おはようございます。
コロナ騒動で県内の博物館、美術館、それに図書館まで休館。行くところがないので、先日、家内と鵠沼海岸で遊んできた。
小田急江ノ島線の鵠沼海岸駅で降りる。
ここから5分も歩くと、文人宿として知られる、東屋の跡。

家内は初めてだが、ぼくは2015年11月に訪れている。近くの公民館でこの文人宿に関する展覧会が開かれ、そのあと訪ねたのだ。
ちょっと振り返ってみよう。鵠沼に暮らした文人を紹介した展覧会だったが、芥川は妻の実家が鵠沼にあり、田端で自殺する前年にここで過ごしたという。”蜃気楼”、”歯車”は、鵠沼を舞台にしたものだそうだ。この周辺には多数の文人が住んでいた時代があり、その住居マップが展示されていた。子母沢寛、川口松太郎、立原正秋、吉屋信子、邦枝完冶、安岡章太郎ら馴染みの作家の名もみえる。26名を数える。当時は別荘地として人気があったようだ。
さらに、文人宿と呼ばれた東屋には、多数の小説家が宿泊している。たとえば、武者小路実篤と志賀直哉もそうだったが、雑誌、”白樺”の構想をここで練ったというのはよく知られている。久米正雄、里見とん、与謝野夫妻、谷崎潤一郎、山本周五郎なども。
現在は、あとかたもなく、その跡地は住宅街になっている。ただ、石碑とその概要を示した掲示板だけが角に立っている。



周辺は豪邸が並んでいる。

文人宿は海岸に近く、作家たちもよく散歩に出たようだ。ぼくらも海岸まで歩いた。
りっぱな松林がある。

その先に、鵠沼海岸。江の島が目の前にみえる。海水浴場として知られているが、サーフィンのメッカでもあるようだ。たくさんのサーファーたちが波乗りを楽しんでいた。この日は平日であったが、学校もコロナ休校だし、若者がここならコロナも来ないだろうと集まってきたのだろう(笑)。



浜辺では高校生がビーチバレーをしていた。

右側に富士山が見えるのだが、この日はほんのわずか顔を出しただけだった。

その代わり、茅ヶ崎の烏帽子岩は見られた。

浜辺にサーファーのための施設がある。そこに、資料室も。
1909年に鵠沼海岸では板子を使った波乗りが行われていた。

1952年サーフボード5台を作成し、サーフィンクラブ”シャークス”を結成。日本初のサーフライドをグループで行ったのは、この鵠沼海岸の若者たちだった。

幾多の戦争で犠牲になった英霊を顕彰した平和の像が四方八方、見渡していた。



こんどは、富士山のみえるときに。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!