山百合が咲く衣笠山で、昨年(平成29年)3月に設置された忠犬タマ公像を見てきた。ここには、以前から”忠犬タマ公の碑”があって、ぼくも本ブログで何度か紹介している。まず、その忠犬タマ公像をご覧いただきます。
そして、以前からあった、忠犬タマ公の碑。
両者の位置関係。
忠犬タマ公をはじめて知る人のために、以前のぼくのブログから。
碑文にはこう記されていた。これは雪崩で遭難した主人を二度も救い出した新潟の”忠犬タマ公”の碑である。海軍にゆかりのあった市内在住の新潟県出身の人たちが故郷で話題となった”タマ公”に感激。 そのうちの一人が川内村(現在五泉市)に住む飼い主、刈田さん宅を訪ねてタマ公の寝起きしていた所の土をもらって埋め、 約2Mの碑を建てたのだという。横須賀市長だった小泉又次郎氏(小泉元総理の祖父)の書。
そして、忠犬タマ公像について。
衣笠地区と新潟県五泉市は、衣笠山に設置されている「忠犬タマ公の碑」をご縁として、平成14年から活発な交流が続いています。この度、五泉市から「忠犬タマ公像」が寄贈されることになりましたのでお知らせいたします。在りし日のタマ公の雄姿を、地域の皆様に見ていただくことができるようになります。お披露目は平成29年3月下旬を予定しています。どうぞ楽しみにしてください。(2016年横須賀市ニュース)
以上については、今年の1月に戌年にちなんで忠犬タマ公のことというタイトルで記事を書いている。忠犬タマ公像は五泉市だけではなく、新潟県内にいくつかあり、ぼくも新潟旅行のとき、市内の白山神社で見ている。
白山神社の忠犬タマ公像。
今回、衣笠山の忠犬タマ公像を見て、はじめて知ったことは、・・・忠犬タマ公像の題字を書いたのが小泉進次郎氏で、忠犬タマ公碑文を書いた小泉又次郎氏のひ孫であったこと。また五泉市には小泉純一郎氏書の碑文があるとのこと。タマ公の縁つづきにびっくり。
忠犬タマ公の像の近くに、ぐうたらタマ公がいたのには笑ってしまった。タマ、タマと呼んでも、まるで像のように微動だにしなかった。