気ままに

大船での気ままな生活日誌

品川からぶらり大崎へ

2016-10-19 21:42:12 | Weblog

こんばんわ。今日のぶらり散歩は、はからずも、JR品川駅から御殿山を経てJR大崎駅へというルートになった。旧東海道の品川宿ルートは、何度か歩いているが、このコースは初めて。なかなか、おもしろい散歩道だった。

何故、品川に出向いたかというと、篠山紀信の”快楽の館K”展が開催されている原美術館がここにあるから。それ以外はすべて、いつものように足の向くまま気の向くまま(笑)。

高輪口から品川プリンスホテル前に出て左方向に歩き始める。11時半頃だったので、そろそろお蕎麦でもと、お店を探しながら、歩いていると長い行列のお店をみつける。つばめグリルだ。大船でよく利用しているチェーン店だが、品川が第一号店のはず、めったに来ないし、と、列の最後尾についた。ほとんど、待たずに二階席に案内され、サーモンのムニエルと赤ワインを頼む。いつもより、さらにおいしく感じた(笑)。

お店の人に聞いたら、第一号店は銀座にあったのだが、今はなく、ここ、二号さんの品川店が一番古いのだそうだ。

腹ごしらえをして、道なりに歩く。石垣がつづく。この辺りが御殿山か。浮世絵では御殿山の花見図をよくみるが。

この先に、三菱関東閣の入り口が。門は開いていたが関係者以外は入れないらしい。旧岩崎家高輪別邸だそうだ。

その先の交差点を左に折れると、すぐに、お目当ての原美術館が現れる。元は邸宅だった。

そこでは、篠山紀信の”快楽の館K”展が開催されているのだが、詳細はのちほど。ちょっとだけよ。

見終えて、元には戻らず、JR大崎駅方面へ。途中で出会った博物館やビルたち。初対面のものばかり。

翡翠原石館

新潟県糸魚川小滝産翡翠

御殿山の眠り猫

魅惑的な文字!ミャンマー大使館だった。

ONビル

大崎MNビル


アートビル(笑)

目黒川を渡る

大崎駅前のビル群

駅前ビル内の美術館 O美術館。”光のバラード・宇宙詩展”

金属造形作家として、国際的に活躍する長谷川栄の個展。

品川駅から、御殿山を経て、大崎駅までのはじめての散歩道。クラシックとモダンが入り混じったステキな散歩道だった。

では、おやすみなさい。

いい夢を。




 

 

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クラーナハ/500年後の誘惑

2016-10-19 09:36:24 | Weblog

おはようございます。

国立西洋美術館でクラーナハ展がはじまったというので、初日は逃したが、二日目に出掛けた。日曜日だというのに比較的空いていて、ゆっくりとみることができた。やっぱり、これはという、美術展は早い内がいい。

なにしろ、日本初のクラーナハ展で、それも、ウィーン美術史美術館を中心に世界13か国から120点もの作品が来日するという。たぶん空前絶後のクラーナハ展になるのでは。彼は宗教改革のルターとも親しく、今年が、1517年に開始された宗教改革から、ちょうど500年を数える2016-17年に開催されるというのも意義深い。それで、”500年後の誘惑”というサブタイトルがついている。

ルカス・クラーナハ(1472-1553)は、1505年頃にウィーンで画業を開始したが、その後、ザクセン公国の都ヴィッテンベルクで宮廷画家として、50年間、活動した。ザクセン選帝侯に仕えるだけではなく、宮廷外に大きな工房をつくり、大量の絵や版画を制作、事業家としても成功した。

第1章 蛇の紋章とともに/宮廷画家としてのクラーナハ

ここでは、まず、クラーナハが仕えたザクセン選帝侯賢明公の肖像画がある。そのとき、2013年にドイツ旅行したときのドレスデンの陶板壁画”君主の行列”を思い出した。ザクセン王国の35人の大公、選帝侯、王たちの騎馬姿が描かれている。賢明公も入っているはず。ということで、展覧会とは関係のない”君主の行列”を載せる(汗)。こうした我儘できるのがブログのいいところ(爆)。

ヴィッテンベルクは、地図で調べると、ドレスデンからベルリン方面へ100kmほどの都市である。バスで近くを通り、ここで、1517年、ルターはローマ教会の贖宥状に抗議してヴィッテンベルク市の教会に95ヵ条の論題を打ちつけ、宗教改革の始まったと聞いた。ルターの像もこの街にある。クラーナハもルターの肖像画を書いている。最終章に出てくるが、ここでは、また我儘して(笑)、ここに載せる。

マルティン・ルター(1525)

と、いきなり脇道にそれたが、この章では、聖母子と幼き洗礼者ヨハネを描いた三つの絵が並び、さらに、天使の囲まれた聖家族(祭壇画の左翼パネル)、聖母の教育(同右翼パネル)などクラーナハの作品がずらりと並ぶが、図録を買わない主義のぼくには、写真を載せることができない(笑)。ちらしに載っている写真は、後述の章に集中している。

第2章 時代の相貌/肖像画家としてのクラーナハ

クラーナハは多種多様なテーマの絵を描いているが、なかでも、肖像画を得意としたようだ。当時の重要人物の注文を受け、ここの章ではザクセン公家の人々、政治家、学者などが並ぶ。写真はない。

第3章 グラフィズムの実験/版画家としてのクラーナハ

商売の才もあったクラーナハが、大量生産のできる版画を利用しない手はなかった。また、版画は、実験的な表現を試せるということもあり、彼の特徴である屈曲した「線」もここで生まれた。また、西洋版画史の中で、多色摺りをはじめて試みたのもクラーナハだった。その作品(聖クリストフィロス)も展示されている。

第4章 時を超えるアンビヴァレンス/裸体表現

いよいよお待ちかね、クラーナハといえば、すけすけベールのくねくねの女性裸体。ここで、たっぷり、おみせできます(笑)。

ヴィーナス(1932)

ルクレティア(1529)

正義の寓意(1537)

第5章 誘惑する絵/女のちからというテーマ系

絵はひとを誘い、また惑わせる。クラーナハは、その「誘惑」の効力を、よく知っていたはずである。クラーナハの多種多様な絵画をあらためて見渡すとき、一見したところ無関係であるかに思える作品群のなかに、ある根源的なテーマが浮かび上がる。すなわち、「女のちから」(Weibermacht)と呼ばれる主題系である。たとえば、イヴの誘いに負けて禁断の果実を食べてしまったアダム。あるいは、敵将ホロフェルネスのふところに潜り込み、彼を油断させることで惨殺したユディト。踊りによって王を悦ばせ、褒美に聖ヨハネの斬首を求めたサロメ。王女オンファレの美貌に骨抜きにされ、羊毛を紡ぐはめになった豪傑ヘラクレス。娘たちに酔わされ、近親相姦をおかしてしまったロト……。そう、ヨーロッパの美術史や文化史における「女のちから」とは、女性の身体的な魅力や性的な誘惑によって、男性が堕落ないし破滅に陥る物語のことをいう。それは古代神話、旧約聖書、新約聖書、より世俗的な寓話など、実に広範な源泉のなかから見出される「誘惑」の類型的イメージにほかならない。(公式サイトより)

ヘラクレスとオンファレ(1537)

ロトとその娘たち(1528)

ホロフェルネスの首をもつユデェト(1525-30)

最終章は”宗教改革の顔たち/ルター超えて”。ルターの肖像画もここにある。すでに載せているので、冷たい視線の女のポスターで本稿を終わりにしたいと思います。

満月にもそっぽ。ホロフェルネスの首をもつユデェト。

めったにみられないクラーナハの”空前絶後”の回顧展だった。

それでは、みなさん、今日も一日、クラーナハのように精力的に(?)、お元気で!

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