気ままに

大船での気ままな生活日誌

創造と神秘のサグラダ・ファミリア

2016-10-07 09:06:48 | Weblog

おはようございます。

2014年秋にスペイン旅行をした。そのとき、一番、印象に残った建造物がバルセロナの、アントニ・ガウディ設計の大聖堂、サグラダ・ファミリアだった。何とも言えない、威厳に満ちたものだった。

その、サグラダ・ファミリアのドキュメント映画が近くのホールで上映されるというので、家内と一緒にみてきた。この聖堂は1882年に着工されたのだが、ガウディが生きている内には完成せず、あとの人に託された。いまだに未完成なのだが、この間の建築に携わった人々のインタビューを交えながら、その歴史を振り返ってみようというものである。

ぼくらが現地に見学に行ったときにも、聖堂内に建築に係る資料室もあり、ある程度のことは知っていたが、映画で得られた新知見も多い。ここでは、旅行のときの写真も入れながら、ドキュメント映画を紹介したい。

1889年~1893年の初期のサグラダ・ファミリア1882年に着工された、二年目に、まだ無名のガウディ(1852-1926)が二代目建築家を引き受け、設計図を書き直す。その後、1914年、ガウディはすべての仕事を断り、この建築にのみ、身を捧げ、10年後、73歳の生涯を終える。そのあとは設計図(模型とデッサン等)に従い、工事が続けられている。没後100年の2026年に完成の予定とか。かつて完成までには300年かかると言われたが、公式発表ではガウディ没後100周年にあたる2026年完成予定。

ガウディの死後、建設は続行したが、10年後の1936年にスペイン内戦が起き、このとき、ガウディの模型の大半が破壊され、設計図など紙資料も消失した。戦後、どうするかということになり、建設を中止し、博物館にしたらという意見が大勢で、最近、彼の建造物が世界遺産となったル・コルビュジエさえ建設中止を訴えた。

しかし、何とか有志により建築は、継続され、こわれた模型を復元し、わずかな残るデッサン、図面をもとに、ガウディならこうするだろうと、後継者たちが少しづつ、付け加えて行った。いろいろな建築家、彫刻家が協力していった。

西側の外装は”受難のファサード”↓を担当したジョセップ・マリア・スビラックス(彫刻家)の話。
"受難のファサード"を任せたいと言われた時、あまりにも思いがけなくて心から驚いた。ガウディのスタイルを踏襲するのではなく、自分が生きる時代に根ざした表現を求めるために、ガウディから離れて考えることにした。私は無神論者だがキリスト教文化圏にいる。キリスト教のモチーフを彫るのは、普通のことだ。ただしそうした作品は、私の宗教観を表してるわけではない(公式サイトより)。

受難のファサード モダンな彫刻↓

東側の外装は”生誕のファサード” ガウディー時代のファサード↓ 

プロジェクトには日本人も関わっている。外尾悦郎(彫刻家)の言葉。

かつて私は仏教徒だったが、カトリックに改宗した。なぜなら、ガウディが見たものを見るべきだからだ。ガウディ本人を見つめるのではなくて、彼の視線を追ってみよう。そう切り替えたのが大きな転機になった。ガウディの模型の破片を基に、模型全体を復元した。ガウディの模型やヒントが仕事の助けになる。ガウディがどんな線を思い描き何を求めたのか、私は毎分毎秒問い続けている。

 

マーク・バーリー(建築家) 設計にあたっては、通常建築で使用するCADソフトではなく、飛行機の設計者用に開発されたソフトを使用した。サグラダ・ファミリアの建築においては3Dからイメージを把握することが大切だ。ガウディの作品だが、仕上げはチームが行う。チームとは仲良しクラブではない。みんな貢献したくてここに参加している。そうした作業者や技術者の総合体としてのチームだ

(空地を残すようにと)、サグラダ・ファミリアの増築を反対していた団体が、のちに、その予定地に自分たちの住宅を建築していた、と関係者が怒りの発言をしていた。どこにでも身勝手なやからはいるものだ。いろいろな困難を乗り越えて、建築は進む。



2014年11月のサグラダ・ファミリア↓

 

ガウディー没後100年の2026年に完成の予定。10本の塔が未完成で、最終的には18本になる。さて、10年後、そのとき、ぼくは、どうなっているか(笑)。是非、行きたい!!

それでは、みなさん、今日も一日、ガウディー・スピリットで、お元気で!

 

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