)が現れる。重源上人によって建てられた浴場。その前の水田で稲刈りが行われていた。

この道を真っ直ぐ、大仏殿の背後を進むと、戒壇院へ。

ぼくらは大仏殿の東側塀沿いに左折し、ミュージアムに向かった。

さて、一旦、宿に戻って。次は、正倉院展へ。

(奈良・三重の旅#3)

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東大寺 二月堂、三月堂

2016-10-28 08:55:34 | Weblog

おはようございます。

大仏さまを拝観したあとは、つい二月堂、三月堂に足が向く。二月堂といえば、お水取り。2008年に”おたいまつと声明聴聞”というツアーに参加し、夕方、おたいまつが駆け抜ける様子を見学し、さらに、夜、外陣まで入り、声明を聞くことができた。その声明が面白い。過去帳に出てくる有名人(聖武天皇、桓武天皇、鑑真和上、空海など)が次々と朗読(声明)されるのだが、”青衣の女人(しょうえのにょにん)”という謎の女が入っている。源頼朝の何人か後に読まれるのだが、いつの時代かに、練行師の前に青い衣の女が現われ、どうして私の名前を読み落としたのかと尋ね、名も言わずに消えて行ったそうだ。それ以後、付け加えられたということで、今では一番の有名人になっている(笑)。そんなことを思い出しながら、二月堂を見上げる。

二月堂


ここの舞台の廊下をおたいまつが駆け抜ける。近くで見学していると火の粉がかかる。

(2008年)

修二会は、3月1日から15日まで”本行”(前行は戒壇院で)が行われるが、12日目の深夜、いわゆる”お水取り”の儀式が行われる。二月堂下の若狭井戸(閼伽井屋)から1年間の香水をくんで、内陣の壺に蓄える行事だ。この”お水取り”が修二会全体の愛称となっている。

閼伽井屋

とにかく、この修二会の歴史がすごい。大仏開眼の年、天平勝宝4年(752年)に実忠和尚により始められ、その後、源平合戦のときも、先の大戦で大空襲があったときも、一度も絶やすことなく続けられたのこと。不退の行法といわれる所以。

そして、三月堂(法華堂)。二つの建物がくっついている。向かって左半分が奈良時代、創建の”正堂”で、右側が鎌倉時代に再興された”礼堂”。

この国宝建築の中も、国宝仏像ばかりが10体。以前、訪ねたときよりすかすかした感じだったが、一番のお目当ての日光、月光菩薩はじめ8体が東大寺ミュージアムにお引越しをされたようだ。ちょっとがっかり。やっぱりお堂でみたい。

それでは、東大寺カタログから仏像さんをご紹介します。

全体の様子。

不空羂索観音立像 一番輝いていますね。

金剛力士像(阿形)

四天王像(増長天)

純金剛神像(秘仏なので普段は拝観できない。12月16日開扉とのこと)

そして、ぼくらは月光菩薩がおられる東大寺ミュージアムに向かう。

(奈良・三重の旅#2)

・・・・・

それでは、今日も一日、仁王様に睨まれながらも、自由気ままに、お元気で!

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