おはようございます。北陸旅シリーズ第5弾です。
高岡の国宝・瑞龍寺を見学したあとは、高岡大仏にご挨拶。日本三大仏の一つだそうだ。あとの二つは奈良と鎌倉の大仏さま。ただ、wikiによると、三仏目は他にも諸説あり、そのいずれも奈良、鎌倉と並び称するには歴史、格とも違い過ぎるため、一般的には認められていない、とある(笑)。ただ、歴史は古く、およそ800年前、源義勝が承久の乱を避け、入道して越中に移り、6尺の木造大仏を造営したのがはじまりという。その後、前田利長が高岡に築城の折り、この地に移された。その後、”波乱の人生”を送り、平成19年に大修理が行われ、現在に至っている。
高岡大仏 全体の高さは15m85cm
与謝野晶子が高岡を訪れたときに、高岡大仏を”鎌倉大仏より一段と美男”と評したとも。たしかに、端正な顔立ちの大仏さまである。
そのあと、高岡市ご自慢の土蔵造りの街並みを見学に。はじめに、”土蔵造りのまち資料館”に入った。係の人がいろいろ説明してくれた。裕福な商家が軒を連ねるこの町を”山町”と称するが、これは、高岡の御車祭の7基の山(山車)を保存・継承する十の町に由来するとのこと。京都の祇園祭の”山鉾町”みたいなものですね。毎年、5月1日に各山は町内を曳きまわされるそうだ。この資料館は旧宮崎家住宅で、明治33年の大火後に建てられので、厳重な防火建築となっている。土蔵造りの特長は、外壁を黒または白の漆喰で塗り込み、隣家堺には延焼防止のための防火壁を設けている。重厚な外観とは対照的に、内部は繊細な数寄屋造りである。
土蔵造りのまち資料館(旧宮崎家住宅)
土蔵造りの壁の断面。 防火用構造に。
部屋は数寄屋造り
御車祭の7基の山(模型)
祭りの風景
さて、町歩き。素晴らしい街並みにカンドー。資料館から駅へ向かって山町筋を歩いてみよう。
菅野家住宅(重文)
筏井家住宅(県指定文化財)
高岡御車山会館
赤レンガの銀行
山町筋の終盤、郵便局の交差点を右に折れると、佐野家住宅(国登録有形文化財)がある。
その辺りが、タカジアスターゼ、アドレナリンの発明で有名な高峰譲吉博士の生誕地である。銅像も立っていて、記念館もある。ワシントンのポトマック河畔の桜は、シドモアと共に高峰の尽力によるものだ。お里帰りのポトマック桜が横浜の外人墓地のシドモアのお墓の前にあるが、金沢城公園にもあるそうだ。
高峰譲吉博士銅像
ここから高岡駅に戻ったが、途中、高岡関野神社の前に七つの山を納めている蔵を見ることができた。
駅前広場には高岡出身の藤子不二雄のキャラクターたちが勢揃いしていた。
素晴らしい街並みの山町筋だった。大満足して、夕方、フリー切符で高岡から金沢へ。(つづく)
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!